銀さんが今は幸せだなーって思う小説。
横になっている状態で目を開け、瞼を閉じた時とは違う環境にいることに気が付くと、銀髪の子供は直ぐさま辺りを警戒した。
子供らしからぬ獣の様な鋭い眼で。
子供は、手の中にあるはずの硬い感触が無いことに冷や汗を流す。寝る前には確かに抱いていたはずの汚い武器は、命を繋いでくれる貴重な道具だ。
神経を限界まで研ぎ澄まし、見知らぬ何も無い眼に刺さる真っ白な空間を、子供は睨んだ。そして、あることに気がついてふっと警戒を解いた。その子供のよく知る世界はこんなにも綺麗ではなく薄汚れている、灰の世界だ。そのうえ、辺りが真っ暗になった為に仕方なく寝たが、寝付くのに苦労したほどの空腹と喉の渇きが今は綺麗さっぱり無くなっている。
すなわち、ここは夢だ。もしくは、とうとうくたばってしまったのかとも考えながら、ゆっくりと薄汚れた子供は起き上がり、目の前の男に気が付いた。
(あぁ、オレだ。“オレ”がいる)
理屈ではなく直感で、子供は目前の見知らぬ大人の男を自分だと認識した。自分と同じ髪色と髪型のよく似た人間、ではなく、自分自身だと。
黒い服の上から白に水色の流水紋の着物を着た自分だと思った男を、子供は無感情に見上げる。そして未来でも自分は人を殺して生きているのだろうかと、ぼんやりつまらぬことを考えた。奪って、生きているのだろうかと。
男は膝を地に着けた。今の自分とは違う成長した太い腕がゆるりと持ち上がるのを、子供はただ見ていた。
夢ならばどうせ死にはしないのだから何が起ころうとどうでも良かったからだ。
大きな手が二つ、細い首に近付いてくる。折られるのか、絞められるのか、この命を自分にすら呪われることに、哀しみなど今更、感じはしない。しかし、その大きな両手は首の横を通り過ぎる。痛みも苦しみも襲ってこずに、それどころか何か温かいものが子供を包み込む。心臓の音を間近で聞き、自分が抱きしめられているのだと理解して、子供は目を見開いた。大きな手が害意を持たずに自分の頭部を包み、剥き出しの急所が自分の眼前に晒されていることが、とても不思議だった。
「…とう、…」
言葉が聞こえた。その小さな声が上手く聞き取れず、子供はきょとんとして首を傾げる。すると笑い声が微かに聞こえ、ぎゅっと一層強く抱きしめられた。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
その言葉に驚き、そしてそれは本心なのかと子供は疑う。それでも、恐る恐る子供は、もう一人の成長した自分自身をそっと抱きしめ返してみた。ただぶら下げていた両手をそっと、その大きな体に触れさせてみたのだ。知らないはずの温かい人の体は生々しく確かにそこにあり、それはとてもとても柔らかく怖いぐらいに温かった。よく知る硬くて冷たい人とは大違いのその身に、子供は初めて命と魂を感じられた。
「…そっか」
明日をも知れぬ忌み嫌われるこの命を、未来の自分は祝福するのか、未来の自分はこんなにも優しく、人を抱きしめられるのか。その喜ばしい未だ見ぬ事実を、子供は噛み締める。湧き上がる感情が止めどなく胸に溢れ、それは雫となって赤いつぶらな両の眼から零れ落ちていった。
「…ありがとう、」
最後の感謝の言葉をどちらが漏らしたのか分からぬまま、白い夢は溶けて消えていった。
まだ暗い世界で目を覚まし、銀髪の子供は手の内の硬い感触と灰色の世界の気配を探った。特に何も気配を感じないことに一先ず安堵し、自身を隠すのに利用していた死体の間からのそりと這い出る。
何か夢を見た気がするが、思い出せないままに暫し薄汚れた子供はぼんやりする。寄り掛かった背と足先に当たる人の体は、冷たく硬い。そんな当たり前のことに今更な疑問を感じた自身に首を傾げ、そして、子供はやっと両頬が濡れていることに気づいた。勿体無いと思い手についた雫を舐めれば塩辛さが舌につく。しかし、当然それだけでは腹は膨れないし、喉の渇きを癒せるはずもない。
(…なんか探して、奪おう)
重い足を重い武器を抱えながら動かし、ふらりと子供は歩きだす。歩いても歩いても世界は灰色で、酷く冷たい。最早慣れきった腐敗臭のする世界の中で、淀み沈みきった心が何か感じ入ったりすることなど今更ありはしない。だがしかし、今日の心は妙に騒いでいた。見慣れたはずの世界が心に突き刺さり、空腹や喉の乾きとは違う苦しみを子供は感じていたのだ。
