(cache)東大生やその母親が語る「合格体験記」の信頼性が高くない理由(畠山 勝太) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)
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東大生やその母親が語る「合格体験記」の信頼性が高くない理由

もっともらしく聞こえるが…

先日、「東大生やその母親が語る教育論、ハーバードの学生やその母親が語る教育論、ないしはエリート校や有名校の校長が語る教育論(以下、まとめて「東大合格体験記」とする)は、エビデンスに基づく教育と比べて、どれぐらい信頼できるのか」と尋ねられることがあった。

本稿では、なぜ「東大合格体験記」の信頼性は高いと言えないのか? それにもかかわらず信頼性が高く聞こえてしまうのはなぜなのか? なぜエビデンスに基づく教育は信頼性が高いのか? エビデンスに基づく教育を行えば我が子の学力は向上するのか? について議論したい。

 

「東大合格体験記」の信頼性は高いと言えない

「東大合格体験記」の信頼性が高いと言えない理由は、義務教育の理科の知識があれば理解できる。

中学理科で習う「光合成対照実験」を覚えているだろうか(参照: https://www.zkai.co.jp/jr/mihon/VS1_support.pdf)。

葉の斑(ふ)のある部分とない部分を比べることで、光合成には葉緑体が必要であることが分かり、アルミで覆われた部分と覆われていない部分を比べることで光合成には光が必要であることが分かる。

この光合成実験で「AをするとBが起こる」という因果関係を立証するためには、諸条件を統制したうえで、「…をする実験群」と「…をしない統制群」に分けて、二群の違いを見る必要があることを学んだはずだ。

この枠組みで考えると、「東大合格体験記」は、自分の子育て・自分の教師経験という体験(実験群)だけに基づくものにすぎず、反実仮想となる統制群が存在しないために、その教育論が本当に効いたのかどうか、それとも別の要因によるものなのか、立証できないことが理解できるはずだ。

このような体験的教育論に信頼性が欠けるのは、ホランドの因果推論の根源的な問題と呼ばれる有名なものだ。これは、同一人物が同時にある処置をされた場合とされない場合を経験できないために、因果関係が主張できないというものである。

この問題を乗り越えない限り、たとえ自分の子供ないしは生徒を何人、いや何百人東大に入学させようとも、主張された教育方法によって子供・生徒が東大に合格したのかは不明なままで、信頼性の高い教育論とは言えない。

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「東大合格体験記」がもっともらしくも聞こえる理由

もちろん、「東大合格体験記」の中には、因果関係が立証されていないだけで、実際に因果関係が成立しているものもあるはずである。

しかし、実際には因果関係が成立していない場合、「東大合格体験記」をもっともらしく聞こえさせるさまざまな要因がある。

以下では代表的な3つのものを紹介したい。

①セレクションバイアス

セレクションバイアスは「東大合格体験記」の中でも、エリート校の校長や教員に強く当てはまるもので、教育政策のための統計分析の授業でも最初に言及されるような最も代表的な要因である。

教育におけるセレクションバイアスとは、実際には効果がない教育論が、その教育を受ける・受けない集団の特徴によって、効果があるように見えてしまうことを指す。

具体的に言えば、エリート校の生徒が数多く東大に入学するのは、その学校の教育内容が良いからではなく、単純にその学校の入学条件が厳しく、高学力の学生が集まっているに過ぎない、といったようなものである。

実際に、一般的なアメリカの大学ランキングと、ブルッキングス研究所が発表したセレクションバイアスをある程度考慮した大学ランキングを比べてみると、両者のランキングの顔ぶれは異なる。

これは、エリート大学の中には、実際の教育の質はそれほどでもないのに、単純に入学者の多くが恵まれた家庭出身で学力も高いために、教育の質が良さそうに見えているだけの大学があること、そして、あまり評判がよくない大学の中にも、入学者の学力や出身家庭が悪いために見かけが悪いだけで、実際には質の高い教育をできている大学が一定数存在していることを示唆している。

また、エリート高校の教育効果に目を向けてみても、ニューヨークとボストンのエリート校は、実際には生徒の学力を維持するどころか、むしろ下げてしまっている、という研究も存在する。

このように、メディアで取り上げられるようなエリート校の校長や教員が主張する教育論の中には、実際に効果はないにもかかわらず、学力の高い生徒が集まっているために高い効果を有するように見えてしまっているものも少なからず存在するだろう。

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