(熱演に励もうとするS.D.。右がイントロダクションで「君が代」を指揮をしているところ、「こ~け~の~~」あたり)
(右)
(左)
岩城宏之指揮、NHK交響楽団の演奏で、国歌斉唱、御起立脱帽の上、前奏無しで一番だけお歌いください
(君が代かかる、指揮する)
御着席ください
あのう、いいですか?今日ここにおられるような、美術や音楽に関心のあられるかたがたなら、間違いなく左ですよ。筋金入り、って言っても良いんじゃあないの?
まあ、どっちにしろ我々人類全体は、歴史上いかなる場面においても、熱烈に奉仕する右か、きっぱりと決心した左かしかありえなかったのですから、21世紀も間じかの今、ここで白黒つけておくのは良いことかも知れません。そのために今日わざわざ乗り込んで来たんですから。
その点については、本当に同感です。議論じゃまけないですよ。
ようし、議論だ!!
(両方)議論、スタート!
(2、3分のコラージュ音楽)
それにしてもやっぱり、この間の国際イベントなんかを見ても、日本人が活躍すると、とても嬉しいっていうか、励まされるっていうか、そういうことはあると思うんですね。
具体的には、どう言う点で日本人で良かったと思うんですか、ぐたいてきにいってください。
やはり日本人で良かったと思いましたよ。具体的に言えないところが良いんです。やはり、経験と、永年の安らぎっていうか、
余りにも抽象的じゃないですか。経験と永年の安らぎってなんですか。今の言葉は全然日本語になってないじゃないですか。右のくせに。経験と、永年の安らぎなんて言っちゃって。そんなの一般庶民には意味が通じないですよ。一般庶民に分かる言葉で説明して下さい。
だからそうやって左はすぐ一般市民とかありもしない幻想を語ってさも国民の信頼を得ようとするこそくな手段に出ようとする、本当にいけないやつらだなあ。革命と言う言葉だって、レボリューションと言う訳語をいれれば、バンド名にまで使われて、歌のタイトルになったりして、そこら中で出て来て、具体性の乏しいほとんどイメージ言語みたいじゃないか。 どうなんだそのへんは。
それは違う。本気の場合は使い方が違う。いきなり一般庶民に革命という言葉を言ってはいけないんだ。
だましだましってことか?左こそ革命なんてこと言って、真の抽象じゃないか。
だから革命って言わないようにしているんだよ。革新とか言ってるんだよ。より良い暮らしとか言ってるんだよ。国民の安全を守るって言ってるんだよ。それが革命ってことなんだよ。
全くのゴリ押しの展開の論理で、本当に困ったものだなあ、知らないうちに革命されてるってことでしょ。
国民の暮らしを守るってことが、即革命であるって所が、君たちと違うんだよ。革命なのに国民の暮らしを守るって言うなんて凄いだろう。
凄いなんて言われれば、そうですねって言うしか日本語的には無理じゃないですか。一種の誘導尋問だな。左お得意の。そうやって多くの人たちを収容所に送ったんだな。これが。
それに、我々のポスターではよく老人や小売り自営業者、小さな子供などが登場するが、彼等は別に共産主義者ってわけじゃないんだ。
お前らは所詮そんなちまちました活字の載ったビラなんかで当たり障りの無い感じで姑息に主義主張をちらちら見せてるだけじゃないか。我々は違う。我々は黒っぽい大きな良く目立つボディと町内全体に響き渡るような音量で、正々堂々と主張しているんだぞ。我々が大音量であると言うことは国民周知の事実なんだ。直接的に関わろうとしているんだ。左も聞いたことぐらいあるだろ、色々歌なんかも作って。良い歌だぞ。
我々にだって歌がある。例えば、紛うこと無き共産主義国家、朝鮮民主主義人民共和国には、偉大な首領様をほめたたえる素敵な歌がたくさんある。ちょっと聴いてみようか。例えば、キムイルソン将軍の歌。な、いいうただろう。
(歌がかかる)
これは殆ど我々の歌に近い。ううン、近い、近いぞ、やろう、いつのまにパクリやがッた。
朝鮮民主主義人民共和国の歌は、あくまで革命の歌なんだ。あくまで本当にそうなんだ。君たちみたいな国粋主義の歌とは、品位が違うし、聴き易いし、良い気持ちになるし、全然違うんだ。つまり、個人崇拝の歌なんだよ。
左って言うのは個人崇拝なのか?国民の為の音楽だろう?個人崇拝をやっていいっていってるなんて、左的にはまずいんじゃないのか、本当にいけないぞ
全然歴史を勉強してないな、歴史主義じゃないな、君たちは、だからダメなんだ。個人主義は、過渡期の社会主義革命なんだよ。個人崇拝をすることによって、共産主義への道を歩むんだよ。まずは個人崇拝なんだよ・・・それから、共産主義なんだよ!!。
わけの分からないゴタク並べやがって・・・皆さん、分かりましたか、今の話。やっぱり、我々は、左には、言葉なんかじゃなくって、実際に痛い目に遭わせてやらないとダメなのかなあ。
