ただそれだけの話   作:Rさくら
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ヅラが懐かしむだけの話

 

 

 

 

 過ぎ去りし日々。戻らぬ一時。全てはもうやり直せない。そのくせに、過去はふとした時に現れて心にそっと影を作る。

切り離すこともできず、また心の底から切り離したいとも思えない。ままならぬ距離で付かず離れずの過去はまさに道に落ちた自身の影と言えよう。

否が応でも自身の存在を確立させる、自分の影。何をして、何を選び、何を犠牲にして、己を成り立たせてきたのかを唯ありありと示しているだけの存在。

 

 桂小太郎はまた一歩、前へと進んだ。彼の影は当然、それに付いていくだけである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼間のかぶき町も夜程ではないにせよ賑わっている。

 

 昼間から酒を浴びる人、殴り合いの喧嘩を始める人、いかがわしい店に誘う人、そんな店に誘われる助平親父、騒々しさの種には事欠かない町である。そんな町だから、というわけでもないが、桂は指名手配犯とは思えない堂々さで賑やかな道を一人歩いていた。

 

「ヅラ子!調度良かった。ちょっと手伝ってくれない?アルバイト代はずむわよ!」

 

そう声をかけられ、桂はすっと顔を青褪めさせた。

金は何かと入用であるし、今は特に用事があるわけではない。だがしかし、声を掛かけてきた人物のことを考えるとアルバイトのことは後ろ向きに検討したいところだ。

断ろうと呼び止めた人物に向き直った桂は、そこでやっと店の様子が普段とは違うことに気が付いた。

「そうか…、とうとう潰れたのか」

「んなわけないだろ。殴るぞ」

拳を握りしめたかまっ娘倶楽部のママである西郷特盛曰く、大掃除兼改装中ということだった。

戸が外され大きく開いた出入り口から桂が様子を窺うと、確かに中ではオカマ達が忙しなく掃除をしていた。

「お客さんに小火起こされた時はどうしてやろうかと思ったけど、その人が気前も性格も良い人でね。沢山ふんだくれたのよ!だから修繕がてら綺麗にしようと思ってね。ねぇ、ヅラ子もちょっとで良いから手伝って!今日の夜には間に合わせたいの!」

どうやら本当に西郷が人手を欲しがっているようだと気付き、桂は少し悩む。

エリザベスに任せている近々引き払う予定の隠れ家の大掃除の手伝いに、手隙になったため今から行くつもりだったのだ。

しかし、一時は世話にもなった大先輩の頼みである。エリザベスに必ず行くと約束したわけでもないし…と、言い訳を心中で済ませ、桂は頷いた。

「女装無しならば手伝わせて頂こう」

「あら、しないの?ヅラ子とっても似合ってるのに。夜も働いていきなさいよ」

心底残念そうにする西郷に、桂は慌てて首を横にふり力強く遠慮する。

「いやいや、夜には用があるので遠慮させて頂く。大掃除の手伝いだけなら女装は必要ないであろう」

「あら、そうなの。残念ね〜」

引き下がってくれた西郷に一先ずほっと胸を撫で下ろし、桂は店内へと入った。

店内では見知った濃い面々がせっせと仕事していて、そして変わらぬ笑顔で桂を迎えてくれた。

 

 

 

 「ほんと久しぶりねぇ、ヅラ子!なんだか私、最近懐かしい人にばかり会うのよね。昔の知り合いとか」

雑巾を絞りながら一人がそう言うと、まるでそれが合図だったかの様に野太い声でのお喋りが一斉に始まった。

「そういえば私も最近寺子屋が一緒だった子と偶然再会したのよ!もうビックリよ!昔の思い出に浸っちゃたわ〜」

「イヤねぇ。思い出とか懐かしいとか、歳とった証拠よ!」

「やだ〜」

桂の近くで逞しい腕でステージを共に磨き上げながら、きゃいきゃいとオカマ達はとりとめもない会話を続ける。

それを聞くともなしに聞きながら、真面目な桂はアルバイト代のことを思いながら働いた。横で盛り上がる思い出話には参加しないまま、黙々と桂は床を磨く。しかし、耳は仕事に集中せず周りの音を正確に拾い上げていく。

