「随分と親切だな、コイツは」
鬼兵隊の総督、高杉晋助がそう声を掛けたのは、毒々しい黒紅の花弁と斑点模様のある深緑の葉を持つ植物だ。見た目から感じる通り強い毒性のある植物で、鬼兵隊参謀の武市変平太が所望した品である。
「親切、でござるか?はて、拙者にはとてもこの毒物が親切には思えぬが…」
手にある鉢を持ち上げ、万斉は改めてしげしげと眺めてみる。鉢に植えられた花は透明のビニールに覆われているが、しかし完全に密封されているわけではなかった様だ。お世辞にも良いとは言えないねっとりとした臭いが漂ってきて、万斉は慌てて鼻からそれを遠ざけた。
「見た目から毒だと分かるだけ親切じゃねェか」
「成る程。そういった意味合いでの親切でござるか」
確かに、万斉の手にある植物は“近付くな”と分かりやすい警告を出している。しかし、もしもこの植物がまるで清廉潔白だと主張する様な純白の花弁を持っていたならば、人々は見目麗しい花に自ら近付いて行くのだろう。
恐ろしい毒があるなどとは、露も思わずに。
近付いても平気そうな見た目の癖に、気づいた時にはもう手遅れな程の強力な毒を持っている。なるほど確かにそれこそ不親切であり、とても悪質だ。納得する万斉の横で高杉がいつもの笑みを零す。嘲るような、諦めるような、笑みを。
「一番質が悪いのは、上辺だけ無害を取り繕っているような奴らだろうよ」
語る高杉の隻眼は、見つめる毒花ではなく、よく知る悪質な誰かを映していた。
江戸の外れ、坂道の先、小高い場所にある古びた旅館の奥まった場所に、景観があまり良くないという理由で宿代の安い部屋があった。
その部屋からは、古い外壁に鬱蒼と這う蔦や苔に侵略された石灯籠、そして昼間はともかく夜には闇を映しぽっかりと穴があいたかのようになる不気味な池しか眺められない。いささか陰鬱になる風景だ。
しかし、その侘しい中庭は、高杉にとっては好ましい風情だった。
本館から離れた部屋にわざわざ近づく人間がいない為、まるで空間が切り取られ孤立しているかの様に静かなのも彼は気に入っている。
自然が奏でる微かな音と風景だけに浸れば、まるで滅びた後の世界を味わっているかのようだった。しかし、視線を上げれば瓦屋根の向こうから不躾な光が僅かに漏れていて、それが忌々しくも風情を破壊していた。
「…腹立たしい光だ」
この宿の売りは、部屋から見える江戸の夜景、夜を貫くように聳え立つ輝くターミナルである。
宿の主人を思い出し、高杉は小さく笑う。
強かな主人である。天人の権力の象徴であるターミナルを商売に利用しつつ、裏では攘夷志士を匿う場を提供しているのだ。かつては戦場にいたという老いた男の眼は、よく見れば痩せた体と引きずる足には見合わぬ程に爛々と輝いていた。
時が巻戻らぬように、世に生み出されたモノ達が無くなることは決してない。死ぬことはあっても、無かったことには決してならないのだ。
そう、生み出された鬼達は、決して人には戻れない。
「テメェもそうだろ、銀時」
積み重なる紙の中から高杉が一枚持ち上げる。その紙には坂田銀時に関する情報が書き連ねられていた。付随する一枚の写真には間抜け面のその人が写っていて、しかしその眼はしっかりと盗撮しているはずのカメラを見据えていた。おそらく盗撮した者はヒヤリとしただろう。
あれは昔から野生動物並みの勘を持っていた上に、戦場を経て更に異様に敵意に敏感になっている。自分を見詰める鼠の視線程度ならば、容易く気付く程に。
「…」
壁にかけられた振り子時計を、高杉は視線だけ動かし確認する。商談に行った河上万斉の帰りが、予定よりも遅かった。今宵の予定はまだあるというのに何をしているのやらと思いつつ、仕方なく暇を潰す為にも散らかっている紙を高杉は漁った。
高杉の周りに散乱している書類の中には、桂小太郎の資料もある。他にもかぶき町の裏事情まで網羅しているその資料は、高杉が用意させた物ではない。
江戸に潜ませている密偵が指定した落ち合い場所が偶然万事屋の近くであり、それを心配した万斉が手配させた物だ。心配性めと用意した万斉を詰るだけで目を通す予定のなかった書類だが、暇潰しには使えるかと目を通す。だが、案の定全く使える情報の無い紙切れであった。