我々のことを、暴力革命集団などと言いながら、実際に暴力を振るうのは、いつも君たちだ。言葉の暴力、聞くに耐えないうなり声みたいなやつ、それに卑猥な言葉、ああいうのはいけないと思います。それにあの車からの大音量、子供達がみたら、歌うバスとか、喋るバスとか言って大騒ぎするぞ、本当に大音量主義者だな、・・・大音量、大音量!! (リピート)
言って分からないやつに、痛いめに遭わせてどこが悪い。我々は強いぞ、恐いんだぞ、やるときはやるぞ・・・やはり実際に国を動かしているのは、右なんだ。右が強いことこそ、アメリカ帝国主義を打倒できる唯一の道なんだ。左に任せてしまったら、その唯一の道を無くしてしまう。右の強い国家のことを思い浮かべて見なさいイタリアとか、スペインとか。みな幸せそうにしているし、料理のうまい国が多い。右は良いぞう。
アメリカ帝国主義と戦うと言うのなら、現在その大きな成果を上げている国と言うならば、世界でまず何にもまして、それは真に紛うこと無き共産主義国家、朝鮮民主主義人民共和国である。また歌をちょっと聴いてみよう。(その愛をありがとうございますがかかる)
どう考えても、どう聴いても右っぽい歌だよなあ。
だから、さっきから何度も言っているだろう。革命って言う概念があるから、徹底的に、決定的に違うんだ。やっていることは個人崇拝でも、革命の為にやってるんだ。そして、共産主義を目指しているんだ。君たちのような、自堕落なナショナリズムとは違うんだってこと。
なんだと。
キムジョンイル書記が目指してるのは、輝かしい栄光へのみちなんだよ。君たちには栄光って言う概念がないだろう。共産主義は、そういう強い概念を持っている。
我々にもいざとなったらと言う概念がある。行動すると言う概念もある。つねに居場所を分かりやすくしてい
ると言う概念もある。君たちはなんだね、直接行動という点では、からっきしだめじゃないか。
(コラージュ音楽間奏)
まず人間と言うのは一人から始まってはいるのだけれど、愛する人と出会い、子供を作り、家族を持ち、そして、御近所づきあいや町内が出来て、町や市、県と来て、そして国ができるわけですから、一つの大きなまとまりとして、我々が生きようとする点においてそのようなまとまりがないと、どこからかおかしくなると・・・やっぱり、一番近い結びつきから始まって、一番遠いところまでまとまるって言う時に、右が良いなあ、っていう風に思うわけです。人間の普通からすれば、必ずそう思うはずだけど、どうも少しおかしい人が、書物なんかから左的思想をとって来て、ああだこうだと言う。めちゃくちゃにしてしまう。そういうことに関しては、やっぱりきっぱり反対って言うか、まちがってるってことを分からせるために手とか言葉を使っているので、やっぱり家族は大事だってことをしみじみ思うわけです。
その考えにはやっぱり同意できないわけですね。まずより良い社会を作り、国民の暮らしを守るためにはですね、まず偉大な指導者が必要であると。こう考えるわけです。家族主義、これは右への第一歩です。右はいけません。兎に角、右はいけない。まず偉大な指導者があらわれると。そして、一般庶民はですね、彼に絶対の忠誠を誓い、きっぱりと決心して革命への道を歩むと。拒否するべきは家族主義なんです。例えば、家族内で父親が家族に、革命の説明をすることは出来ません。革命とはなにかってことを普通の父親は説明できないんですね。ですから、偉大な指導者がまずあらわれて、はじめは革命と言う言葉を使わずに、革命と言う概念を浸透させて行きます。家族主義からは革命はでてこないし、革命は家族とは何の関係もないと。ということですね。
(間奏、短かめに)
日本と言うのは日の本と書き、日の登る国であるという意味であって、我々はこの言葉が本当に大好きで、やはりこの国にうまれて良かったなあ、としみじみ思うんですねえ。こういう気持ちを踏みにじることは、本当にいけないことだと思うんですけど、夕日なんか眺めているときに、やっぱり左って言うのは間違っているなあって、そういうときしみじみ思うんですよ。
我々は国境を取り払うことを最終的な目標としているわけだから、つまり全世界左化を目指しているわけだから、いってみれば日が登るのは地球が丸いと言う事実からいえば、どこからでも同じで、地球が丸いってことを右は分かってない。世界中どこでも日は昇ります。つまり世界中どこでも革命が起こると言うことなんです。日本から日が昇るわけじゃないです。地球が自転しているからです。日が昇っているように見えているだけなんですよ。そういう、日が昇る国などと言う非科学的な言説、これをまだ素朴に言っていると言うことで、本当に恥ずかしいと思います。
このやろう・・・国賊・・・・
(間奏、短かめに)
ひとつききたいんだが、左の社会になって、仕事に遅刻したりしたら、どうなる。収容所行きか?収容所行きなのか?収容所、収容所!
