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【社説】

阪神大震災24年 ボランティアの継承を

 阪神大震災から二十四年。大勢の市民が現地入りして復旧を手伝い、震災が起きた一九九五年は「ボランティア元年」と呼ばれる。あれから四半世紀。継承が風化を防ぐことにもなる。

 「なぜ“阪神”がボランティア元年に?」には明確な答えは示されていない。家がつぶれ、炎が燃え盛り、高速道路がなぎ倒された現場や、肩寄せ合って立ち尽くす現地の人たちの画像や映像を見て自然に人を動かした側面はあるだろう。

 ボランティアには二種類ある。まず「個人」の立場で現地入りする人たち。昨年八月に山口県で行方不明の男児を救出した尾畠春夫さんは、その中でのスーパーボランティアといえる。二つ目は、医療や福祉などの専門知識を持った「団体」の人たち。

 九五年の阪神大震災では「個人」が中心だった。全国から一年間で延べ百三十七万人が神戸市などに入り、復旧に働いた。しかし、初めての大規模なボランティア受け入れに自治体が戸惑い、「統一的な窓口」はできなかった。

 この後、災害のたびに、自治体などは運営の経験を重ねていった。二〇〇四年の新潟県中越地震では、地元の社会福祉協議会が「個人」向けに「災害ボランティアセンター」を開設。〇七年の能登半島地震と新潟県中越沖地震には「個人」のほか「団体」の人たちも多数参加。多様化が進んだ。

 一一年の東日本大震災では、延べ五百五十万人が東北地方の現地で懸命に働いた。「災害ボランティアセンター」は各地に開設された。でも、被災地が広範なこともあって、専門性豊かな「団体」の組織を束ねる機能が弱く、支援に濃淡ができた。

 こうした反省から、専門知識を持つ「団体」同士がまとまり、連携を図る組織の準備が進んだ。全国災害ボランティア支援団体ネットワーク(JVOAD=ジェイボアード)がそれで、一六年の設立直前に発生した熊本地震で連携が実現。専門性を生かした支援を長期間行えた。正会員は二十四団体にのぼる。

 とはいえ、まだ課題は山積だ。三十年以内に南海トラフ地震は70~80%、首都直下地震は70%の確率で起きるとされている。人口密集地や、広い地域で大きな地震が起きた場合、ボランティアをどう機能させるか。十五~二十一日は、国が制定した「防災とボランティア週間」。進化を続けるボランティア活動への認識を深め、今後の課題を考える機会にもしたい。

 

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