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2017.11.8

ローカル探訪「気鋭のつくり手Interview」敦賀とユダヤ人のテーマで作品を発表し続ける 福井テレビ 畑 祐一郎さん

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[ 福井テレビ ]

報道制作局 制作部 副部長
畑 祐一郎(はた ゆういちろう)

1999年入社。報道部、報道番組部、1年半の福井新聞社会部への出向を経て、現職。


※本記事は2016年6月に発売したSynapseに掲載したものです。

畑さんは2006年の「扉開きしのち〜敦賀に降り立ったユダヤ人の軌跡〜」を皮切りに、敦賀とユダヤ人のテーマで作品を発表し続けてらっしゃいます。

 

「私を覚えていてください 素敵な日本人へ」では、2015年の日本放送文化大賞でテレビ・グランプリの候補にノミネートされましたね。このシリーズが制作されることになった経緯からお聞かせください。

畑 :2006年当時の上司から「ユダヤ人が敦賀に来ていたみたいだぞ」という話を聞いたのが企画の始まりです。敦賀の鉄道の歴史などを調べてみると、外交官・杉原千畝氏の「命のビザ」を手にしたユダヤの方々がシベリア鉄道でウラジオストクまで来て、船で敦賀に渡り、横浜・神戸などへ鉄道に乗ったという記述があったんです。

そこで、タレントさんを使って敦賀からシベリア鉄道に乗ってユダヤ人の足跡を逆に辿っていくというバラエティ色の強い番組を企画しました。で、その企画が通ってから、詳しく調べ始めてみると、ユダヤ人の方々にとっては非常に深刻な問題で、とてもじゃないけどバラエティのノリでは描けないと思い直しまして。

それで急遽、ドキュメンタリーに変えることにしました。そこから徹底的に取材して、最初に発表できた作品が、06年の『扉開きしのち〜敦賀に降り立ったユダヤ人の軌跡〜』です。

 

最初の作品は特にご苦労も多かったのでないかと思います。具体的なエピソードなどをお聞かせいただけますか。

畑 :まず、出版物を手当たり次第あたったのですが、敦賀に関してはほんの2~3行程度の記述しかないんです。「ユダヤ人が敦賀に上陸した後、横浜・神戸などに移動した」と。なので、最初はユダヤ難民が実際に敦賀に来たのかということを確かめるべく、まずは敦賀の方々に取材するところから始めました。

地元の歴史研究家グループの方々にもご協力いただきながら、「そもそもユダヤ難民を見た人はいるのか?」という素朴な疑問を聞いて回ったんです。でも、どれだけ駆けずり回っても、敦賀市の皆さんが、6,000人のユダヤ人が敦賀に上陸していた事自体を全然知らなくて。

最初の2か月間位は、証言が全く得られず、お先真っ暗な気分でした。取材を開始してから3ヵ月が経過したあたりから、少しずつ証言が得られるようになってきました。

 

これはドキュメンタリー番組として行ける!と思った決定的瞬間などはあったのでしょうか?

畑 :時計が見つかった時ですね。ユダヤの方々はヨーロッパからシベリア鉄道を経た長旅の過程で、敦賀に到着した時にはお金がほとんど残ってなくて、大事な貴金属を質屋に入れて生活費を工面したらしいのです。で、当時敦賀で時計屋さんをしていたお店の娘さんにお会いすることが出来て、唯一の物証と思われる時計を見せて下さったんです。

それを検証したら、間違いなくあの当時ヨーロッパで作られたものだということが証明されて、これでやっぱり確かに敦賀に来ていたんだ!という確信に変わって、行ける!と思いました。

時計の物証が得られた後は、写真が見つからないかなと探し回っていて、敦賀から移動して神戸に滞在していたユダヤ人を、大阪のアマチュアカメラマンが撮った写真が残っているという話を聞きつけて、大阪市立近代美術館建設準備室に行きました。

そこで資料を見せてもらったら、たしかに神戸に滞在しているユダヤ人を撮影した写真があったんです。ちなみに、その写真に写っていた方がたまたま番組で取材を申し込んだ方だったと後から分かったりして、点と点が線につながっていくようになりましたね。

 

ユダヤの方々が敦賀に来たことが証明された後は、どのように取材を進めていったのでしょう?

