イスラーム基礎知識集。 最多殺人鬼である法人(宗教法神など)を禁じるイスラームの知恵。 クルアーンを捏造するカレイドスコープ。 「二本角=悪魔」はヤソの特徴! 『日亜対訳 クルアーン』
Posted on 2018.09.28 Fri 11:15:42 edit
※長いからイスラーム基礎知識集だけでもお読みくだされ。
そして他のブログにはない貴重情報を見逃してくだされ。
(心理学ってすごい)
今までの記事(漏れがあるかも)
スピ、宗教法人、新自由主義、労働教、拝金主義、
自己実現教(=エリート主義)を否定するイスラームの弱者救済策!
『となりのイスラム』『私はなぜイスラーム教徒になったのか』
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-223.html
万教帰一の道会(儒教的キリスト教)の大川周明も、
スウェーデンボルグ礼賛で初期スピリチュアル推進のブッシュ教授(ブッシュ家)もイスラム研究!
『イスラーム入門 文明の共存を考えるための99の扉』
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-213.html
イスラームの偽救世主ダジャルは右目が見えずイランから来るが、
偶像崇拝の部族に似ているだけでユダヤ教徒ではない!
『イスラーム神学』とカレイドスコープのデマへの反論
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-218.html
逃散=集団引越こそが有効。
西洋がやろうとしているワンワールドは、
イスラームがある限り達成不可能。
カワ(^◇^)ユイ『イスラーム 生と死と聖戦』
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-222.html
イスラームの偽救世主ダジャルは右目が見えずイランから来るが、
偶像崇拝の部族に似ているだけでユダヤ教徒ではない!
『イスラーム神学』とカレイドスコープのデマへの反論
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-218.html
で約束した通り
クルアーン(の翻訳)を読んだのでダジャルについて言及があるか報告する。
カレイドがクルアーンの内容を捏造してデマを流していることが確定した。
ダジャルについての詳細はクルアーンには一切言及されない。
ダジャルを殺すイーサー再臨の根拠は主にハディースであり詳細はクルアーンに登場しない。
”✞煉獄のカレイドスコープ✟ブログより
”クルアーン(コーラン)には、イスラム圏で「ダジャルと呼んでいる反キリストはユダヤ人で一つ目である」と、はっきり書かれています。「一つ目」というのは、何かの象徴でしょう。”
http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-202.html
反キリストは「一つ目」のユダヤ人
は?
調べたらクルアーンじゃなくてハディースからばかりなんだけど?
カトリックのカレイドスコープ(と部下の一人の笑い男)は
ユダヤ教徒だとわざと嘘をついているか、
無知及び解釈能力不足でそうなったか、
そもそも資料が間違っていた、と私は結論。
クルアーンの全訳読んだら報告予定。
ハディースは全文は無理。
”1) The Holy Prophet (SAWS) has informed that Dajjal will be a Jew.”
http://hamditabligh.web44.net/LastTTimes/Zaki/English/dajjal_is_coming.htm
を一部、カレイドが誤訳している。
”まず、CHAPTER 1の「TRADITIONS ABOUT DAJJAL」(ダジャルの言い伝え)を翻訳してみましょう。
1)聖なる予言者は、「ダジャルはユダヤ人である」と伝えている。”
willの意味知ってる?
「~である」(断言)と
「~だろう」(推論含む)だと全然違うだろうが!
ムハンマドだから未来形も確定だって?
でもムハンマドは「人間」だからね?
しかもダジャルがクザア部族の人(ユダヤ教徒ではない)に似ていると言ったのも預言者だからね?
カトリックだからユダヤ陰謀論のために捻じ曲げたのだろう。
偶像崇拝する部族の人に似ているといわれるダジャルが偶像崇拝否定のユダヤ教徒ではないだろう。
あと、仮にクルアーンに明確にユダヤ教徒ってあったら、
ハディースにそれを否定する箇所は出てこないのでは?
あと、カトリックは明確に反キリストだからね?
だって聖書のイエスの言葉を守ってないもんね!
同人誌、二次創作が教義になり、それを否定する聖書の文言は無視だもんね!
イスラームだとハディースがクルアーンより上に来るなんて絶対にないからね!
カレイドがwillを訳し忘れる時点で英語力が低すぎる。
反論したいなら、ダジャルがユダヤ教徒だと明言している記述がクルアーンの何章何節にあるかはっきりと引用して(アラビア語でなくていいです)書いてください。
元の英文がwillなのは、ユダヤ教徒を引き連れている記述から推測されるという意味なのでは?
”
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-257.html
”イーサー再臨の根拠は主にハディースに求められる。
イスラームでは審判の前に
現在のこの世界は終末を迎えると信じられる。
しかしそれがいつかはアッラー以外はわからないと
7章187節にある。
イーサーは空から降臨する。
イーサーが空から降り立つとき
大規模な争いが発生している。
この争いはダッジャール(偽救世主)の軍とムスリム軍のあいだで戦われるものである。
イーサーはダマスカスの東側にあるモスクの白い尖塔に
ふたりの天使の羽に肩を置きながら日の出前に降り立つ。
エルサレム近郊に夕刻に降り立つともいわれる。
そしてムスリム軍に加わり
パレスチナのルッド門にダッジャールを追い詰め殺害する。
ムスリム軍はダッジャールに従っていたユダヤ教徒たちの残党を滅ぼす。
(イスラームでは露骨に
キリスト教>ユダヤ教)
ダッジャール軍が消滅したあとに
地中からヤアジュージュ(ゴグ)と
マアジュージュ(マゴグ)が出現する出来事も生じる。
彼らは凶悪で数が多く地を荒廃させる。
しかしイーサーとムスリムたちの祈りに応え
アッラーは彼らを死滅させる。
ヤアジュージュ(ゴグ)と
マアジュージュ(マゴグ)は
現在地中に生息している野蛮な二つの部族である。
かつて
ズル=カルナインが彼らを地球に閉じ込め封印した。
”
以上の記述はクルアーンにはない。
ダジャルは右目が見えない=左目側
でダジャルの部下がユダヤ教徒(笑)
ダジャル=左目陣営=キリスト教原理主義(聖書維持)
=英米系WASP海賊
イスラーム視点では英米系石油屋陣営がダジャル
カレイドがダジャルを叩いているのは
カレイドが右目系だからかもしれない。
カトリック系だというだけでは右目寄りか左目寄りか判断できない。
エキュメニカル賛成なら右目、
反対なら左目。
おまけ♡
カレイドみたいにならないために皆さんはきちんと書籍で勉強しましょう。
漫画ではダメ。
まんがで読破シリーズのコーランの感想を見たらやばい。
原罪は西方耶蘇概念なのであるわけない。
ハディースとクルアーンを分けていないのか?
混ぜているならデマ本確定。
参考文献にウラマーが書いた本があるの?
アラブの特定の民族には女児を生き埋めにする文化があったことが紹介され、ムハンマドがこうした文化を廃そうとしたことがやんわりと紹介されている。
女性が強力に抑圧されるのは、アラブの一部の文化ってことみたい。
イスラム教自体は寡婦保護などかなり女性を保護する感覚が強いなぁと思う。
ムハンマドが15歳年上の商家の雇い主たる女性から求婚を受けて結婚し、瞑想時に受けた啓示を「アッラーの預言である」と確信させたのがその嫁さんという背景を考えると、女性を女性であるからという理由で抑圧する思想にはならないのは当然かなぁとは思うけどね。
コーラン (まんがで読破 MD133) を読了。とても面白かった。
他の宗教の違いとして、イスラム教は「国家に保護される宗教」ではなく「国家を作り上げた宗教」とされていた。
規範だけでなく、共同体の形成や生活者としての実践に必要なあれこれがとても充実しているのだと。
つまり、イスラム教徒が集団でやってくると、その場所に「新しい国が開かれる」ということになる。イスラム法は独自の法理をもち、他の法理とは交わらない。
このことはよく考えるべきことじゃないかなぁと思った。
……どうしてもダジャレを言いたくて…言ってもいい?
法理はホーリー(holy:聖)。
ここで休憩入りまーす。
峨骨@Chimaera925
最も人を殺す生き物に法人が含まれないのがミソだね。
人が人を喰うとニュースになるが、法人が人を喰って生き残ってもニュースにはならない。
隠れユダヤガーとか言うのに、
隠れキリシタンガーとか、
偽和風キリシタンガーなどとは言わない不思議な人達。
隠れてすらいないって?間違いない
蟹ぢから溢れる
🦀
💪
@onesyotasekai
この世界で一番人を殺した観念は法人・資本主義ですよ
共産主義だの、ファシズムだの、帝国主義だの喚く連中多いが今尚現在進行形で人を殺しているのは法人と資本主義以外にないのです
よくよく考えてみなさいよ…現代の奴隷制度や児童労働等は全部資本国の労働の外部化によって起きているのでしょうに
つーか、やたら頭がおかしい中年増えているけど…
被曝もさること乍ら、会社や社会を親として甘えている人間が妙に多いのではないかと思う
ツイッターで見る、頭のおかしいフェミとかなんかが良い例で社会や会社を我儘言える親と勘違いしているように見える
だから、イスラームは法人を禁止するんよね
核汚染人を見てて思うのは大人になるというのは戸籍・納税的自立を大人・自立すると言っているが
それは会社等を親に再度し直すだけであってそれは一切自立でもないし、大人でもないんよ
大人になるというのは己の中で物格・善悪の基準を持って生きている・生きていけている事を大人になるというんよ
なので核汚染人の殆ど…体感的には8割は子供社会なのではないかと
子供というのは精神的軸を他者の判断下に置いている人達という事であって、生物的なものではない
コレってすげえなぁ、そりゃーまともな感性持っていれば気が狂うわ
あー絶滅しねえかなぁ、虫けら共
えーとねぇ…神棚を拝もうがそこにأيمن 崇拝・崇敬または信心が無ければ良いだけで別に拝む行為自体は問題はない
結局、アッラーに帰依して・ムハンマド(ص) のおっさんを預言者と信じていれば良いのでシルクにならなきゃいいんよ
実際、おいさんは南無を絶対言わんしね
9月29日
人間そのものが危険なモノでしかないから、
人間根絶やし・管理するという発想か一定の思想で統制する発想に至らない時点で
障害者でもないし、思想家でもない
つーか、近代・現代の西欧思想や歴史というのは人類の管理と統制を実験してきた歴史なんだよ
啓蒙主義も工業主義とかも全部その思想が発端
それに…えぐい事を言えば、成人年齢や案件に達していない子達に無理矢理勝手なクソラームを押し付けるのは罪でしかない
だから、おいさんの個人意見としては別に成人に至ってないのだから…好きにさせたらどう?というのがおいさんの考え
故にオナニーを外に撒き散らす事を信仰ではないというのよ
でね、図画工作の時間に似顔絵書こうがそれは偶像ではないし、そこに信仰を発生させるに十分なものではない
ただ、仏像を木で掘ろうとかになると不味いけど…特定の動物以外…
例えば、やらかし牛君とかなら不味いだろうけどそれ以外ならば偶像の案件を満たすものにはなり得るとは考えられない
9月30日
えげつない言い方をすれば村手さんの仰る通り…
へーゲルの弁証法で帰結してしまう世界構造にされてしまった事が失敗の全てでしかないとおいさんは思っている
そして、その世界構造は馬鹿らしい程に単純な暴力に形成されていて、
その暴力は人の描く虚像・偶像によって暴力が維持されているのである
今、おいさんが言える事は
「知らない事・知り得ない事・わかり得ない事について臆病な連中はそれらを消滅させたがる」
で、この現代世界の最大の罪悪・不幸の根源は
啓蒙主義と反啓蒙主義の二分的対立で帰結されてしまうように設計されてしまった事でしかない
コレが全ての元凶そのものでしかない
この発想…厳密には囚われというべきなのであって、別に宗教でもないし、思想と言えるものでもなく、ただの囚われ・虚像と言っても良い
イスラームでは何で口酸っぱく虚像・偶像崇拝をしてはならないと言い続けるのかというと
精神的な虚像・偶像がこの世界を火獄よりも苛烈な火獄にするからである
9月29日
先に行っておくけど
これから先…日本でも「イスラーム研究者」や「イスラーム宗教学者」というのが何れは出てくると思う
但し…その肩書きを持っている人達が「〜が本来のイスラームで…」とか言い始めたり、言ったらあくまでも「彼・彼女が習ったイスラーム上では…」でしかない事を忘れないように
ぐだトマト
@pteras14
ま、元凶はイスラーム先生の言う通り、
組織や法人に人間と同じ人格と人権を
与えたが為に、本物の人間の価値が
チープな存在に成り下がったんだな。
法人はアダムみたいな形状してない
からね。いずれ人類の方を迫害するさ。
中田氏の「神」の定義が中々面白くて、
「神=人間の意志に対して何らかの
強制力を強いる物、命令を下す物」
で、現代の欧米型先進国は
「神=金、
国家、領土、企業」。
つまり、日本語の「法人」は本来
「法神」という綴りの方が正確。
「企業の偶像神化」w
こいつぁ良く考えたもんだぜ!
傑作だ! 個人的にノーベルぐだトマト文学賞を授与したいぐらいw
イスラーム基礎知識とか前置きが長いって?
他の記事読まない人が多そうだから前置きが長くなる。
クルアーンの翻訳の引用だけ書いたら誤読されること間違いないし、
私も誤読している箇所がある。
休憩終わりでーす。
イスラーム基礎知識
・ラーイラーハイッラッラー
(アッラーの他に神はいない)
=唯一の崇拝の対象である創造主
でないものはすべて崇拝や服従するに値しないと信じること
が最重要教義。
・ムハンマドゥン・ラスールッラー
(ムハンマドはアッラーの使徒である)
(ムハンマドは最高にして最後の預言者
(以降の「俺が新たな預言者だ!」詐欺の防止)
以上は信仰告白文でありこの二つの教義は他の教義の大前提
・法人の禁止。
(宗教法人非課税の禁止)
・利子の禁止。
(ヤソ流中央銀行支配の防止)
・キリスト教会のような
教義を決定する教会組織(モスクは単なる礼拝所)も
聖職者(学者は存在する)も
聖職者階級も存在しない
唯一の正統教義を決定する公会議もない。
正しい教義を決定する正当な手続きや資格は存在しない。
よってキリスト教のような正統と異端の二分法的発想はない。
(内心に踏み込み異端審問をすると地獄行き)
・戦闘員(成人男性)以外の人に物理的攻撃を加えることの禁止。
女性と子供を攻撃することの禁止。
コラテラル・ダメージ(やむを得ないまきぞえの犠牲)
については場合による。
剣の節(多神教徒は殺せ)の適用はかなり限定的。
(廃棄された個所かどうか確かめずに
コーランのあれこれが悪だと叩いている者に注意。
いきなりクルアーンを読んでもダメな理由。
クルアーンを原文で読み、
かつ多数派解釈と少数派解釈を学んだ人を情報源にしないと
デマをつかまされる可能性が高い)
・聖典範囲
クルアーン(最上位の唯一神の言葉)、律法、詩編、福音書。
クルアーン以外はオリジナルと異なる(改竄あり)とする(聖書の矛盾を解決)。
翻訳されたクルアーンは聖典ではなく単なる注釈・解釈書。
ムハンマドの言行録であるハディースも重視するがこれは人の言葉。
(ハディースの内容とクルアーンの内容を混同する者を情報源にしてはいけない)
・イエス(イーサー、ヤスーウ)は実在するが、磔になっていない。
・イエスは十字架上で死んでいないので3日後の復活もない。
・イーサーは被造物たる人間であり預言者の一人。
・アッラーは子を産まないので神の子なんてありえない。
・マルヤム(マリア)の処女懐胎で誕生。
・受肉もありえない。
・人間なので神性もない。
・三位一体もありえない。
・原罪もない。
・イエスは生きたまま、肉体を伴い(グノーシス派の否定)、
天に上げられたので今も生きている。
(キリスト教正統多数派の根幹を否定)
・マスィーフ(メシア)たるイーサー(イエス)は
終末(日時不明)が近づくと再臨し偽救世主ダジャルを殺す。
ダジャルはハディースでは右目が潰れているので左目系。
ダジャルがユダヤ教徒とは限らず
ユダヤ教徒ではない部族に似ているというハディースあり。
部下にユダヤ教徒がいる
(イエスの扱いよりイスラームでは
キリスト教>ユダヤ教)
・性の罪悪視はない。
・「偶像崇拝の禁止=像を作るな、偶像を破壊しろ」ではない。
”・偶像=自己の欲望の投影。
クルアーンは多神崇拝の禁止を繰り返し説いているが、
彫像の禁止は明記されていない。
34章13節には、ソロモン王がジン(幽精)に彫像を作らせた、とあり、
古典注釈書はソロモンのシャリーア(聖法)では彫像は許されていた、と述べている。
またハディースのレベルでは
預言者ムハンマドが幼妻アーイシャが人形で遊ぶのを黙認したという真正な伝承の明文が残されており、
イスラーム法は子供の玩具であれば人形を合法化している。
彫像だけでなく動物の絵も禁じるハディースも数多くあり、
預言者ムハンマドがマッカを征服したときに行ったのがカアバ神殿にあった360体の偶像の破壊であったことはよく知られている。
具象的偶像が原則的に禁じられており、キリスト教や、仏教、ヒンドゥー教のような宗教美術がほとんど存在しないのも事実だが、
ユダヤ教の偶像崇拝の執拗な具象化の拒否、造形、彫像の禁止はイスラームでは緩和されている。
むしろクルアーンは具象的な偶像崇拝の禁止を超えて、多神崇拝が虚偽意識の問題であることに目を向けさせている。
「自己の欲望を自分の神とする者を汝らは知っているか」
クルアーン25章43節
「アッラーの他に汝らが崇めているものは、
汝らと汝らの父祖たちが命名したただの名前に過ぎない」
クルアーン12章40節
イスラームでは偶像とは自己の欲望の投影であり、
偶像崇拝者とは自らの欲望を神に祭りあげて仕える我執の虜にほかならず、
唯物論、無神論、無宗教、
法人概念、実体経済を逸脱した拝金主義等も
人間の我執の幻影への隷属、
形を変えた偶像崇拝。”
中田考『イスラーム入門 文明の共存を考えるための99の扉』メモより
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-213.html
幻想の自由と偶像破壊の神話 - 預言者風刺画問題報道をめぐって
中田考(同志社大学神学部教授、一神教学際研究センター幹事)
http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/8220708/www1.doshisha.ac.jp/~knakata/ronbun62.html
”偶像崇拝の禁止は、ユダヤ教、キリスト教、イスラームのセム系一神教全てに共通しており、イスラームだけの教えではない。偶像崇拝が禁止されているとしても、全ての「像」が偶像として崇拝されるとはかぎらない。偶像崇拝の禁止は、「像」を描くこと、彫ることの禁止に必ずしも直結しない。
ユダヤ教とキリスト教が共に聖典とするヘブライ語聖書は、有名な十戒の冒頭で、「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。あなたはいかなる像も作ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形を造ってはならない。」(出エジプト記20:3-4)と述べ、偶像崇拝に限らず、そもそもいかなるものであれ、像を作ること自体を厳格に禁じている。にもかかわらずキリスト教の歴史においては、イエス像、マリア像などの聖像が「偶像」として排斥されることは、歴史的に例外で、むしろ信仰の強化のために積極的に利用されてきたことは広く知られている。
一方、イスラームについては、すでに若林啓史が既に「イスラームに対する通俗的理解によれば、人物などの画像は偶像として厳しく禁止されており、キリスト教の聖像画も例外でなく破壊の対象となる。その結果イスラーム芸術においては植物や幾何学文様、あるいは書による表現が発達を遂げたと説明されている。」(若林啓史『聖像画論争とイスラーム』知泉書館2003、85頁)と指摘している通り、人物の像が全て禁止されているかのような俗説が蔓延している。
聖書において作像の禁止が、戒律の要諦である十戒の冒頭におかれているのに対して、
クルアーンにはそもそも作像の禁止を示す章句は存在しない。
作像の禁止は、ハディースのレベルになり、ハディースのレベルでは、「絵を描いた者はすべて火に投ぜられ、自分の描いたすべての絵に命を吹き込まれ、地獄で罰を受ける」などの伝承群が存在し、人物を含む動物の像を描く、彫ることは禁じられている、との法判断が演繹される。
但し、作画を禁ずるとのこのハディースの解釈は通説ではあるが、
イスラームの行為規範体系であるフィクフ(≒イスラーム法学)の標準的な教科書の中では、作画の禁止が主題的に論じられることはなく、「礼拝の条件」などの章の中で、絵を描いた服の着用の禁止のような形で簡単に触れられるのみに過ぎない。
また15世紀に書かれた古典クルアーン注解『タフスィール アル=ジャラーライン』は、クルアーン34章13節「彼らは彼のために高殿や、彫像、湖のような大皿、不動となった大鍋など彼の望むものを製作する。『ダーウードの一族、感謝をなせ』。だが、わがしもべのうち深謝する者はわずかである。」の『彫像』(tam±thµlはtimth±lの複数形)の語を注釈して「それは、あるものを真似て作ったものすべてである。つまり、銅、ガラス、大理石などの像である。彼(ダヴィデ)の聖法においては像を作ることは禁じられていなかったのである。」と述べており、
18世紀の脚注は更に「アッラーの御使いは『それらの者は、彼らの間で義人が亡くなると、その墓の上に礼拝堂を建て、そこにその姿の像を作った』と言われている。つまり、それは、彼ら(義人)の崇拝行為を思い出し、崇拝に精を出すためであった。」と述べており(al-Jamal, al-Futūh±t al-Il±hµyah bi-Taw½µÆ Tafsµr al-Jal±lain, Beirut, 1994, vol.6, p.220)、以前の預言者たちの聖法では作像は禁じられていなかったとしている[2]。
イスラームの自己理解によると、イスラームとは預言者ムハンマドの教えではなく、アダム以来の預言者たちの教えあり、アブラハム、モーゼ、ダヴィデ、ソロモン、イエスらは皆、アッラーの預言者であり、彼らの教えは全てイスラームなのである。但し、イスラームの教えの中でも、「信条」が永遠不変であり、すべての預言者の教えに共通する教えの中核を成すのに対し、
行為規範は時代と場所により異なり、それぞれの預言者のもたらした「法」の間には差異が存在する。
それゆえイスラームの教義学においてはキリスト教とは異なり、信条を扱う神学と行為規範を扱う法学が別個の学問として存在するのであるが、作像の禁止が預言者ムハンマド以前の法においては許されていた、ということは、作像の禁止が、神学の主題、つまりイスラームの永遠普遍の中核的メッセージである偶像崇拝に係わる問題ではなく、身体的な行為の決疑論、即ち法学の主題であることを示しているのである。また法学においても像の禁止は決して厳格なものではない。像の作成、所有などに罰則規定がないだけでなく、預言者ムハンマドが幼な妻のアーイシャが人形で遊ぶのを黙認したとの、人形の存在を容認するハディースの明文が存在するからである。(『日訳 サヒーフ ムスリム』日本サウディアラビア協会、1989年、3巻、421頁参照)
…
かつて日本でも、漫画の世界の偉人伝のシリーズの預言者ムハンマドの巻が、あるムスリム団体による抗議によって発売取りやめになり、絶版にされたケースもある。預言者ムハンマドの肖像を描くことがイスラームでは禁じられている、という俗説が流布しているのも故無しとはしないが、実はそのような規定はクルアーン、ハディース、イスラーム法のどこにも存在しないのである。
クルアーンには作像の禁止の規定がなく、作像の禁止の根拠はハディースにあることは既に述べた。しかしハディースには預言者ムハンマドであれ、他の諸預言者であれ、特定の人物についての肖像を描くことの禁止はない。それどころか人物像の禁止すらなく、禁止されているのは動物一般の像なのであり、イスラーム法学においても同様である。
つまりイスラームにおいては動物一般の像が禁じられているのであれば、預言者ムハンマドの肖像も禁じられていることになるし、もし動物一般の像が許されているなら預言者ムハンマドの肖像もまた許されているのである。預言者ムハンマドの肖像だけが禁じられる、などという議論はナンセンスでしかない。
筆者はかつてこの問題について、インドネシア・イスラーム学者協会の事務局長と議論したことがある。預言者の肖像画の禁止には、クルアーンにもハディースにも根拠がない、との筆者の指摘に同意しつつ、彼が挙げたのは、「私について嘘をついた者は火獄に住処を得る」とのアル=ブハーリーが伝えるハディースであった。つまり、預言者の肖像を書くこと自体に問題がないにしても、その肖像が預言者の実像と違うなら、預言者について嘘を述べたことに準じる、との立論である。つまり禁じられるのは預言者の肖像を描くことではなく、預言者について間違ったイメージを与えることなのである。この論点については後にまた立ち返ることになる。
イスラームにおける像の禁止が必ずしも厳格なものではなかったことしても、イスラームが、動物の絵や彫刻を嫌う傾向があったのは歴史的事実であり、前近代において、西欧だけでなく、中国、インド、日本などの諸文明に比しても、絵画や彫刻などが少なかった、と述べることはできよう。特に礼拝の場であるモスクにおいては、他の宗教の礼拝施設と比べて、肖像の不在は、特徴的でもある。
しかしそれは前近代のイスラーム世界においても宗教画がなかったことを意味しない。そしてそうした宗教画の中には預言者ムハンマドの肖像も含まれている。なかでも有名なものとして、預言者ムハンマドの昇天に題材をとった「預言者昇天物語」として知られる絵物語がある。ちなみにこの絵物語を収録した研究書はエジプトで出版されて市販されている
また現代イランにおいても、預言者がシリアとのキャラバン貿易に参加した若年時に出会ったキリスト教徒の修道士によって描かれたとされる肖像のコピーが市販されている。
預言者の肖像画は珍しいものではあるが、現代のイスラーム世界でも見ることが出来る。
今回の預言者風刺画「事件」が、預言者ムハンマドの肖像が描かれたこと自体に起因するのではないことはこの事からも明らかであろう。
既述の通り法学的には動物一般の像の禁止が通説であるが、現代イスラーム世界の現状は、
預言者ムハンマドの肖像画ですら存在し、動物や人物の絵が巷に溢れていることにおいて西欧や日本と全く異なることはない。紙幣を例にとっても、最もイスラーム法の適用が厳格であると言われるワッハーブ派のイスラームを国是とするサウジアラビアですら歴代の国王の肖像画が描かれているの。また文字通りの「偶像」も日常的な光景であり、エジプトでは古代エジプトの様々な神像が観光の目玉になっているし、マレーシアにはヒンドゥー寺院にムルガン神の神像としては世界最大の黄金の像が聳え立っている。
偶像崇拝の禁止のために、イスラーム世界では絵画や彫像が存在しない、といった言説は他者の想像力の産物であり現代の「神話」に他ならない。
…
預言者ムハンマドの肖像画を描いたことでないとすれば、風刺画がムスリムたちの怒りをかった原因は何であったのか。それは預言者の誹謗である。
…
イスラーム法は来世での報償と罰によって定義される行為規範の体系であるため、その行為主体は、自然人に限られる。イスラーム法には国家や会社などの法人概念が成立する余地はない。法人が来世で報償あるいは罰を受ける、という事態は想像もできないからである。
またイスラーム法の行為主体はムスリムに限られる。イスラーム法は、イスラーム教徒が来世での救済に与るための行為規範のマニュアルであり、来世での楽園の報償はイスラームの信仰を条件とする。それゆえ異教徒はイスラーム法の主体となることはできない。この意味で、イスラーム法は属人法であり、イスラーム教徒にのみ妥当する。
西欧法が、国家の暴力による刑罰と強制執行によってその実効性を担保されているのに対して、イスラーム法の妥当は、来世でのアッラーによる応報の信仰にのみよっている。イスラームによって禁じられている行為の殆どには現世での罰則規定は存在しない。たとえばイスラームでは豚を食べること、利子をとることが禁じられていることは有名であるが、それらには特に現世での罰則規定はない。
例外的に現世での罰則が定められているのが、ハッド(法定刑)と呼ばれる禁止事項で、
通説では窃盗の手首切断、強盗の手足切断、磔刑、
所払い、飲酒の鞭打ち、既婚者の婚外交渉の石打刑、未婚者の婚外交渉の鞭打ち、所払い、
姦通誣告の鞭打ち、背教の死刑である。しかしこれらの現世での罰則規定のある禁止事項も、イスラーム法の概念構成により忠実に正確に述べるなら、上記の犯罪者に対して上記のそれぞれの罰があるのではなく、上記の犯罪が裁判官により確定された時には犯人に対してその罰を課す義務が為政者に課されるのであり、その義務を怠れば、その為政者が義務の不履行により来世での罰を受けることになるのである。
既述の通りイスラーム法は属人法であり、イスラーム教徒であれば、居住地がどこであれ妥当するのが、基本である。しかし例外的に、イスラーム教徒の為政者が治める領域でしか妥当しない規定が存在する。このイスラーム教徒の為政者が治める領域を「ダールルイスラーム(イスラームの家)」と呼び、その外の領域を「ダールルハルブ(戦争の家)」と呼ぶ。
ダールルイスラームでしか妥当しない規定の代表的なものが、上述のハッドである。窃盗、強盗、飲酒、婚外交渉、姦通誣告、背教はどれも罪であり、通説ではたとえダールルハルブで犯されようとも、来世の懲罰には値するが、ダールルハルブ内ではイスラーム教徒が罰則規定を執行する政治的権力を有さないため、犯人がダールルハルブ内に居住する限りハッド執行の義務は、イスラーム教徒から免除される。前述のようにイスラーム法は属人法であり、異教徒はイスラーム法の行為主体となることはできない。
しかしイスラームの公秩序を守るとの誓約を交わして税を納めることによって異教徒はズィンマ(庇護)を与えられ、ダールルイスラームに居住することができる。この誓約を交わした異教徒はズィンミー(庇護民)と呼ばれるが、ズィンミーはイスラーム教徒に課される喜捨やジハード参戦の義務は免じられる一方、この誓約を守る限りイスラーム教徒と同じくその生命、財産、名誉の安全、及び宗教的自治を保証される。この庇護民が子々孫々にわたってダールルイスラームの永住権を持つのに対し、アマーン(安全保障)を得て1年以内の短期滞在者をムスタゥミン(安全保障保有者)と呼ぶ。なお、ズィンミーの認定はカリフの大権であるのに対して、ムスタゥミンについては、ダールルイスラームに住むムスリムであれば誰でも受け入れ保証人としてアマーンを与えて招聘することが出来る。
ジハードによってこのダールルイスラームを防衛、拡大し、ハッドを執行しその治安を維持し、イスラーム教徒の納める喜捨と異教徒の治める税、ジハードによる戦利品などを分配し、イスラーム教徒と異教徒の住民の福利厚生を掌る職務を負うのが、カリフ(法学用語としては「イマーム」)である。
「ダールルイスラーム」とはカリフの下にイスラーム教徒が主体となりイスラーム法を実践することにより、イスラーム教徒と異教徒が共に生命、財産、名誉の安全、宗教的自治を享有しつつ共存する法的空間ということになる。ただしそこではあくまでも法の行為主体はイスラーム教徒のみであり、異教徒も「権利」、「義務」を有するが、それはイスラーム教徒の義務と「権利」の反射に過ぎない。
…
預言者の誹謗は背教罪で死罪となる。…
既述のようにイスラーム法は来世の応報によって定義されており、現世での罰則規定を伴うものは少ないが、背教はそのような例外的な現世の罰則規定の中でも最も重い極刑が課される大罪である。そして背教は大罪であるがゆえに3日間の改悛のための猶予が認められているのであるが、預言者の誹謗にはこの改悛の余地が認められていない。つまり預言者の誹謗はイスラーム教徒にとって最悪の罪である背教の中でも最も悪質な大罪なのである。
既述の通り、ズィンミーはイスラーム法の行為主体ではなく、イスラームの信仰を強制されることがないのは勿論、イスラーム法を課されることはない。ズィンミーはムハンマドを預言者だと信ずる必要もなく尊敬する必要もない。イスラームは異教徒の宗教の自治を認めており、内心の信仰には一切興味を有さないからでる。しかし内心の信仰が一旦口外され、イスラーム教徒の耳に入るようであれば、それはもはや内心の信仰の問題ではなく、治安の問題となる。それが公秩序を乱すと判断されれば、ズィンマ(庇護)取得のための契約に違反したとみなされ、ズィンマを取り消される。
…
以上は、いずれもダールルイスラーム内部の場合の規定である。次にダールルハルブにおける預言者ムハンマドの誹謗について論じよう。3章で述べたとおり、ダールルイスラームの外ではイスラーム法の罰則は執行されず、罰則規定は効力を停止するため、イスラーム教徒が預言者を誹謗してもダールルハルブに留まる限り、処刑はされないのが原則である。またダールルハルブの異教徒に関しては、法的には交戦状態にあるとみなされるため、そもそも誰であれ生命、財産、名誉の安全が保証されていない。但しイスラームの戦争法は、婦女子、子供、老人、修道士などの非戦闘員の殺害を禁じているため、それらの者は積極的に戦争に加担したのでない限り生命の安全だけは保証される。但しダールルハルブとの間に講和が成立している場合には、イスラーム教徒には講和の条件の遵守が課されるため、講和条約がある国の住民を襲撃することは許されない。
…
中東で今も行われる「名誉殺人」を例に挙げよう。「名誉殺人」とは、結婚前の娘が処女を失った場合、家の恥として父親か兄弟がその娘を殺害することである。この名誉殺人がイスラームに関係付けて説明されることがあるが、前の例と同じ意味で、それは誤りである。確かにイスラームは婚外交渉を禁じているが、未婚者と既婚者では刑罰が違い、既婚者が男女を問わず石打による死刑なのに対して、未婚者は男女を問わず鞭打ちの上で所払いのみであり死刑にはならない。また刑の執行はカリフあるいはその代理人のみの大権であり、家族に処分権はない。従って中東における「名誉殺人」はイスラームの教えによってではなく、イスラームの教えが守られていない例として、説明されねばならないのである。
…
勿論、あらゆる社会にとって、社会規範からの逸脱の一定の存在は常態であり、デュルケームが指摘した通り、むしろ社会の健全さの証左ですらある。イスラームにおいても同様であり、理想の時代とされる預言者ムハンマドの時代も例外ではなく、偽信者や殺人、姦通などの大罪を犯す信者も存在して、それを認めた上で、預言者ムハンマドの時代が最善の時代である、というのがイスラームの考える理想の時代である。イスラームの考える理想国家は、犯罪者が存在しえない聖徒の集団が相互に監視しあう全体主義的警察国家のようなものでは決してない。
…
現在の世界は、欧米の植民地支配の直接の産物である。
工場製品のような「モノ」に限らず、
領域国民国家、常備軍、官僚制度、
大使館、徴税制度、不換紙幣通貨制度、
24時間の時刻、グレゴリオ暦、メートル・グラムの度量衡、
学校教育制度、国旗、国歌等々、
政治、経済、文化の全ての領域に欧米の植民化支配は貫徹されており、イスラーム世界もその例外ではなく、制度、生活様式、世界観の全てにおいて、欧米の影響が圧倒的に大きい、という事実を我々は再確認しておく必要がある。
…
言論に対して刑事罰を課すことをもって言論の自由の抑圧と呼ぶなら、預言者風刺画に対して刑事罰を課すイスラームも、ホロコースト否定に刑事罰を課すヨーロッパ諸国、イスラエルも同じであり、どちらにも言論の自由など初めから存在しないのである。そもそも欧米に言論の自由が無い以上、欧米の言論の自由とイスラームの宗教の尊重という対立の構図も成立しない。
欧米とイスラームでは、禁じられていることの範囲が違い、言論についても同様で、それぞれが別の禁止のコードを持っているのである。対立があるとすれば、その対立は言論の自由とその抑圧の間にあるのではなく、異なった種類の自由、異なった種類の抑圧の間にあるのである。
…
以上の議論を整理しよう。預言者風刺画事件は偶像崇拝の禁止と言論の自由の対立ではない。イスラームはユダヤ教、キリスト教と同じく偶像崇拝を禁じているが、偶像崇拝の禁止は、ユダヤ教、キリスト教の場合と同じくかならずしも、肖像画の禁止を帰結しない。現実の現代のイスラーム世界は、肖像画に溢れており、預言者ムハンマドの肖像画すら散見される。”
以上よりイスラームは↓のようなキリスト教の矛盾の大部分を克服していることがわかる。
「ゴッドが悪魔、地獄、異教徒を創造したのはなぜ?」
「貴方にとって異教は全て悪魔崇拝?」
「悪魔崇拝の定義は?」
「悪魔崇拝をゴッドが創造したのはなぜ?」
「全知全能なら心も読めて未来も既知だから、試す必要がないのにヨブを虐めて信仰を試したのは本当はゴッドは無知無能極悪非道だから?」
「ヨブ記でサタンが殺人する許可を出したのはゴッドなのでサタンはゴッドの部下。なぜ野放し?」
「聖書の言葉は真実なのに新約の四福音書が互いに矛盾があるのはなぜ?」
「イエスが実在する聖書以外の物証(歴史的記述など)は?」
「どの翻訳聖書が良い?」
(翻訳聖書のいずれかを勧められたら)
「誤訳ありの翻訳聖書のどこが神の言葉?」
(翻訳聖書は本当はダメだがまずは翻訳聖書などと言われたら)
「新約にイエスの言葉の個所は殆どなく大半は新約聖書記者の言葉。
イエスが話す場面だけ読めばいい?」
「イエスの言葉はアラム語説が有力なのに新約は古代ギリシャ語。
どこがイエスの言葉?」
「イエスの死後かなり経過してからできた聖書よりも
より古い聖伝(聖伝の一部が聖書)を保持する正教が良い?」
「グノーシス派が本来の真のキリスト教説もあるのでマニ教(真のキリスト教を自称)などが良い?」
「キリスト教は教祖が生贄になったことに感謝する教義なのに、なぜ異教の生贄を批判?」
「葡萄酒とパンをイエスの血肉として食うのはカニバリズムが元ネタなのでキリスト教は悪魔教?」
(教会が悪魔、ルシファー、ユダヤ、イルミなどに乗っ取られイエスの教えは改悪された云々に対し)
「いつどのような事件で乗っ取られた? 」
「イエスの思想が乗っ取られる前から邪悪でない根拠は?」
「 乗っ取られたなら聖書も改竄済み。どこが改竄された?イエス本来の教えを知る方法は?」
「貴方の信仰は本当にイエスの教え? 」
「なぜ改竄者が異教徒(ユダヤ教、悪魔教信者など)限定?」
「改竄前の聖書とはキリスト教の元ネタの宗教の聖典?」
↑の矛盾をなくすため新キリスト教を作った支配層
(ユダヤ教のタナハ=キリスト教視点では旧約
は当然ヘブライ語原文を翻訳せずに読む。
翻訳には積極的ではない。コーランも。
しかしヤソ教はやたらと翻訳に積極的。
翻訳こそが魔法の場を作る=陣地作製から。
ヤソが侵略用に本来のキリスト教(正教とか古代グノーシスとか)を改悪しまくった証拠の一つが
やたらと翻訳に熱心でしかも原典にない誤訳をもとに教義にしたり
それを聖書にありますとかほざくのが許されているところ。
本来きちんとした一神教なら翻訳はあくまで便宜的で仕方ないものであり
しないといけないとしても
それはやがて原語を布教協力者も読めるようにしていかないといけない。
翻訳に熱心、翻訳聖書を思想定着後も使い続けてOKなら侵略用以外の何物でもない。
耶蘇は支配に都合がよい、聖書に根拠のない教義を創りすぎ。
イエスがアラム語で新約を書いておらず
翻訳語である古代ギリシャ語でイエスではなく人間が原本を書き
原本は散逸し写本しかないのに
どうやって正確なイエスの教えを知ることができるのかヤソ信者に教えてほしい。)
クルアーンのこの翻訳を選んだ理由は
まずは多数派のスンナ派に沿った翻訳を読むべきだと考えたのと
井筒訳は最初に読むのはまずいと判断したから。
中田考先生の井筒訳の評価は以下の通り。
井筒先生を高く評価しているが井筒訳は高く評価していない。
中田考@HASSANKONAKATA
クルアーンの原文は、アラブ人読者にも複数の解釈を許す非常に多義的で曖昧な文体だが、
井筒訳は彼自身の解釈で断定しており歯切れがよく分り易い代わりに曖昧さが伝わらない→
@JERRYKISARAGI:井筒俊彦のコーランですが、偏りが有ると言う話を聞いた事がありますが、どの様な感じ…?
