2037.01.14 (Wed)
挨拶
当ブログの管理人の零分と申します。
このサイトではあらゆる情報を発信しています、何かの参考になれば幸いです。
零分について
職業:自営業の在宅エンジニア兼コンサルタント。
仕事で使う言語:HTML5/CSS/JS/jQuery/Java/C++/C#/Python
(ネットワークやセキュリティー、リバースエンジニアリング、機械学習、ペネトレーションテスト等もある程度は勉強したので記事に出来ますが個人的にはエンジニアとしては下の中くらいだと思ってるので期待はなさらずに。)
配信:配信歴10年越えの配信者。昔から配信頻度が無さ過ぎることに定評があります。
配信やyoutube関係の企業様とよく一緒にお仕事をさせていただいていますが無所属です。
好きな分野:スポーツ科学、武道・武術・格闘技、(恋愛)心理学、法学、経済学、IT全般、商学、哲学、栄養学等。
これらの分野を中心に記事を書いていくと思います。
以下実績
・ツイキャスにてオススメ規制中に同時閲覧数10000人を突破。
・配信内外にて多数の人間を逮捕まで追い込む。
・実質「釣り配信」というジャンルの頂点です。
・配信する度によくTwitter等のトレンドに名前が載っていました。
・喧嘩凸大会(笑)を無敗6連覇(喧嘩凸は嫌いです。) ※喧嘩凸とはネットの討論対決のこと。
・閲覧数の多すぎでいくつかの配信サイトで永久BANになっている。
当ブログについて
当ブログでは自分の好きなことを好きなように書きます。
書いて欲しい記事があればTwitter本垢のDMにてご連絡ください。
本垢→@zero_streamer
また引用や仕事についてのご依頼はメールにて受け付けております。(DMはリスナーからのDMが多くて見逃す可能性あるのでメールのほうが確実です。)
raven_niconama@yahoo.co.jp
ブログ用の通知アカウントを作りました。@kenbunroku
どちらのアカウントも基本フォロバ100%です。自分からはフォローしません。
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2018.12.25 (Tue)
前書き
最近正直今までみたいにネットに深くいることが滅多に無くネットのことを全然把握出来ていなくてぶっちゃけ記事にすることに悩みます。
いつも通りちょっとお硬い学問に触れるのも良いんですけど、あまり需要を感じられないので今日から少しの間はIT系についての記事を多くしようと思います。
コンセプトとしましてはITに関する内容を出来るだけわかりやすく書けたらなと思います。
※当記事は小難しい考察も含まれております。その場合は文字がオレンジになっているので飛ばしてください。
PCとスマホの主なパーツ
主なパーツとしてCPU、メモリ、HDD(SSD)が有りますがこれらを料理に例えてみるとCPUが調理師、メモリがまな板、HDDが冷蔵庫となります。
CPUは主に演算を担当しています。先程の例え通りPCやスマホのメインを担当しています。
CPUは調理師と同じなのでスペックが良ければ良いほど作業が早くなります。
メモリは主に電源がついている間の記憶を担当しています。
先程の例えで言うとまな板と一緒なのでメモリが大きければ大きいほど同時進行で色んなアプリを起動できたりするようになります。
ちなみに正確にはCPUは1つのプログラムしか実行することは出来ません。まな板の上に人参や玉ねぎが同時に置いてありますが調理師は一人しかいませんので一人で玉ねぎを切る→人参を切る→玉ねぎを切る→人参を切ると高速に動いているだけです。
メモリは後述のHDDとは違い電源がついている時だけ記憶していますので、電源を切ったりするとまな板は洗われるのでまな板からHDDに保存する必要が出てきます。
ちなみによくPCやスマホを再起動した方が良いと呼ばれる理由はこのメモリ上にゴミが、つまり調理した玉ねぎの皮とかが残っているので定期的にまな板を洗う(再起動)必要があるのです。
HDDは補助記憶を担当しています。メモリ上で作業したものをHDDに入れることで保管することが出来ます。
またHDDにはOSと言う大事なシステムデータも入っています。OSについては後述します。
HDDとSSDの主な違いは衝撃の強さや速さ、壊れやすさにあります。HDDは旧規格なので時期に淘汰されるでしょう。
HDDとSSDの違いについてもそのうち説明します。
余談:インターネットはともかくIT系が今後も間違いなく発展していく根拠としては過去の積み重ねが大きいからだと考えます。ITは完全な論理構造を元に出来ており既存の構造を越える構造を今更新規に作ることは無理だと考えます。例えば今より優秀な言語が出てきたり、IPv4から見るように既存の規格が廃れることはあれど0と1から成り立つ根本を覆すことは恐らく不可能だし(難しい解説になるので当記事では割愛)既存の技術は先人たちの積み重ねから成り立っているのでITという基軸は廃れることは無いでしょう。
OSとは
OSという言葉を聞いたことがある人は多いと思うがあまり違いがわかっていなかったりしていると思いますので軽く触れたいと思います。
OSとはオペレーティングシステムの略で主にソフトウェアの根幹部分の役割をしています。
主なOSとしましてはWindows,mac,UNIX,LINUX,android,IOS等があります。
とまぁこういう書き方をほとんどのサイトではされてるとは思いますがこういう事を言うと賢い人に怒られてしまうのでもう少しわかりやすく書きます。
まず元々UNIXというOSが有りましてUNIXは凄い画期的なOSだったのですが金銭を払わないとまともに使えなかったり契約が鬱陶しくて面倒でした。
そこである時リーナスさんという中指を立てたがる暴言大好きな人がUNIXを参考にLINUXを作りあげLinuxを完全無料配布しました。
ちなみにmacやIOSはUNIXがベースとなっており、androidはLinuxがベースとなっています。(androidはLinux同様、UNIX認証を受けていません。)
UNIXはUNIXの商標認証というのが有りこれを受けているとUNIXであると言えます。
例えばmacはUNIXの商標認証を受けているのでmacはUNIXであると言えます。
一方前述どおりLinuxやLinuxをベースにしたandroidはUNIXをパクってはいるがUNIXの認証は通っていませんのでUNIXであるとは言えません。このようなOSのことをUNIXライク(UNIX系)と呼びます。
ここからが少しややこしいのですがUNIXやLinuxはOS自体を指すこともあればOSの総称となることもあります。
わかりやすく言うのなら「Windowsを買いたいです」とお店に言っても「7ですか?10ですか?(7はもう売ってないかもだけど)」となるのと一緒でUNIXやLINUXと言われても特定の一つのOSだとはわからないのです。
またWindowsであれば「7はもうすぐサポート終了するし10だな」と特定が出来ますがUNIXやLINUXは種類が豊富なので尚更一つだけの想定が難しいのです。
OSの違い
先程の記述通りOSには数種類あることがわかったと思います。
「OSの違いはわかったけどどれを買うべきだろう」とか「大学生はスタバでMACBOOK広げてドヤってるからMAC買えば良いのか?」とか違いがわからないと話にならないのでOSの違いを述べようと思います。
まずPCを購入しようと悩んでる一般の方には悪いことは言わないのでwindows一択だと思います。
時々馬鹿なサイトとか知りもしないくせに「macbookはコスパがいい!」とか言ってますけど大抵嘘です。
まずmacについてですがmacは現在apple社が独占しているので基本的にハードの選択肢が少なく高価なのが特徴です。
UNIXやLinuxは基本的に企業等が使うことが多く一般人の利用には向いていません(GUIが無いのもあるしね。)
その点windowsは最も多くの人に使われてるだけ有り優秀で使いやすくコスパもかなり良いのが特徴です。
そんなwindows贔屓をしておいてなんですが僕らエンジニアはwindowsが大嫌いです。全員がとは言いませんが少なくとも僕は嫌いです。ゲームやwindowsでしか起動出来ない何かが有る時以外はwindowsなんて触りたくもないくらいwindowsが嫌いです。
理由その①:セキュリティが弱い
windowsはとにかくセキュリティが弱いのです。理由としてはまず利用者が多いのでウイルス等の餌食になりやすいのが特徴です。僕はセキュリティ業界でもそこそこ仕事をしていますが「あそこの会社クラッキング(ハッキング)されたらしいよwindowsじゃなかったら良かったのにね」という会話も珍しくないくらいwindowsは弱いのです。(最近はセキュリティまともになってきたけど)
理由その②:バグが多い
windowsのシステムの中身(ソース)は見れないようになっています。これを用語でブラックボックスと言います。
PCに詳しい人達(ハッカー)はブラックボックスが大嫌いです。windowsはパクられたくないからこそ中身を隠してブラックボックスにしているのですが中で何をしているのかわからないような怖いOS使ってられるかよとなります。
その点Linux等は中身がいつでも見れるのでバグがあれば皆で共有し速攻で直せたり開発者が変なプログラムを仕組んでいてもバレるので安心です。
言うてmacもwindowsほどじゃないとは言えブラックボックスなんですけどね。
理由その③:windowsupdateがうざい
windowsはバグが多すぎてすぐにupdate来るんですよね。
これがうざすぎてイライラの元となります。
その点他のOSならコマンド一つで管理出来たり楽ちんです。
理由その④:音質や画質やフォントの問題
これは芸術系のお仕事をされてる人に多いと思いますがwindowsはmacに比べ音質、画質等が劣っています。
言うて最近はmacに劣らず綺麗な物もあるのでここらへんは好みの問題
理由その⑤:プログラマやエンジニアは主にmacやLinuxで開発するから
別にWindowsで開発出来ないことも無いのですが参考書籍等がmacやLinuxで構築されてる事が多いのでwindowsでやるのが面倒なんですよね。windowsのセキュリティに引っかかって面倒になることも多いです。
逆にC#と呼ばれる言語やWindowsのアプリケーションを作る時はWindowsで開発した方が楽ちんです。(PC2つも持ってない?仮想環境を使いなさい)
理由その⑥:bash実行環境が無い
bashという手軽に使える言語があるのですがそれがwindowsでは使えません。
嘘です。あまり知られてないけどwindows10は対応しています。
悪用されることが多いけどPowerShellもあるしwindowsも捨てたもんじゃないかもしれない
Linuxの解説(詳しく書くのでスルーでもok)
Linuxは通常Linuxディストリビューションという形式で配布されています。
LinuxディストリビューションとはLinuxの本体的なやつ(カーネル)とアプリケーション等を纏めた形式のことです。
何故このような形になっているかというと例えば「仕事のサーバーとして使いたい。」という時には余計なソフトをいれてはいけないのです。そのソフトに脆弱性(セキュリティ上の問題)があった場合にそこを攻撃されることがある為サーバーは余計なソフトを入れたくないのです。
中にはコマンドだけでしか操作出来ないディストリビューションもあります。
また、例えば僕のようにセキュリティ系の仕事をしてる人も多くのツールを利用する為に一々自分で入れるよりも初めから色々入ってパッケージ化されてるものを選ぶ方が都合が良いのです。
中には「ほとんど何も入ってないから自分で欲しいものだけ入れろよ」みたいなディストリビューションもあります。
また、Linuxは前述通り自分で好きな最低限のものが入っているパッケージを選ぶので滅茶苦茶軽いです。windowsみたいに意味の無い糞ソフトは入っていません。
これだけ聞くとLinuxは凄い優秀なように感じますが(実際優秀だけどね)使いこなすにはやたら面倒くさいコマンドを覚える必要があります。覚えなくても使えなくは無いのですがコマンドすら使えないのにLinuxを使う利点は無いので大人しくwindowsを使っていればいいと思います。(mac使いお前もな)
もしスタバとかでドヤ顔でmacを使ってる人がいれば「なんでwindowsじゃなくてmacなの?え?w芸術系の仕事でもコマンドを使えるわけでもないのにmacなの?w windowsでいいじゃんw」って煽ってあげましょう。
