~武満徹における二重協奏曲の位置について~

《序論》
 この論考を起こす直接のきっかけになったのは、或るコンサートで武満徹の合唱曲「風の馬」の彼自身による解説・・・「(中略)私の当初の計画では、このあと、12組の男女が各々に一組ずつ、12カ月の時間の推移をうたい、周りの男女がそれを囃すような体裁のものにするつもりであった(中略)」を読んだことである。私はふと、ここでの「一組ずつの男女」をソリスト、「周りの男女」をオーケストラと考えれば、武満の書いた二重協奏曲の構造に合致し得て、さらには他の多くの作品群を解きほぐすためのヒントが得られるのではないか、と思い立った。すなわち、武満徹の二重協奏曲を、男女の恋愛劇として読むことである。これは決して荒唐無稽な思いつきではない、実際にオーボエ、トロンボーンと2人の指揮者、2つのオーケストラの為の「ジェモー」においては、作品についてそのような解説が作曲者自身によってなされている。ここから解読の対象を他の二重協奏曲にも広げていこうと試みる。そして、結果的には武満徹のあの独特な音楽の肌触りの内側で何が起こっているのかを見つめなおすための確かなツールを手に入れられるのではないかとの期待があるのだ。

さて、武満は多くの二重協奏曲を作曲している。完成年代順に挙げていけば、

1967 ノヴェンバー・ステップス(琵琶、尺八)
1970 秋(琵琶、尺八)
1984 虹へ向かって、パルマ(オーボエダモーレ、ギター)
1972~86 ジェモー(オーボエ、トロンボーン)
1995 スペクトラム・カンティクル(ヴァイオリン、ギター)

 この他にも、複数の楽器による協奏曲としては、「カトレーン(クラリネット、ヴァイオリン、チェロ、ピアノ)」「夢の引用(二台のピアノ)」また、コンチェルト・グロッソとよんで差し支えない「アーク」「夢窓」などもある(特に「夢の引用」は、私にとって武満の最高の作品である)が、この論考では取り扱わない予定である。

まず、これらが作曲年代(完成した時点で)別でいけば三つの時代に分けられることは明確である。すなわち、
ノヴェンバー・ステップス と 秋 (1967~1970)
約15年の間を開けて、
虹へ向かって、パルマ と ジェモー(1984~1986)
さらに約10年の間を開けて
スペクトラム・カンティクル(1995)
ここで指摘しなければならないのは、武満徹の未完の遺作として「ミロの彫刻のように」があり、この作品はフルートとハーブの為の二重協奏曲であったという事実である。つまり武満徹は、三つのかなり隔たった時間の中で、二重協奏曲をそれぞれあたかも双児のように生み出した(最後は果たせなかったが)のであった。三つの時期の内部では、2,3年の時が流れているに過ぎない(オーケストラ作品のように、作曲にそれ相当の時間を要するものであるならば、それらが殆ど矢継ぎ早に構想されたものであろうことは想像に難くない)。そしてその双児性は、各曲の編成(独奏楽器の選択)を見ても同様の事が言えるのである。すなわち、

ノヴェンバー・ステップス と 秋 においては、琵琶と尺八が
虹へ向かって、パルマ と ジェモー においては、オーボエ(ダモーレ)が、
スペクトラム・カンティクル と ミロの彫刻のように においては、撥音楽器(ハープとギター)が

共通項としてあらわれ、しかも年代を経るに従って、その「共通性」がしだいに希薄になってゆく。同楽器の編成から始まり、同型の音域の異なる楽器になり、最後は発音機構が同じ楽器となる、という「変遷」を背負うものにせよ、
 
 
 
 

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