「きょうだい児」が幸せを描けないのは障害児のせい?
根本の責任は親にあり!
「きょうだい児」という言葉に耳慣れない方も多いのではないでしょうか。私自身も今回調べて初めて知った言葉でした。「きょうだい児」とは、障害者の兄弟姉妹のことで、最近ツイッターなどで「#きょうだい児」というハッシュタグが広まっています。ツイートの中には、幼いころから障害のあるきょうだいを支える役を期待され、自分のことを後回しにしてきた不満や、知的障害のいるきょうだいとの現状の生活に対する苦しさから生まれるとげとげしい言葉も含まれており、きょうだい児ではない側からでは想像しきれない辛さを抱えていることがうかがい知れます。
当然のように親のサポートを強要されるきょうだい児
ツイッター上では、きょうだい児としてこれまで送ってきた“いい子でいないといけない”という呪縛を抱えた生活、その上での結婚を綴り、出産、育児を通して“いい子である必要はない”と我が子に伝えたいと思い始めるようになって、呪縛から解放されたと投稿されたツイートがありました。
きょうだい児について深く知らない身としては、夫や子供を通して辛さを乗り越えていけた内容に感動しましたが、苦しんでいるきょうだい児からすれば、「あなた何様ですかという感想しかわいてこないなぁ」、「『じゃあ私と生活変わってよ。幸せになるから』って気持ちすらなります」、「こういう、全てを受け入れているようで、ぜったいしあわせになれるよっ☆なんて夢見がちなこと、タグつけて拡散までして押し付けて、自分を祭り上げて気持ちよくなってるような人に何言われても響きませんな」など、否定的にとらえる人も少なくありませんでした。
きょうだい児であることで何が一番辛いか。親がどうしても障害を持つ兄弟姉妹の方に構わざるを得ず、きょうだい児は幼い頃から障害を持つ兄弟姉妹のために親の愛情も自分の時間も性格までも犠牲になることが定められていることだと分かりました。
明星大学教授で、障害学を専門にしている吉川かおりさんはきょうだい児について、「1人の子どもとしてのニーズが無いものとされてしまい、普通の子供としての普通の発達を認めてもらえない・サポートをしてもらえないことが多く、それが生きていく上での困難に直結してしまいます」と話しています。例え自分が困っていたり、親に助けを求めたい状況であっても我慢しなければならず、障害を持つ兄弟姉妹の世話や、家事を親のサポートとしてすることが当たり前で、自分のことだけやっていれば「わがままだ」と言われてしまう。親からも、周囲からも「良い子」としてあり続けなければならず、高いハードルを課されてしまい、そのハードルを越えられなかったら、自分で自分を責め、自己肯定感が低くなってしまうといいます。吉川さんが挙げている具体的な例があるので少し紹介します。
例えば、母親が夕ご飯の炒飯を作っているときに障害児が花瓶を割って水浸しになったとします。母親はまだ小学生低学年の幼いきょうだい児であっても、「ちょっとこの炒飯を炒めておいて。花瓶を片付けるから」と手伝いを求めます。8歳や10歳の子が一生懸命炒飯を炒めますが、うっかり焦がしてしまう。そうすると花瓶を片付けて戻った母親は「どうするの? あなたのおかげで夕ご飯が食べられなくなったじゃない!」と大抵の場合は言ってしまうのだとか。
仕事で手伝ってもらっているホームヘルパーには言ってもいい台詞かもしれませんが、小学生に言う言葉ではありません。吉川さんいわく、「小学生が大人と同じ責任を担う “にわか” ホームヘルパーをやらされている」ということです。
もう1つ例を挙げると、障害を持つ兄弟姉妹がいじめられていた場合、きょうだい児は、「かばいに行きたい、でも怖い」という両方の思いに葛藤します。葛藤している間にいじめの場面が終わってしまったとします。それを見ていた近所の人が両親に、「お子さんいじめられていたわよ。きょうだいはね、見てただけだったわよ」と話したものなら、両親は烈火のごとくきょうだい児を怒ります。きょうだい児自身も、助けてあげられなかった自分を責めてすごく落ち込んでいるのに、親からも責められると、踏んだり蹴ったりの状態になってしまいます。
「これも普通であれば大人が果たす役割をきょうだい児が“にわか”権利擁護者として振る舞うように期待されている例」だと吉川さんは話します。このようなにわかホームヘルパー、にわか権利擁護者など、本来は大人が果たすような役割を子供の時から課されているきょうだい児たちは、健全な発達にとって大きな重荷になるとされています。