「すまぬ。遅くなったでござる」
戸を開け一応急いでいたのか息の荒い万斉を一瞥し、高杉は何があったか尋ねる。
「商談の場に奇妙な第三者が現れてな。何かの罠かと思い尾行を警戒していたら遅くなってしまった」
「続きはかぶき町に向かいながら聞く。ここは引き払うぞ」
高杉が立ち上がると万斉も頷き、暗い廊下へと再び身を翻した。万斉の後から高杉も部屋を後にする。その手から落ちた紙に、彼はもう興味が無い。
闇夜に溶けゆくかのような黒に金糸の蔦を揺蕩わせる羽織を靡かせ冷えた廊下に現れた高杉は、窓の向こうの酷く寂しい闇夜をふと見つめた。
月のない夜であった。
かぶき町に移動する道すがら万斉が語った詳細は、確かに奇妙なものであった。
商談の場に突如現れた第三者は鬼兵隊を陥れようと画策された罠というわけでもなく、ただの商人であったのだ。とは言っても、鬼兵隊と商人の裏取引現場を嗅ぎつけている時点で、ただの商人とはとても言えないのだが、万斉は一先ず話を進めた。
とにもかくにも、その第三者は自らをただの商人であると名乗ったのだ。
「鬼兵隊と商売をしたくてわざわざ来たらしいのでござるが、とんだものを所望してきたでござるよ。死体がほしいとな」
万斉の話をどう受け取ったのか、高杉は小さく笑った。
「良い話じゃねェか。腐った幕臣共を斬った上に金が手に入るなら上々だ。近々築く予定の死体の山も、金塊になるかもしれねェな」
「…拙者は冗談を言ってるわけではないでござるよ」
「俺も冗談を言ってるわけじゃねェよ」
何か諦めたようなため息を漏らし、万斉は話を続ける。
「標本として何体か欲しいらしくてな、それでこの物騒な町に来て用意の出来そうな所に片っ端から話しかけていると言っておった。露骨に胡散臭い故に警戒していたが、辺り一帯を探らせてみても何も出ず…」
「この間から随分と慎重だな。今度の大仕事を前に緊張でもしてるのか」
高杉のからかうような口振りに、万斉の眉間に皺が入る。
「此度の一件を拙者も大仕事などとは思っておらんよ。些事にもならぬ、ただの野暮用。ついでの駄賃にあ奴らを食い殺すだけでござる。それに、拙者が慎重に対処しようとしている相手は狗などではござらん」
では、誰をと高杉の瞳が問うた。しかしその酷薄に微笑む口元は答えを知っていると明確に表している。
「無論、この町に住む鬼の方でござるよ」
その答えには、軽口は返ってこなかった。
川のせせらぎと足音だけが夜に響く。高杉と万斉が密偵と落ち合う予定の住居も、その周りの民家も、ぐっすりと寝静まっていた。
戸を万斉が開けると、密偵が玄関先に座り頭を下げていた。暗闇の中で些か不気味な風体で、彼はそのまま言葉を続ける。
「どうぞ蝋燭の灯りをお付けください」
その合言葉を聞き、万斉と高杉は警戒を解く。用意されていたマッチと蝋燭の一式に万斉が火を灯し、高杉は玄関の戸を閉めた。
「総督、申し訳ありません。桂小太郎にバレてしまったようです」
その言葉に反応したのは万斉のみで、高杉はさもありなんといった風でさして驚いた様子も見せない。
「構わねェよ。どうせバレるだろうと思ってた。言伝も預かってんだろ」
驚きながらも男は頷き。桂が言った言葉を一言一句間違えぬ様に発した。
「…相変わらず腹の立つ、食えない奴だ」
間者から伝えられた桂の言葉に、眉間にしわを寄せた高杉が舌打ちする。万斉も、堂々と漁夫の利を頂くと言われてはさすがに不愉快であった。
しかし、その件に関して高杉には何も打つ手が無い。腹立たしい、ムカつくという理由だけで殴りに行ける距離に、最早その人はいなかった。
玄関先に用意されていた煙管盆から刻煙草の葉を摘みとると、高杉は軽く丸め雁首に詰めた。
「…件の人物は」
マッチを擦り刻煙草に着火させる頃には、何とか頭を切り替え、本来の目的の件に高杉の思考は移行していた。
「えっ、あぁ、そちらはここまで絞りました」
男が床板に並べたのは、三人の男達の隠し撮りされた写真とその個人記録だ。三人共に真選組隊士であり、組織内で影響力を持つ立場の者達だ。
「この男、探られているのに気付いてんじゃねェのか」
高杉が指差した眼鏡で短髪の生真面目で神経質そうな男は、確かに写真の向こうからこちらを睨みつけてる様にも見える。ギラギラと隠そうとしても隠しきれていない獰猛な瞳が、力強い光を放っている様だ。
