【MBTI】知覚(P)判断(J)軸の移動とダイナミクス

PJ軸移動について考察してみたい

基本的にPJ軸は知覚Pと判断Jの移動だ。
これが意味するのは、主機能か補助機能の外向に知覚Pが含まれるか判断Jが含まれるかの違いとなる。

例えば
INTPとINTJ
INTP:Ti Ne S Fe (知覚Pを持つために補助機能の外向が知覚機能Nとなる)
INTJ:Ni Te F Se (判断Jを持つために補助機能の外向が判断機能Tとなる)

ESTPとESTJ
ESTP:Se Ti F Ni (知覚Pを持つために補助機能の外向が知覚機能Sとなる)
ESTJ:Te Si N Fi (判断Jを持つために補助機能の外向が判断機能Tとなる)

面白いですね。
ダイナミクス的変化の最も大きい軸がこのPとJの移動だと思われます。
JユーザーがTe Fe Si Ni
PユーザーがTi Fi Se Ne
で主機能・補助機能が構成されているという事になります。

もう少し変化がわかりやすく分解してやる。
i e
INTP:T N
INTJ:N T
どうだろうか?
だいぶ見やすくなったのではないか?
PJ軸のダイナミクス的な意味づけは「判断⇔知覚」の変化軸。

Pユーザーが自分の判断に意識が向いている人たち。外界の知覚に意識を向ける人たち。
Jユーザーが外界の判断に意識が向いている人たち。内界の知覚に意識を向ける人たち。
基本的にJユーザーが組織向きでPユーザーが個人プレーヤーというのは上記から良くわかる。
面白い示唆は
Pユーザーが情報収集の根拠を外界に依存
Jユーザーが情報収集の根拠を内界に依存
という所。
自分自身の記憶の構成をよく知っている人間は組織向きにになるっていう事。
逆に言えば自分の記憶に意識を向ける癖をつければ判断の根拠が自動で外界になるというのは極めて面白い示唆だ。
説明がしがたい仮説現象ですよね。
例えば主機能Si、補助機能Fiのような並びはあり得ないのか?
自分自身の記憶を根拠に自分自身の価値観で物事を判断するという人間。
何故、そのような物が定義されていないのか?
上記の場合だと主機能、補助機能の両方が内向しているので外の判断知覚がほとんどないという事になる。
例えば極端なIを持つ型だと、ほとんど外界に意識が向かず、判断知覚が自分の内界になるというのはありえる気がしないでもない。
でもそれって凄い不健全なのはなんとなく想像できる。
自分の心の世界で起こっている事だけに依存して判断知覚をしているという事。
ようは、その注意の向け方ではバランスの取れたパーソナリティを維持するのが難しいという仮説が立つのではないか?

内向の度合いが強ければつよいほど、外界の何かを認識しないと認識のバランスが取れずにストレスフルになるというのはどうだろう?
Ti Teのように自分の判断に固執している人がそれで外界の判断を取り入れる事もストレスフルになる事は想像に難しくない。
だから、外界との接点を持つ手段として補助機能の注意の向け方があると思えば、統合的なバランスがとれるようになるというのはある程度理が通るようになる。
Tiときたら知覚を外向させなければ、ストレスフルな状態に陥ってしまうという事。
ストレスフルな状態になれば視野が狭くなってインザグリップになる。

逆にFe Seみたいな順番も考えてみよう。
外界の感情に意識配分を向けていて知覚も外界でやる。
意識が外にしか向かなければ多分人は自己コントロールを失う。
それでは破綻をしまう。
だから、自分の内側に目線を向けなければならない。
その時にFe Fiのような意識の向け方をしてしまうと、個人と集団の判断基準を同時に満たさなければならないのはストレスフルでバランスを取りにくい。
結果としてFeときたら内界の記憶に意識を向けるしかなくなる。

主機能と補助機能の順番はその人のパーソナリティを安定させる為のバランスの為の配分なのだと。

例えば重症な自閉の子を考えると、あまりにもiが強すぎてTi Niのような順番もありえなくはないが、それは不自然で生きていく事が難しくなってしまう。
これにより自分の主機能の使い方にあった補助機能の使い方の習得に失敗をして恒常的なインザグリップから抜け出せなくなった。
っていう見方もできなくもない。

そういう意味で知覚P判断JとMBTIダイナミクスの並びが示唆するものは非常に興味深い物がある。

主機能と補助機能の並びの法則は心理的なバランスの取れたパーソナリティを実現する為のものという仮説は理が通っているのではないか?

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