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所在地 | 〒042-0914 北海道函館市上湯川町二番一号 | 電 話 | 0138-59-0167 | ホームページ | | E-Mail | | |
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由緒 | 函館市湯の川近郊は古来より由緒深いところであり、室町時代には、函館の志海苔から上ノ国にかけて十二の館があり、それぞれの豪族が勢力を競い合っていたと云われる。今より五百四十余年前(康正二年・一四五六年)近くの村で、鍛冶屋が一人のアイヌの青年と殺害したことに端を発して、アイヌ民族の大蜂起となった。この時、小林良景が築いた志濃里(しのり)館は攻め落とされたが間もなく鎮定された志濃里の争闘、いわゆるコシャマインの乱であった。 当神社の聖地もコシャマインの乱に関係が深く、ご神木と伝えられる櫟(いちい・樹齢六百年)の根元より霊水が湧き出ており、古き祠が祀られていたと伝えられる。 明治以前より当地付近一帯は前多氏の所有する田畑であった。明治四十四年、前多氏が損壊していた祠を新たに立て直し尊祀するも、その後、佐々木氏が前多氏より譲り受け居を構え、感ずるところありて付近に点在していた神々様を合祀し、農業を営む傍ら幾多の困難にも挫けることなく、いよいよ強固な敬神の心で世に打ち迷う人々の心の支えと共にご神徳は村内外に広まり、済われし人々等が上湯川の氏神様と斎き祀るなり、前多氏初代より佐々木氏四代に亘り御神徳発揚に勤め幾多の遍歴を重ねながら、昭和二十年敗戦の衝撃と戦後の混乱の中にあっても敬神の心は変わることなく乗り越えられたが、世代は変わり時の移りと共に昭和四十年、当地の付近一帯は団地造成が始まり、付近一帯は函館市より買い上げられる事態となり、佐々木氏もやむなく此の土地を離れ、以来、上湯川の龍神様の尊称も次第に忘れ去り尊敬する人もなく、日増しに損壊する状況であったが、昭和五十五年七月、現宮司が神告により復興し、再び鎮座することとなった。 明治四十四年を開基、昭和五十五年を神社創建と定め、以来、神道強化育成と共に境内、神社の整備に邁進して、信者・崇敬者の個々論心の拠りどころ、地域に根ざした鎮守の社の杜として、祭祀を厳修し、御神徳の昂揚に勤め、信者・崇敬者・地域住民の真心に応え奉らんとする。 当地は古来より聖地であるものの、祠をお祀りした文献や由緒書などは何ひとつ残っていないが、歴代にの神守と古老の口伝によるもので、現宮司、神守として六代、祈祷師として三代目である。 | |
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ご祈祷案内 | | ●本社祈願 ・家内安全 ・商売繁盛 ・安産 ・初宮詣り(男児生後32日目、女児生後33日目) ・厄除(厄年 男25、42、61 女19、33、37) 但し数え年 ・新車清祓い ・結婚式 ・結婚奉告祭 ・七五三詣> ● 出向祈願 ・地鎮祭 ・上棟祭 ・竣工祭 ・事務所祓い ・神棚祭 その他各種神事致します。 | |
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主な祭典日・行事 | | 一月一日 | 歳旦祭 | ニ月三日 | 節分祭 厄除け・豆まき | 旧暦四月一日 | 宵宮祭 | 旧暦四月ニ日 | 神幸祭 | | 春季大祭・神輿渡御 | 七月一日 | 霧島講社大祭 鎮釜湯立神事 | 八月二十日 | みたま祭 | 十一月第一日曜日 | 秋季大祭 | | 観音祭 | 毎月一日 | 月次祭 | | |
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お問い合わせ | | お問い合わせは下記までお願いいたします。 〒042-0914 北海道函館市上湯川町二番一号 電話:0138-59-0167 | |
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交通案内 |
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