トップ > 愛知 > 1月23日の記事一覧 > 記事
愛知ウズラ肉販売の志継ぐ 豊橋の農家・内田さん1周忌で仲間が再開
ウズラ卵の生産日本一の豊橋市で、疲弊する業界を守ろうと希少な国産ウズラ肉の全国展開に奔走していた農家内田貴士さんが昨年一月、肺炎により四十二歳で急逝した。得意先レストランのミシュランガイドの星は合わせて数十を数えるまでになったさなか。一度は生産が途絶えたが、命日の二十二日、地元の仲間がウズラ肉の販売を再開させた。 二十二日朝、町外れの畑地帯にある旧「うずらの里・内田ファーム」で、約五千羽の丸々としたウズラが元気に餌をつついていた。 内田さんが、安価な外国産に押されながらも卵生産に奮闘していた二〇〇九年、飼育中のウズラが鳥インフルエンザに感染した。二十万四千羽を処分する絶望の中、ウズラ肉がフランス料理などでは高級食材としてメイン料理になり、国内の高級店では肉を輸入していることを知った。 鮮度では輸入品に負けない。肉一本で勝負する-。クーラーボックスに肉を詰めては一店ずつ営業に回り、自身も屋台でウズラを焼いた。外国産の二倍の六十日かけて脂やうま味をのせる飼育法も確立し、一六年に名古屋市であった全国の料理人向け飲食会で紹介されると、知名度は一気に全国区に。航空会社のファーストクラスや高級観光列車でも提供され、最盛期には月二万羽余を出荷するなど、採算のめどが立ち始めていた。 しかし昨年、生産から営業までを担う疲労もたたりインフルエンザから肺炎を発症。帰らぬ人となった。あるじ亡き後、ほどなくして生産は止まり、農場は整理されることになった。 事業を継承したのは、同業者として「生前もっと力になれたはず」との後悔を抱く豊川市のウズラ農家塩野谷和昭さん(44)。「彼はウズラ肉をゼロから一にした。彼がともした明かりを守れないウズラ業界でありたくない。採算化に数年はかかるが、食文化を絶やす方が大きな損失だと思った」。販売復活に向け、昨年九月から準備を進めてきた。 販売は、地域ブランド肉の確立へ内田さんと切磋琢磨(せっさたくま)してきた豊橋市の鳥市精肉店が担う。市川勝丸社長(37)は「地元発の新しい食文化を切り開いた内田さんが見ていた夢のその先までもっていきたい」と話している。(問)鳥市精肉店=0532(52)3754 (五十幡将之) 今、あなたにオススメ Recommended by PR情報
| |
Search | 検索