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読めないニックネーム(再開版)

世の中の不正に憤る私が、善良かもしれない皆様に、有益な情報をお届けします。単に自分が備忘録代わりに使う場合も御座いますが、何卒、ご容赦下さいませ。閲覧多謝。https://twitter.com/kitsuchitsuchi

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名づけの呪術の防衛術は儒教に学べ! 孔子「適切な名前をつけよ」 「人知を超えたものを語るな」「死んだらどうなるか知らない」 世界一使われている名前魔法①教科書『ネーミング全史』『タイトルの魔力』『「名づけ」の精神史』。 



☆かおりのすけ☆‏ @kaorinosuke 7月17日
次々現われる変な雲に名前を付けてしまえば、皆思考停止




わざと間違った名づけの呪術への対策は、
孔子がすでに教えてくれている。
名づけの呪術は、
「人知を超えた確かめられないことの断定」
とセットであることが多い。
こちらも孔子は対策している。

孔子
「必ずや名を正さんか」
「適切な名前をつけよ」

「いまだ生を知らず、焉んぞ死を知らんや」
「死んだらどうなるか知らない」

「怪力乱心を語らず」
「人知を超えたものを語るな」

儒教も無記だし、スピリチュアル否定。

孟子の易姓革命論
「徳を失った王は王の資格を失っているから殺して良い」

孟子「トップがクズなら殺して良い」

支配層が無能だったりクズならぶっ殺してOKな儒教。
血統の断絶ではなく、徳の断絶が易姓革命の根拠。

儒教は両親や君主が間違っていたら子供や臣下が
「あなたは間違っている」って言いなさいって教え。
上に盲従せよという教えだと騙るプロパガンダに惑わされないように。

孔子
「たとえ鞭で打たれようとも親の誤りは正せ」

「三回諫言してもダメなら君主の元を去れ」

ボスが明らかに間違っているなら部下が苦言を呈さないといけないという
諫言も儒教の教義。

適切な名づけ、無記、易姓革命、諫言
を抜いたら儒教カルトであり儒教ではないので注意!
悪政用の万教帰一カルトは上記の悪政を防ぐ教えを抜いているのが特徴。
儒仏の道徳の破壊を実践中の支配層。
せっかく漢字圏に生まれたのだから中国古典を読まないと損だよ!


「儒教は上位者への盲従を説く」との誤解についての解説
https://togetter.com/li/664524
では原文と翻訳のセットで丁寧に解説されている。
一部抜粋。

















脱線しすぎたらまずいので儒教の話は終わり。




支那では名ではなく字(あざな)を用い、字で呼ぶ事が礼儀とされていたようだ。
「名称」は認識対象を固定化する作用を持っている。
我が国でもかつては名前そのものが呪詛の対象になると考えられていたようだ。
正体を言語で明示されると動揺するという心理はかかる言語が持つ機能に依っていると思う。

龍樹やソシュールの知見を持ち出すまでもなく「名称」は人間の認識作用の中で「認識対象」そのものを作り出す機能を持っている。つまり混沌とした対象に分節線を入れる事で「個物」を作り出す。
この作用がある意味人間にとっての「世界」を作り出している。
それだけ「名指し」は強力なのだと言える。


単に名称というラベルと貼りつけるだけで、それに相当する「実体」が存在するかのように思われてくる
(形而上学の構築はまさにこの言語の機能に依る)。
「グローバリスト」に「愛国保守」の名称を付与するとあたかも「愛国保守」であるかのように見えてくる場合がある。
それで多くの人が騙されている。

逆に「グローバリスト」には「グローバリスト」、「売国者」には「売国者」、「工作員」には「工作員」と、
その実態に合致する名称で呼ぶ事が裏権力及びその走狗を打ち倒す第一歩になる。
孔子は子路から政治の基本を問われ「名を正さんか」と述べたが、「政」を「正」にするには「名を正す」事が重要。


「グローバリスト」「多国籍企業の代理人」を「愛国者」「愛国保守」などと偽装する事は「名分」を乱す事。「名を正す」事が先決であろう。
論語子路第十三の三
「子路が曰わく、衛の君、子を待ちて政(まつりごと)を為さば、子将(まさ)に奚(なに)をか先にせん。
子曰わく、必ずや名を正さんか。」

このように儒学では「名を正す」事を重視する。
他方、仏教では唯識で「遍計所執性」と言うが、これは混沌とした対象に分節線を入れて「個物」を分節化し、
その「個物」をあたかも「実体」であるかのように見なす事を指す。
この考えでは「名」そのものが虚妄でありかりそめのものだと見なされている。

「必ずや名を正さんか」とは本当によく言ったものだと思う。憑依型戦術も愛国保守偽装戦術も全て実態とは異なる名称を貼り付ける事でなされている。これが数々の混乱を生み出している。
よって「政」(まつりごと)の基本を「名を正す」事に置いた孔子の考えは極めて理に適っていると思う次第である。

あらゆる「存在」は名称と形態又はそのどちらか片方を持っている。
この「名称と形態」は執着の対象となり人間のあらゆる反応や行動を引き起こす。
反応は「好き」「嫌い」「どちらでもない」が基本。前二者が執着と反応を起こす。
詰まる所人間を操る者は「名称と形態」を操作する。名称と形態に注意。


「存在」は名称と形態(かたち)を持つ。名称のみの「存在」、形態だけで名称が無い「存在」もある。
しかし人間が認識し得る対象である限り「名称」か「形態」は必ず持っている。
名称も形態もなければ存在しないのと同じである。
形態は視覚で捉えられる所謂「形」に限らず五感で認識される対象を含む。

「洗脳対策には認識された対象に気を付ける事が基本」と何度も書いているが
「認識対象に気を付ける」とは「名称と形態に気を付ける」と言い換える事もできる。
人間を操ろうとする者は必ず「名称」(言語)と「形態」(五感の対象)を操作する。
いかに神秘的に偽装してもこのメカニズムの外には出ない。

「形態は視覚で捉えられる所謂「形」に限らず五感で認識される対象を含む」と書いたが、例えばゲシュタルト心理学でいう「ゲシュタルト」という概念がそれである。例えば「さくらさくら」という歌をどの歌手が歌っても「同じ歌」とされるのは声質はそれぞれ異なってもゲシュタルトが同じだからである。







「われわれはさまざまな部分の総和として全体を知覚するのではない。まず全体を知覚し、その全体像のなかで部分を捉える のだ。純粋視覚的に、言い換えれば 知識なしにこの絵を見せられたとき、われわれは直ちにその全体を捉える」(佐々木)。








西洋絵画の場合、タイトルが「〜が〜する」という文の形を採っていても、それは引用句であるという諒解があるようだ。
日本にはエンブレムというジャンルは成立しなかったが、俳句の区切れに慣れ親しんでいるので、純然たる文の形のタイトルにも、それほど違和感はないように思う(素人の感想)。




ことほど左様に絵のタイトルにこだわるのは、ヘームスケルクの件の絵が、
一方では『モーモス、神々の創造物を批判す』といわれ、他方では『神々の創造物を批判するモーモス』と呼ばれているが、タイトルのこの違いは、絵の”読解”に大きな影響を与えるように思うからである。

「ゴッホの作品が彼の生前ほとんど何も題名が付いていなかったのは、その作品が歴史的に語られる対象として昇格していなかったということであり、……ゴッホの作品は、彼にとってはプロセスこそが重要であったとさえいえるのかもしれない」(青木三郎)。



名づけ魔術は応用範囲が広すぎて本一冊でも足りない。
拝金教、デモ教、選挙教、
過労死教、犠牲大好き教も命名の魔法が使われている。
これらのカルトに私は名前を付けることで正体を明確にしている。
誰でも意識せずに少しは使っているのが名づけという魔法技術だ。

 『タイトルの魔力』など名前魔術の教科書となりそうな本の読書メモを多くのせた。
 『タイトルの魔力』は主にタイトルを扱う美学の本でもあり美術史の本でもある。
ブランドのロゴ見せびらかし文化を悪趣味(金を着ている!)って著者が言っていて面白い。
やはり美学者だけあって美に敏感だ。
職人差別と実用品軽視が美学の大前提だとも書いてある。
美学者が悪趣味だと言うと説得力あるなあ。


・真の名前はものの性質を変化させる。
名前は毛髪やへその緒のように魔法の的である。
魂の住所である。

名づけの術者は誰か。レッテルを張り付けるきっかけはどこからか。
術の目的が搾取と支配なら術者を特定したうえで自分で解呪しないといけない。
自分で再び名づけることが有効。再定義。

名前が一つだけなのはまずい。
変えていい役割と変えてはならない自分が混ざってしまう。
役割名を張り付けた者に都合が良い性質の存在こそが自分の中核だと錯覚してしまう。
それは単なる欲や「~には~と反応せよ」
というプログラムであり、自分ではない。
真の名前を自分で作ってしまうのが手っ取り早い。
魔術で魔法名を決めるのは入門時点で行う。
が、この魔法名も身内には共有されているので、まだ不十分。
誰にも教えない名をもう一つ決めておこう。


・イシスもラーにラーの真名を要求した。
イシスはラーに毒を盛り、解毒と引き換えにラーを支配できる彼自身の本当の名前を教えてもらう
ヤハウェが十戒でわざわざ神の名を言うことを咎める理由の元ネタだろう。

・あなたの真の名前を呼ばれれば、あなたは呼ぶ存在が気になり、
呼び声が気になり、その声がするところに行ってみたくなる。これが召喚術の原理。
名前を呼ばれれば返事したくなり、呼んだ存在のもとに行きたくなる。

・実在しないものでも名前さえあれば実在しているかのように錯覚させることができる。
名づけは召喚術であり幻術である。
召喚される場はあなたの心。
その名前をもつもの「そのものではなく」、あなたがその名前に抱いているイメージを召喚する。

・名前は名づけられたものそのものではないのに、それそのものであるかのように振る舞う。
実体視してしまう。ゆえに、名前は呪術の格好の的。

・Xの名前はXとX以外を区別する。名づければ他と区別できる。

・名づけは世界を切り開く。
漠然とした何かを名前という容器に入れて固定して、世界と一体化していた状態から切り離し、
明確に認識できるようにする。
名づけで聖別する。
名づけで聖化する。
名前はその名を持つものへの感情を結晶させる核となる。

・名無しとは人払いの術であり透明化である。
匿名は透明。
名前がわかれば検索できる。調べられる。
だから真の支配層は名前を出さない。
出しても偽名。複数の名前、あまりにありふれていて特定できない名前などを駆使。

・名づけは言語でなされる。
画像ではない。極めて重要。
名づけは命令文。「文」。文章。
名前とは「~として見よ、知覚せよ、反応せよ、解釈せよ」という命令。
ありふれた便器ですらタイトルをつけるという錬金術の呪文により芸術に変えることができる。
名前は解釈を明示、命じ、mage、価値ある唯一存在だと認識させる。

詭弁術のレッテル張りはこの名づけの性質を悪用している。
そういえば名前を画像でもらった人っていないな。

・一番悪質な使われ方がされている名前の呪術が「自分」。

ヤマギシ会所属歴ありで「大本教は研究しない」宣言をした島田裕巳『日本の10大新宗教』(と『整体入門』) - 読めないニックネーム(再開版)
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-164.html
霊友会二代目会長の継成は東京大学のインド哲学科の博士課程を修了したインテリ。
インナートリップ(自分探し)を掲げ若年層をターゲットに布教。
(法華経カルトが和風キリスト教だらけなのは法華経が一神教に改造するのに都合が良い内容だから。
特に日蓮宗系はさらに一神教と親和性が高い。”

(アートマン探し。アートマンは探せない。自分の核だから。
仏教では自分の核=アートマンは実在しないという思想だから「自分なくし」。
霊友会も仏教に偽装したバラモン風耶蘇。
日蓮宗系カルトは中身がヒンドゥー・キリスト教ばかり。
仏教ではない。
本家も分派も同じ設計図で見ていて飽きる。
黒住・天理・金光教の設計図とも似通っているが、
仏教要素の徹底排除という点が違っている)

心理学を学んだかどうかのテストは、知識が増えたことではなく、遭遇する状況の味方や認識の仕方が変わったかどうか。
法則の名前だけ覚えても無意味。
しかし、名前を記憶の鍵にはできる。

(イスラエル軍も採用!
心理学的に最良の面接法を『ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?』で実践しよう。
心理学系。動画も紹介
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-183.html

・プー閣下ブログでは、
創世記ではゴッドは創造しているのではなく名前を付けただけ疑惑を言っていた。

『ノンデザイナーズ・デザインブック』では
「一度名前を言えれば、あなたはそれを意識し支配し操作できる」(要旨)とある。
これはつまり、
「あなたがXを自分で名づければ、Xにつけられた他の名づけ手から影響を脱する、あるいは弱められる」
ということ。
「名付け」とは何か?
突き詰めると実に哲学的な命題だ。
名付けとはカオス=世界を切り取る方法である。
世界をどう認識するか、であり、
名付けにより初めて「それ」は存在するようになる。
旧約のでアダムがどんどん生物に名前を付けていく場面の意味。

fate grand orderおもろセリフまとめ7
”「ソ連」としか認識されなかった国から「ウクライナ」なり
「ベラルーシ」が独立するのとも似ているか?
「グー」か「パンチ」でしかないものが「正拳」になる。
特定部分をピックアップして、注目して、厳密化して
絞り込んで、限定化して・・・そして名付けた。おk?

カミサマの天地創造も「光あれ」から始まった。
そして、私は光は天地創造以前から存在したのでは?
と書いた。だとすると天地創造とは
あれも「名付け」だったりはしないのだろうか?
観測することにより認識し、存在させる行為。
いや、そんな事を言うのなら創世記2章19節に注目だ。

創世記2章19節
そして主なる神は野のすべての獣と、
空のすべての鳥とを土で造り、人のところへ連れてきて、
彼がそれにどんな名をつけるかを見られた。
人が全て生き物に与える名は、その名となるのであった。

全生物に名前を付けたのはニャンゲン様だと書いてある。
あれ・・・?
名付けがカオスから世界を切り出す作業なら・・・。
名付けが天地創造なら・・・。
ニャンゲン様こそが天地創造をしちゃったのか?
それならば第1章と第2章で被造物の順番が違うのもわかる。
というかヤハウェくんは指を咥えて見ているだけでいいのか?”
http://codetripleseven.blogspot.jp/2017/01/fate-grand-order6.html

・名前は分析でも重要。
敵を聖書視点での悪魔の名前にしているのがラピュタ。
ムスカはラテン語でハエ。
しかも王族。
ハエの王=ベルゼブブ=ムスカ。
でムスカは負けるから王に値しないという話。 

・名前それ自体は本体ではない。
本体表面に書かれた、本体の住所だと考えると判りやすい。
本体を仮にボールだとするとボールの表面描かれた名前が住所=本体の居場所。
しかし名前を呼ばれると本体が呼んだ人のもとに行きたくなるし、
名指しで罵倒されると本体自身も傷ついてしまう。
これは自身のイメージが、名前=本体に近づくほどに強くなる。
つまり本名を知られることは非常に危険。
本体=弱点はここですよーって言っているようなものだから。

(なおこれはは人間には本体があることを前提している。
この本体が要素の集合体で仮に存在しているものか、
要素の集合体ではない不滅の何かなのか、
その他なのかは長くなるのでここでは問題にしない。
ちなみに、フェイド大帝さんいわく、
相手が匿名でも術を掛ける方法があるらしい。
恐ろしすぎる。
もしかして、少しでも接点ができると匿名でもかけられる技術があるのか?
名前がわからないが顔は知ってる状況はあまりないだろうからおそらく相手の顔すら知らなくてもかけられるのかもしれない。
この技術は知ってもさすがに本ブログに載せるのを躊躇する。
本ブログのどっかにクマントーンの作り方は載せているけどな!
まああの作り方も藁人形と同じく、効果がないか、弱めるようにかいてあるんだろうけど。
文字情報では失敗あるいは弱い効果しか出ないようにしておいて、
ごく一部だけに口伝で真の方法を教えるようにしているのだろう。
工程をいくつか抜いておいて、抜いたままでも効力はあるが、たいしたことないものにするとか)


・数学で未知数を文字で置くのも名付け。

・名無しの権兵衛も名付け。
名前が判明していないキャラは~子と呼ばれたりする。
ファイアパンチは名前不明キャラが多い。槍マン眼帯ビッチ、覆面バット、パンツ一丁ムキムキ仮面。

・名前と見た目を隠して新しく見せる手口はカルトもよく使う。
この世はホログラムってやつとかね。般若心経の五蘊皆空の四文字で終わってしまうことをべらべらと。
そもそもインド思想では常識だ。紀元前からね。
ニューエイジ、神智学、
スピリチュアル、ニューソート、引き寄せなどは見事にキリスト教のダメなところをきちんと受け継いでいるし。
まっさきに外すべき、人をおかしくする可能性が極めて高い個所は抜くのが良心というものだろう。
逆に欲望の暴走を抑える装置を抜いているから私はカルトだと言っている。
面白いことに、神智学などが混ざっている魔術の技法には欲望を抑える術があったりする。
カルト信者は魔術師になれないからなあ。
言葉も論理もまともに扱えないし、魔境か否か判定しないし、
自分の思想の相対化と自己客観視ができないので魔法日記に偽り書くだろうし。