何かをしていて、音や感触でふと昔を思い出す。そんなノスタルジックな感覚が、桂の濡れた手の先からじわりと浸透してきた。

「思えば、あの人今何してるのかしらって思う人って結構いるわよね」

「あら、そう?」

「言われてみれば、いるわよ。そうね…、ほら、先生とか」

耳に入れていた会話のせいだろうか、遠い昔にも似たような床を大勢で磨いていた記憶がふと桂の脳内に蘇った。

 サボる銀髪を叱ったり、すぐに喧嘩する二人に呆れたりした記憶は、色褪せずにまだ確かに桂の中に存在する。道場に集って騒ぐ皆を優しく見守っていた人の、笑顔も。

暫くして、西郷がお喋りし過ぎだと注意をしに現れた。怒鳴られた者達は肩をすくめ、お喋りを止めて慌てて床をせっせと磨き始める。

「あっ、ヅラ子、ちょっとこっち来て。机運ぶの手伝って」

「あぁ、了解した」

使っていた雑巾を片付け桂はステージから降りると、声を掛けてきた人の方へと駆け寄った。

「こっちよ」

スタッフルームへと続く狭い廊下に入ると、そこには立てて置かれた机が幾つかあった。机のせいで更に狭くなったスペースを無理に通り、桂は何とか持ち上げる為の片側に立つ。そして、少し年季の入ったその足を掴んだ。ずしりとした木の重さと質感が手に伝わり、桂は気合を入れる。

「ねぇ…、ヅラ子って攘夷活動続けてるのよね。あぁ、違うのよ。お説教とかじゃないの」

持ち上げ、机をむやみにぶつけぬようにそろそろと動かしている時だった。相手から思いがけない話題を持ち掛けられたのは。

桂はそれを少し意外に思った。かぶき町に流れ着いた者達は皆、詮索というものをあまりしないからだ。相手の為にも、そして何より、自分の為にも。

「俺がどういった人間かは、よく知っておられるかと思っていたのだが」

「えぇ、勿論よ。…ごめんなさい。これは触れちゃいけないことよね」

狭い出入り口を曲がって通る為に一旦机が床に置かれる。薄い壁一つ向こうの喧騒がなぜか遠くに聞こえる静かな廊下に、大きな音がして、すぐにまた静まり返った。

「…私の大事な人はね、心が戦場から帰ってこれなくて、自殺しちゃったの」

桂は一瞬、店側から微かに聞こえてくる賑やかな声や音が全て、消えた気がした。

「…、それは、」

何か言おうとして言えないままの桂と違い、相手は随分とあっけらかんとしている。声の調子や表情だけで言えば、先程聞いていた世間話と何ら変わりない。

何事もなかったかのように、机を運ぶ作業も再開される。

「なんとなく、さっき貴方が暗い顔してるように見えちゃって心配しちゃったの。でも余計なお世話だったわよね。あっ、そこぶつけないように気を付けて!」

注意された所を気を付けながら、桂はちらりと相手を盗み見る。

厚化粧をしてニコニコ笑うその顔に、やはり影は一切見られない。話の内容は重苦しいものだったはずなのに、まるで世間話をするかのように始められ、そして簡単に切り上げられてしまった。

結局、桂からは何も返せないまま、会話は終わろうとしている。否、何を言うべきかなど桂には分からないのだ。自己のことを語れるほど、桂の中で全ては消化しきれていないし、吹っ切れてもいなかった。

「ごめんなさい、こんな暗い話しちゃって!さっきの昔話が聞こえてきちゃって引きずられちゃったわ!イヤねぇ、私も年寄り臭かった?」

困惑する桂に気付いたのか、慌てた様子で謝罪とおふざけの言葉を並べる相手に、桂はやはり下手くそな笑いしか返せなかった。笑顔とも言えない、ただの筋肉の引き攣りだ。

にっこり笑って話を終わらせた相手に、桂は口にはしなかったが深く感謝し、またある種の尊敬を抱いた。そして分かりやすく顔色を変えていた自分の若さに呆れ、苦笑する。

先輩方に比べ自分はまだまだ若輩者だなと反省しながら桂は、一歩また踏み出した。

 

「あっ、」

 

