華やかなスポットライトを浴びる女性アイドル。東京で夢をかなえた彼女たちは、どんな街に生まれ、どんな風景を見て育ったのでしょうか? 地元の街を出て上京したアイドルに「ふるさと」での日々、思いを聞くインタビュー企画。今回ご登場いただくのは、アイドルグループ「=LOVE(イコールラブ)」のリーダー、山本杏奈さんです。
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山本さんは広島県出身。2017年にHKT48の指原莉乃さんがプロデュースするアイドルグループ「=LOVE(以下、イコラブ)」のオーディションに合格し、上京しました。
小学生のころ、AKB48に魅せられた少女は広島でアイドルとして活動しつつ、東京のオーディションを受け続けます。その年月、およそ10年――。
憧れ続けた東京の舞台。そこに到達するまでの道のり、そして、上京してなお強くなる、故郷・広島への思いを語っていただきました。
スクールが遊び場だった子ども時代
―― 山本さんは広島のご出身。ふるさとは、どんな街でしたか?
山本杏奈さん(以下、山本) すごく都会でも田舎でもなく、普通のところです。夜景がきれいな街でした。
―― 山本さんは、どんな子どもだったんでしょうか?
山本 小学生のころはお父さんや近所の男の子と一緒に野球をしたり、ドッジボールをしたりと、活発なほうだったと思います。小学3年生からアクターズスクール広島*1に通い始めて、それからはずっと歌とダンス。中学、高校も学校帰りはずっとレッスンでしたね。
たまに息抜きで路面電車に乗って、広島で一番栄えている「本通り(広島本通商店街)*2」のパルコやカフェに出かけたり。本通りのことを私たちは「街」と呼んでいて、友達と「今日、街に出る?」って(笑)
アクターズスクール広島在籍時代の山本さん(提供/山本杏奈さん)
―― 中学1年生からはスクール生でアイドルグループを結成し、広島で活動されていたとお聞きしました。遊ぶヒマもなかったのでは?
山本 そうですね。でも、私にとってはスクールが遊び場でもありました。土日は朝の8時くらいから夕方までスクールのみんなと一緒にいましたね。レッスンは歌とダンス合わせて3時間くらいなのですが、始まる前や終わったあとにみんなでレッスン着のまま近くのスーパーのゲームセンターに行ってプリクラを撮ったり、ファストフードを食べたり。レッスンとレッスンの合間の休憩が1時間しかないのに公園で水風船して遊んだこともありました。
それでレッスンに遅れそうになって、先生に怒られたこともありましたね(笑)。年齢はバラバラで上下関係はありつつも、すごくいい雰囲気で、みんな仲よしでした。
―― アクターズスクール広島で一緒にレッスンを受けていたメンバーで、芸能界で活躍されている人もいますよね。
山本 はい。STU48の今村美月ちゃんは、今でも連絡を取り合うくらい仲よしです。私の年代はアイドルになる子が特に多くて、印象的だったのは元モーニング娘。の鞘師里保ちゃんとさくら学院の卒業生で現BABYMETALの中元すず香ちゃん。りほはダンスがピカイチで、それなのに謙虚で頑張り屋さんでした。すずちゃんはスタイル抜群で顔もちっちゃくて、歌もすごくうまくて、ひと際オーラがありました。当時からすごいなって思ってた人は、どんどん東京に行って活躍していましたね。
幾度も夢破れるも、アイドルしかなりたいものがなかった
―― 東京を拠点に活躍する同郷出身の仲間に刺激され、山本さんご自身も東京に行きたい思いがふくらんでいったんでしょうか?
山本 小学校の高学年くらいからアイドルを好きになって、当時はAKB48、なかでも板野友美さんに憧れていました。だから、いつかは東京でアイドルとして活動したいという思いを持っていて。小学校の卒業文集にも「アイドルになりたい」と書きました。
―― 以来、たくさんのオーディションを受けたと。
山本 はい。特に高校生になってからは、すごい数のオーディションを受けました。でも、何度も何度も落ちて、書類選考すら通らないことも多くて。オーディションの度に広島からついてきてくれる親にも負担をかけているし、高校卒業が近づくにつれ周囲の進路も決まっていくなかで、「このまま目指していていいのかな」って思うようになったんです。
―― 諦めることも考えましたか?