井筒訳の問題は、
クルアーン注釈者たちの間でも解釈が別れている曖昧で多義的な表現を
無理矢理一つの意味に切り詰めてしまうことですね。
我々の訳はできるだけ原語の曖昧性、多義性が伝わるように工夫してあります。 https://twitter.com/suou_racoon/status/904267285203791875 …
いえ、糾弾しているわけではありません。
クルアーンは大釈義学者の間でも解釈の対立が数多くあるのであり、
唯一の正しい翻訳は原理上ありえません。
ただ井筒訳に独断が多いのは事実なので、求道者には多様な読み方を許す拙訳の方がお勧めです。 https://twitter.com/masaogpgpjad/status/683254212562522112 …
"@t2abdl: @HASSANKONAKATA @KahvaltiTurkmen 読んだことないんですが井筒訳版ってそんなにひどいんですか?"
ひどい、というより文体が古すぎるし、不正確です
私も井筒先生のような碩学に教わりたかったなぁ。
そうすればもうちょっとマシな研究者になれたのかしら… 私が習ったのは中村コージローだからなぁ
(T_T)/~~~ → 『井筒俊彦とイスラーム』を読みながら東京へ♪ http://via.me/-6cl58ki
比較文明・比較宗教学者としては20世紀世界最高の知性でしたが、イスラーム学者としてはあの時代にしては驚異的な学識だった、というだけで、今のじぶんにとって特に学ぶべきものがあるとは思ってはいません。 →@shuhsann: また先生の井筒俊彦観をうかがえれば幸甚です。
仏、独語は自分の専門分野の研究論文ならば辞書を引き引き大意が取れる、ヘブライ語は文字が読めて辞書が引ける、ギリシャ語は文字が読めるかどうか、という程度。オリエンタリストなら、私程度には誰でも複数の語学を齧ってますが、私の知る限り井筒先生のような本物のポリグリットは今はいません。
あまり知られていませんが(というより知っているのは私と加藤先生御自身だけですが)井筒俊彦、中村元亡き後、加藤先生は世界最高の比較文明学者です。 RT @Saxifraga_S: 加藤隆『新約聖書の誕生』読書中。。やっぱりこの先生は分かりやすいし面白いなー。
シーア派12イマーム派神学生の兄貴の評価
(クルアーンの一部を訳したある人に対してのエアリプ)
蟹ぢから溢れる @onesyotasekai
7月24日
うーんとね…第33 章40節に書いてあるخاتَم ハータム khatam という単語は封印とも出てくるけど、同時に証明印となるものという意味もある
で、ここでは形而上が封印という意味と同時に証明印を押した存在という意味や他にも全ての行為の最も最後という意味もあるなので複数の意味を知らんと使えない
で、وَ خَاتَمَ النَّبِيِّين とあり…ここは「また預言者『達』の封印」であって、当然のことながら複数であるからにこれ以上は出てこないというのは複数形であるが故に担保されている
なので、封印としか書かれていないではなく、そのخاتم というのはただ単に封印だけを意味していない
で、王者というとملك و مالك となり
確かに形而上の意味をもって使われる事もあるがそうすると何故にبِسمِ اللهِ なのかが説明つかない
だから、独立して考えるべきでそもそも直訳すれば「アッラーの名は赦し、優しい」なので意訳するにも当の連中がこの言葉をどう扱っているか知らないと論外
では、この言葉…どんな時に使うか?
先ず、仕事を始める瞬間・講話を始める瞬間・飯を食べ始めるその瞬間・ガタついた窓を開ける瞬間・緩い家の鍵を開ける瞬間・寝る瞬間・大小便する瞬間等々…何をするにも最初に言うのがこの言葉である
そこでやっとこの言葉の一側面が理解する事が出来る
要は「自分の行いが形而上の御加護にあります様に…形而上が望んでいないとしても赦されますように」以外にも「ションベンやうんこが変な病気として出ませんように若し出てしまっても助けて下さいますように」という意味もある…他にもうんすん…だから、この言葉は厳密には翻訳出来ない
なので、実際に聞いて・学んで・現場を見て・真剣に考えて翻訳した井筒訳を無視できないのは
井筒自身がアラビア・ペルシャ・フランス・確か英語等の文章と翻訳を読んで渾身の翻訳であり、批判はあれど基本的にはこの翻訳で動かないのは様々な翻訳書・原文・スンナ・シーア派の解釈の総意だからである
最低でも井筒はعلوم قرآن و تفسیر و ترجمه و تاریخ を 網羅した上での翻訳である
もし、コレを超えるクルアーンがあるとすれば中田考氏監修のクルアーンか澤田達一氏のクルアーンくらいだろう
なので、最低でもこの二つを持った上で原文理解が出来ないと話しにならない
それに古典フスハー知らんでしょ
例えば、アラビア接語論で古典フスハーと現代フスハーの違いの一例としてمفعول مع が ある
これは単純に言うと「~と共に」みたいに接語する単語で一緒にとなるがコレは現代フスハーではしない
他にも双数系は本当に限定したい時以外は使われない等…細かい違いがある
まーそれ以前にマディーナ啓示とマッカ啓示の違いがわからないのに解釈なんて出来ると思っている時点で論外
だから、核汚染語でاسلام の話をしたくはないんだ
こーいった、初歩の話しもできないのに確信・コア・中心となる部分の話等出来ないのでおねショタするね
クルアーンへの必須の基本姿勢。
蟹ぢから溢れる@onesyotasekai
2月20日
人間如きが正しくクルアーンを理解できるわけねえだろアホ
クルアーンには直喩と暗喩がある、そして何が直喩で何が暗喩なのかははっきり言うとわからない
それはその本拠となる伝承集が嘘塗れで
仏典がお釈迦様がおっしゃった事になっているように
ハディース集も同じ事になっているだからわかる訳がない
「ぼくらのかんがえたただしいくるあーん」でしかないイスラーム世界において正しいイスラームを知る事は不能
もし、できるとなれば
「このスーレのこのアーヤのこの部分はスンニ派のハナフィー派…シーア派12イマーム派では…スーフィーの何何は…」という事以上はできない、先ず大前提が大間違い
https://twitter.com/onesyotasekai/status/966073795021811713
そもそも、えげつない事を言えば預言者(?)の真正伝承は二代目カリフの時に集められて燃やされているので今残っているのは初代カリフから三代目カリフにとって都合の悪くない伝承でしかなく、とっくのとうに改竄されている物だけが残っている代物でしかないのでスンニ派の伝承は全部偽物とも言える
だからといって、シーア派が正しいのかと言うとそういうわけでもない
シーアといっても色々いるし、今のところ12イマーム派ウスール学派が強いのはイランという国自体もだし、様々なシーア派が12イマーム派化しているという事実もあり
ただの国勢と宗派伸長が等しく伸びているだけだとも言える
じゃースーフィーや神秘主義とかはといってもここら辺は普遍思想や万教帰一とかに流れやすく、万教帰一を選択すると「別にイスラームじゃなくていいじゃん、それだと何故に形而上は預言者を特定するんじゃ」という不毛な議論に陥るので意味のない事になる
なので、本当のイスラームはないが大正解
本当のイスラームはないのに何で勉強しているんだ、という事になるけど
本当のイスラームがないというのを確認するべく勉強しているわけでその確信を得るためにしているのよ
真実は探すものではないが真実ではないものは探さないと見つからない、何故なら真実ではないものは真実と偽装されているからだ
https://twitter.com/onesyotasekai/status/966079649339060227
しかも、恐ろしい事にその真実でないものが大多数によって賛同され、さも当然・既成事実・進歩発展等と色付けられてこの世に大量にあることだ
例えば、おいさんは預言者(?)が啓示を受けた存在だとは信じていると同時にただのキチガイの予迷い事である事も頭の隅に置いてある、コレがないと惑わされる
疑う為には先ず組立られている前提を知らねばならない、習う事
そして、習う事でその基礎を立てられなければ疑う事もままならない
だから、おいさんは信じろなんて馬鹿な事は死んでも言えん、おいさんは信じるに値すると思って信じているがそれは当然、疑いが完全に晴れた信じるではないということだ
(兄貴が「神」や「アッラー」やゴッドという言葉を使わない理由)
3月1日
何だかわからない存在というよりは
人類はその何だかわからない存在を何だかわかるように努力してきたのが全体的な学問の歴史なのと
おいさんが形而上と言わざるおえないのは
形がないのと理性だけとは限らないので形而上と取り敢えず置いている
本来はこれも僑居なので何か良い言葉がないものかねと
なので、大いなる存在というのも完全な間違いなのよ
何でかというと、小さくもあれる誠に自由自在な何かであるからね
華厳教のように一切即一・一即一切・多即一・一即多の世界なので
大いなるという言葉を使っている時点でやっぱりよくわかっていない
だから、やそ程度の有神論では仏典に対抗できない
あーやっぱり仏教と中国思想やらないとダーメだー
印度哲学はここにいっぱいインパキいるので習う気にもならないけど、
真面目に仏教哲学と中国思想哲学は触らないと宣教も対抗も出来ん
宣教するつもりはないけど、敵を作らない為には知らないと対処できないのでやらないとダーメだこりゃ
そりゃーねー、中村元先生よんどけばいいみたいなのあるけど
おいさんが知りたいのは細かい表現と考え方なわけでそれは実際の学者や博士・修士過程まで行った僧侶の意見を聞きたいのよ
で、その細かい所が全部であったりするの特に宗教という世界は全部ソレなので探すしかないんだろうなぁ
2月21日
前も言った通り、この世界は細かいところが全て
細かいところを知らない連中がする、比較や批判は全部詭弁・妄想・願望だから叩き捨てろ、見るだけ無駄だ
そもそも、フォロワーが多いアカウントは特殊・特性を持っているアカウント以外は全部詭弁がうまい連中と見ている
で、それで外れた事はない
2月5日
議論というのは細かい事が全てなのですが、一般人というのはこの細かい事を全く理解できない
または扇動・冷笑行為をする連中はそれを混ぜる事で自分の都合の良い方に言葉を組み立てるので扇動・冷笑するものを駆除したい時は細かいところまで問い詰め続ける事です
いつの時代も細部が全てです
2月1日
じゃー若い内はどうすればいいのか?と聞かれたら
先ずは「〜全史・〜入門」と書かれている本を手に入れてよくよく読み込みなさい
何でかというとそこにはお約束・如何なる立場でも共有されている知識または如何にして分派化したのも必ず書かれている筈だから、先ず前提を身につける必要がある
ただねー…その書いている人がどういう立場かによって細かい表現が違ったりする事があるので
それは警戒して読んだほうがいい
ただ、前提知識がないのに喚くよりは遥かにマシなので
お約束を身につけてから立場の差を知るのが一番良いと思う
人間全部おいらも含めアホなのでアホさを知るのはちょー重要
中田考監修、中田香織、下村佳州紀訳/作品社・
『日亜対訳 クルアーン 「付」訳解と正統十読誦注解』
(以下の指摘を受けて本記事を修正。
蟹ぢから溢れる🦀
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@onesyotasekai
10月2日
比喩に関しては単純で
シーア派的には本来の「集められたモノ」に比喩表現の解釈も使徒(ص) とアリー(ع) が啓示があるたびに集め・書き残されていたのでその説を取ると今「ただ残っている」ウスマーン版の「読むべきモノ」は案の定、読まれては誤読されて今の分派形成があるので確かに読むべきモノである
そもそも、最初のクルアーンの解釈者…啓示物に対して解釈を入れたのは使徒であって
そう考えれば、使徒がその解釈を入れていない訳がないわけ
ただ、それもウスマーンが燃やしちゃったのと
伝承ではアリーがウスマーンが恐る恐る完成したものを読ませてアリーからの一応の承諾を貰ったこととなっている
ここからも言えるように「ただちぃいしゅらーむ」何てものはその当時からもう消滅しているわけであくまでも「イスラームらしきモノ」でしかないわけ
だから、おいさんは「イスラームらしきものの残滓」を拾うくらいなら、
先ず道徳的である事を最優先するべきであると言っているわけなんよ、簡単っしょ
10月2日
使徒(ص) は厳密には孤児ではない
どこに書いてあるんだよ、そんな戯言…あーもー、えーとねぇっ
先ずね、使徒(ص) のお父様は産まれる前に行商している時に亡くなったのは事実でその時はおじさんのところに引き取られている
で、五歳の時にマッカで疫病が流行ったので郊外へ行ってそこで育っている
んで、確か7歳か8歳の時に母親がなくなって、後見人だった祖父もなくなる
その後はアリー(ع) の父であるアブー・ターレブが後見人となっている
で成人までというのが正式的な歴史の流れで
狭義的には両親を亡くしているので孤児という表現が出来るがそれは日本語として正しいと言う事はできないだろう
日本語的な意味合いで孤児というと本当に一人だけ、親戚にも迫害されて完全な一人もの見たいな意味合いを取られかねなく
基本、アラブでは子供は一族が育てるものなので孤児と表現するよりは両親を幼くして亡くしたと表現した方が不要な誤解釈を避ける事が出来る
こーいう細かいのが全てなんよ
部分集合を集めても全体集合にはならない
推論は立てられるがそれは答えではない
後、43 章49 節は前後文読め
その時言った彼らは46 節に書いてあるようにフィルアウン(悪政者)とその長老達であって、ムーサー(ع) ではない
クルアーンは前後文が続いている場合とない場合がある
10月2日
ハディース・伝承というものは確かに様々な厳密な経由や聞き語りによって成り立っているものではあるが
所詮は伝承でしかないので本来はクルアーンの諸々…
即ち歴史や変遷、如何に啓示を受けてきたかや読み方・暗記等をしてから習うもので事実、要らんの大学の教養課程ではعلوم حدیث は やらない
で、よく出てくるصحيح البخاري とかは その伝承集の成立を知らないと使えないし、それを理解せずに引用しているクソリム共が殆ど…本当に根絶して貰いたい
この伝承集は12イマーム派としては11 代目のイマームで一応、存在していたイマームでこの人はアッバース朝によってずっと監獄に入っていた
んで、このブハーリィというおっさんは
30000 ある伝承から正しいとされる伝承を意図して2000抜き出して来たのがこの伝承集でこの伝承集は勿論、公正なモノではなく三匹のヒラーファとメス豚の戯言が確か…全体の15% 以上であるが、
4代目のヒラーファであるアリー(ع) を経由したものは10個位しかない
もっと言えば、5代目ヒラーファのハサン(ع) や愛娘ファーテメ(س) だと 1個あるかないかである
この様に意図的に編纂されているのを理解した上で使うのが伝承集であり、
核汚染の虫けらクソリム・クソリマはこーいう経緯や歴史を知らずして用いているのが多く、だから核汚染ではイスラームは出来ない
10月3日
おいさんは改宗した立場ではあるが未だに己を仏教徒だと思っている節があるし、
その観点を忘れてしまうとただの傲慢不遜でしかないのでコレまた火獄への道なってしまう
だから、ここでは一つの罪が70 年間の敬虔や謙虚を消してしまうと言うのでそこを忘れている改宗者が実に核汚染では多い
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蟹ぢから溢れる
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@onesyotasekai
10月3日
核汚染でイスラームするには
クソリムとクソリマと関わらずに学者や一定以上の知識を修めた人以外とは関わってはならない
一般的にここまでわかっていないし、己の部族でやっていた事をクソラームと信じているので関わるだけ無意味で時間の無駄
また、改宗核汚染人は気違い塗れなのでロクなのがいない
どう気違いかというと大概は社会・家庭から疎外されて来たのが改宗するので
女性のムスリマの場合は結婚改宗という形でマトモな人が多いが
男の場合は大抵は上記の当て付けで改宗するような終わっているのが多いので
核汚染では男の気違い度が段違いに高い
なので、特にクソリムとは関わらないが大吉
10月3日
まー、ただ基本はダメっぽいね
後、肉食獣に関してはうちらは既定上の屠殺をしても食べてはならないがその皮を身につけるのは可能だったと思う
しかし、礼拝時は身につけて礼拝しても礼拝が無効になるとか、色々と細かい規定がある
例えば、猫吸った後に猫の毛が付いている状態では礼拝は成立しない
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@onesyotasekai
10月3日
ああ、そうそう死肉の規定ね
おいさんが習ったこととしては宗教上の規定を守って屠殺していないもの
野獣やおぬこ様、ワンコがとってきたものやそういった獣が食い残した肉
なので狩猟でとってきた肉は色々と細かく異なる事がある、
例えばまだ生きているのであるならば則って屠殺すればいいとかね
)
・序
下村
礼拝で邦訳クルアーンが読まれることはない。
仏教には無数の経典があるが
歴史上のシッダッタにさかのぼれるものは少ない。
新約の原典はイエスの用いたアラム語ではなくギリシャ語であり
イエスの肉声をほとんど保存してない。
カトリックでは公式の正典はギリシャ語原典ではなく
標準ラテン語訳ヴルガータである。
仏教やキリスト教においては
開祖ゴータマ、イエスの肉声を伝えることに重きが置かれておらず
その開祖の言葉を記録した原典のみが絶対の真理を伝える正典
とはみなされず原典と翻訳の間に絶対的な区別がなされることもない。
ところがクルアーンではムハンマドの肉声のアラビア語の読誦が現在に至るまで
口伝えで伝承されている。
書物としても第三代カリフ・ウスマーンが結集したウスマーン版と呼ばれる
欽定クルアーンがスンナとシーア派の宗派の別を問わず世界中で共通して用いられており
他の言語のヴァージョンは存在しない。
(釈尊は人々がわかるように説きなさいと教えたので翻訳OK。
イスラームはムハンマドが文盲(つまり啓示を受けた本人が文章化できない)
でも問題なかったのはクルアーンは文字ではなく音声にて下されたから。
クルアーンは読誦されるもの。
しかしマニみたいに自分で啓示を文章に記していたらより完全な一神教になっていただろう。
当時は音声記録媒体がないので、読み方やリズムが失伝や変化してしまうのはユダヤ教をみればわかる。
大衆支配に都合よく意図的に誤訳する手口はクルアーンでは使いにくい)
ヘブライ語聖書と新約は書物であるが
クルアーンが書物だと考えるのは誤り。
アラビア語では書物としての聖書にあたるものは
ムスハフ(字義は「紙に記入されたもの」)
と呼ばれ、
書かれた内容であるクルアーンとは概念的に異なるばかりでなく
名称からして全く別物。
ただしクルアーンはムスハフの内容であると同時にタイトルでもある。
そもそもクルアーンは読誦されるものを意味し
書かれたものではない。
書かれた文書としてのクルアーンのムスハフの正典性は
クルアーンにとって副次的なものでしかないと言うことが出来る。
クルアーンは声としてムハンマドに啓示されたものであり
方言の違いなどによる、幾通りかの読み方、発音があることは
ムハンマドの生前から周知であり
書かれたテキストとしてのクルアーン(ムスハフ)はクルアーンを読む補助記憶でしかない。
クルアーン学は古来からクルアーンの多くの異読を保存し
それらの真偽を判定した結果、
ムハンマドにさかのぼる正統な読みを確定する作業を続けてきた。
現行のムスハフは結集命令者第三代カリフ・ウスマーンの名に因んで
ムスハフ・ウスマーニー(ウスマーン版テキスト)
と呼ばれる。
信者の心の中に暗記され、
読み上げられるものとして存在していたクルアーンが
一冊の本の形を取ったのは彼の結集の結果である。
この結集は
西暦645年(ヒジュラ暦25年)頃、
つまり預言者ムハンマドの没後15年ほどが経ってから行なわれたが
現行のクルアーンはこのムスハフ・ウスマーニーを忠実に継承している。
クルアーン結集の時点で
イスラーム・カリフ国は
既にササン朝ペルシャを滅ぼし
ローマ帝国の経済文化的にもっとも豊かな領土であったエジプト、
北アフリカとシリアを支配下におさめた世界最大の帝国であった。
そしてウスマーンはムハンマドのイスラーム宣教開始の初年(西暦610年)に入信し
その後彼の死に至るまで20年以上にわたりずっと身近に使えた最古参の直弟子の一人であり
ムハンマドの娘婿でもあった。
つまりクルアーンの結集は
ムハンマドの高弟であったウスマーンが世界最大の帝国の元首として自ら指揮し
ムハンマド在世時のクルアーンの記録者であった
ザイド・ビン・サービトらに編集を命じて行ったムスリム共同体の総力を結集した
国家事業だった。
預言者の生前から、啓示されたクルアーンは
書板、ラクダの肩甲骨、木片などに書き留められており
初代カリフ・アブー・バクル、
第二代カリフ・ウマルも書き留められたクルアーンの断片を書き物としてまとめる作業は行っていた。
ウスマーンの結集の意義は
組織的なクルアーン全巻の公式な完全版の作成、異本の焼却による正典化にある。
ウスマーン時代は初期イスラームにおける二大分派である
シーア派とハワーリジュ派はまだ発生していなかったため
クルアーンの結集に党派的対立はなかった。
よってユダヤ教やキリスト教におけるような
ユダヤとサマリア、
初期キリスト教における諸分派間の対立により
それぞれの党派が各個に独自の正典を制定するといった事態も生じず
後のイスラームのすべての分派がウスマーン版のみを正典として認めている。
アラビア語は原則的に三つの子音を語根とし
その活用と変化によって品詞や意味の違いが生成する言語。
文化・学問の蓄積・発展と共に
専門用語としての新造語を作るよりも、
できるだけ古来より日常的に使われていた言葉に専門用語としての意味を
重層的に付け加えていく傾向がある。
イスラーム学の用語については一つの単語が
クルアーンの啓示の以前の語源的意味
クルアーンの啓示によって新たにもたらされた聖法的意味、
後のイスラーム学の専門分化によって特定された専門用語的意味
を重層的に有することが往々にして見られる。
クルアーンと聖書(ヘブライ語聖書と新約聖書)
の主要な相違は以下の三点にまとめることが出来よう。
1
聖書は多様な文書群を一冊の聖書にまとめたのが聖書の編集者である。
対して
クルアーンはムハンマドの授かった啓示のみをまとめたものであり
ムハンマドの生前から「一冊の本」だと呼ばれていた。
2
聖書の正典化がそれらの文書群の成立より何世紀か遅れて
政治的な権威の裏付けなく行われたの。
対して
クルアーンの正典化はムハンマドの没後15年経っただけの時点で
自分自身も20年以上に分かり預言者に身近に仕えた
最古参の直弟子であった第三代カリフ・ウスマーンが
クルアーンに通じた預言者の高弟たちを結集して
当時の最大の世界帝国の元首として国家事業として行った。
(政治的権威の裏付けは内容の真実さの裏付けにはならない。
が、権力者なら聖典確定のために莫大な
人モノ金=研究費
を投入できる点では
政治的権威の後ろ盾があることは重要)
3
聖書の正典化はユダヤ教徒、キリスト教徒が政治的統一を失い、
多くの分派が政治的・思想的に対立する中で進められ
正典文書の選択にもそうした対立が反映された。
聖書の正典化は正統派の成立、異端の排除と並行して進行したのであり
正典となった文書群も当時のすべての信徒によって認められたものではなかった。
一方、
ウスマーン版欽定クルアーンの成立は、
預言者の弟子たちがハワーリジュ派、シーア派、スンナ派などの宗派に分裂する前
のことであり、正典化が宗派的対立の影響をこうむることもなく、
ウスマーン版欽定クルアーンは成立当初から現在に至るまで、
全ての信徒によって正典として認められている。
ユダヤ教徒のヘブライ語聖書は
1世紀の終わりごろにヤムニア(ヤブネ)会議で確認され
トーラー(律法)、
ネヴィイーム(預言者)、
ケトゥビーム(諸文書)の頭文字をとって
タナハと呼ばれる。
このヘブライ語本文を
マソラー学者が5世紀から10世紀までに編集した
(8世紀以降に母音記号等を加えた)
ものがマソラー本文で全24書である。
ラビ・ユダヤ教ではトーラーから申命記の最後までのすべてが
モーセによって書かれたとされる。
他方
西欧聖書学はトーラーをモーセが書いたとも、
ヨシュアがモーセの言葉を書き留めたとも考えず、
ヤハウィスト、エロヒスト、祭司記者、申命記史家などの
匿名グループの資料を匿名の編集者が編集したものと考える。
新約正典27文書は4世紀末から5世紀にかけて確定され
福音書、使徒的文書、ヨハネの黙示録からなる。
新約に含まれる神(イエス)の言葉はごくわずかでしかなく
大半は新約聖書記者たちの言葉。
近代聖書学はQ資料と呼ばれるイエスの言葉を集めた語録の存在を仮定しているが
20世紀半ばに発見されたナグ・ハマディ文書の一つ「トマス福音書」はイエス語録である。
(タナハ教も新約教も聖典が確定された歴史的にみれば
聖典根本原理主義が成り立つとみなすことがおかしい)
新約が神の言葉とみなされるためには
聖書霊感説の立場をとる必要がある。
聖書霊感説は
聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ
(新共同訳 テモテへの手紙二 3:16)
を典拠とする。
ただしこのテモテへの手紙二にある
聖書
はヘブライ語聖書であり
その時点では後の新約聖書は存在しない。
原始キリスト教団の残した文書群のうちで
どの文書が神の霊の下に書かれているのかを示す言葉は、
それらの文書群の中には残されていないため、
新約の結集は遥か後代の4世紀末から6世紀にかけての
教会の選択に委ねられることになる。
渡辺善太いわく
「正統主義神学の聖書聖典観は、
普通逐語霊感説と呼ばれている。
…聖書正典の著者霊感観に立つとは、
聖書正典中の六六冊の諸書が、
それぞれそのしるされた時において、
聖霊の直接的霊感によってしるされたものであり、
その意味においてそれぞれの著者は、
聖霊またはキリストの『書記』であり、
『手』であり、
『筆』であるとせられ、
それぞれの著作における
いっさいの人間的なるものの参与を否定する立場に立つことをいう」
対して、
クルアーンはムハンマドただ一人が授かった神の啓示の書であり、
彼からクルアーンを聞いた直弟子たちの手によって
彼の死後15年ほど経ってから書物化される。
それが既に述べた
ウスマーン版欽定クルアーンである。
ヘブライ語聖書が
1 神の言葉
2 預言者の言葉
3 預言者に関する聖書記者の編集句
という三層構造を有したのと異なり
クルアーンでは書記たちの編集句も
ムハンマド自身の言葉も完全に排除され
ムハンマドが授かった神の言葉のみから成り立っている。
ジブリールがムハンマドにクルアーンを「誦め」と命じたことや
「預言者ムハンマドがそう語った」とアーイシャが語った
というような編集句はハディースのレベルで見いだされるのであって
クルアーンには一切混入していないことが重要。
ムハンマドが伝えたアッラーの言葉の中でも
クルアーン以外のアッラーの言葉と、クルアーンは明確に区別されている。
クルアーン以外のアッラーの言葉を預言者が伝えるハディースは
神聖ハディースと呼ばれる。
(アブー・フライラ(直弟子の名前)(ヒジュラ暦54年没)経由
~経由
で~アブー・フライラ(直弟子の名前)が伝える神聖ハディースに曰く。
~。
~は以下のように言った。
アッラーの使徒は以下のように言われた。
~(ここが神の言葉)
という構造が本書にあるが詳細は割愛。
没年も記されるので
ムハンマド存命のときの人か、
彼の没後あまり経ていないかなどがわかるようになっている)
このハディースでは集成者ブハーリーが
神の言葉がムハンマドによって語られたことを
その直弟子のアブー・フライラが「アッラーの使徒は言われた」