慌てた時には時既に遅し。

机の足がごんと壁に当たって、そこには小さな凹みができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕刻、夜の店がそわそわと身支度を始める頃、桂の仕事は終わった。アルバイト代を貰い、一言二言他愛のない話を西郷として桂は店を出る。

 

 さっそくエリザベスの元へ向かうかと考えた桂の腹が、ぐうと鳴った。腹を抑え、エリザベスの手伝いに行くのは腹ごなしをしてからと更に予定を先送りにし、最近店主と仲良くなった店に桂は向かうことにした。そして、まるで昔話に引き寄せられるように現れた懐かしい意外な人と再会した。

 

「ヅラ!?その鬱陶しいロン毛…、おんしヅラじゃなかか!?こいつは奇遇じゃのう!」

 

サングラスを少しずらして桂を指差しながら確認するように叫んでくる坂本に、負けてたまるかと叫び返し桂も指し返す。

「ヅラじゃない桂だ!って、その酷く爆発したモジャモジャ頭…、坂本か!?」

片方は指名手配犯とは思えぬ騒々しい二人のやり取りに周りの視線が集まる。しかしそれを気にするような二人ではなかった。

「おお、地球に帰っていたのか、坂本!それとも商談か?」

「今さっきターミナルに到着したばかりじゃ。商談じゃのうてプライベートでな!美味い酒を呑みたくなってのう」

あっはっはと笑う坂本に、相変わらずだなと桂も笑う。

どうせまた無計画に繰り出したが開店時間ではなくて困っているのだろうと桂は予想したが、全くその通りだったようだ。

食事に誘えば坂本は喜んで誘いに乗った。

「酒も旨い店だともっと最高やき」

「安心しろ。そこの店主はいい目利きだ。いい酒しか仕入れん」

そう言って桂が坂本を連れ向かった店は、小さな洒落っ気のない居酒屋であった。

かぶき町にある薄汚れたビルの一階奥にある小さなその店は、強面の夫と線の細い妻の二人が営んでいる。開店時間はまだ一時間以上は先で、当然暖簾はまだ出ていない。

桂が扉を開け中に入ると、店主の第一声は怒声であった。

「おいおい!まだ暖簾は出してないだろ!!って、なんだ桂さんか!らっしゃい!」

強面の男の怒りに満ちた濁声はしかし、桂のことを見るやいなやころっと愛想の良い接客の為の声に変わった。

「いつもの蕎麦でいいですか?お連れさんは?」

「ああ、頼む。坂本、お前はどうする?腹は減ってるのか?」

「ん、あぁ、じゃあせっかくやき何か頼むぜよ。メニューはあるがか?」

「あぁ、ただの居酒屋と侮るなよ。ここの店主の料理の腕はなかなかだ」

店の奥側へと桂は向かい定位置に腰掛けた。観葉植物や衝立などが邪魔して座っている人間が見辛く、しかしそこからは出入り口を見張ることができる席だ。そして裏口にも近い。

「前々から思ってたけんど…、おんしらはわしのことを人を誑かす性悪男みたいに言うが、おまんらも人のことを言えんぜよ」

桂のために整えられたであろう内装の観察をして、呆れたように言う坂本に桂は笑う。

「宇宙規模で性悪な商売をしているくせに、よく言う」

メニューを桂が渡し、坂本はそれをペラペラと捲り始めた。食事の品はほとんど流し見で、早々と酒の一覧に手と視線は止まった。

「相変わらず逃げ回っとるんか。幕府のお膝元で鬼ごっことはおんしも酔狂じゃの。京で隠れんぼしてる奴の方がまだマトモじゃ」

「隠れんぼも鬼ごっこも大して変わるまいよ。相手がアレならどちらにせよ捕まる気がせぬわ」

桂が視線を遣った先には店主がつけっぱなしにしている小さなテレビがあった。その画面で、最新型で販売前から話題になっていたゲーム機の危険性と、その危険性が発覚した某ゲーム店でのゲームバトルについて言及する番組が放送されていた。

