(岡目八目)NO4
世間を斜に構えて見直すと、見えなかったものも見えてくる

「秋の日はつるべ落とし」(2008。9。24)

秋分の日近くになると、午後6時には暗くなる。
中学生の練習も、午後5時40分には切り上げて、跡片付けに入るようにしている。
ところが、コートブラシをかけたりラインを掃いたりボールをしまうのに
ダラダラやっているので時間がかかり、あたりはどんどん暗くなっていく。

「皆で協力して早くやりなさい。秋の日はつるべ落としだよ」というと
「コーチ、つるべ落としって何ですか?」と聞いてくる。
「なんだ、知らないのか。つるべというのはね・・。まず、井戸は知ってるよね。
その井戸の水を汲むのに・・・」
と説明していると、辺りはますます暗さが増してくる。
そこで「もういいから早くやりなさい」となる。

顧問の先生(国語の教師)の一人がこのやりとりを聞いていて
「今の子達は、ことわざや慣用句、四文字熟語を全くと言っていいほど知らないんですよ。
おじいちゃんやおばあちゃんと一緒に住んでいないし、第一、親達も知らないようですよ。」と教えてくれた。

今はもうないかも知れないが、昔の小学校の教科書に次のような詩が載っていたのを思い出す。

「練炭の 12の 赤い目」

短い言葉の中に、 火の着いている練炭を、じっと見つめる作者の姿と
作者(多分子どもではないかな)の淋しそうな心の中までが想像できてしまう。
良い詩だと思う。

でも、この詩を今の子供達に理解させるのは殆ど不可能な事だろう。
「練炭火鉢」が居間のまん中にあった頃の「時代背景」から説明しなければならないからだ。

またまた「老いの繰り言」になったかな。

「引退」を考える(2008。8。28)

昨日、本市の中体連が、中学1年生・2年生を集めてソフトテニスの研修大会を行った。
この大会は、間もなく行われる秋の「新人大会」に向けてシードを決める意味もあるようだ。

中学校の3年生や高校3年生は、甲子園での高校野球決勝戦が終わる頃に
「引退」と称して部活動に来なくなる。
もちろんその理由は「受験勉強のため」。
ところが、この大会に、某中学3年生の女生徒が、下級生の「応援」と称して来ていたが、
渋谷か六本木あたりによく見るギャルの格好をしている。
「受験勉強」に時間を取られてクラブ活動どころではない・・という雰囲気はみじんも感じられない。

3年生の夏には「引退」すると、その後半年はソフトテニスから離れてしまう。
その間は、厳しい練習やコーチからも離れて、前からやりたいと思っていた遊びやお洒落・お出かけが自由にできる。
もともとそんなにソフトテニスが上手でも好きでもなかった子供達は、
高校へ行ったら二度とラケットは握らない。
なによりの証拠に、本市の高校生を対象とした大会は、参加者がなくて成立すらしないのが現状である。

私の中で「引退」とは、単に現役を退くだけの意味ではなく、
その道の奥義を極めて「功なり名遂げた」人が、燃焼し尽くして惜しまれつつ去るということを意味する。
最近ではプロ野球の桑田真澄やアイススケートの荒川静香などを思い浮かべる。

だから、中学生や高校生が、受験と称してコートに来ない事を「引退」などと言う事は
チャンチャラおかしい 。
私の学校時代には、試験勉強だからなどという言い訳は通用しなかった。
先生は「試験前に勉強するような奴は、普段勉強していないからだ」と言っていたくらいなので
今のように、中間試験や期末試験の1週間前からは部活動禁止などというくだらない制度なんか考えられなかった。

「引退」という言葉の代わりに「敵前逃亡」または「中退」と言いたい。
他にもっと良いネーミングがあったら教えて下さい。

やられた!スキミングに! (2008、6、21)

「もしもし、○○さんですか」
昨日かかって来た電話は、クレジット・カードの会社からだった。
「お尋ねしたいことがあります。5月○日に埼玉県内で19万円程の御買い物をなさいましたか ?」
毎日その日の行動を手帳に記録していたので調べたが、全くそんなことはない。
「していませんよ」と答えると
私のクレジットカードがスキミングによって複製が作られ、それが使われているようだとのこと。
それも、19万円使ったのを手始めに何回にも渉って使われていると言う。

