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読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

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反イエズス会でも啓蒙主義でも反カトリックでも反王政でもないのをイルミナティと呼ぶ奴は全員無知か詐欺師!イエズス会や王侯貴族やバチカンやWASPにイルミナティという間違った名づけをするな!「光=イルミ」もやめろ!最重要マッキントッシュ『薔薇十字団』メモ 











言葉は魔法。
自分で自分の能力縛る呪文唱えてんじゃねーよ
単語自体が毒なんだよ!

Xさんはサッカー選手なのに肩書を野球選手って書いて、Xさんは野球選手です!
っていう奴って無知か嘘つきかでしょ?
それと同じ。
無知には確かめないとか含む。

X勢力は支配層の一つの派閥にすぎないなのにすべての支配層の頂点って書いて、
Xは支配層の頂点です、こいつらを倒せばみんな幸せになりマシュ!
っていう奴って無知か嘘つきかでしょ?


イルミナティと呼ぶ場合、
当然、元祖の要素を受け継いでいないといけない。


ヴァイスハウプトのイルミナティの特徴

・反イエズス会(最重要の必須要素)
・反カトリック教会、反バチカン
・啓蒙主義(反知性主義の否定)
・反オカルト(スピリチュアルの否定)
・反王政(共和制の肯定)


が含まれていないといけない。

よって、
イエズス会、カトリック教会、バチカン、
反知性主義、オカルト好き、王政肯定側の
支配層の派閥をイルミナティと呼ぶ者は
全員
無知か嘘つき。

内容と真逆の名前をつけるってお前は、
悪法の名前を考える悪の魔法使いかよ、てめーは!
ただのキリスト教をユダヤと名づける奴と同類だな!

名前は元ネタに沿っていないと詐欺。
クリスチャンをユダヤと呼ぶ詐欺に気を付けろと言ってもてめーには無駄みたいだな!
てめーって誰かな?
今は存在しないかもしれないよ。
未来では存在しているかもね。
別に特定の誰かを指してるわけでもないね。


WASP至上主義側は反知性主義だから、
啓蒙主義のイルミナティなわけないでしょ!

反カトリックでも反王政でないのをイルミナティと呼ぶ奴は全員無知か詐欺師。
∴イエズス会をイルミナティと呼ぶ奴は全員嘘つきか馬鹿!
つーかイルミナティという間違った名づけするんじゃねーよ

ヴァイスハウプトのイルミナティ思想を一番受けついているのはどうみても、
ライシテ教+啓蒙主義+理性主義+右目のフランス系結社だろーが!
理神論と無神論(寄り)と共和制(王政否定)、
反教会(反カトリックとはイコールではないけど)
の支配層の派閥のごく一部じゃねーか!

典型的なデマ↓

イルミナティ=イエズス会。
支配層=イルミナティ
メイソンの上層部=イルミナティ

全部間違いじゃねーか


桃太郎の菊りんはちゃんとわかっているよね。






ヴァイスハウプトのイルミナティと思想的になんのつながりもないなら、
つまり、反カトリック・反王政・啓蒙主義・反オカルトなどのヴァイスハウプトの思想を持たない組織なら、
イルミナティなんて名称は間違いなので嘘つきか不勉強かとなり、よって百害あって一利なし。
そんな奴はイルミナティ陰謀論を発明したのがカトリック信者だとすら知らないか言わない。

ホーンというベネディクト会修道士がイルミナティ陰謀論を作るのに協力しているのにねえ。
イルミナティ陰謀論はイエズス会士とベネディクト会修道士の合作だ。

現代の陰謀論の父はイエズス会士のバリュエル神父!
ベネディクト会修道士でスパイで外交官でタクシス家とつながりありのホーンが、
ロビソンにメイソン・イルミナティ陰謀論のネタを提供。
リベラと同じくプロテスタント側の陰謀論者フェルプス(バチカン限定陰謀論)をカトリックのboが叩くのは当然!
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-194.html

ロスチャイルドが元祖イルミナティ設立に関わったとかデマ垂れ流す奴は、
元祖イルミナティと黄金薔薇十字団の戦いすら知らねえだろ?
黄金薔薇十字団すら知らねえ奴が秘密結社の陰謀なんて騙るんじゃねーよ。
黄金薔薇十字はヘッセン系だ。
ヘッセンはロスチャイルドの親分だ。
黄金薔薇十字を否定するのが、啓蒙主義のヴァイスハウプトの元祖イルミナティだ。
元祖イルミナティにとってロスチャイルドはヘッセンの部下だから敵だ。
よって、ロスチャイルドが元祖イルミナティ設立にかかわったとか全部嘘だ。


七四年に創設されたヴァイスハゥプト(三二歳)の啓蒙主義結社「イルミナティ」は、バイエルンの地方組織にすぎず、イェズス会残党の激しい攻撃にさらされ、メイソンリーに援助を求めていた。
おりしも、八〇年、黄金薔薇十字団の黒幕のヘッセン=カッセル方伯の腹心クニッゲ男爵(二八歳)は、嫉妬による陰謀に巻き込まれ、宮廷から追放されてしまう。
そして、彼は、「イルミナティ」に乗り込み、たちまち啓蒙主義メイソン五百名以上を参加させ、これを反黄金薔薇十字団運動の拠点としてしまった。

(出典の論文はネット上から消滅。本ブログのどこかに写しがあるよ)

クニッゲのほうが重要!


いっとくけど、私はイルミナティといったらヴァイスハウプト一択だけど、
デマに惑わされている人がわドわされないように元祖ってつけているよ。



”メーソンは一次予選通過者の集まりのようなもので、
そこから本命をスカウトするための人材紹介業者でもある。
複数の結社を掛け持ちしていないと妄想してないよね?

メイソン以外の友愛結社の名前をあなたはどれくらい知ってる?
フラタニティとソロリティぐらいは常識だよね?

ギリシア文字三文字の、
アルファ・カッパ・ラムダ
Alpha Kappa Lambda (ΑΚΛ) ぐらいはご存知だよね?
ギリシア文字を使った結社は他にもあるよ。
日本語で調べてもろくな情報はない。”
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-224.html
結社名でメイソン以外思い浮かばない奴は読むな!
→ドラえもんの暗記パンとYahoo!とヤプーとラピュタの元ネタは
メーソン製の『ガリヴァー旅行記』!←けものフレンズへも影響?












(
やのっちは私にとって黒寄りのグレーで見る価値無し。

やのっちはカレイドスコープをおすすめしている。
やのっちは終末論の変形を布教しているからヤソ系だね。
異端と新型ヤソ含めれば、ヤソ系じゃない工作員ってほぼいないけど。
煉獄カトリックのカレイドを信奉する部下が、
笑われ男。なえなつさんに粘着していた笑われ男。
ねこたさんと私は、笑われ男に宣戦布告されたんだけど、正体自分でばらす奴に負けるわけないじゃん!



(メイソンって今は学歴差別しているらしい。
当初の精神はもう完全にないな。
カトリックの暴政(教育支配=学歴差別)を破壊するという大義がない。
結局、カトリックになり替わりたいだけの奴らばかりになったな。
され、デスティさんの親戚は結社の末端の末端なのか、中枢に近いのか気になるな。
つーか、真に支配層の中枢の血筋なら学歴関係なしにスカウトだろ。
となると、デスティさんの親戚はそこまで高い格ではなさそうなんだが、
一般人よりは恩恵を受けているのだろう。
身内の一部を変に冷遇すると反乱分子になっちゃうのにやり方がまずいぞ。
デスティさんもう反乱分子じゃん。
支配する側を倒そうとする人が支配層側から生まれるのはよくある歴史だよ
釈迦は元王族でしょ?


なえなつ @japan19890108
9月21日
"【ガチ】“フランシスコ麻生太郎”はイエズス会(イルミナティ)メンバーだった!「正式礼拝で安倍晋三に呪詛かけた可能性」政府関係者が衝撃暴露 tocana.jp/2017/07/post_1... @DailyTocanaさんから
イルミナティというのは通称なのかもね

イルミナティがあるかどうかではなく
この世の仕組みに参加している認められたメンバーにのみ
イルミナティと呼ばれる呼ばせる権利があるみたいな"


カトリックをイルミナティと呼ぶ時点でデマ。
今見たらこのツイート消してた。
間違いに気づいた?

 

(
光=イルミって反射的思考もやめなさい!
「光」を善として崇めない宗教はほぼ存在しないから、
いちいち光で過剰反応しちゃだめ!
「光をもたらすこと(エンライトメント)
=啓蒙
だから、
光がついたら全部、啓蒙主義」
っておかしいでしょ?
啓蒙主義ではない派閥もあるからね。


※啓蒙思想
(英語Enlightenment 仏語Lumieres 独語Aufklarung)
の原義
=光で照らされること(蒙(くら)きを啓(あき)らむ)。

lighten=(…を)明るくする、照らす。

接頭辞 en-
=「中へ」、「中に取り込む、「その上に」


光が登場=宗教団体が背後にいる?
で止めること!

大本系も光大好きだよ。
ヴァイスハウプトってどうみても大本みたいなのが大嫌いだよ。

あ、そうそう、私を啓蒙主義系工作員って言った来た奴がいたっけ?
そいつがさあ、スピリチュアル系で大本教叩きに反応していたし、
ひふみ123だしわかりやすかったなあ。
二元論思考すぎて泣けるよねえ。


で、私は思想表明しているけど、どうみても仏教ベースだよね?
確かに仏教は反カトリックというか反一神教で、
啓蒙主義(とはいえこの思想ってゴッドが前提だから仏教に使うのは不適切なんだ)
無神論者でもないよ。
この神はゴッドはでないけど、神秘ではある。

あとイスラームも啓蒙主義的だよ、とはいえ啓蒙主義は人間中心で、
イスラームで人間中心はありえないなからやはり啓蒙主義は不適切。

ほんとうに私を啓蒙主義工作員って言ったやつって無知だよね
啓蒙主義の前提が
「既存のヤソ=馬鹿こそ最高」への反発
って知らんだろどうせ。
馬鹿こそ最高がひどかったから、
馬鹿はダメって思想がおこったんだ。
そんな思想はね、仏教徒かイスラームとか学びと論理的思考は良いことだって思想ではそもそも啓蒙主義なんてものとは起こりえない。もとから学び重視だもん。
大乗仏教のうち、阿弥陀仏と念仏唱えりゃOKは反知性主義っぽいけどな!

そういえばさ、ユダヤかイスラームかキリスト教か確定できないっていちゃんもんつけてたな。
ユダヤとイスラームは似ているけど、ヤソだけおかしいから目立つんだよ!
三つとも神学を学んだからね私は。

イスラーム神学本を読めとまでは言わないけど、
基礎は本ブログにも書いたから学ぼうね。
イスラームはキリスト教の根本の矛盾を叩くからヤソの天敵だね。
仏教以上の天敵っぽい。
ヤソは一神教(もどき)なので、
仏教はもう別世界の存在みたいな感じするけど、
イスラームは一神教だからヤソは無視できないもんね。
)


(
クリスチャンをユダヤって名づける詐欺と同じじゃん。


新約のイエスのユダヤ教保守叩きはヘイトスピーチでないの?
ルターは完全にユダヤ教徒へのヘイトスピーチ言ってるよね。
規制したら?
的外れ叩きと的外れ騒ぎ。
ユダヤってドラクエで例えるとゴーレムでしょ?
りゅうおうじゃないじゃん。
中ボスかどうかも怪しいぞ。
今気づいたけど、ゴーレムってユダヤ教由来じゃねーか!



















カルヴァン派派生の資本主義・拝金主義・労働教も含まれる。
ライシテ教もね。
)


フラタニティとソロリティだけでなく、
クラブにも注目。
クラブと言ったら、ローマクラブは当然知っているよなあ!


ローマクラブ→創価の公明党の指定枠は国土交通大臣。 実質的に環境利権で金になるポジションを確保している。
” 池田大作会長とローマクラブ創設者アウレリオ・ペッチェイ氏

●ローマクラブ創設者アウレリオ・ペッチェイ氏と池田大作会長(創価学会公式サイト)

池田大作会長とローマクラブ名誉会長ホフライトネル氏


見つめあう西と東―人間革命と地球革命
著 者 :池田 大作、リカルド ディエス=ホフライトネル
出版社 :第三文明社

ディエス=ホフライトネル,リカルド
ローマクラブ名誉会長。
1928年、スペイン生まれ。サラマンカ大学卒業後、ドイツのカールスルーエ工科大学で化学機械製造などを学び、スペインにおける化学産業の促進に寄与する。スペイン、コロンビアで大学教授を務め、
ユネスコ理事、スペイン教育科学相、
世界銀行教育投資部初代部長など国内外の要職を歴任。
91年ローマクラブ会長
となり、2000年、名誉会長に(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

池田大作会長とローマクラブ共同会長ヴァイツゼッカー氏

地球革命への挑戦 人間と環境を語る
著 者 :池田 大作、エルンスト・U・フォン・ヴァイツゼッカー
出版社 :潮出版社
地球の未来のため
人類の平和のために
環境問題やエネルギー問題をはじめ、人類が直面する危機をいかに乗り越え、「持続可能な社会」を構築していくか。
ローマクラブ共同会長としてローマクラブの精神を体現し、発信し続ける環境学者と、平和行動を貫き通してきた仏法者が縦横に語り合う。
著者について
エルンスト・U・フォン・ヴァイツゼッカー
環境学者。ローマクラブ共同会長。
国連環境教育(UNEP)の「持続可能な資源管理に関する国際パネル」共同議長。
1939年、スイス生まれ。
ドイツ・カッセル大学学長、国連科学技術センター所長、ヨーロッパ環境政策研究所所長。ヴァッパータール気候・環境・エネルギー研究所初代所長、ドイツ連邦議会(下院)議員、…

池田大作…『二十一世紀への対話』(A・J・トインビー)、『二十世紀の精神の教訓』(M・S・ゴルバチョフ)など多数の対談集を発刊している。国連平和賞、国連難民高等弁務官事務所の人道賞、世界の大学・学術機関から350を超える名誉博士号・名誉称号等を受章。ローマクラブ名誉会員。





”ローマクラブ→地球環境問題を提起して利権を創出

退任後の大統領とか首相とかがバックアップするケースが非常に多い。

ローマクラブに同調する日本の団体→創価学会、生長の家(雅宣派)、
サンケイグループ、パソナグループ、(一社)ディレクトフォース


パナソニックと松下政経塾も入るんですかね?
国連ユネスコ人脈もそうなのでしょうね。
いずれ人脈を追ってみましょう。”


イルミナティという言葉自体を使うなって言った理由がよくわかるよね?
意味わかっている人が使っても、受け手が勝手に意味わからず使って被害が拡大されるから、定義しても使っちゃダメな気がする。
毎回同じ不適切な単語で支配層を呼ぶと、他の単語で表現される支配層組織が得をする。
要は毎回同じ不適切な名づけをすれば呪いとなるということ。

要はこれと同系統。

×毎日同じ時刻に同じ動作をすると魔法が発動する。

○毎日同じ時刻に同じ動作をすること自体が魔法。





でさあ、例の一ドル札のマークって本当に元祖イルミナティからんでんの?
アメリカは建国当初から反カトリックだけどさあ、
啓蒙主義じゃないじゃん?
王政反対だけどさあ。
王政反対で反カトリックだけだと特定できないじゃん思想的に。
元祖イルミのシンボルは一つ目じゃないし。




というかマーク自体が決まる過程追いかけた人って私含めて三人だよ。



(じゃあなぜお札と国のシンボル考えたやつらを調べないの?
ホプキンソンとフランクリンとAPSでピンと来ない人がほとんど。
ひも付きってマーク「を考えた具体的個人と組織」を書かないから無価値なのさ。
ねずみさんは白っぽいグレーだと判断している。この界隈に白はいないので読む価値ありのアカウント)

実は、
フランクリンって百科全書派とつながりありで啓蒙主義人脈も持っているから別に一ドル札に1778あってもおかしくないよ。
つーか今もあのマークそのままってことはアメリカの頂点って今も右目では?アメリカに住んでないと思うけど。