入力と出力の仕組み
コンピュータには入力装置と出力装置が有ります。
入力装置の主な例としてはキーボード、出力装置はモニター(ディスプレイ)がわかりやすいと思います。
詳しく書くと一つ記事が書けてしまうので超簡易的に書くのなら例えば1+2を計算したいとします。
キーボードで1+2を打ち込みそれを一時期手にメモリに保管します。その後メモリからCPUに渡され演算し3となってメモリに戻された後にモニターに3という数字を出力します。
ネットワークの仕組み
皆が普段使っているインターネットですがインターネットの仕組みまで把握できてる人はほとんどいないと思います。
まずそれぞれの家庭にはネットワークが有ります。これをローカルエリアネットワーク(LAN)と言います。
皆の持ってるPCやスマホもいきなり外の回線に繋がっているのではなく家庭や会社の中でネットワークを形成しています。
一般的な仕組みとしてはPCやスマホ等が一つのルーターと繋がっておりモデム(ONU)を通して世界中のネットワークと繋がれるようになっています。
世界中のネットワークも結局はLANの集合体となっており、皆が見てるWEBサイトも個人や企業のLANから発信されてるものとなっています。
世間一般でルーターと呼ばれる物の役割はここで語ると長くなってしまうのでそのうちネットワークについて語る時にでも語ります。
WEBサービスの仕組み
先程に続いてWEBサービスの解説をします。
皆がWEBページを見る時にブラウザと呼ばれるアプリケーションを使うと思います(Chrome,safari等)
仕組みとしましては基本的にまず皆はgoogle等の検索エンジン等を使いWEBページを開きますが、この検索エンジンというのはただのURLの寄せ集めに過ぎません(SEOがどうとかは割愛)
なので別にgoogleから飛ぶ必要はないのでURLさえ知っていればいつでも飛ぶことが出来ます。
このURLの正体はDNS(ドメイン)とやらに偽装されたIPです。
例えばURLの検索欄に「216.58.197.132」とIPを打ち込むと「https://www.google.com/」が開かれます。これはDNSという機能を使い「216.58.197.132」を「https://www.google.com/」と結びつけている為です。
話を戻しますが検索エンジンを使ったり直接URLをブラウザに打ち込むことによりWEBページが開かれると思います。
これはURLのIPの先に接続してそのページを見てることを表します。
なのでこのIPの先の人が公開しているPCの電源を切れば当然ながら接続することは出来ません。
この時IPの先の個人や企業はWEBサーバと呼ばれるものを利用していてそのWEBサーバが接続元の人のブラウザにデータを渡しているのです。
この個人や企業の情報発信側をサーバ、利用者をクライアントと呼びます。
クライアントがサーバに「WEBページを見せろ」等の要求をすることをリクエスト、「WEBページの情報を返す」等の返事をレスポンスと言います。
また場合によってはサーバ側でWEBサーバがDB(データベース)サーバから情報を取ってくる場合もあります。
データベースというのは主に会員サイトのように情報を保存しておく為に使います。
プログラミング言語とは
さて恐らく一度は皆も聞いたことがあると思いますが機械は全部0と1から成り立っております。これを機械語(マシン語)と言います。仕組みとしては電圧が高い時は「1」低い時は「0」と機械が解釈しているのです。
だけど一々機械に1と0を連続して入力するのは物凄い手間がかかります。
ので2進法から16進法に変えてみます。
例えば10進数で"36500"と入力したい場合、2進数では"1000111010010100"、16進数では"8E94"となります。
2進数では長くても16進数だと短く済みますね。よって人間が機械に対して命令する時は16進数で使われることが多いです。(16進数を使わないプログラミング言語が多いけど)
ちなみに16進数で記述したとしても前述通り機械は電圧の高さでしか判断できないので0と1しか判別出来ません。よって16進数で入力したものを0と1の2進数に翻訳する必要があります。
余談:ちなみに10進数ではなく16進数が使われる理由としては人間の手が10本だから人間は10進数だけどコスパ的に16進数が良い。という説を聞きますがだったら20進数でも良いじゃんと思います。
本当の理由は2進数と相性が良いのが16進数だったからでしょう。
例)2進数4桁の最大数である1111を16進数で表すと16進数一桁の最大値のFとなります。
今の16進数の話と同じでプログラミング言語の存在意義は長ったらしい2進数の羅列を短く人間でもわかりやすくする為に存在します。
当然先程同様プログラミング言語を機械が理解することはないので機械がわかるように翻訳する必要があります。
(ややこしくなるのでコンパイラ等の話は割愛)
また、複数プログラミング言語がある理由としては方言みたいなものです。
言い方が違うだけで全部意味合いは一緒です。
例として例えば外人がいるとします。
外人に対して「おは」と言うとします。
「おは」の意味が伝わらない場合外人に「「おは」は「おはよう」の略だよ。「おはよう」は英語で「good morning」だよ」訳す必要があります。
直接「おはよう」と話しても良いのですが発言者は面倒くさいので「おは」の二文字にしました。発言者が楽をする分翻訳者には手間がかかりましたね。
この例えは外人が機械となります。「おは」のような発言は短く記述できるがその分翻訳に手間がかかる(プログラム速度が落ちる)というわけです。
※中にはおはようではなく「おはようじょぺろぺろ」のようによくわからない挨拶をする人がいるせいで長い=速度が速いというわけではありません。別に発言者の問題じゃない場合も当然ありますが。
もう少し詳しく踏み込むと言語が多い理由としては得意分野が違うというのもあります。
例えばJavaという言語はWEBサービスに特化している、C++は車等のシステムに向いている等。
専門用語を出すのならライブラリやフレームワークによって同じ言語でも出来ることがかなり異なります。
番外編:ハッカーとクラッカー
よくごっちゃにしている人がいますがハッカーとはPCに滅茶苦茶詳しい人を指します。
皆がよく使うような悪い行いをする人はクラッカーと呼びます。
ハッキングという言葉も「紐解く」や「解析する」という意味合いです。(だからライフハックって言うよね)
皆がよく使うような悪い行いはクラッキングと言います。
ただあまりにもごっちゃにする人が多すぎるので最近ではホワイトハッカー(ホワイトハット)やブラックハッカー(ブラックハット)と呼ぶようになりました。
また、セキュリティ系のエンジニアは総じて多少なりともクラッキング行為が出来ます。敵の手法を知らずして対策なんて当然出来ません。なのでクラッキング=悪のある行為と捉えるのも多少違います。(言うてペネトレーションテストという用語が有るんだけどね。)
よく誤解されていることが「IPなんて知られても何も出来ねえよw」とか「ハッキング(クラッキング)なんて出来るわけねえじゃんw」とか「そんな技術簡単には学べないし書籍にも無い」とか言われていてセキュリティ意識の低さが嘆かわしいです。
少なくとも僕の周りには大手配信者が多く、有名な分狙われることも多いと思うので次回の記事では悪用されないようギリギリの範囲でクラッキングについて詳しく書ければなと思っております。
最近正直今までみたいにネットに深くいることが滅多に無くネットのことを全然把握出来ていなくてぶっちゃけ記事にすることに悩みます。
いつも通りちょっとお硬い学問に触れるのも良いんですけど、あまり需要を感じられないので今日から少しの間はIT系についての記事を多くしようと思います。
コンセプトとしましてはITに関する内容を出来るだけわかりやすく書けたらなと思います。
※当記事は小難しい考察も含まれております。その場合は文字がオレンジになっているので飛ばしてください。
PCとスマホの主なパーツ
主なパーツとしてCPU、メモリ、HDD(SSD)が有りますがこれらを料理に例えてみるとCPUが調理師、メモリがまな板、HDDが冷蔵庫となります。
CPUは主に演算を担当しています。先程の例え通りPCやスマホのメインを担当しています。
CPUは調理師と同じなのでスペックが良ければ良いほど作業が早くなります。
メモリは主に電源がついている間の記憶を担当しています。
先程の例えで言うとまな板と一緒なのでメモリが大きければ大きいほど同時進行で色んなアプリを起動できたりするようになります。
ちなみに正確にはCPUは1つのプログラムしか実行することは出来ません。まな板の上に人参や玉ねぎが同時に置いてありますが調理師は一人しかいませんので一人で玉ねぎを切る→人参を切る→玉ねぎを切る→人参を切ると高速に動いているだけです。
メモリは後述のHDDとは違い電源がついている時だけ記憶していますので、電源を切ったりするとまな板は洗われるのでまな板からHDDに保存する必要が出てきます。
ちなみによくPCやスマホを再起動した方が良いと呼ばれる理由はこのメモリ上にゴミが、つまり調理した玉ねぎの皮とかが残っているので定期的にまな板を洗う(再起動)必要があるのです。
HDDは補助記憶を担当しています。メモリ上で作業したものをHDDに入れることで保管することが出来ます。
またHDDにはOSと言う大事なシステムデータも入っています。OSについては後述します。
HDDとSSDの主な違いは衝撃の強さや速さ、壊れやすさにあります。HDDは旧規格なので時期に淘汰されるでしょう。
HDDとSSDの違いについてもそのうち説明します。
余談:インターネットはともかくIT系が今後も間違いなく発展していく根拠としては過去の積み重ねが大きいからだと考えます。ITは完全な論理構造を元に出来ており既存の構造を越える構造を今更新規に作ることは無理だと考えます。例えば今より優秀な言語が出てきたり、IPv4から見るように既存の規格が廃れることはあれど0と1から成り立つ根本を覆すことは恐らく不可能だし(難しい解説になるので当記事では割愛)既存の技術は先人たちの積み重ねから成り立っているのでITという基軸は廃れることは無いでしょう。
OSとは
OSという言葉を聞いたことがある人は多いと思うがあまり違いがわかっていなかったりしていると思いますので軽く触れたいと思います。
OSとはオペレーティングシステムの略で主にソフトウェアの根幹部分の役割をしています。
主なOSとしましてはWindows,mac,UNIX,LINUX,android,IOS等があります。
とまぁこういう書き方をほとんどのサイトではされてるとは思いますがこういう事を言うと賢い人に怒られてしまうのでもう少しわかりやすく書きます。
まず元々UNIXというOSが有りましてUNIXは凄い画期的なOSだったのですが金銭を払わないとまともに使えなかったり契約が鬱陶しくて面倒でした。
そこである時リーナスさんという中指を立てたがる暴言大好きな人がUNIXを参考にLINUXを作りあげLinuxを完全無料配布しました。
ちなみにmacやIOSはUNIXがベースとなっており、androidはLinuxがベースとなっています。(androidはLinux同様、UNIX認証を受けていません。)
UNIXはUNIXの商標認証というのが有りこれを受けているとUNIXであると言えます。
例えばmacはUNIXの商標認証を受けているのでmacはUNIXであると言えます。
一方前述どおりLinuxやLinuxをベースにしたandroidはUNIXをパクってはいるがUNIXの認証は通っていませんのでUNIXであるとは言えません。このようなOSのことをUNIXライク(UNIX系)と呼びます。
ここからが少しややこしいのですがUNIXやLinuxはOS自体を指すこともあればOSの総称となることもあります。
わかりやすく言うのなら「Windowsを買いたいです」とお店に言っても「7ですか?10ですか?(7はもう売ってないかもだけど)」となるのと一緒でUNIXやLINUXと言われても特定の一つのOSだとはわからないのです。
またWindowsであれば「7はもうすぐサポート終了するし10だな」と特定が出来ますがUNIXやLINUXは種類が豊富なので尚更一つだけの想定が難しいのです。
OSの違い
先程の記述通りOSには数種類あることがわかったと思います。