と述べて伝えたハディースを
自分から彼にさかのぼる伝承経路と共に記録している。
このハディースにおいては
ブハーリーの編集句、
伝承者、
ムハンマドの言葉からはっきりと区別された
純粋な神の言葉であるにもかかわらず
一冊の神の書クルアーンの一部を指すものではないことが
ムスリムたちの間では自明とされている。
(ハディースは内容が誤りである可能性がゼロではないことが重要)
クルアーン18章109節にあるように
アッラーの言葉は無限に存在することが前提とされている。
人間に対して語りかけられた言葉はその一部に過ぎない。
神聖ハディースが示すように、
預言者に対して語りかけられた言葉はその一部に過ぎない。
そして神聖ハディースの存在が示すように、
預言者に対して語られたアッラーの言葉ですら
全てが啓典であるわけではない。
一冊の独立の書物をなす啓典は
預言者が授かったアッラーの言葉の中でも特殊なカテゴリーであり
そうした啓典が
モーセの律法の書(亜 タウラー)
イエスの福音書(亜 インジール)
ムハンマドのクルアーンなどとなる。
クルアーンは
アッラーの言葉の中でも
人間に対して語りかけられた言葉の一部の
預言者たちに臨んだ言葉の一部の
預言者ムハンマドに臨んだ言葉の一部の
預言者ムハンマドに下された啓典となる。
個々のハディースは信憑性の程度により
真正から偽作までさまざまな評価がなされたが
それは純粋に個々の学者の批判に任されていたのであり
正典化が公会議のような権威によって機関決定されることもなかった。
イスラームは預言者に神性を認めない。
アッラーは
世界を最初に創造した後には世界と関わり合いを持たない
第一原因、法則、あるいは理神論者の神ではなく
この世界の個物のすべてに通暁し、
そのすべてを差配する生きた神である。
人間を他の被造物から分かつものは理性や言語ではない。
自らの意思で善を行い、悪を避ける義務を負うことによって
他の被造物になり特別な存在論的地位を有する。
クルアーンには聖書にあるような家系図がないどころか
ムハンマドの家系についてすら言及がない。
クルアーンは同害報復の正義を追認する一方
自らの罪の贖罪になることを教えてむしろ相手を赦すことを勧めている。
立法の妥協を許さない峻厳さを緩和し、
新約の非現実的な赦しの理想主義も否定する
現実主義的な中庸の立場。
クルアーンも殺人禁止だが
正統な理由なしに
との除外詞がついている。
・
クルアーン2:30~2:36日本語訳
” そして彼はアーダムに諸々の名前をそっくり教え(21)、
それからそれらを天使たちに示し、
言い給うた。
「これらの名前をわれに告げよ、
もしおまえたちが正しければ」。
彼らは言った。
「称えあれ、あなたこそ超越者。
あなたがわれらに教え給うたこと以外に
われらに知識はありません。
まことにあなた、あなたこそはよく知り給う英明なる御方」。
彼は仰せられた。
「アーダムよ、彼らにそれらの名を告げてやるがよい」。
彼が彼らにそれらの名を告げると、仰せられた。
「われは諸天と地の見えないことを知っており、
おまえたちが明かすものも隠したものも知っているとおまえたちに言ったではないか」。
また、われらが天使たちに、「アーダムに跪拝せよ」(22)と言った時のこと、
彼らは跪拝したが、イブリース(23)は別であった。
彼は拒み、思い上がった。
そして彼は不信仰者たち(のうちの一人)であった。
また、われらは言った。
「アーダムよ、おまえは、そしておまえの妻も、楽園に住め。
そして、どこでも望むところで(望みのままに)存分に食べよ。
だが、この木には近づいてはならない。
そうすればおまえたちは不正な者たち(のうちの二人となる)であろう(24)」。
それで悪魔が(25)二人をそこから躓き出でさせ、
二人のいたところから彼らを追い出した。
そしてわれらは言った。
「落ちて行け(26)。おまえたちは(27)互いに敵である。
そして、おまえたちには、地上に一時の住処と食糧がある」。”p.35
註釈
”21 「創世記」の記述ではアーダムが動物や鳥の名前をつける。「創世記」2章19節参照。
22 崇拝の跪拝ではなく、表敬の跪拝。
23 彼は幽精(ジン)の太祖であり、天使の間に居た。7章11-12節参照。
24 20章115-123節、「創世記」2章16-25節、3章参照。
25 イブリースが。
26 地上に。
27 アーダムの子孫とイブリースの子孫は。”p.35
※注釈の数字は原文では小さな数字だが
表現できないので()でくくった。
2:30など章節を示す個所は省略し、
引用前に範囲を提示した。
他の個所の引用も同様。
(クルアーンでは名づけを行うのはアッラーであり
人間アダムではないのが重要)
クルアーン7:11~7:25日本語訳
” そしてわれらは確かにおまえたちを創り、
それから形作り、それから天使たちに、
「アーダムに跪拝せよ」と言った。
すると、彼らは跪拝したが、
イブリース(736)だけは跪拝する者たち(の一人)とならなかった。
(アッラーは)仰せられた。
「われがおまえに命じた時、
おまえが跪拝しないとは、なにが妨げたのか」。
彼は言った。
「私は彼より優れています。
あなたは私を火から創り、
彼を泥土から創り給いました」。
仰せられた。
「では、ここから落ちていけ。
そしてここでは高慢であることはおまえに許されていない。
それゆえ出て行け。
まことにおまえは卑しい者の一人である」。
彼は言った。
「彼らが蘇らされる日まで私を猶予し給え」。
仰せられた。
「おまえは猶予された者たち(の一人)である」。
彼は言った。
「あなたが私を惑わし給うたことに誓って(737)、
必ずや私はあなたのまっすぐな道で彼らを待ち伏せしましょう」。
「それから必ず彼らを彼らの前から、
彼らの後ろから、
そして右からも左からも襲いましょう。
そして彼らのほとんどが感謝する者でないことをあなたは見出すでしょう」。
仰せられた。
「非難され、追い払われた者としてここから出ていけ。
彼らのうちおまえに従う者があれば、
必ずわれはおまえたち一同で火獄(ジャハンナム)を満たすであろう」。
そして「アーダムよ、おまえとおまえの妻は楽園に住め。
そして、どこでも望むところで食べよ。
ただ、この木に近づいてはならない。
さもなければ、おまえたちは不正な者たち(の仲間)となるであろう」。
それから悪魔は二人にささやき、
彼らに彼らから隠されていた陰部を顕にしようとし、言った。
「おまえたち二人の主がおまえたちにこの木を禁じ給うたのは、
おまえたちが天使となるか、
永遠に生きる者となるからにほかならない(738)」。
そして彼は二人に誓った。
「まことに私はおまえたちに対する忠告者たち(の一人)である」。
そうして彼は欺きによって二人を引き降ろした。
それで二人が木(の実)を味わうと、
陰部が顕となり、楽園の葉で身を被い始めた。
二人の主は彼らに呼びかけ給うた。
「われはおまえたちにその木を禁じ、
悪魔はおまえたちの明白な敵であると言わなかったか」。
二人は言った。
「われらが主よ、われらは己に不正をなしました。
もしあなたがわれらを赦し、
慈悲をかけ給わなければ、
われらは損失者たち(の仲間)となります」。
仰せられた。
「おまえたちは(739)互いに敵として落ちてゆけ。
そしておまえたちには地上に定住地と一定の時までの楽しみがある。
仰せられた。
「そこでおまえたちは生き、
そこでおまえたちは死に、
そこからおまえたちは引き出される」。”pp.181-182
註釈
”736 2章34節、20章116節参照。
737 「惑わし給うたために」との解釈もある。
738 20章120節参照。
739 アーダムと妻のハウワーゥとイブリース。”
pp.181-182
(聖書よりもクルアーンの方が女性を大切にしている。
旧約ではイブがアダムに食べてはいけない実を渡したことが女性蔑視の原因の一つなのだが
クルアーンでは二人が食べたとあるだけだから女性蔑視ではない内容。
イスラームでは聖書は改竄ありと考えるので
旧約の上記の内容は改悪されたものではなく
クルアーンの内容が真に正しい改竄なき聖書の記述ということになる。)
・p.40
スンナ派の信条では
動物にも無機物にもアッラーへの認識と知識があるが
いかに認識しているかの具体的な様態はアッラーだけがご存じ。
動物や無機物にも礼拝がありアッラーに賛美を捧げ
アッラーを畏怖している。
・p.45
”そして彼らは、スライマーン王の治世に、
悪魔たちが読むことに従った。
スライマーンは不信仰に陥らなかった。
ただ、悪魔たちが信仰を拒絶し、
人々に魔術を教え、
バービル(バビロン)の二人の天使ハールートとマールートに
下されたものをもまた(教えた)(91)。
しかし、両者は
「われらは『試練』にほかならない。
不信仰に陥ってはいけない」
と二人が言ってからでなければ誰にも教えなかった。
彼らは両者から妻と夫の間を引き裂くことを習ったのであるが、
彼らはアッラーの御許可なしにはそれで誰をも害することはできなかった。
彼らは自分たちを害し、益しないものを習ったのである。
そして彼らは、まさにそれを買った者、
その者には来世には何の分け前もないことを確かに知っていた。
そして彼らが自分自身をそれと引き換えに売ったもの(魔術)のなんと悪いことよ。
もし彼らが知っていたならば。(2:102)”
91 ハールートとソールートは魔術師であったとも言われる。
(バビロンの天使にして魔術師の二人の天使は
ロクアカのアルカーンの武器の元ネタだろう。
しかもクルアーンのソロモン登場箇所に出てくるし)
・雌牛
p.71
2章256節
”宗教に強制はない。
既に正導は迷誤から明らかにされた。
それゆえ、邪神たちを拒絶しアッラーを信じる者は
切れない最も堅い握りを摑んだのである。
アッラーはよく聞きよく知り給う御方。”
註釈
預言者ムハンマドの弟子のフサインには二人の息子があったが、
預言者の召命以前にキリスト教徒になっていた。
その後、二人がマディーナにやってきた時に、
フサインは二人に
「おまえたちがムスリムとなるまで
私はおまえたちを行かせない」と言った。
そこで彼らが預言者ムハンマドに訴えた。
父親が
「アッラーの使徒よ、私の肉親が獄火に入るというのに、
それを私は座視できましょうか」と言うと、
この節が下され、彼は二人を行かせた。
(「ムスリムにならないと、~することを認めない」と言って信仰を強制することの禁止。
クルアーンは註釈で啓示が下ったときの状況を知らないと間違いなく誤解するな。
イランの教科書では
”「宗教には無理強いということが禁もつ」
(第二章牝牛256節)”
が紹介されているが実質、イスラーム以外の選択肢はない)
・p.86
アッラーがイーサーを生きたまま掴み(召し)天に上げたというのが最有力説。
他に、眠らせたの意、死なせたの意、語順が逆の説がある。
最後の説は
われの許に上げ、(その後終末の前に地上に下ろし)
その後召す(死なせる)の意。
・p,101
殉教者の魂は肉体を離れるとすぐに楽園に入るが
一般の信仰者の魂は復活の日に肉体と共によみがえり
最後の審判を経て楽園に入る。
・p.113
4章34節(例の「打て」のところ)
イスラーム学者は
打つことは許されるが避けたほうがよいことで合意している。
虐待する方法、口実を探してはならない。
・p.134
イーサーは父親なしに
アッラーの「あれ」との御言葉によって創造されたために
アッラーの御言葉
と呼ばれる。
また、ジブリールがマルヤムの子宮に吹き込んだ息によって
アッラーの霊を吹き込まれて生じたので
アッラーの霊
とも呼ばれる。
(イエスはイスラムで優遇されている)
・p.136-137
5章3節の食事規定に
空腹で禁じられたものを食べることを余儀なくされた場合は許されるとある。
(そうしないと悪用されまくるからな)
・p.138
不信仰の民に対する憎悪、敵意から
彼らとの約束を破ったり、
子弟を殺傷したり
財産を奪うなどの不正を行ってはならない。
ムスリム同胞だけでなく
異教徒の敵にも公正にふるまわなければならない。
・p.142
5章33節は強盗に対する刑罰。
手足を互い違いに切断されるとは
右手と左足の切断であり
財産を奪ったが殺人は犯さなかった者への刑罰。
・p.164から165
註釈
人間は生前には善行と悪行を帳簿につける天使が同行し、
死に臨んでは魂を召し上げる天使が遣わされる。
最後の日、死の天使イスラフィールが角笛を吹くと
全ての生きものが死に絶えるが、
二度目に角笛を吹くと全ての霊魂が身体に還り甦る。
・p.179
6章158節註釈
終末の予兆には、
ダッジャール
(偽メシア:「ヨハネの手紙上」2章18節参照)
の出現、
イーサーの再臨、
それからヤアジュージュとマアジュージュ
(ゴグとマゴグ:「エゼキエル書」38章、
「ヨハネ黙示録」20章7-9節参照)の出現、
獣(ヨハネ黙示録13章参照)の出現があり、
太陽が西から昇ることなどがあると言われる。
(巻末索引の
ダッジャールの項目にあるページは179ページのみ)
・p.203
7章187節より
最後の審判がいつかは預言者ムハンマドも知らず、
アッラーのみが知り給う
という教え。
註釈にマルコ福音書13章32節とある。
(マルコ福音書13章32節は
終末の日時は父なるゴッドのみが知っていることであり
天子も神の子イエスすら知らないという個所。
”13:31
天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。
13:32
その日、その時は、だれも知らない。天にいる御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。 ”
https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)
イエスも知らないのが意外。
三位一体論では知識を共有しないらしい。
終末の日時を特定している宗派は聖典を否定していることが確定。
マタイ福音書24章36節も同主旨。
”24:36
その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。 ”
https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)
結城浩@hyuki
1月4日
聖書的には「日付を指定したこの世の終わりの予言」はすべて嘘です。
(マタイ24:35-36)
天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。)
p.213
8章61節の註釈824:
(敵が和平に傾いたらの文脈で)
庇護契約、休戦協定、寄留者安全保障契約などを交わせ。
多神教とに関する庇護契約については
「剣の節」(9章5節)で廃棄されたとも言われる。
・第9章 悔悟
冒頭に
慈悲あまねく慈悲深きアッラーの御名において
が書かれない唯一の章。
冒頭に因み
絶縁
章
とも呼ばれる。
「剣の節」(9章5節)
”それで諸聖月が過ぎたら、多神教徒たちを見出し次第殺し、
捕らえ、包囲し、あらゆる道で彼らを待ちうけよ。
だが、もし彼らが悔いて戻り、礼拝を遵守し、
浄財を払うなら、彼らの道を空けよ。
まことにアッラーはよく赦し給う慈悲深い御方。”
p.217
(言っておくが、この個所の適用はかなり限定的なので
適用範囲も知らずに叩く発言は無価値。
『クルアーン入門』に適用範囲について詳細に書いており、
詳しく私が過去記事にしたのでどうぞ。
シーア派12イマーム派でも適用はかなり限定的。)
・※当たり前だが、””でくくっていない個所は本文の引用ではないから、
引用するときよりも確認回数が少ない。
p.221
9章34節
信仰する者たちよ、
まことに律法学者と修道士の多くは人々の財産を虚偽によって貪り、
アッラーの道を妨げる。
また金と銀を貯め込み、
それをアッラーの道に費やさない者たち、
彼らには痛苦の懲罰という吉報を伝えよ。
35節
火獄(ジャハンナム)の火の中、
(金銀が)熱せられ、
彼らの額と脇腹と背中がそれで焼きごてを押される日に。
これがおまえたちが自分たちのために貯め込んだものである。
それゆえ、おまえたちが貯め込んだものを味わえ。
(ユダヤ教学者とキリスト教の修道士批判。
全ての~ではなく、「の多くは」としているのが良い。
イスラームではケチは悪。
罰としての烙印は額、脇腹、背中の三カ所らしい。
詳細な位置は不明。
そういえば、手足を交差するように切り落とす刑罰は、
右手左足らしいが、二回目はどうするのか?
どの程度落とすのだろうか?
しかしなぜ左右互い違いなのだろうか?)
・p.283
13章37節
そしてこのように、われらは、
それをアラビア語の規範として下した。
それでおまえが、
おまえに知識がもたらされた後で、
彼らの妄執に従ったなら、
おまえにはアッラーに対して後見も防ぎ手もいない。
38節
またわれらはかつておまえ以前にも使徒たちを送り、
彼らに妻と子孫を授けた。
そして、使徒にとって、
アッラーの御許可なしに徴をもたらすことは出来なかった。
あらゆる時代には書がある。
註釈
どの時代にも、その時代に応じた律法を定めた啓典がある。
あるいは、万物には寿命があり、
それは「護持された書板」(85章22節)に書き記されている、との意とも言われる。
39節
アッラーは御望みのものを消し、
また確定し給う。
そして、彼の御許には「書物の母」がある。
註釈
森羅万象が予め書き記された普遍の書。
護持された書板と書物の母は同一物とも、
両者は別の物で、
護持された書板に書かれたことはアッラーが御望みのままに書き換え給うが、
書物の母は永久不変であり、
アッラーの知そのものであるとも言われる。
(やはりクルアーンがアラビア語の規範。
護持された書板と書物の母って神智学のいうアカシックレコードの元ネタ?
神智学はイスラーム神秘主義なども取り入れているっぽいし。
そういえば、唯一神が「父」であり「母」でない理由を
聖典以外の根拠で神学者はどう説明しているのだろうか?)
・p.284
14章4節
(アッラーが使途を派遣するなら、
必ずその民族の言語を話す者が使徒に選ばれる。
教えを明示するためである)
・p.291
15章8節の注釈
天使が降臨するのは天罰が下されるときでしかない。
あるいは、叡智に基づく何らかの理由がなければ天使は降臨しない。
(天使を善良なる存在という意味で使う人が日本語話者に多いのはヤソの影響だろうな。
黙示録読むと天使が来ることは不吉なのにな)
・p.292
15章26節
また確かにわれらは、人間を変質した黒土のからからの粘土から創った。
註釈
あるいは「乾いた泥土、変質した黒土」
15章27節
そして、ジャーンヌを、われらは以前に灼熱の火から創った。
註釈
ジャーンヌとは幽精(ジン)のことであるとも、
幽精の太祖(イブリース)ことであるとも言われる。
(ジャンヌじゃないよな?
もしかして、惑わせる者イブリースの材料である火って火獄の火?
彼(クルアーンに「彼」とある)以外の天使たちはアダムに跪いて拝礼したので
人間(ただしアーダームなのでほとんどの人間より地位が上)>天使。
実際、
預言者(人間)>天使>預言者でない一般人)
)
・p.309
16章115節
彼はおまえたちに死肉、血、豚肉、
そしてアッラー以外の名を唱えられ(屠殺され)たものだけを禁じ給うた。
但し、反逆者ではなく、無法者でもなく余儀なくされた者であれば(罪はない)。
まことにアッラーはよく赦し給う慈悲深い御方。
(死肉の定義が気になる。
たいていの場合、生きたまま食べることはないからね。
血もダメだから、何かの儀式で血を飲むのもダメ。
キリスト教の儀式でワインをイエスの血として飲むのもダメだろうね。
そもそもワインは酒なので二重にダメ。
シーア兄貴による
死肉の規定の解説の要約。
シーア派十二イマーム派では
宗教上の規定を守って屠殺していないもの
野獣や猫や犬がとってきたものやそういった獣が食い残した肉。
なので狩猟でとってきた肉は色々と細かく異なる事あり。
例えば
まだ生きているのであるならば規則則って屠殺すればいい。
しかし死肉は基本はダメっぽい。
肉食獣に関しては既定上の屠殺をしても食べてはならないが、
その皮を身につけるのは可能だったと思う。
しかし、礼拝時は身につけて礼拝しても礼拝が無効になるとか、色々と細かい規定がある。
例えば、猫を吸った(おそらく顔をうずめてモフモフした)後に猫の毛が付いている状態では礼拝は成立しない。
)
・pp.312-313
17章15節
「導かれる者、彼は己自身のために導かれ、
迷う者、彼は己自身に仇して迷うのである。
荷を負う者は、他人の荷を負うことはない。
そしてわれらは、使徒を遣わすまで懲罰を下す者ではない」。
註釈
この説はイスラームの宣教の到達が懲罰の条件であり、
使徒が遣わされず宣教が届いていない民は全て、
不信仰であってもアッラーの恩寵により救われるとの学説の典拠とされる。
(日本列島に使徒は来たのだろうか?
使徒は日本語で宣教しているはず。記録はないのか?)
・p.314
17章29節から17章34節の注釈
財産を握り締めて放さず吝嗇になってもならず、
逆に手放しに散財してもならない。
預言者の言葉によると、
殺害が合法化されるのは、
背教、姦通、
無辜のムスリムの故意の殺害の三つの事由である。
後見(殺害された者の遺族)は、同害報復法によって復仇が制度的に保障されている。
孤児の後見は、自分の管理下の孤児の財産には、
有益に運用する以外は手をつけてはならない。
・p.318
17章70節
註釈
天使に関しては預言者たちは天使よりも高貴であるが、
一般の人間よりは天使の方が高貴である。
・p.331
18章83節
註釈
ズー・アル=カルナイン(二つの角を持つ者)は
通説ではアレキサンダー大王。
・p.332
ズー・アル=カルナイン(二つの角を持つ者)が、
ある部族に貢租と引き換えにヤアジュージュとマアジュージュを防ぐ為の防壁を作るよう頼まれ、
承諾し作らせた話。
障壁は鉄と銅でできている。
ズー・アル=カルナイン(二つの角を持つ者)が作らせた壁を
ヤアジュージュとマアジュージュ(聖書のゴグとマゴグと同定される)は
越えることも掘削することもできなかった。
しかしこの壁も最後の審判の時には壊れる。
以上の趣旨の話がある。
18章84節から18章99節まで
”まことに、われらは彼を地上において勢威を授け、
あらゆるものから彼に方途を与えた。
そこで彼は方途を辿った。
やがて、ついに太陽の沈むところに達すると、
彼はそれが泥の泉に沈むのを見出した。
そして、彼はそこにある部族を見出した。
われらは言った。
「『二つの角を持つ者』よ、
懲らしめるなり、
彼らに善を施すなりせよ」。
彼は言った。
「不正をなした者については、
いずれわれらが懲らしめよう。
それから彼は彼の主に戻され、
彼は酷い懲罰で彼を凝らしめ給うであろう」。
「一方、信仰し、善行をなした者については、
彼には応報として至善がある。
そして、われらは彼に、
われらの命令から安易なものを言いつけよう」。
それから彼は方途を辿った。
やがてついに太陽の昇るところに達すると、
彼はそれがある部族の上に登るのを見出したが、
われらは彼らにそれに対して覆いを設けていなかった。
このようであった。
そしてわれらは、
彼(「二つの角を持つ者」)の許にあるものを
確かに知識として包摂した(知り尽くしていた)。
それから彼は方途を辿った。
やがてついに二つの障壁(山)の間に達すると、
その手前にある部族を見出したが、
彼らは言葉をほとんど解さなかった。
彼らは言った。
「『二つの角を持つ者』よ、
まことにヤアジュージュとマアジュージュはこの地で悪をなす者たちです。
あなたがわれらと彼らの間に障壁をなす条件で、
われらはあなたに貢租を払いましょうか」。
彼は言った。
「わが主がそれにおいて私に権限を授け給うたものは一層良い。
それゆえ私を力で助けよ(労力を提供せよ)。
私はおまえたちと彼らの間に防壁をなそう」。
「私の許に鉄の塊を持ってくるがよい」。
やがてついに二つの(山)際の間を平らかにした時、
彼は、「吹け」と言った。
やがてついにそれを火にする(灼熱させる)と、
彼は言った。
「私に持って来い、溶けた銅、私がその(灼熱の鉄の塊)の上に注ぎ込もう」。
すると、彼ら(ヤアジュージュとマアジュージュ)はそれ(防壁)を越えることができず、
掘削もできなかった。
彼は言った。
「これはわが主からの御慈悲である。
だが、わが主の約束が到来した時、
彼はそれ(防壁)を(破壊し)平坦になし給う。
そしてわが主の約束は真実であった」。
そしてその日、
われらは彼らが互いに打ち寄せる(入り乱れる)ままに任せた。
そして、角笛が吹かれ、われらは彼らを一斉に集める。”
※(18:99)などの章節番号や、註釈番号は省略。
註釈
方途=望みの物を得る手段、道を。
覆い
=日陰をなす建物や陽射しを遮る衣類。
言葉をほとんど解さなかった
=特殊な言語で話し、
他の民族と意志疎通がほとんどできなかった。
通説ではヤアジュージュとマアジュージュは
聖書のゴグとマゴグと同定される。
「創世記」10章2節、
「歴代誌上」1章5節、
「エゼキエル書」38章、
「ヨハネ黙示録」20章7-9節参照。
トルコ人、モンゴル人を指すとも言われる。
彼らが互いに打ち寄せる
彼ら=ヤアジュージュとマアジュージュ。あるいは全ての建造物。
(当然だが、二本角の東征者もムスリム。
アレクサンダー大王のことだという説が最有力だが、
あくまでモデル。なぜならアレクサンダー大王はムスリムではないから。
誤愚と魔誤愚とか
夜(奴、闇、病、厄、邪)獣呪とか
魔呪呪という音写が思い浮かんだ。
イスラム世界では特にアレクサンドロスを神に服従する、
全世界に教えを広める使徒としたキャラ付けが独特で、
それが彼の帝国を広げる戦いを拡大していたイスラムの聖戦に重ね合わせていたことが要因に挙げられていたところが面白い。
っていうか突然天使にさらわれて天空から世界をみおろしたり、
謎の異民族(というかほぼ怪物)ヤージュージュとマージュージュを封じるため鉄と銅ででっかい壁作ったり大変だなこの人。
この動画
山中由里子「二本角が表すもの」
https://www.youtube.com/watch?v=6yst70I2KCs&t=2s
すごすぎる。
もしかして最初に出ている司会進行役って中田考先生?
31分あたり
ズー・アル=カルナイン(二つの角を持つ者)の正体については
おおまかに三つの説があり
①アレキサンダー大王(最有力)
②古代イエメンの王サアブ
③ペルシャの王ファリードゥーン(アブラハムと同世代)
※聞き間違いの可能性あり。
動画の文字が読みづらいというか見えない。
35分あたり
なぜ二本角なのかについても多くの説がある。
①(最も広く受け入れられていただろう説)
太陽の二つの角(太陽の昇る場所と沈む場所)に辿り着いたから。
アラビア語のカルンQarnが角だけでなく
(特に明け方に現れるその日最初の)太陽光も意味することによる掛詞。
(二本角モーセが顔が光っているモーセに恐らく意図的に誤訳されたのと関連)
②アレキサンダー大王がペルシャ人とギリシャ人のハーフだから。
イランの伝承に基づく。
⑦王冠に角がついていたから。
⑪勇気が敵に角を突く雄羊のようだったから
雄羊の角つき冠を被ったアレクサンドロスのヘレニズム時代の貨幣がある。
角はゼウス-アモン神を象徴しているとされる。
アレキサンダー大王は遠征の途中にわざわざエジプトのゼウス-アモン神殿に立ち寄り、
彼がゼウス-アモン神の子であるという神託が下され、
彼が自称し、
アモンのコスプレをしたり
角をつけた肖像を彫らせたりした。
インド象の角、牧神パンの角(ヤギの角)バージョンもある。
ダニエル書8章にて
ダニエルが
2本の角を持つ雄羊を
1本角の雄ヤギが倒す幻視して、
ガブリエルが雄羊はメデアとペルシャの王であり、
雄ヤギはギリシヤの王だと解説。
ユダヤ教では
1本角の雄ヤギがアレクサンダー大王=ギリシヤの王
だと考えている。
つまり二本角ではない。
46分あたり
アレクサンドロスにまつわる
シリア語キリスト教伝承にて
アレクサンドロスは神から二本角を授かる。
神から授かった力が二本角に象徴されている。
これがクルアーンの二本角を持つ者の話の元ネタかも
(諸説あり)。
(モーセの二本角との関連では?