胸の辺りをぎゅっと掴む、それは無意識での行動だ。何故、と子供は考えてみるが、答えは出ない。しかしそれでも歩みは止めなかった。腹は減り喉は渇き、虫が這う腐りかけの眼球はこちらを見て誘い、烏が耳障りに笑っているからだ。
光が、視界の端で煌めき、子供はそちらを不意に見る。
山々の向こうから、宵闇を追いやるように朝日が溢れていた。そして、世界に何度も訪れていた朝日が、その日やっと底の底にいた子供の心に差し込んだのだ。
その光景は銀髪のその子にとって今までは、これからやっと明るくなるという情報でしかなかった。だがしかし今日のその光は、冷えたその心をとても震わせていた。握りしめていた手を光に向かって伸ばせば、何故か指先から全てがとても温かくなったように思えて、子供は再び自身の頬が濡れるのを感じていた。
「……生きてやる」
頬の涙を拭い、拭った手をべろりと舐めてその塩辛さを味わい、子供は再び力強く歩み始めた。
この灰の世界で生き延びてやろうと、強く武器を握りしめて。
歩み続けるその先には自分が求める、自分の知らない“何か”があると理由もなく彼は信じていた。
それは予感ではなく、不思議な確信だ。その先にある“何か”を信じて、今は唯、生きようと小さな子供は決意したのだ。
その小さな手が、ぎゅうっと、汚れた冷たい刀の鞘を握りしめた。
がくんと体が揺れて、はっと間抜け面で坂田銀時は起き上がる。
何時の間にかうたた寝をしていたらしい。椅子の上で妙な体勢で寝ていたために動くと酷い音が体からして、銀時は眉間にしわを寄せる。室内には、誰もいない。木刀は、来客用のソファーの上に転がっている。そこまで確認して銀時はふと我に返る。間抜けで無防備な自分など、この万事屋の中では既に日常茶飯事のことなのに一体何を警戒しているのやら。
「変な夢みたからかな…、ん?」
自分の口から出た言葉に銀時は首を傾げる。夢を確かにみた気はするが、内容を思い出せない。悪い夢ではなかった気はするが、とまで考えて、ぼんやりと銀時は外を見る。
陽はもう高く昇り、その輝きを地上に爛々と見せつけている。夏でもなく涼しさを感じる季節であるはずなのに、その熱を妙に銀時は感じ取った。温かいと、思えた。
「銀ちゃーん!準備できたから早く来るヨロシ!私早くご馳走食べたいネ!」
「ちょっと神楽ちゃん、今日の主役は銀さんだよ」
玄関から聞こえた声に銀時は適当に返事し、再び背伸びしてから欠伸とともに玄関に向かった。
現れた銀時を見て、新八と神楽が嬉しそうに笑う。その笑顔を直視できずに目を逸らし、銀時は頭を掻いた。それは奇妙な恥ずかしさゆえの照れ隠しだ。
「下に桂さんとエリザベスも来てますよ。あと姉上と長谷川さんとさっちゃんさん、源外さん、それから、」
「ちょっと待て、人来すぎだろ。ババァが怒ってねェか、それ」
ブーツを履きながら尋ねる銀時の頭の上に、何かが乗る。何かと思い頭に触れれば、硬くて三角のパーティー帽子がそこにはあった。そして銀時の目の前には、腹だたしい顔をしてニヤッと笑う神楽がいる。
「銀ちゃんが主役だから分かりやすいようにしてやったアル」
「いやいやいや、こんなのつけて誕生日にはしゃぐのが許されるのは小学生までだからね!?なんなの、いい歳したオッサンの誕生日を祝うのに皆はしゃぎすぎだろ!」
玄関から出て頭の上のものを取ろうとした銀時はしかし、嬉しそうにしている神楽の横顔を見て渋々とその手を下ろした。その様子を見て、新八はくすりと笑う。
「人が集まりすぎてきたら出ていってもらうよってお登勢さんが言ってましたけど、そしたら狂死郎さんが二次会は高天原にどうぞって」
「狂死郎の奴も来てたのか」
「はい、プレゼントだけ置いて高天原に二次会の準備しに戻りました」
「何やってんだよ、あのホスト。オレの誕生日じゃなくて女の誕生日を盛大に祝ってやれよ」
先行く子供達の後ろから階段を下りていこうとする銀時の耳に、スナックお登勢からの騒がしい声が届く。