・吾輩はねここねこである。
名前は複数ある。
本ブログの読者がブラック企業という言葉を軽々しく使うことに驚きを隠せないのである。
英訳すれば単なるイリーガル=違法。
ブラック=違法企業
×ブラック ○違法企業
という言葉を使ってほしい。
強制はできないが、これも悪魔崇拝、ユダヤ、イルミナティと同じくバズワードであり、
中身隠し=名神隠しである。
名前と中身を一致させよ!
不適切な名づけは呪詛であり、
 適切な名づけは呪詛返しだ。
実と異なる名づけは呪いだが、
実に近しい名づけは祝いだ。
呪ってやるには
祝ってやるをぶつけよ!
恐ろしき呪災には
新しき祝福を!
再定義=名づけなおし
こそが解呪の秘訣。

ブラック=違法
企業=カルト
∴ブラック企業=違法カルト=地獄教。

(後述するが、英語学習にも有害である。
吾輩は酒を飲んで死ぬのは御免だ。
元ネタはおそらく題名だけはあなたは知っているが読んだことはないであろう傑作である。
朗読動画をすすめるのである。。
タイトルを私なりに英訳すると、
I am a great cat.
吾輩であるから尊大でなければならない。
翻訳も名付け。)


・アイヌではわざと子供に汚い名前を付けて例が寄り付かないようにする。
タイもそうだ。名前は悪霊の的であり撒餌になってしまうのだ。

西洋魔術も魔法名を定める。坊さんも名前を変える。
昔の日本では坊さんでなくても名前が変わるのが普通。
出家すれば戸籍の名前を法名に変更できる
なお「出家詐欺(しゅっけさぎ)とは、出家すれば戸籍の名前を法名に変更できる仕組みを悪用し、多重債務者を出家させて別人に仕立て上げ、金融機関から住宅ローンをだまし取る詐欺」がある

・名前を利用した効率的記憶術がある。
まずは大まかな分類と名前=記憶タグをはっきりさせる。
次に相違点と共通点を明確にするという記憶術。
復唱や書写による暗記術を、読んで目を閉じて十五秒たってから行うと効果的。

・宣伝文句も名づけと言える。
正確には言葉での解説による幻術。
宣伝文句が書かれた紙きれはお札であり呪術道具。
呪文によく使われる語句を知ることで耐性をつけることができる。
ネットで調べても本屋に行ってもたくさんあるから典型的な宣伝文句は知っておくといい。

・名づけは安心ももたらす。
この大物主を祭ることによって疫病は終息した、とされた記録がある。
死の恐怖に投げ込まれた人々にとって、 正体の確定=「名づけ」の信頼感をもたらす効果は絶大であっただろう。
見えないゆえに神秘化されるとともに恐怖や不安をよびおこすものを、 「見える」ものとする名づけによって恐怖を消去すること名前の重要なはたらきの一つ。

・医療が専門機関のもとに独占され、 学術的と称する病名の体系が制圧しているが、
これも名づけであり、大半の人は中身がわからない。

―――

『ネーミング全史―商品名が主役に躍り出た―』岩永嘉弘(日本経済新聞出版社)


・BRANDという言葉は、牧場の牛や馬に付ける目印のこと。焼きごてで属している牧場を表す烙印。
他の牧場との区別化、アイデンティティの目印がBRAND。
ブランド=イメージの烙印。イメージを心に鮮やかな姿として定着させていく作業。

・ブランディングの種であるネーミングの作り方には、大きく分けて二方向ある。
一つはイメージ的な方向。
 機能や特質やメリットを、意味で表すのではなく、イメージ的かつ記号的な言葉で作り上げる。
「ブルーバード」「セドリック」「クラウン」
「コロナ」などクルマのネーミングに多い。
 特徴を訴えているのではなく、
青い鳥のようだ、小公子のようだ、冠のようだと、視覚的なイメージで例えている。
他と区別する目印的な、記号的な言葉。
 1980年代以前の洗濯機のネーミング、
 「青空」「銀河」「うず潮」
「琵琶湖」......は
「水で綺麗に洗う」という洗濯機の役目のイメージ表現。同じ概念。
言い方を変えて、目印的、記号的に区別している。
その後、「からまん棒」や「最洗ターン」「ななめドラム」など機能をアピールするようになっていく。
ナイキは勝利の女神ニケの英語読みでスポーツと言えば勝利を目指すということを象徴的かつ比喩的に表現。
ロゴは彼女の翼のデザイン化。
イメージブランディングは大規模な商品や施設、半永久的な存続を目指すものにふさわしい。
だから車や大型家電などのグローバル・ブランディングにこの傾向が強い。

・二つ目はイメージとは逆に、特質や機能、理念や思想を言葉として打ち出して他との差別化、区別化のコンセプトを訴求する方向。
メッセージ・ブランディング。
意義や役割を示す。意義が核。

・回文ネーミングはロゴと結婚しやすい
左右対称だと視覚的に強い。
英字でも仮名でも回文なのは偉い。

ラテン語で金はORO.

・孤独をいやす話し言葉ネーミング
都会の購読の空気の中、スーパーやコンビニで買い物をするとき、口をきかなくてすむがやさしさが欲しい人向け。
ネーミングにもブームがある。それは不況後にもたらされ、今まさに、その潮流の中にある。
景気の後退が商品企画の活発化を促す。不況になるとモノが売れなくなり、需要が下降。
そんな中で新需要を掘り起こすには、付加価値を備えた新商品が投入され、それに正比例してネーミングがつけられる。
最近、多いのが「話し言葉」を用いたネーミング。
「ごはんですよ」「これからだ」「あ! あれたべよ」
「お~いお茶」
「ごめんね」「じっくりコトコト」
「お父さんがんばって「甘栗むいちゃいました」
「どんなんでんねん」。
(蠱毒をいやすと最初漢字変換された。間違っていない)

・ネーミングに「。」文章体化。
住む。スゴ録。
モーニング娘。カロリ。
妙に目立つ。
(「、」ならどうか?わざと一部しか書かない漢字とか。でもそれだと文字が打てないな。口と書いてにち(日の一部でわざと止めた)とか。わざと読めなくして読み方を気にさせる手法ならできるかも。
ねここねこって読めないよね!
『なんか名前付けてくれ』
『思いつかない』
『そのうち埋まる』)


・アリババ
世界に発信されるネーミングの条件は
世界中に老若男女にとって
読みやすく
覚えやすく
口に出して呼びやすい
伝えたい意味やイメージを含む。

(四文字)

・マジゲー 検索
の二つの単語だけの広告。
できるだけ覚えやすい検索語でないといけない。

・ネーミング作業表

商品実体の把握
    ↓
マーケティング・
コンセプトの把握
    ↓
ターゲットの分析
    ↓
ネーミング・
アプローチの設定
    ↓
キーワード検索
    ↓
ネーミング作成
    ↓
ネーミング・
チェックポイント検証
    ↓
ネーミングの商標登録



商品実体の把握
じっと観察し、徹底的に観察する。
原料、特性、
技術、産地
栄養価、種類、ダイエット効果、
エネルギー系?、
健康効果、美容効果、
味、色、におい、感触、
液体、固体、気体、□○△。
他と一線を画す点は?
テーマは?
    ↓
マーケティング・
コンセプトの把握
場所、時間、場面
日常、非日常、
目指す舞台は?
他者の競合品?
市場調査。
際立つ作戦。
    ↓
ターゲットの分析
老若男女、既婚、未婚、子供何人。
学生なら小学生中学生高校生大学生。
理系文系、
ホワイトカラーブルーカラー
一戸建て、マンション
金融、IT,
エコ自然回帰、
スポーツ好きか
どんな車が好きか
洋酒か日本酒か
店に並べるか通販か
一人の人物を仮想設定し、
共感と好感を得られるように。
広告はマスコミュニケーションだが、
それを見たり聞いたりするのは一人一人の個人。
マス個ミュニケーション。
「皆さん」ではなく、一人の人「あなた」に語りかける。
コピーは個人に届く言葉であるべし。
    ↓
ネーミング・
アプローチの設定
アプローチ=方向
製法、効用、イメージ、ターゲット、ライフスタイル、
原料、味、場所、時間、栄養価、
電気、排気ガスゼロ、排気は~だけ、
究極のエコロジー、未来の主役
    ↓
キーワード検索
素材探し。
アプローチの一つをイメージ=明るい
とする
明るいを表す言葉を広いジャンルで探す。
漢字、英語、イタリア語、
フランス語(ファッション商品なら特に)、
ラテン語、スポーツ用語、
音楽用語、天文用語、
化学用語、数学用語、
動物名、地名、人名、
神話、IT用語、コンピュータ用語、
和語(かな言葉)、植物、自然現象、
会話語、料理用語、形容詞、
副詞、感嘆詞、

(辞書大活躍。
わざわざ日本人にはわからない人がほとんどの言語、
特にラテン、エスペラント、古代ギリシャ、古代ヘブライ語
や用語でダブル、トリプルミーニング
入れるのって親分へのアピールだよね?)
    

ネーミング作成
①素ネーミング
②足し算ネーミング
③引き算ネーミング
④掛け算ネーミング

①素ネーミング
N=K
※Nはネーミング
※Kはこれまで貯めてきたキーワード
そのままネーミング。加工なし。

②足し算ネーミング
N=K1+K2

③引き算ネーミング
N=K-k(Kの一部)
大事な語幹は切ってはいけない。

④掛け算ネーミング
N=K1×K2
合体。
引き算ネーミング同士の足し算。


レトリック、文体
漢字、語呂合わせ、当て字、略語、
オノマトペ、記号数字、会話語、言葉遊び
    ↓
ネーミング・
チェックポイント検証
情報とイメージが表現されているか?
簡明か?
呼びやすいか?
覚えやすいか?
親しみやすいか?
らしさはあるか?
類似はないか?
音の性格?

母音
項目は左から、
明るさ、強さ、大きさ、格調、
するどさ、やさしさ、知的、情感、
主さ、軽さ、口の形。
◎、○、マークなしの空欄、△、▲の五段階評価。

口の形が一番縦長なのが、あ
一番横長が、い

明るさ◎ あ
強さ◎ お
大きさ◎ お
格調◎ ん
するどさ◎ い
やさしさ◎ う
知的◎ ん
情感◎  え
重さ◎  ん
軽さ◎ い

明るさ▲ え
大きさ▲ う
格調▲ あ
情感▲ あ
重さ▲ う
軽さ▲ ん

明るさ○ ん
強さ○ あ、ん
大きさ○ あ
格調○ い
するどさ○ え
やさしさ○ あ
知的○ い
情感○ う
重さ○ お
軽さ○ え

明るさ△ お
大きさ△ ん
格調△ お
するどさ△ ん
やさしさ△ え
知的△ え
情感△ い
重さ△ あ
軽さ△ う

◎、○、マークなしの空欄、△、▲を
2、1、0、-1、-2として採点。
あ 0点
お3
え0
う-2
い5
ん4


子音
明るさ、強さ、大きさ(広がり)、重さ、
軽さ、鋭さ、やわらかさ、元気、
男性的、女性的


明るさ◎p
強さ◎n
大きさ(広がり)◎w
重さ◎g
軽さ◎f
鋭さ◎z
やわらかさ◎m
元気◎p
男性的◎d,m

明るさ○c,w
強さ○k,t
大きさ(広がり)○n,p
重さ○d,z
軽さ○h,p
鋭さ○g,s
やわらかさ○l,y
元気○c,w
男性的○g,z
女性的○f,r


明るさ△l,r
強さ△c,x
大きさ(広がり)△l,r
重さ△b,v
軽さ△c,q
鋭さ△k,t
やわらかさ△h,q
元気△k,s
男性的△b,j
女性的△h,l

明るさ▲n
強さ▲j
大きさ(広がり)▲y
重さ▲n
軽さ▲s
鋭さ▲x
やわらかさ▲f
元気▲j
男性的▲v
女性的▲y

b-2
c0
d3
f1
g4
h-1
j-5
k-1
l-2
m4
n-1
p6
q-2
r-1
s-2
t0
v-3
w4
y-3
z4

(出典が気になる。
表を読み取った結果を列挙した。
盲信してはいけない。
表ではまず最高と最低、
最大と最小、極端な場所に注目する)
    ↓
ネーミングの商標登録
特許情報を調べ既に商標登録されていないか複数案の時点で調べること。
この表だと、「piぴ」が一番いいことになる。

(有象無象‏ @uzomuzo_21
月外縁軌道統合艦隊名称「アリアンロッド」について。
その固有名詞が用いられたのは登場人物名同様にその言葉に託される心象や象徴は勿論、言葉や音の印象も重要視されているのでは見ている。
遠い昔、はるか彼方の地球系のとある授業で「あ」音と濁音が入る日本人名は印象に残り易いと先生が仰り。

2016年5月11日(水)放送のフジテレビ『ホンマでっか!?TV』「名前で人生は変わるのか!?」でマーケティング評論家牛窪恵氏、認知科学評論家中野信子氏は次の例を紹介:

●始まり「あ」音で途中か最後「ん」の名前は覚えやすい
あ音⇒積極的・明るい印象の音
ん音⇒共感を得やすい音
●男性は濁音を好む
●女性は濁音が入った呼び名を好まない
女性が好む傾向の音 ら⇒柔らかいマイルドな名前
LやRは流音と言われ軽快なイメージで女性は好む傾向が


又リン・ロブソン『イギリスのお嬢様はどんな英語を話すのか』「◆名前で階級がわかる?」で解説さるれ英国人の名前の特徴から

「『鉄血』の世界においても登場人物全てではないがクー、アル、
男性で云えばマク、イズ等の七星始め一部の上流階級には音節数の長い名前が付けられ、
音節数の短い名前はアトラ等、鉄華団や圏外圏側に多い様に見られる気がする。」等以前妄推したが、之等は何れも固有名詞「アリアンロッド」に当嵌まる

北欧神話の名称から多くを採るギャラルホルンにあって精鋭且つ最大規模を誇る月外縁軌道統合艦隊であれば月に関する神話的名称――「月の神」の名が用いられるのは順当であろう。
しかし、何故北欧神話ではなくケルト神話の神の名が選ばれたのか。

その固有名詞が有する心象・象徴と共に前に挙げる音の印象・音節数を照し合せると:
ケルト神話の月女神「アリアンロッド」
1「あ」音が入る:〇
2途中又は最後に「ん」音が入る:〇
3濁音が入る:〇
4「ら」行音が入る:〇
5音節数が長い:〇
・月女神、万物の母(ド・フリース、729)


北欧神話での月の擬人化「マーニ」
1:〇 2:× 3:× 4:× 5:×
・月の擬人化。男性(→「月の男」)

「マーニ」の言葉の長さ・音の印象を見ると「1『あ』音が入る」以外当嵌まらない。
又、固有名詞「マーニ」の心象・象徴を、

「マーニ」→「月の男」→「月曜日」

と関連して見るならば、月外縁軌道統合艦隊(第16話)とモンターク(独「月曜日」)(第18話)の『鉄血』登場は同じ時期コロニー編に重なってしまう。
マーニはモンタークと象意等重なる部分が有、音の印象・音節数も最良とは云えない。結果、制作陣は艦隊名にマーニを採用しなかった様にも見られ

次に艦隊名候補として挙がるのは希神話の「アルテミス」「セレーネー」「ヘカテー」「ポイベー」
羅神話の「ディアーナ」「ルーナ」等、月の女神(擬人化含)かと思われる。
此方も同様に:
アルテミス
1:〇 2:× 3:× 4:〇 5:〇

セレーネー
1:× 2:× 3:× 4:〇 5:×

ヘカテー
1:〇 2:× 3:× 4:× 5:×
ポイベー
1:× 2:× 3:〇 4:× 5:×
ディアーナ
1:〇 2:× 3:〇 4:× 5:×
ルーナ
1:〇 2:× 3:× 4:〇 5:×

「アリアンロッド」に比べると希・羅神話の女神名は一般的知名度は高いかもしれないが、
音の印象・音節数だけで見てみると、大凡「ん」音がない、
濁点が無い、音節数が少ない
等、軍事組織ギャラルホルンの最大艦隊としての強大な印象を植付けさせるには今一つ劣る感が拭えない。

更に注目したいのはその名が有する心象・象徴である。
前掲希羅神話の月女神の多くはその内の一柱アルテミスと同一視される。アルテミスは月神であると同時に貞潔・処女神でもある。
希羅神話の月女神のイメージは、聖女ジャンヌ・ダルクのアナグラムかと考察されるクーデリアを連想させないだろうか

そして奇しくも(モンタークの名が言葉として発せられるように)彼女が「革命の乙女」「独立運動の女神」(第14話)と表されるのは、月外縁軌道統合艦隊「アリアンロッド」(第16話)が登場するのと同じコロニー編。時期が重なるのである。

敵側であるギャラルホルンの最大艦隊に希・羅神話の月の女神の名を当てるのは、相応しくもあり、しかし第1期クーデリアに与えられた使命的役割「革命の乙女」のイメージを若干侵害しかねないようにも見られる。

