【MBTI】知覚と判断をフィルターという視点から再整理する

「PJ軸のフィルター機能仮説」を用いて
もう一度、各機能の意味合いを考察してみようと思う。

INiとINe ISiとISe
元々、内界に注意を向ければ誰でも、自分の記憶から出力される様々な情報を知覚せざるえない。
その知覚した情報を判断機能のフィルターをかけずにダイレクトに知覚をしているのがINiとISiだ。
知覚内容を抽象化して捉えていなければISiになる。
対してINeとISeは判断機能によって知覚対象に強いフィルターがかかっているものである。
フィルターをかける方に意識が向いているのでこの二つは必ず主補助機能(人間は内界の判断と知覚のどちらかに注意の分配が偏っているので、判断に偏れば知覚への注意が小さくなる)になる。
内界の記憶から出力される様々な知覚は「自分が持っている記憶の範囲でしか知覚はできない」という絶対的な特徴がある。
だからINiは抽象的なパターン認知による精度の向上、ISiは具体的な過去の記憶の構造が判断機能のフィルタリングという余計な偏見を介さずに認識される為に、生の記憶から直接的な自分の学びへと変えていく事ができる。
自分が持っている記憶を偏見無く知っている人たちだ。
対してINeやISeは知覚はされているものの、「ITiの思考を補助する内容以外は全て知覚の拒絶/IFiの価値観を補強する内容以外は全ては知覚の拒絶」をしてしまうので、本来自分の記憶を偏見無く覗けば見えてくるものが見えなくなってしまう。
結果として自分が本来持っている情報量に対して断片的な知覚しかせざるえなくなる。
INeやISeはフィルターをかけているが故に有限で整理可能なハズの内界の記憶をより複雑な物にしてしまう。
無整理状態の有限の記憶の箱に対してひたすら、役に立つ知覚が上がってくるのを待っているのに等しい。
整理がついていないのにそこだけからデータを引っ張ってきても、役に立つ情報が出る確率は指数関数的に下がっていく。

本質的な物理的な実態としてはINe=INi=ISe=ISiである。
内界の記憶をどのように知覚しているかの違いにすぎない。

ENiとENe ESiとESe
元々、外界に注意を向ければ誰でも、外界から入力される様々な情報を知覚せざるえない。
その知覚した情報を判断機能のフィルターをかけずにダイレクトに知覚をしているのがENeとESeだ。
対してENiとESiは判断機能によって知覚対象に強いフィルターがかかっているものである。
フィルターをかける方に意識が向いているのでこの二つは必ず主補助機能(人間は内界の判断と知覚のどちらかに注意の分配が偏っているので、判断に偏れば知覚への注意が小さくなる)になる。
外界から入力される様々な知覚は内界の記憶の知覚とは違い「無限」という絶対的な特徴がある。
だからENeとESeは知覚対象に対して判断機能のフィルタリングという余計な偏見を介さずに認識される為に、大量の外界の情報を取り込む事が可能になる。
様々な知識や経験をたくさん持っている人たちだ。
対してENiやESiは知覚はされているものの、「ETeの思考を補助する内容以外は全て知覚の拒絶/EFeの価値観を補強する内容以外は全ては知覚の拒絶」をしてしまうので、無限にアクセスできるはずの外界の情報に対して判断機能の目的に沿った断片的な知覚しかできなくなる。
結果として外界をよく観察できておらず、自分の判断に知覚的根拠の浅い拘りを持ってしまう。
情報不足を認識せずに判断をしてしまうので、判断の外にある要因を犠牲にしてしまいやすい。

本質的な物理的な実態としてはENe=ENi=ESe=ESiである。
外界の物理的実態に対してどのように知覚しているかの違いにすぎない。

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