「それにどうやら、あいつも隠れんぼには飽きたらしい。あまりに見つけてくれぬから自分から出てきたようだ」

並ぶ名酒の一覧から目を離し、坂本は続きを促す。

「今度の狙いはおそらく真選組。あれが半端な生温い攻めをするはずもない。おそらく潰すつもりだろう」

「……金時は、相変わらずながか」

「あぁ。相変わらず大馬鹿だ」

「そうか、」

苦笑する坂本の心配する所を桂は理解していた。

二人のよく知る銀髪の宇宙一馬鹿な侍は、何かと騒動に巻き込まれ首を突っ込む質なのだ。そして、足が千切れようが腕が千切れようが、どんな無茶をしてでも、見知った人間を決して見捨てられない、愚かとも言えるほどに不器用な男であった。

「…いい酒があるのう、この店」

悩んだ坂本が指先でどちらを頼むか神頼みに任せ始める。しかしその時店主が蕎麦を持ってきて、結局酒は坂本にも神にも選ばれること無く、店主のお勧めの一本が用意されることになった。

「…お前も、昔の夢でもみたか」

桂がぽつりとそう零すと、坂本は目を見開いた。そして、困ったように笑う。

「おんしは昔から気持ち悪いほど聡いのう」

「気持ち悪いとは失礼なやつだな。だいたい、お前も銀時も分かりやすいんだ。顔に出るうえに酒に逃げようとする」

沢山の変化、数多の消失があったが変わらぬものもある。少し前までは桂にも分からなかった変わらぬもの、それは意外にも沢山あって、そして近くにあるものだった。昔の友の癖も、変わらぬものの一つだ。

「…のう、ヅラ、美味い酒が呑みたくないか?」

その酒の味を桂は知っている。その美味さも、得難さもだ。

「昔呑んだ、美味い酒が」

「…あの頃に味わったものをまた味わえる日がくればいいと、俺は思っているぞ、坂本」

店主が、お勧めの酒とお通しを用意してくれた。徳利を桂が持ち、坂本の差し出したぐい呑に並々と注ぐ。

「しかし今は、俺だけで勘弁してくれ」

「あっはっは!充分じゃ!」

 

 大きく笑って、坂本は一気に酒を飲み干した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 坂本と別れ、裏口を利用し店から出た桂は細い路地裏と本来は道ではないような場所を通りながら目的地に向かった。

坂本と話し込んでしまった為に結局エリザベスの所には手伝いに行けないままだ。

しかし約束した時間と場所に、攘夷志士の集会所に、桂が現れぬわけにはいかない。

 

「あっ!桂さん!大変です!」 

 

集会場所に窓から現れた桂を見るなり、慌てた様子の志士達が駆け寄り取り囲んだ。

「実はまた若い自称攘夷グループがかぶき町に現れたらしくて…!」

「なんだそんなことか、今更何を慌てている」

田舎から腕に自信のある若者達が江戸で何かデカイことを成し遂げようとやってくることも、刀を腰にさすためひとまず攘夷志士を名乗ることもよくあることだ。

そうしてかぶき町に集った若者が大海を知って田舎に帰ったり、真選組に入ったり、真の攘夷志士になったりしていくのもよくあることだった。

「それが、その若い連中、かぶき町四天王の話を聞いてしまったらしくて」

そこまで聞いて桂もやっと何をそんなに慌てているのか、その理由が分かった。

「まさか…」

「はい。そのまさかです。仕入れた情報によるとソイツらお登勢一派に喧嘩を売るつもりみたいです」

深々と桂はため息を吐く。

たまにいるのだ。単純な数で戦力を計算する、一騎当千という言葉の意味を知らない愚か者が。

「その連中を見つけたら捕らえ、即俺に連絡しろ」

「分かりました」

「…それじゃあ、ひとまず皆の報告を聞こうか」

そうして集会所に集まった者達の多方面から仕入れてきた情報を繋ぎ合わせる会議が始まった。しかし、桂はいまいち身が入らなかった。

昔話に浸ったせいか坂本と会ったせいか分からないが、妙に懐かしいことばかりが頭を支配する。

「桂さん?」

「む、すまない、少しぼんやりしていた」

「…坂田さんのことが心配ですか?」

「いや、それは無い」

きっぱりと、桂は否定した。

かつては白夜叉と呼ばれ恐れられた銀髪の幼馴染の身を心配しているのではない、それは確かだった。

ただ、今は昔より複雑である。

戦時には平然と行われ褒め称えられていた行為は犯罪であり、普通に生きようとしている一市民が行えば当然罰せられる。

だから強いていうならば桂は、白夜叉ではなく『万事屋の坂田銀時』を案じていた。より正確に言うならばその身ではなく、その立ち位置を、その立場を、心配していたのだ。

勿論本人もその足場を失う気など毛頭無いであろう。だがしかし、あと一歩、それこそ皮一枚隔てた向こうに鬼がいるその人が、たかが人間相手に手加減することは、酷く難しい。