全くの非科学的ナンセンスですよ!!労働するってことの大切さを一番しみじみと感じているのが我々左ですよ、
そうやっていって、収容所で働かせるんだろう、父親を収容所に送られた子供はどうなる、学校に行ったら、お前の父さん収容所、お前の父さん収容所、っていじめられるんだ。
我々が知りたいのは、左の社会において収容所があるのか、ないのか、宗教があるのか、ないのか、じさつするものがあるのか、ないのか、ルンペン、ホームレス、とどのつまり乞食がいるのか、いないのか、ということなのだ。
そんなの、あるわけないじゃないですか・・・(自信なさげに)
(間奏、短かめに)
ではここで、右の人生観を教えてやろう、やっぱり人生最大の出来事は、結婚である。私も、可愛い女の子と幸せな結婚をしたいと熱望しているのである。可愛くなくちゃいかん。可愛い女の子と言うのはあまり社会に対して口出しをせず、じっと見守ってくれているものである。基本的には、女の子は家庭に入るべきだと思う。雇用機会均等法などによって、女の子の社会進出がし易くなったなどと言う輩が多くなったが、やはり、わんぱくな子供を作り、国力増強に勤めなければいけないと思う。子供は子供らしく、女の子は女の子らしく、そしてやがては、老人らしくというのがあるが、これこそ、人生の幸せと言うものだと、我々は思うんだな。
全然ナンセンスです。そんなのただ単に家族の定義をしているだけじゃないですか。いかに家族の結びつきが強くても、革命の萌芽は至る所にあるんです。革命の萌芽を優しく育てるのが家庭であり、まず全ては熱烈に奉仕するところから始まりますから、家庭から、地域社会から、自治体からの躊躇うこと無い行動によって、大きな人生の成果を得ることができるのです。これは、永遠に続く素晴らしいものです。女の子も、やがて気付く。わんぱく小僧も、やがて気付く。八百屋のおじいさんも、やがて気付く。晩酌中のお父さんも、やがて気付くんですよ!!
面子やビー玉で遊ぶ美しい子供時代や、仕種の一つ一つまでにメッセージを読み取るような、熱烈な恋愛時代を否定しようというんだな!!
子供達は日々の革命家です。恋愛も革命の一手段ですよ。
・・・一つ聞きたいんだが、革命の原動力にならないような不具者や、病人、それに老人はどうなるんだ!!え、収容所行きか?老人を大切にすると言うのは、右の重要な視点だぞ。老人のお話には、いろんな経験が含まれている。それが子々孫々にまで家庭の中で伝わっていくんだ。左の社会にはどんな話があるって言うんだ?
猿の兄弟とか・・・
猿の兄弟?どんな話なんだ?
朝鮮民主主義人民共和国の指導者、キムジョンイル先生が小学校の植物部の委員のときに友だちに話して聞かせたものです。何カ国語かに翻訳されています。・・・・どんな話しかは、知らないですけど。
そうか、そんな話しがあるのか・・・
(Black Sabbath in)
もしみなさんの中で今日の議論を聞き、左的思想に賛同する方があったら、左としては、まず、大の親友を作ることをお勧めします。親友を見つけることこそ、左になるための必要十分条件なのです。親友を見つけたもの同士は、必ず左になります。
それは、なぜなんですか。
なぜかは分からないんですが、必ず左になります。逆に言えば、左になっていなければ、それは真の親友とは言えないのです。
私の友だちでも、そういう人がいました。熱烈に反対したんですけどねえ。
まず、親友を作り、左になる。こういう親友同士が増えていけば、日本中が左になるし、真の親友も見つけられると言うことで、とても良いと思いました。
これだけは、困ったものだなあ・・・どうしようも、ないものなあ・・・うーん・・・
(B.Sabbath crescendo・・・)