山本 そのころはオーディションのたびに、これで最後にしようと思っていました。同期だけじゃなく後輩にも追い抜かされていく焦りもあったし、何より自分が落ちたグループの女の子たちをテレビで見るのが本当につらくて……。これ以上、こんな思いはしたくないなって。でも、子どものころから歌とダンスばかりやってきて、アイドルしかなりたいものがなかったから、なかなか諦めることはできませんでした。
結局、高校を卒業してからも受け続けましたが、19歳で挑戦したイコラブのオーディションは、もう本当の本当にこれが最後かなと覚悟していましたね。
―― 結果は合格。小学生時代から抱き続けた長年の夢がかなうことになります。
山本 諦めないでよかったです、本当に。ただ、10年近く頑張れたのは、両親の支えが大きかったから。母はステージで着る衣装を作ってくれましたし、父は毎日のように車でスクールの送り迎えをしてくれて、レッスンが終わるまで待っていてくれました。イコラブのオーディションのときも、父が車を運転して連れてきてくれたんです。広島から東京まで、12時間くらいかけて。
―― 努力が報われ、お父様も喜ばれたでしょうね。
山本 父も母も、それから親戚もすごく喜んでくれました。親戚はみんな仲がよくて、私が小さいころからアイドルを夢見ていたのも、ずっとオーディションを受け続けていたのも知っているので。実は最終審査の翌日が親戚の結婚式で、偶然みんなが集まっていたんです。不合格だったらせっかくのお祝いに水を差してしまう……と思っていたので、その意味でも受かって本当によかったなって。
広島のみんなに届くよう、東京で頑張ろうと思った
―― 合格と同時に、上京することになります。初めての東京暮らしに不安は?
山本 それはもう、かなり不安でした! 一人で住む以前に、新幹線すら一人で乗ったことがなかったので。なんか、いっぱい種類があるじゃないですか、新幹線って(笑)。あと、広島では路面電車くらいしか乗らなかったので、東京の地下鉄とか本当にわけが分からなくて「絶対ムリ!」って思いました。
実際に東京での生活がスタートしてからも、すぐにホームシックになってしまいましたね。同じ地方出身組の音嶋莉沙と一緒に、しょっちゅう泣いていました。少しでも落ち込むことがあると、「地元に帰りたい!」って。どっちか片方が泣くと、それにつられて二人とも号泣するっていう。
―― ただ、同じ地方組で、つらい気持ちを共有できるメンバーがいるのは心強かったのでは?
山本 はい。莉沙は福岡出身で広島とも比較的近くて、共有できる話題も多いから安心しました。2人の地元に「ゆめタウン*3」っていうスーパーがあるんですけど、そこのテーマソングを莉沙とよく歌っていました(笑)。「ゆ・ゆ・ゆ、ゆめタウン♪」って。東日本の方は知らないと思うんですけど、広島では有名なんです。
―― ほかに、つらい時期に支えになったことは?
山本 SHOWROOMでファンの方に励ましてもらったり、ファンレターにもなぐさめられました。あとは、広島の友達から「新曲かわいいね」や「テレビで見たよ」ってメッセージをもらうとうれしかったし、「やらなきゃ!」と思えました。広島のみんなに届くよう、東京で頑張ろうって。
……ただ、ホームシックを完全に克服したのはけっこう最近なんですよ。今も広島に帰省すると、やっぱり地元はいいな~って思いますし。
―― 東京に戻りたくなくなってしまうと。
山本 「東京に戻りたくない」というより、「広島を離れること」がとにかく寂しくなってしまうんですよね。お母さんも、私が東京に戻る時間になると「ずーん……」って暗くなっちゃうし。だから、帰省のときは広島行きの新幹線ではルンルンで、帰りはシーン……って。毎回そんな感じです。ただ、今はもう、そんなことじゃ絶対に泣きませんけどね。
―― 強くなったんですね。ホームシックを克服し、今は東京での生活を楽しめていますか?
山本 はい! 今はどこへでも一人で行けます。ただ、ホームシックのときも東京が嫌いになったわけじゃなくて、むしろ積極的にいろいろな街を満喫していました。莉沙と一緒に浅草とか巣鴨とか、とりあえず名前を知っている場所に行こうって。東京ディズニーリゾートに新幹線を使わず行けるのも、うれしすぎましたね。ほかのメンバーには、東京出身者より東京を満喫してるよねって、いつも言われていました。
いつかはマツダスタジアムで始球式を
―― 2019年2月にはグループ初の単独コンサートを控えるなど、活動の規模も大きくなっています。今後、挑戦してみたい仕事はありますか?
山本 やっぱり、地元広島でイベントやコンサートができたらいいなと思います。実は2018年に、広島で握手会をやる予定だったんですけど、台風で中止になってしまったので……。メンバーにも、広島に来てほしかったんですけどね。案内したいところもたくさんあったし。
広島・宮島(厳島)を訪れたときの1枚(提供/山本杏奈さん)
―― 例えば、どこに連れていきたかったですか?