「OSの違いはわかったけどどれを買うべきだろう」とか「大学生はスタバでMACBOOK広げてドヤってるからMAC買えば良いのか?」とか違いがわからないと話にならないのでOSの違いを述べようと思います。
まずPCを購入しようと悩んでる一般の方には悪いことは言わないのでwindows一択だと思います。
時々馬鹿なサイトとか知りもしないくせに「macbookはコスパがいい!」とか言ってますけど大抵嘘です。
まずmacについてですがmacは現在apple社が独占しているので基本的にハードの選択肢が少なく高価なのが特徴です。
UNIXやLinuxは基本的に企業等が使うことが多く一般人の利用には向いていません(GUIが無いのもあるしね。)
その点windowsは最も多くの人に使われてるだけ有り優秀で使いやすくコスパもかなり良いのが特徴です。
そんなwindows贔屓をしておいてなんですが僕らエンジニアはwindowsが大嫌いです。全員がとは言いませんが少なくとも僕は嫌いです。ゲームやwindowsでしか起動出来ない何かが有る時以外はwindowsなんて触りたくもないくらいwindowsが嫌いです。
理由その①:セキュリティが弱い
windowsはとにかくセキュリティが弱いのです。理由としてはまず利用者が多いのでウイルス等の餌食になりやすいのが特徴です。僕はセキュリティ業界でもそこそこ仕事をしていますが「あそこの会社クラッキング(ハッキング)されたらしいよwindowsじゃなかったら良かったのにね」という会話も珍しくないくらいwindowsは弱いのです。(最近はセキュリティまともになってきたけど)
理由その②:バグが多い
windowsのシステムの中身(ソース)は見れないようになっています。これを用語でブラックボックスと言います。
PCに詳しい人達(ハッカー)はブラックボックスが大嫌いです。windowsはパクられたくないからこそ中身を隠してブラックボックスにしているのですが中で何をしているのかわからないような怖いOS使ってられるかよとなります。
その点Linux等は中身がいつでも見れるのでバグがあれば皆で共有し速攻で直せたり開発者が変なプログラムを仕組んでいてもバレるので安心です。
言うてmacもwindowsほどじゃないとは言えブラックボックスなんですけどね。
理由その③:windowsupdateがうざい
windowsはバグが多すぎてすぐにupdate来るんですよね。
これがうざすぎてイライラの元となります。
その点他のOSならコマンド一つで管理出来たり楽ちんです。
理由その④:音質や画質やフォントの問題
これは芸術系のお仕事をされてる人に多いと思いますがwindowsはmacに比べ音質、画質等が劣っています。
言うて最近はmacに劣らず綺麗な物もあるのでここらへんは好みの問題
理由その⑤:プログラマやエンジニアは主にmacやLinuxで開発するから
別にWindowsで開発出来ないことも無いのですが参考書籍等がmacやLinuxで構築されてる事が多いのでwindowsでやるのが面倒なんですよね。windowsのセキュリティに引っかかって面倒になることも多いです。
逆にC#と呼ばれる言語やWindowsのアプリケーションを作る時はWindowsで開発した方が楽ちんです。(PC2つも持ってない?仮想環境を使いなさい)
理由その⑥:bash実行環境が無い
bashという手軽に使える言語があるのですがそれがwindowsでは使えません。
Linuxの解説(詳しく書くのでスルーでもok)
Linuxは通常Linuxディストリビューションという形式で配布されています。
LinuxディストリビューションとはLinuxの本体的なやつ(カーネル)とアプリケーション等を纏めた形式のことです。
何故このような形になっているかというと例えば「仕事のサーバーとして使いたい。」という時には余計なソフトをいれてはいけないのです。そのソフトに脆弱性(セキュリティ上の問題)があった場合にそこを攻撃されることがある為サーバーは余計なソフトを入れたくないのです。
中にはコマンドだけでしか操作出来ないディストリビューションもあります。
また、例えば僕のようにセキュリティ系の仕事をしてる人も多くのツールを利用する為に一々自分で入れるよりも初めから色々入ってパッケージ化されてるものを選ぶ方が都合が良いのです。
中には「ほとんど何も入ってないから自分で欲しいものだけ入れろよ」みたいなディストリビューションもあります。
また、Linuxは前述通り自分で好きな最低限のものが入っているパッケージを選ぶので滅茶苦茶軽いです。windowsみたいに意味の無い糞ソフトは入っていません。
これだけ聞くとLinuxは凄い優秀なように感じますが(実際優秀だけどね)使いこなすにはやたら面倒くさいコマンドを覚える必要があります。覚えなくても使えなくは無いのですがコマンドすら使えないのにLinuxを使う利点は無いので大人しくwindowsを使っていればいいと思います。(mac使いお前もな)
入力と出力の仕組み
コンピュータには入力装置と出力装置が有ります。
入力装置の主な例としてはキーボード、出力装置はモニター(ディスプレイ)がわかりやすいと思います。
詳しく書くと一つ記事が書けてしまうので超簡易的に書くのなら例えば1+2を計算したいとします。
キーボードで1+2を打ち込みそれを一時期手にメモリに保管します。その後メモリからCPUに渡され演算し3となってメモリに戻された後にモニターに3という数字を出力します。
ネットワークの仕組み
皆が普段使っているインターネットですがインターネットの仕組みまで把握できてる人はほとんどいないと思います。
まずそれぞれの家庭にはネットワークが有ります。これをローカルエリアネットワーク(LAN)と言います。
皆の持ってるPCやスマホもいきなり外の回線に繋がっているのではなく家庭や会社の中でネットワークを形成しています。
一般的な仕組みとしてはPCやスマホ等が一つのルーターと繋がっておりモデム(ONU)を通して世界中のネットワークと繋がれるようになっています。
世界中のネットワークも結局はLANの集合体となっており、皆が見てるWEBサイトも個人や企業のLANから発信されてるものとなっています。
世間一般でルーターと呼ばれる物の役割はここで語ると長くなってしまうのでそのうちネットワークについて語る時にでも語ります。
WEBサービスの仕組み
先程に続いてWEBサービスの解説をします。
皆がWEBページを見る時にブラウザと呼ばれるアプリケーションを使うと思います(Chrome,safari等)
仕組みとしましては基本的にまず皆はgoogle等の検索エンジン等を使いWEBページを開きますが、この検索エンジンというのはただのURLの寄せ集めに過ぎません(SEOがどうとかは割愛)
なので別にgoogleから飛ぶ必要はないのでURLさえ知っていればいつでも飛ぶことが出来ます。
このURLの正体はDNS(ドメイン)とやらに偽装されたIPです。
例えばURLの検索欄に「216.58.197.132」とIPを打ち込むと「https://www.google.com/」が開かれます。これはDNSという機能を使い「216.58.197.132」を「https://www.google.com/」と結びつけている為です。
話を戻しますが検索エンジンを使ったり直接URLをブラウザに打ち込むことによりWEBページが開かれると思います。
これはURLのIPの先に接続してそのページを見てることを表します。
なのでこのIPの先の人が公開しているPCの電源を切れば当然ながら接続することは出来ません。
この時IPの先の個人や企業はWEBサーバと呼ばれるものを利用していてそのWEBサーバが接続元の人のブラウザにデータを渡しているのです。
この個人や企業の情報発信側をサーバ、利用者をクライアントと呼びます。
クライアントがサーバに「WEBページを見せろ」等の要求をすることをリクエスト、「WEBページの情報を返す」等の返事をレスポンスと言います。
また場合によってはサーバ側でWEBサーバがDB(データベース)サーバから情報を取ってくる場合もあります。
データベースというのは主に会員サイトのように情報を保存しておく為に使います。
プログラミング言語とは
さて恐らく一度は皆も聞いたことがあると思いますが機械は全部0と1から成り立っております。これを機械語(マシン語)と言います。仕組みとしては電圧が高い時は「1」低い時は「0」と機械が解釈しているのです。
だけど一々機械に1と0を連続して入力するのは物凄い手間がかかります。
ので2進法から16進法に変えてみます。
例えば10進数で"36500"と入力したい場合、2進数では"1000111010010100"、16進数では"8E94"となります。
2進数では長くても16進数だと短く済みますね。よって人間が機械に対して命令する時は16進数で使われることが多いです。(16進数を使わないプログラミング言語が多いけど)
ちなみに16進数で記述したとしても前述通り機械は電圧の高さでしか判断できないので0と1しか判別出来ません。よって16進数で入力したものを0と1の2進数に翻訳する必要があります。
余談:ちなみに10進数ではなく16進数が使われる理由としては人間の手が10本だから人間は10進数だけどコスパ的に16進数が良い。という説を聞きますがだったら20進数でも良いじゃんと思います。
本当の理由は2進数と相性が良いのが16進数だったからでしょう。
例)2進数4桁の最大数である1111を16進数で表すと16進数一桁の最大値のFとなります。
今の16進数の話と同じでプログラミング言語の存在意義は長ったらしい2進数の羅列を短く人間でもわかりやすくする為に存在します。
当然先程同様プログラミング言語を機械が理解することはないので機械がわかるように翻訳する必要があります。
(ややこしくなるのでコンパイラ等の話は割愛)
また、複数プログラミング言語がある理由としては方言みたいなものです。
言い方が違うだけで全部意味合いは一緒です。
例として例えば外人がいるとします。
外人に対して「おは」と言うとします。
「おは」の意味が伝わらない場合外人に「「おは」は「おはよう」の略だよ。「おはよう」は英語で「good morning」だよ」訳す必要があります。
直接「おはよう」と話しても良いのですが発言者は面倒くさいので「おは」の二文字にしました。発言者が楽をする分翻訳者には手間がかかりましたね。
この例えは外人が機械となります。「おは」のような発言は短く記述できるがその分翻訳に手間がかかる(プログラム速度が落ちる)というわけです。
※中にはおはようではなく「おはようじょぺろぺろ」のようによくわからない挨拶をする人がいるせいで長い=速度が速いというわけではありません。別に発言者の問題じゃない場合も当然ありますが。
もう少し詳しく踏み込むと言語が多い理由としては得意分野が違うというのもあります。
例えばJavaという言語はWEBサービスに特化している、C++は車等のシステムに向いている等。
専門用語を出すのならライブラリやフレームワークによって同じ言語でも出来ることがかなり異なります。
番外編:ハッカーとクラッカー
よくごっちゃにしている人がいますがハッカーとはPCに滅茶苦茶詳しい人を指します。
皆がよく使うような悪い行いをする人はクラッカーと呼びます。
ハッキングという言葉も「紐解く」や「解析する」という意味合いです。(だからライフハックって言うよね)
皆がよく使うような悪い行いはクラッキングと言います。
ただあまりにもごっちゃにする人が多すぎるので最近ではホワイトハッカー(ホワイトハット)やブラックハッカー(ブラックハット)と呼ぶようになりました。
また、セキュリティ系のエンジニアは総じて多少なりともクラッキング行為が出来ます。敵の手法を知らずして対策なんて当然出来ません。なのでクラッキング=悪のある行為と捉えるのも多少違います。(言うてペネトレーションテストという用語が有るんだけどね。)
よく誤解されていることが「IPなんて知られても何も出来ねえよw」とか「ハッキング(クラッキング)なんて出来るわけねえじゃんw」とか「そんな技術簡単には学べないし書籍にも無い」とか言われていてセキュリティ意識の低さが嘆かわしいです。
少なくとも僕の周りには大手配信者が多く、有名な分狙われることも多いと思うので次回の記事では悪用されないようギリギリの範囲でクラッキングについて詳しく書ければなと思っております。
2018.11.03 (Sat)
※ この記事には陰鬱な気分にさせる考察が多いので閲覧注意
いきなりですがビジネスにおいて儲かるコンテンツってなんだと思いますか?