「あいつのことを心配などするか。殺しても死なんような男だぞ」

親しいからこそ言える悪口とも捉えられかねない発言に周りは曖昧に苦笑する。

「しかし、それでは一体なにを案じていたのですか?」

「この町におけるアイツの立場だな」

鬼が演じるには相当無理がある、善良な一市民。それが今の坂田銀時である。しかしそれは、酷く壊れやすい。叩けば埃が出るどころの騒ぎではない。

「つまらん小悪党のせいで銀時の日常が壊れ江戸から消えられては困る。白夜叉殿はいつか我らと共に幕府を倒すため戦うのだからな」

迷いなく断定的に語る桂を見て、攘夷志士達は互いに顔を見合わせた。

 

 桂小太郎はやはり恐ろしい御人だと。

 

 誘いは形だけ、彼の中で手駒に欲しいと決定付けられれば気付けばその手中にいる。そしてそれを不愉快に思わせないのがまた恐ろしい。鬱陶しい性格だが真っ直ぐに突き進むその背中は忘れ難く、一度知り一度共にあれば、その突き進む先にあるものを見てみたくなる。

彼の眼差しが強く見詰める先を、共に見たくなってしまうのだ。

「坂田さんもスゴイよなぁ。ああもしつこく来たら、俺ならノイローゼになって根負けしそう」

「つーか、あんなに断られてるのになんで桂さんはあんなに自信満々なの?なんであんなに強気にいつか味方してくれるって思えるの?」

首を傾げる攘夷志士達とはうらはらに桂はいつもの謎の自信に満ちた顔をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「おい」

 

 集会が終わり各々散開とにわかに場がざわついている時、桂の声が響き渡った。

 

 皆がきょとりとそこに注目したのは桂の声をかけた相手が古株の者ではなく新入りの男だったからだ。口元にほくろがあるぐらいしか特徴がないような地味な男も、なぜ自分が声をかけられたのか分からないという顔をしている。

「あいつに伝えておけ。俺の所を探るのは構わんが、どうせお前の望むような情報は手に入らんぞと。ああそれから、狗相手なら勝手に暴れろ。俺は美味しくシギと蛤をいただくことにするからな」

桂の言葉に周りはますますきょとんとして首を傾げる。

しかし声をかけられた男だけは目を見開き、そして直ぐ様周りを見渡すと素早くその場から逃げ出した。

 

 その男が誰のもとに帰るのか知りながらも、桂は見送るだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 月のない夜だと、空を見上げやっと桂は気付く。

 

 ターミナルから離れ、街灯などの設備が少なくなり暗くなる道とはいえ異様に暗いなと思い見上げれば、そこには月がなく、気持ちばかりの星明りがのっぺりした雲の隙間からほんの僅か溢れるばかりであった。

 

目の前に暗闇の中で薄らとぼやける橋が見えてきた。そこを渡って右手に少し行った所に、エリザベスと落ち合う予定の桂の隠れ家がある。しかし桂は足を止めた。僅かな死臭と血の臭いは、悲しいかなよく知る懐かしい臭いだ。

死臭の先を見遣る。暗闇の中にぼける銀髪も、静寂の中でぼそりと聞こえた気怠げな呟きも、桂はよく知っていた。

「銀時、こんな夜中に何をしている」

「見て分かんないの。お片付けだよ」

「お片付け?」

薄っすらと何を片付けているのか察したが、微かな期待も込め桂は銀時の掴むモノを見る。しかし期待は裏切られ、それは案の定おおよそ自称一般人が乱暴に掴むには相応しくないモノであった。