だが、プロイセンが一次世界大戦を 経て衰退し、用済みになった ヴァイスハウプトがプロイセン王や ケニッゲ男爵に処分されると、 ヘッセンの子孫が今度はロス茶を 使って巻き返しを図ろうとする。
そして現在に至る。


ちなみにアメリカはフランクリン派と
ハンコック派に分かれる。

フランクリン派は穏健で親英派で、
おフレンチメイソンの百科全書派
(9姉妹)とのコネが太い。


ハンコック派は反英的な武力派で、 独立をゴリ押ししたのはこちらの 方だ。


↓お世話になっている世界史の窓より。

啓蒙思想 - 世界史の窓
http://www.y-history.net/appendix/wh1003-031.html
”18世紀の西ヨーロッパ(特にフランス)で興った、キリスト教的世界観や封建的思想を批判し、人間性の解放を目ざす思想。その影響を受けて啓蒙専制君主も現れたが、絶対王政の市民革命にもつながった。
 18世紀フランスに興った、従来の封建社会の中でのキリスト教的世界観に対して、合理的な世界観を説き、人間性の解放を目指した思想。その世紀末のフランス革命を思想面で準備しただけでなく、「王権神授説」などにかわる新しい支配体制を模索した絶対主義諸国の君主の政治思想にも影響を与えた。

啓蒙の意味
 「啓蒙」とは、「蒙(無知蒙昧の蒙。物事に暗いこと)」を「啓(ひら)く」ことで、無知を有知にする意味。18世紀フランスに起こった啓蒙思想での「無知」とは、封建社会の中で教会的な世界観の中に閉じこめられていた人々のことを言い、彼らに対して「人間」や「社会」、あるいは「世界」や「自然」の真実を教え、無知から解放することが「啓蒙」であった。その啓蒙思想は当時のフランスのブルボン朝ルイ15世の絶対王政と、そのもとでのアンシャンレジーム社会に対する攻撃という毒を含むこととなった。
「啓蒙とは何か」 カントは『啓蒙とは何か』(1784)で次のように定義している。

(引用)啓蒙とは何か。それは人間が、みずから招いた未成年の状態から抜けでることだ。未成年の状態とは、他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことが出来ないということである。人間が未成年の状態にあるのは、理性がないからではなく、他人の指示を仰がないと、自分の理性を使う決意も勇気ももてないからなのだ。だから人間はみずからの責任において、未成年の状態にとどまっていることになる。こうして啓蒙の標語とでもいうものがあるとすれば、それは「知る勇気をもて(サペーレ・アウデ)」だ。すなわち「自分の理性を使う勇気をもて」ということだ。<カント/木田元訳『永遠平和のために/啓蒙とは何か』2006 光文社古典新訳文庫 p.10>

 カントに言わせれば、「指示待ち人間」は「未成年状態にある」ということですね。サペーレ・アウデ!

啓蒙思想の前提
 17世紀は科学革命の時代と言われ、イギリスのニュートンやベーコンによって切り開かれた自然探求とロックの政治思想で展開された経験論と、
デカルトやスピノザなど大陸で始まった人間主体の思想である合理論によって、神を絶対視した世界観は動揺し、自然科学が著しく発展した。その影響を受け、人間や社会、国家のあり方を根底から見直す動きとして現れたのが啓蒙思想であった。17世紀の「科学の時代」に対して、18世紀は「啓蒙の時代」と言われている。

主な啓蒙思想家
 特にその先駆的な動きをもたらしたのが、フランス啓蒙思想であった。
モンテスキューの三権分立論などの国家論、
ヴォルテールの宗教的寛容論、
ルソーの社会契約説などが代表的な啓蒙思想である。それらの新しい思想を集大成したものがディドロとダランベールが中心となって編纂した『百科全書』であった。フランスの多くの啓蒙思想家がその執筆にあたったので彼らを百科全書派
ともいう。また、ケネーは『経済表』を著して重農主義を主張し、
イギリスではアダム=スミスが『諸国民の富』を著して重商主義を批判し、産業革命による資本主義経済への移行を理論付け、古典派経済学の理論を打ち立てた。


啓蒙思想は、近代社会誕生の「産婆」役を担っていた。ルソーやディドロの思想はやがてフランス革命を生み出すことになる。同時に絶対王政を維持したい君主たちも、「上からの改革」の必要を察知し、啓蒙思想に学びながら支配を合理化するという「啓蒙専制君主」が現れた。プロイセンのフリードリヒ2世(大王)、オーストリアのヨーゼフ2世などがその典型であった。


 現代の日本のイギリス史家近藤和彦は、18世紀のキーワードとして「重商主義・啓蒙・公共圏」をとりあげ、その中の「啓蒙」について、次のようにまとめている。

(引用)啓蒙は、古代とイスラームの遺産を受けついだルネサンスいらいの合理主義・科学が成熟点をむかえた17世紀末~18世紀に、ヨーロッパの知の基調をなした。これは西欧文明が、近世に新しく拡大した世界のすべてを理解しなおそうというと欲した渾身の自己了解の試みであり、古代以来の知を組みかえ、展開すべき先端哲学であり、総合科学である。理性に照らしあわせてみずからの非合理なものを敗走とした実学であり、歴史や伝統、そして信仰を相対化する普遍主義であり、知と理性を信じ、現在の文明に自負をもち、未来を楽観する進歩思想であった。これは基本的に世俗合理主義であり、キリスト教の枠内にとどまる場合は理神論にかたむいた。<近藤和彦『文明の表象 英国』1998 山川出版社 p.127~128>

 さらに近藤氏は、啓蒙を考える場合のポイントとして次の三点をあげ、具体的に説明している。

世界市民的(コスモポリタン)ひろがり 
国際的な都会人と情報のネットワーク。ヴォルテールはイギリスやプロイセンに滞在し、ディドロはペテルブルクに旅行し、ヒュームはパリの大使館に勤務、アダム=スミスがルソー、ケネーらと文通していたころ、
ギボンはローザンヌとイギリスを往復し、ネッケル夫人と恋愛し、ローマの廃墟で『ローマ帝国衰亡史』を着装した。このような知的エリートだけでなく、ユグノーやフリーメイスン、そして普通の商人が全ヨーロッパ的・環大西洋的に活動した。芸術ではドイツのレッシングが熱心にイギリス文学を紹介し
ヴィヴァルディの楽譜がアムステルダムで刊行され、バッハがそれを研究した。
モーツァルトはザルツブルクに生まれ、マンハイム、ミュンヘン、パリ、ロンドン、アムステルダム、イタリアの諸都市をまわり、ウィーンで死んだ。フランクリンやトーマス=ペインのようにヨーロッパとアメリカの英領植民地の双方で活躍した。
実学としての性格 文芸的であると同時に政治的出版、世論/公論の発達と表裏一体であった。アンシャンレジームのもとにあったヴォルテール、モンテスキュー、ルソーはイギリスの立憲政治や中国の文物を表象として捉え、宗教や諸制度の非合理を批判した。『人生論』のヒューム、『モラル感情論』のアダム=スミス、『経済表』のケネーも文通、相互批判をしながら社会と経済を分析した。スミスの『諸国民の富』と同じ1776年に刊行された『統治論断片』でベンサムは「最大多数の最大幸福」を論じ、その著作はフランス語にも翻訳され、全ヨーロッパに普及した。
先端総合科学としての博物学 新しく獲得された非ヨーロッパのめずらしい文物を知り、理解するための調査・学問が発達した。スウェーデン人リンネは生物の分類を確立し、同じくスウェーデン人博物学者兼宗教学者スウェーデンボルクは西欧を遍歴し、ロンドンで死んだ。イギリスのクック、フランスのブーガンヴィルの太平洋・オセアニア探検には博物学者や画家が同行した。ビュフォンの『博物学』も18世紀的知識の普及に大きな役割を果たした。博物館・植物園が造られたのもこの時期であり、大英博物館は1753年に発足し、王立植物園は1759年に設立された。ウィーン、ペテルブルク、パリにも博物館・美術館が開設された。

百科事典の編纂 こうした啓蒙の三つの側面の集大成として生まれたのが百科事典の編纂である。最初に1728年にはロンドンで、E=チェインバースの『百科事典』が刊行され、フランスではディドロ、ダランベールらによる『百科全書―科学・芸術・職業の理論的な事典』が1751年から刊行が開始された。『ブリタニカ百科事典』は1768年から刊行が始まり、その改訂は今に続いている。
宗教と世俗化 啓蒙は一般的に世俗化を意味した。フランスではアンシャンレジーム期に教会・戒律離れが進み、イギリスでは名誉革命の寛容法とその後のホイッグ体制のもとで、国教会低教会派(非国教徒との妥協を図る派)とプロテスタント非国教徒の連携
がなされた。それに対する国教会高教会派(非国教徒の排除を主張する派)はたびたび反発して騒擾を起こしている。<近藤和彦『文明の表象 英国』1998 山川出版社 p.128~133> ”


急進的な社会改革思想を持ち、
徹底した自由と平等を唱え、
反キリスト教、
反王制を唱え、一種のアナーキズムを主張した。
そして、原始共産主義的な共和制国家の樹立を主張した。


この結社は創立当初においては、そんなに過激な結社だったわけではない。
また、初期においては政治的な色彩も薄かった。
 創立時においては、学者の知的サークル的な色彩が強かったのである。

 イルミナティの創立者のアダム・ヴァイスハウプトは1748年バイエルン王国のインゴルシュタッドで生まれた。
 彼の父親のヨハン・ゲオルグ・ヴァイスハウプトは著名な法学者であり、インゴルシュタッド大学に、わざわざ呼ばれて教授となった。
 …
 インゴルシュタッド大学がイエズス会の強い支配下にあったがゆえに、アダム・ヴァイスハウプトはイエズス会式の教育を余儀なくされた。

 しかし、彼は
フランスの啓蒙主義や
百科全書派の書を読みふけるようになり、次第に
反イエズス会の思想に染まってゆく。


 1773年のクレメンス15世によるイエズス会の解散命令は、一つの契機だった。インゴルシュタッド大学では、この事件は逆にイエズス会系の学者達を団結させ、彼らは非イエズス会の学者達に圧力を加えるようになった。
 そのため、 アダム・ヴァイスハウプトは一時期、大学での講義を禁止され、ミュンヘンに逃げるまでになる。
 彼が自由主義の秘密結社の設立を決心した大きな原因が、このイエズス会による迫害にあったことは、間違いない。

 初期のイルミナティの位階は単純で、新参入者、ミネルヴァル、ミネルヴァル天啓の3つしかなかった。
…。
 参入者は団員の紹介が必要である。そして、「保証人」がつく。保証人は新参入者を観察し、彼が団の規則を守っているか、道徳的に正しい人間であるかを調べ、毎月それを書類にして団の上層部に提出する。また新参入者も、同様に自分の保証人について観察を行い、これを上層部に提出しなければならない。
 要するに「相互監視制度」があった。これは実はイエズス会の真似であり、ヴァイスハウプトは反イエズス会を標榜しながら、その影響を強く受け続けていたのである。
 新参入者からミネルヴァルに昇進するときは、イニシエーションが存在した。ここで彼は上層部の幹部から祝福を受け、「戦士名」を授かった。
 そして、仲間の監視報告の他にも日記の提出が義務付けられた。

 そして、下級団員達には、上層幹部のことは絶対に秘密であり、首領の「スパルタクス」の正体を知っているのは、一部の側近達だけだった。
 彼らはしばしば集会を行い、
反イエズス会や啓蒙思想の本を回覧したり、情報交換を行った。
 そして、
独自の暦を作り、これを用いていた。


 彼はベルリンの大ロッジにスパイを送り込み、まんまとロッジの認可証を手にれるや、ミュンヘンのロッジを乗っ取る。
 さらに、アドルフ・ファン・クニッゲ男爵の入団によって、イルミナティは大きく変貌する。
 クニッゲは、もともと高位メーソンであり、フリーメーソンの知識や人脈を豊富に持っていた。そのうえ、思想は
啓蒙主義的
であり、ヴァイスハウプトと意見があった。

 クニッゲは、組織の位階制を13位階以上から構成されるメーソン風の複雑なものに変えた。これは1782年に正式に認可される。
 さらに彼はメーソンの人脈を利用して、ドイツ各地の小ロッジを次々に乗っ取った。

 さらに、この巨大化と共に、イルミナティは政治色を強めてゆく。それも
急進的な反王制、
反教会的な革命
を含んだ政治思想である。

原因は、イルミナティを巨大化させたクニッゲ男爵によるところが大きい。彼は貴族でありながら、
反王制・共和主義者
であったのだ。

クニッゲは暴力革命には、はっきりと反対の立場を取っていた。

国家転覆を目指すようなことは考えない。我々はあらゆる暴力を否定する。暴力的な革命はろくな結果を生まない。我々はゆっくりと、政府の高官や支配階級に団員を送り込み、あるいは彼らを
教育して同志とし、ゆっくりと国家を改造する。
最終的には「国」は消滅し、戦争の無い、人民が一つの家族となる時代が来よう。
 それには数千年かかるかもしれないが、それでも構わない。
 
 さらに、クニッゲ男爵は、実はこの既存の国々を統一し、一つの国を作るという発想は、当時バラバラだったドイツを統一する程度のニュアンスしかなく、全人類レベルのような大それたことは考えていなかったらしい。

反イエズス会の態度は、教会をも敵にまわす事になる。

 イルミナティの成長は早かったが、崩壊も早かった。
 1777年にマクシミリアン3世が死去すると、イエズス会が勢いを盛り返した。
 インゴルシュタッド大学でも大規模な反動が起こり、廃止されていた本の検閲と禁書制度が復活した。
 この結果、イルミナティはパヴァリアからの撤退を余儀なくされ、本拠地をワイマールとウイーンに移す。文豪のゲーテ(戦士名はアバリス)が入団したのも、この頃である。
 さらに、ライバル結社との抗争も激化する。フリーメーソンの反撃によってフランクフルト進出に失敗。
 そして、ベルリンにおいては、かの
黄金薔薇十字団が最盛期を迎えており、彼らはドイツ皇帝を動かしてイルミナティに圧力を加えた。
 そして、最悪なことに、この大事な時期に、イルミナティ内部で深刻な内部抗争が勃発した。
 首領のヴァイスハウプトは、クニッゲ男爵の影響力が強くなりすぎたことに反発し、男爵から全ての権限を取り上げようとした。当然、男爵はこれに反発し、命令を拒否する。
 そして、この両者の決別が、事実上のイルミナティの崩壊であった。1784年のことである。
 クニッゲ男爵は退団し、その後はあらゆる秘密結社を否定する論者となったしまう。

 とどめは1785年にさされる。まず、「政府の許可無く組織を作ることを禁止する」という禁令である。

 ヴァイスハウプトはレーゲンスブルクに亡命し、イルミナティの弁護の著書を次々に出したが、無駄であった。この頃、彼は私生児を設け、これを堕胎させた。
 これは結果的に赤ん坊殺しのスキャンダルに発展し、終いには「イルミナティでは赤子を生け贄にする黒ミサを行っている」というデマまで生まれた。
 …
 そして、狂信的な反フリーメーソン論者として知られたバリュエル神父やロビンソン教授らが、イルミナティを悪魔崇拝の政治的陰謀結社とする本やパンフを撒き散らした。
 (彼らの撒き散らしたデマを信じる人間が現在もなお居るのは、何ともやりきれない)
 …
 ヴァイスハウプトは、その後も、ほうぼうを亡命しなら著作活動続けたが、ドイツ中部のゴータ公領に逃げ込み、彼の支持者だったエルンスト公爵に庇護され、そこで余生を過ごした。1811年に彼は死去した。

 彼は社会的な平等を唱え、
全ての人間は「王(神?)」になることができ、
そのためには自己の意志に忠実に生きなければならないとした
。なにか妙にクロウリーを思わせる思想である。
 彼の理想は古代の家父長制度による原始共産主義的な社会であり、
封建君主や教会制度はそこに至るための過渡的なものと捕らえていた。
 こうした制度を排し、
一般大衆に「啓明」を与え、先の原始的なユートピアを作ろうと考えた。
 これは非暴力によって行われなければならないが、どうしようもないときは革命も仕方無いと考えていたふしも否定はできない。
 とはいえ、ヴァイスハウプト自身は、政治活動にはあまり関心がなく、あくまでユートピア建設思想を育むために、
団員の徳の向上をはかることがイルミナティ創立の目的であった。

 かのカリオストロ伯爵がローマで逮捕されたおり、苦し紛れにイルミナティなる国際的巨大な陰謀結社があり、自分はその命令通り動いていただけだ、というホラ話しをする。

 そして、ドイツで壊滅状態に陥ったイルミナティの難民としてヨハン・ヨアヒム・クリストフ・ボーデなる男が、ミラボー伯の手引きでフランスに現れる。ミラボーは、彼をフランスのメーソンの顧問的指導者にしようとする。
 当時フランスのフリーメーソンはオカルト色が強かった。ボーデはこれを排そうとする。

 しかし、カバラの替わりに政治思想を、ヘルメスの大作業のかわりに暴力革命を持ち込もうとする彼らの思想ははなはだ不評であった。
 それでも、一部の小ロッジの中には、彼らの影響を受ける者もいたが、やがてそこからはジャコバン党のような連中を生み出し、フランス大革命後の血なまぐさい大混乱のさなか、彼らは多くの人々をギロチンに送り、やがて自分等も自滅してしまうのである。
 また、フランスの各地でも、イルミナティを名乗る結社がいくつか作られた。
 しかし、言うまでも無く、これらの結社は、ヴァイスハウプトの正統なイルミナティとは何の関係も無い。勝手に「イルミナティ」の名を名乗っているだけだった。
 結局、こうしたささやかな団も長続きはできずに消滅した。

 しかし、「イルミナティ」の名前だけは生き残り、創立者のヴァイスハウプトの思想とはかけ離れた怪物化がなされ、今もなお一人歩きを続けているのである。 ”
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/mason/iruminateli.htm
イルミナティ(パヴァリア啓明結社)の興亡
私が全記事読むように言ったサイトより。



ここから薔薇十字

薔薇十字系の本のメモ発見したら追加。

クリストファ・マッキントッシュ『薔薇十字団』だけは読んでくれ、頼むから!
マッキントッシュのだぞ!