答えは日常生活において欠かせないものです。
例えば人間は皆食事をするので食品産業はいつの時代でも需要があります。
他にも性についてやお金についてほとんどの人にとって需要があるものは当然金銭に結びつきます。
日本人にはあまり馴染みはありませんがその中でも死を利用する宗教はかなり需要の高いものだと言えると思います。
宗教の発展については諸説ありますが、歴史を見る限りでは宗教はあまり良い使い方はされていません。
例えば国の設けたルール以外にも誰かが規律を守らせる為に用いることも有りましたし、戦争への言い訳に使われることも非常に多かったようです。
当然人は生物である以上、死への恐怖に怯えているので死と隣り合わせの戦争に行きたがる者は中々いませんでした。そうした時に宗教が栄え、戦死することで天国に行けると教え込むことで皆喜んで死んでいきました。
つまり宗教には少なからず死への恐怖を悪用した洗脳効果が十分にあるのです。
死とはそれほど恐ろしく誰にでも平等に訪れるものなのです。
話は一旦それますが、そもそも宗教において「○○しないと極楽にいけない」とか「信仰心がないと天国に行けない」等、これらの規律は完全に人間が作り出した嘘であり神は一切関係ないとよく感じます。
僕は学生の頃からいくつかの宗教について勉強してきましたが、どの宗教でも「人間は弱き者である」と謳っておきながら、いるかどうかあやふやな神の存在を信じさせる神なんていないのではないでしょうか
熱心な信者に刺されるかも知れないけど本当に神がいるのなら「いるかどうかはわからないけど果たして自分の存在を信じきれるかな〜w信じ切った君はなんと死後に極楽に連れて行っちゃうぞ〜w」なんて頭の悪そうな事しますかね?
もしもいるのなら相当性悪で狂った神だと私は思いますが。。
本題に戻りますが人間である以上ほとんどの人は「死後の世界はあるのか?」と一度は疑問に思ってると思います。
ぶっちゃけ僕は神のような意思のある何かはいると思っていますが(理由後述)死後の世界は無いと思っていますし、仮にあったとしてもそもそも素敵なところではないと思っています。
まず第一に皆さんの感情はどこからきているのでしょうか?当然脳みそです。
死後の世界について考察すると大抵の人は生死についてばかり考察しますがそもそも僕らが楽しいと感じてるのも全て脳があってのおかげなのです。仮に死後の世界があったとしても現世に肉体は置いていくのです。これはもはや一切身動き取れない植物人間と同じような状況と一緒ではないでしょうか。
生命活動してはいるけど考えることは出来ない動くことも出来ない。
そもそも皆様は死ぬのが怖いのでしょうか?恐らく死ぬこと自体が怖いのではなく死ぬと物事を考えれなくなることが怖いのでは無いでしょうか? 死ぬことだけが怖いのなら、あなたは永遠の生を引き換えに植物人間としての人生でも歩めますか?きっと嫌ですよね。
植物人間だって生きてます。立派に生きてるし肉体だって健在です。もし魂が存在するのなら魂だって宿っていることでしょう。
でも植物人間は嫌なんですよね?じゃ魂があろうがなかろうが脳が上手く動いてない状態自体に恐怖を覚えているのでは無いでしょうか。
第二に僕らの考えは常識や経験によって成り立っています。
それは当然物理法則や現世における環境等が主となっています。
つまり死後の世界が仮にあったとし、仮にそこで思考が出来たとしても今までと全く違う環境を受け入れて暮らしたいと思えるのでしょうか?
例えば日本等の先進国に住んでいる人にいきなり「お前生涯ジャングルで暮らせよ」と言っても皆拒絶するでしょう。これは逆も然りでジャングルやアフリカの過疎地に住む人々も先進国で暮らしたいとは思っておらずルールなどに縛られることでストレスを感じることでしょう。
同じ地球の中ですら移住は嫌がるのに果たして死後の世界での生活(?)を受け入れることは出来るのでしょうか?
皆生きてる上で楽しみはあると思います。
例えば人に好かれてる自分が好き、愛しい人といれることが好き、美味しい食べ物が好き、酒が好き、ゲームが好きetc..
果たして死後の世界にも同じものがありますかね?
もしかしたら考えることが出来たとしても真っ暗な身動きの取れない部屋でずっと辛い気持ちを味わうだけかも知れませんね。
僕はそんな悲しい世界にいくくらいなら何も思考できなくなっても良いと思っています。
僕は死んだら大体の人の予想通り"無"になると思っています。
無になるとは考えることも出来ず苦しむことも喜ぶことも出来ず、怖いと思うことも無いと思います。
よく例として死後の世界は真っ暗闇だと言う人がいますが、真っ暗闇だなんて語弊のある言い方ではないでしょうか?闇であることすら知覚出来ず何も無かったことになるのでは無いでしょうか?
先程も述べましたが自我や感情なんて脳から出てくるものなんで僕は仮に死後の世界があったとしても恐らく喜ぶことはないでしょう。
GANTZみたいに死んだ瞬間にどこかに転送されて肉体があるまま永遠の時を生きれるのなら別ですが…
あまりこういうことは書きたくはないのですが、そもそも僕らの存在というものは思った以上にちっぽけだし人は簡単に死にます。
例えば偉人ならともかく100年前に誰が生きていたのかなんて一々把握していないし、今現在生きてる人ですらほとんど把握出来ていないでしょう。
自分に一切関係ない他者が死のうが一切替わらず世界は回り続けるし誰も困ることは無いです。
そもそも他の生物的な観点で見るのならチェルノブイリのように人が離れたおかげで自然豊かになり野生動物にとっての楽園にもなるでしょう。
人間は誰しもが自分の命は大事なもので、尊いと感じていますが実際は儚く大した物ではないのが現実なのです。
僕は人生とは終了予告されてるオンラインゲームに似ていると思います。
多くの人は終了予告されてるゲームで頑張ってレベル上げしたり努力することは無いと思いますが、人生も一緒で努力しようが結局最後は無になってしまう意味のないことになると思います。実に虚しいですね。
そう考えると人生はいつ死のうが関係なく自殺するのも勝手で生きて頑張るだけ無駄だという思考に陥りそうですね。
また、何食わぬ顔で乗ってるバスや飛行機でも運転手がわざと死のうと思えば乗客も全員纏めて死ぬことだって出来ます。
車だってちゃんとした交通ルールを守る人がいるおかげで成り立っていますがいつぞやの秋葉の事件のようにやろうと思えば車で突っ込んで歩行者を殺すことなんて簡単でしょう。
人間は一定のルールによって守られていますが人の命なんて本当に儚いものです。
こういう事実に気づいてしまうと「じゃ努力するだけ無駄だから自殺したろ、周り巻き込んで死んでもいいや、どうせ逮捕されようが遅かれ早かれ皆死ぬんだし良いよね」みたいな思考になりかねないのできっと死について詳しく触れた教育は無いのが現実なのでしょう。
こういう話ばかりしていると本当に自殺する人が出てきたりテロを起こすような人が出てきそうで怖いですが、そのくらい命は儚くしょうもないものだということを理解してほしいのです。
現代の日本では医療の進歩により寿命が一昔前の倍伸び、戦争が無い為戦死することもありません。
法整備も進んでいるので他殺も中々起こらず、先人達のおかげで食べてはいけないものや危ない場所なども事前に知ることが出来ます。
そのことを理解し、本来は命は儚くしょうもないものであることを忘れないことこそが人生を楽しむコツだと思います。
私の周りではくだらない人間関係に悩んだり、仕事して飯食ってうんこして寝てを繰り返す人間も多くいますが人生一回きりなのにそんなつまらない人生で本当に良いのでしょうか?
折角現代医療やルール作りのおかげで長く生きれているのに限り有る生をしたくもない仕事等に大半を費やすのは少々馬鹿らしい気がしますね。
近未来では機械の発展により労働のほとんど要らない世界がやってくると思いますが、その世界から見れば私達は相当惨めでやりたくもない仕事を嫌々してる可哀想な世代になるでしょう。ちょうど私達が奴隷制度を憐れむように。
ちなみに今まで散々ボロクソに死後などのオカルトを徹底批判しましたが、神のような意思ある何かはいると思いますし人間は特別な存在だと思っています。
冷静に考えれば「所詮人間なんて大雑把に言えば元素の集合体だし死ねば土に還って地球の一部になるだけだしな」とは思いはしますがそれだけでは納得できないことは多くあります。
むしろ科学的見解で考えれば考える程、神のような思考を持った何かがいないと納得できない事が多くあります。
少し小難しい話をしますが、まずそもそもこの地球という環境が存在していること自体が本当に天文学的確率であるという話は一度くらいは聞いたことあるかも知れません。
プールの中に時計の部品を入れて水をかき混ぜたら偶然時計が出来ちゃったって例えもありますがまさにそれといった感じに学習すれば学習するほど、地球というありえないほどのご都合主義の環境の存在に驚かされます。最近なろう系という小説に大してご都合主義だのなんだの批判する人が多くいますが地球はそんななろう系を圧倒的に凌駕するほどご都合主義の塊です。尤もその環境にあうように生まれてきたと言われればそれまでですが、だがその理屈だけでは火星でも月でも太陽でもそれに順応出来る生物が生まれてきてもおかしくはないです。つまり生物とは地球のような環境下にだけしか存在し得ない特別な存在であると言えるでしょう。
また、生物の体は誰かが作ったとしか思えないほど完璧にデザインされています。
小さい頃から何故人間には無駄な臓器や無駄な物がついてないのか不思議でした。
例えば腕が三本あって、一本は誰も動かすことが出来ない等の無意味さがあっても良いと思います。
何故頭蓋骨は硬いのか、何故腕は有るのか、何故胸は膨らむのか等、全部誰かが作ったとしかいいようがないほど完璧に理由のあるデザインなのです。「脳みそは最も大事なパーツだが残念ながら頭蓋骨は柔らかくおまけに体を激しく揺らすと頭蓋骨が脳みそに刺さって死にます。」みたいな愉快な構造にはなっていません。
「脳みそは大事だから頭蓋骨っていう硬い骨で守るように設計したろ」みたいに誰かが意図して設計したと考えた方が納得できるのです。
(最近知りましたが僕のような考え方に似たものにインテリジェント・デザインというものがあるらしいです。似てないとこも多いけど)
なので僕は死後の世界とかは信じてはいないし、そもそも死ぬことを都合よく正当化する為に使われた側面が大きい以上死後の世界なんて無いとは思っていますが創造主はいると思っています。
神というと正確には語弊がありますが意志のある何かが介在しているとは思っています。それこそが我々の言うところの自然の本質なのかも知れないですね。
ただ、世間一般で言うような神がいるとは一切思っていないし、現在の人間にさほど干渉しているとも思えないし愛しているとかも一切思っていません。「全ては自然発生です」という意味不明な話が理解できないだけでこの世界を作った何かは確実にいると思います。石がそこに転がってる意味は誰も説明できないけど頭蓋骨が硬い理由は多くの人が説明できます。それが自然と非自然の差です。
仮にもし神がいて人格のようなものを持っていたとしてもきっと僕らがゲームを作りバーチャルな世界を見るように、神も僕らを見ることは出来るが僕らが神を知覚することは無いでしょう。
そして僕らが躊躇いも無くゲームの敵を殺すように神も僕らが死のうが一切の興味を示すことは無いでしょう。
いきなりですがビジネスにおいて儲かるコンテンツってなんだと思いますか?