山本 まず、広島駅近くにある「やきやき亭*4」ですね。小さいころから通っていた焼肉屋さんで、すごくおいしいんです。あとは、お好み焼きと揚げたもみじ饅頭は絶対に食べさせたい! これからまだチャンスはあると思うし、メンバーやファンのみなさんに広島を楽しんでもらえる機会をつくれたらうれしいです。
―― ライブや握手会以外に、広島でやってみたいお仕事はありますか?
山本 そうですね。いつかイコラブとして、サンフレッチェ広島さんや広島東洋カープさんと何かお仕事をご一緒できたら……。
―― サンフレッチェやカープは、地元にいたときから応援されていたんですか?
山本 はい。お仕事がきっかけで、ファンになりました。サンフレッチェさんは2014年から3年間『サンフレッチェ・レディース』という公式応援団として活動させていただいたこともあり、思い入れが強いです。ただ最初は正直、サッカーのことを全然分からない状態だったし、「なんだよ!」と感じるサポーターの方もいらっしゃったと思います。ハーフタイム中にダンスをしたり、手を振りながらスタジアムを一周したりするんですけど、初めのころは恐る恐るやっていました。
―― サポーターのなかには、チームを愛するがゆえサッカーと無関係なパフォーマンスにはやや手厳しい方もいるかもしれませんね……。
山本 でも、回を重ねるごとにどんどん受け入れてくださるサポーターの方が増えて、「応援してるよ」って声をかけてくださる人も出てきて……。それで、どんどん好きになっていきました。
―― カープとも、スクール時代からつながりがあったとか。
山本 カープさんはアクターズスクール時代にスラィリー*5と一緒にイベントで踊ったことがあるんです。そのときにサインももらったりして、もうウキウキで。本格的にスタジアムに足を運ぶようになったのは2015年くらいからですね。お父さんや友達と一緒に20回はマツダスタジアム(Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島)で観戦しています。
サンフレッチェ広島、広島東洋カープのグッズ。観戦時はユニフォームを着て応援するのだそう
―― スタジアムで観戦する魅力を教えてもらえますか。
山本 いろいろあるんですけど、ひとつはこんなにもカープを応援している人がいるんだっていう連帯感ですね。その雰囲気が私は好きなんです。あと、マツダスタジアムは球場全体がテーマパークみたいで、すごくワクワクします。夏は縁日が開かれて子どもが遊べたり、バーベキューしながら観戦できたり、寝そべり席があってピクニック気分が味わえたり、試合以外でも楽しめるんです。私はいつも試合開始の3~4時間前には到着していて、お父さんが来るまで一人でぶらぶらするんですけど、まったく飽きないですね。
―― なるほど。では、好きな選手は?
山本 松山竜平選手と菊池涼介選手、それから退団が発表されてしまいましたがエルドレッド選手。エルドレッド選手のホームランって、めちゃめちゃでっかいんですよ。菊池選手はもうとにかく守備がすごすぎますよね。忍者ですよね!! それから……、あ、喋りすぎですか?(笑)
―― カープ愛、十二分に感じましたのでOKです。いつか、マツダスタジアムで始球式ができたらいいですね。
山本 今の段階ではまだまだおこがましいんですけど……。いつか堂々と「やりたい!」って言えるくらいの存在になりたいと思っています。
スラィリーのグッズがお気に入り、という山本さん
夢を諦めず、人生を変えてほしい
―― 現在、イコラブの姉妹オーディションが開催中で、2019年1月末に最終審査が行われます。夢に挑む女の子たちに、かつての自分を重ね合わせたりしますか?
山本 そうですね。私のようにずっとアイドルに憧れて、何度も何度もオーディションに落ちてきた子はきっとたくさんいるんだと思います。でも、諦めずに頑張ってほしい。諦めずに、人生を変えてほしい。私もその一人だし、イコラブのなかには学校にあまり行けていなくて、そんな自分を変えたくてオーディションに挑戦した子もいます。だから、少しでも興味があるなら受けてほしいと思います。
―― 山本さんと同じように、地方からオーディションを受けに来る女の子もたくさんいると思います。姉妹グループに同郷のメンバーが入るかもしれませんね。
山本 そうなったら、もう全力でサポートします。気持ちが分かるから。最初はホームシックになると思うので、私と莉沙とで絶対に支えます。もしかしたら、莉沙は同調して一緒に泣いちゃうかもしれませんけど(笑)。その子と一緒に広島に帰れたりしたら、すごく楽しそうですね。
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お話を伺った人:山本杏奈(やまもとあんな)
Web:=LOVE OFFICIAL WEBSITE
Twitter:山本 杏奈(@yamamoto_anna_)
聞き手:榎並紀行(やじろべえ)