なんでもはしませんから!

読めない人は、

薔薇十字記事シリーズ

9.薔薇十字団運動とアンドレーエ
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/barajuuji.htm

にある記事を全文嫁、婿!
この記事の典拠の一つが、ジョブズとウォズのあのPCではなく、人間が著した上記の本ね。


薔薇十字思想の
カトリックとプロテスタントを相互に越境できる理想の王国
実現のための活動の具体例ってエキュメニカル運動?


薔薇十字の起源は
「反カトリックのドイツのルター派プロテスタント牧師(しかも錬金術師=科学者)。

薔薇十字文書を作ったグループは、
チュービンゲンのルター派の学者達で、
キリスト教神秘主義と革命思想を持つ。」

反カトリック
神秘主義(異端寄り)
ルター派
錬金術=科学技術=既存のキリスト教視点では「悪魔崇拝」。
ドイツ語
しかも薔薇十字の起源の本が出たのが、ヘッセン・カッセル(笑)

カトリック系の薔薇十字団は本流ではないことに注意!
表向きカトリックでも中身がカトリックか怪しい団体も存在することに注意!

(イスラームでは科学研究は悪魔崇拝ではないので科学が発達!以下長くなるので割愛)


(薔薇十字正統会員ってのはこの人ね。どう見ても裏社会の人)




(メンバーだと自分で公表するのはOKらしい。
薔薇十字ってたくさんあるからどこかわからない)








(複数の結社に入っている)









(えいこって元スピ信者といっているけど、スピカルトの悪いところが抜けてない人ね。
この↓丸に十字一覧を作ってくれたことには感謝しているけど、他はお花畑から抜け切れていない印象。元信者だからって思想が信者でなくなっているとは限らない好例。





(大使館が薔薇十字、というか文字通りバラorユリ。
大使がスパイなのは割とある)





(フランス系薔薇十字結社には少なくも属しているらしい。
ツイートを見ればわかるけど、この人は右目側。
統一教会とKCIAとCIA系を叩くの目立つから右目側。)

















読書メモ


原著の( )および注記的事項は【】。
訳者の補記は[ ]

黒星★=原注
=作者マッキントッシュがつけた注釈。

白星☆=訳注
=翻訳者の吉村がつけた注釈。




・序文 コリン・ウィルソン

始まりは、
1614年に「ファーマ」が出版されたこと。
その趣旨は、106まで生き、その遺体が120年のあいだ不思議な墓に注意深く隠された、
神秘家=魔術師クリスティアン・ローゼンクロイツの生涯を記述することにあった。

(ラテン語のつづり見ると一目瞭然だが、
薔薇十字友愛団はフラタニティだ。
『友愛団の名声、賞賛すべき薔薇十字団』
Fama Fraternitatis以下略

数字を覚えておきましょう。


『クジラの子らは砂上に歌う』に
ビャクロク様という最長老がいるんだけど106ってクリスチャン・ローゼンクロイツが106歳まで生きたという伝説が元ネタ?
と思って調べると
白緑(びゃくろく)とは、白身を帯びた淡い緑色と出るのでよくわからない。
本作はギリシャ語が用語に使われているのが特徴。
キャラ名が色の名前だからローゼンクロイツとは無関係だろうけど。

薔薇十字はラテン語とドイツ語)


本書の著者はFamaをdeclaration(宣言)と訳しているが、
コリンのラテン語辞典では、
ファーマは「通常の話、報告、噂、格言、伝承」
と定義しているので、
ファーマは神話や伝説と訳したとしても不適切とはいえない。
この小冊子ファーマは関心あるすべての人に薔薇十字友愛団に加入するようすすめる。
この小冊子の全文翻訳はイェイツ『薔薇十字の啓蒙運動』にある。

(日本語訳ではフランセス・イエイツ, 山下 知夫の薔薇十字の覚醒―隠されたヨーロッパ精神史
の巻末に、名声と告白のテキストがある。
両者の抄訳なら象徴哲学大系 3 (3) カバラと薔薇十字団 | マンリー P.ホール, 大沼 忠弘にある。
新版はカバラと薔薇十字団 【新版】 (象徴哲学大系) | マンリー・P. ホール, Manly P。

化学の結婚――付・薔薇十字基本文書〈普及版〉 | ヨーハン・V.アンドレーエ
には、薔薇十字四大文書を原典から完全翻訳ものがあるらしい。

化学の結婚の抄訳なら、
象徴哲学大系4(4) 錬金術 | マンリー P.ホール, 大沼 忠弘にある。


おまけ かぶっていても気にしない。
フランセス・イエイツの『薔薇十字運動の覚醒』(原著1972・翻訳1986工作舎)。
種村季弘の『薔薇十字の魔法』(1975出帆社)。
ルドルフ・シュタイナーに『薔薇十字会の神智学』(平河出版社)。
マンリー・P・ホール『カバラと薔薇十字団』(人文書院)。
ロラン・エディゴフェルの『薔薇十字団』(白水社・クセジュ文庫)
「薔薇十字団」 ロラン・エディゴフェル 白水社
「化学の結婚」 ヨハン・アンドレーエ 紀伊国屋書店
「グノーシス 陰の精神史」 大貫降他編 岩波書店
「キリスト教神秘主義著作集16 近代の自然神秘主義思想」 教文社)


薔薇十字友愛団に加入するように勧めていて、
口頭あるいは著作で自分たちの関心を公表するだけでいい、
そうすれば薔薇十字友愛団がそれを知り、接触するであろうと述べている。

マッキントッシュ氏が語っているように、さらに二つの小冊子が続き、多くの人がそれに応答し、
薔薇十字友愛団に加入する意志を強く表明した。
われわれの知る限り、薔薇十字友愛団から返答を得たものはいない。

しかし薔薇十字団への考えそのものは驚くほどの興奮を引き起こすことになった。
それは「再臨」の預言のようなものであった。

マッキントッシュ氏は、
最初の二つの小冊子がおそらくテュービンゲンの理想主義的な哲学者グループによる共同作業であったと示唆している。
そのグループの一員のヨーハン・ヴァレンティン・アンドレーエの小説(ノヴェル)であり、
1616年に第三の薔薇十字文書として出版される『化学の結婚』によって触発されたものというのである。
返答する意志がないのであれば、なぜ彼らは志願者と新会員を募ったのか。
理想主義なら運動全体の最終目的は何であったのか。
それに答える主要な鍵は、
1634年すなわちアンドレーエが48歳の時に作成された遺書にあると私(ウィルソン)は信じる。
遺書は、
「私はいま友愛団を去るが、真のキリスト教的友愛団を去るのではない。
それは、十字架の下で薔薇の香りをただよわせ、
この世紀の汚れとはまったく無縁である。」

クリスティアン・ローゼンクロイツの思想がグノーシス主義者の思想にもとづいていることは明らかである。

(薔薇十字団初代はそう名乗っていたは知らないけど、実在は明白じゃん。
一部だけど作者までばれているし。
予言あるいは預言という計画表をあらかじめ広めて、
それに賛同した人々を動かす大規模魔術が初代薔薇十字では?
薔薇十字思想はグノーシスの影響も強い。
薔薇十字文書は当時の新聖書であり、
イエスの後継者が「クリスチャン」・ローゼンクロイツであり、
新キリスト教であった。

『化学の結婚』は、1616年に刊行されたのが、出した年度も数秘術が込められているのかな。
1+6=7 が二つか?


イェイツが属した魔術教団の神智学協会と黄金の夜明け教団はともに、
アンドレーエ牧師の例にならって、神話を現実のものとして宣伝することにより創設された。

(初代組織あるいはその原型→彼らが神話を宣伝→初代が創った神話をもとに分派形成。
本書は完全教祖マニュアル要素もある)


ブラヴァッキー夫人はチベットの秘密の導師と交流を持っていると主張。

黄金の夜明け教団をめぐる伝説では、
1885年にウッドフォード牧師がファリンドン・ロードの古本屋で本を漁っているとき、
暗号で書かれた写本を見つけたという。
彼の友人で会ったウェストコット博士は、その暗号文書が十五世紀の錬金術師トリテミウスの創案したものと確認した。
そこには新参入者を秘密結社に加入させる五種類の魔術儀礼が含まれていた。
写本にはまた一通の手紙が入っており、
儀礼に関心のある人はシュトゥットガルトのフロイライン・シュプレンゲルなる人物を接触するように勧めていた。
ウェストコットに黄金の夜明け教団の創設許可を与えたのは、
ドイツの魔術結社の代表者とされたこのフロイライン・シュプレンゲルである。

(フロイラインだから女性。女性なのは知恵を授ける女神だからだろう)

暗号文書そのものは【ファリンドン・ロードの古本屋で発見されるということはなかったにしても】
実際に存在していたのだろう。
シュプレンゲルという女性も、彼女の手紙も存在しなかったことは確実。
しかしその伝説は目的を果たし、
黄金の夜明け教団は十九世紀後半においてもっとも強い光を放つ魔術教団に発展。
クリスティアン・ローゼンクロイツ伝説は黄金の夜明けの魔術でも中心的な役割を果たす。

(題名と目次あるいは概要しか判明していない稀覯本。
箱とラベルと解説書はあるが、中身はない。
棺桶と「誰」の死体かのラベルと遺書はあるが、死体はない。
中身も死体も後で創られる。
器を作れば、中身は構想だけでもやがて実物として満たされる)

ヘラクレイトスは宇宙が生けるる有機体のように死んで種子を残し、
新しい宇宙がその種子からふたたび生まれると信じていた。
コスモスにおけるすべてのものは、一種の火である基本原質から生まれ、循環しながら動いていく。


序文終わり
ここからマッキントッシュの本文。
(マッキントッシュあるいは翻訳者の注釈が入ることあり)

・p.23から
薔薇十字団という言葉が使用される半世紀前に、
十六世紀のプロヴァンスの占星術師・預言者ノストラダムスは次のように書いている。

死・金・名誉・富を軽蔑する
新しい哲学者の学派が興る。
彼らはドイツの山の近くに現れ、
多くの支持者と信奉者を獲得する。

1555年頃に書かれたこの四行詩において、
ノストラダムスはその後の信奉者たちが描く薔薇十字友愛団について驚くほど正確な預言をしているように思われる。

(ノストラダムス結社員疑惑。
予言ではなく預言と訳しているが、
訳者はさすがに違いは知っているだろうから訳文のまま。
そもそも英語では区別がない)


・p.140
「厳しい戒律の儀礼」や「テンプル司祭団」よりもさらに深く錬金術の研究を進めようとする人々は、
必然的に「黄金薔薇十字団」へと向かっていった。
黄金薔薇十字団は純粋にドイツ的な現象としてより人々を引き付ける力を持っていた。
かくして薔薇十字的メイソンの新しい儀礼が誕生した。
新しい薔薇十字結社には錬金術的な知識の探求とは別に、
人々を引きつけるもう一つの特徴があった。
それは結社の政治的立場である。
十八世紀後半の薔薇十字団は、保守的な見解を持つ人々が結集する場所となっていて、
ドイツにおいて重大な問題となりかけていた
急進的・理性主義的・反宗教的な傾向に反対する立場をとっていた。

アーダム・ヴァイスハウプトのバイエルン結社「イルミナティ【啓明結社】」は、
明らかに進歩的理性主義の陣営に属している。
しかし、フランスの同時代の著作家が「イリュミネ」という言葉を使用するときは、
反啓蒙主義者たちを指しているのである。

フリードリヒ大王はけっして急進的ではなかったが、
フランス的な平等主義の信念を持つメイソン・ロッジの会員であった。
どちらかというと、メイソンには急進的な意味が含まれ、
新しい薔薇十字団には対照的に保守的な傾向がある。

黄金薔薇十字団の成功の背景には四つの要因があった

①特権的なエリート階級に約束された秘密の知識

②保守派の中心としての結社の機能

③宗教的な代替物としての魅力

④民族主義的な警告を持つ人々を引きつけたドイツ的性格

(黄金薔薇十字は保守的で、ヴァイスハウプトのイルミナティと思想が真逆なので対立。
工作員が言っているイルミってイリュミネの方に近いね)



・p.207(別にページ順にメモを残すとは言っていないので注意)

薔薇十字団の主題を利用した詩人にゲーテがいる。
ライプツィヒでの修業時代を終えて
1768年にフランクフルトに帰ると、
ゲーテは体調を悪くして数か月間病床につく。
ゲーテは、病から回復できたのは錬金術の秘密の「塩(えん)」を服用したからであると考え、
後に錬金術の実験を自分でも試みている。
病床にいるあいだ、ゲーテはヘルメス主義的な話題に関する多くの本を読んでいるが、
そうした関心をゲーテに呼び起させたのは、友人で会ったフォン・クレッテンベルク嬢である。
薔薇十字思想はゲーテが読んだものの中に含まれていたに違いない。
ゲーテは26歳のときに、若きカール・アウグスト公の顧問官としてヴァイマルに移るが、
薔薇十字思想への関心はその時まで続いていた。
薔薇と十字は、彼の未完の詩「秘儀」【1784-85年】の特徴となっている。
1785年の春にゲーテはこの詩を書くのをやめている。
彼はその主題にすでに飽きていたのだが、
それを放棄する別の理由があった。
一か月前に薔薇十字団は、ヴァイスハウプトの創設したバイエルンのイルミナティ結社を警察に弾圧させることに成功していた。

(ヴァイスハウプトは薔薇十字が大嫌いである理由の一つ。
薔薇十字に引き抜き攻撃を食らったこともある)

第七章ですでに指摘したように、
十八世紀の薔薇十字団は政治的に保守的であるのに対して、
イルミナティ結社は急進的であった。
ゲーテは賢明にも、イルミナティ結社の弾圧が真の薔薇十字友愛団の理想にも及ぶことになると察していた。

(ゲーテもイルミナティ結社のメンバーだけど、
薔薇十字が嫌いではない)

インゴルシュタットの教会法教授であったヴァイスハウプトは、
バイエルンの薔薇十字集団とは意見が合わなかった。
エッカーという名前の歩兵隊の将校は、
ブルクハウゼンに錬金術研究を目的とする薔薇十字団の支部を設立した。
その支部は代理人をインゴルシュタットに送り込み、
ヴァイスハウプトが自分の結社のためにと注目していた会員を引き抜こうとしたために、
ヴァイスハウプトの怒りを招いた。
ヴァイスハウプトは、
「若い人々が黄金変成とか同じようなバカげたことに参加するなどということは、
私には耐えられない」と書いている。