「…まったく、よく考えもせずに振り回すからこうなるんだ。お前は昔から細かい所に対する対処が雑で自分基準で考えるから生かして捕えるといったことが、」

「あー、はいはい。もういいから、お説教は。ただでさえほろ酔いの良い気分を邪魔されてムカついてんだからさぁ、止めてくんない?というか、今回は銀さん悪くないからね?このバカが勝手に突っ込んできたから、事故みたいなもんだよ。巻き込まれ事故だよ!」

「その突っ込んできた馬鹿を上手く躱せていないのが、問題なのだろう」

不機嫌そうに説教から逃げようとした銀時を桂は逃さなかった。

こういうことは叱れる者が叱るべきであるために、桂も必死だ。だが銀時が大人しく説教を聞き反省する様な人間ではないことも桂はよく分かっていた。

旧友を無視してそそくさと逃げようとしている銀時を、桂は咳払いして止める。

 

 銀時の掴むゴミは小柄であることを再確認して、桂は銀時に少し待つように指示して本来の目的地へ再度向かう。もともと引き払う予定だった隠れ家に確かキャリーケースがあったことを、桂は思い出していた。

 

 

 

 「お前、こんなの持ってたんだ」

 

意外そうな声で銀時はキャリーケースを転がす桂を迎えた。

「爆弾テロに使えるかと思って随分前に購入した物だ。結局使わずにずっと仕舞い込んでいたのだが、もう使う予定もないから、お前にやろう」

「…腹立つけど、助かるわ」

さっそくホコリに塗れたキャリーケースを開き、銀時はゴミをその中に仕舞ってみた。チャックが無事に閉まりきりロックも掛かったため、銀時と同じく桂も安堵する。

「なぁヅラ、」

「ヅラじゃない桂だ」

「ついでに良いゴミ捨て場とか知らない?」

「知っているわけないだろう。俺はお前と違って今更隠したりする必要もない、指名手配犯なんだからな」

ぶつぶつと悩む銀時に桂は呆れる。昔からこの幼馴染は妙な所で運がいい。

「銀時、お前は運がいいぞ」

「だーかーらー、これのどこが運がいいんだよ!?」

「坂本が地球に帰って来てる」

桂が何を言いたいかは察したらしく珍しく黙り込む銀時だったが、他に手段はないのである。早々に諦めの溜め息を吐き出し坂本の居場所を桂に尋ねてきた。坂本の居場所は、やはり銀時にも予想はついていたらしく相変わらずだなという反応が返ってくる。

銀時は、早速そちらに向かって足を進め、桂は、暗がりの中転がる幾つかのゴミを見ていた。

「こっちは俺が片付けよう」

「ハァ?いいよ、別に」

「なに、今宵は何もなかったなと確認するだけだ」

「…これ以上テメェに借りを作るのは癪なんだけど」

ぶすくれた銀時に桂が笑う。

「ならばちゃんと反省することだな、銀時。次からは気を付けろ」

銀時はろくに返事もしなかったが、罵詈雑言も吐かなかったため少しは反省しているらしいことが桂にも伝わった。

キャリーケースが夜道を削る音が、少しずつ離れていくのを桂は聞き届けた。

 

 

 

 

 

 「おい、いい加減下手くそな狸寝入りは止めろ」

 

その声に、怯えきった顔の男ががばりと飛び跳ねる。青褪めたその顔の血走った目は怯えながらも桂から目を離さない。

「今宵は何もなかったな」

「………は?」

「なに、ただの確認だ。これからお前達は田舎に帰るなり何なり好きにすればいい。ただ、今宵は何もなかった、それだけは間違いないなと確認している」

淡々と桂は尋ねた。それが問われた彼には恐ろしくて堪らなかった。一人、たった一人、自業自得の結果といえども、彼らの仲間が一人死んでいるのである。それを、なかったことにしろと、淡々と告げてくる目の前の男が、妙に恐ろしかった。

「ふざけんな…、ふざけんな!!おい!テメェら!」

その声に、倒れ伏していた五人の男がよろよろと立ち上がる。

桂は眉一つ動かさない。最初から分かっていたことだ。あれは自分の実力も相手の実力も読み切れぬ若造を、本気で殺しにかかるような男ではない。

「やめておけ」

その一声からほんの数秒の出来事であった。一歩、桂の間合いに無意味に入り込んだ男の首に刀が触れる。桂の意思一つで首と胴体が切り離される状況に唖然とし、若者の身体は硬直する。