之等から(もしかするとそれ以外にも(?))制作陣は月外縁軌道統合艦隊の名に貞潔・処女神の心象・象徴性が含まれるのを避けたかったのではなかろうかと見られる。
対してアリアンロッド(アランロド)はミランダ・J・グリーン『ケルト神話・伝説辞典』「マース (Math)」の項で次の様に説明

「次に足を支えようとしたのがアランロドだったがマースの魔法の杖をまたぐという処女試験を受けなければならなかった。哀れにも彼女は失敗し、杖をまたいた瞬間に男の子を2人産み落とした。」(230)

アルテミスを始めとする希・羅神話の純潔の月の女神とは異なる、処女、そして母の象意
――。

総じて、北欧神話でも希・羅神話でもないが、『鉄血』制作陣が月外縁軌道統合艦隊の名に求める、その固有名詞が持つ心象・象徴や音の印象・音節数等ある条件を備え、選ばれたのは、ケルトの月の女神「アリアンロッド」だったのではなかろうか。

アト・ド・フリース、山下主一郎訳者代表『イメージ・シンボル事典』1984年初版、大修館書店、1999年22版、436-39、729頁。
ミランダ・J・グリーン、井村君江監訳『ケルト神話・伝説辞典』東京書籍、2006年、230頁。
https://medievalscotland.org/problem/names/arianrhod.shtml#[1 …]

リン・ロブソン『イギリスのお嬢様はどんな英語を話すのか』明日香出版社、1995年、24頁。
https://twitter.com/uzomuzo_21/status/730805613492502528 …
呉茂一『ギリシア神話』新潮社、1994年、177-94頁。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E7%A5%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7 …

母音で終わる名前は、14%しかありません)。(23)
……。
 下流層は短くした名前が多いようです。
 Fred/Joe/Sid/………

有象無象‏ 19

有象無象さんがにんにんをリツイートしました

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%8B …
https://en.wikipedia.org/wiki/M%C3%A1ni
https://en.wikipedia.org/wiki/Man_in_the_Moon …
https://en.wikipedia.org/wiki/Monday

有象無象さんが追加
にんにん @shinobizato
ガンダムが悪魔の名前なので人名の由来も色々考えていたんだが
クーデリアはジャンヌ・ダルクのアナグラムだと思うのね
で、ジャンヌで連想するのがFateZeroの青髭の旦那…


上記の表だと「m4」なので、
「ママ」「パパ」は音の性質から見てもよい音の連続だと言える。

ーーー
佐々木健一『タイトルの魔力 』

・文学を除いて、およそ芸術鑑賞が教養とみなされることは西洋近代以外はかつてなかったように思われる。
芸術の生産的な活動が教養とみなされることは決して珍しいことではない。
中国の影響下に形成された日本の伝統のなかに顕著に認められる。
詩歌、書物、楽器、文人画、
茶、活花などいずれも貴人、知性人の重要な印だった。
この傾向は西洋ではさほど強くないもののルイ14世期の貴族たちは舞踏をたしなんだし、近代社会の市民たちはクラヴサン(clavecin。チェンバロCembalo)やピアノなどの楽器を演奏することを好んだ。
これにひきかえ、芸術鑑賞に人間形成の上での重要な役割を認めたのは西洋近代の独創であり、
それを理論化したのが美学。

(ミュージアムの思想。博物館思想。見るだけで実践しない)

・美術品につくプレートは近代になって生み出された教養のための補助手段だった。
高階氏は、19世紀中ごろにおける美術の下層市民層への浸透を説明する中で、
彼らが訪れるようになった当時の美術館には作者名やタイトルを記したプレートが備えられていなかったことを指摘。


・プレッサー『書物の本』の論述を要約。
石碑や粘土板を除くなら、西洋文化圏における書籍の最初の形はパピルスの巻物。
最古のものは紀元前2900年頃のもので、
パピルスが羊皮紙に変わるのは1世紀。
パピルスはそれでも11世紀まで使われ続けた。
羊皮紙になって 本は冊子(ラテン語でcodex)の形をとりうるようになり、
4世紀以後は完全に書物の形。
古代のパピルスの一巻は平均して6~7m。
 伝説に名高いアレクサンドリア図書館は、紀元前47年の火災で大被害を受けたがそのころ70万巻の書籍を所蔵していた。
巻物にはそれぞれ小さなカードがつけられていた。
内容を見分けるための
手立てで、「ティトゥルスtitulus」と呼ばれ、タイトルの語源となった。
このティトゥルスに何が書かれていたのかプレッサーは明記していないが、別の個所で次のような指摘をしている。
すなわち、古代のパピルスの巻物にはタイトルが書かれていなかったが、そのかわり、カタログには著者の名前とテクストの最初の言葉が記載されていた。この2つが著作を同定する基本的な情報だった。
ティトゥルスにも同じ2つの情報が書かれていたのだろうか。
冒頭の言葉を以って著作を同定するやり方は珍しいものでは無い。その典型がオペラのアリアの呼び名。タイトルを持っていないので便宜上とられた呼称。個々のアリアにタイトルがない。タイトルのない短い詩や民謡などの呼称としても普通に使われている。書き出しをタイトルにするのをインチピットという。

(ヤソ異端派はアレクサンドリア図書館を耶蘇正統派が燃やして襲撃したことが本当に許せないらしい。十字軍、魔女狩り、カタリ派虐殺などグノーシス狩り、異端審問も許せないらしい。
仏教寄りの私でも許せないけど。悪逆非道すぎる)

・“名は体を要求する”p.29

なまえを知りたいという欲求は、花の名の場合、その花の正体を突き止めたいという欲求として理解できるかもしれない。
しかしその正体とは実はなまえなのである。
花の名なら名称がわかれば分布や開花時期、文化史などを調べられる。
しかし少なくともわたくしの場合はそのように勤勉な知識欲であることはまれでひたすら名を知りたい、ということが多い。
見染めた隣のクラスの異性や、魅了された芸術作品の場合ならその正体のなかでも最も重要な特徴は既に知っていて、だからこそその名を知りたいと思っている。
アイデンティティはこの上なく明らかにとらえられている。
その上になぜなまえが求められるのだろうか。
わたくしが可能な説明は一つしかない。
なまえがこのあふれるばかりのアイデンティティの知にかたちを与え、いわば聖化する、ということである。
恋人の名前は恋愛感情を結晶させる核となる。
どれほどありふれた名前でもよい。その名がこの結晶作用に著しくそぐわないならふさわしい愛称が作りだされるだろう。
愛称は恋人のすべての美質と結びつき、彼もしくは彼女だけの特殊ななまえとなる。
特殊性あるいは個別性は実在性の証。
なまえは記号というよりも一つの独特な「もの」である。

・あやかりの縁
(あやかる
=好ましい状態にある人の影響が及び自分も同じような状態になる)

あやかりの典型はパトロン、すなわち守護聖人とか保護聖人とか呼ばれるもののなかに見られる。

個人の洗礼名の習慣は初期キリスト教時代から存在したものの、一般化したのは16世紀以後のことらしい。

両親や代父母の名が与えられるケースには、日本でも見られる、親の一字を与える慣習と同じ考え方がうかがわれる。
同じ名前を持つことで特別のきずなが作られる。
違うのは、洗礼名なら両親や代父母のなまえが子供に与えられるといっても、その両親や代父母自信の名が、既にある聖人のなまえからとられていることである。
そこでなまえの作りだす絆は比較にならないほどの奥行きと広がりを持つ。
我が国の慣行ではせいぜい父と子、一家のなかでの絆。勝手にある有名人にあやかる場合にも二人の個人間の一方的な思いなしの絆であるにすぎな。
ところが洗礼名なら、聖人を中心にして同じ名を持つ多くの人々の間に絆が広がっているように思われる。その聖人は保護の聖人と呼ばれその名を持つ信者たちのために神様にとりなしてくれる(これを代願intercessionと言う)。
ただ名前を同じくするという縁によってそこに産み出される、あるいはそうみなされている絆である。
この場合の聖人はひたすら敬虔と敬神のひととして考えられていて特別な個性のようなものは考えられていないらしい。

ギルドなどの団体も保護聖人にあやかった名前にすることがある。

・なまえが絆を創りだす。
霊名の聖人のある意味で脱個性的なキリスト教的絆にせよ、
あるいは偉人にちなんだ名の個人的な絆にせよ、
そこにはなまえが絆を創りだすという考えがうかがわれる。
それはなまえの魔力の一端である。
それは論理的な思考ではない。むしろほとんど呪術である。


フレイザーは呪術の原理として類似と接触に二つをあげた。
類似は類似を生み、結果はその原因に似る。
かつて多大に接触していたものは物理的な接触がやんだ後までもなお、空間を隔てて相互的作用を継続する。
第一の原理に依るのはホメオパシーの呪術もしくは模倣の呪術と呼ばれ、
例えば人形をつくりその心臓部に釘を打ち込んで敵を殺そうとする。

第二の接触原理に依るのは感染呪術と呼ばれ、へその緒をきちんと保存しておかないとその子に不幸が起こると信じたり毛髪の一部を持っていることでその相手に意志を通じさせることができると信じたりする例がある。
なまえは類似を作りだすと考えてもよい。
あるいはなまえはへその緒や毛髪のようなものと考える方が正確かもしれない。
いずれにせよそれは関係を確認するだけの記号ではなく、ものの性質を変化させる
(それをキリスト教では実体変化transubstantiationと呼ぶ)
力なのである。

本名と別号
本当のなまえで呼ぶことを避けようとする風習がある。
中国人の名前には幼名、本名、あざな(字)、おくりな(諡)、別号の五つがあった。
幼名は家族が用いる呼び名、
おくりなは生前の功績に応じて死後朝廷から贈られる名誉の称号、
別号は雅号であり文人が自ら名乗る名、
本名はいみな(諱)すなわち忌み名と呼ばれ本人が用いるほかは家のなかでも父母や尊属の家族だけが、社会的には君主のみが呼称となしうるもので、そのために一般的な呼称としてあざなが用いられた。
あざなは本名を呼ぶことを避けるための方便であり、
あくまで本名と意味的に関係のある名が用意されていた。


・本名は当人の人格ペルソンヌを表わす名なのに対して、
別号(ペンネームや芸名、社長など社会的地位の名、商家の屋号など)は社会的役割ペルソナージュ
と結びつけられている。
実体か役割かの違い。

(名前が一つだけなのはまずい。
変えていい役割と変えてはならない自分が混ざってしまう)

・忌み名の慣習は中国のみならず、世界中に相当広く見られる現象らしい。
アメリカ・インディアン(原文ママ。ネイティブアメリカンという呼称も失礼だと思うけど)
の一部族であるホピ族も同じ風習。
彼らの中で新生児の名はその子の魂とともにその子の目に見えない守護霊を表わす。
真の名は秘密の名であり、ひとに教えることはもとより、尋ねても尋ねられてもならない名である。かつては日常的に仇名が使われていた。
タブーとしてのなまえで最も有名なのはヤハウェ、あらんとしてあるもの。
十戒の三番目でみだりに名を唱えることを禁じているのは、
人が自分のために神を用いることを禁じるため、
つまり名を勝手に唱えることは神自身を意のままにすることとみられるほどに、
なまえは実体と一つ。
名前は対象に実体性を与える。
タイトルは作品を聖化する。

(本当の名前を隠す文化
https://matome.naver.jp/odai/2146336941949006601

イシスもラーにラーの真名を要求した。
イシスはラーに毒を盛り、解毒と引き換えにラーを支配できる彼自身の本当の名前を教えてもらう)

・事物に語彙を与えることは一種の名づけ。
語彙は名づけの結果であり、われわれの経験範囲のことではない。

・今の慣行では生まれた子供に名前を付けるのは普通は親であり親の独占的な権利とみられている。
他の人に命名してもらうにしても親の権利の範囲内。
これは作品にタイトルを与える権利は作者にだけあるというのと同じ関係で、一種絶対的な支配関係と見ることができる。
何をしてもよいような関係という意味ではない。
これは自然な関係とみてよいが、
文化的な慣習に基づくものがある。
そこでは支配関係が明瞭。
上から下へ、低異形的なのは、君主と家臣、師匠と弟子。

(偏諱(へんき)=上の立場の存在の名前から一字をいただくこと、
の例に、上杉謙信が将軍義輝(よしてる)の名の一字をいただいて輝虎(てるとら)と名乗ったことがあげられる。)

徳川秀忠は秀の字を豊臣秀吉より受けている。
これが徳川からの支配関係の確認であることは秀に忠の字をあわせたところにはっきりと示されている。
秀忠とは秀吉に対して忠誠を誓ったという意味。
子供の名づけをコピーライターに依頼することはまずない。
親が、尊敬している人に依頼することはある。
親の名前の一部を子供に与えることがある。
字を貰うことがなくとも名付けることそのものが保護と庇護の関係を作りだす。
親の心のうちには、キリスト教の洗礼における代父母(洗礼を受ける人に付き添い信仰生活に導く信者)
と同様、その子の人生のさまざまな機会に、名づけ親が後ろ盾になってくれることを期待する気持ちがあって当然。

雅号は自称ではなく師匠から与えられる。
師匠から与えられた号が気に入らないから別の名を名乗るなら破門につかなるような反逆行為だとみられるだろう。
逆に言えば師匠がどれくらい号の命名権を握っているかはその組織の固さを計る目安ともなりうる。
臣下が主君に、弟子が師匠に名を献上することはありえない。
人に与えられるのが号ならば、
道具や品に与えらえるのは銘。
作者や茶器における窯元の名が、作物に書き込まれ刻み込まれていればそれも銘。
サインに似ている。

とくにその道具や品に対して与えられた名も銘。
タイトルに似ている。

サインにも一定の資格が要求される。
利休のような並ぶ者のいない達人ならば彼が銘をつけただけでその道具は格別に価値を増す。
それどころか、彼の手を経ただけで、道具は高値で取引された。(この「道具ころがし」はかれに死罪が下される理由の一つとされた)


(聖遺物現象。

鑑定も呪術であり錬金術。
超安値で仕入れて、高額に鑑定させて売れば大儲けできるな。

アイボリー‏ @mrunsmily 2014年6月13日
お宝鑑定団は、鑑定家達の魔術を披露する番組という様にもとれる

子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側‏ @kitsuchitsuchi 2014年8月27日
返信先: @mrunsmilyさん
価値を与えるマジック(魔術+呪術)
①鑑定。支配者が持つ資産=芸術品の価値を上げる。

②信用創造。持っていないお金(無)を貸し付け、返せと要求する、原罪と同じ原理の錬金術。
葉っぱをお金に変える狐(稲荷大社=和風キリスト教の神道詐欺師)に化鹿される話は真実。 @mrunsmily

アイボリー‏ @mrunsmily 2014年8月27日
返信先: @kitsuchitsuchiさん
@kitsuchitsuchi どうもこんばんわ。鑑定家の魔術の内容、そちらの記述で合ってると思います。鑑定士は皆錬金術師でしょうね~。

子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側‏ @kitsuchitsuchi 2014年8月28日
返信先: @mrunsmilyさん
@mrunsmily 蓄銭叙位令の目的は流通を促す為という説明は一面的。
真の目的は財源=現物確保。物々交換=等価交換が嫌で一方的に財産が欲しい朝廷は、
金属片を貯めれば位が得られるようにする。等価交換ではないと理解していた人々にはあまり効果なし。朝廷も金融詐欺で財産を奪おうと画策。

kS‏ @Jd805 2014年8月27日
返信先: @kitsuchitsuchiさん
@kitsuchitsuchi @mrunsmily 神道詐欺というと、戦前からあったとされる稲荷系神社は全て嘘なんでしょうか?