クレジットカードの使い方は人一倍慎重なほうだと自負していたのだが、その自信は一気に崩れてしまった。
毎月送られてくる明細書には必ず目を通して、不審な数字がないかを確認しているし、
第一、ガソリンを入れる時か、インターネットでの買い物や映画の前売り券を買う時、
それと、飲食店での支払い位にしか使わない。(これだけ使えば十分か・・・)
「外国でお使いになったことはありませんか」と言うのだが、この2~3ヶ月にはそんな記憶もない。
外国でスキミングされた場合は、1年とか2年経ってから被害にあう事があるという。
カードの名義は変えてしまうので、店が客にサイン を求めても別の名前になっているので、不審とは思わないそうだ。
どこで、いつスキミングされたか、全く見当もつかない。

カード会社が、不審な使われ方をしているのに気付いて連絡をくれたから良かったが
そうでなければややこしい事に巻き込まれるところだった。
「振り込めサギ」「スキミング」など、自分には関係がないと思っていた事が起きてしまった。

最近のカードは、買い物などをしたらサインの代わりに暗証番号を入力するようになっている。
名義も書き換えてしまうスキミング対策には、この方が有効なのかな。
たしか、私の持っているカードもそうなっているはずだが、暗証番号の入力を求められたことは一度もない。
それに、暗証番号を何にしたか全然覚えていない。コリャ困ったぞ。

「景観を守る」とは (2008、6、2)

大型マンションの建設工事が始まったことから、近隣住民の間で反対運動が盛り上がっている地区がある。
たしかに、このマンションができると、そこへ出入りする車が増え、ただでさえ狭い道路が大変な事になることは予想できる。
反対運動をしている住民にエールを送りたいとは思う。
しかし、この運動の一環として、この辺りの景観はひどい事になっている。

「景観を守れ」という幟(のぼり)や横断幕が随所に見られ、見事に「景観」を壊しているのだ。
他に反対を表明する手段がなく、やむにやまれぬ思いからしているのだろう。
しかし、通りかかった人はどんな気持ちでこれらを見るのだろうか。

昔、この辺りは、由緒ある鎌倉街道に通ずる小道があるばかりの、緑豊かなところであったに違いない。
そこに住宅建設が始まり、各自が思い思いの家を建てた結果、雑然とした住宅地区となっている。
私見ではあるが、「景観を守れ」というスローガンに説得力はないように感じられる。

生まれ育った池袋の西口を、何十年ぶりかで訪れた時
整然とした町並み(あの頃に比べての話だが)を見て
「僕の池袋はどこへ行ったんだ」と寂しくなった。
古都京都やヨーロッパの都市に見られるような整然とした町並みも魅力的だが
浅草や昔の池袋西口のような、あるいは香港の下町のような
ゴチャゴチャとした「景観」も守って欲しいものだ。

許して下さい、「使い回し」
「吉兆」とは違うので・・・
(2008。5。20)

近くの中学校へ、部活動のお手伝いに行くようになって2ヶ月程になる。
部員40人以上が、3面のテニスコートで熱心に練習している。
デコボコでジャリの浮いているコートではあるが
常設のテニスコートを3面も持っている中学校は少ないだろう。
その点は恵まれていると思う。

練習の前に、男子・女子が、それぞれ籠に入っているボールの数を数えておく。
そのボールたるや、数が少ない上に何とも悲惨な姿のものが殆どである。
白いボールなどは一つもない。
「タドンのよう」と言ってわかる人は歳も知れるが
真っ黒でツルツル。空気を入れてもすぐに抜けてしまうものもある。
だから、空気をパンパンに入れておいて、抜けるまでの間に使うという
涙ぐましい使い方をしている。
「こんなボールは捨てたら?」と言うと
「ボレーの練習ならまだ使えます」とけなげな答え。

