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【社説】

稀勢の里引退 綱の重みをかみしめる

 大相撲の横綱稀勢の里が現役引退を決めた。二年前に十九年ぶりの日本出身横綱となり、期待を一身に集めたが、けがなどで横綱在位十二場所の短命に終わり、綱の重みをあらためて知らしめた。

 三十六勝三十六敗。横綱在位十二場所で、稀勢の里が残した記録だ。勝ち星、勝率(五割)とも、年六場所制となった一九五八年以降に昇進した横綱の中では最悪だった。

 先代師匠の元横綱隆の里(故人)は糖尿病に苦しみながら戦う姿に「おしん横綱」と名付けられ、ファンの心をつかんだ。その不屈の闘志を受け継ぎ、遅咲きの三十歳九カ月で横綱に上り詰めた。しかし先代師匠が在位十五場所で挙げた九十五勝に届かないまま、土俵を去ることになった。

 昇進が決まった二年前の初場所後、私たちは十九年ぶりに誕生した日本出身横綱に「横綱の重圧を楽しめ」と、本欄で期待を込めた。後戻りがきかず、力が衰えたら引退の二文字しかない横綱の重みは、背負った者にしか分からないといわれる。計り知れない責任感に押しつぶされることなく、思い切りのいい相撲で見る人に勇気を与えてほしいという、願いからだった。

 大関昇進後は綱取りにあと一歩まで迫りながら、平幕相手に何度も星を取りこぼした。「精神的に弱い」という声も聞こえ、本人ももがき苦しんだ。

 それでも苦悩の日々を送る中で気持ちの切り替えが大切であることなどを学び、頂点に上り詰めた。しかし、新横綱として逆転優勝を決めた二〇一七年春場所の十三日目に左上腕や左大胸筋のけがを負い、長引く後遺症から復活を果たすことはできなかった。

 一般的にスポーツ選手は、けがが原因で現役を退くことを最も後悔するという。けがさえ治れば、かつての力を発揮できると本人も周囲も思うからだ。稀勢の里も引退を決意するまでには、激しい葛藤があったことだろう。だが、黒星が重なる中で土俵にこれ以上立ち続けることは、横綱の立場としては許されなかった。

 絶大な人気があり、唯一の日本出身横綱の土俵での姿が見られない。寂しく感じる人は多いことだろう。

 ただ、今場所も貴景勝や御嶽海ら、新たな魅力ある力士たちが躍進し、土俵を盛り上げている。耐え抜いて横綱となった経験、苦い思いなどを後進に伝え、今後も大相撲を支えてもらいたい。

 

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