答えは日常生活において欠かせないものです。
例えば人間は皆食事をするので食品産業はいつの時代でも需要があります。
他にも性についてやお金についてほとんどの人にとって需要があるものは当然金銭に結びつきます。
日本人にはあまり馴染みはありませんがその中でも死を利用する宗教はかなり需要の高いものだと言えると思います。
宗教の発展については諸説ありますが、歴史を見る限りでは宗教はあまり良い使い方はされていません。
例えば国の設けたルール以外にも誰かが規律を守らせる為に用いることも有りましたし、戦争への言い訳に使われることも非常に多かったようです。
当然人は生物である以上、死への恐怖に怯えているので死と隣り合わせの戦争に行きたがる者は中々いませんでした。そうした時に宗教が栄え、戦死することで天国に行けると教え込むことで皆喜んで死んでいきました。
つまり宗教には少なからず死への恐怖を悪用した洗脳効果が十分にあるのです。
死とはそれほど恐ろしく誰にでも平等に訪れるものなのです。
話は一旦それますが、そもそも宗教において「○○しないと極楽にいけない」とか「信仰心がないと天国に行けない」等、これらの規律は完全に人間が作り出した嘘であり神は一切関係ないとよく感じます。
僕は学生の頃からいくつかの宗教について勉強してきましたが、どの宗教でも「人間は弱き者である」と謳っておきながら、いるかどうかあやふやな神の存在を信じさせる神なんていないのではないでしょうか
熱心な信者に刺されるかも知れないけど本当に神がいるのなら「いるかどうかはわからないけど果たして自分の存在を信じきれるかな〜w信じ切った君はなんと死後に極楽に連れて行っちゃうぞ〜w」なんて頭の悪そうな事しますかね?
もしもいるのなら相当性悪で狂った神だと私は思いますが。。
本題に戻りますが人間である以上ほとんどの人は「死後の世界はあるのか?」と一度は疑問に思ってると思います。
ぶっちゃけ僕は神のような意思のある何かはいると思っていますが(理由後述)死後の世界は無いと思っていますし、仮にあったとしてもそもそも素敵なところではないと思っています。
まず第一に皆さんの感情はどこからきているのでしょうか?当然脳みそです。
死後の世界について考察すると大抵の人は生死についてばかり考察しますがそもそも僕らが楽しいと感じてるのも全て脳があってのおかげなのです。仮に死後の世界があったとしても現世に肉体は置いていくのです。これはもはや一切身動き取れない植物人間と同じような状況と一緒ではないでしょうか。
生命活動してはいるけど考えることは出来ない動くことも出来ない。
そもそも皆様は死ぬのが怖いのでしょうか?恐らく死ぬこと自体が怖いのではなく死ぬと物事を考えれなくなることが怖いのでは無いでしょうか? 死ぬことだけが怖いのなら、あなたは永遠の生を引き換えに植物人間としての人生でも歩めますか?きっと嫌ですよね。
植物人間だって生きてます。立派に生きてるし肉体だって健在です。もし魂が存在するのなら魂だって宿っていることでしょう。
でも植物人間は嫌なんですよね?じゃ魂があろうがなかろうが脳が上手く動いてない状態自体に恐怖を覚えているのでは無いでしょうか。
第二に僕らの考えは常識や経験によって成り立っています。
それは当然物理法則や現世における環境等が主となっています。
つまり死後の世界が仮にあったとし、仮にそこで思考が出来たとしても今までと全く違う環境を受け入れて暮らしたいと思えるのでしょうか?
例えば日本等の先進国に住んでいる人にいきなり「お前生涯ジャングルで暮らせよ」と言っても皆拒絶するでしょう。これは逆も然りでジャングルやアフリカの過疎地に住む人々も先進国で暮らしたいとは思っておらずルールなどに縛られることでストレスを感じることでしょう。
同じ地球の中ですら移住は嫌がるのに果たして死後の世界での生活(?)を受け入れることは出来るのでしょうか?
皆生きてる上で楽しみはあると思います。
例えば人に好かれてる自分が好き、愛しい人といれることが好き、美味しい食べ物が好き、酒が好き、ゲームが好きetc..
果たして死後の世界にも同じものがありますかね?
もしかしたら考えることが出来たとしても真っ暗な身動きの取れない部屋でずっと辛い気持ちを味わうだけかも知れませんね。
僕はそんな悲しい世界にいくくらいなら何も思考できなくなっても良いと思っています。
僕は死んだら大体の人の予想通り"無"になると思っています。
無になるとは考えることも出来ず苦しむことも喜ぶことも出来ず、怖いと思うことも無いと思います。
よく例として死後の世界は真っ暗闇だと言う人がいますが、真っ暗闇だなんて語弊のある言い方ではないでしょうか?闇であることすら知覚出来ず何も無かったことになるのでは無いでしょうか?
先程も述べましたが自我や感情なんて脳から出てくるものなんで僕は仮に死後の世界があったとしても恐らく喜ぶことはないでしょう。
GANTZみたいに死んだ瞬間にどこかに転送されて肉体があるまま永遠の時を生きれるのなら別ですが…
あまりこういうことは書きたくはないのですが、そもそも僕らの存在というものは思った以上にちっぽけだし人は簡単に死にます。
例えば偉人ならともかく100年前に誰が生きていたのかなんて一々把握していないし、今現在生きてる人ですらほとんど把握出来ていないでしょう。
自分に一切関係ない他者が死のうが一切替わらず世界は回り続けるし誰も困ることは無いです。
そもそも他の生物的な観点で見るのならチェルノブイリのように人が離れたおかげで自然豊かになり野生動物にとっての楽園にもなるでしょう。
人間は誰しもが自分の命は大事なもので、尊いと感じていますが実際は儚く大した物ではないのが現実なのです。
僕は人生とは終了予告されてるオンラインゲームに似ていると思います。
多くの人は終了予告されてるゲームで頑張ってレベル上げしたり努力することは無いと思いますが、人生も一緒で努力しようが結局最後は無になってしまう意味のないことになると思います。実に虚しいですね。
そう考えると人生はいつ死のうが関係なく自殺するのも勝手で生きて頑張るだけ無駄だという思考に陥りそうですね。
また、何食わぬ顔で乗ってるバスや飛行機でも運転手がわざと死のうと思えば乗客も全員纏めて死ぬことだって出来ます。
車だってちゃんとした交通ルールを守る人がいるおかげで成り立っていますがいつぞやの秋葉の事件のようにやろうと思えば車で突っ込んで歩行者を殺すことなんて簡単でしょう。
人間は一定のルールによって守られていますが人の命なんて本当に儚いものです。
こういう事実に気づいてしまうと「じゃ努力するだけ無駄だから自殺したろ、周り巻き込んで死んでもいいや、どうせ逮捕されようが遅かれ早かれ皆死ぬんだし良いよね」みたいな思考になりかねないのできっと死について詳しく触れた教育は無いのが現実なのでしょう。
こういう話ばかりしていると本当に自殺する人が出てきたりテロを起こすような人が出てきそうで怖いですが、そのくらい命は儚くしょうもないものだということを理解してほしいのです。
現代の日本では医療の進歩により寿命が一昔前の倍伸び、戦争が無い為戦死することもありません。
法整備も進んでいるので他殺も中々起こらず、先人達のおかげで食べてはいけないものや危ない場所なども事前に知ることが出来ます。
そのことを理解し、本来は命は儚くしょうもないものであることを忘れないことこそが人生を楽しむコツだと思います。
私の周りではくだらない人間関係に悩んだり、仕事して飯食ってうんこして寝てを繰り返す人間も多くいますが人生一回きりなのにそんなつまらない人生で本当に良いのでしょうか?
折角現代医療やルール作りのおかげで長く生きれているのに限り有る生をしたくもない仕事等に大半を費やすのは少々馬鹿らしい気がしますね。
近未来では機械の発展により労働のほとんど要らない世界がやってくると思いますが、その世界から見れば私達は相当惨めでやりたくもない仕事を嫌々してる可哀想な世代になるでしょう。ちょうど私達が奴隷制度を憐れむように。
ちなみに今まで散々ボロクソに死後などのオカルトを徹底批判しましたが、神のような意思ある何かはいると思いますし人間は特別な存在だと思っています。
冷静に考えれば「所詮人間なんて大雑把に言えば元素の集合体だし死ねば土に還って地球の一部になるだけだしな」とは思いはしますがそれだけでは納得できないことは多くあります。
むしろ科学的見解で考えれば考える程、神のような思考を持った何かがいないと納得できない事が多くあります。
少し小難しい話をしますが、まずそもそもこの地球という環境が存在していること自体が本当に天文学的確率であるという話は一度くらいは聞いたことあるかも知れません。
プールの中に時計の部品を入れて水をかき混ぜたら偶然時計が出来ちゃったって例えもありますがまさにそれといった感じに学習すれば学習するほど、地球というありえないほどのご都合主義の環境の存在に驚かされます。最近なろう系という小説に大してご都合主義だのなんだの批判する人が多くいますが地球はそんななろう系を圧倒的に凌駕するほどご都合主義の塊です。尤もその環境にあうように生まれてきたと言われればそれまでですが、だがその理屈だけでは火星でも月でも太陽でもそれに順応出来る生物が生まれてきてもおかしくはないです。つまり生物とは地球のような環境下にだけしか存在し得ない特別な存在であると言えるでしょう。
また、生物の体は誰かが作ったとしか思えないほど完璧にデザインされています。
小さい頃から何故人間には無駄な臓器や無駄な物がついてないのか不思議でした。
例えば腕が三本あって、一本は誰も動かすことが出来ない等の無意味さがあっても良いと思います。
何故頭蓋骨は硬いのか、何故腕は有るのか、何故胸は膨らむのか等、全部誰かが作ったとしかいいようがないほど完璧に理由のあるデザインなのです。「脳みそは最も大事なパーツだが残念ながら頭蓋骨は柔らかくおまけに体を激しく揺らすと頭蓋骨が脳みそに刺さって死にます。」みたいな愉快な構造にはなっていません。
「脳みそは大事だから頭蓋骨っていう硬い骨で守るように設計したろ」みたいに誰かが意図して設計したと考えた方が納得できるのです。
(最近知りましたが僕のような考え方に似たものにインテリジェント・デザインというものがあるらしいです。似てないとこも多いけど)
なので僕は死後の世界とかは信じてはいないし、そもそも死ぬことを都合よく正当化する為に使われた側面が大きい以上死後の世界なんて無いとは思っていますが創造主はいると思っています。
神というと正確には語弊がありますが意志のある何かが介在しているとは思っています。それこそが我々の言うところの自然の本質なのかも知れないですね。
ただ、世間一般で言うような神がいるとは一切思っていないし、現在の人間にさほど干渉しているとも思えないし愛しているとかも一切思っていません。「全ては自然発生です」という意味不明な話が理解できないだけでこの世界を作った何かは確実にいると思います。石がそこに転がってる意味は誰も説明できないけど頭蓋骨が硬い理由は多くの人が説明できます。それが自然と非自然の差です。
仮にもし神がいて人格のようなものを持っていたとしてもきっと僕らがゲームを作りバーチャルな世界を見るように、神も僕らを見ることは出来るが僕らが神を知覚することは無いでしょう。
そして僕らが躊躇いも無くゲームの敵を殺すように神も僕らが死のうが一切の興味を示すことは無いでしょう。
2018.09.06 (Thu)
最近SNSの発達により手軽に多くの人と関われるようになり利便性が上がった反面、狂った恋愛観を持ってる人が増えたと感じます。
恋愛に苦しむ人は多くいますがこの記事を読めば恐らくほとんどの人の恋愛観を正常に出来ると思います。
出来れば女性に可能なら大事な娘の教育にも記事を読ませてあげてほしいです。
びっちが批判される理由
何故びっちが批判されるのか?という単純な理由から説明したいと思います。
まず人は恋愛を繰り返せば繰り返すほど世間一般的に理想な恋愛とは異なる考えになることを理解しなくてはいけない。
付き合って別れて付き合って別れてを繰り返してる人がいるとします。
その人は当然ながら一回目の恋愛に比べて、「また別れるんだろうな」「また捨てられるんだろうな」という考えが根付いてしまい相手のことを真剣に愛すことができなくなります(一回目に比べて)
すると人間の心理には『愛された分だけ愛す』という法則が有る為、そういう臆病さが相手に伝わってしまい相手も真剣に愛してくれなくなっていくのです。
この心理は「自分が捨てられたら怖い」という保身に基づくものであって、自分の可愛さのあまり相手を傷つけているのです。
「何故自分は真剣に愛されないの?」「何故浮気されるの?」「何故遊ばれるの?」「何故大事にしてもらえないの?」と思ってる人は多くいますがそれらは全部自分のせいだということを世の人は知らないのです。
そんな臆病で「もし別れたら」なんて考えてる全力じゃない気持ちに誰が全力で答えてくれるのでしょうか?