子子子子子@黒住も金光も天理も世界連邦側‏ @kitsuchitsuchi 2014年8月28日
返信先: @Jd805さん
@Jd805 @mrunsmily 神社が天皇を動かしたのは嘘。
愛染寺が伏見稲荷大社の社殿造営や修復、勧進、出開帳を管理した。
仏教徒の天皇と本地垂迹説=仏教圧倒的優位、門跡寺院はあるが門跡神社はないことを隠す為に、神道=和風耶蘇教の儲のガーター勲章持ち偽天皇をクリスチャンが捏造。)

・作品に残された名はすぐれた質の証でもあれば、そのような自負のあかしともなる。
狂言の『膏薬煉り』(こうやくねり)には
「かほどの膏薬に銘がなうては成るまい、銘をとらせう」
の一句がある。
傑作は名を要求する。
なぜなら名が傑作に対して真に傑作であるという公然たる資格を付与するから。
作品の価値と名のいずれが先であるか、にわかに断定できないような相関関係がそこにある。
それほどに、名は名づけられたものと実体を一にしている。

・doctor in name は名目だけの、名ばかりの医者。
in the name of だと名を特定していて、 ~の名において という権威ある名前。

・なまえが商品化するのは資本主義の産み出す歪みに相違ない。
商品名に求められる効果は、商品の性質を正確に説明し表現する(実に従う)よりも、
むしろ消費者が求めるイメージを与える(実を作る)。

・銘はパッケージに書き込まれなくてはならない。
しかも消えないように。消えないことは固い結びつきの条件。名前を消そうとすればパッケージが壊れてしまうほどでなくてはならない。簡単に切り離せるなら名前の軽さを印象づけるだけでなく商品がそのような名前にしか値しないものだとつまりさほどのものではないことを告白してしまうことになる。
紙に商品名を印刷して缶に巻き付けると、商品名を缶詰に直接印刷したものよりも安っぽい印象を与える。

・商標は固有のパッケージに一体化する形で書き込まれる。
スカーフやネクタイ、バックルやハンドバッグの留め金などにロゴマークが直接デザインされていることはよく知られている。
女性たちはこのようなスカーフを身に着けるときロゴが人目につくように工夫しているらしい。
このような着こなしは、わたくしなどにはお金を着ているようで悪趣味に見えるのだが、そんな感じ方は古い。
それは相当に一般化した消費形態で洒落て見えるほどに市民権を得たものらしい。
(著者である佐々木健一 (美学者)の感覚のほうがまとも。
見せびらかし文化は西洋の悪しき風習。お金を着ているって表現がうまい。
悪趣味だよね)


・アクセサリーもガラス器(花瓶、電気スタンドなど)も実用品とみなされ、芸術品とは厳格に区別されてきた。
18世紀中葉に確立した近代的な芸術概念が、精神性の主張に立脚するもので、実用品の生産に関わる職人仕事(クラフト)との差別を大前提としていたことは、美学史のイロハに属する。

作者のなまえがその精神的個性と結びついている以上、サインは芸術品にこそふさわしい。
対して、精神性と無縁の実用品にサインすることは考えられもしなかったことだった。
芸術と職人仕事との区別は、美学的という以上に社会学的なイデオロギーによる区別。
だがそれとは別に生活者が実践する区別もある。
陶器のような実用品であってもそこには美的な面があり、ときには美的な契機が実用性を圧倒するくりあに強いこともある。
そのような美的要求を抱いた職人もいたし、使用者もいた。
そのとき、それほどに高度の品質を保証する銘として、故人としての作者のサインではないにしてもその産地(マイセンやデルフトなど)や工房のマークが、製品に記された。これはロゴマークの原型とみることができよう。

(西洋芸術の歴史で、実用品は芸術ではなく、職人が差別されていたのは超基礎知識らしい。
壺や刀とかも芸術品ではなかったのだろう)


・利休の手を経ただけで道具は価値を増した。名を与えることは上が下に与える名誉。
勝を付与できるのは名づけが呪術的な性質を帯びた行為であることを証している。
古い箱書が尊重されるのは名づけの呪術的な性格とそれに結びついた権威、呪術師的な力を持つものとして認められた上の者の認知に基づいてのこと。
鑑定の科学性を重んずるとき、名づけの呪術性は否定される。
その科学的な風土の中で箱のすり替えのようなことが考えらえるはずのないことは理の当然と言うべきであろう。
(呼び名が変わっただけじゃん。鑑定だと新たに名付けただけ。手法が変わっただけ。

より数値と数字と論理と整合性と再現性と反証可能性を重んずる科学という新たな派閥が宗教から分かれただけ)


・タイトルがあるべき場所に画像を置いてもタイトルとは知覚されない。
タイトルの場所はタイトルが言語で与えられるという条件と一つになって機能している。
言語であることが制度としてのタイトルの一部分となっている。
画像でタイトルを与えようとするならば何らかの形での断り書きが不可欠。画像タイトルをもつ小説が出たとしよう。出版社は広告を打てない。タイトルを画像で示しても誰もタイトルだと思わない。断り書きが必要。
次に読者も小売店も注文を伝えることができない。例外的な一点ならあの絵をタイトルにしている小説という記述で同定できる。しかし、数が増えれば手に負えない。
そもそもタイトルは他から区別する必要から生まれた。
この第一条件においてタイトルは言語によることが含意されていた。
オペラのアリアのインチピットに冒頭の音符ではなく歌詞が使われるのは当然。
画像タイトルの不便さはまだまだ続く。上手く入手できても語れない。感想を記せないし議論もできない。
たしかにだれだれの新作やこの作品というような代用表現は可能だがそれも最初に作品を特定するのに成功した上での話である。

(ヴィトゲンシュタインの、
言語は語る(スピーチ)で、
像≒絵は示す(ショウ)という対比を思い出す)

・芸術批評の最も重要な役割は作品の見所、意味のありかを教えることである。
知覚するのは観賞者だが批評家は知覚を導く。
『イカロスの墜落』(タイトルを言われなければ主題がわからないほどにイカロスが目立たない)というタイトルは
《この画面を「イカロスの墜落」として見よ》
と命令する。
命令がきつすぎるなら推奨でも勧告でも示唆でもよい。
タイトルとは「として見る」ことの命令。

・デュシャンは既製の小便器を逆さまに置き、『泉』というタイトルを名付けた。
展覧会への出品を拒絶されたとき彼が書いた抗議文がある。その趣旨はたといそれが物体としては既製品であってもタイトルをつけ、見るべきものとして呈示されるとき、芸術品の資格をうるということである。
タイトルとは既製品(レディ・メイド)を藝術に変える錬金術の呪文のようなものだ。



”◇ 『平成三年五月二日、後天性免疫不全症候群にて急逝された明寺伸彦博士、並びに』 というのは、石黒達男の小説につけられたタイトルである。書き出しの文句をタイトルにしたものは、「インチピット incipit」(「~と始まる」 という意味のラテン語)と言い、オペラのアリアの呼び名に見られる馴染みのものだが、
佐々木健一 『タイトルの魔力』 (中公新書, p.26)

◆ ラテン語というのであれば、あるいは 「インキピット」 というべきかもしれなくて、

◇ 中世写本の冒頭は、ラテン語の incipit という言葉で始まりました。incipit ... は英語では here begins ... と訳され、「ここに・・・が始まる」 という意味になります。この文章をインキピットと呼びます。
www.ndl.go.jp/incunabula/glossary/glo_02.html”
http://www.saturniancafe.com/?http://memo.saturniancafe.com/archives/2006/04/13_2326.php

タイトルだけでクリックさせる ~タイトルの”修辞学”~
http://www.web-consultants.jp/management_column/956/
” このような版元の意識にあるのは、一〇〇パーセント商品としての書籍であって、内容の思想性や藝術性は、商品の価値を尺度としてしか考えられない。タイトルのように、著者の表現行為と商品としてのネーミングが衝突する場所では、商品としてのあり方が優先されなければならないことは言うまでもない、というわけである。

/『タイトルの魔力』(佐々木健一著)


ミュージアムに足を運ぶとまず目に入るのが作品ですが、同時に作品の横に掲示されているプレートが目に飛び込んできます。プレートには作品名、作品の描かれた年、作者名、作者生没、または作品紹介がされているものもあります。皆さんはミュージアムで作品を鑑賞する際、作品とプレートとどちらを先に見ますか? 冒頭でご紹介している『タイトルの魔力』の中で著者の佐々木健一氏は、作品から見る人を「審美派」、プレートから見る人を「教養派」と呼んで区別しています。

cf. 「タイトル」の語源について

伝説に名高いアレクサンドリアの図書館は、紀元前四七年の火災で大被害を受けたが、その頃七〇万巻の書籍を所蔵していた。そのそれぞれの巻物には、小さなカードが付けられていた。内容を見分けるための手だてで、これが「ティトゥルス(titulus)」と呼ばれた。タイトルという語の起源である。

/『タイトルの魔力』(佐々木健一著)

こういった画家たちの試みは、文章作品に例えるとある種の「レトリック(修辞学)」のようにも思えてきます。”


ななめの‏ @nanamenon 2016年11月18日
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AB%E3%81%AE%E9%AD%94%E5%8A%9B%E2%80%95%E4%BD%9C%E5%93%81%E3%83%BB%E4%BA%BA%E5%90%8D%E3%83%BB%E5%95%86%E5%93%81%E3%81%AE%E3%81%AA%E3%81%BE%E3%81%88%E5%AD%A6-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E4%BD%90%E3%80%85%E6%9C%A8-%E5%81%A5%E4%B8%80/dp/4121016130 …自分にタイトルセンスが決定的に欠けているのでとりあえず一章だけ読んだのだけれど、
経験→抽象→パラフレーズとしての経験と論を展開するのでわかりやすいのと同時にすっと自然と引き込まれる文章になってて呆然としている。

論はまず、美術館での鑑賞態度を二分して説く。《教養派》はまずプレートを見てから絵画を鑑賞する。反対に《審美派》はかたくなにそれを見ず、ただ絵のみを見る。しかし後者の態度をつゆを僅かにしかつけない蕎麦通の「たっぷりたれをつけて蕎麦が食いてえ」のやせ我慢になぞらえる洒脱さ。うめえ。

著者の佐々木氏は美学のめっちゃ偉い人らしいんだけど、アマゾンでほかの著作みたら美学辞典やら論文の書き方本やらサントリー学藝賞受賞作やらとあってそりゃ文章うまい人だわと納得する。この人の書く、すっと引き込んみつつ、ちゃんと理解させるべき要素はしっかりあたえる文章を見習いたいんだゾ

タイトル
http://rabocchi.blog52.fc2.com/blog-entry-319.html
” 佐々木健一『タイトルの魔力』より

 最後に、マリリン・モンローの名言とともに有名となった「シャネルの五番(Chanel No.5)」を挙げよう。名称としては素っ気ないものだが、その素っ気なさは、音楽作品の作品番号やある種のモダニズムの絵画のタイトル(『コンポジション第一番』のような)を思わせるところがあり、香水の作品化という効果を伴っている P71「第四章 名づけとネーミング」

 他に「カルヴァン・クライン一番」の意味である「C.K.1」なども同様の例として挙げながら、これらを受けて次のように述べられます。

 佐々木健一『タイトルの魔力』より

 最後の例に見られるように、一度ある名が定着すると、その名は「香水らしい名前」となり、同じスタイルのネーミングを可能にする。そこで、以上に挙げたものは、「香水らしさ」のレパートリーということになる。重要なことは、これらの名称のなかに「らしさ」はあっても、個性はない、ということだ。これらのスタイルに則っているならば、われわれは名前からそれが香水の名称であろうことを推測することはできる。しかし、個々の名の違いだけから香水としての差異を想像することは難しい。 P72”

無題
http://rabocchi.blog52.fc2.com/blog-entry-343.html
” 佐々木健一『タイトルの魔力』より

「無題」にも、現実には二種類のものがあり、作者がタイトルづけを拒んで『無題』とした場合と、タイトルが知られていないために「無題」として展示されている場合がある。 P196「第一〇章 タイトルの言語学」

 無題にも、「無題」とつけられた無題と、普通に題がない無題といろいろあるということのようで、そのあたりに前回の話とつながるものを感じたのでした。

 それはさておき無題の話ですが、上記引用に続いて、二種類の無題のうち後者のケースの例として、『無題(ヴァージニア風景)』として展示されていた油絵を紹介されています。これは、作者がタイトルをつけなかったけれど、描かれているのは「ヴァージニア風景」と特定できる、そんな絵に展示の際つけられていたタイトルということです。そして、

 佐々木健一『タイトルの魔力』より

昔の、タイトルをつける習慣のなかった時代の作品には、例外なしにタイトルがつけられている。その時期のものであったなら、この絵は間違いなく『ヴァージニア風景』と名づけられていたに相違ない。したがって、作者がタイトルをつけなかった作品が「無題」として展示されるということは、タイトルが制度として確立している時代に特有の現象なのである。だから、「無題」の作品を洗いだすことができるならば、タイトルが制度として認識されるようになった時期を特定することができる、と期待できるだろう。調べたわけではないが、それは殆ど二〇世紀の現象のように思われる。 P197


 無題にもいろいろあるということが、「タイトルが制度として確立している」か否かという制度の問題と関係することや、どうやら二〇世紀の現象であるらしいこと、などがとりわけ興味深く思われました。”

あの男が帰ってくる
http://rabocchi.blog52.fc2.com/blog-entry-362.html
” 佐々木健一『タイトルの魔力』より

 タイトルの果たすこの知覚の方向づけは、ヴィットゲンシュタインの知覚論によって、非常によく説明される。われわれはタイトルを知る前と後で、画面が全く異なって見えることを経験した。そのような見え方を指して、ヴィットゲンシュタインは「アスペクト」と呼ぶ〈訳者の藤本隆志氏はこれを「風景相(アスペクト)」と訳している〉。 P247、風景相(アスペクト)のところのアスペクトは原文ルビ


 ということで、ゲシュタルト心理学の反転図形の話とかになって、ただの三角形にしても物体とか幾何学図形とか矢印とか平行四辺形の半分とかいろいろに見えるというウィトゲンシュタインの文章の引用に続いて、冒頭の引用部になります。この後、タイトルが芸術作品の見方を示している例として「赤と黒」とかデュシャンの「泉」などが挙げられたりしています。




として見る話
http://rabocchi.blog52.fc2.com/blog-entry-1066.html
”「父ピーテル・ブリューゲルの『イカロスの墜落』」という絵があって一見普通の風景画だが海の中に墜落したイカロスの足が小さく描かれている、これをタイトルを知らせずに学生などに見せるとその絵の主題を知らない場合はその足らしきものが見えても気に留めることはないが、タイトルを知らされると画面全体の知覚が変化することになる、そういうことを説明するのにヴィットゲンシュタインの知覚論が有用で、タイトルによって見え方が変化するようなそんな見え方のことを彼はアスペクト・風景相と呼び、ゲシュタルト心理学の反転図形、アヒルに見えたりウサギに見えたりというそんな図形などを例に挙げながら風景相について論じていく、と大体こんな感じでそこをどう論じたのかということもいろいろ書いてあるのかもしれませんがまあそういう風な話が展開されているところです。そういうところで、例えば単純な三角形でも、三角形の穴とか矢印とか平行四辺形の半分とかいろいろなように見ることができる、といった話に続けて次のように述べられるのでした。かつての記事からコピペします。

 佐々木健一『タイトルの魔力』より

 一つの三角形がこれらさまざまの風景相のものとして見られる。ひらめきの風景相の知覚は、そのものを何か「として見る(seeing as)」ことなのである。このような「風景相の変換」は、決して恣意的なものではない。あくまで対象の「体制(Organization)」に基いている。だからこそ、ヴィットゲンシュタインは、これを解釈というよりも知覚の問題とみなすのである。 P249「第一二章 理論としてのタイトル」”

時機に後れて提出したブログ 佐々木健一『タイトルの魔力 作品・人名・商品のなまえ学』(中公新書1613)
http://rabocchi.blog52.fc2.com/blog-entry-320.html


コンセプトと連想力(3)
http://blog.proconcept.co.jp/?p=4788
”タイトルは作品の一部なのか、作品の一部ではなく単なるインデックスなのか、作品ではないが別物でもない関係の内にある何かなのか……というような捉え方がありえます。タイトルと作品の関係には一筋縄ではいかない命題が潜んでいるのです。佐々木健一著『タイトルの魔力――作品・人名・商品のなまえ学』に、絵画の鑑賞に関しておもしろい視点があります。

教養派とは、絵を見るよりも早く、真先にプレートをのぞき込み、誰が画いた何という絵なのか確かめる。(……)プレートから得られるこれらの知識が、その絵を理解し観賞する上で不可欠のものと考えているからに相違ない。それに対して、審美派は次のようにふるまう。かれ/彼女はプレートには目もくれない。静かに絵だけを見つめ続ける。そして次の絵に移ってゆく。”

「解説」という訳語が美術館への誤解の始まり、かも | arts marketing
http://artsmarketing.jp/archives/1297
”突然だけど、絵とかダンスとか言葉が伴わないものをみるとき、「自分の心で感じろ」みたいなことを言われたことがないだろうか。そして、「だから、解説なんか読むな」「知識をいれて見るな」って。(それは、小説や映画とかでも一緒かな?)