ズー・アル=カルナインは預言者っぽさがある。
でも預言者ではないはず。
イスラームでは二本角は悪い意味ではない。)
ヘレニズム時代にアレクサンドロス神格化の萌芽があり、
ローマの皇帝崇拝につながる。
ローマ皇帝の中にはアレクサンドロス模倣をする者がいた。
(「二本角=悪魔」はヤソ教特有の思想!
二本角=悪魔としている時点で耶蘇教思想。
黙示録の竜も角が沢山生えているから新約では角は悪いイメージ。
ヘブライ語聖書ではモーセに二本角が生えたという記述がある。
耶蘇が翻訳でモーセの二本角の個所を別の訳語にして隠したのは
「二本角=異教の悪魔」という教義を維持するためだろう。
ヤソが消し去りたい宗教が皆が皆
「角=強い=善=崇めよう」
だったから
悪にしたんだろ。
メソポタミアの神は角冠を被っている。
ユダヤ教でもイスラームでも二本角は善なる強者の象徴であり悪魔の象徴ではない。
クルアーンのズー・アル=カルナイン(二つの角を持つ者)は肯定的に描かれている。)
アラビア語カルンQarn
①角
②太陽光
の掛詞。
(二本角モーセから顔が光っているモーセへの誤訳を想起)
雄羊の角つき冠を被ったアレクサンドロスのヘレニズム時代の貨幣がある。
彼はエジプトのゼウス-アモン神殿でゼウス-アモン神の子だと神託が下されたので
角はゼウス-アモンの象徴。
@mryensrh11
アモン鍵mryensrh11
” 9月18日
ケルヌンノス - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%8C%E3%83%B3%E3%83%8E%E3%82%B9 …
語源の所な
>ガリア語の carnon, cernon は「枝角」「角」を意味している
>同様に、古アイルランド語では cern は「角」を意味し、
>これらは原インド・ヨーロッパ語の *krno- からきたものである。
>ラテン語の cornu 、ゲルマン語の *hurnaz (英語の "horn" の元)も同じ語源である
これなあ 牛くんにもつながるんだよ
>ケルヌンノスはほとんど常に動物、特に牡鹿と共に描かれる。
>第一の眷属と考えられる牡羊の角をもった蛇と共に描かれるが、
>蛇自体も神であったかもしれない。
>また、これらほど頻繁ではないものの牡牛、犬やドブネズミなどの獣
で、そこへ 颯爽と子x5降臨、とつながる訳ですよ
アモン・プリンセスキャンディ・ウキウキモンキー・ホモランドセルさんが追加
祝福されし未完成ブラスト/ダームGoblin Tactician
@kitsuchitsuchi
アラビア語カルンQarn
①角
②太陽光
の掛詞。…
このスレッドを表示
hornと言えばさ
モーセがシナイ山に登った時角笛の音がしたって書いてるんだよね
出エジプトの19章とかそのへん
勿論これは英語版ではhornである
9月19日
けるぬんのすが歯科なのか牛なのか
けるぬんのすが歯科なのか牛なのか
羊なのか考えつつ
ぶっちゃけツノがあれば何でもいいのかねえ?
なんて考えつつ
なんでツノが日の出日の入りなんだろうねえ?
と考えつつ
(この前子x5に紹介してもらった動画見てねーんだ
なげーんだもんw)
これってもしかして白夜?
とか思うわけさ
太陽が沈みそうな所からぐぐぐっと昇り直す
これなら確かに牡牛座のマークにも見える
♉
地平線にぐぐぐっと迫った太陽が
ぐぐぐっと登り直すみたいだろ?
だからこれはdeath and rebirth
ただ、、、
足臭いんだー大王
白夜見れたのか???
白夜
地面が真ん丸なら
♉
牡牛座マークそのものだ
地平線(水平線じゃないよ)が見えるのは
日本じゃ北海道の一部だけど
360度全部が地平線なら
きっと真ん丸に見えるだろう
けど、欧米でも360度は無理じゃね?
山もなーんにも無い場所だよね?
無理じゃねと思ったら、、、、
あるよ ある
航海中の海原だ
航海するぐらいだから
凪を狙うだろうよ
じゃー、沖に出りゃ360度
真っ平らだよね
これならギリシャじゃ
白夜見えねえぞ?
って問題もクリアする
航海だから
そもそもギリシャじゃねえよ
と、まあ、ここまで仮説な
参考
(夏至と白夜
http://bb79a.blog.fc2.com/blog-entry-1625.html
にある白夜の画像だが
”ウェブ上にあった連続写真。太陽の一番低い所が真北。これは南極の画像のようだが、ノルウェーやスウェーデン北部では町で見られる。オスロは白夜にならないが、陽が沈んでも太陽が地平線の近くにいるので夜が青い。もう20年前の話だ。”とあるので元は別サイト)”
ぐだトマト@pteras14
9月11日
ケルヌンノスさん……
ねとらぼ認証済みアカウント @itm_nlab
9月11日
ごく普通のシカ(二足歩行)
一切普通じゃない「ごく普通のシカのゲーム DeeeerSimulator」のTwitterアカウントが誕生! 狂気、カオス、理解不能
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1809/10/news113.html … pic.twitter.com/SqFXnh7FBZ
アラビア語の双数形について
https://suikageiju.exblog.jp/19586649/
マゴグ(Magog)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B4%E3%82%B0
Magog (Bible)
https://en.wikipedia.org/wiki/Magog_
(Bible) Dhul-Qarnayn "Yajooj" and "Majooj" (Gog and Magog)
https://en.wikipedia.org/wiki/Dhul-Qarnayn
Yajuj and Majuj Gog and Magog
https://en.wikipedia.org/wiki/Gog_and_Magog#Gog_and_Magog_in_Islamic_tradition
イスカンダル イスカンダル・ズルカルナイン
https://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/7c85495b9d84e426eb8913836de43491
アレクサンドロス・ロマンス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B9)
)
・p.340
19章92節
”そして慈悲あまねき御方が子を持つことなどありえない。”
(イエスを含む、すべての神の子の否定。
このように比喩無しで明言されているのならいいのだが、
比喩的表現について言いたいことがあるので書いておく。
「当時あるもので喩えるのは、
当時の人にとってはわかりやすいけど、
何百年、何千年も経つと間違いなく誤解を招くから
聖典にあるとまずくない?」
「年月を経た人々のその喩えに使われたものに対するイメージの変遷も
絶対唯一形而上実在御方は当然考慮されておられるはずなので問題ない」
「人間の狭い認識範囲と、短い寿命での観測範囲では悪でも
終末までの期間としてみれば結局全体的には善
となるようになっていると言えば何言われても言い返せて都合いいな。
都合の悪いことは全部、
悪魔の幻惑だとか、悪意ある人間の仕業とか、唯一神の試練というのと同じだな。
これらの論法使った時点で説明を放棄しているよな。
物語も比喩も多様に解釈できるゆえに
時代が変わっても問題ないから
各宗教の神話や聖典が採用しているのだし、
物語と比喩は人間の潜在意識レベルまで強く変化させるから採用するに決まっているよね。
論説文で何百年何千年と生き残っている聖典なんて見たことないぞ」)
・20章ター・ハー
本翻訳書ではクルアーン原文と日本語訳と章が始まるごとに日本語で概要が書いてある。
本章の概要より:アーダムが食べて楽園を追放されることになる木は悪魔によって
「永遠の生命の木」と呼ばれている(聖書では知恵の木)。
(キリスト教のエデン追放エピソードは一部誤っているとして否定。
知恵の実を食べたから善悪を知ったり羞恥を知ったりしたということの否定。
永遠の生命の木を食べても寿命は永遠にならないらしい。
霊魂不滅になる?
でも最初から霊魂不滅だよね?
あとこの悪魔は文脈よりイブリース。
アダムへ跪いて拝することを拒否する話がまた繰り返されているからね)
20章120節から121節
だが、彼に悪魔が囁いて言った。
「アーダムよ、おまえに永遠(の生命)の木と衰えることのない王権について教えようか」。
そこで二人はそこから食べ、すると彼らには己の陰部が顕わとなり、
彼らは楽園の葉でそれら二つ(陰部)を覆い始めた。
こうしてアーダムは彼の主に背き、道を誤った。
・p.359
21章96節
ヤアジュージュとマアジュージュが解き放たれ、
彼らがあらゆる丘から走り来るまでは。
・p.361
22章5節
人々よ、もしおまえたちが甦りについて疑念のうちにあるなら、
まことにわれらがおまえたちを土くれから、
それから精液から、
それから凝血から、
それから創造されたものと
創造されたものでない肉塊から創ったのである。
おまえたちに(われらの威力の完全性を)明示するために。
そしてわれらは子宮の中にわれらが望むものを定められた時期まで留め置き、
それからおまえたちを乳児として出でさせ、
それからおまえたちは壮年(三十-四十歳)に達するのである。
おまえたちの中には召し上げられる者もあれば、
おまえたちの中には最も低劣な(耄碌の)年まで戻され、
知識の後に何も知らないようになるものもいる。
またお前は大地が枯れ果てているのを見よう。
ところがわれらがそこに水(雨)を下すや、
それは身震いし、盛り上がり、あらゆる麗しい種類の植物をも生じさせた。
註釈
創造されたもの
とは
人間の形をとったもの、
創造されたものでない
とは人間の形をとらなかったもの、未熟児
を指すと言われる。
召し上げられる
のは壮年になる前にである。
(人間の肉体は土と血と精液でできている)
・p.363
22章17節
まことに信仰した者、「戻った者たち」(ユダヤ教徒)、
サービア教徒、キリスト教徒、
マギ教徒、
そして多神を崇拝する者たち、
まことにアッラーは彼らの間を復活(審判)の日に分別し給う。
まことにアッラーはあらゆるものの証人となり給う御方。
註釈
マギ教徒
光と闇の二元論を信じ、火を崇拝するゾロアスター教徒を指すとも言われる。
(やはりイスラームは明確にゾロアスターをピンポイントで否定している教義がある。
。火葬も水葬も悪)
⑥飲酒ok
露骨にゾロアスター教破壊用でしょ?
教義のうち、日常生活に直結するものを真逆にしているのが重要。
イスラム教の場合は敵対するとはっきり表明する実例。
敵対するとはっきり表明せずに対象を乗っ取り破壊する実例であるマニ教の設計図”
兄貴のエアリプを要約すると
・シーア派12イマーム派ウスール学派の基礎解釈での犬は
「愛玩犬以外は条件があるけど飼っても良い」であって犬自体を全く禁止にしている訳ではない
猫が推奨されているのでもない。
預言者が猫を飼っていた伝承をシーア派12イマーム派ウスール学派は選択しない。
(イスラームの教義がゾロアスターと真逆のものが多いことについては言及せず)
)
・p.370
22章75節
アッラーは天使たちから使徒を選び給い、
人間からもまた。
まことにアッラーはよく知り、よく見通し給う御方。
註釈
天使とはジブリール、ミーカーイールなど。
・p.371
23章12節から15節
そして確かにわれらは人間を泥土の精髄から創った。
それから、われらは彼らを精液として丈夫な定着地に置いた。
それから、われらはその精液を凝血に創り、
その凝血を肉塊に創り、
その肉塊を骨に創り、
その骨に肉を着せ、
それからわれらはそれを別の創造に作りだした。
それゆえ、祝福多きかな、アッラー、創造者たちのうち最良の御方。
それから、まことにおまえたちはその後、必ずや使者となる。
註釈
別の創造
魂を注入することで別の存在となした。
(われらってことはアッラーと天使で創ったのだろうか?
主語は複数形、動詞は男性単数とか?
人間の不死の否定。でないと復活できないからね)
・p.392から
25章43節
己の欲望(妄執)を神とした者をおまえは見たか、
おまえは彼に対する代理人になるのか。
註釈
代理人
彼が己の欲望(妄執)に従うのを、
おまえが彼に代わってやめさせるのか。
論敵との論戦は、
敵との武力による戦いに優るので、
「大いなる奮闘(ジハード・カービル)」と呼ばれている。
・p.407
第27章 蟻
動物の言葉を解読する能力を授かったスライマーン王が
蟻の言葉を聞く逸話に因む。
終末に出現すると言われる獣について言及される。
(蟻は動物らしい)
・p.410
悪鬼(イフリート)登場。
姿は不明。
イフリートはジンの一人。
・p.414
”そして、彼らの上に(懲罰の)言葉が実現する時、
われらは彼らに大地から獣(1413)を出でさせ、
それは彼らに、
「まことに人々はわれらの諸々の徴を確信していなかった」
と語るであろう(27:82)”
獣の出現は終末の予兆の一つ。
獣とは人々を偵察する忍獣(ジャッサーサ)であるとも、
人語を話す動物であるとも、
獣のような人であるともいわれる。
(獣は海からではなく地面から登場するらしい)
・p.434
29章64節
そしてこの現世は戯れ、遊びにほかならない。
そしてまことに、来世の館、それこそ(真の)生である。
もし、彼らが知っていたならば。
註釈
消え去る現世を永続する来世よりも大切にすることはなかったであろう。
(
今の私如きに全てが理解でき納得できて
喜んで従えるようなことを命ずる程度の存在ならそもそも神ではない。
どの命令にも重層的な意味があり、
各々の時点で新たな意味が開示されるとしても、
やはり全てが頷けるわけではない。
といって、殆ど全てが理解できず不満な教えに従うのも、どう考えても不合理。
納得できることとできないことの最適なバランスの一般解はおそらく存在しない。
それが信仰というもの。)
・p.437
30章30節
それゆえ、おまえの顔を、
ひたむきにこの宗教に直面せしめよ。
彼(アッラー)が人々に造り給うたアッラーの本性を(遵守せよ)。
アッラーの創造に変更はない。
それこそ正しい宗教である。
だが、人々の大半は知らない。
註釈
イスラームは人間の本性に適った宗教である。
それゆえ
「全ての新生児は本性の上に生まれる。
ただその両親が彼をユダヤ教徒やキリスト教徒にするのである」
とのハディースにあるように、
人間はイスラームの本性を持って生まれるが、
親の教育により、異教に染まっていくのである。
(一切衆生悉有仏性かな?)
・p.459
34章14節
註釈
スライマーンは死後も、
死体が彼の杖にもたれかかって立った姿勢のままであった。
それで幽精(ジン)たちは、木食い虫が彼の杖を食み、
死体が倒れ伏すまで、
彼の死に気づかず、
生前にスライマーンが命じた苦役を続けていた。
(立死にするソロモン。
クルアーンではソロモンは立ち往生する)
p.480から
37章77節
註釈
一説によると、
人類は全てヌーフ(ノア)の子孫であり、
ヌーフの子サーム(セム)の子孫がアラブ人、ペルシャ人、ギリシャ・ローマ人、
ハーム(ハム)の子孫が黒人、
ヤーファス(ヤペテ)の子孫がトルコ人、モンゴル人となった。
(これイスラーム側の情報?
黒人ってアフリカ大陸の人って意味。
アラブ人も肌が(浅)黒いじゃん)
37章102節
註釈
創世記ではイブラーヒーム(アブラハム)が犠牲に捧げようとしたのは
イサク(イスハーク)であるが、
イスラームのクルアーン注釈者の間では、
イスハークが113節に後述されることから、
イスマーイール(イシュマエル)だったとするのが多数説。
・p.497
39章49節
そして人間を、災厄が襲うと、
彼はわれらに祈った。
恩寵を授けると、言った。
「私がそれを授けられたのは知識に基づくに過ぎない」。
いや、それは試練である。
だが彼らの大半は知らない。
註釈
試練
自らの成功が自分の能力によるものと自惚れず、
アッラーに感謝するかという試練。
(成功するかどうかは大半が運で決まるからね。
成功体験が参考にならない理由。
失敗体験は参考になることが多い気がする)
・p.501
40章11節註釈
二度死なせ、二度生かし給い
生まれる前の精子の状態が第一の死、
現世での生が第一の生、
現世での死が第二の死、
来世での復活が第二の生とされる。
・p.513
41章37節
また、彼の諸々の徴のうちに、
夜と昼、太陽と月がある。
太陽にも月にも跪拝してはならない。
それらを創り給うたアッラーに跪拝せよ。
もし、おまえたちが彼にこそ仕えるのであれば、
(自然=被造物崇拝の否定)
・p.526
43章48節
註釈
姉妹
徴(アーヤ)は文法上女性なので姉妹と呼ばれる。
(アヤちゃん)
49節註釈
当時、エジプトでは魔術師は学識者として尊重されていた、とされる。
(魔術を悪として叩く箇所が複数個所あるが
やっている内容を見ると
魔術師でない側=イスラーム側も魔術使っているんだけど。
信仰対象で魔術か否かが決まるのか?
これユダヤとキリスト教から受け継いだ、ダメな二枚舌じゃん。
↑
シーア兄貴の指摘
”43 章49 節は前後文読め
その時言った彼らは46 節に書いてあるようにフィルアウン(悪政者)とその長老達であって、ムーサー(ع) ではない”)
について。
註釈だけ書いたのはまずかった。
ネット上の翻訳の引用(だって長すぎて手打ちは大変以下略)
43. 金の装飾 (アッ・ズフルフ)
http://www.way-to-allah.com/jp/quran/43.htm
”45. あなた以前にわれが遣わした,使徒たちに問いなさい。われは,慈悲深き御方以外に仕えるべき神々を置いたのか。
46. 本当にわれは,ムーサーに様々な印を持たせて,フィルアウンとその長老たちに遺わした。かれは言った。「わたしは,本当に万有の主の使徒です。」
47. ところが,わが種々の印を現わしたのに,見よ。かれらはそれを嘲り笑った。
48. それでわれが次々にかれらに示した印は,どれもその仲間のものより,偉大なものであった。そして懲罰をもってかれらを懲らしめた。必ずかれらは(われの許に)帰るであろう(ことを思って)。
49. その時かれらは言った。「魔術師よ,主があなたと結ばれた約束によって,わたしたちのために祈ってください。わたしたちは本当に導きを受け入れるでしょう。」
50. だが,われがかれらから懲罰を取り除くと,同時にかれらはその約束を破ってしまった。
51. そしてフィルアウンはその民に宣告して言った。「わが民よ,エジプト国土,そしてこれら足もとを流れる川は,わたしのものではないのですか。あなたがたは(そんなことが)分らないのですか。
52. わたしは,この卑しい,明瞭に言い表わすこともできない者よりも,優れているのです。
53. 何故黄金の腕環がかれに授けられないのですか。また何故天使たちが,付添ってかれと一緒に遣わされないのですか。」
54. このようにかれはその民を扇動し,民はかれに従った。本当にかれらは,アッラーの掟に背く者たちであった。
55. こうしてかれらはわれを怒らせたので,われはかれらに報復し,凡てを溺れさせ,
56. かれらを過去(の民)とし,後世の者のために(戒めの)例とした。”
より、
モーセが魔術師だと言われていて、
それをうけて、
エジプトでは魔術師は賢者扱いと註釈されている。
賢者=善ということだからだろう。
イスラームでも魔術師叩きの個所がここ以外にもあった記憶があるので
イスラームもヤソとかと同じく
行為は同じでも
崇めている唯一絶対存在のおかげなら魔術ではなく
異教徒が使うなら全部魔術=悪扱いという二枚舌をやっているのでは?
と考えて書いたはず。
イスラームにおける魔術概念の扱いについて日本語か英語でいい記事ないかなあ。
・p.552
50章16節
そしてわれらは人間を確かに創り、
われらは彼の魂が己にささやくということを知っている。
そしてわれらは彼に頸動脈の血管よりも近い。
17節
二人の受け手が右と左に座って受け取る時。
註釈
人間の言動を記録する二人の天使。
右の天使は善行を記録し、
左の天使は悪行を記録すると言われる。
(イスラームでは人はみな二人は天使がすぐそばにいる。
この二人の天使も頸動脈よりも近いところにいるのだろうか、
それならもう体が触れあっているじゃん。
だって頸動脈って体表面に近いけど体内じゃん。
右を優遇ってインド由来かもね。
右手が所有するもの
=女奴隷。
なぜ右手か不明。)
・p.560
53:14
最果てのスィドラ
スィドラはナツメの一種。
最果てのスィドラは楽園の第六天から第七天に位置し
この木より先には被造物の知識は及ばない。
諸天と地の上限であり
アッラーから垂示されるすべてのもの(預言者等)はここに降される。
(名作タイトルになりそうだな、最果てのスィドラ)
p.561
アッラートはターイフのサキーフ族の白い岩の偶像
アル=ウッザーはクライシュ族が崇めた木の偶像
マナートはフザイル族、マディーナのアウス族とハズラジュ族の岩の偶像であったともいわれる。
・p.573
56章77節
まことに、それは尊いクルアーンである。
78節
隠された書の中にある。
79節
それに触れるのは清められた者たちのほかいない。
註釈
儀礼的な浄化(ウドゥーゥ)で身を清めた者以外は触れてはならない。
前節の「隠された書」を護持された書板ととる解釈に従うと
この清められた者とは天使を意味する。
(本書はアラビア語原典も載っているからクルアーン扱いすべき。
異教徒は触れるなって説が確かある。
それだとどのような宗教か異教徒は調べるなってことだから
納得できるように説明して宣教せよという姿勢と矛盾しないか?
聖典読まれると困るのか?
まさか聖典に矛盾することを教義として騙っているのか?
とか勘ぐられちゃうぞ?
まあ翻訳なら註釈扱いだけどさ、
本書のように原文とセットにしてるのって……勘ぐられても仕方ないな!)
p.578
57章27節
修道院制度はキリスト教の創作でありアッラーの教えではない
という記述。
(イスラームに修道院制度はない)
・p.582から
戦闘が行われることなく降伏した敵から獲得した賠償金の配分規定がある。
59章7節
アッラーが町々の住民から彼の使徒に返し給うたものがあれば、
それはアッラーのものであり、
使徒と
(使徒の)近親、
孤児たち、
貧困者たち、
そして旅路にある者のものである。
おまえたちのうち金持ちたちの間での持ち回りとならないためである。
そして使徒がおまえたちに与えたものがあれば、
それは受け取り、
彼がおまえたちに禁じたものがあれば、
避けよ。
そして、アッラーを畏れ身を守れ。
まことにアッラーは応報に厳しい御方。
59章9節
また、彼ら以前から住居(マディーナ)と信仰を手にしていた者たちは、
自分たちの許に移住して来た者を愛し、
彼ら(移住者)に与えられたものに対して
己の心に必要(物欲・嫉妬)を見出さず、
またたとえ、自分自身に欠乏があっても自分自身よりも(他の同胞を)優先する。
また、己の強欲から護られた者、
それらの者、彼らこそ成功者である。
(イスラームの成功の定義。
アッラー崇拝が大前提。
ムハンマドが孤児だったので弱者にやさしい教えになっている。
金持ちに独占されないようにせよって聖典に書いてあるのがすごい。
↑
シーア兄貴の指摘について。
確か、辞書引いて
孤児=両親のいない子なので両親以外が保護者になっても孤児だと判断して
孤児という言葉を私は使った気がする(記憶曖昧)。
しかし、
他の定義では親戚等の保護者がいるなら孤児ではないとするものもある。
となると、
「両親を幼くして亡くした」にすべきという兄貴の指摘は正しい。
イスラーム系の人がムハンマドは孤児って言っているのはまずくない?
注意深く避けている人もいるだろうけど。
アラビア語の孤児に当たる表現のニュアンスがわからない。
以上より、
孤児というより保護者がいなくて立場の弱い子供に優しいのほうが適切。)
・p.586
60章1節から9節で
敵対行為
(イスラームと戦ったり、
ムスリムをムスリムの家から追い出すなど)
をなしていない不信仰者に親切、公正に振る舞うことは禁じられていないことを明記。
(積極的に異教徒を探して迫害せよという教えはない。
剣の節は適用条件が厳しい)
・p.623
76章2節
まことに、われらは人間を
--われらは彼を試す--
混ぜ合わされた精滴から創り、
そして彼に聴覚と視覚を成した。
註釈
試す
われらは人間を試すべく、人間を創った。
あるいは、
われらは、われらに試される存在である人間を創った。
試すとは、
人間に対する義務負荷とそれへの対応を見ることを指す。
混ぜ合わされた
男女の性液が混合した。
(イスラームでの人間の誕生理由聞かされて嫌がる人多そうなんだけど)
・p.624
楽園の様子
76章21節
彼ら(敬虔な者たち)の上には緑の錦と緞子の服があり、
銀の腕輪で飾られ、
彼らには彼らの主が清らかな飲み物を飲ませ給う。
(イスラームは緑が善なるシンボルカラー。
オシリスの色も緑。
世界連邦ヤソ陣営が緑がシンボルなのはヤソ以前の宗教由来だろうな)
・p.647から
第89章 暁
冒頭の
暁にかけて
に因む。
アード族、イラムの町、サムード族、
フィルアウンの滅亡に注意を喚起した後、
審判の警告がなされる。
89章17節途中から21節途中まで
おまえたちは孤児を厚遇しない。
そして、貧しい者の食事(の施し)を奨励しない。
そして、遺産を貪欲にむさぼり食らう。
そして、財産を溺愛で愛する。
断じて(このようにあるべきでない)。
註釈
遺産を貪欲に~
善悪の区別なく、遺産における他人の権利まで貪る。
(孤児を厚遇せよ、
貧しい者に食べ物を施せ、
遺産(他人の権利)を貪るな、
財産を崇拝するな(拝金主義の否定)という教え。
ロクアカの
魔将星《魔煌刃将》アール=カーン
(イスラームの五行はアラビア語でアルカーン)
が学園地下迷宮地下89階で門番を務める理由がわかる。
この章の内容はこのラノベのアルカーンの話には反映されていない。
魔人側はイスラーム(おそらくイスラーム神秘主義)傾向がある側だからね。
彼は邪神(おそらくクトゥルフ)の試練を乗り越えて手にした13(!)の命と、
左手に持つ魔術を打ち消せる赤き魔刀
「魔術師殺し(ウィ・ザイヤ)」(こっちの元ネタはいまだ不明)、
右手に持つ霊体そのものを傷つけられる黒き魔刀
「魂喰らい(ソ・ルート)」(本記事で元ネタがわかる)
が武器。
時間停止能力者の女性に最後の命を殺されて消滅(影にすぎず本体ではないらしい)。
時間操作=ズルワーンの力
には勝てない。
ロクアカの詳しい考察は別記事でやっているのでご覧ください。
最新刊が出たら更新していきます。)
・p.655
96章18節
われらも
火獄の番人たち(ザバーニヤ)
を呼び集めよう。
(ザバーニヤかザバーニャかルビだとわからない。
イスラームの地獄は火獄と訳されるように熱いのだが、
仏教のように冷たい氷の地獄もあるのは少数派なのだろうか?
・p.666から
111章 棕櫚
預言者ムハンマドに激しく敵対したアブー・ラハブとその妻への呪詛。
111章1節から5節(本章全文)
慈悲あまねく慈悲深きアッラーの御名において
アブー・ラハブの両手は滅び、また彼も滅びた。
彼の財産も、彼が稼いだものも彼には役立たなかった。
いずれ彼は、炎(ラハブ)を伴った火に焼(く)べられる。
彼の妻もまた(火に焼け)、薪を運んで、
彼女の頸(首)には棕櫚の縄が(つけられて)ある。
註釈
両手に対する呪詛は全身に対する呪詛を表現する。
アブー・ラハブの妻は、預言者ムハンマドを傷つけるために、
夜中に棘のある木の薪を運んで、
預言者の通り道においていた、と言われる。
また薪を運ぶとは、
人々の間に敵意と憎悪の火をつける中傷や、
陰口を言いふらすことの比喩ともいわれる。
(呪詛が聖典にあるのか……
なぜ棕櫚の縄を首に巻くのだろうか。
火獄だと燃える、そうか、それが目的か)
・クルアーン正統十読誦注解
松山洋平 筆
現代のスンナ派イスラーム世界では
クルアーンの十通りの読誦法「十読誦」が正統として認められている。
正統な十読誦のそれぞれの読誦法は
師(イマーム)あるいは読誦者と呼ばれる一名の読誦者に帰される。
これらの師の読誦法を普及させた人物を伝承者と呼ぶが
十読誦の師にはそれぞれ有力な二人の伝承者が存在する。
ただし、すべての伝承者が師に直接師事しているわけではない。
また、伝承者の読誦を伝える諸々の下位伝承は経路と呼ばれ
伝承とは区別される。
なお、各伝承者はそれぞれ有力な二種の経路を持っている。
(一人の師
二人の伝承者
四人以上の経路)
死亡年に付されたhはヒジュラ歴を意味する。
シーア派十二イマーム派では正統性が認められているのは
現代においても
七読誦のみ。
預言者ムハンマドと天使ジブリールは、
毎年のラマダーン月に
クルアーンの読み合わせを行い、
その章句の順序などを確認していた。
読誦法の分類
1 アラビア語の正しさ
2 ウスマーン版ムスハフの書体(rasm)への一致の如何
3 伝承経路の信憑性
アラビア語がクルアーンを守護するのではなく
クルアーンがアラビア語を守護する。
クルアーンの文言が正則アラビア文法の根拠。
以上
参考資料
【FGO】なぜイスカンダルはブケファラスに乗るのか?
http://tenfingers.hatenablog.com/entry/2018/03/29/015826
聖書の「正義」は「ジャスティス」ではない
http://tenfingers.hatenablog.com/entry/2017/03/27/082523
正義はゆるし、偽善はゆるさない
http://tenfingers.hatenablog.com/entry/2017/04/08/225816
一者
http://tenfingers.hatenablog.com/entry/2017/04/11/114547
【Fate】なぜ歴代ハサンは十九人なのか?【Grand Order】
http://tenfingers.hatenablog.com/entry/2017/02/26/015403
(日ユ同祖論カルト信者が好きな景教渡来説を採用している
ムスリムのサイト。
かなり勉強になるが注意。
正月はさすがに一神教由来ではないでしょ。
明治になって中身が改造されてキリスト教化した可能性はあるが。
日本人が必ず好きになるジャスティス
http://tenfingers.hatenablog.com/entry/2018/03/03/215158
”Authority should derive from the consent of the governed, not from the threat of force!"
「権力とは脅しではなく、統治されるものの同意から生まれるべきよ!」”
俺はイスラーム教徒なのでユダヤ教のティフリンに萌えたりしない
http://tenfingers.hatenablog.com/entry/2017/03/05/223859
'Let there be light.' And there was light.
イェヒー・オール・ヴァイエヒー・オール。
ヘブライ語で光はオールなのか(ヘブライ語勉強したこと忘れてる))
神も模するものとして、日本では天皇陛下などが挙げられますが、
やはりステーキを食べてる=新陳代謝の象徴たる画はあまり見当たらないわけですね。
象徴たる神は代謝をしないほうが望ましい。
あながち、もっともアイドルらしいアイドルはバーチャルユーチューバーかも。
「わたしはイスラム教徒として、女性から握手を求められると不快で、
セクシャルハラスメントだと思うが、
西洋人のように野蛮ではないので特に騒ぎ立てることはしない」という中田先生、偉い。
自分の崇高な義務を他人に課してはならない。
若者起業支援みたいなのまったくダメだ。
その理由、起業したい若者なんて「上からの圧力」みたいなの大嫌いな連中しかいないから。
税金で支援したら、当然進捗報告が義務になる。その業務報告が嫌。
甘ちゃんの中からイノベーションが生まれることもある。いまの起業支援からは絶対に生まれない
お読みくださり感謝!
