細田茂美氏エッセイ


●第一遍「即興演奏に関する論争に終止符」

 原稿を何でもよいから書いてくれと言われたのでまづ頭に浮かんだのは一人の男がひたすら西へ車で走るという設定であったがこれは三枚ぐらい書いていきづまりになって次にひらめいたのはある一人の男のもとに「本部」より原稿を書けという指令が届きこれはすぐに何かを書かねばならぬとその男は色々考えるのだが男は生来文章を書くのが苦手でおまけに家には一本の筆記具も無いことに気づくと男は文房具屋へ行くべく外出するが商店街は休みで一軒も営業していないので呆然としたまま突っ立っていると男の背後に三年前に死んだ新井薬局の元老主人が生き返っているのを発見して今日は「モノイミ」の日であったのだと合点し隣町に買い物に出かける、という箇所まで書き進めたがこれもはたとペンが止まってしばらく煙草を吹かしたり飴玉をなめたり第二次世界大戦中にナチスに殺されたユダヤ系ポーランド人の短編小説の一部をちらちら眺めたりして時をつぶしているともう外は暮れて青かった空が黒くなっておまけに室内も冷えてきたので電気ストーブのスイッチを入れまづ足元から暖めようと身体の向きを変えたり布団の上で楽な姿勢で横になっていると友人から電話があり色々と下らない面白い馬鹿話をたくさんしたまだが今友人の家の玄関の引戸が故障して自由に外出できなくて煙草も買いに行けず不自由してるのは馬鹿話では済まなくて真剣に玄関をすぐ直すことが必要だとは思って電話越しに現在玄関がいかなる状況にあるのか友人に尋ねると細かく説明してくれるのだがまるきり様子が理解できないのでじゃあ玄関の引戸を丸ごとはづしてしまえばいいんじゃないのと云うといやはづすことはできないんだよ困った困った晩飯はうちで食べられるのだがところでうちのオヤジ心臓も悪いし少し心配だよそれよりせっかくだからすこし合わせておきますか合わせるとは私のギターと友人の手許にあるサドゥーという中近東やらの民族楽器とで合奏することなのだが何しろ受話器越しに合奏するので音も聴き取りにくく非常に演奏しづらいのだがそこがまたおもしろいといえばいえるしレパートリーがこれまたおもしろがる人にとってはおもしろいのではないかと思える曲ばかりでちなみに現在練習中の曲目をここに列挙すると「太陽は泣いている」(いしだあゆみ1968年のナンバー)「コーヒールンバ」(西田佐知子)「シルパー仮面」「仮面ライダー」「子連れ狼」(若山富三郎が歌っていた)「北国の青い空」(渚ゆうこバージョン)などまたこの他にこれから挑戦しようと思っている曲は「タイガーマスク」の悲しいエンディングテーマ「明智小五郎」などもあるがサドゥーという楽器は西洋の十二平均率にあてはまらない音階ばかり出るので微妙なメロディーはギターなどでは出せなくてギターと合奏するとより強力に個性が発揮されるようでサドゥーと合奏するとゲラゲラ笑い出してしまうことがよくあるのだがすると演奏をしている当の友人もゲラゲラ笑い出して演奏どころではなくなってしまうが笑い転げるために演奏しているのかも知れなくてしばてつ氏や鎌田雄一氏と即興演奏をしているときでも妙におかしな音が出たり奇妙な身体の動きをしたりして観ている人が思わず笑い出す声を聴いたときはさすがにゲラゲラとまでは笑わないがやはり楽しいことは楽しいのである。
 人は何の為に生きるのか?という疑問は大昔からたくさんの哲人達から泥棒達まであらゆる人々が一度や二度は考えて来たはずだが答えの一つに楽しむ為に生きるという答えがあって楽しむといっても人それぞれに微妙に異なるのである時酒好きな友人から言われたのは酒を飲めないなんて人生の楽しみの三分の一が欠けているのも同様だという科白だったが下戸である身にとっては酒はただの苦しみでしかないので余計なお世話だと思っただけであるし人はそれぞれでそれぞれに楽しむことを見つけて楽しめばよいので他人の苦しみは他人には理解しがたいこともあるし自分が楽しいことは他人も楽しい筈だと決めつける人々が案外この世間には多いようである。私にとってはただ気分が悪くなるだけの酒は論外で即興演奏をしている時間が最も楽しい。
 楽しいといってもただ単純に楽しい時間だけがひたすら過ぎていく場合は少なくて同時に苦しみも味わっている。これは山登りの場合と同じであって山登りが好きな人は山に登るのが好きなわけだが登るには非常に苦労したり足にマメができたり苦しみも味わうが山頂に達した時の喜びは他の何者にも変えがたいので山頂に至るまでの苦しみは又楽しみと分離すること無く一続きに連なっている。即興演奏の場合も何処へ行くのか分からない状態で始める場合が多いが演奏していくにつれ予想もしなかった状況がことのほか楽しい場合というのはこれほど楽しい時間というのは日常生活ではまづ味わえないのではと思えるが実は普段の生活でも友人宅で3人から4人くらい集まって時の経つのも忘れて馬鹿話に熱中していると互いに喋っている言葉のやり取りに加速がついてきて冗談から冗談の飛び具合が意外な展開を繰り広げてまさに即興演奏と同じ状態になる時がある。
 しまいには誰かが何かを言う度に爆笑の渦に包まれ何がおかしいのか理解している暇もなくて単純に笑っているということ自体がおかしくて笑っているという状態になる。こうなると楽しみは狂気に近くなるかもしれないが狂わないと人間は生きていくことができないのでそれぞれ会社に狂ったり恋人に狂ったり勉強に狂ったり宗教に狂ったり戦争に狂ったり国家に狂ったり音楽に狂ったり援助交際に狂ったり子育てに狂ったりして世界中の人々は生きている。
 
 

・・・・細田茂美氏は、音楽の現前における真実のみを探究する真の音楽家であり、私にとって唯一無二の、真の「師匠」である。・・・木下正道
 
 

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