佐々木健一『タイトルの魔力』では、美術館で作品と対峙した時にとるパターンを「タイトル等が書いてあるプレートをしっかりと読む=教養派」と「タイトルのプレートをわざわざ読まずに作品のみみる=審美派」にわけていたりするのだけど、(で、両方とも同じ前提――”芸術とは教養である”――から生まれている行動であって、差はないのだけど)”タイトル”ではなく、作品に伴う”解説”に対しても「教養派」か「審美派」かははっきりと分かれており、さらに言えばなんとなーく、暗黙の了解?として「審美派」を推奨されて、、というかそっちの方が「わかってる」感じに思われているような気がする。実際、私も長い間そんな意識があった。

でも、今、私は大学院の方では、美術館におけるモバイル・メディアの現代的意義というのを修論のテーマにしているのだけど、切り口としてはまさに「美術館にとって解説とは何か」「美術館におけるコミュニケーションとは何か」というところに行っている。そんでもって、ちょっと意外だったのは、欧米の大型美術館、特に現代美術館をいろいろと調べているとすぐにわかるのだが、美術館における「解説」って(もちろん館によりけりだが)すごく重要視されていて、「interpretation=解説」の専門部署があったり、専門キュレーターがいたり、私が重点的に調べているテート・モダンとか「解説はギャラリーのミッションの中心にある」なんて公式に言い切っている。それぞれの美術館で「解説戦略(interpretation strategy)」というものを持っていたりするのだ。”

佐々木健一『タイトルの魔力』 | はーみろぐ - ヤプログ!
http://yaplog.jp/hermie/archive/93
”悲劇作品は主人公の名前がタイトルになって、喜劇では出来事、テーマ、人物のポジションがタイトルになるのが伝統的らしい。前者は例えば、『オイディプス王』『ハムレット』、後者は『女の平和』『間違いの喜劇』『ヴェニスの商人』。なるほどなーって感じですよね!
この本、ソシュールやパースの記号学の知識がないと少し難解かもしれません。私もちゃんとはやったことないのでちょこちょこ悩みつつ、調べつつ。
人名の話も面白かったです。日本にはない、聖人の名の下に繋がるって発想とか。
あとは、タイトルの意味を感じさせるイカロスの絵画の話。タイトルを隠されたらイカロスの絵だって気付かない。タイトルによるコントロールのお話。音楽作品もタイトルを聞いてからと知らないときでは受ける印象が違う。どちらが良いのか、きっと正解はないけど、考えることに意義がある。
最近の話は、あえて『無題』って付けるタイトルも興味深かったです。
普段あんまり意識しないけど名付けの威力ってすごい。そういえば命名による支配って話も授業でやったなあ。星の名前ってシェイクスピア多くて、コーデリアとかオフィーリアとかあったはず。”




『増補「名づけ」の精神史』

民俗学にある事例に、
特定の聖地を「ナシラズ」といい、特定の神木を「ナナシノキ」と呼ぶ習俗がある。
畏怖が日常的な名前の世界からの敬遠と遮断を強いたのであるが、
そこには空間と事物の存在のありかたを決定づけ、それを経験世界へと占有せずにおかない名前の威力が表明されている。名づけることは所有することであったからである。
(名づける=所有する。
名づける=世俗の世界に堕とす。
名をつける=曖昧なものを固定された塊にして対処できるようにする。
言語表現は限定であるので全知全能無限存在を表現できず、
せいぜいごく一部を切り取って示せるにすぎない)

名前の変更はそれ自体の変貌をもたらす。
新しい名前の獲得は改名ではなく変身。
名前は物事の誕生、創造、変身(再創造)をもたらす。

命名は不安感ないし恐怖心の消去である。
中央アフリカ社会における病気なおしの儀礼を調査した人類家具者V・ターナーは、
名前が重大な意義を担っていると見出した。
病気で苦しんでいる患者の苦痛を何らかの象徴的形式で把えることができればそれにより宗教的職能者をを通じて社会的に対処しうるものになる、と考えられている。
危険であり有害なのは隠されたものである。だから不吉な状態に名をつけることは、なかばその状態を消去することになるのであった。
中央アフリアの呪医たちが病者の苦痛を集団的に対処可能なものとするべく施すこのような行為は、かつて統治者にとって本来の重要な仕事であった。苦痛を取り除き社会を平常の状態に回復すること(治療)は首長の統治責任であったからである。

日本古代の王権でも不吉な状態に名前をつけることが行われた。
疫病の蔓延に対して、それを大物主の仕業として名指しする。
大物主の物とは霊魂(モノ)であり鬼(モノ)であり物の怪の物(モノ)でもあり、大物主とは諸々の悪霊のいわば総元締めを意味する、不吉な状態を引き起こす元凶にふさわしい名前であった。この大物主を祭ることで疫病は終息したとされた。
疫病の大流行という理解を絶する恐怖に投げ込まれた人々にとってこのような名づけの信頼感をもたらす効果は絶大だろう。見えないもの、それゆえに神秘化されるとともに恐怖や不安をよびおこすものを見えるものとすることで恐怖心を鎮静し消去すること、それが名前の重要なはたらきの一つであった。
隠されたものに対する共同体的な対処はこのようにして行われた。
名づけは事態との応答関係を存分に担うものであった。したがって医療が専門機関のもとに独占され、学術的と称する病名の体系が制圧するとき、それが何を喪失せしめたのか、に思いを致すべきであろう。


人間は一個の名前のもとにのみ生きるのではない。
一生の間に何回も名を取り替え、時によっていろいろの名を持って呼ばれることが日本人古来の習慣であった、と柳田は言った。この習慣は日本に限られず、この日本人の範囲も問題だが、いずれにせよ綽名や屋号を含めて人々は複数の名前をもって生きてきた。
名前の変更とは社会的変身である。

通り名、職名、偽名。

古来の習慣として実名が忌み名として秘匿され、そこに魂(言霊)が付着すると考えられた。

よく知られた万葉集巻頭の歌に、娘に向かって、
「家のらへ 名のらさね」と呼びかけ、
「吾こそはのらめ 家をも名をも」
とあるように、名乗りは求婚の基本的形式であった。この働きかけに対して実名を明らかにすることは承諾、すなわち関係の基本的形式であった。
実名を明らかにすることは承諾、すなわち関係の成立にほかならない。拒絶しようとすれば能面のベシミのように口をつぐんで頑張らなければならない。ここでは名前(実名)にその人間の魂がこもり、名前の口外がそのまま相手への魂の伝達ないし譲渡となると考えられている。
名のりは魂の闘争の開始を告げるものであった。

相互の固有性に働きかけ、呼びかける(呼ばひ)によって社会は形成された。
個人と共同体との生成、変化、消滅、生老病死に名前は深々と関与。


http://www.arsvi.com/b1900/8702ih.htm
”「名づけ」の精神史
 私たちの眼前に、「新しい」名前が次々に現われては消えていく。名前の連続的かつ加速度的な貼りかえとして「現在」が立ち現われ、立ちはだかる。この名前の洪水の中で、 自分をとりまく世界との関係についての、根本的な疑念が私たちの内に膨れあがる。
 かつてホッブスは、人間が世界を構成するすべてのものに名前をつけさえすれば、あとはそれを一旦ばらばらにしてまた組み合わせればよい、 つまり名前の足し算と引き算によって世界は認識できる、と考えた。
「方法の規則」にもとづいて、このように「名前の帰結に関する計算」を信頼することができた彼は、 その限りで幸せであったといってよい。世界が名前に対してひらかれ、名前は世界を背負うものと想定しえてこそ、その「計算」は成り立つことができたからである。そのとき、 名前の普遍性についての確信は、世<0132<界認識のための徹底的な方法的態度をもたらすものであった。しかし、その確信もその態度もいまの私たちにはあまりにも遠い。
 十七世紀の哲学者の世界ばかりではない。あのヘレン・ケラーの発見、すなわちwaterという名前を突破口とする、「すべての物は名前をもっている」こと、 あるいは世界とは名前であることの発見も、感動的ではあっても疎遠なエピソードにすぎなくなりつつある。すなわち、いまや私たちの「名づけ」に対して、 世界あるいは物事の秩序は応答しなくなっているのではないか。ここでは、ばらばらの名前をどのように寄せ集め組み合わせみても、「物に行く道」にはならないのではないか。 名前の次元への私たちのこだわりや、貼りかえられる名前に対する敏感さは、おそらくこのような疑念を裏書きしている。
 そうであるとすれば、この「危機の瞬間」に際して、名前をもって物事に相対してきた人間の基本的な経験の有様と、 ほかならぬその「名づける」という行為の基底がいわば胎盤剥離しつつあることを見定めなければならないだろう。(pp.132-133)

 この大物主を祭ることによって疫病は終息した、とされたわけだが、疫病の大流行という理解を絶する恐怖に投げ込まれた人々にとって、 このような「名づけ」の信頼感をもたらす効果は絶大であっただろう。見えないもの、それゆえに神秘化されるとともに恐怖や不安をよびおこすものを、 「見える」ものとすることによって恐怖心を鎮静し消去すること、それが名前の重要なはたらきの一つであった。「隠されたもの」に対する共同体的な対処は、 このようにして行われた。そのとき「名づけ」は、事態との応答関係を存分に担うものであった。したがって、医療が専門機関のもとに独占され、 学術的<0145<と称する病名の体系が制圧するとき、それが何を喪失せしめたのか、に思いを致すべきであろう。(pp.145-146)

“私たちは物に対する哀悼からはじめなければならないのではないか。尊敬すべき或いは身近な死者に対しては、私たちは強いられるまでもなく深い追悼を捧げることができるし、現にしている。それすらなくなった時には、いよいよ本当に「人間の消滅」ということになるだろう。その死せる者への哀悼を、物に対して、あるいは同じことだが、その物と人間との関係に対して、向けるべきではないか。そして一言でいってしまえば、現在において批評が可能であるとすれば、それは追悼行為としてではないか。(p. 9)”
http://pensiero.seesaa.net/article/392656964.html


いとこん‏ @itokonn_HQ 2015年5月15日
「(前略)名前の変更は事態や事物それ自体の編簿をもたらすものとなる。(中略)その新しい名前の獲得はただの「改名」ではなく、その人物の役割や性格の変化あるいは地位や身分の変更、すなわち「変身」を示すものであった」市村弘正『「名づけ」の精神史』

本屋のカガヤ‏ @kagayam 2015年8月30日
《「綽名」は、このような侮辱とさらには愛着と賞讃とを含む、他者への変形作用を担う名前であった。綽名は、名づけが本来あだやおろそかに行われるわけにはいかないことを端的に示している。それは対象への周到な観察と的確な表現、つまりは批評力を要請するのである》市村弘正『「名づけ」の精神史』
やっぱり渾名ってそういう要素あるよなぁと思いながら「名づけ」の精神史よんでる

本屋のカガヤ‏ @kagayam 2015年8月31日
《(死せる再現でなく)想起するためには、いったん「忘れ去る」ことが必要なのである。世界と自分とを繋ぐ名前の問題に敏感であったカフカは、いかにすれば自己の属する言語秩序に対して「遊牧民」でありうるかに心を砕きつづけた》市村弘正『[増補]「名づけ」の精神史』(平凡社)、155頁

《彼〔カフカ〕の自己訓練の一つは、固有名詞を音声や響きに還元しつつ「分析」し反復することであったという。そこには、この発語訓練をつうじて、たえず言葉を通して侵蝕してくる既成の意味やイメージを振り落とすことが念じられていただろう》市村弘正『[増補]「名づけ」の精神史』155-6頁

ギフ‏ @a8ht_ 2015年1月29日
“そうして、そのクマクマシき土地での受難と復活をへて到り着くべき場所は、当然めでたき地であり、すなわち「よき人のよしとよく見てよしと言ひし」と謳歌される「吉野」でなければならないのである。” (市村弘正『「名づけ」の精神史』) これ読んで何言ってるかわかる人いるのかな…

あらい湯‏ @arai_huro_hairo 2013年3月4日
市村弘正『「名づけ」の精神史』飛ばしながら大体読んだ。「失敗」の意味と「名づけ」の精神史が特に面白い。 前者は社会的弱者の内部にも弱者排斥の心理があり、しかしそれは自分たちを弱者と理解することで克服できる、とした解説がすばらしい。「弱いから弱いものを理解できる」と単純ではなく、

akatukiyami‏ @akatukiyami13 2012年6月20日
先日の市村弘正の引用がかなり間違っていたので訂正します。《私たちの視界を狭め、認識の根を枯れさせつつあるものは、この社会がもつ「幸福」という強制力にあることになろう。》――『「名づけ」の精神史』

kamomé‏ @goeland_argente 2011年3月27日
【メモ】「名前」に関する本。窪薗晴『夫ネーミングの言語学』、市村弘正『「名づけ」の精神史』、
田中克彦『名前と人間』 、齋藤孝『売れる! ネーミングの発想塾』、佐々木健一『タイトルの魔力』、岡真理『彼女の「正しい」名前とは何か』、クリプキ『名指しと必然性』、など。

ネーミングの言語学 ハリー・ポッターからドラゴンボールまで
http://ameblo.jp/sarashina8/entry-12143061073.html





――参考資料――

Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 9時間9時間前
わたしが自分自身を意識できる以上はわたしは存在してるし、それゆえに最小単位の価値を持ってる。実際のところ人はそれ以上の価値をなんら持っていない。そしてだからこそわたしはたった一人のときも寂しくない。なぜって自分がいまここにいることを知ってるから。確かな価値ってそれ以上無いから。
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• • Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 9時間9時間前
つまり、わたしは誰によって知られなくても神様はわたしを知ってる。何故なら、存在してること自体が神様による祝福だからです。ただ、人の価値観の中にないだけの話。
0件の返信 2件のリツイート 5 いいね
• • Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 9時間9時間前
どこかしらない人がいてわたしがかれのことを知っていても知らなくてもかれはずっと存在してるの。当たり前だと思うかもしれないけど、かれのことを知ることによって彼はわたしの価値観の中に組み込まれる。つまり、名づけってそうやって価値観の付与が行われる。でも、認識してなくても存在はしてる。
0件の返信 1件のリツイート 4 いいね
• • Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 10時間10時間前
あるひとはそのグループの長によって祝福を受けることでかれらにその名前で知られることになる。それは価値観付与の基本だけれど、その結果として彼らが奉じる神様に知られることになる。何故なら、そのグループの共通認識であり価値観が神様なのだからその恩恵を受けるのです。
• • Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 10時間10時間前
聖別って、人の意思によってその価値観の中に参入させること。この仕組みは人間にも当てはまるので、キリスト教的にいえば祝福のことなの。だからひとも祝福できるのだから、参入儀式それ自体が一種の祝福であるし聖別儀式という役目を果たしてる。それは新しい価値観を付与することだから。
0件の返信 1件のリツイート 6 いいね
• • Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 10時間10時間前
モノを生きた生命にするのも、ただのモノにするのもそのひとの心次第。それは価値観の付与と剥奪だから結局のところは人間の意思と感受性によるもの。神様の世界にはそんな区別はない。聖別というのはそもそもそのためのものだから。
0件の返信 6件のリツイート 11 いいね
• • Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 10時間10時間前
希少性は人間の価値観の問題、経済的にも同様のこと。そもそも多くの宝石たちは綺麗にカットしてこそ価値が出る。その鉱物自体はただの化学物質。ダイアモンドもただの炭素結晶。カットして磨くことはひとの思いをこめること。ほら、みんな気持ちの問題なのです。
0件の返信 2件のリツイート 7 いいね
• • Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 10時間10時間前
だからわたしはパワーストーンという用語をあえて使わない。石は石ですし、気に入るか否かの問題。気に入ったらどんなものであろうと宝物になるから。
0件の返信 5件のリツイート 8 いいね
• • Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 10時間10時間前
パワーのないストーンなんて無いと思うの。だってそれ、自分自身の感受性にかかってる問題なので。
0件の返信 5件のリツイート 8 いいね
• • Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 10時間10時間前
でも、スピとかみつけるとコソコソって逃げるほうです。宝石好きだけどアクセとしてみてるので。
0件の返信 2件のリツイート 5 いいね
• • Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 10時間10時間前
大粒のトパーズを手のひらの中でころころしてた。


コピーライターの大御所が示す“命名”【ネーミング全史】
http://jiru4690.hatenablog.com/entry/2017/02/04/185146

見えないところで時代は変わる話【書評「ネーミング全史」】
http://shige-log.com/blog/2017/03/%E8%A6%8B%E3%81%88%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%93%E3%82%8D%E3%81%A7%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AF%E5%A4%89%E3%82%8F%E3%82%8B%E8%A9%B1%E3%80%90%E6%9B%B8%E8%A9%95%E3%80%8C%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%9F/


“ネーミングの流行りの変遷。「全史」というほど大上段に構えた内容ではない
投稿者 Edgeworth-Kuiper Belt 殿堂入りレビュアートップ10レビュアー 投稿日 2017/4/2
「Suica」「ごはんですよ!」「六本木ヒルズ」「女性自身」「TSUBAKI」「うどん県」
「お~いお茶」「無印良品」「PARCO」「野菜中心蔵」、他。
機能や価格だけでなく、名前もまた、商品やサービスを売り込む上で重要な要素である。優れた名前はそれ自体がコピーであり、わかりやすい特徴の説明であり、差別化ポイントになり、また広告の代わりにもなる。著者は、「新宿MY CITY」や「からまん棒」などの名前を考えて世に出したことがあるコピーライター。

イメージ・ブランディングには大きく2つの流れがあるという。ひとつはイメージで表現する流れ。もうひとつは、意味や理念で訴求していく方向。ネーミングもこの流れに沿って、主流となる表現が変わってきたという。特に最近流行っているのが、和語をアルファベットで表現して使っているケース。
「akasaka Sacas」
「DAKARA」「suisai」「KITTE」
「MIRAI」「SOLAE」「KY365」といったようなもの。「うるさら7」(ウルトラセブン)「ビックロ」(ビックカメラxユニクロ)「ウツクシeK」「極烏」(悟空から)のような語呂合わせ的な効果をうまく使ったものも多い。かんぽ生命の「その日から」は商品の特徴を名前に盛り込んだ例。「アゴ強くん」は、広告費をけちらなくてはならないので商品棚でアピールできることを目指したスルメイカ。「青天の霹靂」はお米の名前だが、確かにインパクトはある。日本海軍の軍艦や艦船の名前の付け方を紹介して激賞しているページもある。

また、後半では、ネーミングの作業工程として、以下のような流れを順に詳しく解説している。

小品実態の把握
    ↓
マーケティング・コンセプトの把握
    ↓
ターゲットの分析
    ↓
ネーミング・アプローチ設定
    ↓
キーワード検索
    ↓
ネーミング作成
    ↓
ネーミング・チェックポイント検証
    ↓
ネーミングの商標登録