あなただったら嫌われるのが怖いから素直な気持ちを隠して言いたいことも言わない取り繕っただけの上辺を愛しますか?
よってびっちは悪なのです。もちろん必ずしも悪だとは思いませんし割り切って快楽を楽しんでいるのならそれで良いと思います。その人の人生なので。
だけど世間一般論で言うのなら当然悪なのです。世間一般で悪なことを選ぶのなら一々他人に「びっち」だとか「気持ち悪い」とか言われたくらいで傷つくのはお門違いだと思います。そのような道を選んだのは誰でも無く自分自身なのだから
究極の恋愛
恋愛の究極は自分に限りなく近い他人を作り出すことだと思います。
例えば恋愛をする時に「もしかしたら」と不安に思う時は辛くないですか?
相手が何を思ってるのかわからなくて怖いという思考は尤もだと思います。相手のことを好きだからこそ失いたくなくて不安になるのは当然の心理だし相手が大事だからこそ失いたくないわけです。
それは当然相手の知らないところがあるから怖いのであり、相手の心が読めていれば怖いって思うことも無いですよね?
別の例として自分の汚い感情とかを好きな人に見せるのが怖い人も多くいますよね?
嫌われたくないから自分の汚いところを見せたくない人もいます。
自分はこのような人を仮面女子と呼称していますがまるで可愛い仮面をつけて素顔を隠すことで仮面を愛してもらおうとすることからこのように命名しました。
すっぴんを見せたがらない人も然りこのように自分の汚いところを隠す人は多くいるように感じます。
さて例示はここまでにして本題に戻りますが、
例えば自分が老夫婦だとして自分の旦那に「すっぴんなんて見せれない//」とか思いますかね?
老夫婦というのは凄いもので「そろそろ旦那がお茶を飲みたがるな」という予測をしてお茶を出す老夫婦を見たことがあります。
この能力者さながらの行動は長年連れ添うことにより相手のことを深いレベルで理解し合えてるからこそ起こることだと思います。
もっと身近な例で言うのならあなたは好きな人にとって良いことがあったら嬉しくないですか?好きな人が悲しむことがあったら悲しくないですか?これは相手の感情をまるで自分の感情かのように"共感"することで起こる現象です。
また例えば結婚することにより財産も共同になります。旦那さんが昇給して生活が豊かになったら自分も楽できて嬉しくないですか?
つまり恋愛の究極というのは苦楽を共にして相手と自分を同義に近づけることを指すのだと思います。
好きだから綺麗に見せたいって気持ちはよくわかりますがそれは所詮上辺だけの関係であり本来の恋愛の理想形とは遠くなってしまいます。本当に相手のことが好きなら自分のことを全部包み隠さず話してそれらを受け入れてもらいましょう。
あなたの好きな人はその程度も許容できないような奴なんですか?その程度の人なら捨てたほうが良いでしょう。相手の悩みを受け入れて自分も一緒に悩んでくれる人を選びましょう。それが恋愛です。
例えば自分に借金があったとして自分の借金を受け入れずに捨てる奴はその程度の愛情なんです。自分の借金のことを話しても一緒に返済プランを考えて一緒に節約して頑張ってくれる人を選んでください。
寂しさを埋めるだけの恋愛は無価値
よく寂しいからという理由で恋愛を繰り返す人がいます。
そういう人に限って振られた時に傷ついていますがそれはおかしいだろってつっこみたくてしょうがないです。
簡単に飽きたり簡単に捨てるような人を選んだ自分が悪いのに相手を攻めるのは間違っています。他人のせいにしてばかりでは人は成長は出来ないのです。
そこら辺におちてるような恋愛観の緩い異性なんて付き合ってもすぐに別れるのが現実です。
手頃な異性なんて価値がないから簡単に手に入るという現実を受け入れなくてはなりません。
なのに世の人々は「今回の相手は運命の人ではなかった」とメルヘンチックなハッピーな考えをしていますがそんなことはないのです。あなたが手頃に手に入る低価値な異性を選ぶからあなたは大事にされないのです。
また、手頃な異性を選んでいる時点で自分もそれらと一緒の手頃な人間であるということを自覚してください。
あなたは無価値に等しいのです。
よくTwitterとかを見てると「自分は負け組だから仕方がない」という思考のメンヘラ系女子をよく見かけますが勘違いしないでもらいたいのは無価値な道を選んだのは自分自身であることも、無価値な道から戻ろうとしてないのも自分自身であることを理解しなくてはならない。
基本的に人の価値は平等である。正常な人間であればどんな人でも基本的に恋愛はするし生殖機能は一律して有る。
では、何故自分にさほどの価値がないのか?それは自分自身で価値を下げるような行動を繰り返しまともな人から相手にされなくなっているからという現実を理解して欲しい。
特に若さに甘えて恋愛をしている人が多すぎる。
若いからという身体的な価値で恋愛をしている人が多いですが、果たしてあなたが歳をとっても愛してもらえると思いますか?
歳を取れば当然ルックスも衰え価値も当然下がっていきます。
若さに甘えて若さだけが売りの体にしか価値がない人間になっていませんか?
もし、あなたの好きな人に対して自分よりもルックスの優れた人が言い寄ったらどうなりますか?不安になりますか?
もし不安になるのなら多分あなたの価値は大したことがないか相手が無能かのどちらかでしょう。
そんな異性であれば誰でもいいような相手と付き合っておままごとのような恋愛をしていないでもっと自分のことを全て愛してくれる人を選んでください。
そもそも寂しさという感情は悪ではない。そこも理解をしておきましょう。
例えば今の日本人が100円もらうのとスラムの子供たちが100円をもらうのだと嬉しいのはどちらでしょう?
人は生きてるからこそ死ぬのが怖いのです。寂しいという感情があるからこそ幸福という感情があることを理解しましょう。
好きな人と話せなくて寂しいから他の人に寂しさを埋めてもらうのなんて汚くて間違った恋愛です。
我慢して寂しい思いをいっぱいするからこそ相手と話した時に価値が高まるとは思いませんか?
恋愛も一緒で誰からかまわずびっちしていたら本当に好きな人の価値が下がってしまいます。
我慢することを覚えましょう。寂しいという感情も人間にとって必要な感情なのです。
何度も言いますが寂しい時があるからこそ幸せな気持ちがあるのです。寂しくなくて常に幸せなら人は幸せなんて感情を思わなくなるでしょう。それともあなたは毎日空気の有り難みを常に感謝し続けている人間なのですか?
まだ黒歴史を作って無駄に時間を浪費しているの?
よく元彼元カノの話をすると黒歴史過ぎて話せないという人を多く見ますがそれは異常であるということを認識しなくてはなりません。
ここまで読んだあなたならわかると思いますが軽い恋愛なんて黒歴史を作るだけで本当に価値がないことなんです。
自分の感性を腐らせるし、まともな異性にはびっちくさいと思われて相手にされなくなるし良いことが全くありません。
将来出来る自分の子供や結婚相手に言えないような恋愛はするのはやめましょう。
また、同じく片思いを嫌がったり恥ずかしがる人もいますが何も恥ずかしくないです誇るべきことでしょう。
仮に好きになった人が「ずっと好きな人がいたんだけど叶わなかった。けど6年も片思いしてた」って人と「今まで30人くらいと付き合った」って人だったらどっちの方が長続きすると思いますか?
前者なら「片思いで6年も続いたなら両思いの自分ならもっと続く」
後者なら「自分も別れる31人目になるんじゃないか」って考えると思います。
だったら将来本当にずっと一緒に居続ける人に気持ち悪がられないように大事にされるように黒歴史を作るのはもうやめましょう。
もう既に黒歴史だらけの皆様はご愁傷様です。残念ながら過去はもう変えられないし、隠したらその程度の隠し事有りきのクソみたいな恋愛しか出来ません。きっと互いに不安だらけの恋愛になるでしょう。人間は自分が隠し事をしていると相手のことを信じれなくなる生き物ですからね。
でも過去は変えれませんが未来は変えれます。
不良の更生物語が美談とされるのと一緒で、過去に誤ちが多くてもこれから変わっていけばいいのです。
黒歴史はここまでにしておくのが良いでしょう。
最後に
好きな人は消耗品ではありません。
自分のために貴重な人生の時間を使ってくれる素敵な人です。
その相手に恥じないように素敵な人になってその人を幸せにして自分も幸せにしてもらいましょう。
「お前みたいな人と付き合ってもらって相手に申し訳なくないの?」って自問自答しても胸を張って「申し訳無くないね。誰よりも本気で大事にしてるし本気で努力してるから」と言えるような人間になってください。
少なくとも両親や将来出来る子供に言って恥ずかしいような恋愛はするべきではないです。
ちなみに本当は脳についての恋愛化学等詳しい話も書きたかったのですがいつも通り書くのに飽きたので今日はここまでです!
