●第二遍「即興原理主義(応用編)」
本部より第二の指令が届き三月末までに原稿を書かねばならなかったが諸処の事情により大幅に遅れてしまった。四月になって家の回りを黒づくめの人物が徘徊するようになった。本部から派遣された密偵に違いない。実情は本部への原稿はいったん三月なかば頃に書き始めたのだが某友人が編集長をやっている某プログレ雑誌から原稿の依頼がどっと押し寄せてきてそれにかかりっきりになって本部への原稿のことはすっかり忘れてしまったのである。密偵の報告如何によっては次に暗殺者が送りこまれるであろう。ある日仕事がらみで新宿の某ライブハウスへ行くといつも見かける密偵とは違う体つきの黒づくめの男を見かけた。その男を見た瞬間私の背骨にぞっと寒けが走った。本部の木下総裁が直直に様子を見に来たのだ。木下総裁とは本部で何度か御目にかかったことがあって異様なまでに巨大化した頭部が強烈に印象に残っている。常人の五倍はあろうかと思われる巨大な頭部がじっとしたままこちらを見つめていた。私は考えるよりも何よりも体が自然に動いて木下総裁の前ではいつくばっていた。
「木下総裁でいらっしゃいますか?」
と呼びかけたが木下総裁は無言であった。
「言い訳をするつもりはありません。ですが一応聞いて下さい。本部への原稿のことは一時も忘れたことはございません。今日このライブハウスに来たのだって遊びに来たのではありません。音量主義を世間に広める為でもあったのです。原稿は書き始めたことは始めたのですが仲々思うようなものが書けず何度も何度も書き直し続けているのです。決して怠けていたわけではないのです。いいかげんな原稿が書けないのです。音量主義はいわば私の第二の故郷です。いや生まれる前からの故郷といってもよいかもしれません。そんな神聖な音量主義にどうして適当な原稿が書けるでしょうか。」
私は口から出まかせをしゃべり続けながら必死になって演技をしていたが涙まで流れた。たかが原稿が遅れたくらいで殺されてはたまったものではないからである。迫真の演技を続けていた私をじっと見ていた木下総裁は一言
「わかった」
と言ってすたすたと去っていった。翌日から私の身辺に密偵の姿は消えおまけに某友人からの原稿依頼の仕事もあらかた終えていたので数日間はぼうっとしたりごろごろしたりしながら呑気に過ごした。現在無職の身分なので何の用事もない日は昼近く一時間ばかりの散歩をした後昼飯を食べていると自然に眠くなるので寝てしまう。夕方目が覚めると銭湯に行くか夕飯を食べに少し外出する。帰ってくると世間はすっかり夜になっている。本部から何の音沙汰もないし原稿を書く気も起きなかったのでそのまま放っておいた。隙な時間は何をするかというと少し昔のアイドルの歌ばかり聞いているのである。最近のベスト3をあげれば裕木奈江、斉藤由貴、田村英里子の三人である。この三人誰も現在歌手活動を全くしていない。斉藤由貴はたまにテレビドラマに出演し、裕木奈江はいきなり写真集を出し世間を少しびっくりさせ映画出演の予定もあるらしいが、田村英里子は全く忘れられてしまったようである。今どこで何をしているのであろうか。結婚でもして幸せに暮らしているのであろうか。誰か少しでも田村英里子に関する情報を知っていたら教えていただきたい。今更何故こんな人達の歌を聞いて感動するのか自分でもよく分からない。家ではジャズやロックや現代音楽など全く聞かなくなってしまった。とにかく先にあげた三人の歌を聞いていると頭も心もとろけるのである。特に裕木奈江のへなへな度よれよれ度はスゴイ。寝る前に聞くとへたな睡眠薬より効くようである。そんなことをしているうちにライブの日になったので西川口へ行った。ライブといっても西川口に住むY君夫婦の家で行う演奏会で第一回は去年の年末に忘年会も兼ねてやはり西川口のY君宅で行ったが、その時は客は五人、今回はY君夫婦と奥さんのT子さんの友人のMさんの計三人だけであった。極めて個人的なライブである。共演者のQ君は昼間は某雑誌の仕事が忙しいので夜になってやってきた。昼は西川口駅前で待ち合わせてY君等とそのままカラオケに行き、「二十一世紀の精神異常者」「あなたならどうする」その他計三時間あまり熱唱した。夜七時過ぎにQ君もやってきて皆で食事をした後ひと休みして演奏を開始した。