「あ、あいつは人殺しだ」

「お前達から仕掛けたことだ。それに、あいつ曰く事故だったのだろう?」

「そッ、それでも、あの野郎がやったことをなかったことにできるか!警察に、」

「そうか、残念だ。未来ある若者の芽をこんな所で摘むことになるとはな」

冷ややかな声であった。

何かマズイ雰囲気であることは何とか感じ取ったが、彼にはそれに対処できるほどの実力が無かった。

「たいしたこともなさそうな芽であったのが不幸中の幸いか」

若者にできたことは、それを聞き取ることだけだった。何かが煌めいた。何かが空を回転しながら飛び長髪の男の背にある川にそれが落下し水が跳ねる。

それだけは分かった。それだけしか分かりたくなかった。

刀が空を切り、飛沫が彼の頬を濡らした。納刀の音が響く。

吹き飛ばされたのが自身の左腕の肘から先であると理解し絶叫する前に、彼は桂に殴られ気を失った。

「なんもなかった!!」

悲鳴のような声が上がる。静かに嗚咽するものまでいた。足の下から這い上がってくる静かな冷たい恐怖が、彼らの心臓を握りしめ鼓動を早めていた。

「今日はなんもなかった!!俺達はなんも見てねぇ!!なんも聞いてねぇ!!だから」

「煩いぞ」

しんと静まり返る。液体が流れる音だけがその場を支配した。

「こんな夜分に騒ぐな。…ご近所迷惑だろう?」

限界が訪れたのか、誰かの小さな悲鳴を合図に一斉に彼らは逃げ出した。片腕を斬り落とされた仲間も見捨てず回収し、共に逃げ出したことに気付き、桂はそっと賛辞の言葉を贈る。

もしかしたら、見込みある良い若者達だったのかもしれない。

「もっと違う形で出会いたかったものだ」

そう零して少しの間を開け、重い溜息を桂は吐いた。

偉そうに銀時に説教を垂れた身で、自身も似たようなことをしてしまったと大変苦い思いだった。たった一人分の死臭と僅かな血の臭い。こんな薄いきっかけだけで、ついうっかり昔を思い出してしまうなどやはり未熟であると猛省していた。

弱々しい、兵士にも鬼にも成れていない若者たちであったのに随分と可愛がってしまった。やりすぎたのは、誤魔化しようのない事実だ。

少し気落ちしてのろのろ歩いていた桂は橋の袂についたところでやっと向こう側に迎えが来ていることに気が付く。

「エリザベス!」

先程やっと隠れ家に来たと思えば古びたキャリーケースだけ持ってまた出て行った桂を心配し、エリザベスが様子を見に来ていたのだ。

『何かあったんですか』

懐中電灯でいつものプラカードを照らしてくれる優しい自身のペットに癒やされながら、桂は迎えに来てくれたことに感謝する。大丈夫だ、何でもないと伝え桂は急ぎ足で橋の上を進み可愛らしいペットのもとに歩み寄った。

橋を渡りきり、桂は振り返る。先程までの騒ぎが嘘のように静寂が広がっている。

しかし闇夜に滲む血は、相変わらず桂の鼻を擽った。

『桂さん?』

足を止めた桂に対しプラカードがまた出される。

『やっぱり何かあったんですか』

「いいや、何も無い」

きっぱりと、桂は否定した。それにエリザベスは言及しなかった。彼が何も無かったと言っている。それだけで充分な答えだったからだ。

前を向き、エリザベスと共に桂は再び歩きだす。今日は予定にないことばかりの一日であったが、人生そのものがそうなのだから仕方のないことだと桂は自身を納得させた。

随分と昔の片鱗と再会し、懐かしんだ一日であった。良くも、悪くも。

 

「ただ、懐かしんでいただけだ」

 

 旧友に出会い、少しばかり懐かしんでいただけである。ただそれだけの話だと、桂は笑って言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     ヅラが懐かしむだけの話 2017/02/26

 

 

 

 

 






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