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0%E5%85%A8%E5%8F%B2-%E5%95%86%E5%93%81%E5%90%8D%E3%81%8C%E4%B8%BB%E5%BD%B9%E3%81%AB%E8%BA%8D%E3%82%8A%E5%87%BA%E3%81%9F-%E5%B2%A9%E6%B0%B8-%E5%98%89%E5%BC%98/dp/4532321271



fate grand orderおもろセリフまとめ7  画像省略
http://codetripleseven.blogspot.jp/2017/01/fate-grand-order6.html
”蛇やエジプトと言えば聖書にも興味深い記述がある。
例えば出エジプト記3〜4章。カミサマがモーセに命令する場面。
エジプトからユダヤ人を救い出せとカミサマが命令をする。
しかしモーセは嫌だ嫌だとゴネる。
ゴネる理由のひとつは「は?お前何様なわけ?」
「てかカミサマってどこの誰だよ?」と
当のユダヤ人からさえフルボッコにされるリスクがあったから。

ここでカミサマは実に興味深い回答をしている。
最初は自ら「私は、あなたの先祖の神、アブラハムの神、
イサクの神、ヤコブの神である」と名乗っていた。
例によって名前を隠すパターンだ。
しかしモーセと問答をする中で
名前を聞かれた時はエーヘイエーアシェルエーヘイエーと
答えろとの回答を出した。(3章14節)
私が12の神名の中で一番ホンモノくさいと注目する例の名前だ。

日本語聖書では「私は有って有る者」(口語訳)
「私はある。私はあるという者だ」(新共同訳)
I am that I am. (KJV)
I am who I am. (ABS)
ABSには欄外に注釈として
I am what I am / I will be what I will be とも書いてある。
Je suis celui qui est. (la bible de jerusalem)
ego sum qui sum (biblia sacra vulgata)
みんな大好きヘブライ語版はこちら(リンク)


FGOでも「名前」「名付け」については興味深い描写があった。
「第4特異点 死界魔霧都市ロンドン」の中の
「第4節 本の一冊、ペンの一本」で
浮遊する本が敵となって攻撃をしてくる。
こちらの反撃が通用しないという状況での会話。
登場人物はアンデルセン、マシュ、モードレッド、ロマン
そしてナーサリーライム。
ア:どちらかというと発禁本だがな。
  その内容が真なら本であれ人を殺せるという話さ。
(中略)
ア:おまえたちは魔本の性質に触れたな?
  攻撃が通じない、それはそうだ。
  あれを本だと思うからそうなる。

  違うぞ。あれは一種の固有結界だ。
(中略)
マ:はい。世界の在り方そのものを書き換える、
  ある種の魔術の奥義です。魔法にさえ等しいとか。
  ごく稀に、現界を果たしたサーヴァントの宝具として
  用いられる例もありますが・・・。
ア:そうだ。多くは空間に対して働くらしいが、
  こいつは違う。存在そのものが固有結界だ。
  無敵に等しい耐久力はそのためだ。
  自らが固有結界であることを有効に用いている。
  では何故それが可能なのか?
(中略)
  俺の類推するところでは、こいつは本来、
  マスターの精神を映し出すサーヴァントだろう。
  ドラマツルギーから導き出せば簡単だ。
(中略)
  結論というか見たまんまの問題だよ。
  こいつはハグレだ。マスターがいない。
(中略)
  要はマスター探しさ。夢の顕現として、こいつは
  擬似サーヴァントとしての実態を得ようとしている。
(中略)
  ご名答!こいつはサーヴァントですらない。
  サーヴァントになりたがっている魔力の塊だ。
(中略)
マ:矛盾しています。Mr.アンデルセン!
  実体が無いから倒せないと今・・・。
ア:だから、さ。名前の無い本だから探せないんだ。
  物語に実体を与える方法なんて簡単だ。
  聞こえるか!お前に名前を付けてやるぞ。

  魔本、いいや、誰かの為の物語(ナーサリーライム)!
ナ:・・・!!
(中略)
ナ:・・・ナーサリー・・・ライム・・・。
  いいえ、ちがうわ。それは名前じゃない。
  名前はアリス(あたし)
(中略)
ロ:というか大部分のサーヴァントは元は人間だけどね
(中略)
ア:ああ、人間から英霊になるのが基本だが
  中にはナーサリー=ライムのような例も有る。
  人間に作られた創造物が意思を持ち
  あるいは人々からの幻想を集め"概念英霊"となる場合だな。

なるほど。実にくさいセリフが連発される。
まずは用語解説 ドラマツルギー→ リンク1 リンク2

名無し、マスター無し、実体無しのサーヴァントは倒せない。
そしてマスター探しをしているのはなぜか?
実体化したいから?それは夢の顕現なのか?
「自分を認識したいと思ったから」?
それは何というウパニシャッド哲学ですか?
しかも名前を名乗りだしたと思ったら「あたし」か
言ってる事が"I am who I am"と名乗るヤハウェと同じな件。
そして人間は被造物ではなく、むしろ創造者という視点。
英霊は元は人間だという視点。
過去記事で書いた「神人合一」や「観測者効果」にもつながる。
もしくはまどマギ風に「魔女は元々魔法少女」
「魔法少女は元々ただの少女」という感じか?
いや、・・・それどころか・・・まさかヤハウェくんも
元はニャンゲンだったりするのだろうか?
だとするとあの間抜けっぷりも多少納得できるのだが。
改めてキュウべえは何者なんだろう・・・?

ノンデザイナーズ・デザインブック第4版
2016年6月発売 robin williams著 マイナビ出版より
いちど名前を言えるようになれば、
あなたはそれを意識し、
支配し、コントロールし、所有するようになるのです。

なるほど。段々エヴァンゲリオンTV版最終話に近づいてきた。

「名付け」とは何か?突き詰めると実に哲学的な命題だ。
名付けとはカオス=世界を切り取る方法である。
世界をどう認識するか、であり、
名付けにより初めて「それ」は存在するようになる。

いや、「それ」は名無しの時だって存在はしていたのでは?
というのは違う。認識されないのなら存在しない。
シュレディンガーの猫乙!

特定部分をピックアップして、注目して、厳密化して
絞り込んで、限定化して・・・そして名付けた。おk?

カミサマの天地創造も「光あれ」から始まった。
そして、私は光は天地創造以前から存在したのでは?
と書いた。だとすると天地創造とは
あれも「名付け」だったりはしないのだろうか?
観測することにより認識し、存在させる行為。
いや、そんな事を言うのなら創世記2章19節に注目だ。

創世記2章19節
そして主なる神は野のすべての獣と、
空のすべての鳥とを土で造り、人のところへ連れてきて、
彼がそれにどんな名をつけるかを見られた。
人が全て生き物に与える名は、その名となるのであった。

全生物に名前を付けたのはニャンゲン様だと書いてある。
あれ・・・?
名付けがカオスから世界を切り出す作業なら・・・。
名付けが天地創造なら・・・。
ニャンゲン様こそが天地創造をしちゃったのか?
それならば第1章と第2章で被造物の順番が違うのもわかる。
というかヤハウェくんは指を咥えて見ているだけでいいのか?

いや、ここで、
「カミサマ自らがゲームに参戦して内側から修正」
の視点で考えてみよう。
ニャンゲン様が名付けをしているのは
これこそ「内側から修正」の作業だったりするのだろうか?
創造された天地に管理が必要であるのなら
それを行うのはある意味「内側から修正」そのもの
では、名付けを行っているニンゲン、イコール、カミサマ
だとして、それを「見ていた」と書かれている(2章19節)
ヤハウェくんって・・・。

ヤハウェくんが「名付け」をしている場面=創世記1章は
後から継ぎ足しされただけであり、本来の聖書ではない。
(長谷川三千子「バベルの謎 ヤハウィストの冒険」)
そもそもヤハウェくんはなーんにもしてません疑惑・・・。
あれ?あれ?ヤハウェくんって・・・一体何なのさ?

本日の推薦図書 「名づけ」の精神史 市村弘正著

最後はお約束のひと言をオナシャス
「黒幕はキリスト教徒!」”

(プーカッカの創造主って元からあったものに名付けただけって意味なんじゃないの説。
だからゴッドはロゴスなのだ。
スピは神神うるさいけど、ロゴス=言葉否定のスピって神の否定じゃん。
反知性信者ほど反キリストの法則発動。
本来の耶蘇教はガチガチの論理主義だった説。
ギリシャ哲学だから論理重視でないとおかしいけど。
アダムが二代目ヤハウェ候補だった疑惑。
ヤハウェ称号説。
創世記冒頭は、名付けなおしただけ説。
想像の記述が二種類あるのはパラレルワールド説。
想像された世界とは言語の世界のことである。
これまでは言語で区分けがなされていなかったカオスの世界が今の世界になったのはゴッドの言葉のお陰。
確かにゴッドは「人間の」世界を創造した。
言語の世界。
神(開闢)の死(名づけられる以前の真の起源)
=言語による開闢の隠蔽=(人間の言語)世界の誕生。)


労働者‏ @Black_Post_Bot 5月28日
日本人が「薄給なら手を抜く」という習慣を身に付けると日本中がハッピーになると思う。
「給料の良し悪しで仕事のやる気を変えるのは悪いことだ」という信仰がブラック企業を生き残らてしまうし客の立場になった時に傍若無人に振る舞わせる。

6件の返信 4,255件のリツイート 3,454 いいね
ぐだトマト‏ @pteras14 9時間9時間前

「いつまで学生気分なんだ!💢」
「いつまでもさ」
Desty‏ @ChroahDesty

Destyさんがuhehoをリツイートしました

仕事以外の事にも及ぼしてるから終身雇用が原因じゃないと思いますよ
遊びとか個人の動画編集技術、ゲームとかその他
生存性に関係ないことまで
ありとあらゆる事で教えない&教えたがらない
この共有しない価値観と発想がどこから来たのか、どう形成されたかはわかりませんが。


見て学べで伝授してるから教えられた人も更に同じ方法でするから
理論にしにくいんですよね
実際言葉で説明&文字で説明するのが出来ない人が居ますし(多い気がする)
見て、聞いて、書いて、理論化、実践が重要なのか知るべきですよ。


Destyさんが追加
燈火 @to_moshibi
日本の場合、教えは見て盗めという考えが強いのかもしれません(特に高齢の世代に多い印象を受けます)。確かに場合によっては上の教えだけでは習得できない部分もありますが、だからといって知識や技術を何も教えず、ただ見て学べだけの姿勢を強要するのはおかしいので、上が教える姿勢も必要です。

Destyさんが追加
uheho @uheho
終身雇用が無くなりゃ日本人はそうするさ。
 知識や技術は独占した方が
生き残れる。
 終身雇用は安定感を与える…

峨骨‏ @Chimaera925 2016年10月10日

峨骨さんが峨骨をリツイートしました

入社式を英訳するとイニシエーション。宗教的な参入儀式もイニシエーション。そして、企業もカルトも階級制。

峨骨さんが追加
峨骨 @Chimaera925
指階級社会を維持するために、指導者が必要だと布教されている。蟻や蜂の社会がよく引き合いに出されるが、あのピラミッドの図は役割の分類と数を表したもので、階級社会ではない。階級ではなく分業。どれが欠けても種が維持できない。女王蟻や蜂が頂点に立ち絶大な権力を持っている訳でも…
1件の返信 26件のリツイート 15 いいね
峨骨さんがリツイート
峨骨‏ @Chimaera925 2016年10月10日
返信先: @Chimaera925さん

ニートという言葉が日本で使われ始めた時、本来の意味を離れて甘ったれた怠け者であるかのような印象付けがメディアによって行われ、下位のカーストとして新たに創作された。病気等で働けない者や失業率、失業難民がそこに投げ込まれた。階級や格付けをいちいち気にして、与えられた役割を演ずる人々
1件の返信 42件のリツイート 27 いいね
峨骨さんがリツイート
峨骨‏ @Chimaera925 2016年10月23日
返信先: @Chimaera925さん

カルトの教祖の下半身が大抵暴走するように、精神を鍛えてもいない強い倫理観を持ってもいない欲にまみれた俗物がその手の技術を手にしても、肥大化した強烈な自我や欲望を制御できずに破滅に向かう。それならばまだマシだろう。破滅していないならば、破滅と厄災を振り撒き周囲を巻き込む。
0件の返信 14件のリツイート 14 いいね
峨骨さんがリツイート
峨骨‏ @Chimaera925 2016年10月23日

グローバル化で世界的な競争に導き、先行きの見えない不安からサバイバル意識を植え付ける。そうして、国際競争に打ち勝つ為に人を競わせ、逃がさず安価に企業や政府に奉仕させ仕組みに誘導されている。コンサルやメディアが絡めばカルト化は加速。悪貨が良貨を駆逐する。カルト化する生存競争。
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峨骨‏ @Chimaera925 2016年10月23日
返信先: @Chimaera925さん

創業者やコンサルの教義に従って行われた企業のイニシエーション、遣り甲斐搾取。努力や苦労によって現実逃避による感謝や成長などの神秘体験で覚醒した労働者を行きすぎた体験主義によって権威化。彼を見習えと末端にも教化。ならば何故、自殺や過労死が出て殉教者と称賛せず見てみぬふりをするのか。
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峨骨‏ @Chimaera925 2016年10月30日
返信先: @Chimaera925さん

参入障壁が高いとますます閉鎖的になる。有名企業やカルト企業、カルト団体、高額商品、それらに参入する為、あるいは構成員であるためのイニシエーションに払う代償や苦難が多ければ多いほど、自分達は特別だと思い、参入したその選択は正しいと考える。騙されても自分の判の間違いは認めないのだ。
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峨骨‏ @Chimaera925 2016年10月30日
返信先: @Chimaera925さん

それどころか、騙されても熱烈に信じ続けるか擁護する側に回るのだ。自身の判断の過ちを認める事は容易ではない。無意識で何かしらの理由を付けて、自分は正しいと考えてしまう。被害が大きければ大きいほど。過ちを認めれば責任がやってくる。騙す側も騙される側もこうして温存される。
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峨骨‏ @Chimaera925 2016年10月30日
返信先: @Chimaera925さん

立ち位置が異なるだけで本質は同じものだ。そして加害者が犠牲者となり、犠牲者が加害者に。ミイラ取りがミイラに。負のバケツリレー。堂々巡りだ。
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峨骨‏ @Chimaera925 2016年11月9日
返信先: @Chimaera925さん

本気のごっこ遊びだからこそ、その場の仮象を作り出し、焼き付けて忘却することができる。日常に帰れなくなれば、そこで囚われる。おぞましいことに。紛い物は現実に帰って来れなくなるような悪意満載の手法を手軽さをウリに進めるから、ヤクの売人とそう変わらんよ。
1件の返信 7件のリツイート 2 いいね
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峨骨‏ @Chimaera925 2016年11月9日
返信先: @Chimaera925さん

ここに集団儀式が絡むとトランス状態で自我の壁が薄くなり共依存、共犯関係となって抜けられなくなったり、集団ヒステリー、狂気の集団感染に陥り悲劇的な末路を辿る事もある。人が人でなくなり、集団の一部となる。頭に胴に手に足に、位階に沿ってそれとなる。それが社会に無害ならば個人の自由だが。
2件の返信 13件のリツイート 7 いいね
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峨骨‏ @Chimaera925 2016年11月9日
返信先: @Chimaera925さん

カルト企業が行う研修なんかはモロにこれだな。
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峨骨‏ @Chimaera925 2月26日

[ NewShow 3] 餃子の王将 軍隊より厳しい(?)研修風景 /Strict Japanese training scene
1件の返信 5件のリツイート 0 いいね
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峨骨‏ @Chimaera925 2月26日
返信先: @Chimaera925さん

新入社員が自衛隊へ入隊!?~企業から人気の社員研修
1件の返信 7件のリツイート 0 いいね
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峨骨‏ @Chimaera925 3月31日

ジジババが「最近の若い者はなっていない。自衛隊で心身を鍛え直して貰ったらいい」なんて論調もこれだな。ブラックの洗脳研修にしてもそうだ。部活のシゴキもこれだ。精神論でしごいて洗脳する。
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峨骨‏ @Chimaera925 2月16日
返信先: @Chimaera925さん

「このような人間だ」と他者や環境から纏わされた幻影に従ってやる必要も無くなる。多くの自分の意思だと思っているモノは、そのように外から来て纏わされ、繰り返し染み付いた習慣みたいなものだ。期待だったり蔑みだったり、そのような呪いが自分だと思っているものを作っている。
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峨骨‏ @Chimaera925 4月25日
返信先: @Chimaera925さん

強い感情が生じた時、それは正当な根拠のある感情なのか、妬みから来るものなのか、自身のコンプレックスや歪んだ考えの癖から来るのか、人や環境から植え付けられたものなのか、感情を表出する前によく観察する必要がある。外に向けられる時、自身にも向けられている。炎は自身だけでは燃え尽きない。
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峨骨‏ @Chimaera925 2016年4月4日

他者がこう見ている、こう感じているという想像は大半が妄想。不安や気恥ずかしさは、環境から植え付けられた記号や思考の習慣から来る自身の産み出した想像。他者が自身に興味関心を持っていると根拠もなく思い込んでいる。自身はそこまで他者に興味関心を持っていない癖に。不思議なものだ。
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峨骨‏ @Chimaera925 2月13日