今回の曲は「太陽をさらいたい」(田村英里子)、「真・ゲッターロボ」「月光仮面」(アニメ版)、「東京ワルツ」「子連れ狼」「仮面ライダー」「夜が明けて」(坂本スミ子の1971年のヒット)「愛よファーラウェイ」(元C・Cガールズの藤原理恵が15歳くらいの時の歌TVアニメダンクーガのテーマ曲)などである。演奏しているうちに私は次第にハイになっていき目つきも尋常ではなくなっていったようである。演奏はおおいに受けて爆笑の渦となったのである。たった三人の客とはいえあれだけ受けるとこちらとしてもやはり興奮する。この時に限らず演奏や運動等を続けているとアドレナリンやらドーパミンやらの諸々の脳内物質が放出されることによってナチュラルハイになることはよくあることである。しかしこのY君宅での演奏会はまた格別であった。Q君との演奏がひとまづ終了したのちやや休んで私はひとりで弾き語りを五曲ほどやった。皆ゆっくりした曲ではあったが私の脳内では色々な物質がどんどん放出され続けていたようである。T子さんの友人のMさんは第一部の演奏が終わった時帰ったので客は三人である。Y君と奥さんのT子さん共演者のQ君である。一時間も爆笑したので皆疲労しているところへ私の力の抜けたへなへなの弾き語りを聞かせたものだから、皆眠りかけていたようであるが私が情感こめて歌うものだから寝ては悪いと思ったのだろううとうとしながらも聞いてくれた。弾き語りで演奏したのはやはり裕木奈江や田村英里子の曲である。現在の私のレパートリーは裕木奈江の曲が24曲、田村英里子の曲が8曲、斉藤由貴が3曲ぐらい、中谷美紀が2曲ぐらいである。全部やったら徹夜どころか次の日の昼ごろになってしまうのでさすがにやらなかったが皆が止めなかったら更に10曲は歌い続けたであろう。それくらい私はハイになっていたのである。脳内物質恐るべしである。グッドマンでの即興演奏などでものった時はやはりハイになって気持ちが良いが単純にさわやかになるだけで夜眠れなくなる、などということはない。しかしY君宅での演奏会でのハイは年末の時もそうであったがかなり異常になるのである。心臓はバクバクしてくるし目はカッと見開き、のどはカラカラになって眠れたものではないのである。この違いはどこから来るのか。客の受け方が違うのもひとつの原因と思われる。グッドマンでの演奏で客が笑いっぱなしということは滅多にないがY君宅では本当に一時間以上も皆笑いっぱなしであった。それから次に演奏の内容が違う。グッドマンではほとんど即興演奏だがY君宅ではアニメの曲やアイドルの曲だけである(ジャズやロックの曲は全くやらない)。この違いも大きいであろう。ちゃんと曲を演奏しなければならぬという適度な緊張感がスプリングボードとなってよりハイになるのかもしれない。
多くのミュージシャン達が早死したり発狂したり廃人になったりしたのが何となく身にしみてわかったのである。あんな状態(もっとすごい状態に違いないが)を毎日毎日続けていたらボロボロにならざるを得ないのである。音楽は実はかなり危険なものなのである。これは音楽のジャンルには全く関係なく全ての音楽にいえるのである。演歌だろうと民族音楽だろうと現代音楽だろうとはやりのアイドルだろうとクラシックだろうとジャズだろうとロックだろうと詩吟だろうと能だろうと皆それぞれにはまり過ぎると地獄が待っているのである。天国に見える地獄が。
文中に出てくる個人名は一部実在の人物とは何の関係もありません。斉藤由貴、裕木奈江、田村英里子は実在の人物です。
斉藤由貴は1984年第3回ミスマガジンか何かで華々しくデビューその後ドラマ「スケバン刑事」でのサキ役なども話題を呼び当時トップアイドルであった。先日某テレビ番組で昭和61年当時のベストテンをやっていて斉藤由貴が4位に入っていて当時の映像を流していたのだがあまりの可愛らしさにぼう然としてしまった。笑顔も完全に笑っているようで瞬間ひきつった感じや、つぶらな黒い瞳が吸いこまれそうなくらいで君一体どこを見ているのと思わずつっこみたくなるような視線のふらふらした感じ全てひっくるめてすごい存在感であった。あんなすごいアイドルが今いるだろうか。あのキャラクターの立ち具合に比べると広末ナンタラだの鈴木カンタラだのはペラペラの紙人形にしか見えないのである。またこの番組の時に岡田有希子が6位ぐらいに入っていたがこちらもすごかったのである。ふりも表情も何だか人形みたいで顔も泣き出しそうだしとにかくカラッポという感じ。何だかヤバイもの見たなあという感じ。全部ひっくるめてやはりすごかった。