(錬金術の黄金錬成思想の否定。
つまり、薔薇十字思想の根幹の一つの否定。

そうえばシンフォギアでヴァイスハウプトが敵で性格最悪だったのは意図的だね。
日本は実質王政だから共和主義のヴァイスハウプトは叩かれやすいのさ)

ゲーテは、黄金薔薇十字団との対立において、ヴァイスハウプトに共感を持っていたが、
薔薇十字思想それ自体を非難することはなく、その主題に興味を持ち続けた。



・p.103
フラッドはフリーメイソンであったかもしれない。
コールマン・ストリートにあった彼のロンドンの邸宅の近くに「メイソンズ・ホール」
があったことが記録されている。
ウェイトは薔薇十字団的な気質をメイソンに導入したのはフラッドではないかという問題を提起している。
われわれはその点についてはなんの証拠を以っておらず、
フリーメイソンと薔薇十字団が接触するようになった時期を確定するのは困難である。
しかし、両者を結ぶ最初の言及が1638年になされていることは意味がある。
それはフラッドの亡くなった翌年のことである。
ヘンリー・アダムスンの『詩女神の嘆きの歌』に、次のような詩行がある。

われわれに予知能力があるというのは誇張ではない。
われわれは薔薇十字団員であるからだ。
われわれはメイソンの言葉と第二の視覚を持つ。
来るべきことをわれわれは正しく預言する。


薔薇十字団とフリーメイソンを結ぶもう一人の人物は、
アンドレーエの弟子でありボヘミアの亡命者であったヨハネス・コメニウスである。
コメニウスは、アンドレーエが『クリスティアノポリス』で描いたような啓蒙化されたユートピアを夢見ていた。
そこでは科学と宗教がともに栄え、いかなる信条の人もいかなる人種の人も等しく尊敬される。
コメニウスは1641年以降にしばらくイギリスの滞在したことがある。

フリーメイソン史家の研究にもかかわらず、
十六世紀末から十七世紀初頭にかけて起きたと思われる
実践的フリーメイソンから思弁的フリーメイソンへの変化とその理由については、
はっきりしたことは何一つわかっていないのが実情。
しかし、最も初期の思弁的メイソンとして知られている
ロバート・マリ卿と、イライアス・アシュモールがともに薔薇十字思想に深い関心を持っていたことは分かっている。

(ニュートンの愛読書がアシュモールの『』)

われわれはまた、ドイツで薔薇十字団が登場したのとほぼ同じころに、
イギリスで思弁的メイソンが現れたことも知っている。
その頃、秘教的な流れがイギリスとヨーロッパ大陸のあいだを自由に出入りしていた。
さらにメイソンのヒラム伝説は、ローゼンクロイツおよび彼の墓に関する伝説と関係があると
しばしば指摘されてきた。
もっとも、メイソンにおいてヒラムのモティーフが重要となるのは1720年代になってからである。
従って、実践的から思弁的メイソンに変化していく背景には、
【もっとも広い意味で「薔薇十字団」という言葉を使用することにして】
薔薇十字的な推進力が働いていたことは十分考えられる。

シックは、ヒムラーの依頼で反フリーメイソン文書を書いたが、
彼の本は学問的に高い水準にある。
シックは、コメニウスは薔薇十字思想から展開するメイソンへの橋渡し役的存在だと記述。
シックはまた、コメニウスと彼が代表する思想の流れが、王立協会(ロイヤル・ソサエティ)形成につながる流れの一つであったと示唆している。
この流れはのちにイェイツにより検証されることになる。
最も活動的な初期の王立協会員であるロバート・ボイルは、ある手紙で
「見えざる学寮(インヴィジブル・カレッジ)」に言及している。
彼もときどき出席したこの見えざる学寮は、王立協会の先駆的な組織だったかもしれない。
もう一人の指導的な王立協会員であったジョン・ウィルキンズは薔薇十字伝説を知っており、
1648年の『数学魔術』でも触れている。
1660年に設立された王立協会は学問と啓蒙の友愛団という薔薇十字的な理想を具体化しようとする試みであった。
それはベイコン、アンドレーエ、コメニウスなどが描いた、一種のユートピアを招来するのに役立つはずのものであった。

しかし、王立協会はこうした試みをした最初の団体ではない。
これより以前のドイツにて、同様の団体がヨアキム・ユンギウスによって設立されていた。
ユンギウスは文通でコメニウスを知っており、
1618年のロストク滞在中にアンドレーエのサークルに属する人々と接触している。
ユンギウスは薔薇十字運動とかなり深い関係を持っており、
ライプニッツを含む多くの人々が『名声』の真の著者はユンギウスであると信じていた。
1622年にユンギウスは、ロストクにて
「哲学協会」Societas ereunetica; Societas zetetica という団体を設立。
目的は、
理性と経験によって真理を探究し、真理が発見されたらをそれを証明すること。
理性と経験に基づくすべての技術と科学を詭弁から解放し、
証明しうる確実性にそれを引き戻し、
適切な教育によって普及させ、
最後に満足しうる創案によってそれを増大させていくこと
にあったとされている。
哲学協会現実のものとなり、
その会員の中にはアンドレーエの友人でもあったヨーハン・アドルフ・タシウスもいた。
しかしこの協会は三十年戦争の混乱に紛れて消滅してしまう。
同様の団体はすでにイタリアに存在していたが、
北ヨーロッパで最初の科学アカデミーはこの哲学協会である。
薔薇十字団の理想がその背後にあったという事実。
哲学協会は王立協会よりも学校という性格が強かったが、
コメニウスやその他の人々を通して情報を得ていた王立協会の創設者たちの模範となった。

薔薇十字思想はイギリスにおいて二つの異なる流れから見ることができるが、
この二つの流れはしばしば一つに収斂する。
一つはコメニウスに代表される流れであり、
社会的・科学的・哲学的理想に関心を持つ。
もう一つは、
ヘルメス主義=カバラ=錬金術の流れであり、
薔薇十字団のオカルト的側面により関心を持つ。
後者の流れを代表するのはトマス・ヴォーンである。
ヴォーンは宗教詩人ヘンリー・ヴォーンと双子の兄弟であり、
イギリスの薔薇十字団弁明者としてロバート・フラッドの後継者と見ることができる。
1650年、ヴォーンはエウゲニウス・フィラレテスという名前で
『神的魔術による人間の知』を出版するが、その書物は
新生を得た薔薇十字団員
に献呈されていた。
それは従来のものがラテン語で書かれていたのに対し、
英語で書かれた最初の薔薇十字団弁明書であった。
ヴォーンは同じ筆名で『名声と告白』の英訳(1652年)を序文をつけて出版している。
『神的魔術による人間の知』

※p.278
☆=訳注

ポール・アレンは『クリスティアン・ローゼンクロイツ・アンソロジー』において、
ヴォーンの『神的魔術による人間の知』に関して次のような興味深い事実を指摘している。
『神的魔術による人間の知』を出版したハンフリー・ブランデンは、
ジョン・スパロウやジョン・エリストーンなどとともに一つのグループに属していた。
ドイツの神秘哲学者ヤーコプ・ベーメの著作を最初に英訳したのはこのグループであり、
フラッドからヴォーンにつながる薔薇十字団の系譜と並行して、
イギリスのベーメ研究グループの活動があったことが推測される。
『神的魔術による人間の知』は、やがて
1704年にドイツ語に訳され、
1782年にはベルリンで再版される。
ゲーテの『秘儀』が書き始められるのは、その二年後の
1784年である。


(こういう結社の方が地位が高そう。
翻訳集団って本当に怪しいよね)








レポート「『敬虔主義』とは何か?‐特に『ドイツ敬虔主義』(M,シュミット著、小林謙一訳
〈教文館、1992年初版〉)を中心にして考えたこと」
http://theologie.weblike.jp/jump2%20Theologie2013b.htm







・図版

p.278 ☆=訳注
ここで言及されているのは、
『薔薇十字団の秘密象徴』の「哲学者の山」という図版であり、
本書(原著)の表紙図版として使用されているものである。
ロンドン大学ウォーバーグ研究所には、
初版彩色原本が一部所蔵されている。
そこでは錬金作業の過程が、
いくつもの象徴を利用して描かれている。

「哲学者の山」はその全体がレンガ塀に囲まれており、
錬金作業が外部世界と遮断されたところで進められることを示している。
この山に三人の志願者が近づく。
「入口」には裸体の老人が切株の上に座り、
志願者の選別を行う。
首尾よく「入口」を通過した者は山全体がその象徴になっている神秘階梯を上りつめていく。
中間に「塔」があって、
その階梯が二段階に分けられていることが理解される。
第一段階に登場する象徴は、
ウサギ、卵を温める雌鳥、火の中のドラゴン、獅子である。
黒いカラスと白い鷲の守る「塔」の「入口」を通過して志願者は第二段階に進む。
そこに現れる象徴として、
水桶で洗われる太陽と月、
炉、
葉のついた木を持つ老人、
葉の代わりに星をつけた木、
聖霊の家、
硫酸の記号をつけた球、
そして最後に王冠がある。

(モノクロだがこの翻訳書にも図版がある。
「硫酸の記号をつけた球」は十字がついた球体、
つまり宝珠。
とまとさんのいう、ルシファーの玉。
ブレイクの絵画ルシファーではルシファーが持っているのが十字が刺さった地球。

王冠が一番上に宙に浮いているのはケテルだから?

太陽と月の並びはちゃんと「明」、読者視点で左に太陽、右に月)


(鳥か烏かまぎらわしいからカラスって書いてほしい)







薔薇十字【第十八】位階に属するドイツ・フリーメイソンの装身具が二つ。
一つはペリカン、もう一つはワシ。
ペリカンは左目を見せる。
ワシは右向きで右目を見せている。
(右向きは珍しい!
紋章見ても左向きばかりだ)

ほかにもかくがほんぶんでかいせつがあるやつはほんぶんのところ




★クロウリーの使用した便箋の上部には一時期、
自分の称号として名前の下に
「M.D.Damc.」
と印刷されていたことがある。
『名声』においてクリスティアン・ローゼンクロイツがアラビアのダムカル【Damcar】で
医学の知識を修得したことに言及するものと考えられる。



(黒星★=原注
=作者マッキントッシュがつけた注釈。

白星☆=訳注
=翻訳者の吉村がつけた注釈。)







本文(と注釈多少)ここまで。


・翻訳者 吉村正和の文章と注釈。

新プラトン主義の最終目標は人間の神化におかれている。
ポルピュリオスは『プロティノス伝』において、
師であったプロティノスが最終的に目指していたものについて次のように語っている。

「彼(プロティノス)は、つねに神的なものを目指して努力し、
心魂を傾けてそれを愛した。
……彼にとって目的つまり目標は、
すべてのものの上にある神に近づき合一することであった」。
プロティノスの「美について」(『エネアデス』に収録)は、
プラトンの『饗宴』で示された絶対的な美への上昇という主題を背景にして執筆された著作であり、
プロティノスの精神の神髄を最も明確に表現するものである。
美と善はともに神的な領域に属するものであることを前提として、
プロティノスは次のように述べる。
「ここに至るには、われわれが感性界に降下してみにまとったものを脱ぎ捨て、
上の世界に方向を転じて昇っていかなければならない。
このことは、神殿の秘儀に参加する者たちに、
いままで来ていた衣服を脱ぎ捨てて身を浄め、
裸のままで聖域に上ることが要請されるのと似ている。
そしてこのように昇りながら、
神に縁のないすべてのものを通過し、純粋な自分にもどるならば、
純粋単一で清浄な善をありのままに観ることができる」。

グノーシス主義の目標は、
霊肉二元論を前提として、
霊的な自己が内部に存在する神性に目覚めることにある。
人間の神化という点では新プラトン主義と同一の歩調をとっているが、
グノーシス主義を際立たせているのは、
その徹底した現世拒否の姿勢。
現世あるいは物質界は永遠界に本来の根拠を持つ魂を閉じ込める牢獄であるととらえられ、
霊知(グノーシス)によってその牢獄を脱出していくことが人間の使命とされる。

『使徒トマス行伝』という聖書外典に含まれる『真珠の歌』は簡潔にグノーシス主義の基本思想を表現している。
この物語では、
ある王子が父王からエジプトに行って海の中の蛇が守る真珠を持ち帰るように命令される。
出発に先立って彼は光輝く衣服を残していく。
エジプトにつくと彼はさっそく真珠を求めて蛇のいる場所に向かう。
しかしエジプト人の不浄の衣服を身に着けてエジプト王に仕えるようになる、
真珠のことも自らの素性のことも忘れてしまう。
やがて、父からの手紙を受け取った彼は自分の使命を思い出し、
魔力をもって蛇を倒すことにより真珠を獲得する。
寓意的な意味は明瞭。
エジプト、蛇、海は現世あるいは物質界、
エジプトにとどまる彼は物質世界に幽閉された魂。光輝く衣服と不浄の衣服はそれぞれ魂を包み込む光と闇の身体である。
真珠は幽閉された魂が再び永遠会へと復帰するために必要な霊知であろう。
グノーシス主義は紀元二世紀のウァレテンティノスの時代になることには複雑な体系を完成さえることになるが、
その基本的な姿勢は『真珠の歌』に示されているものと変わることはない。

(父は至高の神)

ヘルメス選集の『ポイマンドレス』はヘルメス主義の基本姿勢を簡潔に示している。
注目されるのは魂の上昇による人間の神化の価値絵に関する表現。
人間は、地上への下降の段階において天球から受け取った悪徳を、
上昇の段階において天球に返していき、
最後に始原なる神のもとに帰還する。
「神化、これこそがグノーシスを有する人々のための善き終極である」。
ここにはポイマンドレスの教えの基本的な姿勢が示されており、
ヘルメス主義の目標が端的に表現されている。
『ヘルメス選集』の他の冊子にもある。
「魂の徳とはグノーシスである。
なせなら、認識した者は善であり敬虔であり神的でさえあるのだから」

「ところで、自己を神に等しくしないなら、神を知解することはできない」

「そこでこのヌース(叡知)は、人間のうちにあっては神である。
だから、人間のなかのある者たちは神であって、
その人間性は神性に近い」


中心にイエスの死と復活の神話があり、
彼の十字架上での死と復活への信仰によって、
信徒は死の克服と永遠の生命が約束される。
教会の祭儀行為は、
キリストの秘儀を記憶し再現することにより信徒の神化を実現させようとする。

キリスト教は密儀宗教あるいは魔術の全盛の時代に登場したために、
そうした要素はキリスト教の本質にかかわる部分に見出すことができる。

ルネサンス魔術の原点ともいうべきコルネリウス・アグリッパは、
魔術を自然魔術
(自然を動かす神の機構を解明しようとする)、

数学魔術
(ピュタゴラス主義の数秘論。
数的な秩序、調和、美を観照することで魂の浄化を追及)、

宗教魔術
(最も高次。対象は神あるいは天使。
カバラを駆使して天使と交わり最終的に自らの神化を達成しようとする)
の三つに分類。

アグリッパからジョン・ディーをへてロバート・フラッドに至る系譜において、
魔術は幾何学・絵画論・軍学・
天文学・占星術・工学・
音楽・光学などの諸領域を包み込む総合学となるが、
そのすべての領域を統括するのが数学。

(軍学も魔術に入っていることに注目。)













化学の結婚の概要

 第1日目。
 
 復活祭の前夜、瞑想し、祈りを捧げている私(クリチャン・ローゼンクロイツ)の前に天使のような女性が現れ、
 1通の手紙を渡す。それには、ジョン・ディーのモナド論を表す記号が封印として押された王の結婚式への招待状であった。
 その招待状には、「結婚式に参列する者は、神に選ばれた相応しい人物でなければならぬ」と書かれていた。
 私は、罪深い自分には到底そんな資格は無いと絶望し、神に助けを求めて眠ると、夢でお告げを受ける。
 「結婚式に参列することが神からの恩恵である」と。
 この夢に勇気づけられて出席を決意する。
 私は白いリネンの上着に赤いリボンをたすきがけに十字に結び、帽子には4つの赤い薔薇を刺して出発する。
 
