銀輪蓮廻魂≼⓪≽境東夢方界 作:カイバーマン。
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魔法の森
幻想郷で最も湿度が高く、人間が足を踏み入れる事が少ない原生林が魔法の森だ。
なお幻想郷は規模そのものがあまり広くないので、森といえばこの魔法の森のことを指す。
ちなみに里というだけで人間の里。山というだけで妖怪の山を指す言葉となる。
だが、並レベルの妖怪にとっても居心地の悪い場所で、妖怪も余り足を踏み入れないという特徴もある。
そのため、化け物茸が放つ瘴気に耐えられるのならば、逆に隠れ蓑となって安全な場所ともいえる。
森は、地面まで日光が殆ど届かず、暗くじめじめしている。故に茸が際限なく育つ。
ここの茸は人間にとって食用に堪えうる物もあるが、見た目はあまりよろしくない。また、比較的幻覚作用を持つ茸が多い。
そもそも魔法の森と呼ばれるようになったのも、この幻覚作用をもつ茸が生える為である。
この茸は近くに居るだけで魔法を掛けられた様な幻覚を見せる。
また、この茸の幻覚が魔力を高めると言う事で、この森に住む『魔法使い』も多い。
そしてその森の中の片隅で一人で住む魔法使いの少女がいた。
アリス・マーガトロイド
自分で造ったからくり人形を精密な動作で操作し、まるで生きているかのように操る事が可能であり、やろうと思えば大量の人形に対して別々の動きをする事も容易に出来てしまう。その器用さは幻想郷でも随一と呼んでも過言ではない。
「もうこんな時間か、香霖堂で暇つぶし用に買ってみたけど悪くはない内容だったわね」
幻想郷では珍しい洋風に作られた自宅の一軒家でつい読書に耽っていたアリスは窓から差す夕焼けを見てやっと日が落ち始めている事に気づいた。
「夕食の準備しないと」
アリスは元々は人間で、修行を積んで魔法使いになったとされている。
魔法使いになってから日が浅く、そのため魔法使いであるのなら本来必要ではない食事や睡眠といった人間の習慣を続けていた。
「それにしても今日は朝から随分と頭痛が酷いわね……何故か昨日の夜の記憶も無いし、この前試した魔法の副作用かしら?」
何故かズキズキと痛む頭を手で押さえながらゆっくりと腰を上げて椅子から立ち上がると、アリスはキッチンへと向かう。
そんな彼女に向かいでテーブルに頬杖を付いて漫画を読んでいた八雲銀時がけだるそうに
「俺今医者に甘いモン止められてるからデザートは無くていいわ」
「あ、そう。なら作る手間が省けて万々歳だわ」
それはそれで作る物が一品減るから夕食に時間をかけなくて済むとアリスが調理にかかろうとするがその手がピタリと止まり
「……なんで当たり前の様にあなたが我が物顔で私の家にいるの?」
「そんなのどうだっていいだろ、さっさと夕食作ってくれよ。あ、なんか無性におでん食いたくなってきた、おでんでいいやおでんで」
「他人の家に勝手に上がり込んでるクセに夕食のリクエスト? さすが大妖怪の旦那様はツラの皮が大きいわね」
アリスは夕食を作るの止めてジト目で振り返る。
今その場に招かれざる客が我が家同然の態度で偉そうに座っているからだ。
「相変わらず能力を使って音も気配も無く現れるの止めてくれないかしら。とっとと出てってちょうだい、生憎あなたの遊び相手をしてあげる余裕は無いのよ」
「そう言うなよ。お前確か森で迷ってる人間を自分の家に招いて泊めて上げる事もあるんだろ?」
めんどくさそうに出て行けと言ってくるアリスに銀時は椅子から立ち上がる事無く両肘をテーブルについて手を合わせると
「家に帰れずにこの先どうするか迷ってる元人間も泊めてくれたっていいだろ……」
「何いきなりテンションだだ下がりになってるのよ……」
急に暗いテンションで語り始めようとする銀時を見て、怪訝な表情を浮かべながらアリスは彼の向かいにあるイスに座る。
「もしかして家庭の方で何かトラブルでもあったの?」
「いやまあ長くいると些細な事で喧嘩する事もしばしばあってさ」
「そりゃ千年連れ添ってる夫婦だったら喧嘩の一つや二つってレベルじゃない頻度でぶつかり合うでしょうね」