自分探し?本当の自分?そんなもの無ェよ。最初からありもしないものを有ると信じさせて、今の自分より良いものだと思わせれば、劣等感を持った連中は簡単に言いなりになる。そうして植え付けられた自分なんて概念は連中の考えた都合のいい概念だ。自分なんざありはしない。環境から染み付いた癖だ。
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峨骨‏ @Chimaera925 6時間6時間前
返信先: @Chimaera925さん

大抵の酔っ払いは自分は酔っていないと言うのがお約束。
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峨骨‏ @Chimaera925 6時間6時間前
返信先: @Chimaera925さん

自動的に生きさせる事で、本来は必要の無い商品を買わせ、毒にしかならぬ思想を植え付ける事が可能になる。自動的に生きている間は能動的に生きることも判断する事も無い。テレビが健康への不安を煽り「○○が体にいい」と言うと自動的に生きている人々はそれを買いにゆく。ネットでも一緒だ。
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峨骨‏ @Chimaera925 6時間6時間前
返信先: @Chimaera925さん

ま、別の体液かもしれぬし、どうでも良いのだ。教えられたお約束の通りに思考、精神や肉体が反応するというだけで、そこに己の自由意思なんぞありはしない。携帯を注視しながら歩く奴に自転車乗る奴、車運転する奴が行き交う交差点でも眺めていれば、自動的に生きている人間なんてのは見飽きる。
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峨骨‏ @Chimaera925 6時間6時間前

大抵の人間は脚本や埋め込まれたパターン、習慣に従って自動的に生きている。そこには自由意思な無い。これを見たら怒れ、喜べ、あるいはこれを見たら従え、このような態度を取れと教育されてパブロフの犬のように反射するのだ。涎の代わりに感動の涙かもしれぬし、喜びの涙かもしれぬ。
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峨骨‏ @Chimaera925 6時間6時間前

ビンタはもともと薩摩の方言。頭という意味しか無かったのに、現代のような暴力を指す言葉として認識されるようになったのは、それだけビンタが行われていたから。

路上ビンタは薩摩の警官がはじめた得意技だった!?
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喜多野土竜(心機一転二転三転)‏ @mogura2001 2016年11月28日

東京でのビンタは頬を平手打ちすることの意味だが、これも鹿児島弁では頭の意味。兵児帯も、薩摩でよく見られた帯の結び方が東京に普及したモノだが、兵児は郷中教育の二才(15〜25歳)に当たり、ヘコは本来は褌(下帯)の意味。いかに当時の東京の警官に薩摩出身者が多かったかの証左。
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峨骨‏ @Chimaera925 2016年10月22日

呼吸法で息を止める時、よくありがちな間違いは流れは止めない。息を吐ききって下腹部の筋肉が収縮した状態で静止する。この時、肛門を腸に引き込むように閉めた状態。喉で息を止めるイメージは誤り。緩めると息が入ってくる訳だ。緩めて空気が肺に入るに任せて、弛緩させたまま静止。喉で止めない。
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峨骨‏ @Chimaera925 2016年10月22日

水を一気飲みするみたいに喉は開けたまま。これが極意。歌うときもこうすると、歌がブツ切りにならない。フレーズが途切れても歌の流れが続く。歌わない箇所は休む場所じゃない。歌わない箇所も歌の一部。ここで休むとそこまでの流れが途切れてしまう。
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峨骨‏ @Chimaera925 2016年10月22日

呼吸の訓練では流れを止めない。息は生きること。流れを止めないように意識するとやり易いだろう。もっとも、俺の一番効率の良いやり方に最適化されているから流派(?)ごとにやり方があるだろうけども。
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峨骨‏ @Chimaera925 2016年10月22日

初歩段階では、上体に無駄な力を入れず脱力して息を吐く事を会得する。これを飛ばして吸う段階に行こうとすると無駄な力が入る癖が取れない。濡れた布を詰めた管楽器を思いっきり吹いても楽器は壊れはしないが、声帯は故障する。脱力して息を吐く事を体で覚えるまでは息を吸う事は意識しなくてよい。
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峨骨‏ @Chimaera925 2016年10月22日

一般的な腹式呼吸では腹を前後に膨らませるイメージだが、実際には下腹部の末端から内臓を押し上げるように収縮させ徐々に下腹部が凹み、次に腹部。丁度、切れかけの歯みがき粉のチューブを絞るような感じだ。上に押し上げるような動きだが、イメージでは体が沈み込むように。肩幅に足を開き行うと、
1件の返信 5件のリツイート 7 いいね
峨骨‏ @Chimaera925 2016年10月22日

地に根が張ったかのような安定感が感じられるだろう。意識と神経と筋肉を連動させて、より長く細かく制御して段階的に吐けるよう体作りすることで、限界まで声が振り絞ることができる。声帯に負担をかけず、体に負担をかければかけるほど大きく強く高い声が出せる寸法。
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峨骨‏ @Chimaera925 2016年10月23日

ありがちな誤りが、大きく強く高い声が出そうとして上へ上へ意識を持っていくこと。足を踏ん張って下へ下へ行くのが正しい。喩え悪いけど、トイレで踏ん張るあの感じ。両足上げては踏ん張り利かない訳で。意識を上へ上へ持っていくと息の制御が甘くなり、首周りにも力が入る。
1件の返信 4件のリツイート 8 いいね
峨骨‏ @Chimaera925 2016年10月23日

呼吸の訓練はしっかりやっていれば必要な筋肉は勝手についてくる。上体を脱力してから、できるだけ時間をかけて徐々に筋肉を収縮させて息を吸い切った所で静止、筋肉を徐々に緩め吸った時間と同じ長さ息を吸い、静止。これを繰り返すことで発声に必要な繊細な息の制御が可能となる神経や肉体が作られる
1件の返信 3件のリツイート 7 いいね
峨骨‏ @Chimaera925 2016年10月23日

中学の頃、ボーカルのトレーニング本を何冊も読んだけど、まず腹式呼吸について書かれていても一頁程度。具体的には書いてないし、それで身に付いたかどうかも解らない。息が身に付かないのにトレーニングや技術の話。スポーツで言えば競技に必要な知識や体作りが無いのにいきなり競技の技術練習。
1件の返信 4件のリツイート 3 いいね
峨骨‏ @Chimaera925 2016年10月23日

下半身の強化は別途必要か。俺の場合、スキー、スケート、剣道、陸上(短距離走と高跳び)でそれなりに鍛えていたから走り込みとスクワット、たまに站樁功
くらいしかやらなかったけど、粘り強く力強い足腰があった方が重心が安定して踏ん張りが効くしパワーも出る感はある。
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峨骨‏ @Chimaera925 2016年10月23日

身長で声帯の長さが決まる。身長が高いと声帯も長くなる。声帯が長ければ長いほど低い声が出る。背が低いと短くなり高くなる。高音域を出すには有利だが、低い声はそこまで出せない。身長に体重、骨格、筋肉、これと癖で声は大体決まってくる。背格好や顔が似ていれば声は同じタイプになる。
1件の返信 2件のリツイート 2 いいね
峨骨‏ @Chimaera925 2016年10月23日

似たような背格好、顔の人間が居たって完全に一致する訳ではないが、カラオケ文化のせいか、何故か原曲の歌手に似ている歌い方や声が上手いとされる猿真似文化になってしまっている傾向がある。聴衆に受け入れられやすいからか、真似て下積みしてきたからか歌手もそうなりがちだけど、実に勿体無い。
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峨骨‏ @Chimaera925 2016年10月23日

日本では教養として芸術を鑑賞する文化や素養はなかなか育たないだろうな。聴衆が芸術にシビアな評価を下して悪いものは悪い、素晴らしいものは素晴らしいと評価することも無いから、子供騙しや流行った歌手に似た二番煎じみたいなヤツが流行る。育成やプロモーションに時間も予算もかけられなくなって
1件の返信 1件のリツイート 1 いいね
峨骨‏ @Chimaera925 2016年10月23日

来ているから、一発屋や昔流行った曲のカバー、どこかで聞いたような曲、外国で流行した曲の和製模造品だらけになる。単純にCDも売れなくなってきたし、キャバクラ商法や短期に流行作って経費回収しつつ利益出すやり方になりがち。利益の見込みが無いとGOサインも出ないだろうしな。
1件の返信 1件のリツイート 1 いいね
峨骨‏ @Chimaera925 2016年10月23日

呼吸の補足:息を吐ききったあとて脱力して自然と入ってくる過程を息を吸うと表現している。腹を膨らませて吸う必要は無い。脱力が身に付かない段階でそれをやれば息を吸おうとして余計な力が入りいつまでも脱力が体得できない。肩が上がって胸式呼吸になってしまい本末転倒。変な癖が付くと遠回りだ。
1件の返信 4件のリツイート 5 いいね
峨骨‏ @Chimaera925 2016年10月23日

歌手の歌真似して変な癖や喉を潰しかねない歌癖が付いてしまうと、なかなか治せない。自分自身の手で自身の声の力、魅力を掘り起こさなくてはならないのに、誰かの劣化コピーになってしまいがち。基礎が無いのにそれをしようとすれば、喉を潰しかねない。百害あって一理無しだ。
1件の返信 3件のリツイート 3 いいね
峨骨‏ @Chimaera925 2016年10月23日

役者は体作りから入るのに、歌はカラオケ等で誰でも歌えるから軽視されやすい。昔と違ってマイクや音響機器の性能向上で声が拾いやすくなり、編集やエフェクトも簡単に付けられるから声楽ほどは重視されないし、求められてもいないだろうが、何本もライブ演って持たないのはちょっとな。
1件の返信 3件のリツイート 3 いいね
峨骨‏ @Chimaera925 2016年10月23日

あの呼吸法は精神状態や力を入れる箇所、呼吸の加減によってツボに嵌まると呼吸するだけで快楽や多幸感が得られるパターンがある。ある種間違ってはいないがそのやり方はお勧めしない。呼吸だけで賢者モードになり日常や健康に支障が出る。それで悟ったなんて勘違いしても不味い。脳内麻薬の錯覚だ。
1件の返信 4件のリツイート 4 いいね
峨骨‏ @Chimaera925 2016年10月23日

そのようにはならないように書いているので恐らく危険は無いだろうが、偶然そうなる可能性もあるので。これで得てしまった神秘体験や特別な体験に思えるものは脳内麻薬の産物で錯覚だ。ほどほどに付き合って、快楽や優越感に溺れてはいけない。それは破滅の第一歩。引き返せ。
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峨骨‏ @Chimaera925 2016年10月23日

敢えて心と書かないのは神秘主義やオカルトが入り込まないように。人間、期待すると見たいものを脳内で作り出して見てしまう生き物なので。そっちは無防備に踏み込むと実に危険で、良いことなど何一つ無い。カルトにハマるくらいならまだマシなくらいに。タチが悪いのを拗らせると人間として終わる。
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峨骨‏ @Chimaera925 2016年10月23日

呼吸法で心身を健やかに、歌唱力を向上させ本来持つ声の魅力を引き出す。求めるのはこれくらいで充分だ。神秘体験や特別な力は求めてはいけない。欲や誘惑に囚われないと思っていても、求めないのが無難だ。そんなもの無くても人間は生きられる。いや、手段に依存するくらいなら最初から無い方が良い。
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峨骨‏ @Chimaera925 2016年10月23日

ありがちなカルトのイニシエーションでまやかしの神秘体験をしてカルトにハマる者を見れば危険性は解るだろうから、これくらいで。
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峨骨‏ @Chimaera925 2016年10月23日

人間ってのは、ある環境や条件、前提となる知識が揃うと簡単に神秘体験のようなものを脳内で作り出して体験してしまうので、研究する側としては面白いのだけどね。やってはいけない見本だ。それを悪用する連中は軽蔑に値する。風上にも置けん連中だ。恥を知れ、と。
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峨骨‏ @Chimaera925 2016年10月23日

白魔術だの黒魔術だの分類されているように見えるが本質は同じだ。まじないにしても呪い。どれも意識の変容の技術。使い方によっては他人の意思をねじ曲げる技術でもある。戯れに手を出して効果が無ければ幸い、あれば最悪。道具は使う者の倫理観に委ねられる。相手を幸福にするから白など単なる欲目。

韓国・朝鮮人元BC級戦犯者の証言‏ @Koreanbcqsenpan 4月6日

1942年6月に、朝鮮全土から三千数百名が日本軍の俘虜監視員として集められ、釜山・野口部隊に入隊した。そこで厳しい2カ月間の軍事訓練を受けた。叩きこまれたのは「軍人勅諭」や「戦陣訓」。捕虜の取り扱いについてはまったく教わっていない。毎日ビンタで殴られない日はなかった。李鶴来
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峨骨‏ @Chimaera925 6時間6時間前
返信先: @Chimaera925さん

未成年の新隊員をボコボコに 自衛隊に横行する旧陸軍の“伝統”
http://www.mynewsjapan.com/reports/959
>暴力事件で懲戒処分を受けた自衛隊員は、昨年度1年間で80人以上。うち、事件の詳細が国民の前に明らかになったケースは、ごく氷山の一角だ。
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峨骨‏ @Chimaera925 6時間6時間前

旧日本の軍隊では暴力による指導が当たり前だった。古参兵が新兵に対して指導や教育と称して暴力を振るい苛めやマウンティングを行うのは明治以降の日本の伝統。戦後、学校や企業、スポーツ界等に継承されて来た。流石に現代では直接的な暴力は無くなって来てはいるが、無くなりはしない。
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峨骨‏ @Chimaera925 5月17日

政府や企業の役に立たない、あるいは資本家や投資家の為に富を生産しないものは異常や障害とされる。しかし、公害や貧困を作り出し、社会や人へ害を与え、問題を創出してでも利益を出すような、良心やモラルが欠如した者は異常とも障害ともされない。それどころか、立派な者として扱われる。
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峨骨‏ @Chimaera925 5月7日
返信先: @Chimaera925さん

相手の言動を受けて、お約束のような反応なんぞしなくても良いのだ。仮に他者から罵倒されても、個人的にそいつが罵倒したというだけであって、萎縮しなくてはならない、服従しなくてはならないという決まりはない。そいつの脚本には相手は服従すると書いてあるかもしれないが。感情で捉えるな。
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峨骨‏ @Chimaera925 2013年9月17日

そこで労道が生まれる。社会人(会社員)としての精神論、規範、徳で己を飾り必要性をアピールし、他者を労道の序列に加える事で上位に立ったと錯覚する。「社会人として~は常識」といった徳目が増えていく。契約により労働の対価を得るのではなく、労道の為の労働となる。
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峨骨‏ @Chimaera925 2013年10月26日

目先の金儲けや娯楽にかまけて、国民が自分の権利を保持する為に必要な事を公に任せきりだった。会社に入に入って金儲けしていれば一人前の社会人。義務を果たしたからお上が何とかしてくれる。規制しろ、禁止しろ。そんな中で市民権だとか国民の権利なんて考えは生まれて来ない。
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峨骨‏ @Chimaera925 2014年2月21日

普通なら生まれて社会の構成員になった時点で社会人なんだけど、日本では会社に入る事が社会人(大人)という事になっている。成熟した大人にならなくても盲目的に組織に所属さえしていれば一人前の大人として認められる社会だ。そんな中で国際的に認められる成熟した大人になるのは難しい。
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峨骨‏ @Chimaera925 2014年4月2日

今の時期、テレビで新卒が「社会の荒波に揉まれ」「社会人になります」とかインタビューに答えてるけど、非常に違和感を感じる。生まれた瞬間から社会の一員となるのに、日本では労働者になると社会人と見做される。企業や国家から見た使用人を社会人と呼ぶ、不思議だ。
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峨骨‏ @Chimaera925 2014年6月17日

社会進出の定義がおかしい。働く事は社会進出ではない。オギャアと生まれたら社会人。社会の構成員だ。会社員になったら社会人?ハッ、仕事仕事で地域のドブさらいや宮掃除もやらない奴が社会人?働くのはテメェの都合だ。社会貢献ではない。金稼ぐのが貢献なら世の中もっとマシになってる。
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峨骨‏ @Chimaera925 2014年6月17日

会社員が社会人って頭で金にならない事を切り捨てて来て、人と人の繋がりだの無縁社会だ何だと今更言い出すのはおかしい。会社を通してしか社会にアクセス出来ない?会社員の人脈見て見れば解るけど、仕事上の取引先や同僚くらいしか繋がり無いぜ。狭い社会だこと。
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峨骨‏ @Chimaera925 2016年8月7日

与えられた役が苦しくとも耐えて努力すれば報われる、日本でありがちな思想。例えば与えられた役が奴隷で、努力したら報われて奴隷頭になれるかもしれない。しかし、奴隷以上にはなれない。
働いて、納税し、選挙に行けば社会人。法制度、各種必要な手続きを全く知らなくても。
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峨骨‏ @Chimaera925 2016年11月4日
返信先: @Chimaera925さん

社会人だから、仕事だから「仕方ない」。こうして些細な嘘や裏切り、反社会的な行為に手を染める。社会だと思っているちっぽけな会社のルールや常識に染まっていく。会社の常識は社会の非常識。自分の食い扶持を稼いで納税したら社会人?不思議な事だ。社会人なのに法も地域の事も何も知らない。
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峨骨‏ @Chimaera925 5月21日