そして他のブログにはない貴重情報を見逃してくだされ。
(心理学ってすごい)
今までの記事(漏れがあるかも)
スピ、宗教法人、新自由主義、労働教、拝金主義、
自己実現教(=エリート主義)を否定するイスラームの弱者救済策!
『となりのイスラム』『私はなぜイスラーム教徒になったのか』
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-223.html
万教帰一の道会(儒教的キリスト教)の大川周明も、
スウェーデンボルグ礼賛で初期スピリチュアル推進のブッシュ教授(ブッシュ家)もイスラム研究!
『イスラーム入門 文明の共存を考えるための99の扉』
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-213.html
イスラームの偽救世主ダジャルは右目が見えずイランから来るが、
偶像崇拝の部族に似ているだけでユダヤ教徒ではない!
『イスラーム神学』とカレイドスコープのデマへの反論
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-218.html
逃散=集団引越こそが有効。
西洋がやろうとしているワンワールドは、
イスラームがある限り達成不可能。
カワ(^◇^)ユイ『イスラーム 生と死と聖戦』
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-222.html
イスラームの偽救世主ダジャルは右目が見えずイランから来るが、
偶像崇拝の部族に似ているだけでユダヤ教徒ではない!
『イスラーム神学』とカレイドスコープのデマへの反論
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-218.html
で約束した通り
クルアーン(の翻訳)を読んだのでダジャルについて言及があるか報告する。
カレイドがクルアーンの内容を捏造してデマを流していることが確定した。
ダジャルについての詳細はクルアーンには一切言及されない。
ダジャルを殺すイーサー再臨の根拠は主にハディースであり詳細はクルアーンに登場しない。
”✞煉獄のカレイドスコープ✟ブログより
”クルアーン(コーラン)には、イスラム圏で「ダジャルと呼んでいる反キリストはユダヤ人で一つ目である」と、はっきり書かれています。「一つ目」というのは、何かの象徴でしょう。”
http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-202.html
反キリストは「一つ目」のユダヤ人
は?
調べたらクルアーンじゃなくてハディースからばかりなんだけど?
カトリックのカレイドスコープ(と部下の一人の笑い男)は
ユダヤ教徒だとわざと嘘をついているか、
無知及び解釈能力不足でそうなったか、
そもそも資料が間違っていた、と私は結論。
クルアーンの全訳読んだら報告予定。
ハディースは全文は無理。
”1) The Holy Prophet (SAWS) has informed that Dajjal will be a Jew.”
http://hamditabligh.web44.net/LastTTimes/Zaki/English/dajjal_is_coming.htm
を一部、カレイドが誤訳している。
”まず、CHAPTER 1の「TRADITIONS ABOUT DAJJAL」(ダジャルの言い伝え)を翻訳してみましょう。
1)聖なる予言者は、「ダジャルはユダヤ人である」と伝えている。”
willの意味知ってる?
「~である」(断言)と
「~だろう」(推論含む)だと全然違うだろうが!
ムハンマドだから未来形も確定だって?
でもムハンマドは「人間」だからね?
しかもダジャルがクザア部族の人(ユダヤ教徒ではない)に似ていると言ったのも預言者だからね?
カトリックだからユダヤ陰謀論のために捻じ曲げたのだろう。
偶像崇拝する部族の人に似ているといわれるダジャルが偶像崇拝否定のユダヤ教徒ではないだろう。
あと、仮にクルアーンに明確にユダヤ教徒ってあったら、
ハディースにそれを否定する箇所は出てこないのでは?
あと、カトリックは明確に反キリストだからね?
だって聖書のイエスの言葉を守ってないもんね!
同人誌、二次創作が教義になり、それを否定する聖書の文言は無視だもんね!
イスラームだとハディースがクルアーンより上に来るなんて絶対にないからね!
カレイドがwillを訳し忘れる時点で英語力が低すぎる。
反論したいなら、ダジャルがユダヤ教徒だと明言している記述がクルアーンの何章何節にあるかはっきりと引用して(アラビア語でなくていいです)書いてください。
元の英文がwillなのは、ユダヤ教徒を引き連れている記述から推測されるという意味なのでは?
”
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-257.html
”イーサー再臨の根拠は主にハディースに求められる。
イスラームでは審判の前に
現在のこの世界は終末を迎えると信じられる。
しかしそれがいつかはアッラー以外はわからないと
7章187節にある。
イーサーは空から降臨する。
イーサーが空から降り立つとき
大規模な争いが発生している。
この争いはダッジャール(偽救世主)の軍とムスリム軍のあいだで戦われるものである。
イーサーはダマスカスの東側にあるモスクの白い尖塔に
ふたりの天使の羽に肩を置きながら日の出前に降り立つ。
エルサレム近郊に夕刻に降り立つともいわれる。
そしてムスリム軍に加わり
パレスチナのルッド門にダッジャールを追い詰め殺害する。
ムスリム軍はダッジャールに従っていたユダヤ教徒たちの残党を滅ぼす。
(イスラームでは露骨に
キリスト教>ユダヤ教)
ダッジャール軍が消滅したあとに
地中からヤアジュージュ(ゴグ)と
マアジュージュ(マゴグ)が出現する出来事も生じる。
彼らは凶悪で数が多く地を荒廃させる。
しかしイーサーとムスリムたちの祈りに応え
アッラーは彼らを死滅させる。
ヤアジュージュ(ゴグ)と
マアジュージュ(マゴグ)は
現在地中に生息している野蛮な二つの部族である。
かつて
ズル=カルナインが彼らを地球に閉じ込め封印した。
”
以上の記述はクルアーンにはない。
ダジャルは右目が見えない=左目側
でダジャルの部下がユダヤ教徒(笑)
ダジャル=左目陣営=キリスト教原理主義(聖書維持)
=英米系WASP海賊
イスラーム視点では英米系石油屋陣営がダジャル
カレイドがダジャルを叩いているのは
カレイドが右目系だからかもしれない。
カトリック系だというだけでは右目寄りか左目寄りか判断できない。
エキュメニカル賛成なら右目、
反対なら左目。
おまけ♡
カレイドみたいにならないために皆さんはきちんと書籍で勉強しましょう。
漫画ではダメ。
まんがで読破シリーズのコーランの感想を見たらやばい。
原罪は西方耶蘇概念なのであるわけない。
ハディースとクルアーンを分けていないのか?
混ぜているならデマ本確定。
参考文献にウラマーが書いた本があるの?
アラブの特定の民族には女児を生き埋めにする文化があったことが紹介され、ムハンマドがこうした文化を廃そうとしたことがやんわりと紹介されている。
女性が強力に抑圧されるのは、アラブの一部の文化ってことみたい。
イスラム教自体は寡婦保護などかなり女性を保護する感覚が強いなぁと思う。
ムハンマドが15歳年上の商家の雇い主たる女性から求婚を受けて結婚し、瞑想時に受けた啓示を「アッラーの預言である」と確信させたのがその嫁さんという背景を考えると、女性を女性であるからという理由で抑圧する思想にはならないのは当然かなぁとは思うけどね。
コーラン (まんがで読破 MD133) を読了。とても面白かった。
他の宗教の違いとして、イスラム教は「国家に保護される宗教」ではなく「国家を作り上げた宗教」とされていた。
規範だけでなく、共同体の形成や生活者としての実践に必要なあれこれがとても充実しているのだと。
つまり、イスラム教徒が集団でやってくると、その場所に「新しい国が開かれる」ということになる。イスラム法は独自の法理をもち、他の法理とは交わらない。
このことはよく考えるべきことじゃないかなぁと思った。
……どうしてもダジャレを言いたくて…言ってもいい?
法理はホーリー(holy:聖)。
ここで休憩入りまーす。
峨骨@Chimaera925
最も人を殺す生き物に法人が含まれないのがミソだね。
人が人を喰うとニュースになるが、法人が人を喰って生き残ってもニュースにはならない。
隠れユダヤガーとか言うのに、
隠れキリシタンガーとか、
偽和風キリシタンガーなどとは言わない不思議な人達。
隠れてすらいないって?間違いない
蟹ぢから溢れる
🦀
💪
@onesyotasekai
この世界で一番人を殺した観念は法人・資本主義ですよ
共産主義だの、ファシズムだの、帝国主義だの喚く連中多いが今尚現在進行形で人を殺しているのは法人と資本主義以外にないのです
よくよく考えてみなさいよ…現代の奴隷制度や児童労働等は全部資本国の労働の外部化によって起きているのでしょうに
つーか、やたら頭がおかしい中年増えているけど…
被曝もさること乍ら、会社や社会を親として甘えている人間が妙に多いのではないかと思う
ツイッターで見る、頭のおかしいフェミとかなんかが良い例で社会や会社を我儘言える親と勘違いしているように見える
だから、イスラームは法人を禁止するんよね
核汚染人を見てて思うのは大人になるというのは戸籍・納税的自立を大人・自立すると言っているが
それは会社等を親に再度し直すだけであってそれは一切自立でもないし、大人でもないんよ
大人になるというのは己の中で物格・善悪の基準を持って生きている・生きていけている事を大人になるというんよ
なので核汚染人の殆ど…体感的には8割は子供社会なのではないかと
子供というのは精神的軸を他者の判断下に置いている人達という事であって、生物的なものではない
コレってすげえなぁ、そりゃーまともな感性持っていれば気が狂うわ
あー絶滅しねえかなぁ、虫けら共
えーとねぇ…神棚を拝もうがそこにأيمن 崇拝・崇敬または信心が無ければ良いだけで別に拝む行為自体は問題はない
結局、アッラーに帰依して・ムハンマド(ص) のおっさんを預言者と信じていれば良いのでシルクにならなきゃいいんよ
実際、おいさんは南無を絶対言わんしね
9月29日
人間そのものが危険なモノでしかないから、
人間根絶やし・管理するという発想か一定の思想で統制する発想に至らない時点で
障害者でもないし、思想家でもない
つーか、近代・現代の西欧思想や歴史というのは人類の管理と統制を実験してきた歴史なんだよ
啓蒙主義も工業主義とかも全部その思想が発端
それに…えぐい事を言えば、成人年齢や案件に達していない子達に無理矢理勝手なクソラームを押し付けるのは罪でしかない
だから、おいさんの個人意見としては別に成人に至ってないのだから…好きにさせたらどう?というのがおいさんの考え
故にオナニーを外に撒き散らす事を信仰ではないというのよ
でね、図画工作の時間に似顔絵書こうがそれは偶像ではないし、そこに信仰を発生させるに十分なものではない
ただ、仏像を木で掘ろうとかになると不味いけど…特定の動物以外…
例えば、やらかし牛君とかなら不味いだろうけどそれ以外ならば偶像の案件を満たすものにはなり得るとは考えられない
9月30日
えげつない言い方をすれば村手さんの仰る通り…
へーゲルの弁証法で帰結してしまう世界構造にされてしまった事が失敗の全てでしかないとおいさんは思っている
そして、その世界構造は馬鹿らしい程に単純な暴力に形成されていて、
その暴力は人の描く虚像・偶像によって暴力が維持されているのである
今、おいさんが言える事は
「知らない事・知り得ない事・わかり得ない事について臆病な連中はそれらを消滅させたがる」
で、この現代世界の最大の罪悪・不幸の根源は
啓蒙主義と反啓蒙主義の二分的対立で帰結されてしまうように設計されてしまった事でしかない
コレが全ての元凶そのものでしかない
この発想…厳密には囚われというべきなのであって、別に宗教でもないし、思想と言えるものでもなく、ただの囚われ・虚像と言っても良い
イスラームでは何で口酸っぱく虚像・偶像崇拝をしてはならないと言い続けるのかというと
精神的な虚像・偶像がこの世界を火獄よりも苛烈な火獄にするからである
9月29日
先に行っておくけど
これから先…日本でも「イスラーム研究者」や「イスラーム宗教学者」というのが何れは出てくると思う
但し…その肩書きを持っている人達が「〜が本来のイスラームで…」とか言い始めたり、言ったらあくまでも「彼・彼女が習ったイスラーム上では…」でしかない事を忘れないように
ぐだトマト
@pteras14
ま、元凶はイスラーム先生の言う通り、
組織や法人に人間と同じ人格と人権を
与えたが為に、本物の人間の価値が
チープな存在に成り下がったんだな。
法人はアダムみたいな形状してない
からね。いずれ人類の方を迫害するさ。
中田氏の「神」の定義が中々面白くて、
「神=人間の意志に対して何らかの
強制力を強いる物、命令を下す物」
で、現代の欧米型先進国は
「神=金、
国家、領土、企業」。
つまり、日本語の「法人」は本来
「法神」という綴りの方が正確。
「企業の偶像神化」w
こいつぁ良く考えたもんだぜ!
傑作だ! 個人的にノーベルぐだトマト文学賞を授与したいぐらいw
イスラーム基礎知識とか前置きが長いって?
他の記事読まない人が多そうだから前置きが長くなる。
クルアーンの翻訳の引用だけ書いたら誤読されること間違いないし、
私も誤読している箇所がある。
休憩終わりでーす。
イスラーム基礎知識
・ラーイラーハイッラッラー
(アッラーの他に神はいない)
=唯一の崇拝の対象である創造主
でないものはすべて崇拝や服従するに値しないと信じること
が最重要教義。
・ムハンマドゥン・ラスールッラー
(ムハンマドはアッラーの使徒である)
(ムハンマドは最高にして最後の預言者
(以降の「俺が新たな預言者だ!」詐欺の防止)
以上は信仰告白文でありこの二つの教義は他の教義の大前提
・法人の禁止。
(宗教法人非課税の禁止)
・利子の禁止。
(ヤソ流中央銀行支配の防止)
・キリスト教会のような
教義を決定する教会組織(モスクは単なる礼拝所)も
聖職者(学者は存在する)も
聖職者階級も存在しない
唯一の正統教義を決定する公会議もない。
正しい教義を決定する正当な手続きや資格は存在しない。
よってキリスト教のような正統と異端の二分法的発想はない。
(内心に踏み込み異端審問をすると地獄行き)
・戦闘員(成人男性)以外の人に物理的攻撃を加えることの禁止。
女性と子供を攻撃することの禁止。
コラテラル・ダメージ(やむを得ないまきぞえの犠牲)
については場合による。
剣の節(多神教徒は殺せ)の適用はかなり限定的。
(廃棄された個所かどうか確かめずに
コーランのあれこれが悪だと叩いている者に注意。
いきなりクルアーンを読んでもダメな理由。
クルアーンを原文で読み、
かつ多数派解釈と少数派解釈を学んだ人を情報源にしないと
デマをつかまされる可能性が高い)
・聖典範囲
クルアーン(最上位の唯一神の言葉)、律法、詩編、福音書。
クルアーン以外はオリジナルと異なる(改竄あり)とする(聖書の矛盾を解決)。
翻訳されたクルアーンは聖典ではなく単なる注釈・解釈書。
ムハンマドの言行録であるハディースも重視するがこれは人の言葉。
(ハディースの内容とクルアーンの内容を混同する者を情報源にしてはいけない)
・イエス(イーサー、ヤスーウ)は実在するが、磔になっていない。
・イエスは十字架上で死んでいないので3日後の復活もない。
・イーサーは被造物たる人間であり預言者の一人。
・アッラーは子を産まないので神の子なんてありえない。
・マルヤム(マリア)の処女懐胎で誕生。
・受肉もありえない。
・人間なので神性もない。
・三位一体もありえない。
・原罪もない。
・イエスは生きたまま、肉体を伴い(グノーシス派の否定)、
天に上げられたので今も生きている。
(キリスト教正統多数派の根幹を否定)
・マスィーフ(メシア)たるイーサー(イエス)は
終末(日時不明)が近づくと再臨し偽救世主ダジャルを殺す。
ダジャルはハディースでは右目が潰れているので左目系。
ダジャルがユダヤ教徒とは限らず
ユダヤ教徒ではない部族に似ているというハディースあり。
部下にユダヤ教徒がいる
(イエスの扱いよりイスラームでは
キリスト教>ユダヤ教)
・性の罪悪視はない。
・「偶像崇拝の禁止=像を作るな、偶像を破壊しろ」ではない。
”・偶像=自己の欲望の投影。
クルアーンは多神崇拝の禁止を繰り返し説いているが、
彫像の禁止は明記されていない。
34章13節には、ソロモン王がジン(幽精)に彫像を作らせた、とあり、
古典注釈書はソロモンのシャリーア(聖法)では彫像は許されていた、と述べている。
またハディースのレベルでは
預言者ムハンマドが幼妻アーイシャが人形で遊ぶのを黙認したという真正な伝承の明文が残されており、
イスラーム法は子供の玩具であれば人形を合法化している。
彫像だけでなく動物の絵も禁じるハディースも数多くあり、
預言者ムハンマドがマッカを征服したときに行ったのがカアバ神殿にあった360体の偶像の破壊であったことはよく知られている。
具象的偶像が原則的に禁じられており、キリスト教や、仏教、ヒンドゥー教のような宗教美術がほとんど存在しないのも事実だが、
ユダヤ教の偶像崇拝の執拗な具象化の拒否、造形、彫像の禁止はイスラームでは緩和されている。
むしろクルアーンは具象的な偶像崇拝の禁止を超えて、多神崇拝が虚偽意識の問題であることに目を向けさせている。
「自己の欲望を自分の神とする者を汝らは知っているか」
クルアーン25章43節
「アッラーの他に汝らが崇めているものは、
汝らと汝らの父祖たちが命名したただの名前に過ぎない」
クルアーン12章40節
イスラームでは偶像とは自己の欲望の投影であり、
偶像崇拝者とは自らの欲望を神に祭りあげて仕える我執の虜にほかならず、
唯物論、無神論、無宗教、
法人概念、実体経済を逸脱した拝金主義等も
人間の我執の幻影への隷属、
形を変えた偶像崇拝。”
中田考『イスラーム入門 文明の共存を考えるための99の扉』メモより
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-213.html
幻想の自由と偶像破壊の神話 - 預言者風刺画問題報道をめぐって
中田考(同志社大学神学部教授、一神教学際研究センター幹事)
http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/8220708/www1.doshisha.ac.jp/~knakata/ronbun62.html
”偶像崇拝の禁止は、ユダヤ教、キリスト教、イスラームのセム系一神教全てに共通しており、イスラームだけの教えではない。偶像崇拝が禁止されているとしても、全ての「像」が偶像として崇拝されるとはかぎらない。偶像崇拝の禁止は、「像」を描くこと、彫ることの禁止に必ずしも直結しない。
ユダヤ教とキリスト教が共に聖典とするヘブライ語聖書は、有名な十戒の冒頭で、「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。あなたはいかなる像も作ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形を造ってはならない。」(出エジプト記20:3-4)と述べ、偶像崇拝に限らず、そもそもいかなるものであれ、像を作ること自体を厳格に禁じている。にもかかわらずキリスト教の歴史においては、イエス像、マリア像などの聖像が「偶像」として排斥されることは、歴史的に例外で、むしろ信仰の強化のために積極的に利用されてきたことは広く知られている。
一方、イスラームについては、すでに若林啓史が既に「イスラームに対する通俗的理解によれば、人物などの画像は偶像として厳しく禁止されており、キリスト教の聖像画も例外でなく破壊の対象となる。その結果イスラーム芸術においては植物や幾何学文様、あるいは書による表現が発達を遂げたと説明されている。」(若林啓史『聖像画論争とイスラーム』知泉書館2003、85頁)と指摘している通り、人物の像が全て禁止されているかのような俗説が蔓延している。
聖書において作像の禁止が、戒律の要諦である十戒の冒頭におかれているのに対して、
クルアーンにはそもそも作像の禁止を示す章句は存在しない。
作像の禁止は、ハディースのレベルになり、ハディースのレベルでは、「絵を描いた者はすべて火に投ぜられ、自分の描いたすべての絵に命を吹き込まれ、地獄で罰を受ける」などの伝承群が存在し、人物を含む動物の像を描く、彫ることは禁じられている、との法判断が演繹される。
但し、作画を禁ずるとのこのハディースの解釈は通説ではあるが、
イスラームの行為規範体系であるフィクフ(≒イスラーム法学)の標準的な教科書の中では、作画の禁止が主題的に論じられることはなく、「礼拝の条件」などの章の中で、絵を描いた服の着用の禁止のような形で簡単に触れられるのみに過ぎない。
また15世紀に書かれた古典クルアーン注解『タフスィール アル=ジャラーライン』は、クルアーン34章13節「彼らは彼のために高殿や、彫像、湖のような大皿、不動となった大鍋など彼の望むものを製作する。『ダーウードの一族、感謝をなせ』。だが、わがしもべのうち深謝する者はわずかである。」の『彫像』(tam±thµlはtimth±lの複数形)の語を注釈して「それは、あるものを真似て作ったものすべてである。つまり、銅、ガラス、大理石などの像である。彼(ダヴィデ)の聖法においては像を作ることは禁じられていなかったのである。」と述べており、
18世紀の脚注は更に「アッラーの御使いは『それらの者は、彼らの間で義人が亡くなると、その墓の上に礼拝堂を建て、そこにその姿の像を作った』と言われている。つまり、それは、彼ら(義人)の崇拝行為を思い出し、崇拝に精を出すためであった。」と述べており(al-Jamal, al-Futūh±t al-Il±hµyah bi-Taw½µÆ Tafsµr al-Jal±lain, Beirut, 1994, vol.6, p.220)、以前の預言者たちの聖法では作像は禁じられていなかったとしている[2]。
イスラームの自己理解によると、イスラームとは預言者ムハンマドの教えではなく、アダム以来の預言者たちの教えあり、アブラハム、モーゼ、ダヴィデ、ソロモン、イエスらは皆、アッラーの預言者であり、彼らの教えは全てイスラームなのである。但し、イスラームの教えの中でも、「信条」が永遠不変であり、すべての預言者の教えに共通する教えの中核を成すのに対し、
行為規範は時代と場所により異なり、それぞれの預言者のもたらした「法」の間には差異が存在する。
それゆえイスラームの教義学においてはキリスト教とは異なり、信条を扱う神学と行為規範を扱う法学が別個の学問として存在するのであるが、作像の禁止が預言者ムハンマド以前の法においては許されていた、ということは、作像の禁止が、神学の主題、つまりイスラームの永遠普遍の中核的メッセージである偶像崇拝に係わる問題ではなく、身体的な行為の決疑論、即ち法学の主題であることを示しているのである。また法学においても像の禁止は決して厳格なものではない。像の作成、所有などに罰則規定がないだけでなく、預言者ムハンマドが幼な妻のアーイシャが人形で遊ぶのを黙認したとの、人形の存在を容認するハディースの明文が存在するからである。(『日訳 サヒーフ ムスリム』日本サウディアラビア協会、1989年、3巻、421頁参照)
…
かつて日本でも、漫画の世界の偉人伝のシリーズの預言者ムハンマドの巻が、あるムスリム団体による抗議によって発売取りやめになり、絶版にされたケースもある。預言者ムハンマドの肖像を描くことがイスラームでは禁じられている、という俗説が流布しているのも故無しとはしないが、実はそのような規定はクルアーン、ハディース、イスラーム法のどこにも存在しないのである。
クルアーンには作像の禁止の規定がなく、作像の禁止の根拠はハディースにあることは既に述べた。しかしハディースには預言者ムハンマドであれ、他の諸預言者であれ、特定の人物についての肖像を描くことの禁止はない。それどころか人物像の禁止すらなく、禁止されているのは動物一般の像なのであり、イスラーム法学においても同様である。
つまりイスラームにおいては動物一般の像が禁じられているのであれば、預言者ムハンマドの肖像も禁じられていることになるし、もし動物一般の像が許されているなら預言者ムハンマドの肖像もまた許されているのである。預言者ムハンマドの肖像だけが禁じられる、などという議論はナンセンスでしかない。
筆者はかつてこの問題について、インドネシア・イスラーム学者協会の事務局長と議論したことがある。預言者の肖像画の禁止には、クルアーンにもハディースにも根拠がない、との筆者の指摘に同意しつつ、彼が挙げたのは、「私について嘘をついた者は火獄に住処を得る」とのアル=ブハーリーが伝えるハディースであった。つまり、預言者の肖像を書くこと自体に問題がないにしても、その肖像が預言者の実像と違うなら、預言者について嘘を述べたことに準じる、との立論である。つまり禁じられるのは預言者の肖像を描くことではなく、預言者について間違ったイメージを与えることなのである。この論点については後にまた立ち返ることになる。
イスラームにおける像の禁止が必ずしも厳格なものではなかったことしても、イスラームが、動物の絵や彫刻を嫌う傾向があったのは歴史的事実であり、前近代において、西欧だけでなく、中国、インド、日本などの諸文明に比しても、絵画や彫刻などが少なかった、と述べることはできよう。特に礼拝の場であるモスクにおいては、他の宗教の礼拝施設と比べて、肖像の不在は、特徴的でもある。
しかしそれは前近代のイスラーム世界においても宗教画がなかったことを意味しない。そしてそうした宗教画の中には預言者ムハンマドの肖像も含まれている。なかでも有名なものとして、預言者ムハンマドの昇天に題材をとった「預言者昇天物語」として知られる絵物語がある。ちなみにこの絵物語を収録した研究書はエジプトで出版されて市販されている
また現代イランにおいても、預言者がシリアとのキャラバン貿易に参加した若年時に出会ったキリスト教徒の修道士によって描かれたとされる肖像のコピーが市販されている。
預言者の肖像画は珍しいものではあるが、現代のイスラーム世界でも見ることが出来る。
今回の預言者風刺画「事件」が、預言者ムハンマドの肖像が描かれたこと自体に起因するのではないことはこの事からも明らかであろう。
既述の通り法学的には動物一般の像の禁止が通説であるが、現代イスラーム世界の現状は、
預言者ムハンマドの肖像画ですら存在し、動物や人物の絵が巷に溢れていることにおいて西欧や日本と全く異なることはない。紙幣を例にとっても、最もイスラーム法の適用が厳格であると言われるワッハーブ派のイスラームを国是とするサウジアラビアですら歴代の国王の肖像画が描かれているの。また文字通りの「偶像」も日常的な光景であり、エジプトでは古代エジプトの様々な神像が観光の目玉になっているし、マレーシアにはヒンドゥー寺院にムルガン神の神像としては世界最大の黄金の像が聳え立っている。
偶像崇拝の禁止のために、イスラーム世界では絵画や彫像が存在しない、といった言説は他者の想像力の産物であり現代の「神話」に他ならない。
…
預言者ムハンマドの肖像画を描いたことでないとすれば、風刺画がムスリムたちの怒りをかった原因は何であったのか。それは預言者の誹謗である。
…
イスラーム法は来世での報償と罰によって定義される行為規範の体系であるため、その行為主体は、自然人に限られる。イスラーム法には国家や会社などの法人概念が成立する余地はない。法人が来世で報償あるいは罰を受ける、という事態は想像もできないからである。
またイスラーム法の行為主体はムスリムに限られる。イスラーム法は、イスラーム教徒が来世での救済に与るための行為規範のマニュアルであり、来世での楽園の報償はイスラームの信仰を条件とする。それゆえ異教徒はイスラーム法の主体となることはできない。この意味で、イスラーム法は属人法であり、イスラーム教徒にのみ妥当する。
西欧法が、国家の暴力による刑罰と強制執行によってその実効性を担保されているのに対して、イスラーム法の妥当は、来世でのアッラーによる応報の信仰にのみよっている。イスラームによって禁じられている行為の殆どには現世での罰則規定は存在しない。たとえばイスラームでは豚を食べること、利子をとることが禁じられていることは有名であるが、それらには特に現世での罰則規定はない。
例外的に現世での罰則が定められているのが、ハッド(法定刑)と呼ばれる禁止事項で、
通説では窃盗の手首切断、強盗の手足切断、磔刑、
所払い、飲酒の鞭打ち、既婚者の婚外交渉の石打刑、未婚者の婚外交渉の鞭打ち、所払い、
姦通誣告の鞭打ち、背教の死刑である。しかしこれらの現世での罰則規定のある禁止事項も、イスラーム法の概念構成により忠実に正確に述べるなら、上記の犯罪者に対して上記のそれぞれの罰があるのではなく、上記の犯罪が裁判官により確定された時には犯人に対してその罰を課す義務が為政者に課されるのであり、その義務を怠れば、その為政者が義務の不履行により来世での罰を受けることになるのである。
既述の通りイスラーム法は属人法であり、イスラーム教徒であれば、居住地がどこであれ妥当するのが、基本である。しかし例外的に、イスラーム教徒の為政者が治める領域でしか妥当しない規定が存在する。このイスラーム教徒の為政者が治める領域を「ダールルイスラーム(イスラームの家)」と呼び、その外の領域を「ダールルハルブ(戦争の家)」と呼ぶ。
ダールルイスラームでしか妥当しない規定の代表的なものが、上述のハッドである。窃盗、強盗、飲酒、婚外交渉、姦通誣告、背教はどれも罪であり、通説ではたとえダールルハルブで犯されようとも、来世の懲罰には値するが、ダールルハルブ内ではイスラーム教徒が罰則規定を執行する政治的権力を有さないため、犯人がダールルハルブ内に居住する限りハッド執行の義務は、イスラーム教徒から免除される。前述のようにイスラーム法は属人法であり、異教徒はイスラーム法の行為主体となることはできない。
しかしイスラームの公秩序を守るとの誓約を交わして税を納めることによって異教徒はズィンマ(庇護)を与えられ、ダールルイスラームに居住することができる。この誓約を交わした異教徒はズィンミー(庇護民)と呼ばれるが、ズィンミーはイスラーム教徒に課される喜捨やジハード参戦の義務は免じられる一方、この誓約を守る限りイスラーム教徒と同じくその生命、財産、名誉の安全、及び宗教的自治を保証される。この庇護民が子々孫々にわたってダールルイスラームの永住権を持つのに対し、アマーン(安全保障)を得て1年以内の短期滞在者をムスタゥミン(安全保障保有者)と呼ぶ。なお、ズィンミーの認定はカリフの大権であるのに対して、ムスタゥミンについては、ダールルイスラームに住むムスリムであれば誰でも受け入れ保証人としてアマーンを与えて招聘することが出来る。
ジハードによってこのダールルイスラームを防衛、拡大し、ハッドを執行しその治安を維持し、イスラーム教徒の納める喜捨と異教徒の治める税、ジハードによる戦利品などを分配し、イスラーム教徒と異教徒の住民の福利厚生を掌る職務を負うのが、カリフ(法学用語としては「イマーム」)である。
「ダールルイスラーム」とはカリフの下にイスラーム教徒が主体となりイスラーム法を実践することにより、イスラーム教徒と異教徒が共に生命、財産、名誉の安全、宗教的自治を享有しつつ共存する法的空間ということになる。ただしそこではあくまでも法の行為主体はイスラーム教徒のみであり、異教徒も「権利」、「義務」を有するが、それはイスラーム教徒の義務と「権利」の反射に過ぎない。
…
預言者の誹謗は背教罪で死罪となる。…
既述のようにイスラーム法は来世の応報によって定義されており、現世での罰則規定を伴うものは少ないが、背教はそのような例外的な現世の罰則規定の中でも最も重い極刑が課される大罪である。そして背教は大罪であるがゆえに3日間の改悛のための猶予が認められているのであるが、預言者の誹謗にはこの改悛の余地が認められていない。つまり預言者の誹謗はイスラーム教徒にとって最悪の罪である背教の中でも最も悪質な大罪なのである。
既述の通り、ズィンミーはイスラーム法の行為主体ではなく、イスラームの信仰を強制されることがないのは勿論、イスラーム法を課されることはない。ズィンミーはムハンマドを預言者だと信ずる必要もなく尊敬する必要もない。イスラームは異教徒の宗教の自治を認めており、内心の信仰には一切興味を有さないからでる。しかし内心の信仰が一旦口外され、イスラーム教徒の耳に入るようであれば、それはもはや内心の信仰の問題ではなく、治安の問題となる。それが公秩序を乱すと判断されれば、ズィンマ(庇護)取得のための契約に違反したとみなされ、ズィンマを取り消される。
…
以上は、いずれもダールルイスラーム内部の場合の規定である。次にダールルハルブにおける預言者ムハンマドの誹謗について論じよう。3章で述べたとおり、ダールルイスラームの外ではイスラーム法の罰則は執行されず、罰則規定は効力を停止するため、イスラーム教徒が預言者を誹謗してもダールルハルブに留まる限り、処刑はされないのが原則である。またダールルハルブの異教徒に関しては、法的には交戦状態にあるとみなされるため、そもそも誰であれ生命、財産、名誉の安全が保証されていない。但しイスラームの戦争法は、婦女子、子供、老人、修道士などの非戦闘員の殺害を禁じているため、それらの者は積極的に戦争に加担したのでない限り生命の安全だけは保証される。但しダールルハルブとの間に講和が成立している場合には、イスラーム教徒には講和の条件の遵守が課されるため、講和条約がある国の住民を襲撃することは許されない。
…
中東で今も行われる「名誉殺人」を例に挙げよう。「名誉殺人」とは、結婚前の娘が処女を失った場合、家の恥として父親か兄弟がその娘を殺害することである。この名誉殺人がイスラームに関係付けて説明されることがあるが、前の例と同じ意味で、それは誤りである。確かにイスラームは婚外交渉を禁じているが、未婚者と既婚者では刑罰が違い、既婚者が男女を問わず石打による死刑なのに対して、未婚者は男女を問わず鞭打ちの上で所払いのみであり死刑にはならない。また刑の執行はカリフあるいはその代理人のみの大権であり、家族に処分権はない。従って中東における「名誉殺人」はイスラームの教えによってではなく、イスラームの教えが守られていない例として、説明されねばならないのである。
…
勿論、あらゆる社会にとって、社会規範からの逸脱の一定の存在は常態であり、デュルケームが指摘した通り、むしろ社会の健全さの証左ですらある。イスラームにおいても同様であり、理想の時代とされる預言者ムハンマドの時代も例外ではなく、偽信者や殺人、姦通などの大罪を犯す信者も存在して、それを認めた上で、預言者ムハンマドの時代が最善の時代である、というのがイスラームの考える理想の時代である。イスラームの考える理想国家は、犯罪者が存在しえない聖徒の集団が相互に監視しあう全体主義的警察国家のようなものでは決してない。
…
現在の世界は、欧米の植民地支配の直接の産物である。
工場製品のような「モノ」に限らず、
領域国民国家、常備軍、官僚制度、
大使館、徴税制度、不換紙幣通貨制度、
24時間の時刻、グレゴリオ暦、メートル・グラムの度量衡、
学校教育制度、国旗、国歌等々、
政治、経済、文化の全ての領域に欧米の植民化支配は貫徹されており、イスラーム世界もその例外ではなく、制度、生活様式、世界観の全てにおいて、欧米の影響が圧倒的に大きい、という事実を我々は再確認しておく必要がある。
…
言論に対して刑事罰を課すことをもって言論の自由の抑圧と呼ぶなら、預言者風刺画に対して刑事罰を課すイスラームも、ホロコースト否定に刑事罰を課すヨーロッパ諸国、イスラエルも同じであり、どちらにも言論の自由など初めから存在しないのである。そもそも欧米に言論の自由が無い以上、欧米の言論の自由とイスラームの宗教の尊重という対立の構図も成立しない。
欧米とイスラームでは、禁じられていることの範囲が違い、言論についても同様で、それぞれが別の禁止のコードを持っているのである。対立があるとすれば、その対立は言論の自由とその抑圧の間にあるのではなく、異なった種類の自由、異なった種類の抑圧の間にあるのである。
…
以上の議論を整理しよう。預言者風刺画事件は偶像崇拝の禁止と言論の自由の対立ではない。イスラームはユダヤ教、キリスト教と同じく偶像崇拝を禁じているが、偶像崇拝の禁止は、ユダヤ教、キリスト教の場合と同じくかならずしも、肖像画の禁止を帰結しない。現実の現代のイスラーム世界は、肖像画に溢れており、預言者ムハンマドの肖像画すら散見される。”
以上よりイスラームは↓のようなキリスト教の矛盾の大部分を克服していることがわかる。
「ゴッドが悪魔、地獄、異教徒を創造したのはなぜ?」
「貴方にとって異教は全て悪魔崇拝?」
「悪魔崇拝の定義は?」
「悪魔崇拝をゴッドが創造したのはなぜ?」
「全知全能なら心も読めて未来も既知だから、試す必要がないのにヨブを虐めて信仰を試したのは本当はゴッドは無知無能極悪非道だから?」
「ヨブ記でサタンが殺人する許可を出したのはゴッドなのでサタンはゴッドの部下。なぜ野放し?」
「聖書の言葉は真実なのに新約の四福音書が互いに矛盾があるのはなぜ?」
「イエスが実在する聖書以外の物証(歴史的記述など)は?」
「どの翻訳聖書が良い?」
(翻訳聖書のいずれかを勧められたら)
「誤訳ありの翻訳聖書のどこが神の言葉?」
(翻訳聖書は本当はダメだがまずは翻訳聖書などと言われたら)
「新約にイエスの言葉の個所は殆どなく大半は新約聖書記者の言葉。
イエスが話す場面だけ読めばいい?」
「イエスの言葉はアラム語説が有力なのに新約は古代ギリシャ語。
どこがイエスの言葉?」
「イエスの死後かなり経過してからできた聖書よりも
より古い聖伝(聖伝の一部が聖書)を保持する正教が良い?」
「グノーシス派が本来の真のキリスト教説もあるのでマニ教(真のキリスト教を自称)などが良い?」
「キリスト教は教祖が生贄になったことに感謝する教義なのに、なぜ異教の生贄を批判?」
「葡萄酒とパンをイエスの血肉として食うのはカニバリズムが元ネタなのでキリスト教は悪魔教?」
(教会が悪魔、ルシファー、ユダヤ、イルミなどに乗っ取られイエスの教えは改悪された云々に対し)
「いつどのような事件で乗っ取られた? 」
「イエスの思想が乗っ取られる前から邪悪でない根拠は?」
「 乗っ取られたなら聖書も改竄済み。どこが改竄された?イエス本来の教えを知る方法は?」
「貴方の信仰は本当にイエスの教え? 」
「なぜ改竄者が異教徒(ユダヤ教、悪魔教信者など)限定?」
「改竄前の聖書とはキリスト教の元ネタの宗教の聖典?」
↑の矛盾をなくすため新キリスト教を作った支配層
(ユダヤ教のタナハ=キリスト教視点では旧約
は当然ヘブライ語原文を翻訳せずに読む。
翻訳には積極的ではない。コーランも。
しかしヤソ教はやたらと翻訳に積極的。
翻訳こそが魔法の場を作る=陣地作製から。
ヤソが侵略用に本来のキリスト教(正教とか古代グノーシスとか)を改悪しまくった証拠の一つが
やたらと翻訳に熱心でしかも原典にない誤訳をもとに教義にしたり
それを聖書にありますとかほざくのが許されているところ。
本来きちんとした一神教なら翻訳はあくまで便宜的で仕方ないものであり
しないといけないとしても
それはやがて原語を布教協力者も読めるようにしていかないといけない。
翻訳に熱心、翻訳聖書を思想定着後も使い続けてOKなら侵略用以外の何物でもない。
耶蘇は支配に都合がよい、聖書に根拠のない教義を創りすぎ。
イエスがアラム語で新約を書いておらず
翻訳語である古代ギリシャ語でイエスではなく人間が原本を書き
原本は散逸し写本しかないのに
どうやって正確なイエスの教えを知ることができるのかヤソ信者に教えてほしい。)
クルアーンのこの翻訳を選んだ理由は
まずは多数派のスンナ派に沿った翻訳を読むべきだと考えたのと
井筒訳は最初に読むのはまずいと判断したから。
中田考先生の井筒訳の評価は以下の通り。
井筒先生を高く評価しているが井筒訳は高く評価していない。
中田考@HASSANKONAKATA
クルアーンの原文は、アラブ人読者にも複数の解釈を許す非常に多義的で曖昧な文体だが、
井筒訳は彼自身の解釈で断定しており歯切れがよく分り易い代わりに曖昧さが伝わらない→
@JERRYKISARAGI:井筒俊彦のコーランですが、偏りが有ると言う話を聞いた事がありますが、どの様な感じ…?