きょうだい児の結婚は困難と言われるけれども…
重荷を背負いながら大人になったきょうだい児たちが次にぶつかるのが結婚の壁です。少し古いデータですが、2008年に障害者福祉の活動を行っている団体が行ったアンケート調査で、「障害を持つ兄弟姉妹の存在によって結婚に影響があった」という回答が30%を占めていました。ツイッターで、読んでいてこちらが苦しくなるほど辛い胸の内を綴った16歳少女の投稿がありました。
「私には障害者の弟がいます。私は障害者の弟が大嫌いです。死んで欲しいと思っています。消えて欲しくて仕方がない。それには理由があります。障害者の兄弟は結婚を渋られるというものをネットで本当にたくさん見ました。また、弟が通っている学校には兄弟全員が障害者という家庭も割といます。だから、私も障害者の子供を産む確率が高いのだろうと思っています。結婚を渋られる原因が自分じゃなく弟にあるって思うと弟に対して憎しみしか感じません。(中略)とにかく今から弟のせいで結婚を諦めなきゃいけないと思うと『死んで欲しい』としか思えません。(中略)『死』という言葉をこんなに軽々しく使ってごめんなさい。でも、本当に、障害者の弟が嫌いで、憎くて、消えて欲しくて仕方がないんです。(中略)不快な内容であることは謝ります。でもこれが障害者の兄弟の本当の気持ちです」
死を願うほど弟を憎み、自分の将来が弟によって潰されることが耐えられないと、16歳の少女に思わせてしまうほどの苦痛は想像では補えないかもしれません。少女のように、障害を持つ兄弟姉妹が理由で結婚ができないことに悩むきょうだい児は少なくありません。結婚したい相手に打ち明けるのも勇気がいります。相手が受け入れてくれても相手の家族が受け入れてくれるかどうか不安で怖くて言い出せないこともあります。また、生まれてくる子供が障害児かもしれないと思うと、結婚はしても自分の遺伝子は残さないと決断する人もいます。
NHKの取材に応えたきょうだい児の男性(37)は、2歳下の弟が重い知的障害と自閉症を抱えています。周りの目を気にしてか、旅行や外食に行こうとしなかった両親のもとで、やりたいことを我慢しながら大学卒業まで生活していました。就職して一人暮らしを始め、これからは自分の時間を大切にしようと思っていた矢先、大学生の時から付き合っていた恋人との別れが訪れました。別れの原因は男性の弟でした。彼女からは「あなたの弟さんのことを受け入れる自信がない」と言われたとか。いずれ弟の面倒を見ないといけないのかと思ったのか、男性はそこまで言ったのは本気で別れたいからだと理解し、別れることに。男性はそのことで弟を恨む気持ちはない、自分が至らなかったから別れを告げられたと思っていると話していました。現在は弟は施設に入所したため、生活上の接点はほとんどなくなったそうですが、弟の存在は男性の家族観に影響を与えているようで、男性は結婚をしたい気持ちはあるが、子供のいる家庭を築きたいという願望はないそうです。母親が弟のことで苦労してきた姿を見てきたので、妻となる人に母親のような苦労をさせる可能性があるくらいなら、夫婦2人だけで過ごしたいと思っていると話していました。
一方で、後に妻となる人に自分の家庭環境を全て打ち明け、受け入れられ、結婚をした男性もNHKの取材に応えていました。重い知的障害の兄がいる男性は、幼い頃から兄を養護学校のバス停まで迎えに行って家で世話をしたり、両親が離婚したことで生活が苦しく、300万円の借金を抱えたため、高校進学を諦めて働き、借金を完済したり、家族のために犠牲になってきた人生を送ってきたといいます。
しかし、自分だけが何もかも犠牲にして働いて、その先に何があるのか。抑えてきた思いが爆発し、母親に縁を切ることを宣言しました。縁を切る手続きについて調べていく内に、縁を切れば自分の身元保証人がいなくなってしまうことに気づき、次第に持続可能な家族のかたちを作る必要があると考えるようになったといいます。公的な支援について調べて、母が働けるように、兄には施設に入所してもらいました。
家族のかたちに変化は訪れましたが、男性の結婚はうまくいきませんでした。10年にわたって交際していた女性がいたのですが、女性の家族が兄のことを気にしていると感じていた男性は、最終的に自ら別れを切り出しました。しかし、その後、転機が訪れ、後に妻となる女性と自宅近くのバーで知り合い、ほぼ初対面の彼女に自分の兄の事や母子家庭で育ったことなどを率直に打ち明けました。女性は、困難にぶつかっても一緒に話し合って乗り越えることができる力がある人だと感じたそうで、女性の両親にも全てを話したうえで結婚に賛成してもらえ、結婚をすることに。男性はきょうだい児の結婚ということに対して、以下のように話していました。