練習が一段落すると、ボールの数の確認。
「あと4球!!」などの声で、全員がコートの周辺を捜しまわる。
1球でも行方不明だと捜索は終わらず、次の練習に入れない。これに時間がかかる。
中学校の予算などはしれている。
その、少ない予算の中からボールを買うのだろうが
ソフトテニスボールの値段はとても高価だと思う。
一球の値段は硬式テニスの公認球より100円くらい高い。
しかも、最近のボールは表面がすり減るのが早いように感じられるし
新品でもブレている物もある。
箱で買ったときに、一つ一つ調べることはできないので
使い始めてから不良品に気付くことが多い。
工場は中国や東南アジアにあるのだろうか。
冷凍食品ではないので社会問題にこそならないが、ボールメーカーは寡占状態にあぐらをかいているのではないかと疑いたくなる。

何人かの仲間の協力で、社会人クラブで使い古したボールを貰って届けてはいるが
中学のボールを見慣れていると、その古ボールが新品に見えるから不思議。

「ムスコよ、これがパリの朝顔だ!」(2008.3.30)

行って来ましたよ、初めての「おフランス旅行」へ。
ニースからモナコ・プロヴァンス地方、ロワールの古城巡りやらモン・サン・ミッシェルそしてパリ。
安いツアーなので盛り沢山な駆け足旅行。
おかげで、一昨日帰って来たばかりなのに、写真を見返しても「これはどこだったんだっけ?」状態。
記憶がごちゃ混ぜになっています。
どこへ行っても歴史を感じさせる国ではありました。


しかし、私が印象に残ったのは、例によってシ・モ・ネ・タ。
「男子トイレの便器に見るフランス人気質」というもの。
フランスに行かれたことがある男性ならお判りでしょう。
写真の右にあるのが男性用便器、いわゆる「朝顔」
この便器の高さを、左の手洗いと比べて見て下さい。
日本の男性用朝顔の高さと比べると、とんでもなく高いのである。
私の身長は約170センチ。
日本人の身長としてはそんなに低い方ではないと思うが、
この便器で用を足す時には緊張する。
だって、ムスコが朝顔に触れないようにするには
つま先立ちのようにして近付き、
さらにムスコを上に向かせなければ届かないのである。
フランスの、どこへ行っても同じでした。
子供用に、低い位置にも朝顔があるトイレは殆ど見当たらなかったのデス。
背の低い人種(アジア人)などは相手にしないという、フランス人の
「気位の高さが便器の高さ」 じゃないかと勘ぐりたくなった。

日本に帰ってきてから「TOTO」にお会いした時には、ムスコ共々ホッとしましたよ。全く。

ほんやら洞まつり(2008.2.18)

インターネットで「雪まつり」で検索したところ、六日町の「ほんやら洞まつり」という祭りが出て来た。
写真を見ると、秋田や横手市の「かまくら」に似ている。
早速行ってみることにした。
関越トンネルを抜けると、例によって一面の雪景色。
六日町駅前のホテルに寄って予約をし、フロントにいた若い女性に
「ほんやら洞まつり」の会場への道筋を尋ねたがわかりませんとのこと。
事前に六日町小学校の近くということは調べてあったので、そのことを伝えると小学校への道順は教えてくれた。
雪道を歩いて小学校まで行ったが、雪が深くてその先がわからない。
そこへちょうど除雪のブルトーザーがやって来たので運転手さんに尋ねたら、ようやくわかった。
灯りがともっていて、幻想的な雰囲気だ。
「かまくら」と同じような雪の小山が幾つかあり、
中には町の旅館組合の女将さん達がいて
お餅を焼いて振る舞ったり、土地に伝わる昔話の紙芝居を語ったりして
訪れた人をもてなしている。
地酒の「八海山」も無料だ。
「雪女」に変身したギャルはちょっと無気味だったけれど
町を活性化したいという町の思いは十分に伝わってきた。

どうして「ほんやら洞」というのかな。


 

「佐藤琢磨」って知ってます?(2008.2.4)