「実は、この男をつけてる者も心配しておりました。やはり計画は、」
「こいつだ」
愉快そうに高杉が口元を歪ませ、紫煙を吐く。
「万斉、屋形船の準備をしろ。後は俺が直接会って進める」
「承知したでござる」
高杉は、見定めた獲物の情報に簡単に目を通す。その文字列だけで高杉には充分だった。その孤独と飢えは、身に覚えがあるもので、高杉にとって懐かしさすら感じるほどであった。
世界を壊すための王手に続く一手、それの段取りを済ませ高杉は煙をくゆらせ外に出る。その耳が、夜道には相応しくない慌ただしい足音を拾った。徐々に大きくなってきたその音に、二人は顔を見合わせる。
「真選組か…?いや、それにしては五月蝿すぎるでござるな」
「酔っぱらいでもなさそうだが、随分と臭うな」
言いながらも高杉は興味が無いようで、煙管を楽しむのを止める気は無い。高杉の言葉の意味を、一歩遅れて万斉も理解した。寝静まる町に似つかわしくない血の臭いが、音と共に濃くなってきていた。
「なんなんだよ…!なんなんだよ、あいつら…、バケモノだ…!!」
現れた顔面蒼白の若人は、だいぶ近付いてからやっと目の前にいる高杉と万斉に気が付いた様だった。最初は睨みつけてきた真っ赤な男の顔が、片腕の無い仲間を支える男の呟きに一気に血の気を無くす。
「かッ、過激攘夷志士…、高杉晋助…!?なんで…」
「はぁっ!?う、う、嘘だろ…?桂小太郎といい、なんで、なんで…!」
一人が、膝から崩れ落ちた。静まり返り心音すら煩いその場に、場違いな程に楽しそうな高杉の笑い声が満ちる。
「哀れなガキ共だ、いや、恵まれたガキ共とも言えるなァ。戦争も終わっちまったこのご時世に、大層派手な鬼の歓待を受けられたようだな?」
カンッ!雁首を川べりの手すりに叩き付ける音が、ド派手に響く。それだけで、若者達の肩は面白いほどに跳ね上がった。
「あぁ、だけど、あの鬼どもは甘ったるい。俺と違って人の皮を被るのを選択した奴らだからな。そんな生ぬるさじゃア、まだ、逝けねェよな」
鬼が笑う。地獄へようこそと、祝福するかのように。地獄の門が開いたことに、若人達は気付いただろうか。
鋭い音と、小さな嗚咽、事切れる音、だくだくと肉袋から臓器と汁が溢れる音。全て終幕のパレードにしては一瞬で、ささやかであった。命の重さとやらを馬鹿にする様に、事もなく、呆気なく、門は開き、そして簡単に閉ざされた。
「…万斉、例の商人を呼べ。俺は橋で待ってる」
べちゃりと不快な音と感覚を纏わりつかせてくる足元を無視し、高杉はまた煙管を楽しみ始めていた。先程顔を歪ませ笑っていた人物と同じとは思えないほどに、既にその瞳は冷めきっていた。
橋の真ん中まで辿り着き、そこで高杉はやっと思い出す。あの白い鬼がこの近くに住んでいることを。
しかし宵の刻より更に夜更けという中途半端な時間だ、偶然出会う確率は低いだろうと決定づけた高杉の耳に足音が聞こえる。まさか、と思いながらもそちらを見る。少ない遠くにある街灯と星明りだけという最悪の視界に、銀髪の鈍い煌めきが光った。
「……なんでテメェがここにいる」
「いやそれオレの台詞だから」
平時と変わらぬ口調だが、この調子のまま平然と殺戮を開始することもあることをよく知っている高杉は、ゆっくりと臨戦体勢を整える。
「今日は斬る気分じゃないからやめろよな」
欄干に肘をつき、深い溜め息を吐きだしつまらなさそうに銀時は宣う。
「気分で斬る斬らないを決めてんじゃねェよ」
ついうっかりまるで昔のように高杉は返してしまう。声と血の臭いだけ感じていれば、正に昔のようだった。
全く殺意を滲ませない銀時に、高杉も馬鹿らしくなり警戒を解いた。隣に立つ、次にあった時は叩き斬ると自身に宣言した男を無視して、煙管の煙を味わう。
「今日は月がねェからな」
「…あぁ、何も見えねェな」
「そういうことで」
少しの笑い声が闇夜に染みて消えて、また静寂が訪れる。
「…頭に一撃、喉に刃物傷、それだけでも最悪死んじまうのはまぁ分かるんだけどよぉ。善良な一般市民が一般市民を殺して片付けるのは大変なんだな。戦場じゃ、もっといっぱい死んでたのに、片付けるのはこんな大変じゃなかったのにな。いや、アレもアレで大変だったか…。大変の種類が違うっつーか、なんつーか」