畑 :日本で現存する資料をある程度探せたと思ったので、次は実際に敦賀に上陸されたユダヤ人の方々にお話を聞こうと考えました。と言っても、自分達だけではどうやってその方々を見つけていいのか分からなかったので、各地の資料館などにも事情をご説明して、ご協力をいただきながら、敦賀に来られたユダヤの方々40人くらいに手紙やFAXをしました。

そしたら20通くらい返ってきたんです。お返事を下さった方々の中でも、一番最高齢の現在93歳の女性を中心に取材を組み立てることにしました。その方は、敦賀に降り立った当時は27歳くらいで、既に妊娠しておられたそうです。

その彼女にお会いするために、オーストラリアに飛びました。金曜日の安息日に、その女性と子供たちや孫たちが何十人と集まって、一緒に楽しく食事をしているのを見て、一人の命の重さを痛切に感じました。もし、この女性が生き延びられなかったとしたら、ここにおられる彼女の子供たち・孫たちは誰一人として存在できなかったんだ、と。そして、彼女は私に言ったんです。

「いつか日本のメディアが、私のところに取材に来ると信じていた。ずっと日本には感謝してきた。日本がなかったら私の家族はなかった」と。この一言で、外国人の目線から日本そして日本人の良さを伝えたい!そして、このテーマをもっと追い続けなければ!という強い義務感のようなものが心の底からこみ上げてきたのを覚えています。

 

お話をお聞きしていて、私も同じ日本人として誇らしいです。

畑 :実は、取材で得られた証言を聞いてても、敦賀市民の方々の意識としては、上陸してきた人達がユダヤ人という認識を持っておられる方がほとんどいなかったんです。国籍がどこだとか宗教が何だとかは誰も意識してなくて、ただ単にヨーロッパから逃れてきた難民の方に何か手を差し伸べてあげたいという気持ちで接していただけだったらしくて。

銭湯の方は無料でお風呂を開放したり、一般の方も通りかかったユダヤの方にリンゴやバナナをあげたりしていたようです。そんなこと、今の時代の僕たちに出来るのだろうか?と思うと共に、同じ日本人として非常に誇らしく感じましたね。

 

他にも、取材を通じて嬉しかったことはありますか?

畑 :この放送がきっかけとなって、08年に敦賀に資料館「人道の港 敦賀ムゼウム」が開館して、後世に伝えていくひとつのかたちとして結実しました。この資料館の2階では、英語版も含めた短縮映像が何本か見られるようになっています。

その後も取材を継続し、13、15年にもそれぞれ続編を賞に出品してきましたし、他の企画もいれると計6、7本つくっています。また、年末年始やお盆には3本続けて流したり、このシリーズはこれまでに何度も再放送し、見ていただいています。一人でも多くの方に知っていただきたいので、やっぱり嬉しいですね。

 

このシリーズはこれからも作っていかれるのですよね?

畑 :06年当初に取材させていただいたみなさんのなかには、ここ数年で亡くなった方もいらっしゃって、この10年間が取材の最後の機会だったと強く感じています。今は、取材を通して得られたユダヤの方々の証言を次の世代へ語り継いでいくことが重要だと感じています。

実は、「私を覚えていてください 素敵な日本人へ」で日本放送文化大賞のテレビ・グランプリ候補にノミネートされた際に、ある審査員の方に、「40代になると今まで見えてなかったものが見えてくる」と言われたんです。

「40代の時が一番いい番組が作れるし、作らなければいけない」と。それで今、ユダヤシリーズを含めて、新たな作品を作ろうと企画しています。内容はまだ言えないのですが、是非期待していてください。

 

楽しみにしてます。頑張ってください!

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