日本ではビジネス、金儲けに貢献する事が社会的な活動とされる。一億総活躍にしても、社会人にしても、会社に所属して働く事だけが評価の対象。会社で働かず地域社会に貢献したり、子育てしたりするのは社会人ではないと。生まれた時点で普通は社会の一員、社会人なんだけどな。
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峨骨‏ @Chimaera925 2014年7月10日

序列に組み込まれた人々は単一の価値観が創りだした脚本を元に、勝手に脚本を想像してそれぞれの役割を演じている。脚本に従わない者に演技指導をする。「お前は子供の役なんだからこういう演技をしろ」「お前は店員役で俺はお客様役だからこういう演技をしろ」と言った具合に、脳内設定を押し付ける。
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峨骨‏ @Chimaera925 2014年7月10日

あくまで脚本上の役であってその人そのものではないし、舞台を降りれば演者に上下関係はない。しかし、起床から就寝まで国家という舞台の上で演じ続けていれば、その舞台が現実で役が自分だと信じてしまう。グリム童話の屠殺ごっこの話やスタンフォード監獄実験とまるっきり同じだ。
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峨骨‏ @Chimaera925 2015年4月30日

相手の性別や年令、職業、外見から役柄と筋書きを割り当て、筋書き通りのおままごとを求め、思い通りにならないと役柄を演じない事に彼らは怒りや不安を覚える。彼らもまた、誰かの脚本上のおままごとの上司や部下、父親や母親、恋人、労働者でしかない。自分の意思で演じるならばまた違うだろう。
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峨骨‏ @Chimaera925 2016年6月30日

日本人らしさや日本人の習性なんかも用意された脚本。人生脚本が演じられなくなると混乱する。本来は脚本など無いのに、幼少期から子供らしさや学生らしさ、社会人らしさを演じて来た者は脚本が無いと踊れない。そうして脚本を用意した既存の体制が自身に害をなすものでも、脚本の為に体制を守る。
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峨骨‏ @Chimaera925 2016年10月10日

峨骨さんが峨骨をリツイートしました

人々は与えられた脚本、学生や労働者、父親や母親、消費者、自分らしさを演じている。それらの脚本に逆らう者を見たとき、彼らは脚本を演じるよう矯正する看守や懲罰者に突如変貌する。労働者が経営者目線で労働者を非難し、貧困層が貧者を叩く。

峨骨さんが追加
峨骨 @Chimaera925
スタンフォード監獄実験 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E7%9B%A3%E7%8D%84%E5%AE%9F%E9%A8%93 …
支配の手口。名称と規範的行動を用意し、フィクション等でそれを刷り込み、役割を振る。看守とは何か、囚人とは何か知っているから看守役は看守らしく、囚人役は囚人らしく振る舞う。男らしさや女らしさも後天的な…
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峨骨‏ @Chimaera925 2016年11月4日
返信先: @Chimaera925さん

命令や常識、地位や立場―――与えられた役割、脚本。これらに従い演ずる内に心は麻痺して死んでいく。他者の傷みも解らなくなる。そのようなゾンビを手駒として使役することで利益を得る。真の外道は自らの手を汚さない。実行したものを糾弾しただけでは意味がない。命令し、行わせた者こそが本体。
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峨骨‏ @Chimaera925 2016年11月26日
返信先: @Chimaera925さん

目的や理由の囚人は「しなくてはならない」「こうあらねばならない」の囚人だ。自身の意思では欲していない、「欲せよ」と命令されたから欲しているだけのロボットと差異は無い。支配にはさぞかし都合がいいだろうな。国産RPGみたいに主人公(自分)に役割や目的があり、その脚本に沿って生きる。
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峨骨‏ @Chimaera925 2016年11月26日
返信先: @Chimaera925さん

男であり、女であり、父であり母であり、恋人、友人、教師、学生、サラリーマン、ありとあらゆる演目と脚本、人生のテンプレが用意され、それを演じられる内は良いる。その脚本通りに演じられなくなるとアドリブが利かず混乱する。その混乱が現代ではないか。脚本、当たり前が当たり前でなくなった。
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峨骨‏ @Chimaera925 6時間6時間前

フライドポテト頼まなくても似たような事を言われるだろうな。日頃から「社会人として未熟な新卒は学生気分が抜けていないから社会人として教育してやらなければならない」という脚本が上司の頭の中にあるのが前提な。この前提は事実とは関係ない。「学生気分が抜けていない」と脚本に書いてあるだけだ


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聖☆司(ひじり☆つかさ)‏ @hijituka 11時間11時間前

エロ漫画家はいいぞ。今まで上下幅広い年齢のエロ漫画家さんと飲んだけど、上司とかないし、オタ話や原稿など仕事の話をできる仲間感があって楽しい。もっと飲みたい。フライドポテトで怒った人はいなかった。プリンをプルプルさせて「おっぱい」と楽しそうにする人なら何人もいた。
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ぐだトマトさんがリツイート
rundog@ボス‏ @rundog34 11時間11時間前

上司との飲みでフライドポテトを注文したら「いつまで学生気分なんだ」と怒られた 一体何がいけなかった?キャリコネニュース https://news.careerconnection.jp/?p=36020 @キャリコネニュースさんから 俺もそんな基地外上司と呑みたくねーよ
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 3月21日

だからこそ、それについての想いが溢れていって膨大すぎて言葉がすべて消費されつくしたとき、そのときの沈黙をただ待つの。言葉が続いてるときはまだ燃え尽きてないし理解されつくしてもいない。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 3月21日

知識なんていくら多く持ってもそれは器に過ぎないから中身が成長してくれば自然と手狭になってリフォームが必要になるのです。最終的にその器は無限のものになり表現ができないことになるでしょう。言葉をいくら尽くしても無駄なことを知れば、あれとかそれということになり、あとは沈黙するだけ。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 3月21日

かみさまは知れば知るほど何百何千の名前を持つことになるの。なぜなら、実体が大きすぎてひとつの形などにはおさまらないから、名前をたくさん与えないといけない。これをして何千の貌を持つという言い方もできます。何かを知るというのはそういうことだから、知識はただの器なのです。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 3月21日

何かの固有名詞に入りきらないのが中身であり現実の実態。だから知識や名前という入れものからそれがはみ出して来たら、名前(形)を捨ててしまうのです。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 3月21日

誰かいとしい人に会いたいときに心の中でわざわざ名前をよんだりするのかな? あのひとや、彼、なにかの代名詞になったりしてない? すでにイメージが出来上がってる場合は固有名詞はいらないからです。あれ、それ、でいいの。つまり、神様ならThe Oneといいます。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 3月21日

それ故に名前というのはただの器でしかない。中身が入るまでの仮初のもの。知識ってそういうものだから。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 3月21日

象徴には名前がついてるけど、名前なんて忘れちゃったほうがいいの。それを見た瞬間に言葉が色々と思い浮かぶかもしれないけど、それよりも先に感覚とイメージが浮かばないとそれは使えるようにならないからです。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 3月21日


Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 3月21日

何かに名前がつかないと、名前が付いた者同士でなければ関連付けは起こらないのです。このことは実体験しないとなんのことか恐らく理解はできない。それだから、名前のない世界というのはそれぞれの事柄がすべて独りであり、まったく孤独な世界。関連付けという仲良し関係がないからです。
この関連付けとは分類が生じるということ。すなわち、名前を付けないとそれは分類できないようになってる。知識はそこから生じるの。それゆえに最初にロゴスありといいます。



Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 3月21日

これがどれほど恐ろしい瞬間なのかって説明できない。幽体離脱? そんなの知らないです。そんな話してないですし。
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Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 3月21日

なんか勘違いする人多いみたい。それに、関係ない話する。すべての言葉といったのは使える言語すべてが無効になる瞬間のこと。ロゴスを感じることができなくなるの。つまり、何らかの意味づけが作られない状態。だからモノとモノの関連付けが行われなくなる。リンゴ→赤い/丸いというのが無効になるの


Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 3月21日

そういえば夢の中で失語症になったことがある。夢の中とはいえ、何らかの言葉で考えたりすることはできるのに、どんな言語も使えなくて絶海の孤島に放り出されたような気分だった。考えること自体が困難で感じることしかできない世界。そのあとで「回線」がつなぎなおされた。

Angeliqua@らっこイーター‏ @Ripple1975 3月21日
聖剣はいつも家の戸口から出たらすぐ目の前に刺さってるの。多くの人がそれを引っこ抜く勇気を持てなくて、迂回しながらほかの聖剣を探そうとする。でも、どの聖剣も偽物で、最後にはお家の前に帰ってくるのです。これがエクスカリバーの伝説。それが一番使いたくない聖剣だからです。(^^;
お家の前に刺さってる聖剣は呪い付きですからね。本当に覚悟ができるまではただの木の棒にしか見えないから。凡庸で貧弱な武器にしか見えないの。でも、気づいたときにはそれを引っこ抜いてやっと自分の道を探し始めて本当の冒険が始まるのです。


15秒で訓練なしにできる記憶力を倍増させる方法
http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-494.html
繰り返しはあまり役に立たない

 ものを覚えるのに、今でも頻繁に使われる方法に《繰り返す》というのがある。
 これは思ったほど(一般に思われているほど)効果がない。

 
 記憶システムを短期記憶と長期記憶から構成されるものとするレトロな二重貯蔵モデルにおいては,繰り返し唱えたり書きなぐったりして、記憶したい情報を反復することで,短期記憶から情報が失われないようにすると同時にその情報を長期記憶へと転送させるのだと考えられていた。
 ところが,情報を単に反復することに時間を費やしても,必ずしもそれが記憶として定着するわけではないことがその後分かってきた。
 現在では,こうした《繰り返し》は維持リハーサル maintenance rehearsal(または1次リハーサル primary rehearsal)と呼ばれ,情報を短期記憶に一時的に保持させるに過ぎないと考えられている。


記憶技法はめんどい

 情報を長期記憶に送り込むには、同一の符号系列の単純な反復である維持リハーサルではなく、情報に対するイメージの構成や意味的処理によって既有知識と関連づける精緻化リハーサルが有効である。
 記憶したい情報を相互に関連づけたり情報の意味づけを行う、いわゆる《深い処理》にあたるものだ。
 単語のスペルや音韻に注意したり,繰り返し読み上げたり書き写したりするような「浅い」処理を行うよりも,意味を考えたり,イメージしたり、自分の経験と関連づけるような「深い」処理を行う方が,その単語の保持成績は優れたものになる。
 記憶したいものをカテゴリーに分類したり,記憶すべき項目をあらかじめ決めた場所に置いたり,各単語や単語リストのイメージを作るというイメージ化することも、これにあたる。
 いわゆる記憶技法や記憶方略として知られているものは、この《深い処理》をプロセスに含んでいる。
 
 しかし問題は残る。
 
 記憶技法は、それなりの準備や訓練を必要とするものが多い。
 《深い処理》自体が難易度が高い方法だったり、そうでなくても手間暇がかかることが多い(手間暇をかけ、簡単にすまさないから「深い」処理になるのだとすら言える)。
 記憶技法や記憶方略は、それぞれに効果のあるものなのだが、思ったほど普及しないのは、ぶっちゃけ「面倒くさい」からである。
 
 では、とりあえず《繰り返す》よりはましで、《深い処理》ほど面倒くさくない方法はないのだろうか?
 
 もっとずっとシンプルで、特別な訓練も、特殊な準備も必要のないものは?
 
 
ただ《持っておく》こと

 紹介するのは、あまりに地味なので、意外に知られていない方法である。
 

 A.誰かに読み上げてもらった単語を、すぐに復唱する
 
 B.誰かに読み上げてもらった単語を、15秒間待ってから、復唱する
 

 これはすぐに実験できるから、AとBをどちらも試してみよう。
 
 Bのやり方の方が、圧倒的に記憶に残る。
 違いは「15秒間待つ」ことだけである。
 
 
 短期記憶に情報が保持される時間はかなり短く、通常15秒(長くても30秒)程度と考えられている。
 それを超えて記憶を保持しようとすれば、情報を処理せざるを得ない。
 記憶したい情報をただ流すのでなく、少しの間「持っておく」ことで、情報処理プロセスを作動させる訳である。

 

4つの基本技

 では「15秒待つ」ことを組み込んだ記憶法の4つあげよう。
 4つというのは2種類のインプット(聞く/読む)と2種類のアウトプット(言う/書く)を掛け合わせた数である。
 どれもシンプルな方法なので、いろんな記憶技法や記憶方略と組み合わせることも簡単である。


(1)delayed repetition 聞く→言う

 時間差復唱。
 耳で聞いた情報(たとえば単語や文)を、15秒待ってから、復唱する。
 
 
(2)delayed dictation 聞く→書く

 時間差ディクテーション。
 耳で聞いた情報(たとえば単語や文)を、すぐに書き留めるのでなく、15秒待ってから、書き出す。
 

(3)delayed copying 読む→書く

 遅延写経。
 読んだ情報(たとえば文字や単語や文や数式など)を、すぐに書き写すのでなく、15秒間待ってから、何も見ずに書き出す。


(4)Read & look-up 読む→言う

 時間差音読。
 読んだ情報(たとえば文字や単語や文や数式など)を、すぐに発音/発声するのでなく、15秒間待ってから、何も見ずに唱える。”

(保存版)覚え方大全/自分で選ぶための53種の記憶法カタログ
http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-518.html

古今東西の記憶術をざっくり7つにまとめてみた
http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-333.html

復習のタイミングを変えるだけで記憶の定着度は4倍になる
http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-499.html


村久道‏ @Lawcojp 2014年5月19日

NHKクロ現「追跡“出家詐欺”」だが、困窮した寺を使って多重債務者に得度させ、家裁で戸籍を法名へと変えさせる。ブラックも消えて人生リセット!名前を変えた多重債務者が偽造源泉徴収票を提出して住宅ローンをだまし取り、詐欺容疑者となって、行方をくらませる。人生リセットの無間地獄。

安田美絵(遺伝子組み換えでない)‏ @MieYasuda 2014年5月14日

今日NHKのクローズアップ現代でやっていて驚いたのが「出家詐欺」。得度をしてお坊さんになり、法名をもらって、家庭裁判所に申請すると、それを戸籍上の下の名前にできるという。名前を変えて人生をリセットし、債務を帳消しにするなど、犯罪に使えるという。宗教が犯罪の温床になる危険性を指摘。

山杉本治‏ @yamasugi_moto 2013年7月21日
「ブラック企業」「リストラ」などとカタカナ英語で表現するとソフトに聴こえるが、実態は「違法企業」「首切り」だ!ちゃんとそう日本語で言えばいいのだ。

ゆとりーな‏ @Ri7_u10 2015年7月19日
僕「(拙い英語)院の後輩が入った会社がいわゆるブラックで〜」 知り合いのカナダ人「(拙い日本語)ブラックは人種差別を連想させるからやめとけ。英語では"sweat shop"かな。それから日本人はブラックなんてオブラートに包んだ言い方せずに"illegal"って言え」 僕「はい」


つきなたこねこ‏ @coneko 2015年7月19日
へぇぇ、英語でブラック企業って『Sweat shop(搾取工場)』って言うんか。あと日本人ってなんでも通称とかアダ名を付けて表現を柔らかくする悪い癖あるよね。違法(Illegal)企業でええやんな >RT

眞境名@お仕事中‏ @bot_makina 5月28日
よく「ハートフルなホームドラマ!」とか宣伝したり、企業名にハートフルを使っちゃったりしてるの見掛けますが、これは和製英語でですね、実際にはないんですね。それどころか、実際に英語でハートフルといえば『hurtful=苦痛的な、有害な』って意味に聞こえるので、使わない方が無難ですよ。

てっこ(原料の一部に豆類を含む)‏ @tekko_mamerui 2016年8月2日
返信先: @tekko_mameruiさん
おいらは英語喋れないけど、日本人が英語習得に際して障壁となるのは、カタカナ語、和製英語だという説もあるな。大手マスコミがあえて、日本人の英語マスターを邪魔立てしておいて、英会話スクールの広告を流すんだ。すげえシステムだな。

高田ゲンキ‏ @Genki119 14時間14時間前

ドイツでは、まだ使える不用品を、捨てるのではなく箱に入れて「zu verschenken(差し上げます)」と張り紙をしておくと、道行く人が物色して持っていくのが一般的なんだけど、今日はとうとう散歩中にその日本版に出会った! 日本ももっとみんなこれやったら良いのに。とてもエコ。

孔子の論語 子路第十三の三 名正しからざれば則ち言順わず
http://blog.mage8.com/rongo-13-03

孔子の論語 述而第七の二十 子、怪・力・乱・神を語らず
http://blog.mage8.com/rongo-07-20

孔子の論語 先進第十一の十二 未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん
http://blog.mage8.com/rongo-11-12



終わりの唄

埋め込まれた そのお名前に~♪
囚われて吉夢(アクム) 見続ける~♪
無意識の底に 沈みこみ~♪
アーあなたの 吉夢(キチム)、履き違~い~♪
7 7
5 8
7 4
6 7

履き違いと「喜(ばしき)既知外」の掛詞♪

お読みくださり感謝感激あめちゃんあげない。
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