判断と知覚への注意がトレードオフの関係にあるのは、知覚そのものへの注意と言語への注意が両立しないからだという仮説を立ててみた。
 言語に注意が行っている時は、その意味に対して注意が集中しているので、例えば言語の音そのものだとか、もしく抽象化された視点で知覚する音だとかっていう所には注意がいかないという事。
 もちろんそれは音に限らず五感の情報の全て。
 その中で言語だけが知覚した情報を超越して、意味を持たせることができるようになる為に最も特殊な性質を持っていると感じる。
 で、判断機能の実態はそもそも言語的な解釈が本質的な実態なのではと仮説を立ててみた。
そうなると主機能Ti Fi Te Feのタイプがインザグリップ時言語に固執するという事になるはず。
 ネット上ではINTPとINFPが発言する頻度がダントツで高い。
 ついでISTPだとかINTJだとかINFJだとかENTPだとかの発言頻度が高いイメージか。
 傾向として「N直感機能持ちである」「主機能が判断機能である」「内向型である」という傾向でネット上での発言頻度が高くなっているように思える。
 「主機能が判断機能である」であるという視点は見逃していたのだが、確かにそういう傾向があるのは事実だと思う。
 TeやFeが主機能なタイプはそもそもネットに大きく興味を持つとは思えないが、グリップの時に例え感覚型であろうと物凄いしゃべるようになるのではないかと推定する。
 Teなら正論を主張し、Feなら綺麗事の主張に終始するイメージ。
 ようはグリップ時に口喧嘩をするようなタイプは主機能が判断機能なんじゃないのっていう話になる。
 主機能がNiやSiなら引きこもって無言の抵抗をするだろうし、主機能がNeやSeなら躁的になるだろうし。
逆に言えばグリップから抜け出したいなら、言葉を使う使わないの意識的な選択が有効という見方もできる。
 私はINTP的なグリップに陥ってずっと頭の中で言葉がぐるぐる回るが、一切の言葉を放棄する感覚。
 意識がそのまま内面に向き続けていればひたすら、内面から出てくる記憶を抽象化して捉える事になるのでINTJ化する事になる。
 この二つは明らかにトレードオフだよね。
「判断機能の物理的な実態が言葉」であり「知覚機能の物理的実態が言葉を仲介しない生情報の知覚」とするとより説明が上手くいきやすい気がする。
 N系が知識人であり、言語能力が高い傾向があるのとは、抽象化された知覚と言葉との間に正の相関関係があるからと見るべきか。
 言語って概念に対する当てはめそのものだからね。
 だからと言って主機能NiやNeが言葉をメインに使っているかと言うとそうではなく、抽象化された知覚の世界に生きている。
 それを言語化するのに補助的に判断機能を使っていると考えると上手くいく気がする。
いわゆる動作性IQと言語性IQという概念と、このアンバランスさを持つ発達障害系の特性の説明がこの視点からつくようになるのではなかと思える。
判断と知覚のどちらも、結局脳の有限な注意と無意識化の処理のキャパシティの占有のしあいになっているって事やね。
 その本質は「言葉」にどれだけ依存するか?どうかという事?
そうすると以前、赤ちゃんのMBTIを考察したがTi Te Fi Feが主機能の赤ちゃんが存在するという事になり矛盾になる。
 赤ちゃんは知覚しかできないので極端なNi Ne Si Seの主機能しか持てないという事になってしまう。
 ISTJ INTJ ISFJ INFJ ESTP ENTP ENFP ESFPしか存在しえないという事になるね。
 でも言語を介さないで、補助機能でTF的な客観的な知覚をするか都合の悪い知覚を無視しようとするかの「判断」は無意識にやってる事になる。
 そこで補助機能としてTe Fe Ti Fiがどう機能しているのかの意味づけになるのかもしれない。
 もしくは判断は言語とは関係なしに知覚した情報の精査という形で無意識で機能しているという見方もあるのかもしれない。
INTPの赤ちゃんが存在するかについて考察してみたい。
 Ti Ne
 知覚した情報を抽象化してNeが拾ってくるって所まではいい。
 それを映像思考か何かで強烈に振り分ける事ができるのかって話よね。
 本ブログではあくまで注意の方向で主機能を定義してきたので、言葉を介さなくても振り分けられるが、それって知覚した情報そのものに注意が行っているからもはやINe ITiのENTPかINi ITeのINTJだよねって話になってしまう。
注意が知覚に向かない赤ちゃんがいるか?という話になるね。
 知覚以外の情報で注意のキャパシティを頭の中で赤ちゃんが満たせるのかと。
「フィルターに意識が集中している」という視点。
 言葉を介さなくても知覚した情報が問題解決に役立つか、自分の感情にとって心地よいかどうかの強烈なフィルターをかけること自体はできる気がする。
 ITi INeの乱雑なINeの知覚に対して強烈なフィルタリングする事に意識が向いている赤ちゃんというのは確かに存在しえる気がする。
 フィルタリングが強烈に働くという事は知覚する情報を特定の方向に持って制限するという事なので、知覚の流入量が絶対的に低下するというのは多分あるよね。
むしろ「フィルタリング」の補助をしているのが「言語」という存在。
 抽象化された物であれ具体的な物であれ「知覚」以外に意識が向いて、知覚への注意を乱すものを上げ続ける事ができれば、「判断」の本質により近づけるのかもしれない。