揃いも揃って宴の主役を律儀に待つようなタマの奴らではない。飾り付けが終わるまでは上で待機と神楽に命令されていた銀時だったが、どうやら飾り付けどころか宴の開始まで進めていたようだ。もしくは、飾り付けまで彼らの手でどんちき騒ぎに変えられたのか。どの可能性も大いに有り得るなと、銀時は苦笑する。
お登勢に理不尽に怒られることを考えれば憂鬱であるが、しかし、銀時は嫌な気分ではなかった。
なぜだか泣き出したくなるほどに、嫌な気分ではなかったのだ。
「あーあ、もうバカ騒ぎが始まっちゃってるよ…。早く行きましょう、銀さん」
「ご飯が無くなっちゃうヨ!銀ちゃん!」
「へいへい」
気のない返事をし歩く速度を上げないままの銀時だったが、食いしん坊の神楽がキレるか暴走するかと思い直し少し焦って子供達の方を見遣る。しかし予想に反して静かなまま銀時を待つ子供達は、目の前で何やら目配せをし合っているだけだ。
せーの、という言葉がきょとんとした銀時の耳に届く。
「お誕生日、おめでとうございます!」
「誕生日おめでとうアル!銀ちゃん!」
重なっていない癖に妙に重なってるような祝いの言葉に目をパチクリさせる銀時の手を、神楽が掴み引っ張る。突然のことに素っ頓狂な声を上げた銀時の背を新八が押した。
「銀さん!!プレゼントはこのわたブベラッ!!!」
裸エプロンでリボンの亀甲縛りという、ある意味通常運転の格好で突撃してきたさっちゃんを、殆ど条件反射で銀時は回し蹴りで沈める。スナックお登勢の扉を開けて僅か三秒の出来事であった。
「おっ、銀さん!やっと来たのか!遅いよ~。先に飲んじゃったよ!」
「銀時、なんだその頭は。誕生日だからといって武士がそのようにはしゃぐものではないだろう」
「いいじゃん、ヅラっち。銀さんだって誕生日ぐらいはしゃぎたいんだよ!」
「ヅラっちじゃない、桂だ!」
カウンター席に座り主役の到着も待たずに酒を飲んでいる二人の近くには、既に空いた酒瓶が転がっている。
「おう、銀の字!今しがたタマの改造、誕生日会用パイ投げZ-2が完成したところだ!食らってけ!」
「ちょっと!さっきからガシャコンガシャコン煩いと思ったら!うちの娘を何勝手に改造してんだい!」
「お誕生日おめでとうございます、銀時様。お誕生日会のデータは既にインプット済み、改造も源外様の手によって終了しております。安心して顔面をパイ塗れにして下さい」
「何を安心すれば良いのそれ!?ていうかなんでパイ投げ!?」
「ぬおぉ、キャサリンてめー私のフライドチキンに手を出すんじゃないネ!!」
「誰ガイツオ前ノフライドチンキダト言ッタ!コノ貧乏人ガ!!」
「んだとやんのかコラァ!!」
「うるせぇええ!だーかーらー!揃いも揃ってなにオッサンの誕生日にはしゃいんでんだ!!」
叫ぶ銀時の顔面に、源外の手によって魔改造されたたまの右腕、パイ投げマシーンが豪速球でパイを打ち込んだ。それに対し当然誰もパーティーの主役のことを気遣いもせずに指をさしてどっと笑い、また一層店内は騒がしくなる。
「ちょっと銀時、こいつら連れてさっさと高天原に移っておくれよ。店が壊されちまう」
「その前にオレにタオル渡すとかの優しさを見せろ、クソババァ」
「ふはは、銀時、お前今最高に間抜けなかっこグアッ!!!」
たまが再び投げる用意をしていたパイを奪い取った銀時が、それを酔っぱらいの桂の顔面に勢い良く叩きつけた。カウンター席にパイまみれで沈んだ桂を隣りに座る長谷川が笑い、お登勢は片付けのことを思ったのか顔を顰めながら煙草を吸っていた。
「お誕生日おめでとうございます、銀さん。三次会は是非うちの店に来てくださいな」
お妙がニコニコと上手な笑顔で言うが、その笑顔を信用しきってはいけないことを銀時はよく知っていた。
「その三次会、どう考えてもオレの財布が狙われてるだろ」
「そんなことないですよ。全部ゴリラの奢りです」
「ええっ!!?なんでオレの奢りなの!?」
絶叫しながら机の下から出てきたストーカーに誰もが今更驚きもせずにスルーする。
「あっ、やっぱりいたんだ。ゴリラストーカー」
「しかもゴリラって認めちゃってるネ」
「お妙さん!俺はお妙さんの誕生日なら、いやお妙さんの為なら365日いつでも財布になるけど、アイツのはちょっと…」
「黙りなさい、ゴリラ。ゴリラになるか財布になるかストーカーになるかしか能がないのだからせめて黙って金を落としなさい」
「えぇえええ!!?」
