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更新日:2018年12月6日

橿原市の概要

市の概要紹介

市の位置

市の位置

橿原市は、奈良県のほぼ中央に位置し、東西7.5km、南北8.3kmの広がりを見せ、東は桜井市、西は大和高田市、南は高取町・明日香村、北は田原本町と接しています。面積は39.56平方キロメートルで、全体的に起伏が少なく、市内の中央部には飛鳥川、西には曽我川が流れています。また、万葉の時代を偲ばせる大和三山(畝傍山:標高199m、耳成山:139m、香久山:152m)がそびえ、その中央には約1300年前にわが国初の首都であった藤原宮跡があります。その他、市内には歴史的文化遺産が点在しています。鉄道網ではJRと近鉄が縦横に走り、あわせて13の駅があり、また国道24号・165号・169号と道路網も発達し、大阪からは30~40分、京都からは約1時間、関西国際空港からは約1時間、名古屋からは約2時間と交通の便も良く、古代から交通の要となっています。

市制

橿原市のシンボル

橿原市は、昭和31年2月11日、奈良県下で5番目の市として発足し、当時38,560人であった人口も、今や12万2千人余りとなっています。
市章(市のマーク)は、市の頭文字「カ」を表象し、上部の羽型はトビの雄飛を表し、下部の円形は融和・平和を表し、平和に発展する古代文化の都を表しています。(昭和31年9月5日制定)
市の木は「橿の木」で、非常に堅く年中緑を保ち、大木として成長するところから、発展を重ねる市を表しています。(昭和51年10月1日制定)
市の花は「くちなし」で、香りが高く純白で清浄な花です。この花は、古代、耳成山に群生していたと伝えられています。(昭和51年10月1日制定)
市の色は「白色」「緑色」「茶褐色」です。(昭和52年7月1日制定)

市の歴史

古墳の写真

古代

本市およびその周辺には、縄文時代から地域の拠点となるような集落が点在していたことが確認されており、5~6世紀頃には日本建国神話の舞台を形成し、そして7世紀には「藤原京」が、南北18条、東西20坊の町割りの制度「条坊制」により大小の道路によって区画した街区があったことで知られており、当時の人口は2~3万人を擁した我が国最初の本格的計画都市でありました。
「藤原京」はわずか16年で首都としての機能を終えましたが、本市周辺では今でも藤原京時代の道路跡がいくつも発見されており、後に経済の中心地として発展する大阪への交通利便性の高いまちとして、中世・近世・現代を通じて都市として発展しつづけました。

『中世』『近世』

古代の条里制を基にした骨格道路である「横大路・下ツ道」がお伊勢参りや熊野詣の人々などで賑わい、整然と区画された農地によって構成される「農村集落」や、外敵からの襲撃を避けるために集落の外周部に濠を巡らした「環濠集落」が形成されました。なかでも、一向宗の寺内町として建設された「今井」や現在の市の中心部でもある八木は商業・金融で栄えました。

近代

日本建国ゆかりの地として「橿原神宮」が建立され、これとほぼ時を同じくして鉄道網の整備が始まりました。鉄道整備にあたっても、古来からの東西南北の交通の結節点としての位置付けが改めて確認されました。

現代

戦後、高度経済成長期に突入し、都市部への人口集中による地価高騰から、郊外の都市において、住宅需要が高まってきました。こうした需要に応えるために、多くの戸建住宅が建設され、市街地のスプロール化が進行しました。

お問合せ

所属課室:総合政策部企画政策課

橿原市八木町1-1-18

電話番号:0744-21-1108

ファックス番号:0744-20-1528

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