恋愛に苦しむ人は多くいますがこの記事を読めば恐らくほとんどの人の恋愛観を正常に出来ると思います。
出来れば女性に可能なら大事な娘の教育にも記事を読ませてあげてほしいです。
びっちが批判される理由
何故びっちが批判されるのか?という単純な理由から説明したいと思います。
まず人は恋愛を繰り返せば繰り返すほど世間一般的に理想な恋愛とは異なる考えになることを理解しなくてはいけない。
付き合って別れて付き合って別れてを繰り返してる人がいるとします。
その人は当然ながら一回目の恋愛に比べて、「また別れるんだろうな」「また捨てられるんだろうな」という考えが根付いてしまい相手のことを真剣に愛すことができなくなります(一回目に比べて)
すると人間の心理には『愛された分だけ愛す』という法則が有る為、そういう臆病さが相手に伝わってしまい相手も真剣に愛してくれなくなっていくのです。
この心理は「自分が捨てられたら怖い」という保身に基づくものであって、自分の可愛さのあまり相手を傷つけているのです。
「何故自分は真剣に愛されないの?」「何故浮気されるの?」「何故遊ばれるの?」「何故大事にしてもらえないの?」と思ってる人は多くいますがそれらは全部自分のせいだということを世の人は知らないのです。
そんな臆病で「もし別れたら」なんて考えてる全力じゃない気持ちに誰が全力で答えてくれるのでしょうか?
あなただったら嫌われるのが怖いから素直な気持ちを隠して言いたいことも言わない取り繕っただけの上辺を愛しますか?
よってびっちは悪なのです。もちろん必ずしも悪だとは思いませんし割り切って快楽を楽しんでいるのならそれで良いと思います。その人の人生なので。
だけど世間一般論で言うのなら当然悪なのです。世間一般で悪なことを選ぶのなら一々他人に「びっち」だとか「気持ち悪い」とか言われたくらいで傷つくのはお門違いだと思います。そのような道を選んだのは誰でも無く自分自身なのだから
究極の恋愛
恋愛の究極は自分に限りなく近い他人を作り出すことだと思います。
例えば恋愛をする時に「もしかしたら」と不安に思う時は辛くないですか?
相手が何を思ってるのかわからなくて怖いという思考は尤もだと思います。相手のことを好きだからこそ失いたくなくて不安になるのは当然の心理だし相手が大事だからこそ失いたくないわけです。
それは当然相手の知らないところがあるから怖いのであり、相手の心が読めていれば怖いって思うことも無いですよね?
別の例として自分の汚い感情とかを好きな人に見せるのが怖い人も多くいますよね?
嫌われたくないから自分の汚いところを見せたくない人もいます。
自分はこのような人を仮面女子と呼称していますがまるで可愛い仮面をつけて素顔を隠すことで仮面を愛してもらおうとすることからこのように命名しました。
すっぴんを見せたがらない人も然りこのように自分の汚いところを隠す人は多くいるように感じます。
さて例示はここまでにして本題に戻りますが、
例えば自分が老夫婦だとして自分の旦那に「すっぴんなんて見せれない//」とか思いますかね?
老夫婦というのは凄いもので「そろそろ旦那がお茶を飲みたがるな」という予測をしてお茶を出す老夫婦を見たことがあります。
この能力者さながらの行動は長年連れ添うことにより相手のことを深いレベルで理解し合えてるからこそ起こることだと思います。
もっと身近な例で言うのならあなたは好きな人にとって良いことがあったら嬉しくないですか?好きな人が悲しむことがあったら悲しくないですか?これは相手の感情をまるで自分の感情かのように"共感"することで起こる現象です。
また例えば結婚することにより財産も共同になります。旦那さんが昇給して生活が豊かになったら自分も楽できて嬉しくないですか?
つまり恋愛の究極というのは苦楽を共にして相手と自分を同義に近づけることを指すのだと思います。
好きだから綺麗に見せたいって気持ちはよくわかりますがそれは所詮上辺だけの関係であり本来の恋愛の理想形とは遠くなってしまいます。本当に相手のことが好きなら自分のことを全部包み隠さず話してそれらを受け入れてもらいましょう。
あなたの好きな人はその程度も許容できないような奴なんですか?その程度の人なら捨てたほうが良いでしょう。相手の悩みを受け入れて自分も一緒に悩んでくれる人を選びましょう。それが恋愛です。
例えば自分に借金があったとして自分の借金を受け入れずに捨てる奴はその程度の愛情なんです。自分の借金のことを話しても一緒に返済プランを考えて一緒に節約して頑張ってくれる人を選んでください。
寂しさを埋めるだけの恋愛は無価値
よく寂しいからという理由で恋愛を繰り返す人がいます。
そういう人に限って振られた時に傷ついていますがそれはおかしいだろってつっこみたくてしょうがないです。
簡単に飽きたり簡単に捨てるような人を選んだ自分が悪いのに相手を攻めるのは間違っています。他人のせいにしてばかりでは人は成長は出来ないのです。
そこら辺におちてるような恋愛観の緩い異性なんて付き合ってもすぐに別れるのが現実です。
手頃な異性なんて価値がないから簡単に手に入るという現実を受け入れなくてはなりません。
なのに世の人々は「今回の相手は運命の人ではなかった」とメルヘンチックなハッピーな考えをしていますがそんなことはないのです。あなたが手頃に手に入る低価値な異性を選ぶからあなたは大事にされないのです。
また、手頃な異性を選んでいる時点で自分もそれらと一緒の手頃な人間であるということを自覚してください。
あなたは無価値に等しいのです。
よくTwitterとかを見てると「自分は負け組だから仕方がない」という思考のメンヘラ系女子をよく見かけますが勘違いしないでもらいたいのは無価値な道を選んだのは自分自身であることも、無価値な道から戻ろうとしてないのも自分自身であることを理解しなくてはならない。
基本的に人の価値は平等である。正常な人間であればどんな人でも基本的に恋愛はするし生殖機能は一律して有る。
では、何故自分にさほどの価値がないのか?それは自分自身で価値を下げるような行動を繰り返しまともな人から相手にされなくなっているからという現実を理解して欲しい。
特に若さに甘えて恋愛をしている人が多すぎる。
若いからという身体的な価値で恋愛をしている人が多いですが、果たしてあなたが歳をとっても愛してもらえると思いますか?
歳を取れば当然ルックスも衰え価値も当然下がっていきます。
若さに甘えて若さだけが売りの体にしか価値がない人間になっていませんか?
もし、あなたの好きな人に対して自分よりもルックスの優れた人が言い寄ったらどうなりますか?不安になりますか?
もし不安になるのなら多分あなたの価値は大したことがないか相手が無能かのどちらかでしょう。
そんな異性であれば誰でもいいような相手と付き合っておままごとのような恋愛をしていないでもっと自分のことを全て愛してくれる人を選んでください。
そもそも寂しさという感情は悪ではない。そこも理解をしておきましょう。
例えば今の日本人が100円もらうのとスラムの子供たちが100円をもらうのだと嬉しいのはどちらでしょう?
人は生きてるからこそ死ぬのが怖いのです。寂しいという感情があるからこそ幸福という感情があることを理解しましょう。
好きな人と話せなくて寂しいから他の人に寂しさを埋めてもらうのなんて汚くて間違った恋愛です。
我慢して寂しい思いをいっぱいするからこそ相手と話した時に価値が高まるとは思いませんか?
恋愛も一緒で誰からかまわずびっちしていたら本当に好きな人の価値が下がってしまいます。
我慢することを覚えましょう。寂しいという感情も人間にとって必要な感情なのです。
何度も言いますが寂しい時があるからこそ幸せな気持ちがあるのです。寂しくなくて常に幸せなら人は幸せなんて感情を思わなくなるでしょう。それともあなたは毎日空気の有り難みを常に感謝し続けている人間なのですか?
まだ黒歴史を作って無駄に時間を浪費しているの?
よく元彼元カノの話をすると黒歴史過ぎて話せないという人を多く見ますがそれは異常であるということを認識しなくてはなりません。
ここまで読んだあなたならわかると思いますが軽い恋愛なんて黒歴史を作るだけで本当に価値がないことなんです。
自分の感性を腐らせるし、まともな異性にはびっちくさいと思われて相手にされなくなるし良いことが全くありません。
将来出来る自分の子供や結婚相手に言えないような恋愛はするのはやめましょう。
また、同じく片思いを嫌がったり恥ずかしがる人もいますが何も恥ずかしくないです誇るべきことでしょう。
仮に好きになった人が「ずっと好きな人がいたんだけど叶わなかった。けど6年も片思いしてた」って人と「今まで30人くらいと付き合った」って人だったらどっちの方が長続きすると思いますか?
前者なら「片思いで6年も続いたなら両思いの自分ならもっと続く」
後者なら「自分も別れる31人目になるんじゃないか」って考えると思います。
だったら将来本当にずっと一緒に居続ける人に気持ち悪がられないように大事にされるように黒歴史を作るのはもうやめましょう。
もう既に黒歴史だらけの皆様はご愁傷様です。残念ながら過去はもう変えられないし、隠したらその程度の隠し事有りきのクソみたいな恋愛しか出来ません。きっと互いに不安だらけの恋愛になるでしょう。人間は自分が隠し事をしていると相手のことを信じれなくなる生き物ですからね。
でも過去は変えれませんが未来は変えれます。
不良の更生物語が美談とされるのと一緒で、過去に誤ちが多くてもこれから変わっていけばいいのです。
黒歴史はここまでにしておくのが良いでしょう。
最後に
好きな人は消耗品ではありません。
自分のために貴重な人生の時間を使ってくれる素敵な人です。
その相手に恥じないように素敵な人になってその人を幸せにして自分も幸せにしてもらいましょう。
「お前みたいな人と付き合ってもらって相手に申し訳なくないの?」って自問自答しても胸を張って「申し訳無くないね。誰よりも本気で大事にしてるし本気で努力してるから」と言えるような人間になってください。
少なくとも両親や将来出来る子供に言って恥ずかしいような恋愛はするべきではないです。
ちなみに本当は脳についての恋愛化学等詳しい話も書きたかったのですがいつも通り書くのに飽きたので今日はここまでです!