井筒訳の問題は、
クルアーン注釈者たちの間でも解釈が別れている曖昧で多義的な表現を
無理矢理一つの意味に切り詰めてしまうことですね。
我々の訳はできるだけ原語の曖昧性、多義性が伝わるように工夫してあります。 https://twitter.com/suou_racoon/status/904267285203791875 …
いえ、糾弾しているわけではありません。
クルアーンは大釈義学者の間でも解釈の対立が数多くあるのであり、
唯一の正しい翻訳は原理上ありえません。
ただ井筒訳に独断が多いのは事実なので、求道者には多様な読み方を許す拙訳の方がお勧めです。 https://twitter.com/masaogpgpjad/status/683254212562522112 …
"@t2abdl: @HASSANKONAKATA @KahvaltiTurkmen 読んだことないんですが井筒訳版ってそんなにひどいんですか?"
ひどい、というより文体が古すぎるし、不正確です
私も井筒先生のような碩学に教わりたかったなぁ。
そうすればもうちょっとマシな研究者になれたのかしら… 私が習ったのは中村コージローだからなぁ
(T_T)/~~~ → 『井筒俊彦とイスラーム』を読みながら東京へ♪ http://via.me/-6cl58ki
比較文明・比較宗教学者としては20世紀世界最高の知性でしたが、イスラーム学者としてはあの時代にしては驚異的な学識だった、というだけで、今のじぶんにとって特に学ぶべきものがあるとは思ってはいません。 →@shuhsann: また先生の井筒俊彦観をうかがえれば幸甚です。
仏、独語は自分の専門分野の研究論文ならば辞書を引き引き大意が取れる、ヘブライ語は文字が読めて辞書が引ける、ギリシャ語は文字が読めるかどうか、という程度。オリエンタリストなら、私程度には誰でも複数の語学を齧ってますが、私の知る限り井筒先生のような本物のポリグリットは今はいません。
あまり知られていませんが(というより知っているのは私と加藤先生御自身だけですが)井筒俊彦、中村元亡き後、加藤先生は世界最高の比較文明学者です。 RT @Saxifraga_S: 加藤隆『新約聖書の誕生』読書中。。やっぱりこの先生は分かりやすいし面白いなー。
シーア派12イマーム派神学生の兄貴の評価
(クルアーンの一部を訳したある人に対してのエアリプ)
蟹ぢから溢れる @onesyotasekai
7月24日
うーんとね…第33 章40節に書いてあるخاتَم ハータム khatam という単語は封印とも出てくるけど、同時に証明印となるものという意味もある
で、ここでは形而上が封印という意味と同時に証明印を押した存在という意味や他にも全ての行為の最も最後という意味もあるなので複数の意味を知らんと使えない
で、وَ خَاتَمَ النَّبِيِّين とあり…ここは「また預言者『達』の封印」であって、当然のことながら複数であるからにこれ以上は出てこないというのは複数形であるが故に担保されている
なので、封印としか書かれていないではなく、そのخاتم というのはただ単に封印だけを意味していない
で、王者というとملك و مالك となり
確かに形而上の意味をもって使われる事もあるがそうすると何故にبِسمِ اللهِ なのかが説明つかない
だから、独立して考えるべきでそもそも直訳すれば「アッラーの名は赦し、優しい」なので意訳するにも当の連中がこの言葉をどう扱っているか知らないと論外
では、この言葉…どんな時に使うか?
先ず、仕事を始める瞬間・講話を始める瞬間・飯を食べ始めるその瞬間・ガタついた窓を開ける瞬間・緩い家の鍵を開ける瞬間・寝る瞬間・大小便する瞬間等々…何をするにも最初に言うのがこの言葉である
そこでやっとこの言葉の一側面が理解する事が出来る
要は「自分の行いが形而上の御加護にあります様に…形而上が望んでいないとしても赦されますように」以外にも「ションベンやうんこが変な病気として出ませんように若し出てしまっても助けて下さいますように」という意味もある…他にもうんすん…だから、この言葉は厳密には翻訳出来ない
なので、実際に聞いて・学んで・現場を見て・真剣に考えて翻訳した井筒訳を無視できないのは
井筒自身がアラビア・ペルシャ・フランス・確か英語等の文章と翻訳を読んで渾身の翻訳であり、批判はあれど基本的にはこの翻訳で動かないのは様々な翻訳書・原文・スンナ・シーア派の解釈の総意だからである
最低でも井筒はعلوم قرآن و تفسیر و ترجمه و تاریخ を 網羅した上での翻訳である
もし、コレを超えるクルアーンがあるとすれば中田考氏監修のクルアーンか澤田達一氏のクルアーンくらいだろう
なので、最低でもこの二つを持った上で原文理解が出来ないと話しにならない
それに古典フスハー知らんでしょ
例えば、アラビア接語論で古典フスハーと現代フスハーの違いの一例としてمفعول مع が ある
これは単純に言うと「~と共に」みたいに接語する単語で一緒にとなるがコレは現代フスハーではしない
他にも双数系は本当に限定したい時以外は使われない等…細かい違いがある
まーそれ以前にマディーナ啓示とマッカ啓示の違いがわからないのに解釈なんて出来ると思っている時点で論外
だから、核汚染語でاسلام の話をしたくはないんだ
こーいった、初歩の話しもできないのに確信・コア・中心となる部分の話等出来ないのでおねショタするね
クルアーンへの必須の基本姿勢。
蟹ぢから溢れる@onesyotasekai
2月20日
人間如きが正しくクルアーンを理解できるわけねえだろアホ
クルアーンには直喩と暗喩がある、そして何が直喩で何が暗喩なのかははっきり言うとわからない
それはその本拠となる伝承集が嘘塗れで
仏典がお釈迦様がおっしゃった事になっているように
ハディース集も同じ事になっているだからわかる訳がない
「ぼくらのかんがえたただしいくるあーん」でしかないイスラーム世界において正しいイスラームを知る事は不能
もし、できるとなれば
「このスーレのこのアーヤのこの部分はスンニ派のハナフィー派…シーア派12イマーム派では…スーフィーの何何は…」という事以上はできない、先ず大前提が大間違い
https://twitter.com/onesyotasekai/status/966073795021811713
そもそも、えげつない事を言えば預言者(?)の真正伝承は二代目カリフの時に集められて燃やされているので今残っているのは初代カリフから三代目カリフにとって都合の悪くない伝承でしかなく、とっくのとうに改竄されている物だけが残っている代物でしかないのでスンニ派の伝承は全部偽物とも言える
だからといって、シーア派が正しいのかと言うとそういうわけでもない
シーアといっても色々いるし、今のところ12イマーム派ウスール学派が強いのはイランという国自体もだし、様々なシーア派が12イマーム派化しているという事実もあり
ただの国勢と宗派伸長が等しく伸びているだけだとも言える
じゃースーフィーや神秘主義とかはといってもここら辺は普遍思想や万教帰一とかに流れやすく、万教帰一を選択すると「別にイスラームじゃなくていいじゃん、それだと何故に形而上は預言者を特定するんじゃ」という不毛な議論に陥るので意味のない事になる
なので、本当のイスラームはないが大正解
本当のイスラームはないのに何で勉強しているんだ、という事になるけど
本当のイスラームがないというのを確認するべく勉強しているわけでその確信を得るためにしているのよ
真実は探すものではないが真実ではないものは探さないと見つからない、何故なら真実ではないものは真実と偽装されているからだ
https://twitter.com/onesyotasekai/status/966079649339060227
しかも、恐ろしい事にその真実でないものが大多数によって賛同され、さも当然・既成事実・進歩発展等と色付けられてこの世に大量にあることだ
例えば、おいさんは預言者(?)が啓示を受けた存在だとは信じていると同時にただのキチガイの予迷い事である事も頭の隅に置いてある、コレがないと惑わされる
疑う為には先ず組立られている前提を知らねばならない、習う事
そして、習う事でその基礎を立てられなければ疑う事もままならない
だから、おいさんは信じろなんて馬鹿な事は死んでも言えん、おいさんは信じるに値すると思って信じているがそれは当然、疑いが完全に晴れた信じるではないということだ
(兄貴が「神」や「アッラー」やゴッドという言葉を使わない理由)
3月1日
何だかわからない存在というよりは
人類はその何だかわからない存在を何だかわかるように努力してきたのが全体的な学問の歴史なのと
おいさんが形而上と言わざるおえないのは
形がないのと理性だけとは限らないので形而上と取り敢えず置いている
本来はこれも僑居なので何か良い言葉がないものかねと
なので、大いなる存在というのも完全な間違いなのよ
何でかというと、小さくもあれる誠に自由自在な何かであるからね
華厳教のように一切即一・一即一切・多即一・一即多の世界なので
大いなるという言葉を使っている時点でやっぱりよくわかっていない
だから、やそ程度の有神論では仏典に対抗できない
あーやっぱり仏教と中国思想やらないとダーメだー
印度哲学はここにいっぱいインパキいるので習う気にもならないけど、
真面目に仏教哲学と中国思想哲学は触らないと宣教も対抗も出来ん
宣教するつもりはないけど、敵を作らない為には知らないと対処できないのでやらないとダーメだこりゃ
そりゃーねー、中村元先生よんどけばいいみたいなのあるけど
おいさんが知りたいのは細かい表現と考え方なわけでそれは実際の学者や博士・修士過程まで行った僧侶の意見を聞きたいのよ
で、その細かい所が全部であったりするの特に宗教という世界は全部ソレなので探すしかないんだろうなぁ
2月21日
前も言った通り、この世界は細かいところが全て
細かいところを知らない連中がする、比較や批判は全部詭弁・妄想・願望だから叩き捨てろ、見るだけ無駄だ
そもそも、フォロワーが多いアカウントは特殊・特性を持っているアカウント以外は全部詭弁がうまい連中と見ている
で、それで外れた事はない
2月5日
議論というのは細かい事が全てなのですが、一般人というのはこの細かい事を全く理解できない
または扇動・冷笑行為をする連中はそれを混ぜる事で自分の都合の良い方に言葉を組み立てるので扇動・冷笑するものを駆除したい時は細かいところまで問い詰め続ける事です
いつの時代も細部が全てです
2月1日
じゃー若い内はどうすればいいのか?と聞かれたら
先ずは「〜全史・〜入門」と書かれている本を手に入れてよくよく読み込みなさい
何でかというとそこにはお約束・如何なる立場でも共有されている知識または如何にして分派化したのも必ず書かれている筈だから、先ず前提を身につける必要がある
ただねー…その書いている人がどういう立場かによって細かい表現が違ったりする事があるので
それは警戒して読んだほうがいい
ただ、前提知識がないのに喚くよりは遥かにマシなので
お約束を身につけてから立場の差を知るのが一番良いと思う
人間全部おいらも含めアホなのでアホさを知るのはちょー重要
中田考監修、中田香織、下村佳州紀訳/作品社・
『日亜対訳 クルアーン 「付」訳解と正統十読誦注解』
(以下の指摘を受けて本記事を修正。
蟹ぢから溢れる🦀
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@onesyotasekai
10月2日
比喩に関しては単純で
シーア派的には本来の「集められたモノ」に比喩表現の解釈も使徒(ص) とアリー(ع) が啓示があるたびに集め・書き残されていたのでその説を取ると今「ただ残っている」ウスマーン版の「読むべきモノ」は案の定、読まれては誤読されて今の分派形成があるので確かに読むべきモノである
そもそも、最初のクルアーンの解釈者…啓示物に対して解釈を入れたのは使徒であって
そう考えれば、使徒がその解釈を入れていない訳がないわけ
ただ、それもウスマーンが燃やしちゃったのと
伝承ではアリーがウスマーンが恐る恐る完成したものを読ませてアリーからの一応の承諾を貰ったこととなっている
ここからも言えるように「ただちぃいしゅらーむ」何てものはその当時からもう消滅しているわけであくまでも「イスラームらしきモノ」でしかないわけ
だから、おいさんは「イスラームらしきものの残滓」を拾うくらいなら、
先ず道徳的である事を最優先するべきであると言っているわけなんよ、簡単っしょ
10月2日
使徒(ص) は厳密には孤児ではない
どこに書いてあるんだよ、そんな戯言…あーもー、えーとねぇっ
先ずね、使徒(ص) のお父様は産まれる前に行商している時に亡くなったのは事実でその時はおじさんのところに引き取られている
で、五歳の時にマッカで疫病が流行ったので郊外へ行ってそこで育っている
んで、確か7歳か8歳の時に母親がなくなって、後見人だった祖父もなくなる
その後はアリー(ع) の父であるアブー・ターレブが後見人となっている
で成人までというのが正式的な歴史の流れで
狭義的には両親を亡くしているので孤児という表現が出来るがそれは日本語として正しいと言う事はできないだろう
日本語的な意味合いで孤児というと本当に一人だけ、親戚にも迫害されて完全な一人もの見たいな意味合いを取られかねなく
基本、アラブでは子供は一族が育てるものなので孤児と表現するよりは両親を幼くして亡くしたと表現した方が不要な誤解釈を避ける事が出来る
こーいう細かいのが全てなんよ
部分集合を集めても全体集合にはならない
推論は立てられるがそれは答えではない
後、43 章49 節は前後文読め
その時言った彼らは46 節に書いてあるようにフィルアウン(悪政者)とその長老達であって、ムーサー(ع) ではない
クルアーンは前後文が続いている場合とない場合がある
10月2日
ハディース・伝承というものは確かに様々な厳密な経由や聞き語りによって成り立っているものではあるが
所詮は伝承でしかないので本来はクルアーンの諸々…
即ち歴史や変遷、如何に啓示を受けてきたかや読み方・暗記等をしてから習うもので事実、要らんの大学の教養課程ではعلوم حدیث は やらない
で、よく出てくるصحيح البخاري とかは その伝承集の成立を知らないと使えないし、それを理解せずに引用しているクソリム共が殆ど…本当に根絶して貰いたい
この伝承集は12イマーム派としては11 代目のイマームで一応、存在していたイマームでこの人はアッバース朝によってずっと監獄に入っていた
んで、このブハーリィというおっさんは
30000 ある伝承から正しいとされる伝承を意図して2000抜き出して来たのがこの伝承集でこの伝承集は勿論、公正なモノではなく三匹のヒラーファとメス豚の戯言が確か…全体の15% 以上であるが、
4代目のヒラーファであるアリー(ع) を経由したものは10個位しかない
もっと言えば、5代目ヒラーファのハサン(ع) や愛娘ファーテメ(س) だと 1個あるかないかである
この様に意図的に編纂されているのを理解した上で使うのが伝承集であり、
核汚染の虫けらクソリム・クソリマはこーいう経緯や歴史を知らずして用いているのが多く、だから核汚染ではイスラームは出来ない
10月3日
おいさんは改宗した立場ではあるが未だに己を仏教徒だと思っている節があるし、
その観点を忘れてしまうとただの傲慢不遜でしかないのでコレまた火獄への道なってしまう
だから、ここでは一つの罪が70 年間の敬虔や謙虚を消してしまうと言うのでそこを忘れている改宗者が実に核汚染では多い
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蟹ぢから溢れる
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@onesyotasekai
10月3日
核汚染でイスラームするには
クソリムとクソリマと関わらずに学者や一定以上の知識を修めた人以外とは関わってはならない
一般的にここまでわかっていないし、己の部族でやっていた事をクソラームと信じているので関わるだけ無意味で時間の無駄
また、改宗核汚染人は気違い塗れなのでロクなのがいない
どう気違いかというと大概は社会・家庭から疎外されて来たのが改宗するので
女性のムスリマの場合は結婚改宗という形でマトモな人が多いが
男の場合は大抵は上記の当て付けで改宗するような終わっているのが多いので
核汚染では男の気違い度が段違いに高い
なので、特にクソリムとは関わらないが大吉
10月3日
まー、ただ基本はダメっぽいね
後、肉食獣に関してはうちらは既定上の屠殺をしても食べてはならないがその皮を身につけるのは可能だったと思う
しかし、礼拝時は身につけて礼拝しても礼拝が無効になるとか、色々と細かい規定がある
例えば、猫吸った後に猫の毛が付いている状態では礼拝は成立しない
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@onesyotasekai
10月3日
ああ、そうそう死肉の規定ね
おいさんが習ったこととしては宗教上の規定を守って屠殺していないもの
野獣やおぬこ様、ワンコがとってきたものやそういった獣が食い残した肉
なので狩猟でとってきた肉は色々と細かく異なる事がある、
例えばまだ生きているのであるならば則って屠殺すればいいとかね
)
・序
下村
礼拝で邦訳クルアーンが読まれることはない。
仏教には無数の経典があるが
歴史上のシッダッタにさかのぼれるものは少ない。
新約の原典はイエスの用いたアラム語ではなくギリシャ語であり
イエスの肉声をほとんど保存してない。
カトリックでは公式の正典はギリシャ語原典ではなく
標準ラテン語訳ヴルガータである。
仏教やキリスト教においては
開祖ゴータマ、イエスの肉声を伝えることに重きが置かれておらず
その開祖の言葉を記録した原典のみが絶対の真理を伝える正典
とはみなされず原典と翻訳の間に絶対的な区別がなされることもない。
ところがクルアーンではムハンマドの肉声のアラビア語の読誦が現在に至るまで
口伝えで伝承されている。
書物としても第三代カリフ・ウスマーンが結集したウスマーン版と呼ばれる
欽定クルアーンがスンナとシーア派の宗派の別を問わず世界中で共通して用いられており
他の言語のヴァージョンは存在しない。
(釈尊は人々がわかるように説きなさいと教えたので翻訳OK。
イスラームはムハンマドが文盲(つまり啓示を受けた本人が文章化できない)
でも問題なかったのはクルアーンは文字ではなく音声にて下されたから。
クルアーンは読誦されるもの。
しかしマニみたいに自分で啓示を文章に記していたらより完全な一神教になっていただろう。
当時は音声記録媒体がないので、読み方やリズムが失伝や変化してしまうのはユダヤ教をみればわかる。
大衆支配に都合よく意図的に誤訳する手口はクルアーンでは使いにくい)
ヘブライ語聖書と新約は書物であるが
クルアーンが書物だと考えるのは誤り。
アラビア語では書物としての聖書にあたるものは
ムスハフ(字義は「紙に記入されたもの」)
と呼ばれ、
書かれた内容であるクルアーンとは概念的に異なるばかりでなく
名称からして全く別物。
ただしクルアーンはムスハフの内容であると同時にタイトルでもある。
そもそもクルアーンは読誦されるものを意味し
書かれたものではない。
書かれた文書としてのクルアーンのムスハフの正典性は
クルアーンにとって副次的なものでしかないと言うことが出来る。
クルアーンは声としてムハンマドに啓示されたものであり
方言の違いなどによる、幾通りかの読み方、発音があることは
ムハンマドの生前から周知であり
書かれたテキストとしてのクルアーン(ムスハフ)はクルアーンを読む補助記憶でしかない。
クルアーン学は古来からクルアーンの多くの異読を保存し
それらの真偽を判定した結果、
ムハンマドにさかのぼる正統な読みを確定する作業を続けてきた。
現行のムスハフは結集命令者第三代カリフ・ウスマーンの名に因んで
ムスハフ・ウスマーニー(ウスマーン版テキスト)
と呼ばれる。
信者の心の中に暗記され、
読み上げられるものとして存在していたクルアーンが
一冊の本の形を取ったのは彼の結集の結果である。
この結集は
西暦645年(ヒジュラ暦25年)頃、
つまり預言者ムハンマドの没後15年ほどが経ってから行なわれたが
現行のクルアーンはこのムスハフ・ウスマーニーを忠実に継承している。
クルアーン結集の時点で
イスラーム・カリフ国は
既にササン朝ペルシャを滅ぼし
ローマ帝国の経済文化的にもっとも豊かな領土であったエジプト、
北アフリカとシリアを支配下におさめた世界最大の帝国であった。
そしてウスマーンはムハンマドのイスラーム宣教開始の初年(西暦610年)に入信し
その後彼の死に至るまで20年以上にわたりずっと身近に使えた最古参の直弟子の一人であり
ムハンマドの娘婿でもあった。
つまりクルアーンの結集は
ムハンマドの高弟であったウスマーンが世界最大の帝国の元首として自ら指揮し
ムハンマド在世時のクルアーンの記録者であった
ザイド・ビン・サービトらに編集を命じて行ったムスリム共同体の総力を結集した
国家事業だった。
預言者の生前から、啓示されたクルアーンは
書板、ラクダの肩甲骨、木片などに書き留められており
初代カリフ・アブー・バクル、
第二代カリフ・ウマルも書き留められたクルアーンの断片を書き物としてまとめる作業は行っていた。
ウスマーンの結集の意義は
組織的なクルアーン全巻の公式な完全版の作成、異本の焼却による正典化にある。
ウスマーン時代は初期イスラームにおける二大分派である
シーア派とハワーリジュ派はまだ発生していなかったため
クルアーンの結集に党派的対立はなかった。
よってユダヤ教やキリスト教におけるような
ユダヤとサマリア、
初期キリスト教における諸分派間の対立により
それぞれの党派が各個に独自の正典を制定するといった事態も生じず
後のイスラームのすべての分派がウスマーン版のみを正典として認めている。
アラビア語は原則的に三つの子音を語根とし
その活用と変化によって品詞や意味の違いが生成する言語。
文化・学問の蓄積・発展と共に
専門用語としての新造語を作るよりも、
できるだけ古来より日常的に使われていた言葉に専門用語としての意味を
重層的に付け加えていく傾向がある。
イスラーム学の用語については一つの単語が
クルアーンの啓示の以前の語源的意味
クルアーンの啓示によって新たにもたらされた聖法的意味、
後のイスラーム学の専門分化によって特定された専門用語的意味
を重層的に有することが往々にして見られる。
クルアーンと聖書(ヘブライ語聖書と新約聖書)
の主要な相違は以下の三点にまとめることが出来よう。
1
聖書は多様な文書群を一冊の聖書にまとめたのが聖書の編集者である。
対して
クルアーンはムハンマドの授かった啓示のみをまとめたものであり
ムハンマドの生前から「一冊の本」だと呼ばれていた。
2
聖書の正典化がそれらの文書群の成立より何世紀か遅れて
政治的な権威の裏付けなく行われたの。
対して
クルアーンの正典化はムハンマドの没後15年経っただけの時点で
自分自身も20年以上に分かり預言者に身近に仕えた
最古参の直弟子であった第三代カリフ・ウスマーンが
クルアーンに通じた預言者の高弟たちを結集して
当時の最大の世界帝国の元首として国家事業として行った。
(政治的権威の裏付けは内容の真実さの裏付けにはならない。
が、権力者なら聖典確定のために莫大な
人モノ金=研究費
を投入できる点では
政治的権威の後ろ盾があることは重要)
3
聖書の正典化はユダヤ教徒、キリスト教徒が政治的統一を失い、
多くの分派が政治的・思想的に対立する中で進められ
正典文書の選択にもそうした対立が反映された。
聖書の正典化は正統派の成立、異端の排除と並行して進行したのであり
正典となった文書群も当時のすべての信徒によって認められたものではなかった。
一方、
ウスマーン版欽定クルアーンの成立は、
預言者の弟子たちがハワーリジュ派、シーア派、スンナ派などの宗派に分裂する前
のことであり、正典化が宗派的対立の影響をこうむることもなく、
ウスマーン版欽定クルアーンは成立当初から現在に至るまで、
全ての信徒によって正典として認められている。
ユダヤ教徒のヘブライ語聖書は
1世紀の終わりごろにヤムニア(ヤブネ)会議で確認され
トーラー(律法)、
ネヴィイーム(預言者)、
ケトゥビーム(諸文書)の頭文字をとって
タナハと呼ばれる。
このヘブライ語本文を
マソラー学者が5世紀から10世紀までに編集した
(8世紀以降に母音記号等を加えた)
ものがマソラー本文で全24書である。
ラビ・ユダヤ教ではトーラーから申命記の最後までのすべてが
モーセによって書かれたとされる。
他方
西欧聖書学はトーラーをモーセが書いたとも、
ヨシュアがモーセの言葉を書き留めたとも考えず、
ヤハウィスト、エロヒスト、祭司記者、申命記史家などの
匿名グループの資料を匿名の編集者が編集したものと考える。
新約正典27文書は4世紀末から5世紀にかけて確定され
福音書、使徒的文書、ヨハネの黙示録からなる。
新約に含まれる神(イエス)の言葉はごくわずかでしかなく
大半は新約聖書記者たちの言葉。
近代聖書学はQ資料と呼ばれるイエスの言葉を集めた語録の存在を仮定しているが
20世紀半ばに発見されたナグ・ハマディ文書の一つ「トマス福音書」はイエス語録である。
(タナハ教も新約教も聖典が確定された歴史的にみれば
聖典根本原理主義が成り立つとみなすことがおかしい)
新約が神の言葉とみなされるためには
聖書霊感説の立場をとる必要がある。
聖書霊感説は
聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ
(新共同訳 テモテへの手紙二 3:16)
を典拠とする。
ただしこのテモテへの手紙二にある
聖書
はヘブライ語聖書であり
その時点では後の新約聖書は存在しない。
原始キリスト教団の残した文書群のうちで
どの文書が神の霊の下に書かれているのかを示す言葉は、
それらの文書群の中には残されていないため、
新約の結集は遥か後代の4世紀末から6世紀にかけての
教会の選択に委ねられることになる。
渡辺善太いわく
「正統主義神学の聖書聖典観は、
普通逐語霊感説と呼ばれている。
…聖書正典の著者霊感観に立つとは、
聖書正典中の六六冊の諸書が、
それぞれそのしるされた時において、
聖霊の直接的霊感によってしるされたものであり、
その意味においてそれぞれの著者は、
聖霊またはキリストの『書記』であり、
『手』であり、
『筆』であるとせられ、
それぞれの著作における
いっさいの人間的なるものの参与を否定する立場に立つことをいう」
対して、
クルアーンはムハンマドただ一人が授かった神の啓示の書であり、
彼からクルアーンを聞いた直弟子たちの手によって
彼の死後15年ほど経ってから書物化される。
それが既に述べた
ウスマーン版欽定クルアーンである。
ヘブライ語聖書が
1 神の言葉
2 預言者の言葉
3 預言者に関する聖書記者の編集句
という三層構造を有したのと異なり
クルアーンでは書記たちの編集句も
ムハンマド自身の言葉も完全に排除され
ムハンマドが授かった神の言葉のみから成り立っている。
ジブリールがムハンマドにクルアーンを「誦め」と命じたことや
「預言者ムハンマドがそう語った」とアーイシャが語った
というような編集句はハディースのレベルで見いだされるのであって
クルアーンには一切混入していないことが重要。
ムハンマドが伝えたアッラーの言葉の中でも
クルアーン以外のアッラーの言葉と、クルアーンは明確に区別されている。
クルアーン以外のアッラーの言葉を預言者が伝えるハディースは
神聖ハディースと呼ばれる。
(アブー・フライラ(直弟子の名前)(ヒジュラ暦54年没)経由
~経由
で~アブー・フライラ(直弟子の名前)が伝える神聖ハディースに曰く。
~。
~は以下のように言った。
アッラーの使徒は以下のように言われた。
~(ここが神の言葉)
という構造が本書にあるが詳細は割愛。
没年も記されるので
ムハンマド存命のときの人か、
彼の没後あまり経ていないかなどがわかるようになっている)
このハディースでは集成者ブハーリーが
神の言葉がムハンマドによって語られたことを
その直弟子のアブー・フライラが「アッラーの使徒は言われた」
