レポーター(以下レ):やっぱり、喧嘩をしに来たのではないんですか。
民族主義者(以下民):我々は、あくまで「粉砕する」または「叩き潰す」という表現を使う。ちっぽけな人間どうしがみじめな小競り合いを起こすような醜悪な現場に立ち会うことを我慢できるほど、我々は鈍感、または暇人ではないつもりだ。
レ:でも、粉砕したり叩き潰したりするためには、やっぱりちからずくっていうか睨み合ったり罵倒したりした後直接な行動に移さない限り、そりは不可能ですよね、それはどのようにお考えですか?。
民:結果として、粉砕し、叩き潰せばそれでよいのだ。方法はあるだろ?喧嘩などして、何の役に立つ?それで、本当に目的を達することができるのか?おおいに疑問だ。喧嘩など見たくない。我々が見たいのは、あくまで粉砕され、叩き潰された結果なのだ。
レ:しかし、そのためにはやはり、どう考えてもそのための切っ掛けというか、手掛かりのようなものが必要ではないですか?最初に言い掛かりをつけ、小競り合いを起こし、それがしだいに大きな喧嘩へと拡大してゆき、両陣営の大規模な闘争へと発展していき、最後には正しいものが・・・まあ、皆さんのことだといいのですが(笑)、こういうプロセスを辿るのが、ふつうの考え方だと思いますが。
民:いま、なんといった?
レ:はい?
民:最後に、なんといった?
レ:プロセスを辿るのが普通だと・・・
民:(遮るように)なんだと?プ、プロセスだと?外来語平気で使いやがって。しかしそれにもまして腹立たしいのは、その言葉の意味そのものだ。貴様、変だと思ったら、やはり根っからの左野郎だな。なにがプロセスだこの野郎、世界を唯物論的に解釈し、史的唯物論、弁証法的唯物論などと哲学の発展などと抜かし、恐慌の不回避性などと言って大衆を不安にし、革命の必然などと称して歴史を一つの発展過程からしかみない頑なな左翼共産主義と同じ言葉遣いしやがって馬鹿野郎、おまえらはこの、所詮暴力革命集団に過ぎないのだこの野郎、この赤、赤豚、赤豚足め、この赤い殺人集団の手先を、おうご希望どおり、血祭りにあげたろうじゃないかい、ええ、ああ、どりゃ?!(おもむろにたちあがり、レポーターにつかみ掛かる)
レ:(殴られながら)あぁ、いたい、ひいぃ・・・うっ、やっぱり喧嘩に来たんじゃないか・・・
終わり・・・