「いやホントよぉ、キッカケはしょうもねぇ事なんだわ。聞いてよアリスちゃん」
「アリスちゃん言うな」
しかめっ面で顔を上げて語りだそうとする銀時に相づちを打ちながらとりあえず聞く体制に入ってあげるアリス。
そして銀時は家庭で起こったトラブルを話し始めた。
「昨日の夜、ちょっくら酒持って博麗神社で霊夢と飲んでたんだよ」
「八雲と博麗の巫女は縁の深い間柄だったわね、仲がよろしい事」
「最初は俺とあのガキだけだったんだけど、あの手癖の悪い魔法使いもやって来てさ」
「ああ、アレね……」
手癖の悪い魔法使いと聞いてアリスも顔をしかめる。
「博麗霊夢の古い馴染みらしいし遊びに来る事もあるわね……」
「それでまあ仕方なく三人で飲む事になったんだよ、滅茶苦茶酔ってたなあん時は、あの不良娘なんか賽銭箱の中にゲロ吐き散らすしよ」
『オボロロロロロロロ!!!』
『ギャァァァァァ! 私の賽銭箱になに汚ないモン入れてんのよ!!』
博麗神社にとって神聖な道具である賽銭箱に吐瀉物を撒き散らすとはなんて罰当たりな。
巫女として後片付けをしなければならない霊夢に対してアリスは同情する。
「怒り狂う巫女が容易に思い浮かぶわ」
「ああ、賽銭箱汚されちゃアイツも黙っちゃいねぇからな、俺とアイツ両方正座させられて説教食らわせられたよ」
「なんであなたも説教させられたの?」
「いやだって」
『オボロロロロロロロロ!!』
『ドボロロロロロロロロ!!』
『なに仲良く二人で私の賽銭箱に吐いてくれてんのよ! 正座しなさい正座!!』
「俺も飲み過ぎててよ」
「……なんであなたまで賽銭箱の中に吐くのよ、なんでそんな時だけ仲良くするのよ」
「酔いが回ってまともに思考する事さえ出来なかったんだよ」
己の過ちをちっとも悔いて無さそう態度で頬を掻く銀時にアリスが呆れる中、彼は話を続ける。
「そんでその後、紫の奴が俺の帰りが遅いもんでやって来てな」
「なるほど、そこで後に喧嘩をする奥さんが現れたって訳」
「まあでもその辺は記憶曖昧なんだよな、確か紫がやって来てからもまた飲みまくって、最終的に紫が」
『全く、もういいわこんな酔っ払い。霊夢、お願いね』
『ちょっとアンタの夫でしょ、引き取りなさいよ』
『こんな状態の人を家に連れ帰りたくないわ、汚されたらたまったもんじゃないし』
『いやこんな状態の奴を人の家に泊まらせる方がどうなのよ!!』
「もう知らないって事で帰っちまったんだよ。結果的に博麗神社に泊まるって事になってさ」
酔っ払いのおっさんをどうするか押し付け合う二人を想像しながらアリスがため息を突く。
きっとそういう事はしょっちゅうなのであろう
「八雲紫と博麗霊夢も大変ね……」
「それであの不良娘の方もその時に完全にベロンベロンでよ、どっち道こっちも帰れそうにねぇから二人まとめて神社に泊まる事になったんだよ」
「最終的にダメ人間二人が同じ所に寝泊まりする事になった……なるほど」
今までの話を聞いてようやくわかったと、アリスは軽く頷いて見せた。
「大方酔っ払ってみっともない姿を周りに晒したのが原因で八雲紫に怒られて家から追い出されたって訳ね、情けない、だったらこんな所で道草食ってないですぐに戻って謝りに行きなさいよ。」
「いやアイツが怒ったのはそこじゃねぇよ、もっと後の話」
「まだ続きがあるの?」
どうやらアリスの予想は外れていたらしい、これじゃないとしたら一体なんだ?と彼女が小首を傾げていると銀時はいきなり小難しい表情を浮かべて話を続けた。
「それとこっからが一番大事な事なんだが……いいか?」
「聞かないと出て行く気無いんでしょ? 適当に聞いてあげるから早く言いなさい、夕食の準備があるんだから」
「……神社に泊まるのが決まって、そっからはまるっと飲み過ぎてたから記憶がねぇんだが、とにかく俺の意識がはっきりしたのは博麗神社で朝を迎えた時だったんだよ」
さっさと話し終えて出て行けと心底めんどくさそうな態度で聞いているアリスに銀時は徐々に表情を暗くさせながら口を開いた。
「目を開けるとそこは客室だった、んで俺は布団の中にいた。けどその布団の中には……」