 
 第2日目。
 
 出発して間もなく、森の中で王宮に通ずる四つの道の分岐する地点に出る。
 私は偶然のように導かれるまま道を選び、会場の城につく。
 第一の門から、獅子の守る第二の門、
 さらに第三の門を抜けて城内に入る。
 大広間ではすでの王侯貴族などの大勢の客達が居たが、皆うぬぼれ屋ばかりで、自慢話や大言壮語をしている。
 私=ローゼンクロイツは最下位の席につく。
 このあとほとんどの行事を主催する「光の乙女」が、
 明日秤によって招待客の徳性が計測されることを告げる。
 自分の愚かさを自覚している私は、その審査に挑戦することを断念する。
 
 
 第3日目。
 
 資格審査の日である。
 大きな天秤の上に載せられ、信仰、慈愛、融和、純潔、忍耐、謙虚、節制の重さを計られる。
 大部分の客は虚栄しか持たないことがわかり、
 野外舞台で罰を受けた後に王宮から追放される。
 私は最も高徳だと証明され合格。
 私は頭に刺していた赤い薔薇を計量していた乙女に渡した。これは「大いなる作業」の象徴となる。
 私は、「翼ある獅子(飛ぶ獅子)」の絵がついた「金羊毛」を与えられた。 
 そして、同様に徳性の高いと判断された少数の客とともに、
 「錬金術」という名前の乙女を団長とする騎士団に加えられる。
 この日、私は城を見学するが、ここには鉱山や工房、天文台、天体観測機器、図書館、王達の墓場があった。
 夕食時には騎士団のメンバー達がルネサンス風の小話を語り、食事の儀式をし、夢を見る。
 いずれも錬金術の寓意に満ちた内容であった。
 
 
 第4日目。
 
 結婚式当日。
 選ばれた脚たちは、「泉」の水を飲んだ後、
 光の乙女に案内されて、
 錬金術の実験室のような広間に行き、3組の王と王妃を紹介される。
 三つの玉座がある。
 王と王妃が座る中央の玉座の前に、「祭壇」があり、
 その上に、黒い書物、ロウソク、天球、
 時計、頭蓋骨、白い蛇などが見えた。
 その後、「太陽の家」においてダンスや寓意的な七つの劇を見る。
 そして謁見室に戻る。
 夕食時に厳粛な雰囲気の中、結婚式が始まる。
 それはまず、3組の王と王妃がムーア人に首を切られ、
 血は金の杯に、遺体は棺に納められる。
 ムーア人も処刑されてしまう。
 その夜、私は7隻の船によって、棺が運び去られるのを見た。死者達の魂は火となって、船の上方でゆれていた。
 結婚式の日終わり。
 
 (”ムーア人の用語解説 - 《Moor》
 モロッコ・モーリタニアなどアフリカ北西部に住み、
 イスラム教徒でアラビア語を話す人々の称。
 本来はマグレブの先住民ベルベル人をさしたが、
 15世紀ごろからはイスラム教徒全般をさすようになった。モール人。”
 https://kotobank.jp/word/ムーア人-640785
 
 イスラーム!)
 
 
 第5日目。
 
 私は夜明けに早起きをし、城を再び見学する。
 「ビーナスの墓」、つまり王宮の地下墓に埋葬されたウェヌス、裸のビーナスを見てしまう。
 そして、昨日殺された王達の葬式が行われる。
 ここで騎士団長の乙女である「錬金術」の提案により、
 七隻の船で「オリュンポスの搭」のある島まで航海し、王達を生き返らせる薬を取ってくることになる。
 その搭は7層から成っていた。
 最初の作業として、塔の一階にある実験室で薬草や宝石からエッセンスを抽出する。
 その夜、私は一人で惑星の「合」を発見し、7つの火の玉が搭の天辺に留まるのを目撃した。
 
 
 第6日目。
 
 「オリュンポスの塔」では王と王妃の復活のための錬金作業が続けられる。
 王達の遺体に、昨日作った薬を用いる。
 溶けた液から卵を作り、そこから鳥が生まれ、その鳥を風呂に入れ、殺して焼いて灰にする……という、
 まさに錬金術の寓意画のような作業を続ける。
 私は三人の仲間達と共に、最後の作業からは締め出されるが、実は最も重要な作業を任せられるためであった。
 私達は最上段の第7層に案内され、鳥の灰から美しい少年と少女をつくった。
 こうして王と王妃は復活し、もといた城へと戻って行った。
 
 (鳥の灰から作られた少年少女、って鳥人ゴーレム?)
 
 
 第7日目。
 
 彼らは十二隻の船で(五隻増えている)島から王宮に向い、
 先に戻っていた王と王妃の歓迎を受ける。
 私達は「黄金の石の騎士」に選ばれる。
 船で城に戻ると、王と王妃に迎えられる。
 私達は誓いをたて、騎士に叙任される。そして、愚かさと貧困と病気を支配する力が与えられた。
 私は「無知こそ最高の知なり」と署名する。
 しかし、ウェヌスを見た罪として、
 ローゼンクロイツが王宮の門衛になる場面で終了する。
ーー終わり。

この結婚式は錬金作業の完成による霊的生命を目的とする「化学」の結婚。

「賢者の石」の探索をも象徴している。
錬金術において、金羊毛を求めて出向するアルゴー船の物語は、賢者の石の探索の象徴。
王を生き返らせるための万能薬を作るために航海するこの物語は、まさにそのもの。
 ヘルメス哲学の作品であることは間違い無い。
 (「化学の結婚」
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/shinpi/kagakukekon.htm
元に加筆)












終わり
ここから
・本文 マッキントッシュ



(『クジラの子らは砂上に歌う』に
ビャクロク様という最長老がいるんだけど106ってクリスチャン・ローゼンクロイツが106歳まで生きたという伝説が元ネタ?
と思って調べると
白緑(びゃくろく)とは、白身を帯びた淡い緑色と出るのでよくわからない。
オウニが色の名前だったり、キャラ名が色由来だから薔薇十字とは無関係だろう。
本作はギリシャ語が用語に使われているのが特徴。
薔薇十字はラテン語とドイツ語)


参考資料








698夜『薔薇十字団』クリストファー・マッキントッシュ|松岡正剛の千夜千冊
http://1000ya.isis.ne.jp/0698.html
”最初の問題は、ゲーテの「十字架に薔薇をからませたのはいったい誰か」という疑問にこたえるためにある。
 歴史上の薔薇十字団の出発は、ドイツのカッセルで1614年とその翌年に出版された2冊の秘密パンフレットに由来する。これはクリスティアン・ローゼンクロイツなる人物が創設した「友愛団」の存在をあきらかにするためのもので、
それぞれ『称賛すべき薔薇十字団の名声』および
『友愛団の告白』というタイトルがついていた。
神秘主義ギョーカイでは前著を「ファーマ」、
後著を「コンフェッシオ」とよぶ。まとめて「宣言」ともいう。
 いまではクリスティアン・ローゼンクロイツなる人物は架空の者だということがわかっている。だからこれらは他愛のない偽書でおわってもよかったのだ。
 ところが1616年にドイツ語で綴られた『クリスティアン・ローゼンクロイツの化学の結婚』という物語形式の一冊が世に出るにおよんで、この幻想文学めいた物語が匿名で出版されたにもかかわらず、その影響は燎原の火のごとく波及した。
1614年から1620年のあいだのたった6年間だけで、なんと200以上の文書が乱れ飛んだのだ。それでどうなったのかというと、一言でいえば、薔薇十字団が“実在”することになったのだ。
 しかも、「ファーマ」と「コンフェッシオ」と「化学の結婚」は一人の人物、ヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエによってすべて文書化されていたことがあきらかになった。


 ヨハン・アンドレーエという男は誰なのか。
 この男はなぜにまた「クリスティアン・ローゼンクロイツが薔薇十字を象徴とする友愛団をつくった」などという、とんでもない空想を綴ったのか。
 いや空想だけなら、稀代の幻想文学の傑作として終わってよかったのである。ところが、そうはならなかったのだ。アンドレーエ自身も、これらを物語に終わらせるつもりがなかったようだ。

 フランセス・イエイツもそういう叙述をしていたように、アンドレーエの祖父のことから入ったほうがわかりやすいだろう。
 祖父はカトリックから改宗したプロテスタント運動の指導者で、“ヴュルテンブルクのルター”として知られている。テュービンゲン大学の学長も務めた。18人の子がいて、その7番目の子にやはりルター派の牧師が登場し、錬金術に強い関心をもった。その錬金術的牧師の子がアンドレーエだった。
 時代背景と文化地理をちょっとだけ覗いておくと、テュービンゲンはネッカー川を望む美しい大学都市で、ヴェルテンベルク公フリードリヒ1世が慎ましい宮廷文化をつくっている。ただし、この町はプロテスタントに溢れていた。
 近くのオーストリアはハプスブルグ家に司られた神聖ローマ帝国型のカトリックである。帝都プラハには魔術好きの帝王ルドルフ2世の異様な文化が栄えていて、複数宇宙論を唱えたジョルダーノ・ブルーノ、ヨハネス・ケプラー、エリザベス女王を操ったジョン・ディーなどが頻繁に訪れていた。
 プロテスタントのテュービンゲンと、魔術的ではあるがカトリック・ルネサンスをまだ継承しているプラハ。
この二つのあいだは、それでも緊張のない温和な関係がつづいていたのだが、フリードリヒ2世の反宗教改革がおこってからは、ここに歪曲と対立と越境が始まった。
 アンドレーエはそういうテュービンゲンで、父の錬金術志向を浴びながら育ったのである。

 父を継いでルター派の牧師となったアンドレーエは、17世紀に突入しつつあった巨大な時代変化を感じていた。
 そこで「テュービンゲン・サークル」に入り、新たな時代を築くにはプロテスタントとカトリックを相互に越境できる理想の王国をつくることをしだいに夢想するようになる。テュービンゲン・サークルの中心には、クリストフ・ベゾルトという異能の者がいた。ヘブライ語をふくむ9ケ国語に通じ、グノーシス主義・カバラ・錬金術に長けていた。だいたいこういう男が事態を輻湊させていく。オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイ』の脇役のように。
 案の定、アンドレーエはベゾルトに感化され、最初は有名なユートピア物語『クリスティアナポリス』などを書いていたのだが、やがて“秘密の結社”という魔力に取り憑かれる。アンドレーエは最初は1577年に創設された「親友協会」に関心をもち、ついで17世紀に入って創設された「豊饒協会」に、さらにはそれが改組されて発展したらしい「椰子協会」に出入りする。
こうした協会の幹部たちはたいてい鉱山の所有者か精錬業者の親玉たちで、その錬金術っぽい思索と方法の成果が「アーカ」とよばれる秘筥に保管されていた。かれらは“黄金生成”を夢想していた超技術集団だったのだ。

 アンドレーエが、クリスティアン・ローゼンクロイツなる人物が薔薇十字を戴いた友愛団をつくったという空想物語を思いついた背景で事実としてわかることは、とりあえずここまでである。
 したがって、薔薇十字団という秘密結社が歴史的に“実在”していたという証拠は、ここまでのところは、まったくない、しかしながら、それが歴史の中でだんだん“現実化”していってしまったのだ。なぜなのか。
 たしかにアンドレーエは、この物語を巧妙にでっちあげた。以下にごくおおざっぱな概要をしるしておくが、これではみんな騙されるにちがいない。

 そもそもクリスティアン・ローゼンクロイツは1378年のドイツ貴族の生まれだと書いてある(この年代はカトリックのシスマがおこり、ニコラ・フラメルの錬金術が形づくられた時期にあたる。ヨーロッパ人からは一番遠くて、わかりにくい設定になっているのが、やはり巧妙だ)。
 16歳で聖地巡礼を企て、キプロスで指導者に出会ったが死に別れた。そこでやむなく一人で旅を続け、ダマスカスでアラビアの賢者に出会い、エルサレムに向かうことを放棄して(こういうところがうまい)、イエメンの町ダムカールに入った。
 ここでローゼンクロイツはアラビア語による知識をことごとく習得し、『Mの書』のラテン語訳
にとりくんだ(こうした幻の書を巧みに入れている)。3年後にエジプトに赴いて植物と動物の研究に熱中し、『Mの書』の研究者が集まるというフェズに行き、アデプト(達人・賢者)の知を存分に吸うと、その後はスペイン経由でドイツに戻り、広大な館をたて、そこで哲学と数学と自然学の研鑽に入った。
 やがてローゼンクロイツの噂を聞きこんだ同士や同朋が訪れるようになり、ここに「友愛団」の原型が生まれた。ローゼンクロイツは暗号言語(!)を考案して、さらに象徴的なパビリオン「聖霊の館」を建設する。やがて仲間をよく選ぶと、6つの規則をもって次々に世界に散るように命じた。
 6つの規則が、なかなか奮っている。
 ①行き先の滞在国の習慣に従うこと(こういうところもうまい)、
②けっして特別な衣裳を着用しないこと、
③印章として「R・C」のグラフィック・パターンを用いること(これが薔薇十字)、
④無報酬で病人や貧者の治療にあたること(徹底したボランティアの哲学なのだ)、
⑤年に一度だけ「聖霊の館」に集合すること、そして最後に、
⑥むこう百年にわたって友愛団の存在を秘密にしておくこと、である。


 アンドレーエの作為による物語はまだ続く。
 そのうち2点を示しておく。ひとつは、『化学の結婚』に書いてあることだが、謎の人物クリスティアン・ローゼンクロイツは晩年になって山腹の洞窟に入り、復活祭の前夜に天使が降りてきて不思議な記号を届けるというふうになっていく。ローゼンクロイツは決意してまた旅に出る。
ここで3本のヒマラヤ杉、赤い薔薇を挿した帽子、賢者の石、金羊毛、風神メルクリウスなどの、数多くのシンボリック・アイコンが次々にあらわれる。のちにユングが異常な情熱をもって分析した集合的無意識を象徴する寓意に満ちたものばかりである。
 もうひとつは、ローゼンクロイツの死後、墓所がしばらくわからなくなったのだが、その墓所が「隠し扉」とともに(こういうところも沸かせるところなのだ)、館の跡から発見されたというふうになっていく。そこは神秘的な丸天井の地下埋葬所で、円形の祭壇には遺骸が安置され、片手に羊皮紙に金文字の書物を持っている。その書物の文章は末尾がすべてラテン語になっていて、どうやらその内容は世界の縮図が綴られていたはずなのである。
 しかし、この墓所が発見されたあと、そこはふたたび閉じられ、いまは同士たちの子孫が世界に散っているはずなのだ‥‥。

 ローゼンクロイツの実在性を匂わせるのもさることながら、それだけではなく、たとえばパラケルススは薔薇十字の友愛団と似たような考え方をもっていたが、その盟約には入らなかったといったような、まことしやかな経緯をあれこれ書きこんでいるため、ついつい本気にさせられる(実際にはパラケルススが薔薇十字に関心を寄せたのではなく、アンドレーエがパラケルススの影響を深くうけて薔薇十字を思いついたのである)。
 子孫がいまも散っているというのも、この手の伝承では絶対に欠かせない。

 ただし、ゲーテが投げかけた「十字架に薔薇をからませたのは誰か」という疑問については、その仕掛けのすべてがヨハン・アンドレーエだったというわけにはいかない事情がある。
 なぜなら、アンドレーエは当時知りうるかぎりの神秘的知識を古代からも中世からもルネサンスからもブラウジングして、これを徹底的に編集加工していたからだ。そこにはおそらく多くの編集団がいたのではないかとおもわれる。