と述べて伝えたハディースを
自分から彼にさかのぼる伝承経路と共に記録している。
このハディースにおいては
ブハーリーの編集句、
伝承者、
ムハンマドの言葉からはっきりと区別された
純粋な神の言葉であるにもかかわらず
一冊の神の書クルアーンの一部を指すものではないことが
ムスリムたちの間では自明とされている。
(ハディースは内容が誤りである可能性がゼロではないことが重要)
クルアーン18章109節にあるように
アッラーの言葉は無限に存在することが前提とされている。
人間に対して語りかけられた言葉はその一部に過ぎない。
神聖ハディースが示すように、
預言者に対して語りかけられた言葉はその一部に過ぎない。
そして神聖ハディースの存在が示すように、
預言者に対して語られたアッラーの言葉ですら
全てが啓典であるわけではない。
一冊の独立の書物をなす啓典は
預言者が授かったアッラーの言葉の中でも特殊なカテゴリーであり
そうした啓典が
モーセの律法の書(亜 タウラー)
イエスの福音書(亜 インジール)
ムハンマドのクルアーンなどとなる。
クルアーンは
アッラーの言葉の中でも
人間に対して語りかけられた言葉の一部の
預言者たちに臨んだ言葉の一部の
預言者ムハンマドに臨んだ言葉の一部の
預言者ムハンマドに下された啓典となる。
個々のハディースは信憑性の程度により
真正から偽作までさまざまな評価がなされたが
それは純粋に個々の学者の批判に任されていたのであり
正典化が公会議のような権威によって機関決定されることもなかった。
イスラームは預言者に神性を認めない。
アッラーは
世界を最初に創造した後には世界と関わり合いを持たない
第一原因、法則、あるいは理神論者の神ではなく
この世界の個物のすべてに通暁し、
そのすべてを差配する生きた神である。
人間を他の被造物から分かつものは理性や言語ではない。
自らの意思で善を行い、悪を避ける義務を負うことによって
他の被造物になり特別な存在論的地位を有する。
クルアーンには聖書にあるような家系図がないどころか
ムハンマドの家系についてすら言及がない。
クルアーンは同害報復の正義を追認する一方
自らの罪の贖罪になることを教えてむしろ相手を赦すことを勧めている。
立法の妥協を許さない峻厳さを緩和し、
新約の非現実的な赦しの理想主義も否定する
現実主義的な中庸の立場。
クルアーンも殺人禁止だが
正統な理由なしに
との除外詞がついている。
・
クルアーン2:30~2:36日本語訳
” そして彼はアーダムに諸々の名前をそっくり教え(21)、
それからそれらを天使たちに示し、
言い給うた。
「これらの名前をわれに告げよ、
もしおまえたちが正しければ」。
彼らは言った。
「称えあれ、あなたこそ超越者。
あなたがわれらに教え給うたこと以外に
われらに知識はありません。
まことにあなた、あなたこそはよく知り給う英明なる御方」。
彼は仰せられた。
「アーダムよ、彼らにそれらの名を告げてやるがよい」。
彼が彼らにそれらの名を告げると、仰せられた。
「われは諸天と地の見えないことを知っており、
おまえたちが明かすものも隠したものも知っているとおまえたちに言ったではないか」。
また、われらが天使たちに、「アーダムに跪拝せよ」(22)と言った時のこと、
彼らは跪拝したが、イブリース(23)は別であった。
彼は拒み、思い上がった。
そして彼は不信仰者たち(のうちの一人)であった。
また、われらは言った。
「アーダムよ、おまえは、そしておまえの妻も、楽園に住め。
そして、どこでも望むところで(望みのままに)存分に食べよ。
だが、この木には近づいてはならない。
そうすればおまえたちは不正な者たち(のうちの二人となる)であろう(24)」。
それで悪魔が(25)二人をそこから躓き出でさせ、
二人のいたところから彼らを追い出した。
そしてわれらは言った。
「落ちて行け(26)。おまえたちは(27)互いに敵である。
そして、おまえたちには、地上に一時の住処と食糧がある」。”p.35
註釈
”21 「創世記」の記述ではアーダムが動物や鳥の名前をつける。「創世記」2章19節参照。
22 崇拝の跪拝ではなく、表敬の跪拝。
23 彼は幽精(ジン)の太祖であり、天使の間に居た。7章11-12節参照。
24 20章115-123節、「創世記」2章16-25節、3章参照。
25 イブリースが。
26 地上に。
27 アーダムの子孫とイブリースの子孫は。”p.35
※注釈の数字は原文では小さな数字だが
表現できないので()でくくった。
2:30など章節を示す個所は省略し、
引用前に範囲を提示した。
他の個所の引用も同様。
(クルアーンでは名づけを行うのはアッラーであり
人間アダムではないのが重要)
クルアーン7:11~7:25日本語訳
” そしてわれらは確かにおまえたちを創り、
それから形作り、それから天使たちに、
「アーダムに跪拝せよ」と言った。
すると、彼らは跪拝したが、
イブリース(736)だけは跪拝する者たち(の一人)とならなかった。
(アッラーは)仰せられた。
「われがおまえに命じた時、
おまえが跪拝しないとは、なにが妨げたのか」。
彼は言った。
「私は彼より優れています。
あなたは私を火から創り、
彼を泥土から創り給いました」。
仰せられた。
「では、ここから落ちていけ。
そしてここでは高慢であることはおまえに許されていない。
それゆえ出て行け。
まことにおまえは卑しい者の一人である」。
彼は言った。
「彼らが蘇らされる日まで私を猶予し給え」。
仰せられた。
「おまえは猶予された者たち(の一人)である」。
彼は言った。
「あなたが私を惑わし給うたことに誓って(737)、
必ずや私はあなたのまっすぐな道で彼らを待ち伏せしましょう」。
「それから必ず彼らを彼らの前から、
彼らの後ろから、
そして右からも左からも襲いましょう。
そして彼らのほとんどが感謝する者でないことをあなたは見出すでしょう」。
仰せられた。
「非難され、追い払われた者としてここから出ていけ。
彼らのうちおまえに従う者があれば、
必ずわれはおまえたち一同で火獄(ジャハンナム)を満たすであろう」。
そして「アーダムよ、おまえとおまえの妻は楽園に住め。
そして、どこでも望むところで食べよ。
ただ、この木に近づいてはならない。
さもなければ、おまえたちは不正な者たち(の仲間)となるであろう」。
それから悪魔は二人にささやき、
彼らに彼らから隠されていた陰部を顕にしようとし、言った。
「おまえたち二人の主がおまえたちにこの木を禁じ給うたのは、
おまえたちが天使となるか、
永遠に生きる者となるからにほかならない(738)」。
そして彼は二人に誓った。
「まことに私はおまえたちに対する忠告者たち(の一人)である」。
そうして彼は欺きによって二人を引き降ろした。
それで二人が木(の実)を味わうと、
陰部が顕となり、楽園の葉で身を被い始めた。
二人の主は彼らに呼びかけ給うた。
「われはおまえたちにその木を禁じ、
悪魔はおまえたちの明白な敵であると言わなかったか」。
二人は言った。
「われらが主よ、われらは己に不正をなしました。
もしあなたがわれらを赦し、
慈悲をかけ給わなければ、
われらは損失者たち(の仲間)となります」。
仰せられた。
「おまえたちは(739)互いに敵として落ちてゆけ。
そしておまえたちには地上に定住地と一定の時までの楽しみがある。
仰せられた。
「そこでおまえたちは生き、
そこでおまえたちは死に、
そこからおまえたちは引き出される」。”pp.181-182
註釈
”736 2章34節、20章116節参照。
737 「惑わし給うたために」との解釈もある。
738 20章120節参照。
739 アーダムと妻のハウワーゥとイブリース。”
pp.181-182
(聖書よりもクルアーンの方が女性を大切にしている。
旧約ではイブがアダムに食べてはいけない実を渡したことが女性蔑視の原因の一つなのだが
クルアーンでは二人が食べたとあるだけだから女性蔑視ではない内容。
イスラームでは聖書は改竄ありと考えるので
旧約の上記の内容は改悪されたものではなく
クルアーンの内容が真に正しい改竄なき聖書の記述ということになる。)
・p.40
スンナ派の信条では
動物にも無機物にもアッラーへの認識と知識があるが
いかに認識しているかの具体的な様態はアッラーだけがご存じ。
動物や無機物にも礼拝がありアッラーに賛美を捧げ
アッラーを畏怖している。
・p.45
”そして彼らは、スライマーン王の治世に、
悪魔たちが読むことに従った。
スライマーンは不信仰に陥らなかった。
ただ、悪魔たちが信仰を拒絶し、
人々に魔術を教え、
バービル(バビロン)の二人の天使ハールートとマールートに
下されたものをもまた(教えた)(91)。
しかし、両者は
「われらは『試練』にほかならない。
不信仰に陥ってはいけない」
と二人が言ってからでなければ誰にも教えなかった。
彼らは両者から妻と夫の間を引き裂くことを習ったのであるが、
彼らはアッラーの御許可なしにはそれで誰をも害することはできなかった。
彼らは自分たちを害し、益しないものを習ったのである。
そして彼らは、まさにそれを買った者、
その者には来世には何の分け前もないことを確かに知っていた。
そして彼らが自分自身をそれと引き換えに売ったもの(魔術)のなんと悪いことよ。
もし彼らが知っていたならば。(2:102)”
91 ハールートとソールートは魔術師であったとも言われる。
(バビロンの天使にして魔術師の二人の天使は
ロクアカのアルカーンの武器の元ネタだろう。
しかもクルアーンのソロモン登場箇所に出てくるし)
・雌牛
p.71
2章256節
”宗教に強制はない。
既に正導は迷誤から明らかにされた。
それゆえ、邪神たちを拒絶しアッラーを信じる者は
切れない最も堅い握りを摑んだのである。
アッラーはよく聞きよく知り給う御方。”
註釈
預言者ムハンマドの弟子のフサインには二人の息子があったが、
預言者の召命以前にキリスト教徒になっていた。
その後、二人がマディーナにやってきた時に、
フサインは二人に
「おまえたちがムスリムとなるまで
私はおまえたちを行かせない」と言った。
そこで彼らが預言者ムハンマドに訴えた。
父親が
「アッラーの使徒よ、私の肉親が獄火に入るというのに、
それを私は座視できましょうか」と言うと、
この節が下され、彼は二人を行かせた。
(「ムスリムにならないと、~することを認めない」と言って信仰を強制することの禁止。
クルアーンは註釈で啓示が下ったときの状況を知らないと間違いなく誤解するな。
イランの教科書では
”「宗教には無理強いということが禁もつ」
(第二章牝牛256節)”
が紹介されているが実質、イスラーム以外の選択肢はない)
・p.86
アッラーがイーサーを生きたまま掴み(召し)天に上げたというのが最有力説。
他に、眠らせたの意、死なせたの意、語順が逆の説がある。
最後の説は
われの許に上げ、(その後終末の前に地上に下ろし)
その後召す(死なせる)の意。
・p,101
殉教者の魂は肉体を離れるとすぐに楽園に入るが
一般の信仰者の魂は復活の日に肉体と共によみがえり
最後の審判を経て楽園に入る。
・p.113
4章34節(例の「打て」のところ)
イスラーム学者は
打つことは許されるが避けたほうがよいことで合意している。
虐待する方法、口実を探してはならない。
・p.134
イーサーは父親なしに
アッラーの「あれ」との御言葉によって創造されたために
アッラーの御言葉
と呼ばれる。
また、ジブリールがマルヤムの子宮に吹き込んだ息によって
アッラーの霊を吹き込まれて生じたので
アッラーの霊
とも呼ばれる。
(イエスはイスラムで優遇されている)
・p.136-137
5章3節の食事規定に
空腹で禁じられたものを食べることを余儀なくされた場合は許されるとある。
(そうしないと悪用されまくるからな)
・p.138
不信仰の民に対する憎悪、敵意から
彼らとの約束を破ったり、
子弟を殺傷したり
財産を奪うなどの不正を行ってはならない。
ムスリム同胞だけでなく
異教徒の敵にも公正にふるまわなければならない。
・p.142
5章33節は強盗に対する刑罰。
手足を互い違いに切断されるとは
右手と左足の切断であり
財産を奪ったが殺人は犯さなかった者への刑罰。
・p.164から165
註釈
人間は生前には善行と悪行を帳簿につける天使が同行し、
死に臨んでは魂を召し上げる天使が遣わされる。
最後の日、死の天使イスラフィールが角笛を吹くと
全ての生きものが死に絶えるが、
二度目に角笛を吹くと全ての霊魂が身体に還り甦る。
・p.179
6章158節註釈
終末の予兆には、
ダッジャール
(偽メシア:「ヨハネの手紙上」2章18節参照)
の出現、
イーサーの再臨、
それからヤアジュージュとマアジュージュ
(ゴグとマゴグ:「エゼキエル書」38章、
「ヨハネ黙示録」20章7-9節参照)の出現、
獣(ヨハネ黙示録13章参照)の出現があり、
太陽が西から昇ることなどがあると言われる。
(巻末索引の
ダッジャールの項目にあるページは179ページのみ)
・p.203
7章187節より
最後の審判がいつかは預言者ムハンマドも知らず、
アッラーのみが知り給う
という教え。
註釈にマルコ福音書13章32節とある。
(マルコ福音書13章32節は
終末の日時は父なるゴッドのみが知っていることであり
天子も神の子イエスすら知らないという個所。
”13:31
天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。
13:32
その日、その時は、だれも知らない。天にいる御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。 ”
https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)
イエスも知らないのが意外。
三位一体論では知識を共有しないらしい。
終末の日時を特定している宗派は聖典を否定していることが確定。
マタイ福音書24章36節も同主旨。
”24:36
その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。 ”
https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)
結城浩@hyuki
1月4日
聖書的には「日付を指定したこの世の終わりの予言」はすべて嘘です。
(マタイ24:35-36)
天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。)
p.213
8章61節の註釈824:
(敵が和平に傾いたらの文脈で)
庇護契約、休戦協定、寄留者安全保障契約などを交わせ。
多神教とに関する庇護契約については
「剣の節」(9章5節)で廃棄されたとも言われる。
・第9章 悔悟
冒頭に
慈悲あまねく慈悲深きアッラーの御名において
が書かれない唯一の章。
冒頭に因み
絶縁
章
とも呼ばれる。
「剣の節」(9章5節)
”それで諸聖月が過ぎたら、多神教徒たちを見出し次第殺し、
捕らえ、包囲し、あらゆる道で彼らを待ちうけよ。
だが、もし彼らが悔いて戻り、礼拝を遵守し、
浄財を払うなら、彼らの道を空けよ。
まことにアッラーはよく赦し給う慈悲深い御方。”
p.217
(言っておくが、この個所の適用はかなり限定的なので
適用範囲も知らずに叩く発言は無価値。
『クルアーン入門』に適用範囲について詳細に書いており、
詳しく私が過去記事にしたのでどうぞ。
シーア派12イマーム派でも適用はかなり限定的。)
・※当たり前だが、””でくくっていない個所は本文の引用ではないから、
引用するときよりも確認回数が少ない。
p.221
9章34節
信仰する者たちよ、
まことに律法学者と修道士の多くは人々の財産を虚偽によって貪り、
アッラーの道を妨げる。
また金と銀を貯め込み、
それをアッラーの道に費やさない者たち、
彼らには痛苦の懲罰という吉報を伝えよ。
35節
火獄(ジャハンナム)の火の中、
(金銀が)熱せられ、
彼らの額と脇腹と背中がそれで焼きごてを押される日に。
これがおまえたちが自分たちのために貯め込んだものである。
それゆえ、おまえたちが貯め込んだものを味わえ。
(ユダヤ教学者とキリスト教の修道士批判。
全ての~ではなく、「の多くは」としているのが良い。
イスラームではケチは悪。
罰としての烙印は額、脇腹、背中の三カ所らしい。
詳細な位置は不明。
そういえば、手足を交差するように切り落とす刑罰は、
右手左足らしいが、二回目はどうするのか?
どの程度落とすのだろうか?
しかしなぜ左右互い違いなのだろうか?)
・p.283
13章37節
そしてこのように、われらは、
それをアラビア語の規範として下した。
それでおまえが、
おまえに知識がもたらされた後で、
彼らの妄執に従ったなら、
おまえにはアッラーに対して後見も防ぎ手もいない。
38節
またわれらはかつておまえ以前にも使徒たちを送り、
彼らに妻と子孫を授けた。
そして、使徒にとって、
アッラーの御許可なしに徴をもたらすことは出来なかった。
あらゆる時代には書がある。
註釈
どの時代にも、その時代に応じた律法を定めた啓典がある。
あるいは、万物には寿命があり、
それは「護持された書板」(85章22節)に書き記されている、との意とも言われる。
39節
アッラーは御望みのものを消し、
また確定し給う。
そして、彼の御許には「書物の母」がある。
註釈
森羅万象が予め書き記された普遍の書。
護持された書板と書物の母は同一物とも、
両者は別の物で、
護持された書板に書かれたことはアッラーが御望みのままに書き換え給うが、
書物の母は永久不変であり、
アッラーの知そのものであるとも言われる。
(やはりクルアーンがアラビア語の規範。
護持された書板と書物の母って神智学のいうアカシックレコードの元ネタ?
神智学はイスラーム神秘主義なども取り入れているっぽいし。
そういえば、唯一神が「父」であり「母」でない理由を
聖典以外の根拠で神学者はどう説明しているのだろうか?)
・p.284
14章4節
(アッラーが使途を派遣するなら、
必ずその民族の言語を話す者が使徒に選ばれる。
教えを明示するためである)
・p.291
15章8節の注釈
天使が降臨するのは天罰が下されるときでしかない。
あるいは、叡智に基づく何らかの理由がなければ天使は降臨しない。
(天使を善良なる存在という意味で使う人が日本語話者に多いのはヤソの影響だろうな。
黙示録読むと天使が来ることは不吉なのにな)
・p.292
15章26節
また確かにわれらは、人間を変質した黒土のからからの粘土から創った。
註釈
あるいは「乾いた泥土、変質した黒土」
15章27節
そして、ジャーンヌを、われらは以前に灼熱の火から創った。
註釈
ジャーンヌとは幽精(ジン)のことであるとも、
幽精の太祖(イブリース)ことであるとも言われる。
(ジャンヌじゃないよな?
もしかして、惑わせる者イブリースの材料である火って火獄の火?
彼(クルアーンに「彼」とある)以外の天使たちはアダムに跪いて拝礼したので
人間(ただしアーダームなのでほとんどの人間より地位が上)>天使。
実際、
預言者(人間)>天使>預言者でない一般人)
)
・p.309
16章115節
彼はおまえたちに死肉、血、豚肉、
そしてアッラー以外の名を唱えられ(屠殺され)たものだけを禁じ給うた。
但し、反逆者ではなく、無法者でもなく余儀なくされた者であれば(罪はない)。
まことにアッラーはよく赦し給う慈悲深い御方。
(死肉の定義が気になる。
たいていの場合、生きたまま食べることはないからね。
血もダメだから、何かの儀式で血を飲むのもダメ。
キリスト教の儀式でワインをイエスの血として飲むのもダメだろうね。
そもそもワインは酒なので二重にダメ。
シーア兄貴による
死肉の規定の解説の要約。
シーア派十二イマーム派では
宗教上の規定を守って屠殺していないもの
野獣や猫や犬がとってきたものやそういった獣が食い残した肉。
なので狩猟でとってきた肉は色々と細かく異なる事あり。
例えば
まだ生きているのであるならば規則則って屠殺すればいい。
しかし死肉は基本はダメっぽい。
肉食獣に関しては既定上の屠殺をしても食べてはならないが、
その皮を身につけるのは可能だったと思う。
しかし、礼拝時は身につけて礼拝しても礼拝が無効になるとか、色々と細かい規定がある。
例えば、猫を吸った(おそらく顔をうずめてモフモフした)後に猫の毛が付いている状態では礼拝は成立しない。
)
・pp.312-313
17章15節
「導かれる者、彼は己自身のために導かれ、
迷う者、彼は己自身に仇して迷うのである。
荷を負う者は、他人の荷を負うことはない。
そしてわれらは、使徒を遣わすまで懲罰を下す者ではない」。
註釈
この説はイスラームの宣教の到達が懲罰の条件であり、
使徒が遣わされず宣教が届いていない民は全て、
不信仰であってもアッラーの恩寵により救われるとの学説の典拠とされる。
(日本列島に使徒は来たのだろうか?
使徒は日本語で宣教しているはず。記録はないのか?)
・p.314
17章29節から17章34節の注釈
財産を握り締めて放さず吝嗇になってもならず、
逆に手放しに散財してもならない。
預言者の言葉によると、
殺害が合法化されるのは、
背教、姦通、
無辜のムスリムの故意の殺害の三つの事由である。
後見(殺害された者の遺族)は、同害報復法によって復仇が制度的に保障されている。
孤児の後見は、自分の管理下の孤児の財産には、
有益に運用する以外は手をつけてはならない。
・p.318
17章70節
註釈
天使に関しては預言者たちは天使よりも高貴であるが、
一般の人間よりは天使の方が高貴である。
・p.331
18章83節
註釈
ズー・アル=カルナイン(二つの角を持つ者)は
通説ではアレキサンダー大王。
・p.332
ズー・アル=カルナイン(二つの角を持つ者)が、
ある部族に貢租と引き換えにヤアジュージュとマアジュージュを防ぐ為の防壁を作るよう頼まれ、
承諾し作らせた話。
障壁は鉄と銅でできている。
ズー・アル=カルナイン(二つの角を持つ者)が作らせた壁を
ヤアジュージュとマアジュージュ(聖書のゴグとマゴグと同定される)は
越えることも掘削することもできなかった。
しかしこの壁も最後の審判の時には壊れる。
以上の趣旨の話がある。
18章84節から18章99節まで
”まことに、われらは彼を地上において勢威を授け、
あらゆるものから彼に方途を与えた。
そこで彼は方途を辿った。
やがて、ついに太陽の沈むところに達すると、
彼はそれが泥の泉に沈むのを見出した。
そして、彼はそこにある部族を見出した。
われらは言った。
「『二つの角を持つ者』よ、
懲らしめるなり、
彼らに善を施すなりせよ」。
彼は言った。
「不正をなした者については、
いずれわれらが懲らしめよう。
それから彼は彼の主に戻され、
彼は酷い懲罰で彼を凝らしめ給うであろう」。
「一方、信仰し、善行をなした者については、
彼には応報として至善がある。
そして、われらは彼に、
われらの命令から安易なものを言いつけよう」。
それから彼は方途を辿った。
やがてついに太陽の昇るところに達すると、
彼はそれがある部族の上に登るのを見出したが、
われらは彼らにそれに対して覆いを設けていなかった。
このようであった。
そしてわれらは、
彼(「二つの角を持つ者」)の許にあるものを
確かに知識として包摂した(知り尽くしていた)。
それから彼は方途を辿った。
やがてついに二つの障壁(山)の間に達すると、
その手前にある部族を見出したが、
彼らは言葉をほとんど解さなかった。
彼らは言った。
「『二つの角を持つ者』よ、
まことにヤアジュージュとマアジュージュはこの地で悪をなす者たちです。
あなたがわれらと彼らの間に障壁をなす条件で、
われらはあなたに貢租を払いましょうか」。
彼は言った。
「わが主がそれにおいて私に権限を授け給うたものは一層良い。
それゆえ私を力で助けよ(労力を提供せよ)。
私はおまえたちと彼らの間に防壁をなそう」。
「私の許に鉄の塊を持ってくるがよい」。
やがてついに二つの(山)際の間を平らかにした時、
彼は、「吹け」と言った。
やがてついにそれを火にする(灼熱させる)と、
彼は言った。
「私に持って来い、溶けた銅、私がその(灼熱の鉄の塊)の上に注ぎ込もう」。
すると、彼ら(ヤアジュージュとマアジュージュ)はそれ(防壁)を越えることができず、
掘削もできなかった。
彼は言った。
「これはわが主からの御慈悲である。
だが、わが主の約束が到来した時、
彼はそれ(防壁)を(破壊し)平坦になし給う。
そしてわが主の約束は真実であった」。
そしてその日、
われらは彼らが互いに打ち寄せる(入り乱れる)ままに任せた。
そして、角笛が吹かれ、われらは彼らを一斉に集める。”
※(18:99)などの章節番号や、註釈番号は省略。
註釈
方途=望みの物を得る手段、道を。
覆い
=日陰をなす建物や陽射しを遮る衣類。
言葉をほとんど解さなかった
=特殊な言語で話し、
他の民族と意志疎通がほとんどできなかった。
通説ではヤアジュージュとマアジュージュは
聖書のゴグとマゴグと同定される。
「創世記」10章2節、
「歴代誌上」1章5節、
「エゼキエル書」38章、
「ヨハネ黙示録」20章7-9節参照。
トルコ人、モンゴル人を指すとも言われる。
彼らが互いに打ち寄せる
彼ら=ヤアジュージュとマアジュージュ。あるいは全ての建造物。
(当然だが、二本角の東征者もムスリム。
アレクサンダー大王のことだという説が最有力だが、
あくまでモデル。なぜならアレクサンダー大王はムスリムではないから。
誤愚と魔誤愚とか
夜(奴、闇、病、厄、邪)獣呪とか
魔呪呪という音写が思い浮かんだ。
イスラム世界では特にアレクサンドロスを神に服従する、
全世界に教えを広める使徒としたキャラ付けが独特で、
それが彼の帝国を広げる戦いを拡大していたイスラムの聖戦に重ね合わせていたことが要因に挙げられていたところが面白い。
っていうか突然天使にさらわれて天空から世界をみおろしたり、
謎の異民族(というかほぼ怪物)ヤージュージュとマージュージュを封じるため鉄と銅ででっかい壁作ったり大変だなこの人。
この動画
山中由里子「二本角が表すもの」
https://www.youtube.com/watch?v=6yst70I2KCs&t=2s
すごすぎる。
もしかして最初に出ている司会進行役って中田考先生?
31分あたり
ズー・アル=カルナイン(二つの角を持つ者)の正体については
おおまかに三つの説があり
①アレキサンダー大王(最有力)
②古代イエメンの王サアブ
③ペルシャの王ファリードゥーン(アブラハムと同世代)
※聞き間違いの可能性あり。
動画の文字が読みづらいというか見えない。
35分あたり
なぜ二本角なのかについても多くの説がある。
①(最も広く受け入れられていただろう説)
太陽の二つの角(太陽の昇る場所と沈む場所)に辿り着いたから。
アラビア語のカルンQarnが角だけでなく
(特に明け方に現れるその日最初の)太陽光も意味することによる掛詞。
(二本角モーセが顔が光っているモーセに恐らく意図的に誤訳されたのと関連)
②アレキサンダー大王がペルシャ人とギリシャ人のハーフだから。
イランの伝承に基づく。
⑦王冠に角がついていたから。
⑪勇気が敵に角を突く雄羊のようだったから
雄羊の角つき冠を被ったアレクサンドロスのヘレニズム時代の貨幣がある。
角はゼウス-アモン神を象徴しているとされる。
アレキサンダー大王は遠征の途中にわざわざエジプトのゼウス-アモン神殿に立ち寄り、
彼がゼウス-アモン神の子であるという神託が下され、
彼が自称し、
アモンのコスプレをしたり
角をつけた肖像を彫らせたりした。
インド象の角、牧神パンの角(ヤギの角)バージョンもある。
ダニエル書8章にて
ダニエルが
2本の角を持つ雄羊を
1本角の雄ヤギが倒す幻視して、
ガブリエルが雄羊はメデアとペルシャの王であり、
雄ヤギはギリシヤの王だと解説。
ユダヤ教では
1本角の雄ヤギがアレクサンダー大王=ギリシヤの王
だと考えている。
つまり二本角ではない。
46分あたり
アレクサンドロスにまつわる
シリア語キリスト教伝承にて
アレクサンドロスは神から二本角を授かる。
神から授かった力が二本角に象徴されている。
これがクルアーンの二本角を持つ者の話の元ネタかも
(諸説あり)。
(モーセの二本角との関連では?
