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ノーベル賞学者として国民から称えられているが、はたして教育改革の先頭に立たせてよいのか (昨年12月22日、森首相に答申)
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成熟した社会といえる教育とは…
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特別インタビュー・斎藤貴男(ジャーナリスト)
江崎玲於奈教育改革国民会議座長の本音
「教育改革に優生学導入」の危険
■教育改革論議が盛んだ。だれもが経験・体験を持つだけに議論はしやすい。 だが、“専門家”たちが考えている改革の本質的怖さ、危険をご存じか--




 “教育国会”が始まった。政府は首相の私的諮問機関である教育改革国民会議(座長=江崎玲於奈・芝浦工業大学学長)が昨年末にまとめた報告書を基調とした11の改正法案を、今通常国会に提出、成立を目指すという。
 教育基本法の改正や、奉仕活動の義務化を睨んだ自治体の条件整備などが争点になりそうだ。森首相をはじめ与党政治家は、「戦後教育の総決算」だと繰り返してきた。
 折からの不況や、社会に蔓延する閉塞感、相次ぐ少年犯罪などに対する苛立ちを背景に、この分野でも強烈なリーダーシップを求める声が高まっている。政府はまた、教育改革にあたって「画一的・過度の平等を排し個性重視へ」と謳い、それなりに一般の支持を集めてもいる。

遺伝子検査に基づいて
人間を振り分ける教育

 だが、短絡は禁物だ。教育改革のロジックは、表向きのわかりやすさ、大衆受けしやすさと同時に、きわめて危険な思想を孕んでいることを指摘しないわけにはいかない。
 一部に出ている戦前回帰、右翼的といった議論は、ひとまず置く。以下、キーマンたちへのインタビュー取材を積み重ねた果てに見えてきた、現行教育改革の本質を明らかにする。
 教育改革国民会議を率いてきた江崎座長(75)は、1973年に日本人で4人目のノーベル賞(物理学)を受賞した有名人である。東京大学理学部物理学科卒。ソニーを退社して渡米し、IBMワトソン研究所の主任研究員時代に、「半導体と超伝導体のトンネル効果に関する実験的発見」が評価された。筑波大学学長を経て現職。
 華麗な学者・教育者歴の一方で江崎座長の教育観は、しかし、ほとんど知られていない。多くのメディアが直接本人に取材しているにもかかわらず、どういうわけか、肝心な部分が報じられることはなかった。
 何よりもまず、私が“個性重視の教育”の具体的イメージを尋ねた際の、彼の回答を紹介しよう。
 「人間の遺伝情報が解析され、持って生まれた能力がわかる時代になってきました。これからの教育では、そのことを認めるかどうかが大切になってくる。僕はアクセプト(受容)せざるを得ないと思う。
 ある種の能力の備わっていない者が、いくらやってもねえ。いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの遺伝情報に見合った教育をしていく形になっていきますよ」  江崎座長は、そして「優生学」を口にした。
  「遺伝的な資質と、生まれた後の環境や教育とでは、人間にとってどちらが重要か。優生学者はネイチャー(天性)だと言い、社会学者はノーチャー(育成)を重視したがる。共産主義者も後者で、だから戦後の学校は平等というコンセプトを追い求めてきたわけだけれど、僕は遺伝だと思っています」
 優生学(ユージェニクス)とは、1883年にC・ダーウィンのいとこである英国の科学者フランシス・ゴールトンが始めた学問分野である。語源はギリシャ語の「優れたタネ」で、基礎的な文献によれば、〈(ゴールトンが)その言葉で意味したのは、「生存により値する人種または血統に対し、劣った人種あるいは血統よりも、より速やかに繁殖する機会を与えることによって」、人類を改善する「科学」を創りだすことだった〉(ダニエル・J・ケブルズ著、西俣総平訳『優生学の名のもとに』朝日新聞社、93年)。
 やがて勃興した遺伝学などとも優生学は結合し、たとえば障害者の“安楽死”やユダヤ人虐殺を図ったナチス・ドイツの暴虐の理論的根拠ともされていく。第2次大戦後は悪魔の思想として封印されたかと思われていたが、遺伝子工学の発展とともに、近年は復権を果たしつつある。
 黒人は知能が低いなどと露骨な人種差別意識を剥き出しにし、優生思想に貫かれた『ベル・カーヴ』という書物(R・J・ハーンスタインほか著。邦訳はない)が、94年に全米でベストセラーになっている。前掲書の原書が出た九年後だった。
 江崎座長も、アメリカの潮流と軌を一にして、ゴールトンの思想に通じている。また教育問題を扱う諮問機関の長に彼を任命した小渕恵三・前政権は、そのような教育観を好もしく捉えていたことにもなる。

平均学力の低下を望む
教育課程審議会の本音

 教育改革の重大な要素である“ゆとり教育”も、優生学的な発想と切り離すことができない。99年に告示され、2002年から実施される学習指導要領は、学校5日制(週休2日制)の導入に伴い、主要教科の年間授業日数を小、中学校ともに現行の85%に削減するとしている(ピークだった70年前後の、それぞれ75%、70%)。
 教科内容の“ゆとり”ぶりは凄まじい。小学校の算数で、円周率が「3.14」から、「およそ3」へと簡素化される。国語の学習漢字から181字が消える。中学校の英語で必須単語を現在の507語から100語に減らす。社会科、特に世界史で「ルネッサンス」など、日本史と直接関わらないテーマを無視する……エトセトラ。「日本の生徒がバカになる!?」という特集を組んだ週刊誌もあった。
 削減された学習内容はあくまでもミニマム・スタンダードであって、生徒は無理なく勉強できる、知識の量でなく創造力が大切だと、文部省(1月から文部科学省)は繰り返してきた。ところが新要領の実施が近づいた昨今、大学生の学力低下を憂える声や、人材のレベル低下を恐れる経済界の懸念が高まっているという(「朝日新聞」2001年1月10日付夕刊など)。
 それらも必要な視点ではある。だが、高学歴層の現象面だけを見ていては、事態の本当の深刻さを見誤ってしまう。

(以下、本誌をご覧ください。)

 
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