2月3日に、町田市民ホールで町田市の「市制50周年」を祝う式典が行われ、
私にもソフトテニス連盟代表として案内状が来たので参列した。

近隣の市の市長などのほかに、市内の学校や農業団体・商業団体、その他色々な団体の代表の人で
1、000人ほど入れるホールは、ほぼ満席であった。
お決まりの挨拶が延々と続いたあとで、「佐藤琢磨」さんへの「市民栄誉彰」授与式が行われた。

「佐藤琢磨」さんという人をご存じでしたか?
日本グランプリ5位、アメリカグランプリ3位、その他スペイン・カナダでも入賞したF1レーサーだ。
私は、息子に連れられてではあるが、何回か富士スピードウェイにレースを見に行ったし、
日産スカイラインがポルシェと抜きつ抜かれつしたという伝説のレースを知って
2000GTターボに乗ったのも、自動車レースが好きだったからだ。
今でもテレビでレースが放映されると見ている。
だから、彼の名前くらいは知っていた。
(この写真のレースカーは琢磨とは関係ありません)
彼は、町田市内の小学校、中学校、高等学校に在籍した事があるそうだ。
この日は、次のレースの準備のためにスペインにいるということで
ビデオで市長との会話の様子が放映されただけであった。

ビデオの中の彼は、今で言うイケメンだし、実に礼儀正しい好青年である。すっかりファンになってしまった。

しかし、しかしである。
私の回りに座っていた人たちは「この人知ってる?」「さあ、聞いた事ないねえ」という会話をしていた。
町田市の「表彰規定」を知らないのでなんとも言えないが、
「市制50周年」にふさわしい人が、他にも居るんじゃないかという気はした 。

50年前に、人口が6万人でスタートした町田市は、今や人口41 万人あまり。
この間に、多くの人の努力があっただろうと思う。
ビデオの中で本人も語っていたが、彼は自分の夢の実現に努力したそうだ。
自分の夢を叶えるために活躍したプロスポーツの選手を表彰するのもいいかも知れないが、
町田市全体の発展に尽力した無名の人にこそ「市民栄誉彰」を上げたかったなあという思いが残った式典でした。

神様「稲尾様」が仏様になった!(2007。11。13)
     
(我が家のお宝を鑑定して下さい)

テレビの「お宝鑑定団」という番組をよく見る。
傘立てにしていたような陶器に、ウン千万円の値うちがあると分かったり、
反対に「国宝級」と思っていた掛け軸が二足三文だったりしたときの持ち主の表情が面白い。
それ以上に、鑑定団の人たちの蘊蓄(うんちく)を聞くのが楽しいのである。
この番組を見ていて、我が家にも何か「お宝」がないかと考える事がある。
しかし、家の中を見回してもな~~んにもない。
ただ一つ、妻がどこやらで衝動買いして来た油絵が目についた。
それこそウン十万円したのだという。
妻の説明では、名のある外国の画家の絵だと言うが
私には絵の価値が分からないし、少しも「いい絵」だとは思えない。
鑑定団に出してみようかな。

今朝、衝撃的なニュースが流れた。
あの、「神様 仏様 稲尾様」の稲尾和久が亡くなったそうだ。
和船を漕いで鍛えた強靱な足腰の「ロッキングモーション」投法で
巨人を相手に3連敗後に4連投4連勝の稲尾。
第5戦では自らサヨナラホームランまで打った稲尾。
「高倉 豊田 中西 大下 関口」らの野武士軍団と共に
私の青春のヒーローだった。
日本シリーズが始まると毎日スポーツ新聞を買っていた。
緒戦から連敗した時にはさすがに「もう買うのをやめようかな」と諦めかけたが
その後4連勝。
その時の新聞は、今でも全部保管してある。
今朝、稲尾の訃報を聞いて改めて引っぱり出して見たら
あの時の感激が蘇って来た。
この「稲尾様」が亡くなってしまった。
当時の西鉄の選手の中では最も若いのに残念だ。
シリーズ終了後に、「打撃の神様 川上」が引退した。
野球界の「神様」が、川上から稲尾に引き継がれたシリーズであったとも言える。