田村英里子は1989年に「ロコモーションドリーム」でデビュー。その後2、3曲たて続けにヒット曲を出したがそのあとの記憶というとカレンダーでふんどし姿を見せたくらいしか当時の記憶はない。今無職の身なので午前中たまにテレビをぼうっと見ていると、12チャンネルで金曜日朝八時から「アイドル伝説エリコ」というのを放送していたので、見るとアニメであったがどうやら田村英里子の話なのである。田村英里子がアイドルになるまでの話をアニメでやっているのである。これはかなり珍しいというか見たことがないパターンである。主題歌も田村英里子の曲であるしアニメの中でもデビュー曲の「ロコモーションドリーム」の楽譜が出てきてこれが今は亡きお父さんが娘のエリコの為に作ったという設定になっているので(実際は作詞は田口俊、作曲は筒美京平である)どこまでが本当でどこまでがフィクションなのかよくわからないのだ。しかしおもしろそうなので金曜の朝起きれたら見ることにした。ちなみに今回取り上げた三人の中では歌が最もうまいのは田村英里子である。声のつやもあるし、声質もちょうどよいしほんの少しセクシーでもある。ただ油断していると、えっいまどこ歌ってんの?と思うくらい突然に音階不明の領域に行ってまたすぐ戻ってくるのが特徴である。特に「最後に教えて」という曲がバックの演奏もイントロからしてかなりぶっとんでいて、えっギターのチューニング合ってないよ、という感じだし途中は一瞬マイルスバンドかな思わせるところもあるしで、田村英里子の「最後に教えて~~」と歌うところの音程がまた正体不明でとにかく素晴らしい曲である。この曲を聞くだけでかなりドーパミンや何やらが出てきてしまうのである。他にもバラードなどでは隠れた名曲がかなりあって何度か涙を流しながら聞いたことがある。
裕木奈江は1990年に映画で主演した後92年に歌手デビューした。「北の国から」やクロネコヤマトのCMなど一時はかなり売れっ子だったのだが女どものバッシング攻激にあっていきなり出なくなってしまった。最もはまったといえるのが彼女でアルバムはたぶん全部買ってしまった(それでも6枚ぐらいだが)。とにかく名曲が数えきれないほどある。あのふわふわというかふにゃふにゃというかへにょへにょというかてれてれというか何とも形容しがたい存在感の希薄さが強烈な存在感となっている。人間ではない妖精である。真夜中のひとりぼっちの妖精(うまい!!)という感じなのだ。アルバムとしては今のところ最後のアルバム「水の精」が最も完成度も高いし彼女のボーカルがまたかなり危うい。特に「すっぴん」という名曲はアレンジも演奏も詩の内容も全てひっくるめてパーフェクト(ここ声を大きくすること)である。ジャーマンサイケ風のシンセに重いベースラインがずしりとからみ途中からファズ(古い)だかディストーションで音のつぶれたギター2本がからむあたりはかなりスリリングである。そして裕木奈江の絶望感にあふれたボーカル。どこかへたどり着こうとしてたどりつけない感じ、この曲はアイドル歌謡だプログレッシブロックだというジャンルを超えて歴史に残る(少なくとも私の記憶の中でだけ)数少ない超名曲なのだ。ファウストとかフランクザッパが好きな某友人に「水の精」をMDに録音して進呈したところ、翌日電話がかかってきて「すっぴん」に感動して、昨日からこればかりたて続けにもう30回以上も聞いているよ、と連絡があった。他にも素晴らしい曲はたくさんあるのだがきりがないのでこのあたりでやめるが、ふと思いついたのは斉藤由貴、田村英里子、裕木奈江、皆デビュー曲は筒美京平が作曲してたんですね。ちなみに次回では、いしだあゆみ、西田佐知子、弘田三枝子などについて書く予定(おいおい君々、いつから歌謡曲評論家になったのよ)
これを読んで斉藤由貴、田村英里子、裕木奈江を聞いてみようかなあと思った方、他に中谷美紀、小川範子、木内美歩、加藤紀子、新島弥生、桐島かれん、上原さくら、太田裕美、小川知子、渚ゆうこ、いしだあゆみ、西田佐知子、弘田三枝子、金井克子、大信田礼子、中川亜紀子、木の内みどり、などもございます。
・・・・細田茂美氏は、音楽の現前における真実のみを探究する真の音楽家であり、私にとって唯一無二の、真の「師匠」である。・・・木下正道