「障害者が身内にいる人には、なおさら恋愛をしてほしいです。自分と家族だけじゃない世界が広がるし、受け入れてもらうにはどうしたらいいか考えていく過程で魅力や強さを手に入れる。そして、受け入れてくれる人がいることも分かる。自分には障害者のきょうだいがいるから幸せになってはいけない、と考えるより、みんなで幸せになるためにどうするか考えてほしい」
きょうだい児は幸せになれない思い込みからの解放
幼少期から我慢を強いられてきた辛さ、自分を犠牲にして親や周囲に良い子であり続けようとしてきた苦痛をきょうだい児が抱えて生きていることを初めて知りました。やりたいこともできず、結婚も難しい。周囲の人が当たり前にできることができないことが、障害を持つ兄弟姉妹のせいだと憎みたくなる気持ちも分かります。
ひとつ疑問に浮かんだことが、「両親に対しては恨んでいないのか」ということです。ツイッターを見ると母親は障害を持つ子供に付きっきりで育児をするけれど、父親は一切手伝おうとしなかったという投稿もあり、父親に対しては「クソみたいな父親」、「頼りないから自分が何とかしなければ」というツイートもありました。何も育児に参加しない父親に対して怒りはあるものの、母親に対して怒りや憎しみがあるというツイートはあまり見かけませんでした。障害を持つ兄弟姉妹を憎む気持ちも分かりますが、根本問題は親にあると思うので、親を憎む気持ちがあってもいいのではと思います。おそらく親を憎めないのは、障害を持つ兄弟姉妹の育児で苦労してきた姿を見てきたからなのでしょう。
しかし、我慢の生活を強いてきたのは障害を持つ兄弟姉妹ではなく、その子につきっきりになって他の子供に手が回らない上に、自分の大変さを分かち合って協力することが当たり前、障害を持つ兄弟姉妹を親と一緒に守るのが当たり前と強要してきた親です。「障害を持つ兄弟姉妹ではなく親を憎むべきだ」ということではありませんが、親の愛が受けられなかったのは親の責任でもあるということです。確かに障害児は付きっきりで面倒をみないといけないので親も他の子供に愛を与える余裕がないことは理解できます。それでも、自分達の子供は障害児だけではないのです。きょうだい児がどれほど我慢して良い子を演じているのか気づくべきです。それも親としての責任です。
理想は障害児もきょうだい児も分け隔てなく愛することですが、親も人格完成者ではないので障害児で手一杯になることは仕方ないことでしょう。おそらくきょうだい児はそのことを分かっているので親を憎む気にはならないのだと思います。それでも、子供としての当然愛されるべき時期に愛を受けられないことは苦しいことで、大人になってからも苦しむこともあります。
きょうだい児のこうした苦悩を取り除けるのは、障害者の兄弟姉妹が亡くなることではなく、親がこれまで苦労させてきたことを謝り、感謝を伝えることではないでしょうか。これまで我慢してきた子供達はもう親の愛情は受けられないものだと思い込みます。親には自分が苦しんできたことは話そうとしないでしょう。しかし、もうこれ以上耐えきれないと縁を切ると言い出すことも考えられます。そうならないためにも、きょうだい児のことを親がもっと考えてあげて欲しいものです。
また、きょうだい児も幸せになりたいと思う気持ちがあるのなら、その願いを諦めないでもらいたいです。今は確かに大変な生活でしょうが、今の生活を変えたいと願うのなら障害児の兄弟姉妹を憎んだり、自分のこれまでの人生を嘆いたりすることをやめて、何か今の生活を変える打開策がないか模索してみてください。難しい壁にぶつかることも考えられます。それでも変わりたい、幸せになりたいと願うなら、足掻くしかありません。
きょうだい児でも結婚して幸せな家庭を築いた人もいます。今は自分とは関係ない、幸せの価値観を押し付けるなと思うかもしれませんが、誰でも幸せになりたいという願いは持っているものです。自分の願いをないがしろにしないで大切にしていけば、自分が求める幸せを探し出すことができるはずです。どうすれば幸せになれるのか、生活を変えられるのか、それを考え、実行できるのは家庭の中できょうだい児だけだと思います。
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