この新聞は、私の中ではますます価値が高くなった。
決して売る気はないけれど、お宝鑑定団に出したらいくらの値が付くかな。
「新聞」や「本」などの印刷物は、発行された数が多いので
値が付かないほど安いものらしい。
たとえ値が付かないとしても、私にとっては大切な「お宝」だ。

「神様 仏様 稲尾様 ありがとう そしてゆっくり休んで下さい」


汚いぞ!、「シック」商法(2007。10。22)

左の写真は私が持っている「ヒゲ剃り機」の
それも、「シック」というメーカーのものである。
私は「 ヒゲ剃り機」を集める趣味などは持ち合わせていない。
いつの間にかこういうことになってしまったのである。

普段は電気かみそりを使うことが多いが、
何日か剃らずにいて、無精髭が伸びてしまうと
電気かみそりではスッキリとは剃れないので
ヒゲそり機のお世話になる。

そのうちにヒゲ剃りの「替え刃」がなくなるので買いに行く。
この「替え刃」の値段がビックリするほど高い。
しかも「シック」の「替え刃」だけでも何種類もあるのに、 私の持っている「柄」に合うものが見当たらないことが多い。


左の写真でわかるように、「柄」と「替え刃」の形はそれぞれ異なり
同じメーカーの物であるにもかかわらす規格が統一されていない。
しかも、「替え刃」だけの値段と、「柄」と「替え刃」がセットになった物の値段とは
たいして変わらないのである。
仕方なく「替え刃」だけでなく「柄」とセットになった物を買う事になる。

最近では「2枚刃」「3枚刃」「4枚刃」などが加わって
進歩している事は分かるのだが、
その都度「柄」も買い直さなければならないというのは
消費者にとっては「余計な物」まで買わされていることであり何とも腹立たしい。

後日、息子に聞いた話では「2階建てマーケティング」といって
「 プリンターとインク」「ゲーム機本体とゲームソフト」の関係も同じなのだそうだ。
しかし、「柄」と「替え刃」の規格などは、簡単に統一できると思うのに
儲けのためだけに消費者に余計な物を売り付ける「シック商法」は、「利益一辺倒」がみえみえで、汚いやり方だ。

ばんそうこうが日本を救った(2007。9。27)

去る参議院議員選挙で、民主党が躍進した。
これは、国民が「民主党に期待する」から入れたのではない。
不透明な事務局費の説明が出来ずに自殺した松岡大臣の後任の
赤城大臣の「ばんそうこう」がすべてである。
というより、「ばんそうこう」について聞かれた時の説明の悪さが
国民の反感をかったのだ。
あの時に、赤城さんが
「いやあー、吹き出物が出来てしまって、いい男が台なしなので・・・」
と、ざっくばらんに答えていたらどうだろう。
きっと、あの時程のバッシングはなかったと思う。
それを変に隠しだてをするものだから、直後の参議院選挙に
もろに影響してしまったのである。

その結果、今まで自民党に投票していた国民までが
次善の選択肢として民主党に入れる事になっただけのことである。
民主党の政策を支持したのではない。

しかし、参議院の与党が少数派となった結果
安倍内閣が目論んでいた「憲法改正」「イラク特措法の延長」などがかなり困難になってきている。
今では、福田内閣が後を継いだが、さらにむずかしいと思う。
特に私が注目していた「集団的自衛権の行使」が、ほとんど実現しなくなったのではないかと思う。
憲法をねじまげて解釈して
「友だちの喧嘩には、理由の如何にかかわらず参戦しなければならない」ということになれば
「自衛隊」は堂々と「日本国軍隊」となり、
やがては「徴兵制」までが議論の対象になってくるのは明白だ。
危険な憲法解釈のもと、戦争をする国になりそうなところを
とりあえず歯止めをかけたのは「赤城さんのばんそうこう」だ。
みんなで感謝の言葉を贈りたい。
「赤城さんのばんそうこうよ、ありがとう!!!」

昭和は遠くなりにけり・・・(2007。7。31)

