◇◇大野弾正先生・演奏会批評集◇◇
 
 
 
 

注:大野弾正先生と、此所の管理人である木下正道とは、全くの別人です。お間違いなきよう(間違えやすい)。


◆第二回国立劇場作曲コンクール本選会◆







 第二回の今年から、文化庁との共催という形での開催となった。日本音楽のための創作公演。今年は五四作品の中から六曲が入選作となった。
 まず、一曲目は小野貴史の『トランス・モード』。五つの雅楽器のための作品だが、各楽器が陰陽方位に基づいて、それぞれ異なるトーナルセンターを持ち、笙を中心に双方向へベクトルを発していくなかで、きわめて複雑なアンサンブルとヴィルトゥオジティがひとつの合奏体として収斂する。しかしコンポジションとしての構成は確かなものであったが、エクリチュールとパフォーマンスとの距離が、これまでの小野作品同様今回の作品にも感じられた。
 二曲目は、関一郎の唄を伴う太棹三味線と細棹三味線のための『夢幻』。関は前回に続いての二度目の入選。きわめて伝統的な音楽で、双方の唄によるかけ合いや間合いも手慣れていた。飽きさせることなく聴かせるコツを心得ている。
 三曲目は伊藤高明の一七絃独奏のための『静寂の庭』。音楽自体は起伏に富み、よく書かれていたが、コンセプトがはっきりせず、また、別に箏でなくても良いともとれる音楽。 四曲目は中村滋延の三本の尺八による『鼎(かなえ)』こちらの方は、コンセプトは明快であるが、発音源の境界が不鮮明で、せっかくの呼応が聴きとれなかった。音楽自体は西洋音楽のイディオムの方が強い。
 五曲目は梶俊男り雅楽三管のための『時の紋様(ときのかたち)』。雅楽にないビート感を出すことをコンセプトに作曲されたものらしいが、それは感じられない。構成もなく、延々と同じフレーズがただ繰り返され、変化に乏しい。
 最後は愛澤伯友の二本の尺八と箏、声、語りのための『蘇芳 』。テクストの使用がやや安易すぎるが、伝統邦楽の立場からの革新を貫く姿勢はこのコンクールにふさわしい。間延びすることなく最後まで聴かせた。
 以上六曲の入選作の発表後、特別鑑賞曲として、第一回の優秀作品の真鍋尚之の『呼吸 』。審査員作品として、一柳慧の『うつし』、間宮芳生の『尺八のためのプレリュード第一番、第二番』、三木稔の『秋の曲』が演奏された。その後、審査結果発表となり、優秀作品賞には関一郎の『夢幻』、佳作に小野貴史の『トランス・モード』と愛澤伯友の『蘇芳 』が選ばれた。

(1999年6月30日、国立劇場)

ジョアン・ローレンソ・レベーロを聴くべし







「預言者エレミアの哀歌」ジョアン・ローレンソ・レベーロ

 今、ポルトガルのポリフォニー音楽が流行っている。私の家では・・・。さらに詳しく述べれば、我が家で鳴りものに親しくしているのは私だけなのだが・・・。
 で、なぜポルトガル・ポリフォニーなのかという要因は、当時の中央たるイタリア半島から遠く離れているにもかかわらず、―応ヨーロッバ文明圏内で、モンテヴェルディによる汚れたパロック様式の伝播が遅れたことによる、パレストリーナを頂点とするフランドル=ローマ楽派が、このイペリア半島で昇華された歴史地理的背景に負うところが大きい。また、イベリア半島は長らくイスラムの勢力圏内であり、1492年にキリスト勢力が250年近くかかってようやくイスラム勢力をこの半島から駆逐し、レコンキスタ運動を成就される。そうした状況下で、スペインでは、ローマで修行を積んだクリストバル・モラーレス(1545~1607)や、トマス・ルイス・デ・ヴィクトリア(1548~1611)らによって、16世紀後半にフランドル=ローマ楽派が、この半島にもたらされたのである。で、ボルトガルの作曲家達もまとめてスペイン楽派と学術的には呼んだりするのだが、(さらにウンチクをたれさせてもらうと、ボルトガルは1580年から1640年までスペインの支配を受け、政治的に統合されていた)そして、私もはじめはどっちもの国の作曲家もごじゃまぜで認識していたのだが、マニアックに音盤を集めていくうちに、お気に入りの作曲家はみなボルトガル出身の方々ばかりになってしまったのだ。
 では、ボルトガルの作曲家はといえば、メジャーなところを(というか私が知っている、といったほうがいいかも知れないが)生れた順に紹介すると、デュアルテ・ローボ(156~1646)ただしスペインのアロンゾ・ロボ(1555~1617)とは別人、フライ・マヌエル・カルドーソ(1566~1650)、フィリペ・マガリャンイス(1571~1652)、ジョアン・ローレンソ・レベーロ(1610~1661)、ディオジョ・ディアス・メルガス(1638~1700)といった名があげられる。このなかで、D・ローボとカルドーソはともに「レクイエム」を作曲しているが、どちらもとても美しい佳作である。特にカルドーソのぼうは、浪人時代に予備校をさぼってCD屋の試聴コーナーで出会って、金がないので買わんで家に帰ったら、作曲者名を忘れてしまい、7年後に偶然再会するまで頭を離れなかったほどの名曲である。また、彼等の特徴は、スペインの同様式の作曲家よりもパレストリーナ様式に忠実で、不協和な音は注意深く避けられ、かつ地方ならではの大らかさと素朴な祈りの満ちていることである。
 しかし、レべーロは、生れた時代が少し後ということもあるが、そういった保守的な陣営(スペイン支配の当時、典礼用の音楽はパレストリーナ様式の保守的なポリフォニーによっているか否かを厳密に調査されたという)と伝統の中では異端の人であった。彼は、ジョヴァンニ・ガブリエリに代表されるヴェネツイア楽派のポリフォニー様式をポルトガルに導入した。その様式である複合唱(corispezzati)の手法を国内の書物によって(彼は国外に出たことはなかった)独修し、さらには発展的応用も加えつつ、自作に取り入れていった。また、ジェズアルド一派のマニエリスムに接近するかのような半音階的手法を旋律線に加えることも躊躇しなかった。だが、彼は自作をコマーシャルな路線(当時で言うなら楽譜の出版)に乗せることには全く興味を示さなかったようであり、また、
1755年の震災で未出版の作品の多くが焼失してしまった。そして、今、彼の音楽を耳にすることは、ごく稀にしかない。
国内盤で入手可能なものは、パウル・ファン・ネーヴェル指揮のウエルガス・アンサンブルの作品集だけである。
(Sony SRCR-9342)
 このCDでは「エレミアの哀歌」と「晩課のための詩篇歌集」が収められているが、この「エレミアの哀歌」をぜひ聴いていただきたい、緊張感に溢れた、しかしそれでいて静謐な美しさに貫かれた一流の作品である。冒頭の「かの市(まち)はなどてかくも淋しきや」に始まる、弧を措くような旋律曲線と精綴を極めた対位法的書法のまことに見事な合致!l2分の小品でありながら聴く者を深い感動と崇高な祈りの彼方へと誘ってくれる。こういった装飾を排した均整の美の観照こそ、ポリフォニー音楽を聴く醍醐味である。
 
 

以下続々掲載予定

レギュラートップページへ
 

音量芸術入り口へ