 アンドレーエが『化学の結婚』のなかで書いた神秘思想は、その淵源をグノーシス主義にまでさかのぼることができる。

 グノーシス主義についてはいずれ別の書物の紹介を通して書いておきたいとおもっているが、ごく簡単にいうと、紀元前4世紀ころのエジプトに芽生えたとおぼしい融合力に富んだ神秘哲学で、宇宙の本質を霊魂と物質に二元的に分け、物質世界はデミウルゴスという下位の神性による創造であるが、人間に宿った知的な精神世界は宇宙的な霊魂そのものが分出させたものであるから、人間の「知」はいつしかデミウルゴスの頸城を破って宇宙霊魂と人間精神が重なる方向に向かって融合するであろうと説くものだ。
 この融合の兆を継げるメッセージが「グノーシス」とよばれるもの、すなわち「霊知」なのである。グノーシスは天界から人界に洩れてきた兆候でもあった。
 霊知についての予告は、その後、ヘルメス・トリスメギトスの著作とともに(これがいわゆるヘルメス文書=むろん偽書とされている)、後世に伝えられたというふうになっている。
 その後のグノーシス主義はヘルメスの知を媒介に、ピタゴラス主義、新プラトン主義をへて、さらにユダヤ教カバラの神秘思想に結びつき、これらが総じてルネサンスの中で復活再生させられた。そのときのプロデューサーはコジモ・ド・メディチ、ディレクターはマルシリオ・フィチーノ、編集拠点は「プラトン・アカデミー」と名付けられた。
 ここからフィチーノの弟子のピコ・デラ・ミランドラ
などが輩出していった。いずれも「汎知学」ともいうべき「霊知」を求める探求である。

 やがて、これらがドイツに飛び火する。
 もともとドイツは、1190年代にヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの『パルツィファル』(この物語は『化学の結婚』といくつもの共通点をもつ)に見られるような「聖杯伝説」と、神秘的で使命感に富んだ「騎士団の伝統」をもっていた。
 そこにグノーシス主義やカバラや錬金術が加わって、ロイヒリンやアグリッパやパラケルススといった傑出した神秘化学思想ともいうべき蓄積をつくっていったから、たまらない。いっさいの神秘の対象が身体的にも宇宙論的にも現実味を帯びたのだ。
 アンドレーエは、仲間たちとともにこれらすべてを編集加工したといってよい。
 とくにこのような汎知的なグノーシス主義の成果が薔薇十字団の思想に便利なのは、人間の知はデミウルゴスによって幽閉されているものの、それがいつかは突破されて神の英知と融合するというふうになっているところである。

 すでにのべたように、アンドレーエの3つの文書が出た直後からの6年間だけで、薔薇十字団の噂があっというまにヨーロッパ中に広まった。むろんこれを怪しむマラン・メルセンヌ神父やガブリエル・ノーデといった知識人も少なくなかったが、イギリスのロバート・フラッドや化学者ロバート・ボイル
SF文芸の始祖ともいえるジョン・ウィルキンズらが、またドイツの錬金術師ミヒャエル・マイアーがそうであったように、薔薇十字団を実在の秘密結社とみなす者ははるかに批判者を上回っていった。
 もはや薔薇十字団と薔薇十字運動は、すべての西欧神秘主義の宿命を担ったままに一人歩きしてしまったのである。
 理由は難しいところにあるわけではない。
 この時代、たとえばアイザック・ニュートンがそうなのだが、錬金術はまさに科学の魂であったのだし、まだヨーロッパには各国語が確立していないために、あらゆる言語文字表現はその大いなるルーツを争っていたのである。つまり神秘を取りあっていたのだ。すなわち、すべての科学と言語学と地理学と神学が、どちらにせよ薔薇十字的な思索と仮説と探求の中にごった煮になっていたわけなのである。当然に、薔薇十字の物語はかれらの関心の的になっていったものだった。

 18世紀になっても、この蠢動は収まらなかった。マリア・テレジアのウィーンには1万人の錬金術師がいたとされるのだが、そこではあいかわらず薔薇十字団の噂はもちきりであり、ときに霊液を呑んでいるといったサン・ジェルマン伯爵のような奇怪きわまりない人物があらわれると、たちまち薔薇十字団の隠れた本拠がそのへんにあるらしいというふうになっていったのである。
 そこへフリーメーソンの運動が絡んでいった。1717年にロンドンにグランド・ロッジが結成されると、フリーメーソンの活動にいくつものロッジと会員が生まれるのだが、それがたえず薔薇十字団との類縁関係を取沙汰された。さらには金属変成を好んだというテンプル騎士団の末裔がここに交ざっていった。
 これではもはや、とうてい収拾がつかない様相である。
 薔薇十字運動が退嬰しなかった理由が、もうひとつある。それは理性主義や啓蒙主義の台頭によるムーブメントにあきたらない人士を、「反理性」のサークルとして巻き込んだという事情である。どうみても「理性」と「霊知」は対立する以外になくなっていた。理性に反抗する「知」の多くが薔薇十字派とみなされるにいたったのだった。

 こうして、フリードリヒ・ヴィルヘルム公のような、フリーメーソンであって薔薇十字団の会員となったとされるような王侯貴族たちが、ついに薔薇がからまる十字のシンボリズムの内側に入ってきた。ヴィルヘルム公はよく知られているように、アマデウス・モーツァルトの庇護者であった。
 加えてドイツ・ロマン主義の夜陰の波涛のようななだれこみがある。それらは必ずしも薔薇十字の思想を標榜するものではなかったけれど、薔薇十字的なるものを否定したり迫害するものでもなかった。ゲーテの『ドイツ移民の神秘の物語』やシェリーの『セント・アーヴェンあるいは薔薇十字団員』にみられるように、薔薇十字幻想はあたかも民族の記憶や地域の伝説として、欠くべからざるものにさえなったのだ。
 ゲーテの『ファウスト』第2部がアンドレーエの『化学の結婚』からいくつものコントを得ていたことは、すでに何度となく指摘されてきたことだ。


デカルト、コメニウス、ベーコン、ゲーテはもとより、かのライプニッツさえ薔薇十字問題には注意を払ったのである。イエズス会が薔薇十字団の隠れ蓑だといわれた時期もあった。
 …
参考¶薔薇十字団あるいは薔薇十字運動についての本格的研究はまことに少ない。すでにのべたようにフランセス・イエイツの『薔薇十字運動の覚醒』(原著1972・翻訳1986工作舎)は初期の実情研究で、種村季弘の『薔薇十字の魔法』(1975出帆社)は中世から近世にかけてのオカルティズムの特質そのものを扱っていて、詳細な個別研究ではなかった。またルドルフ・シュタイナーに『薔薇十字会の神智学』(平河出版社)が、マンリー・P・ホールに『カバラと薔薇十字団』(人文書院)があるものの、これらも神智学的展望や神秘主義的象徴哲学に重点があって、歴史の中の運動に焦点が当たっているわけではない。そうしたなかで、歴史を扱って、かつ入手しやすい2冊が翻訳出版された。ひとつがロラン・エディゴフェルの『薔薇十字団』(白水社・クセジュ文庫)で、もうひとつが本書である。なお本書にはコリン・ウィルソンのオカルト現代史から眺望した序文がついている。 ”

スクリャービン「プロメテウス」と神智学
https://blogs.yahoo.co.jp/museion2013/32722099.html

バッハ「14のカノン」
https://blogs.yahoo.co.jp/museion2013/33191686.html
” バッハは数字にこだわった作曲家の一人で、カバラの数秘術に親しんでいました。カバラは、ユダヤ教の秘教で、レコンキスタによってスペインを追われたユダヤ人がヨーロッパ各地に散らばり、カバラの知識が人々に知られるようになりました。
14という数字は、バッハの名前BACH=2+1+3+8=14であると解釈されています。”

サティと薔薇十字団
https://blogs.yahoo.co.jp/museion2013/33587995.html
” フリーメーソンや神智学、カバラと音楽家の関わりを書きましたので、もうひとつ、薔薇十字団に触れておきましょう。
 エリック・サティ(1866~1925)は薔薇十字団に加入し、薔薇十字のための音楽も書きました。
「薔薇十字教団の最初の思想」
「薔薇十字教団の鐘の音」
また、次の曲も思想的に関係しているでしょう。
「至高存在」のライトモティーフ
「天国の英雄的な門への前奏曲」

 サティが加入していたのは、正しくは1890年にペラダンが設立した「カトリック薔薇十字聖杯神殿教団」、略して「カトリック薔薇十字団」と呼ばれる団体で、1888年にガイタが創始した「薔薇十字カバラ団」から分岐したものなので、ちょっとややこしいのですが、これらは19世紀になってたくさん現れた薔薇十字系の団体です。
 …
イタリア・ルネッサンス思想がドイツに波及するのですが、もともとドイツには「聖杯伝説」があり、エックハルトがいました。そこにグノーシス主義やカバラや錬金術が加わり、「薔薇十字運動」と呼べる潮流になっていったわけですね。

 「薔薇十字団」はフリーメーソンやテンプル騎士団との関わりもあるようで、シュタイナーやユング、イエイツ、ブレイクも強い関心を寄せています。
モーツァルトの庇護者であったフリードリヒ・ヴィルヘルム公爵は、フリーメーソンであり薔薇十字の会員でもありました。
ドイツ・ロマン主義も薔薇十字を否定するものではなくて、ゲーテの「ファウスト」第二部はアンドレーエの「化学の結婚」からいくつもの題材を得ていますし、シェリーの「セント・アーヴェンあるいは薔薇十字団員」のように、文学の背景として欠かせないものとなりました。
19世紀のベールギーとフランスの象徴主義も薔薇十字の影響を受けており、
ベルギー象徴派のジャン・デルヴィルは薔薇十字のペラダンと知り合い、薔薇十字展に出品していました。ぺラダンのまわりにはサティの他にモローやルオーなどもいて、「カトリック薔薇十字団」は当時のデカダンス芸術家たちのサロン、プロデュースのための団としても機能していました。
シェーンベルクの「ヤコブの梯子」はシュタイナーの神秘劇と密接な関係があるとされますが、「ヤコブの梯子」とは薔薇十字文書で言及される、神と接触するための方法を指しています。

現在も、薔薇十字を名乗る団体は存在しています。フリーメーソンに入会するためには、すでに会員になっている友人がいなければなりませんが、薔薇十字や神智学は誰でも入会することができます。でもそれをお勧めするわけではありません。不完全な人間が集まるところには必ず問題も生じるからです。

サティは「カトリック薔薇十字団」を脱退したのち、自ら「主イエスに導かれし芸術のメトロポリタン教会」を設立しました。信者は彼一人でした。”

薔薇十字友愛団と三十年戦争を巡る会話/純丘曜彰 教授博士
https://news.goo.ne.jp/article/insightnow/bizskills/insightnow-9762
”宗教改革の始まり

「フランスなんて、百年戦争にかろうじて勝っただけの小国だったじゃないですか。いつから、そんな大国になったんですか?」
「きっかけは、宗教改革だろうな」
「ドイツのルターの?」
「そう。ライプツィッヒ市の北のヴィッテンベルク街でルターが一五一七年に教会のやり方に疑問を呈すると、
二一年、領主のザクセン選帝「賢人」公フリードリッヒ三世がこれを匿い、
二四年にはドイツ中央、フルダ河畔のヘッセン方伯「寛大」フィリップ一世が公然とルター派を支持、プロテスタント(抗議派)となった。
おまけに、ブランデンブルク・ツォレルン辺境伯家出身のチュートン騎士団長も、二五年、騎士団ごとルター派に改宗させ、私領のプロイセン公国を創ってしまう」
「おいおい、ツォレルン辺境伯家って、アウグスブルクのフッガー家やフィレンツェのメディチ家とつるんで、免罪符を売った側だろ?」
「変わり身が早い、どさくさに紛れる、結果はしっかり手にする。悪い人って、そういうものですよ」


「このルター派とはまったく別に、教皇に離婚を認めてもらえないからって、三一年、イングランド国王ヘンリー八世が教皇権を否定して、イングランド国教会を興す」
「教会関係者しかわからないラテン語として封印されてきた『聖書』を自国語で読んだら、どこにも「教皇」なんていう言葉は書いてなかったんだから、そうなるのは当然の結果だな」「でも、これまでずっとそれがバレなかったんですから、やっぱり神さまの奇蹟じゃないんですかねぇ」「……」

「とはいえ、黙って引き下がるカトリックでもない。
カトリック教会では三四年にイエズス会ができる。
一方、三六年にはカルヴァンが出て来て、ジュネーヴ市に拠点を築き、対立は激化。
四六年、ヘッセン方伯「寛大」フィリップ一世や、ザクセン選帝「賢明」公フリードリッヒ三世の甥のヨハンフリードリヒ「豪胆」公が、皇帝カール五世に対してシュマルカルデン戦争を起こす」
「教皇はどうしていたんだ?」
ファルネーゼ家パウルス三世は、もともと皇帝カール五世と仲が悪かったんだよ。就任前の二七年には、ローマ略奪を喰らっていたし、自分の息子を教皇領のパロマ公にしていたのに、四七年に暗殺されて、街も取られた」
「そういえば、ヴァチカン大聖堂の改修のための石の調達で、カラカラ帝浴場跡からファルネーゼ・ヘラクレス像が見つかったのって、一五四六年だったよな」「殺された息子のように、大切に思えたでしょうね」


遅れてきたルネサンス

「で、ようやく一五五五年のアウグスブルクの和議で、皇帝カール五世は、カトリックか、ルター派か、領邦単位の選択を認めてしまい、漁夫の利を得た」
「フランスは?」
「百年戦争でイングランド王・アンジュー伯家を破ってできたヴァロワ王家は、もともとずっとカトリック教皇の支援を受けてきた。そして、こんどは現フランス・スペイン国境北部のナヴァラ王ブルボン家が、フランスのカルヴァン派の盟主として台頭し、
六二年、ユグノー戦争になってしまう」
隣のネーデルラントでも、カルヴァン派が、
六八年、カトリックの宗主国スペイン・ハプスブルク皇帝家に対して反乱
を起しただろ」

「ドイツで収まったはずの宗教戦争が、フランスやネーデルラントに飛び火したわけですね」

「話は、もっと国際的だ。アウグスブルクの和議をまとめたカール五世以来、ハプスブルク皇帝家は勢力を拡大し続け、大オーストリア・スペイン・南イタリアとベルギーからミラノまでの独仏中間帯を握る巨大帝国となっていた」「それどころか、中南米やフィリピンまで進出し、「陽の沈まない国」と言われていただろ」
「もっとも、ハプスブルク家そのものがでかくなりすぎて、スペインとオーストリアで分かれてしまい、一五二七年生まれで六四年に即位したオーストリア・ハプスブルク家の皇帝マクシミリアン二世からして、ネーデルラントの反乱は、いとこのスペイン・ハプスブルク家の問題で、うちは知らん、と、アウグスブルクの和議の精神のまま、新旧両教に寛容だった」

「ほかの国は?」「このころ、ほかの北半ヨーロッパ諸国の宮廷も、遅れてきたルネサンスで、妙に穏健だったんだよ。伝統あるブラウンシュヴァイク公ヴェルフェン旧王家は、ハプスブルク皇帝家の盟友なのに、二八年生まれのユリウスは、シュマルカルデン戦争中にフランスに旅行して、その後、カルヴァン派の方に改宗してしまった。
ヘッセンの北半を相続した、ルター派の盟主のヘッセンカッセル方伯で三二生まれの「賢明」ヴィルヘルム四世は、夜空を見上げて天文学に没頭していたし、
イングランド国教会の長になった三三年生まれの女王エリザベス一世は、シェイクスピアの芝居に興じていた」「なんだかみんな、やる気のない人たちですねぇ」


ルドルフ二世と近代領主たち

「やたら元気だったのは、七二年、七〇歳で教皇になったグレゴリウス十三世くらいかな。もともとはボローニャ大学の法学教授だったのに、ファルネーゼ家パウルス三世に招かれて聖職者になったという変わり者だ」
「なにをしたんですか?」「ミケランジェロが六四年に亡くなって半球ドームの下輪のあたりで止まっていたヴァチカン大聖堂の建築を再開し、
クイリナーレ宮殿をはじめとして、ローマ市の大改造をやっている。
イエズス会の学校戦略を支援し、ユグノー戦争のプロテスタント虐殺を祝福、
イングランド女王エリザベス一世の暗殺も画策している。
先進的な天文学にも深い関心があって、観測に基づいたグレゴリウス歴に変えた。日本から行った天正遣欧使節の少年たちが一五八五年に会ったのも、この教皇だ