「姉御!タダ飯アルか!タダ飯食えるアルか!?」
「えぇ、神楽ちゃん、遠慮はいらないわ。ゴリラが生活苦に陥って困窮するまで食べなさい」
「きゃっほーい!!分かったアル!!食べて食べて食べ尽くすネ!!」
「えええええええええええ!!」
「覚悟した方がいいですよ…、近藤さん」
喧しく騒ぐ連中を見ながら銀時はカウンター席に腰掛ける。いつの間にか置いてあったお手拭きを広げ、顔面に叩きつけられ髪にまで飛散し張り付いたクリームを取った。
「騒々しくて堪らないね、銀時」
「まったくだ」
「ここじゃ狭すぎて、アンタを祝いたい連中が全員入らないよ」
口角を少し上げて慈しむように、からかうようにも笑うお登勢の視線に銀時は擽ったい思いになる。
「だから、なにをそんなにオッサンの誕生日にはしゃいでるんだろーね。こいつらは」
誤魔化すように吐いた言葉の真意を見透かしたように笑うお登勢を、銀時はなるべく見ないようにした。
「ほんと、うるせーなぁ」
只管に奪って生きていた時に、戦場にいた時に、墓場からここに来た時に、想像すらしなかった喧騒。その喧騒に、銀時は耳を傾け暫しの間浸る。
何かは全く分からない。だけど確かに、銀時の胸の中には今、“何か”が満ち満ちて、溢れる程に確かにあった。零れそうなほどに、溢れそうなほどに、“何か”が。
坂田銀時の世界は今日も、騒々しく色づいている。
どうせ夢を見るならば甘いものか美人のネーチャンにでも囲まれたいものだ。
何も無い眼に刺さる真っ白な空間を見て、銀時は愚痴る。真っ白で、つまらない夢だ。そう思いながらもう一度周囲を見渡すと、何時の間にか目の前に横になっている子供がいた。そして、ゆっくりと起き上がったその子供の姿を見て銀時は驚愕する。
(“オレ”、だ)
理屈ではなく直感で、銀時は目前の子供を自分だと認識した。自分と同じ髪色と髪型のよく似た赤の他人の子供、ではなく自分自身だと。
黒く汚れた着物を着ている自分だと思った子供は、銀時のことをじっと見上げている。その眼から感じる人間味のなさに、どうしてこの自分は刀を持っていないのだろうと銀時は疑問に思った。
それは鬼に角がなく、獣に牙が無いような違和感だ。
膝を地に着け、ゆっくりと腕を上げてその細い首に近づけてみる。子供の自分は見ているだけで動かない。この世界は夢だと、子供の自分も気付いているのだろうと銀時は確信する。そうでなければ、この獣がここまで大人しい訳がなかった。
何も感じていない子供は、ただ立ち尽くしているだけだ。これから起こること全てに、興味など無いと言わんばかりに。
それならば、驚かせてやろう。子供らしくも人間らしくもない、この自分を。お前も所詮はただの人なのだと教えてやろう。
意地悪く笑った銀時は、あちこちに跳ねる哀れな天然パーマの頭部を手で包み、剥き出しの急所を眼前に晒してやった。案の定、腕の中の子供は戸惑っている。もっとからかってやろう。驚かせてやろう。想像もつかない言葉を言ってやろう。我ながらそう思える良いリアクションだ。
「…とう、…」
だがしかし、思惑に反して銀時は上手く言葉を出せなかった。これだから歳をとるのはいけねェと内心でひっそりと愚痴る。抱き締めている自分はやはり聞き取れなかったのか首を傾げている。そんな仕草をする自分は先程より急に子供らしさがあって、銀時は思わず笑ってしまう。
あの人に出会うまで、こんな体で、こんな子供が、よく生き延びてくれたものだ。とんだ自画自賛だが、今日ぐらいは許されるだろう。銀時は、一層強く自分を抱きしめた。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
酷く動揺しているのが伝わってきて、銀時は苦笑する。まだこの自分には何も伝わりはしないかと銀時が諦めていると、その小さな両手がそっと肩に触れてきた。戸惑うように触れてくるその手に、銀時はまた泣きたくなってしまった。
「…そっか」
その小さな呟きだけで銀時には充分だった。その声には、子供らしさも人らしさも柔らかさも温かさも滲んでいたのだから。それなのに肩が濡れる感触までするのだから、銀時も耐えきれず、雫を零した。
「…ありがとう、」
最後の感謝の言葉をどちらが漏らしたのか分からぬまま、白い夢は溶けて消えていった。