2018.08.22 (Wed)
昔同じような内容の記事を書いた気がするけど、今日はたまたま仕事中にこのようなことを実感することがあったのでそれを出来る限りわかりやすく例を交えて説明していきたい。
とある3人の医者が討論しているとします。
お題は昨今で流行りの「炭水化物抜きダイエットの有用性について」です。
A「炭水化物抜きダイエットは効果があるよ。何故なら炭水化物を摂取することにより血糖値が上がり太るから炭水化物を抜けば太る理由を排除できるよね。」--①
B「確かに炭水化物を摂取することにより太るし、抜くことで痩せることは認めるよ。でも炭水化物を抜くと脳に栄養がいかず体に悪いよね?」--②
A「炭水化物抜きダイエットというのはそもそも完全に抜くわけではないよ。ライザップでも一日に50gは摂取するように言ってるよ?更に人体には糖新生という仕組みがあって糖質以外の物質から栄養を作りだすことが出来るんだ。」--③
C「確かに糖新生然り炭水化物抜きダイエットでも脳に問題はないということは間違いないね。ただ、糖質を取らないことにより腸内環境が悪くなって太りやすい体が出来てしまうというデータも有る。短期で見た場合は炭水化物抜きは有用であると思うけど長期で見た場合は炭水化物抜きダイエットが有用であるとは言えないんじゃないかな?」--④
それらの根拠の信憑性や有用性の定義はとりあえず考慮しないで順番に会話を見ていきましょう。
まず①の時点で「炭水化物抜きをすることで痩せる。」という知識を知りました。
この時点で大抵の人は「炭水化物抜きをすれば痩せる。ソースは医者」という固定観念が身につきます。
①の情報しか知りえない人は大して調べもせずに「炭水化物は悪だ」と決めつけて例えばツイッターで「ダイエット中に炭水化物食べるとか阿呆かよw」と言ったりもするでしょう。これがよくいる偏った知識で決めつけるキッズです。
仮に④まで理解できている人が「炭水化物抜きは効果があるだろうけど、長期で見た場合問題は有るだろうね。」と呟きます。
それに対し理解度の低い人は「はあ?炭水化物抜いてれば痩せるに決まってるだろw」と決めつけます。
この時厄介なのが①の話だけを聞いた人は医者という専門的な立場の人間をソースとしている為に間違っている可能性を考慮しないのです。
このように実際に①しか知らない人と④まで理解できてる人の間にはかなりの知識の差があるのです。
だけど基本的に④まで理解できてる人は②、③の說明までしたがることはないのです。
むしろこの程度の内容だったらわかりやすく解説することも出来ますがもっと深く難しい内容だったりした場合①しか理解できてない人に説明し切ることは不可能に近いと言っても過言ではないでしょう。
最近ネットをやっていると無性にこのような経験をすることが多いです。
それも今の例で言う①しか理解してない人に文句を言われるならまだしも根拠が一切無いか完全に破綻しているレベルの人が非常に多いです。
僕が配信をしたがらない大きな理由の一つにリスナーの低レベル化が有りますが、先程の例で言うところの④まで理解している配信者がリスナーに対し「炭水化物抜きダイエットは有用とは言い切れないよね」と発言するとリスナーから「は?馬鹿じゃねえの炭水化物は太る原因だから悪に決まってんだろw知ったかしてんじゃねえよw馬鹿w」と無学な発言をされるかもしくは、①~③まで正しく理解してるわけでもないのに「そうだよね!炭水化物抜きダイエットは有用とは言えないよね!そのとおり!」という謎のイエスマンだらけだからです。
少し観点を変えますが、「そもそもこの根拠が果たして有用なのか?」という問題も当然あります。
先程のやりとりは信憑性を考慮しないという前提の元に成り立っていましたが、本来なら上記のような例だけではなく「本当にその根拠は正しいのか?」という問題や「そもそも有用性という言葉の定義はどこからどこなのか?」という問題もありますね。
最近ネットをやっていてよく思うのが評価する側のはずのリスナーが昔よりも更にまともな評価が出来てないなって思うことが多いです。
明らかにそれは固定観念で有り、根拠がなかったり主観をさも当然のように語っていてもそれが違うと気づけるレベルの人は中々いないのです。先程の例で言うところの①まで理解できてる人はいっぱいいても④の段階まで理解できてる人は中々いません。
良い例として最近よく聴く謎の阿呆のテンプレの「主観で語って何がいけないんだよ」という話もあります。
討論のルールで「主観を共通認識のように語ってはいけない」というものがありますがそれを理解できてない人はかなりいます。それどころか「そんなルールどこに書いてあるんだよw」とまで言ってくる人もいます。
今回の本題とは異なるので主観と客観についての說明は省きますが、主観で喋ったらまともな討論にならないということが理解できないのは論理的思考がまともに出来ていない。もしくは主観という言葉を履き違えているの二択でしょう。
このように賢い人と浅学者では思考がかなり異なります。
ですが勉強していないから過ってしまうというわけでは有りません。
先程のような例は仮に①の知識しか無かったとしても「炭水化物」の性質自体にも目を向け調べようと判断したり、大して知識がないのにわかった気になって語るのはやめよう。と気づければ問題ないのです。
主観や無根拠の話についても論理的な思考力がまともであればそもそも勉強することがなくても間違えることも無いでしょう。
ただ、一番の問題は有る集団において④まで理解している人が極少数で①しか理解してない人が大多数だった場合④が批難される場合がほとんどだからです。
ではその場合④は②~④までをわざわざ説明しなければいけないのでしょうか?それも仮に説明するという労力を割いても理解できない人も多くいるでしょう。
挙げ句その場合集団心理が働いて①しか理解してない集団は「炭水化物は悪じゃないと思ってる馬鹿いるらしいw」と共通認識を持つことにより自分たちの考えが確固たるもので間違いがない。むしろ炭水化物が悪だと思ってないのは勉強不足か負けず嫌いだから認めたくないだけだと自分の考えを疑わなくなっていきます。
「自分たちの考えは本当に正しいのか?」と疑問を持ち調べる能があればこのような問題は起こりませんが残念ながら大多数の人はこの程度の思考もできないほど馬鹿なのです。
別に無知は恥ではありません。
って書こうと思ったけどこういう言葉も「本当に無知は恥ではないのか?」と疑うことも覚えてください。
ちなみに僕は無知は恥ではあるかもしれないけどそんなことを言いだせば赤子は全てにおいて無知だから恥なのか?という話になるし、無知が恥だとしても知らないままだったり調べようとすらしない方が恥だと思うので僕は無知は恥と言うほどのことではないと思います。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という言葉もありますしね。
とある3人の医者が討論しているとします。
お題は昨今で流行りの「炭水化物抜きダイエットの有用性について」です。
A「炭水化物抜きダイエットは効果があるよ。何故なら炭水化物を摂取することにより血糖値が上がり太るから炭水化物を抜けば太る理由を排除できるよね。」--①
B「確かに炭水化物を摂取することにより太るし、抜くことで痩せることは認めるよ。でも炭水化物を抜くと脳に栄養がいかず体に悪いよね?」--②
A「炭水化物抜きダイエットというのはそもそも完全に抜くわけではないよ。ライザップでも一日に50gは摂取するように言ってるよ?更に人体には糖新生という仕組みがあって糖質以外の物質から栄養を作りだすことが出来るんだ。」--③
C「確かに糖新生然り炭水化物抜きダイエットでも脳に問題はないということは間違いないね。ただ、糖質を取らないことにより腸内環境が悪くなって太りやすい体が出来てしまうというデータも有る。短期で見た場合は炭水化物抜きは有用であると思うけど長期で見た場合は炭水化物抜きダイエットが有用であるとは言えないんじゃないかな?」--④
それらの根拠の信憑性や有用性の定義はとりあえず考慮しないで順番に会話を見ていきましょう。
まず①の時点で「炭水化物抜きをすることで痩せる。」という知識を知りました。
この時点で大抵の人は「炭水化物抜きをすれば痩せる。ソースは医者」という固定観念が身につきます。
①の情報しか知りえない人は大して調べもせずに「炭水化物は悪だ」と決めつけて例えばツイッターで「ダイエット中に炭水化物食べるとか阿呆かよw」と言ったりもするでしょう。これがよくいる偏った知識で決めつけるキッズです。
仮に④まで理解できている人が「炭水化物抜きは効果があるだろうけど、長期で見た場合問題は有るだろうね。」と呟きます。
それに対し理解度の低い人は「はあ?炭水化物抜いてれば痩せるに決まってるだろw」と決めつけます。
この時厄介なのが①の話だけを聞いた人は医者という専門的な立場の人間をソースとしている為に間違っている可能性を考慮しないのです。
このように実際に①しか知らない人と④まで理解できてる人の間にはかなりの知識の差があるのです。
だけど基本的に④まで理解できてる人は②、③の說明までしたがることはないのです。
むしろこの程度の内容だったらわかりやすく解説することも出来ますがもっと深く難しい内容だったりした場合①しか理解できてない人に説明し切ることは不可能に近いと言っても過言ではないでしょう。
最近ネットをやっていると無性にこのような経験をすることが多いです。
それも今の例で言う①しか理解してない人に文句を言われるならまだしも根拠が一切無いか完全に破綻しているレベルの人が非常に多いです。
僕が配信をしたがらない大きな理由の一つにリスナーの低レベル化が有りますが、先程の例で言うところの④まで理解している配信者がリスナーに対し「炭水化物抜きダイエットは有用とは言い切れないよね」と発言するとリスナーから「は?馬鹿じゃねえの炭水化物は太る原因だから悪に決まってんだろw知ったかしてんじゃねえよw馬鹿w」と無学な発言をされるかもしくは、①~③まで正しく理解してるわけでもないのに「そうだよね!炭水化物抜きダイエットは有用とは言えないよね!そのとおり!」という謎のイエスマンだらけだからです。
少し観点を変えますが、「そもそもこの根拠が果たして有用なのか?」という問題も当然あります。
先程のやりとりは信憑性を考慮しないという前提の元に成り立っていましたが、本来なら上記のような例だけではなく「本当にその根拠は正しいのか?」という問題や「そもそも有用性という言葉の定義はどこからどこなのか?」という問題もありますね。
最近ネットをやっていてよく思うのが評価する側のはずのリスナーが昔よりも更にまともな評価が出来てないなって思うことが多いです。
明らかにそれは固定観念で有り、根拠がなかったり主観をさも当然のように語っていてもそれが違うと気づけるレベルの人は中々いないのです。先程の例で言うところの①まで理解できてる人はいっぱいいても④の段階まで理解できてる人は中々いません。
良い例として最近よく聴く謎の阿呆のテンプレの「主観で語って何がいけないんだよ」という話もあります。
討論のルールで「主観を共通認識のように語ってはいけない」というものがありますがそれを理解できてない人はかなりいます。それどころか「そんなルールどこに書いてあるんだよw」とまで言ってくる人もいます。
今回の本題とは異なるので主観と客観についての說明は省きますが、主観で喋ったらまともな討論にならないということが理解できないのは論理的思考がまともに出来ていない。もしくは主観という言葉を履き違えているの二択でしょう。
このように賢い人と浅学者では思考がかなり異なります。
ですが勉強していないから過ってしまうというわけでは有りません。
先程のような例は仮に①の知識しか無かったとしても「炭水化物」の性質自体にも目を向け調べようと判断したり、大して知識がないのにわかった気になって語るのはやめよう。と気づければ問題ないのです。
主観や無根拠の話についても論理的な思考力がまともであればそもそも勉強することがなくても間違えることも無いでしょう。
ただ、一番の問題は有る集団において④まで理解している人が極少数で①しか理解してない人が大多数だった場合④が批難される場合がほとんどだからです。
ではその場合④は②~④までをわざわざ説明しなければいけないのでしょうか?それも仮に説明するという労力を割いても理解できない人も多くいるでしょう。
挙げ句その場合集団心理が働いて①しか理解してない集団は「炭水化物は悪じゃないと思ってる馬鹿いるらしいw」と共通認識を持つことにより自分たちの考えが確固たるもので間違いがない。むしろ炭水化物が悪だと思ってないのは勉強不足か負けず嫌いだから認めたくないだけだと自分の考えを疑わなくなっていきます。
「自分たちの考えは本当に正しいのか?」と疑問を持ち調べる能があればこのような問題は起こりませんが残念ながら大多数の人はこの程度の思考もできないほど馬鹿なのです。
別に無知は恥ではありません。
って書こうと思ったけどこういう言葉も「本当に無知は恥ではないのか?」と疑うことも覚えてください。
ちなみに僕は無知は恥ではあるかもしれないけどそんなことを言いだせば赤子は全てにおいて無知だから恥なのか?という話になるし、無知が恥だとしても知らないままだったり調べようとすらしない方が恥だと思うので僕は無知は恥と言うほどのことではないと思います。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という言葉もありますしね。