妻と、駅前のビル内に新しく出来たという寿司やにでかけた。
店内は賑わっていて、若い男女の店員が忙しそうに客の応対をしていた。
その中に、「どこかで見た顔だなあ」と思える若者がいた。
しばらく考えたが、ハッとその名を思い出した。
そこで、知らないだろうとは思いながらも、妻に
「あの男の子、誰かに似ていると思うんだけど、誰だと思う?」と尋ねてみたところ
即座に「ボクシングの人でしょう」という答えが帰って来た。
それほど良く似ていたという訳だ。
そう、誰あろう若い頃のファイティング・原田そっくりなのである。
よせばよかったが、寿司を運んで来た時に、彼に声をかけてみた。
「君、ファイティング・原田にそっくりだね。よく言われるでしょう」
すると、返って来た答えは
「誰ですか、その人は?」

聞いた私が悪かった。

ポーン・キングピッチからフライ級のタイトルを奪い
バンタム級へ転向してからのジョー・メデルとの死闘、エデル・ジョフレとの何回かに渉る防衛戦・・・
さらにフェザー級チャンピオンのオーストラリアのジョニー・ファメションとのタイトル戦では
ファメションを14回に倒したのにも拘わらず、主審が無理矢理に抱きかかえて起こすという、
あまりにもひどい「ホームチーム・デジション」で引き分けの判定。
ファメションがチャンピオンだったために、挑戦者の原田の負けとなった。
それでも原田は不満を一切口にせず、お互いの健闘を讃えあう潔い態度に、オーストラリアの観衆が
スタンディング・オベーションで讃えたというヒーロー、ファイティング・原田。
大好きだった。
もちろん、その前の白井義男のダド・マリノやパスカル・ペレスとの世界タイトル戦。
原田以降、歴代最強と言われた「冠鷲(カンムリワシ) 具志堅用高」
その他、海老原博幸、藤猛、沼田義明など
素晴らしいボクサー達がテレビの前の私達を夢中にさせてくれた。

ところが、最近はそのような正統派のボクサーは殆どいない。
「亀なんとか兄弟」などというチンピラどもの試合などは興味も関心もない。
こんなガキどもは早くだれか永遠に葬ってくれ。



百害あって一利無し

家にいたら、外から途切れ途切れに声が聞こえた。
いつもの廃品回収業者かとも思ったが、声に混じってプロペラの音が聞こえたので
「何だろう」と窓を開けて空を見た。
すると、
「こちらは町田警察署です。最近交通事故が多く発生しています。
歩行者の皆さんは交通事故に合わないように気を付けましょう」
と言う意味の内容を、大音量で地上に向けて放送していたのだった。
上空で円を描きながら何度も何度も繰り替えし放送している。
町田市は南北に長いので、どの地区にも聞こえるように
ぐるぐる旋回しながら飛び回っているのだろう。
何度も何度も我が家の上空に飛来した。
うるさくてたまらない。

ヘリコプターに乗ったことがないので、一度乗って見たいと思った事があるが、料金が高くて思いとどまった事がある。
15分で1万円ぐらいだったと思う。
それから考えると、ヘリコプターを飛ばしてのこの「交通事故防止」のキャンペーンにかかる料金はどれぐらいだろうか。
空から聞こえる「事故防止」のメッセージを聞いて
「よし、気を付けよう」と、誰が思うだろうか。
むしろ、「どこから聞こえて来るのかな」と空を見上げて歩く内に、
つまずいたり、車が来るのに気がつくのが遅れたりするのではないだろうか。

まったく「百害あって一利なし」ではないか。

トラックなどが左折するような場合、
「左に曲がります。御注意下さい」
などと、人の声が聞こえたりする。
「御注意」するのは運転手であって、歩行者が「注意」することではないと思う。
同じような考え方で空の上からも
「歩行者たちよ、注意しろよ」
と言われるのは面白くないし、全くもって無駄な出費ではないか。
それとも、町田警察署は金が有り余っているのかい?

表紙に戻る   傍目八目NO3 へ  傍目八目NO5 へ