ズー・アル=カルナインは預言者っぽさがある。
でも預言者ではないはず。
イスラームでは二本角は悪い意味ではない。)
ヘレニズム時代にアレクサンドロス神格化の萌芽があり、
ローマの皇帝崇拝につながる。
ローマ皇帝の中にはアレクサンドロス模倣をする者がいた。
(「二本角=悪魔」はヤソ教特有の思想!
二本角=悪魔としている時点で耶蘇教思想。
黙示録の竜も角が沢山生えているから新約では角は悪いイメージ。
ヘブライ語聖書ではモーセに二本角が生えたという記述がある。
耶蘇が翻訳でモーセの二本角の個所を別の訳語にして隠したのは
「二本角=異教の悪魔」という教義を維持するためだろう。
ヤソが消し去りたい宗教が皆が皆
「角=強い=善=崇めよう」
だったから
悪にしたんだろ。
メソポタミアの神は角冠を被っている。
ユダヤ教でもイスラームでも二本角は善なる強者の象徴であり悪魔の象徴ではない。
クルアーンのズー・アル=カルナイン(二つの角を持つ者)は肯定的に描かれている。)
アラビア語カルンQarn
①角
②太陽光
の掛詞。
(二本角モーセから顔が光っているモーセへの誤訳を想起)
雄羊の角つき冠を被ったアレクサンドロスのヘレニズム時代の貨幣がある。
彼はエジプトのゼウス-アモン神殿でゼウス-アモン神の子だと神託が下されたので
角はゼウス-アモンの象徴。
@mryensrh11
アモン鍵mryensrh11
” 9月18日
ケルヌンノス - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%8C%E3%83%B3%E3%83%8E%E3%82%B9 …
語源の所な
>ガリア語の carnon, cernon は「枝角」「角」を意味している
>同様に、古アイルランド語では cern は「角」を意味し、
>これらは原インド・ヨーロッパ語の *krno- からきたものである。
>ラテン語の cornu 、ゲルマン語の *hurnaz (英語の "horn" の元)も同じ語源である
これなあ 牛くんにもつながるんだよ
>ケルヌンノスはほとんど常に動物、特に牡鹿と共に描かれる。
>第一の眷属と考えられる牡羊の角をもった蛇と共に描かれるが、
>蛇自体も神であったかもしれない。
>また、これらほど頻繁ではないものの牡牛、犬やドブネズミなどの獣
で、そこへ 颯爽と子x5降臨、とつながる訳ですよ
アモン・プリンセスキャンディ・ウキウキモンキー・ホモランドセルさんが追加
祝福されし未完成ブラスト/ダームGoblin Tactician
@kitsuchitsuchi
アラビア語カルンQarn
①角
②太陽光
の掛詞。…
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hornと言えばさ
モーセがシナイ山に登った時角笛の音がしたって書いてるんだよね
出エジプトの19章とかそのへん
勿論これは英語版ではhornである
9月19日
けるぬんのすが歯科なのか牛なのか
けるぬんのすが歯科なのか牛なのか
羊なのか考えつつ
ぶっちゃけツノがあれば何でもいいのかねえ?
なんて考えつつ
なんでツノが日の出日の入りなんだろうねえ?
と考えつつ
(この前子x5に紹介してもらった動画見てねーんだ
なげーんだもんw)
これってもしかして白夜?
とか思うわけさ
太陽が沈みそうな所からぐぐぐっと昇り直す
これなら確かに牡牛座のマークにも見える
♉
地平線にぐぐぐっと迫った太陽が
ぐぐぐっと登り直すみたいだろ?
だからこれはdeath and rebirth
ただ、、、
足臭いんだー大王
白夜見れたのか???
白夜
地面が真ん丸なら
♉
牡牛座マークそのものだ
地平線(水平線じゃないよ)が見えるのは
日本じゃ北海道の一部だけど
360度全部が地平線なら
きっと真ん丸に見えるだろう
けど、欧米でも360度は無理じゃね?
山もなーんにも無い場所だよね?
無理じゃねと思ったら、、、、
あるよ ある
航海中の海原だ
航海するぐらいだから
凪を狙うだろうよ
じゃー、沖に出りゃ360度
真っ平らだよね
これならギリシャじゃ
白夜見えねえぞ?
って問題もクリアする
航海だから
そもそもギリシャじゃねえよ
と、まあ、ここまで仮説な
参考
(夏至と白夜
http://bb79a.blog.fc2.com/blog-entry-1625.html
にある白夜の画像だが
”ウェブ上にあった連続写真。太陽の一番低い所が真北。これは南極の画像のようだが、ノルウェーやスウェーデン北部では町で見られる。オスロは白夜にならないが、陽が沈んでも太陽が地平線の近くにいるので夜が青い。もう20年前の話だ。”とあるので元は別サイト)”
ぐだトマト@pteras14
9月11日
ケルヌンノスさん……
ねとらぼ認証済みアカウント @itm_nlab
9月11日
ごく普通のシカ(二足歩行)
一切普通じゃない「ごく普通のシカのゲーム DeeeerSimulator」のTwitterアカウントが誕生! 狂気、カオス、理解不能
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1809/10/news113.html … pic.twitter.com/SqFXnh7FBZ
アラビア語の双数形について
https://suikageiju.exblog.jp/19586649/
マゴグ(Magog)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B4%E3%82%B0
Magog (Bible)
https://en.wikipedia.org/wiki/Magog_
(Bible) Dhul-Qarnayn "Yajooj" and "Majooj" (Gog and Magog)
https://en.wikipedia.org/wiki/Dhul-Qarnayn
Yajuj and Majuj Gog and Magog
https://en.wikipedia.org/wiki/Gog_and_Magog#Gog_and_Magog_in_Islamic_tradition
イスカンダル イスカンダル・ズルカルナイン
https://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/7c85495b9d84e426eb8913836de43491
アレクサンドロス・ロマンス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B9)
)
・p.340
19章92節
”そして慈悲あまねき御方が子を持つことなどありえない。”
(イエスを含む、すべての神の子の否定。
このように比喩無しで明言されているのならいいのだが、
比喩的表現について言いたいことがあるので書いておく。
「当時あるもので喩えるのは、
当時の人にとってはわかりやすいけど、
何百年、何千年も経つと間違いなく誤解を招くから
聖典にあるとまずくない?」
「年月を経た人々のその喩えに使われたものに対するイメージの変遷も
絶対唯一形而上実在御方は当然考慮されておられるはずなので問題ない」
「人間の狭い認識範囲と、短い寿命での観測範囲では悪でも
終末までの期間としてみれば結局全体的には善
となるようになっていると言えば何言われても言い返せて都合いいな。
都合の悪いことは全部、
悪魔の幻惑だとか、悪意ある人間の仕業とか、唯一神の試練というのと同じだな。
これらの論法使った時点で説明を放棄しているよな。
物語も比喩も多様に解釈できるゆえに
時代が変わっても問題ないから
各宗教の神話や聖典が採用しているのだし、
物語と比喩は人間の潜在意識レベルまで強く変化させるから採用するに決まっているよね。
論説文で何百年何千年と生き残っている聖典なんて見たことないぞ」)
・20章ター・ハー
本翻訳書ではクルアーン原文と日本語訳と章が始まるごとに日本語で概要が書いてある。
本章の概要より:アーダムが食べて楽園を追放されることになる木は悪魔によって
「永遠の生命の木」と呼ばれている(聖書では知恵の木)。
(キリスト教のエデン追放エピソードは一部誤っているとして否定。
知恵の実を食べたから善悪を知ったり羞恥を知ったりしたということの否定。
永遠の生命の木を食べても寿命は永遠にならないらしい。
霊魂不滅になる?
でも最初から霊魂不滅だよね?
あとこの悪魔は文脈よりイブリース。
アダムへ跪いて拝することを拒否する話がまた繰り返されているからね)
20章120節から121節
だが、彼に悪魔が囁いて言った。
「アーダムよ、おまえに永遠(の生命)の木と衰えることのない王権について教えようか」。
そこで二人はそこから食べ、すると彼らには己の陰部が顕わとなり、
彼らは楽園の葉でそれら二つ(陰部)を覆い始めた。
こうしてアーダムは彼の主に背き、道を誤った。
・p.359
21章96節
ヤアジュージュとマアジュージュが解き放たれ、
彼らがあらゆる丘から走り来るまでは。
・p.361
22章5節
人々よ、もしおまえたちが甦りについて疑念のうちにあるなら、
まことにわれらがおまえたちを土くれから、
それから精液から、
それから凝血から、
それから創造されたものと
創造されたものでない肉塊から創ったのである。
おまえたちに(われらの威力の完全性を)明示するために。
そしてわれらは子宮の中にわれらが望むものを定められた時期まで留め置き、
それからおまえたちを乳児として出でさせ、
それからおまえたちは壮年(三十-四十歳)に達するのである。
おまえたちの中には召し上げられる者もあれば、
おまえたちの中には最も低劣な(耄碌の)年まで戻され、
知識の後に何も知らないようになるものもいる。
またお前は大地が枯れ果てているのを見よう。
ところがわれらがそこに水(雨)を下すや、
それは身震いし、盛り上がり、あらゆる麗しい種類の植物をも生じさせた。
註釈
創造されたもの
とは
人間の形をとったもの、
創造されたものでない
とは人間の形をとらなかったもの、未熟児
を指すと言われる。
召し上げられる
のは壮年になる前にである。
(人間の肉体は土と血と精液でできている)
・p.363
22章17節
まことに信仰した者、「戻った者たち」(ユダヤ教徒)、
サービア教徒、キリスト教徒、
マギ教徒、
そして多神を崇拝する者たち、
まことにアッラーは彼らの間を復活(審判)の日に分別し給う。
まことにアッラーはあらゆるものの証人となり給う御方。
註釈
マギ教徒
光と闇の二元論を信じ、火を崇拝するゾロアスター教徒を指すとも言われる。
(やはりイスラームは明確にゾロアスターをピンポイントで否定している教義がある。
。火葬も水葬も悪)
⑥飲酒ok
露骨にゾロアスター教破壊用でしょ?
教義のうち、日常生活に直結するものを真逆にしているのが重要。
イスラム教の場合は敵対するとはっきり表明する実例。
敵対するとはっきり表明せずに対象を乗っ取り破壊する実例であるマニ教の設計図”
兄貴のエアリプを要約すると
・シーア派12イマーム派ウスール学派の基礎解釈での犬は
「愛玩犬以外は条件があるけど飼っても良い」であって犬自体を全く禁止にしている訳ではない
猫が推奨されているのでもない。
預言者が猫を飼っていた伝承をシーア派12イマーム派ウスール学派は選択しない。
(イスラームの教義がゾロアスターと真逆のものが多いことについては言及せず)
)
・p.370
22章75節
アッラーは天使たちから使徒を選び給い、
人間からもまた。
まことにアッラーはよく知り、よく見通し給う御方。
註釈
天使とはジブリール、ミーカーイールなど。
・p.371
23章12節から15節
そして確かにわれらは人間を泥土の精髄から創った。
それから、われらは彼らを精液として丈夫な定着地に置いた。
それから、われらはその精液を凝血に創り、
その凝血を肉塊に創り、
その肉塊を骨に創り、
その骨に肉を着せ、
それからわれらはそれを別の創造に作りだした。
それゆえ、祝福多きかな、アッラー、創造者たちのうち最良の御方。
それから、まことにおまえたちはその後、必ずや使者となる。
註釈
別の創造
魂を注入することで別の存在となした。
(われらってことはアッラーと天使で創ったのだろうか?
主語は複数形、動詞は男性単数とか?
人間の不死の否定。でないと復活できないからね)
・p.392から
25章43節
己の欲望(妄執)を神とした者をおまえは見たか、
おまえは彼に対する代理人になるのか。
註釈
代理人
彼が己の欲望(妄執)に従うのを、
おまえが彼に代わってやめさせるのか。
論敵との論戦は、
敵との武力による戦いに優るので、
「大いなる奮闘(ジハード・カービル)」と呼ばれている。
・p.407
第27章 蟻
動物の言葉を解読する能力を授かったスライマーン王が
蟻の言葉を聞く逸話に因む。
終末に出現すると言われる獣について言及される。
(蟻は動物らしい)
・p.410
悪鬼(イフリート)登場。
姿は不明。
イフリートはジンの一人。
・p.414
”そして、彼らの上に(懲罰の)言葉が実現する時、
われらは彼らに大地から獣(1413)を出でさせ、
それは彼らに、
「まことに人々はわれらの諸々の徴を確信していなかった」
と語るであろう(27:82)”
獣の出現は終末の予兆の一つ。
獣とは人々を偵察する忍獣(ジャッサーサ)であるとも、
人語を話す動物であるとも、
獣のような人であるともいわれる。
(獣は海からではなく地面から登場するらしい)
・p.434
29章64節
そしてこの現世は戯れ、遊びにほかならない。
そしてまことに、来世の館、それこそ(真の)生である。
もし、彼らが知っていたならば。
註釈
消え去る現世を永続する来世よりも大切にすることはなかったであろう。
(
今の私如きに全てが理解でき納得できて
喜んで従えるようなことを命ずる程度の存在ならそもそも神ではない。
どの命令にも重層的な意味があり、
各々の時点で新たな意味が開示されるとしても、
やはり全てが頷けるわけではない。
といって、殆ど全てが理解できず不満な教えに従うのも、どう考えても不合理。
納得できることとできないことの最適なバランスの一般解はおそらく存在しない。
それが信仰というもの。)
・p.437
30章30節
それゆえ、おまえの顔を、
ひたむきにこの宗教に直面せしめよ。
彼(アッラー)が人々に造り給うたアッラーの本性を(遵守せよ)。
アッラーの創造に変更はない。
それこそ正しい宗教である。
だが、人々の大半は知らない。
註釈
イスラームは人間の本性に適った宗教である。
それゆえ
「全ての新生児は本性の上に生まれる。
ただその両親が彼をユダヤ教徒やキリスト教徒にするのである」
とのハディースにあるように、
人間はイスラームの本性を持って生まれるが、
親の教育により、異教に染まっていくのである。
(一切衆生悉有仏性かな?)
・p.459
34章14節
註釈
スライマーンは死後も、
死体が彼の杖にもたれかかって立った姿勢のままであった。
それで幽精(ジン)たちは、木食い虫が彼の杖を食み、
死体が倒れ伏すまで、
彼の死に気づかず、
生前にスライマーンが命じた苦役を続けていた。
(立死にするソロモン。
クルアーンではソロモンは立ち往生する)
p.480から
37章77節
註釈
一説によると、
人類は全てヌーフ(ノア)の子孫であり、
ヌーフの子サーム(セム)の子孫がアラブ人、ペルシャ人、ギリシャ・ローマ人、
ハーム(ハム)の子孫が黒人、
ヤーファス(ヤペテ)の子孫がトルコ人、モンゴル人となった。
(これイスラーム側の情報?
黒人ってアフリカ大陸の人って意味。
アラブ人も肌が(浅)黒いじゃん)
37章102節
註釈
創世記ではイブラーヒーム(アブラハム)が犠牲に捧げようとしたのは
イサク(イスハーク)であるが、
イスラームのクルアーン注釈者の間では、
イスハークが113節に後述されることから、
イスマーイール(イシュマエル)だったとするのが多数説。
・p.497
39章49節
そして人間を、災厄が襲うと、
彼はわれらに祈った。
恩寵を授けると、言った。
「私がそれを授けられたのは知識に基づくに過ぎない」。
いや、それは試練である。
だが彼らの大半は知らない。
註釈
試練
自らの成功が自分の能力によるものと自惚れず、
アッラーに感謝するかという試練。
(成功するかどうかは大半が運で決まるからね。
成功体験が参考にならない理由。
失敗体験は参考になることが多い気がする)
・p.501
40章11節註釈
二度死なせ、二度生かし給い
生まれる前の精子の状態が第一の死、
現世での生が第一の生、
現世での死が第二の死、
来世での復活が第二の生とされる。
・p.513
41章37節
また、彼の諸々の徴のうちに、
夜と昼、太陽と月がある。
太陽にも月にも跪拝してはならない。
それらを創り給うたアッラーに跪拝せよ。
もし、おまえたちが彼にこそ仕えるのであれば、
(自然=被造物崇拝の否定)
・p.526
43章48節
註釈
姉妹
徴(アーヤ)は文法上女性なので姉妹と呼ばれる。
(アヤちゃん)
49節註釈
当時、エジプトでは魔術師は学識者として尊重されていた、とされる。
(魔術を悪として叩く箇所が複数個所あるが
やっている内容を見ると
魔術師でない側=イスラーム側も魔術使っているんだけど。
信仰対象で魔術か否かが決まるのか?
これユダヤとキリスト教から受け継いだ、ダメな二枚舌じゃん。
↑
シーア兄貴の指摘
”43 章49 節は前後文読め
その時言った彼らは46 節に書いてあるようにフィルアウン(悪政者)とその長老達であって、ムーサー(ع) ではない”)
について。
註釈だけ書いたのはまずかった。
ネット上の翻訳の引用(だって長すぎて手打ちは大変以下略)
43. 金の装飾 (アッ・ズフルフ)
http://www.way-to-allah.com/jp/quran/43.htm
”45. あなた以前にわれが遣わした,使徒たちに問いなさい。われは,慈悲深き御方以外に仕えるべき神々を置いたのか。
46. 本当にわれは,ムーサーに様々な印を持たせて,フィルアウンとその長老たちに遺わした。かれは言った。「わたしは,本当に万有の主の使徒です。」
47. ところが,わが種々の印を現わしたのに,見よ。かれらはそれを嘲り笑った。
48. それでわれが次々にかれらに示した印は,どれもその仲間のものより,偉大なものであった。そして懲罰をもってかれらを懲らしめた。必ずかれらは(われの許に)帰るであろう(ことを思って)。
49. その時かれらは言った。「魔術師よ,主があなたと結ばれた約束によって,わたしたちのために祈ってください。わたしたちは本当に導きを受け入れるでしょう。」
50. だが,われがかれらから懲罰を取り除くと,同時にかれらはその約束を破ってしまった。
51. そしてフィルアウンはその民に宣告して言った。「わが民よ,エジプト国土,そしてこれら足もとを流れる川は,わたしのものではないのですか。あなたがたは(そんなことが)分らないのですか。
52. わたしは,この卑しい,明瞭に言い表わすこともできない者よりも,優れているのです。
53. 何故黄金の腕環がかれに授けられないのですか。また何故天使たちが,付添ってかれと一緒に遣わされないのですか。」
54. このようにかれはその民を扇動し,民はかれに従った。本当にかれらは,アッラーの掟に背く者たちであった。
55. こうしてかれらはわれを怒らせたので,われはかれらに報復し,凡てを溺れさせ,
56. かれらを過去(の民)とし,後世の者のために(戒めの)例とした。”
より、
モーセが魔術師だと言われていて、
それをうけて、
エジプトでは魔術師は賢者扱いと註釈されている。
賢者=善ということだからだろう。
イスラームでも魔術師叩きの個所がここ以外にもあった記憶があるので
イスラームもヤソとかと同じく
行為は同じでも
崇めている唯一絶対存在のおかげなら魔術ではなく
異教徒が使うなら全部魔術=悪扱いという二枚舌をやっているのでは?
と考えて書いたはず。
イスラームにおける魔術概念の扱いについて日本語か英語でいい記事ないかなあ。
・p.552
50章16節
そしてわれらは人間を確かに創り、
われらは彼の魂が己にささやくということを知っている。
そしてわれらは彼に頸動脈の血管よりも近い。
17節
二人の受け手が右と左に座って受け取る時。
註釈
人間の言動を記録する二人の天使。
右の天使は善行を記録し、
左の天使は悪行を記録すると言われる。
(イスラームでは人はみな二人は天使がすぐそばにいる。
この二人の天使も頸動脈よりも近いところにいるのだろうか、
それならもう体が触れあっているじゃん。
だって頸動脈って体表面に近いけど体内じゃん。
右を優遇ってインド由来かもね。
右手が所有するもの
=女奴隷。
なぜ右手か不明。)
・p.560
53:14
最果てのスィドラ
スィドラはナツメの一種。
最果てのスィドラは楽園の第六天から第七天に位置し
この木より先には被造物の知識は及ばない。
諸天と地の上限であり
アッラーから垂示されるすべてのもの(預言者等)はここに降される。
(名作タイトルになりそうだな、最果てのスィドラ)
p.561
アッラートはターイフのサキーフ族の白い岩の偶像
アル=ウッザーはクライシュ族が崇めた木の偶像
マナートはフザイル族、マディーナのアウス族とハズラジュ族の岩の偶像であったともいわれる。
・p.573
56章77節
まことに、それは尊いクルアーンである。
78節
隠された書の中にある。
79節
それに触れるのは清められた者たちのほかいない。
註釈
儀礼的な浄化(ウドゥーゥ)で身を清めた者以外は触れてはならない。
前節の「隠された書」を護持された書板ととる解釈に従うと
この清められた者とは天使を意味する。
(本書はアラビア語原典も載っているからクルアーン扱いすべき。
異教徒は触れるなって説が確かある。
それだとどのような宗教か異教徒は調べるなってことだから
納得できるように説明して宣教せよという姿勢と矛盾しないか?
聖典読まれると困るのか?
まさか聖典に矛盾することを教義として騙っているのか?
とか勘ぐられちゃうぞ?
まあ翻訳なら註釈扱いだけどさ、
本書のように原文とセットにしてるのって……勘ぐられても仕方ないな!)
p.578
57章27節
修道院制度はキリスト教の創作でありアッラーの教えではない
という記述。
(イスラームに修道院制度はない)
・p.582から
戦闘が行われることなく降伏した敵から獲得した賠償金の配分規定がある。
59章7節
アッラーが町々の住民から彼の使徒に返し給うたものがあれば、
それはアッラーのものであり、
使徒と
(使徒の)近親、
孤児たち、
貧困者たち、
そして旅路にある者のものである。
おまえたちのうち金持ちたちの間での持ち回りとならないためである。
そして使徒がおまえたちに与えたものがあれば、
それは受け取り、
彼がおまえたちに禁じたものがあれば、
避けよ。
そして、アッラーを畏れ身を守れ。
まことにアッラーは応報に厳しい御方。
59章9節
また、彼ら以前から住居(マディーナ)と信仰を手にしていた者たちは、
自分たちの許に移住して来た者を愛し、
彼ら(移住者)に与えられたものに対して
己の心に必要(物欲・嫉妬)を見出さず、
またたとえ、自分自身に欠乏があっても自分自身よりも(他の同胞を)優先する。
また、己の強欲から護られた者、
それらの者、彼らこそ成功者である。
(イスラームの成功の定義。
アッラー崇拝が大前提。
ムハンマドが孤児だったので弱者にやさしい教えになっている。
金持ちに独占されないようにせよって聖典に書いてあるのがすごい。
↑
シーア兄貴の指摘について。
確か、辞書引いて
孤児=両親のいない子なので両親以外が保護者になっても孤児だと判断して
孤児という言葉を私は使った気がする(記憶曖昧)。
しかし、
他の定義では親戚等の保護者がいるなら孤児ではないとするものもある。
となると、
「両親を幼くして亡くした」にすべきという兄貴の指摘は正しい。
イスラーム系の人がムハンマドは孤児って言っているのはまずくない?
注意深く避けている人もいるだろうけど。
アラビア語の孤児に当たる表現のニュアンスがわからない。
以上より、
孤児というより保護者がいなくて立場の弱い子供に優しいのほうが適切。)
・p.586
60章1節から9節で
敵対行為
(イスラームと戦ったり、
ムスリムをムスリムの家から追い出すなど)
をなしていない不信仰者に親切、公正に振る舞うことは禁じられていないことを明記。
(積極的に異教徒を探して迫害せよという教えはない。
剣の節は適用条件が厳しい)
・p.623
76章2節
まことに、われらは人間を
--われらは彼を試す--
混ぜ合わされた精滴から創り、
そして彼に聴覚と視覚を成した。
註釈
試す
われらは人間を試すべく、人間を創った。
あるいは、
われらは、われらに試される存在である人間を創った。
試すとは、
人間に対する義務負荷とそれへの対応を見ることを指す。
混ぜ合わされた
男女の性液が混合した。
(イスラームでの人間の誕生理由聞かされて嫌がる人多そうなんだけど)
・p.624
楽園の様子
76章21節
彼ら(敬虔な者たち)の上には緑の錦と緞子の服があり、
銀の腕輪で飾られ、
彼らには彼らの主が清らかな飲み物を飲ませ給う。
(イスラームは緑が善なるシンボルカラー。
オシリスの色も緑。
世界連邦ヤソ陣営が緑がシンボルなのはヤソ以前の宗教由来だろうな)
・p.647から
第89章 暁
冒頭の
暁にかけて
に因む。
アード族、イラムの町、サムード族、
フィルアウンの滅亡に注意を喚起した後、
審判の警告がなされる。
89章17節途中から21節途中まで
おまえたちは孤児を厚遇しない。
そして、貧しい者の食事(の施し)を奨励しない。
そして、遺産を貪欲にむさぼり食らう。
そして、財産を溺愛で愛する。
断じて(このようにあるべきでない)。
註釈
遺産を貪欲に~
善悪の区別なく、遺産における他人の権利まで貪る。
(孤児を厚遇せよ、
貧しい者に食べ物を施せ、
遺産(他人の権利)を貪るな、
財産を崇拝するな(拝金主義の否定)という教え。
ロクアカの
魔将星《魔煌刃将》アール=カーン
(イスラームの五行はアラビア語でアルカーン)
が学園地下迷宮地下89階で門番を務める理由がわかる。
この章の内容はこのラノベのアルカーンの話には反映されていない。
魔人側はイスラーム(おそらくイスラーム神秘主義)傾向がある側だからね。
彼は邪神(おそらくクトゥルフ)の試練を乗り越えて手にした13(!)の命と、
左手に持つ魔術を打ち消せる赤き魔刀
「魔術師殺し(ウィ・ザイヤ)」(こっちの元ネタはいまだ不明)、
右手に持つ霊体そのものを傷つけられる黒き魔刀
「魂喰らい(ソ・ルート)」(本記事で元ネタがわかる)
が武器。
時間停止能力者の女性に最後の命を殺されて消滅(影にすぎず本体ではないらしい)。
時間操作=ズルワーンの力
には勝てない。
ロクアカの詳しい考察は別記事でやっているのでご覧ください。
最新刊が出たら更新していきます。)
・p.655
96章18節
われらも
火獄の番人たち(ザバーニヤ)
を呼び集めよう。
(ザバーニヤかザバーニャかルビだとわからない。
イスラームの地獄は火獄と訳されるように熱いのだが、
仏教のように冷たい氷の地獄もあるのは少数派なのだろうか?
・p.666から
111章 棕櫚
預言者ムハンマドに激しく敵対したアブー・ラハブとその妻への呪詛。
111章1節から5節(本章全文)
慈悲あまねく慈悲深きアッラーの御名において
アブー・ラハブの両手は滅び、また彼も滅びた。
彼の財産も、彼が稼いだものも彼には役立たなかった。
いずれ彼は、炎(ラハブ)を伴った火に焼(く)べられる。
彼の妻もまた(火に焼け)、薪を運んで、
彼女の頸(首)には棕櫚の縄が(つけられて)ある。
註釈
両手に対する呪詛は全身に対する呪詛を表現する。
アブー・ラハブの妻は、預言者ムハンマドを傷つけるために、
夜中に棘のある木の薪を運んで、
預言者の通り道においていた、と言われる。
また薪を運ぶとは、
人々の間に敵意と憎悪の火をつける中傷や、
陰口を言いふらすことの比喩ともいわれる。
(呪詛が聖典にあるのか……
なぜ棕櫚の縄を首に巻くのだろうか。
火獄だと燃える、そうか、それが目的か)
・クルアーン正統十読誦注解
松山洋平 筆
現代のスンナ派イスラーム世界では
クルアーンの十通りの読誦法「十読誦」が正統として認められている。
正統な十読誦のそれぞれの読誦法は
師(イマーム)あるいは読誦者と呼ばれる一名の読誦者に帰される。
これらの師の読誦法を普及させた人物を伝承者と呼ぶが
十読誦の師にはそれぞれ有力な二人の伝承者が存在する。
ただし、すべての伝承者が師に直接師事しているわけではない。
また、伝承者の読誦を伝える諸々の下位伝承は経路と呼ばれ
伝承とは区別される。
なお、各伝承者はそれぞれ有力な二種の経路を持っている。
(一人の師
二人の伝承者
四人以上の経路)
死亡年に付されたhはヒジュラ歴を意味する。
シーア派十二イマーム派では正統性が認められているのは
現代においても
七読誦のみ。
預言者ムハンマドと天使ジブリールは、
毎年のラマダーン月に
クルアーンの読み合わせを行い、
その章句の順序などを確認していた。
読誦法の分類
1 アラビア語の正しさ
2 ウスマーン版ムスハフの書体(rasm)への一致の如何
3 伝承経路の信憑性
アラビア語がクルアーンを守護するのではなく
クルアーンがアラビア語を守護する。
クルアーンの文言が正則アラビア文法の根拠。
以上
参考資料
【FGO】なぜイスカンダルはブケファラスに乗るのか?
http://tenfingers.hatenablog.com/entry/2018/03/29/015826
聖書の「正義」は「ジャスティス」ではない
http://tenfingers.hatenablog.com/entry/2017/03/27/082523
正義はゆるし、偽善はゆるさない
http://tenfingers.hatenablog.com/entry/2017/04/08/225816
一者
http://tenfingers.hatenablog.com/entry/2017/04/11/114547
【Fate】なぜ歴代ハサンは十九人なのか?【Grand Order】
http://tenfingers.hatenablog.com/entry/2017/02/26/015403
(日ユ同祖論カルト信者が好きな景教渡来説を採用している
ムスリムのサイト。
かなり勉強になるが注意。
正月はさすがに一神教由来ではないでしょ。
明治になって中身が改造されてキリスト教化した可能性はあるが。
日本人が必ず好きになるジャスティス
http://tenfingers.hatenablog.com/entry/2018/03/03/215158
”Authority should derive from the consent of the governed, not from the threat of force!"
「権力とは脅しではなく、統治されるものの同意から生まれるべきよ!」”
俺はイスラーム教徒なのでユダヤ教のティフリンに萌えたりしない
http://tenfingers.hatenablog.com/entry/2017/03/05/223859
'Let there be light.' And there was light.
イェヒー・オール・ヴァイエヒー・オール。
ヘブライ語で光はオールなのか(ヘブライ語勉強したこと忘れてる))
神も模するものとして、日本では天皇陛下などが挙げられますが、
やはりステーキを食べてる=新陳代謝の象徴たる画はあまり見当たらないわけですね。
象徴たる神は代謝をしないほうが望ましい。
あながち、もっともアイドルらしいアイドルはバーチャルユーチューバーかも。
「わたしはイスラム教徒として、女性から握手を求められると不快で、
セクシャルハラスメントだと思うが、
西洋人のように野蛮ではないので特に騒ぎ立てることはしない」という中田先生、偉い。
自分の崇高な義務を他人に課してはならない。
若者起業支援みたいなのまったくダメだ。
その理由、起業したい若者なんて「上からの圧力」みたいなの大嫌いな連中しかいないから。
税金で支援したら、当然進捗報告が義務になる。その業務報告が嫌。
甘ちゃんの中からイノベーションが生まれることもある。いまの起業支援からは絶対に生まれない
お読みくださり感謝!
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