「皇帝との関係は?」「教会の作戦が、大成功したんだよ。五二年生まれのマクシミリアン二世の息子、ルドルフ二世は、スペイン・ハプスブルク家の方に預けられたんだが、教会はこの間に彼をイエズス会の教育でガチガチのカトリックに染め上げたんだ」「それで、あんな変人になったんだな」
「どう変人なんですか?」
「実の弟、マティアスとケンカし続け、一五七六年に父帝マクシミリアン二世の跡を継ぐと、宮廷をウィーン市からプラハ市に遷して、結婚もせず、魔術的な錬金術だの博物学だのに耽溺してたんだ」「引きこもりオタクのはしりみたいな人ですねぇ」「引きこもりったって、皇帝だからねぇ。大帝国の政治はまったくのお留守」「それじゃ、よけい揉めますね」「それが、そうでもないんだよ。同世代で五三年生まれのナヴァラ王ブルボン家アンリ四世が、いまこそチャンスだ、フランス国内で揉めている場合じゃない、って、ユグノー戦争の収拾を図る。一方、イングランドでは、五四年生まれの国際的な文人冒険家フィリップ・シドニーがネーデルラントに渡って、軍人として加勢」

「フィリップ・シドニーって、『アルカディア』っていう長編詩を書いた人ですよね」「ただ、八六年に戦死してしまった。しかし、フランスでは、ヴァロワ王家が断絶し、
八九年、プロテスタントのナヴァラ王アンリ四世がカトリックに改宗して王位に就き、
九八年のナント勅令で、カトリック教会への納税を条件に、個人の信仰の自由を認める。また、ネーデルラントも、一六〇〇年ころまでには、事実上の独立を果たした」「プロテスタントの勝利ですね」

「ああ。アンリ四世は、フランスでは珍しく、国民に愛された王で、パレ・ロワイヤルをはじめとして、首都パリ市の大規模な再開発を行った。ネーデルラントも、アジアの香辛料貿易で巨大な富を得るようになった」

「建設とか、貿易とか、どっちもメイソンっぽいな」
「でも、とりあえず、いい感じじゃないですか」
「しかし、偏屈カトリックの皇帝ルドルフ二世は、まだ健在だったし、イングランドでは女王エリザベス一世が跡継の無いまま亡くなってしまい、
〇三年に代わって出てきていたのが、女王のおばさんの曽孫に当たるスコットランドのステュワート朝のジェイムズ一世だ。宗教も魔術も大嫌いで、科学者のフランシス・ベーコンを重用し、就任早々、カトリックもプロテスタントも徹底排除。王権神授説に基づく絶対独裁を始めた。
また、建築家のイニゴー・ジョーンズを王室営繕局長に採用して、
ロンドン市大改造をやらせ、コヴェントガーデンやセントポール大聖堂の改修を計画している


「ドイツは、どうだったんですか?」
ヘッセンカッセル方伯を継いだ「博学」モーリッツは、父の「賢明」ヴィルヘルム四世同様、みずから自然科学や人文学、芸術に深い関心を持ち、錬金術、演劇、音楽などを振興した。そしてなにより、彼はみずから建築家として、数々の都市計画や建築構想を創った」「まんま、メイソンだな」
「でも、ルター派の盟主だったのに、〇五年、突然、カルヴァン派に改宗してしまった」
「じゃあ、ルター派は?」「代わってプロイセン・ツォレルン公家が中心になった」「ツォレルン公家って、ほんと世渡り上手だな



メイソン・傭兵・劇団

「それにしても、どの国も建設工事だらけですね」「この時期、都市国家から領邦国家へ構造が大きく変わっていったからね」「どう違うんですか?」「色で塗り分けた歴史地図みたいなのが誤解の元なんだよ。一六〇〇年以前、どこの国も、そんな広大な面の支配力なんか持っていなかった」「というと?」「城壁を持つ都市を中心に、あちこちに点在する町や村を持っているというだけ。だから、飛び地だらけで、地図を見てもわからない」「町や村のほかは?」「山賊と魔女と野獣がいる黒い森」「まあ、いまでもヨーロッパは、そうだけどな。町を出てしまうと、果てしない森が広がっているよ」

「ところが、宗教戦争や一五五五年のアウグスブルクの宗教和議で、領邦単位で信仰の選択をすることになった。こうなると、入り組んでいる支配権を面で整理する必要が生じた。いちばん問題になったのが、事実上の自治権を持つ自由都市だ。ヴェネツィアやジェノヴァをはじめとして、商人貴族たちが共同体の独立都市国家を成し、それが周辺に点在する町や村も支配している。連中は、領主が都市に介入することを激しく嫌っていた」

「ドイツのニュルンベルクも、商人貴族たちが支配して、皇帝城の城代伯ツォレルン家を追い出したんだもんな」
「ローマ市だって、フィレンツェ・メディチ家だの、バレンシア・ボルジア家だの、
トスカーナ・ファルネーゼ家だの、よそ者の教皇だらけで、ソリが合わなかっただろう」「ミラノ市も、ヴィスコンティ公家が支配していたのを、その傭兵だったナポリ出のスフォルツァ家が乗っ取ったんだしな」「パリ市も、昔からフランス王とは仲が悪いですもんね」「それに、ロンドン市も、スコットランドから来たジェイムズ一世を毛嫌いしていた。ハプスブルク家皇帝ですら、プラハ市の都市貴族たちと争っていたし、
ブランシュヴァイク公も、ブランシュヴァイク公とは言うものの、ブランシュヴァイク市に入ることもできず、ヘッセンカッセル方伯も、南のフランクフルト市とにらみあっていた」

「つまり、近代の面の領邦国家ができようとしているのに、その中に中世的な商人貴族たちが既得権を持って抵抗している自治都市が中に残ってしまっていた、というわけだな」「それを叩き潰すために、新時代の領主たちは、あえてそういう都市で大規模な再開発を行い、周辺でも鉱山開発、道路延伸、新都建設などをやって、面としての経済振興を図ったんだ」「織田信長や豊臣秀吉が東洋のヴェネチアと言われた商人自治の堺市を潰して、新都大阪を創り、そっちに主要街道を引いたのと似てますね」「あれは一五六八年だから、時代的にもまったく同じだな」

「手本となったのが、金融と建設でフィレンツェ市の支配を確立したメディチ家。そして、これを模倣したミラノ市のスフォルツァ公家や、
ローマ市のファルネーゼ教皇家」「ようするに、ブラマンテやダヴィンチ、ミケランジェロということか」「彼らは、紀元前一世紀の建築家ウィトルウィクスの著作をもとに、東ローマ帝国に伝わっていた古代ローマの建築様式、つまり、円柱、アーチ、半球ドームからなる幾何学的な集中様式を復興した」「いわゆるルネサンス建築ですね。パッラーディオが一五五四年の『ローマ建築』や七〇年の『建築四書』で本にして、広まったんでしょ」

「でも、実際に工事をしたのは、だれなんだ?」「だいいちには、東ローマ帝国から移り住んだ、多くの職工たち。ヴェネツィアなんて、第四回十字軍で宗主国の東ローマ帝国を乗っ取ったからこそ、そこから技術者たちを招いて、あんな特異な水上都市を建設することができたんだ。それから、ボルジア家のバレンシア、スフォルツァ家のナポリ。トスカーナのファルネーゼ家だって、領地は南イタリアの先端、モンタルトだからね」「つまり、領主は、その本来の領地の職工たちを引き連れて、抵抗する都市貴族たちの街に乗り込んできたんですね」「それだけじゃないだろ。バレンシアやナポリ、モンタルトなんて、みんな旧聖堂騎士団の拠点じゃないか」

「かつての聖堂騎士団と直接に繋がっているかどうかはともかく、そういうところにはフェニキアのヘラクレス術、巨大土木建設工事の技術の伝承は残っていただろうね」「新時代の領邦国家領主が、移動技術者集団、つまり、フリーメイソンを創ったということか」「それだけじゃないよ。これまで親族と忠誠で複雑に離合集散を繰り返していた軍隊に、彼らは傭兵を活用した。とくに厳しい山岳地帯の生活で鍛え上げられた屈強なスイス人傭兵は、圧倒的に強かった」「これも、移動戦闘者集団ですね」「これらを駆使することで、大都市を牙城とする古い特権的商人貴族たちの支配を、切り崩していったんだんだな」


「フリーメイソンやスイス人傭兵と並んで、もう一つ、新時代の領邦国家領主が活用したのが、劇団、つまり、移動演劇者集団だ。みんなそれぞれの街に大劇場を創っている」「前の女王エリザベス一世と違って、ジェイムズ一世なんて、芝居なんか関心がないだろ」「芝居はあくまで口実さ。実際は、領主に反発している都市の貴族や庶民を娯楽で懐柔し、また、外国に公演旅行と称して行って諜報や外交を行ったんだ」「たしかにそれ、便利ですね」「今で言うメディア戦略や情報戦略だな」


薔薇十字友愛団の幻影

「でも、一六一〇年、馬車に乗っていたアンリ四世が、パリ市第1区フェロンヌリ通り11番地で、狂信的カトリック教徒に刺し殺されてしまう。いま、ショッピングセンターのルアレがある、すぐ南の通りだ」「その後、フランスはどうなったんですか?」「まだ八歳だったルイ十三世が王位を継いで、メディチ家出身の母后マリーが摂政に就き、中立政策を維持したが、カルヴァン派の不満はくすぶり続けた」「それじゃ、まとまりそうにありませんねぇ」

「そんなとき、奇妙な事件がヨーロッパ中を騒がした。一六一四年、カッセル市で『薔薇十字友愛団の名声』という奇妙な冊子が出版されたんだ」「なにが書いてあったんですか?」「東方巡礼を果たしたクリスチャン・ローゼンクロイツという人物を中心とする秘密結社が、秘教科学を駆使して人間を死や病気から救う、その団員はすでに世界に派遣されている、という話だ」「なんだよ、それ」「ローゼンクロイツは、薔薇十字を紋章にしたルターだとか、赤バラ・白バラの二家で争ったイングランドの前のプランタジネット朝の残党のことだ、とか、当時、いろいろにウワサされた」

「なにをしたかったんですかねぇ?」「ほら、一五五五年のアウグスブルクの和議は、領邦単位での信仰の選択だっただろ。だけど、カトリック側諸国にも、すでにルター派の仲間が大量に入り込んでいるぞ、って、疑心暗鬼を煽ったんだろうな」「そんなの、効いたんですか?」「ああ、カトリックは、この話を本気にして、一六一六年のガリレオの異端審問をはじめとして、各地でまた時代錯誤の魔女狩りなんかやっている。
とくにプロテスタント領に接しているバンベルク市やマインツ市、ヴュルツブルク市では、この時期に何百人もが魔女や魔師として処刑されたんだ」

「だけど、その薔薇十字友愛団ってメイソンのことか? 著者がメイソンなのか?」「いや、著者のアンドレーエがローゼンクロイツのモデルにしたのは、おそらく一人じゃない。ブラウンシュヴァイク公ユリウスとその息子のハインリッヒユリウス、ヘッセンカッセル方伯「賢明」ヴィルヘルム四世とその息子の「博学」モーリッツ。彼らは、まちがいなくメイソンだ」「でも、ヴィルヘルム四世以外はみんな、ルター派ではなく、カルヴァン派でしょ」「なんで彼らがカルヴァン派に改宗したと思う?」「さあ……」「さっき話したように、彼らの本当の敵はカトリックじゃない。カトリックと対抗して、自分の領邦の中に巣くっているルター派の都市の商人貴族たちだからだよ。それに、カルヴァン派の方が、都市の商人貴族たちと対抗するメイソンや傭兵をネーデルラントやスイスから呼び込みやすい」「つまり、カトリックを刺激して、領邦内都市のルター派商人貴族たちと争わせようとしたわけ?」



冬王擁立という誤算

「でも、歴史は思ったとおりには転がっていかない。ジェイムズ一世は、前年の一三年にハイデルベルクのプファルツ(宮中)選帝伯フリードリヒ五世に娘を嫁がせている。この結婚は、テムズ川とライン川の合流、と言われた。
いや、遡れば、フリードリヒ五世自体、母はネーデルランドのオラニエ公とフランスのブルボン家の娘。つまり、大オーストリア・スペイン・南イタリアとベルギーからミラノまでの独仏中間帯を握るハプスブルク皇帝家に対して、フランスとイングランド、ネーデルラントが一本化した、ということだ。おまけに、このフリードリッヒ五世夫婦は、ドイツでもとても人気があった」

「じゃあ、ハプスブルク皇帝家と一触即発じゃないですか」「いや、この前後、財務長官のフランシス・ベーコンは、大陸側の各国にいくつもの劇団を送り出している。これを受け入れたのが、ブラウンシュヴァイク公ハインリッヒユリウスとか、ヘッセンカッセル方伯モーリッツとかだ。かれらはルドルフ二世の弟の、まともな新皇帝マティアスと連絡を取り、調整を計っていた」「カトリックにせよ、プロテスタントにせよ、彼らの敵は、それぞれの国内の都市の商人貴族たちで、王族同士は教会のために争ってやる必要なんてないですからね」

「ところが、がちがちのカトリックの三番目のフェルディナンド二世がボヘミア王になったら、一八年、プラハ市の新教徒の商人貴族たちが、人気のプファルツ(宮中)選帝伯フリードリッヒ五世をボヘミア王に担ぎ上げてしまった」「え? それって、いい迷惑じゃないですか。遠い西のハイデルベルクにいるんでしょ?」「それ以前に、都市の古い商人貴族たちなんて、彼からすれば、知ったことじゃないだろ」「でも、フェルディナンド二世の方も、同じカトリックのバイエルン公を引き込んだせいで、宗教戦争のような構図になってしまう。そのうえ、翌一九年、まともな皇帝マティアスが死んで、弟のフェルディナンド二世が皇帝に成り上がり、対立はよけいに悪化」

「カルヴァン派のブランシュヴァイク公やヘッセンカッセル方伯は?」「ハインリッヒユリウスは一三年に死んでしまっている。モーリッツは生きていたが、どちらの国も、いくら同じプロテスタントだろうと、もともと都市貴族たちは嫌いだし、そうでなくても、メイソンに騙されたような、むちゃくちゃな大規模建設工事で財政破綻。まったく身動きが取れない。それどころか、相争う新旧両教から草刈場のように、最後の金貨までむしり取られた」

「イングランドのジェイムズ一世は娘婿を支援しなかったんですか?」「しないよ。ロンドン市だろうと、プラハ市だろうと、神がかった商人貴族の連中なんか、やっぱり大嫌いだったんだから。実際、ジェイムズ一世の宗教嫌いに愛想をつかして、清教徒のピルグリム・ファーザーズなんかは、一六二〇年八月には早々と、反教皇の聖堂騎士団が理想の新イェルサレムを建国しているはずの新大陸へ出発してしまった。ボヘミアの方も、二〇年十一月のビーラーホラの戦いに敗れて失敗。フランシス・ベーコンは一六二一年に汚職の嫌疑をかけられて失脚」「連携失敗の責任を取らされた感じだな」


薔薇十字教皇のねじれ

「でも、これじゃ、都市の商人貴族側が鎮圧されて、すぐに終わりそうじゃないですか」「ところが、ややこしいことに、カトリック教会の方が皇帝フェルディナンド二世を背後から抑え込みにかかったんだ。フィレンツェ市の商人貴族、バルベリーニ家は、世界に拡大するイエズス会とつるんで勢力を伸ばし、ローマの教皇庁に食い込むと、強引な親族主義で身内を次々と登用し、三十年戦争中の一六二三年にはついに一族のウルバヌス八世を教皇に押し上げた」「あー、ややこしい。北半ヨーロッパでは、都市の商人貴族たちはルター派だったけれど、イタリアではカトリックなのか」

「そのうえ、このウルバヌス八世は、甥のフランチェスコ・バルベリーニ枢機卿や、その秘書のダルポッツォとともに、かつてのルドルフ二世のようなオカルト的博物学者。とくにダルポッツィは、ダヴィンチ手稿なんかを研究して、ガリレオの科学サークル「山猫学会」のメンバーだったんだぜ」
カルヴァン派が話として捏ち上げたルター派の薔薇十字友愛団が、カトリック側で実体化してしまったということ?
「そのとおり。前に話したグエルチーノの『われアルカディアにありき』の絵も、バルベリーニ家のコレクションだったし、『アルカディアの牧人たち』を描いたプッサンは、ダルポッツオのぶら下りだ」「ルネサンスのころのブラマンテやダヴィンチとは、ずいぶん趣向が違う印象ですね」