『頭痛ぇ……俺寝ちまってたのか、あれ? なんで俺の隣膨らんでるの?』
「俺一人だけじゃなかったんだよ……」
「……え?」
それを聞いてさっきまで退屈そうに聞いていたアリスの顔つきが変わった。それはつまり……
「俺”達”は一緒の布団で寝てたんだ……」
「それってまさか……霊夢じゃなかったの?」
「アイツじゃねぇ」
「てことはつまり……」
アリスの表情は次第に険しくなっていく。もしかしてこの男神聖なる神社で巫女の友人と、とんでもない事をやらかしたのではないかと
「はぁ……どうっすかなぁ……」
「……念の為聞くけどそういう事をした記憶も無いのね?」
「ああ、俺は全くねぇ、けどもしかしたらもしかするかもしれねぇだろ?」
「……そうね、酒に飲まれて間違いを犯す事もよくある話だと聞いているわ」
自信なさそうな銀時にアリスはフォローするつもりなど毛頭なく正直に答える。
「けどそれならここに来るんじゃなくてもう一人の当事者の所へ向かった方がいいわよ、ここから近いしすぐに行くべきだわ」
それが彼女なりのアドバイスだった。もしかしたら向こうの方は何かしら覚えているのかもしれない、もし覚えているのであれば全面的に非を認めて事態をなるべく最小限に抑えてきっちり責任を取るべきだと思った上の助言であった。
だがしかし
「は? どこに?」
「いやだから博麗霊夢の友人のあの魔法使いの所よ」
「……なんで俺があんな奴の所に行かなきゃいけねぇんだよ」
「え? だってあなたアレと何かあったかもしれないでしょ……その、一緒に寝てたんだから」
「誰もアイツと一緒に寝てたなんて言ってねぇぞ?」
「……へ?」
急に顔をしかめて何言ってんだ?って感じでこちらに向かって首を捻る銀時にアリスは思わず変な声を出す。
何故であろう、いきなり話が噛みあわなくなった。
「だって神社にはあなたと霊夢とアイツしかいなかったんでしょ? 一緒に寝てたのが霊夢じゃないって事は残るのは」
「アイツは霊夢の部屋でいびき掻いて寝てたぞ、最終的にうるせぇから霊夢に廊下へ蹴飛ばされてそこで寝てたらしいけど」
「……じゃああなたの布団に一体誰が」
「いやだから」
ますます困惑している様子のアリスに銀時はハァ~とどっと深いため息を突いてすっと腕を上げて
『まさか俺、とんでもない過ちを……いや駄目だ全然記憶がねぇ……!』
『ん~……』
『両方とも服を着ているって事は何も無かったって事だよな……うんきっとそうだ、俺達には何もなかった、そうだろ……』
『……スー』
『俺がテンパってる時に幸せそうに眠ってんじゃねぇよ”アリスちゃん”……!』
「お前だよ」
「……」
ピタリと自分に指を突き付けた銀時に、アリスの頭の中が真っ白になった。
そして数十秒ほど固まった後、いきなりダラダラと頭から汗を流し始め
「どういう事よそれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」
今までずっと冷静だった彼女がとち狂ったように叫び声を上げてテーブルを思いきり拳で叩いて立ち上がった。
「なんで! なんでそこで私が出て来るのよ!! 私一切そんな覚えないわよ! 全然記憶にない!!!」
「あ~なんだ覚えてなかったのか、俺はてっきりお前が覚えてるかもしれないと思ってずっと話してたんだけど」
訳が分からないとパニックになりながら必死の形相で叫んでくるアリスに銀時は小指で耳をほじりながら
「実はお前あの時博麗神社にいたんだよ、これは霊夢から聞いたんだけど、酔っ払ってすっかり舞い上がった俺がさ、能力使って不良娘と一緒にお前の所に行って」
『ダハハハハハ!! アリスちゃん元気ぃ~!? 俺達と一緒に飲もうぜ~!!』
『珍しい組み合わせね、今何時だと思ってるの』
『いいからちょっと神社行って飲むぞ! 俺の能力使えば一瞬で行けっから!!』
『酔っ払いと付き合うつもりはないわ、とっとと帰って……ってうわ!』
「無理やり連れて行ってしこたまお前に酒飲ませてたらしい」
「……そういえば朝から頭痛が激しいと思っていたら」
自分の頭を押さえながらアリスは絶句の表情を浮かべる。