「…何が言いてェのかよく分かんねェが、少なくとも善良な一般市民は一般市民を殺さねェよ」
「うるせえ」
ひゅうと夜風が吹く。気持ちよく頬を撫でる風には、血の臭いが混ざっていた。
「どうせ、どっちも一般市民を語ってるだけなんだろ?江戸には人の皮をかぶった鬼がいるからな」
「へー、そいつは怖いね。それじゃあ、お兄さんも鬼に気を付けなきゃいけないんじゃねェの?」
「俺はその鬼よりも強いから心配無用だな」
「んだと、ゴラァ」
相変わらずの男だと、高杉は笑う。再会したばかりの時は、全てを捨てて全て無かったことにして、何もかもを手放してしまったのかと怒りすら覚えたものだ。しかし紅桜の一件で確信した通り、コイツはやはり何も変わっていない。
相も変わらず、愚かな夜叉のままだ。血塗れの手で何もかもを抱きしめたまま、何も手放せないまま、まだ彷徨っている。
「……………」
少し離れて隣りにいるはずの人間すらよく見えない、月のない夜。寝静まった町。一歩向こう側には死体が転がっている。その死体は、鬼達にとって馴染み深く、鉄錆の香りに顔を顰めることもない。なぜならそれは、郷愁すら感じる馴染み深いモノだから。
「…帰るわ」
「そうかよ」
向こう側に行く銀時を、高杉は黙って見送る。
しかし何れ来る再会を、高杉は確信していた。またいつか、血風が舞い死体が転がる懐かしい土地で、再会できるだろうと。高杉がこちら側で刃を振るい、銀時があちら側で足掻く限り。また再び混じり合い、どちらかがどちらかを殺すのだろう。
彼は、確信していた。
あの日から、それは決まっているのだと。そして、高杉晋助の有り様と坂田銀時の有り様が決して変わることなど無いのだと確信した今となっては、ただ待つだけである。
いずれ訪れる決着の日を。
首を斬れば人は死ぬ。戦時中には賞賛されていた英雄達も敗戦すれば犯罪者となる。一般市民の殺しは罪として罰せられる。殺しは罪である。犯罪者は罰せられる。人は意外と簡単に死ぬ。
そんな常識すら、鬼にはとても難しい。
生に縋り付き、数多の死を見送り続け今も生きる鬼達には。
「気を付けろよ」
橋を渡りきった銀時の背に、気遣う言葉を高杉は送る。だが、それは心配や優しさからの言葉ではない。それはきっと相手にも伝わっていると、高杉は理解していた。
「テメェは元々こっち側だ。その皮が剥がれねェように、溶けねェように、よぉく気を付けなきゃなァ」
どうせ真意は分かっていないだろうけどな、と口には出さずに内心で言葉を続け、高杉は全てをコケにする様に笑う。
闇の中から舌打ちが聞こえた。きっとこちらを睨みつけているのだろうと容易く想像できて、高杉はまた小さく笑った。
「晋助、手配したでござるよ。片付けまでしてくれて、何とも手厚いサービスでござった。キャリーケースに元々血が付いていたことと『今日は豊作です』と良い笑顔で言われたことが多少気に掛かったが、まあ拙者達には何も関係ないでござる」
膨らんだ茶封筒を片手に持ち現れた万斉が、橋の袂から高杉の元へ駆け寄る。万斉の手にある商品の対価、その厚みに、高杉は眉を顰める。
「なんだ、大した額にはならなかったか」
「後片付け代と、遺体の腕が取れてた件できっちり差し引かれたでござるからなぁ。さすが商売人でござる。まあ屋形船代にはなるでござろう」
「そうかよ」
笑う高杉に対し妙に機嫌が良いなと首を傾げながらも万斉は、歩き出した高杉の後を追う。
「…何かあったのでござるか?」
「今はまだ、何もねェよ」
起こるのは、これからである。しかし、これから向かう終幕も、全て今宵のように滑稽でつまらないだろう。笑えない夢のように意味がなく、くだらないのだろう。
誰が、誰を殺しても、鬼が、人を殺しても、鬼が、鬼を殺しても、何かが死に何かが生きるだけ。全て、ただそれだけの話だ。
「ハハッ、愉快だなぁ、万斉」
若人達の死体の代金、薄っぺらな包を一瞥し高杉は心底楽しそうに笑った。
全て、ただ、それだけの話だ。
高杉が笑うだけの話 2017/10/01
伝わってくれてると嬉しいですが、時系列はゲーム機争奪戦から真選組動乱編の中間です。