「でも、この薔薇十字教皇一味は、教皇庁の莫大な資産を、めちゃくちゃな新宮殿の建設とイエズス会の国際展開で浪費した。おかげで、カルヴァン派だったメイソン連中がカトリック側に寝返り、仕事を取ろうと、蜜にたかる蜂のようにバルベリーニ家やイエズス会に群がって行った」「ああ、そのせいで、たいして長い栄華でもなかったのに、ローマ市中、バルベリーニ家の三蜜蜂の紋章だらけなんだな」

「この奇妙な薔薇十字教皇ウルバヌス八世の登場で、二四年、カトリックのはずのフランスやヴェネチアが反ハプスブルク皇帝家の側、つまり、プロテスタントの都市商人貴族側で参戦。ジェイムズ一世も、やむなくこれに加わるが、二五年に死んでしまった。その息子、チャールズ一世は、両親に輪をかけたような無能で、二七年にはフランスに宣戦布告」「もうわけがわからないですね」「負けて三〇年に戦争から手を引いたものの、やはり戦費で財政破綻。それで、一六四一年には清教徒革命が起きてしまう。バルベリーニ家も、四四年にウルバヌス八世が亡くなると、ローマから追放された。おまけに、このころになると、同じ反ハプスブルク皇帝家側で戦っていたはずのスウェーデンとデンマークが争い始め、結局、スウェーデンがバイエルンまで攻め込んで、四八年、皇帝側の敗北で終わる。翌四九年には、イングランドの無能王チャールズ一世も、革命で首を刎ねられてしまう。この処刑のときに、チャールズ一世は、フィリップ・シドニーの『アルカディア』の一節を吟じたんだとか」「自分も薔薇十字だと思ってたんですかね?」

「結局、三十年戦争って、なんだったんだ?」「すくなくとも、もう宗教戦争じゃなかった。中世的な商人貴族の都市支配や、ハプルスブルク皇帝家のドイツ支配が解体し、
代わって面一帯を単位とする近代的な領邦国家群、とくに、フランスのブルボン王家がヨーロッパの中心になった、ということかな」「それで、その後のフランスが世界に植民地を持つほどの大国になっていくんですね」


(by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。著書に『アマテラスの黄金』などがある。)”

(カルヴァン派が、ルター派とカトリックを争わせるために薔薇十字団伝説を流した説)

Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 4時間4時間前

上の人が席を譲らないと下のひとが大人にならない法則~。
0件の返信 1件のリツイート 5 いいね
Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 4時間4時間前

座席も大切なリソースなのだから、早めにあけられるのならそれに越したこともなく。
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Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 4時間4時間前

引退はできるだけはやくしたいな。できれば50歳までに。そのほうが周囲に迷惑がかからず、しかも残りの人生をたくさん楽しめるから。
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Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 4時間4時間前

ゲームのほうはしらないけど、これはもしかしたらアプロディテーの問題と同じなのかな? 性愛への理解と認識の問題。
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Angeliqua@nap masterさんがリツイート
ヴェールヌイ(CV上坂すみれ)@ちきちき‏ @Fate_TKTK 7時間7時間前

ヒンズー教の人からFGOのパールヴァティーの扱いが怒られたらしい。
http://www.rajanzed.org/upset-hindus-urge-removal-of-goddess-parvati-from-fgo-mobile-game-where-she-is-a-servant/ …
25件の返信 5,007件のリツイート 1,927 いいね
Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 8時間8時間前

本物の証拠を完全に隠すことに成功すれば、こういった「儀式的密閉」の手順は聖櫃を形成する。あとはこれをシンボルとして使うだけなので。
0件の返信 1件のリツイート 4 いいね
Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 8時間8時間前

伝説が完全に根付いてしまうともはやご本人が存在したかいなかなんて関係なくなるの。
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Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 8時間8時間前

そのひとが聖化され伝説になるようにしたいのなら、ご遺体や生きていた証拠品をみんなかき集めて密閉し、お墓を転々と移動させるのがいいでしょうね。数十年に一回そのようにして、最後は元の一族が管理してる別の場所へと運ぶ。そうしたうえで誰も本当のお墓を知らないようにしてしまうのです。
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Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 8時間8時間前

シュプレンゲルがシュプレンゼルになってた。だれ?
0件の返信 0件のリツイート 0 いいね
Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 8時間8時間前

これは恋愛についてもいえることなんだよね。真実なんてどーでもいいこと。だって本人が信じてるものがまさに真実だからです。
0件の返信 1件のリツイート 6 いいね
Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 8時間8時間前

エリック・ハウなどの歴史家がこてんぱんにいわれる理由ってそういうことだと思うの。密閉、つまり秘密にすることの意味やそれで得られる膨大な力のことを全く理解していないからです。
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Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 9時間9時間前

なので棺のなかをあけてからっぽなことを知っても「そうなんだ」と理解したらそのままふたを閉じます。それがハーメティックオーダーの作法ですから。
0件の返信 2件のリツイート 7 いいね
Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 9時間9時間前

その手の聖人やかみさまのお墓はいつもからっぽ。かれらは「儀式的手順」を通じて「密閉」されその存在力は潜在力へと帰っていくの。潜在力とはなかった状態のこと。なかったことにされること。ただ伝承だけ残ること。ある神話や伝説については本物が残るけれど多くの場合はきちんと「密閉」されてる。
0件の返信 2件のリツイート 10 いいね
Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 9時間9時間前

キリストのお墓、ましてやローゼンクロイツやアンナ・シュプレンゼルのお墓が発見されたなんてニュースがあったらわたしもびっくり。ハーメティックとはなんのことか理解されてないということなのだから。本物があってはいけないのです。(^^; あとのひとたちのために。
0件の返信 4件のリツイート 10 いいね
Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 9時間9時間前

伝説や神話には諸説あったほうがいいよね。だって現実になにか出てきたらファンタジーがなくなってしまうから。その神秘性こそ想像力をかきたて力の源となっているのだから本物がでてきたらまずいと思うのです。
0件の返信 5件のリツイート 10 いいね
Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 9時間9時間前

いまどきのサンタさんはその神秘性を保つためにどこにいても発見・追尾されないように人工衛星からも長距離レーダーからも隠れられるステルス機能を持ってそう。すると、ステルス素材や特赦塗料を扱う会社とお知り合いかもしれないです。
0件の返信 1件のリツイート 5 いいね
Angeliqua@nap masterさんがリツイート
ナショナルジオグラフィック日本版‏認証済みアカウント @NatGeoMagJP 9時間9時間前

サンタクロースの墓を発見か、トルコの教会の床下をスキャンしたところ、墓らしきものの存在が示されました。 #サンタクロース のモデル、聖ニコラウスの墓かもしれません #ナショジオニュース #ナショジオ
0件の返信 144件のリツイート 154 いいね
Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 9時間9時間前

ゲームなどでもあるじゃない? 宝物が変な場所にかくされてるというあれ。普通は探さないような場所に隠されていたりする。わたしがいう天使さまを探すのはそういうのです。ただ戦うという選択は当たり前すぎてゲーム(試練)にならない。だからいろいろな方法を探るの。
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Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 9時間9時間前

うーん、試練かしら? たぶん。たまにそういうことあるけど。天使さまが隠れてる場所、きっとあるからそれをみつけるの。
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Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 9時間9時間前

無理に戦わなくてもいいの。たぶんそれはほかによい道がある兆候だから。
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Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 9時間9時間前

わたしも誰かのいたずらとかわがままでイライラってすることあるけど、そういうときはきっとチャンスが隠れてると思ってる。そのチャンスを見つけ出すのがわたしの才能と言われたことあるけど、それは天使の姿を見つけ出すことだと思うの。
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Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 9時間9時間前

恐らくはそれが何かのきっかけになり、チャンスになるから。みすみすチャンスを逃すのは勿体無いです。(^^)
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Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 9時間9時間前

バチが当たるというよりもいろいろもったいないかも? ひとつのことに拘って心を痛めるよりもあっさりと諦めてほかに移ったほうがいいことありそうな気がするの。誰かをうらむくらいならそっと席を立つ勇気。
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Angeliqua@nap masterさんがリツイート
cnn_co_jp‏認証済みアカウント @cnn_co_jp 10時間10時間前

新種のハチ、ハリポタの悪役にちなみ「マルフォイ」と命名 NZ
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Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 10時間10時間前

ごはんべたらお出かけ。少し遠出しましょう。
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Angeliqua@nap masterさんがリツイート
長谷川弘江‏ @aliceami2 10時間10時間前

ファンタジー世界のヒーラーを目指す人は必携!千年前の薬草図鑑が無料公開される。ダウンロードもできるぞ!
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Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 10時間10時間前

いつも炉の火を絶やさないこと。灰を少しどければ熾き火になるように。
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Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 10時間10時間前

コールドロン?
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Angeliqua@nap masterさんがリツイート
ヨシムラ マリ‏ @coromegane 21時間21時間前

私が今まで見てきたアウトプットのすごい人(絵でも文章でもなんでも)は例外なくインプットの量と質もハンパないので、どんな食材がきてもおいしくなっちゃうイイ出汁の入った鍋が、いつでもスタンバイOKって感じでくつくつしてるんだろうなぁ。
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Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 10時間10時間前

マルクトのことをわからないのにイェソドのことがわかるなんて道理はないの。
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Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 10時間10時間前

「木」は下から上へと昇る。このことは日常や物理的研究から開始するということを意味してるのだと思う。すなわち、いまある普通の学問を先に学ぶのが大切だと思います。
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Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 10時間10時間前

物理法則(物理科学)はかみさまとしてわたしが捉えてる存在の物理的、現象世界での側面の研究。だから科学もわたしにとってはかみさまの研究なのです。物理世界はかみさまのもの。創造の結果として生じた世界なのだから部分的にしても関係ないはずもなく。
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Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 10時間10時間前

わたしにとって神様を信じるというのは自然を信じることに他ならないから、もちろん自然法則がいつもきちんと働きますようにという意味でもあるの。さっきの比ゆならば冷蔵庫が壊れませんようにというお祈り。
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Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 10時間10時間前

かみさまを信じたらゼリーだってかたまります。
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Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 10時間10時間前

でも、ときたまいるよね。分量を正しく作って冷蔵庫にいれたプリンやゼリーを本当に固まるのか疑う子供たち。そうやって何度も冷蔵庫をあけるから固まらないのです。(^^;
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Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 10時間10時間前

願って、行動したらいつまでも覚えてはいない。~したから~が起こる、また報酬がもらえるなんて微塵も考えないの。だって神様のなさることを信じてるから、信頼してるからそれについてあれこれ悩んだりはしない。ボールを上に投げて「本当に落ちてくるかしら?」なんて悩む人はいないように。
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Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 10時間10時間前

祈りってそういうものじゃないのかなって思ってる。
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Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 10時間10時間前

善意による行動は神様への手紙みたいなもの。投函して目的を果たしたらそのお手紙は天国へとどくからもう地上とは関係がない。だから忘れちゃうのがいいと思うの。
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Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 10時間10時間前

よいことをしたと思ったら、その瞬間に忘れます。悪いことをしたと思ったら覚えてるのがいいけど。
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Angeliqua@nap masterさんがリツイート
アドラーのことば‏ @adler187027 11時間11時間前

「自分は役立っている」と実感するのに、相手から感謝されることや、ほめられることは不要である。貢献感は「自己満足」でいいのだ。 by アルフレッド・アドラー
#アドラーのことば
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Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 11時間11時間前

知識には責任がともなう。本当にそうだと思うの。少なくとも知恵があるのならその理由ははっきりと理解されると思う。
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Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 11時間11時間前

潮干狩りというのは干潮のときに行うけど、目的が貝ではなくてお魚さんだとしたら干上がってたら意味がない。だから潮の干満をもってそれが善とか悪、吉凶と断じるのは変だよね。つまりそういうことだと思う。
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Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 11時間11時間前

物事のよいか悪いかは人間にとって、個人にとっての問題なの。神様にとってそれは関係がなくて、ただ大きな変化と小さな変化があるだけ。ある意味で波乗りだと思う。
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Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 11時間11時間前

吉凶は表裏だから大きくなればその裏も大きい。小さいのならその裏も小さい感じ。これは波にたとえるとたぶん判りやすいかも? 大潮なら干満が激しいし、小潮なら緩やか。満ち干きは吉凶。そう考えるといいかもね。
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Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 11時間11時間前

木星って腐敗したものもそのまま栄えてしまうからなぁ・・・。適度な火星も必要だったり。
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Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 11時間11時間前

お料理をちょっと手伝ってきた。お友達におうちにとまってるのでゲスト扱いではなかったり。(^^;
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Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 11時間11時間前

RTがのびるのは絵がついてるほうじゃない? いってることは単純で同じでも、たとえ下手でも絵がついてるのならきっと何倍もRTは伸びると思うの。その理由は、想像するのが苦手な人が一定数いることを示してます。
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Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 11時間11時間前

状況判断には強力な想像力が必要なの。論理でどうこうするのは複雑で大規模になってしまうと無理があるし時間がかかる。でも、具体的にイメージできるのなら簡単でもっと早い。
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Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 12時間12時間前

エンタメですることも結局はプレゼンテーションだと思うの。詩で表現したり小説で表現したりもできるけど、やはり挿絵は必要ですし、全体が簡単に見渡せるというのは直接実感させるから説得力はとてもあります。とくにイメージングができないひとには効果抜群なの。
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Angeliqua@nap master‏ @Ripple1975 12時間12時間前

何度も繰り返し教えても理解されない場合、本人はそのことをヴィジュアライズできてないんだと思うの。何をしたら何が起こり、その先にあるのはどういうことなのかを実感しないと行動には移さない。ここでするのはプレゼンテーション能力の発揮で言葉のほうじゃないのです。だからわたしは絵を多用する





「薔薇十字団」 クリストファ・マッキントッシュ 平凡社
「薔薇十字団」 ロラン・エディゴフェル 白水社
「化学の結婚」 ヨハン・アンドレーエ 紀伊国屋書店
「薔薇十字の覚醒」 フランシス・イエイツ 工作舎
「キリスト教神秘主義著作集16」 教文館


例えを省くか検討した結果ここに来たやつ。

ペットボトルにコーヒー豆の成分を抽出した黒くて苦い液体が入っていて
中身が見えないように包装されていて
コーヒーとラベルが貼られているなら、
このコーヒーという名づけは適切。

逆に、ペットボトルと中身が見えないように包装されていて
コーヒーとラベルが貼られているなら、
当然、中身は
コーヒー豆の成分を抽出した黒くて苦い液体が入っていないといけない。
真逆の属性の、
白インゲン豆の成分を抽出した白くて甘い液体が入っていたら
当然
コーヒーという名づけは不適切。

要は、
コーヒーの条件がA,B、C、Dとあるとする。
非A(豆の種類)、反B(色)、反C(味)D(液体は共通)
なら当然コーヒーと呼ぶのは無知か詐欺である。

1785年に『コーヒー』(元祖)なる組織が解体されたとする。
21世紀に『コーヒー』(子孫?)なる組織が存在するという者がいて、
しかもそれは1785年に『コーヒー』に解体された組織の後継者
あるいは解体されたと思われたが実はひそかに存続していたとも主張しているとする。
当然、子孫は元祖の要素を付け継いでいないと『コーヒー』という名づけは不適切になる。
元祖はコーヒー豆、黒くて苦いなのに
子孫(自称)が白インゲン豆、白くて甘いなら
どうみても嘘だろう。
これが支配層の組織なら、『コーヒー』(盾)を名乗ることで、
コーヒー豆、黒くて苦いはたたかせつつ、
白インゲン豆、白くて甘いは擁護する戦略である。



プー閣下風に終えてみよう。




黒幕はキリスト教徒!
もう一声叫ぶ!
イエズス会、カトリック教会、バチカン、反知性主義、オカルト好き、
王政肯定側の支配層の派閥をイルミナティと呼ぶ者は全員、
無知か嘘つき。名前は元ネタに沿っていないと詐欺。
クリスチャンをユダヤと呼ぶ詐欺に気を付けろと言ってもてめーには無駄みたいだな!

お読みくださり感謝いたしますわ!
お読みくださり感謝!カワユイ(^◇^)
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