このひどい頭痛の正体が彼等に無理矢理飲まされた事が原因だとするのであれば。
昨日の夜の記憶がぽっかり抜けているというのも辻褄が合うのだ。
「てことは私……あなたと同じ布団で寝ていたの? でも私今日起きたら自分のベッドの中にいたわよ……」
「それは俺が能力使って隠蔽する為にここにそのままの状態で連れてきたんだよ……」
「さり気なくゲスな事やってんじゃないわよ」
「けどお前を運ぶ前に霊夢と朝迎えに来た紫がやって来て……」
『ほら、紫が迎えに来たからアンタもさっさと帰……え?』
『どうしたの霊夢……え?』
『どわぁお前等!! いや違う! コレは違うから! 何も無かったし何もしてないから!! 信じてハニー! 飲み過ぎて何も覚えてないけど俺は何もやってないから!!』
「てな事になってテンパった俺はお前を家に連れてった後逃走。現在、家にも博麗神社にも帰れなくなりました」
「どうすんのよ私まで巻き込んで! ていうか本当に何もしてないわよね! 私の純潔はまだ護られたままよね!?」
「……」
「なんでそこで黙って目を逸らすのよ! もし私に手を出してたらタダじゃ済まないわよ!!」
額から汗を流しながらスッと自分から目を逸らす銀時に、遂にアリスは身を乗り出して彼の胸倉を掴み上げる。すると彼は慌てた様子で
「落ち着け、そうと決まった訳じゃねぇだろ! だってあの時は二人揃ってしっかり服着てたんだから! お互い裸だったら完全にヤバかったがそうじゃなかった! つまり俺達の間には何もない! 多分!」
「多分って何よ! そこは男らしく自信持ちなさいよ!」
「仕方ねぇだろ俺とお前も覚えてねぇんだから! 霊夢は飲みまくってる俺達ほおっておいて先に寝てたって言うし!」
何があったのかは誰も知らない、つまり事の真実は迷宮入りとなってしまっているのだ。
二人は必死に記憶を呼び起こそうとするも、そんな事があったのかどうかなどちっとも思い出せない。
「だからお前に頼みがあってここに来たんだよ俺は」
「と、泊めるなんて絶対無理よ!! それともまさか責任取るって言うんじゃないでしょうね! アンタ奥さんいるんでしょ!」
「俺と一緒にカミさんに謝りに行ってくれ」
「なに家庭の修羅場に私も巻き込もうとしてんのよ! お断りよそんな事!」
突然の頼み事に正気を疑いながらアリスはキレ気味にツッコミを入れる。だが銀時はそれでも負けじと
「いやマジで頼むって、記者会見だけでいいから」
「記者会見ってなに!?」
「涙流しながら何もなかったって報告すりゃあいいんだよ、レギュラー番組下りてしばらく休業すれば視聴者も忘れてくれる筈だから」
「視聴者ってなによ! さっきからアンタどこのタレントと私を被せてんのよ!」
「それでも駄目なら中居君がなんとかしてくれっから」
「いい加減にしなさいよゲスの極み銀時!! 自分だけ助かろうって算段が丸見えなのよ! いいからあなたは奥さんに私達の事を上手く説明して……!」
彼の胸倉をつかんだままアリスが激昂した様子で怒鳴り散らしていると……
接近している二人の間に入るようにスッと”彼女”が
「私達の事? 一体私にどんな事を説明してくれるのかしらぁ……?」
「ギャァァァァァァァァァ!!!」
「紫お前いつの間にィィィィィィ!!!」
なんの前触れもなく突如現れたのは八雲紫、いきなり出てきた彼女にアリスと銀時は二人揃って素っ頓狂な声を上げてバッと離れる。
「何処にいるかと思って探してみたら……よりによってここにいたなんて」
「ち、違うって! 俺はただコイツが何か覚えてないか聞きに来ただけだから!!」
顔は笑っているがその背後からは何やらドス黒いオーラが……
思わずその場に腰を抜かしてしまった銀時は必死な様子で訳を説明し始めた。
「けどコイツも覚えてなくて!!」
「本当に何も覚えてないのよ! 誰かさんに酒飲まされたせいで!」
「だからきっと何もなかったんだよ俺達は! 服も乱れてなかったしただ一緒に寝てただけなんだって!」
「誰かさんに酒飲まされたから酔い潰れて一緒の布団で寝てただけなのよ!!」
「ふーん……そう」
銀時と一緒にアリスも加わって正直に洗いざらいの事を全て告白する。
すると紫はドス黒いオーラを引っ込めて意外にもあっさりとした表情で
「別に私はその事で怒ってる訳じゃないんだけど」
「へ、そうなの?」
「私が怒ってるのはいい年して女の子達と理性を失う程飲みまくった事よ」
やれやれと言った様子で紫は銀時に向かって首を横に振る。
「いきなり逃げ出したと思ったらあなたそんな事で私が怒ってると思ってたの? あの場に出くわした時は確かに驚いたけど、別に気にしてないから」
「……本当に?」
「ただ酔っ払って一緒の布団で眠ってただけなんでしょ? 確証がないみたいだけどいいわよそれで」
呆れた様子で両肩をすくめると紫は背後から人一人分入れる程のスキマを展開する。
「千年以上付き合ってればこちらも多少の間違いの一つや二つ目を瞑るわよ。さっさと家に帰りましょ、藍が夕食を作ってるから」
「あ、ああ……本当に? 本当に気にしてないの? だって俺もしかしたらコイツと……」
「いいから入って」
「……」
平然とした態度で親指で開いたスキマを指す紫に銀時は戸惑いを浮かべながらも立ち上がってアリスの方へ振り返る。
「おい、なんか向こう全然気にしてないっぽいぞ、良かったなお互い幻想郷から追い出されるような事にならなくて」
「長い結婚生活によって生まれた普通とは違う信頼関係ね……多少不安は残るものの向こうが気にしてないなら私はそれでいいわ、まだ頭がモヤモヤしてるけど」
「大丈夫だって覚えがねぇのは確かなんだし、じゃあ俺行くわ」
すっかり安心した様子で銀時はスキマの中へと入っていく。アリスはまだ腑に落ちてない表情を浮かべているが彼はあっけらかんとした態度で最後に振り返ると
「あ、そうそう何もなかったという事で今後もお互い気にせずいこうぜ。気まずい空気が流れるのもイヤだし」
「……だったら出来ればしばらく顔見せないで頂戴、こちらも色々と頭の中を整理する必要があるから」
「何も無かったんだからいいだろうがよ、まあいいや、それじゃあ」
「ええ……」
スキマの中から手だけ出してヒラヒラと振ると銀時は行ってしまった。
彼を見送った後アリスはとりあえず一件落着かと安堵のため息を突いていると
「そういえば最後にあなたに伝えておくわ」
「……え?」
まだ帰っていなかった紫がこちらにニッコリと笑いかけながらいきなり話しかけてきた。
何故だろう、その笑顔が先程黒いオーラを放っていた時と似ているような……ゾクッとした寒気が背中から感じながらアリスは彼女の方へ振り返る。
「過剰なアルコールの摂取は量とその人の耐性によって一時的な記憶喪失に陥る事になるのは身をもって体感したわよね?」
「ええ、無理矢理飲まされていたとはいえその点については私もちゃんと反省しているわ」
「そこで問題、あなたのその記憶喪失は本当にお酒のせいなのかしら?」
「……どういう事?」
「両方ともその事についてはっきりと記憶が無いなんておかしいと思わない?」
「まあそうね……けどそれは本当に何も無かったって事にも」
「もしかしたら……」
イタズラっぽく紫はクスッと笑いかける。
「誰かがあなた達のそういう行いを世から消す為に記憶を奪ったとか……」
「へ!? そ、それってどういう事!」
「ちなみにそれぐらいの事なら私の力で実行可能よ」
意味深な台詞を吐きながら紫はスキマに片足を突っ込む。
「本当に何もなかったのか、それとも夫に対して歪な愛情を持っている綺麗な奥様が隠蔽する為に記憶操作したのか……あなたはどっちだと思う?」
「ど、どっちって……!」
「それじゃあコレはあなたへの宿題という事で、何年かかってもいいからゆっくり考えてみなさい」
「宿題って……本当に何もなかったんでしょ! それともあなたが!」
「だから自分でお決めなさい、答えが出たら聞いてあげてもいいわよ、答えられればだけど……」
「ちょ!」
最後に一瞬だけ紫の目が笑っていない事に気づいてアリスは呼び止めようと手を伸ばすも、彼女はあっという間にスキマに飲みこまれて消えてしまった。
「け、結局どっちなのよぉぉぉぉぉぉ!!!」
夕暮れ時、アリスの叫びが森の中で静かに響いた。
その声に返事する者はもう誰もいない。