様々な対戦ゲームで最もメジャーなルールが(チーム)デスマッチであるのはいわずもがな。
私は昔からチームデスマッチが嫌いなのですが、
ネット上に(チーム)デスマッチに関する疑問を呈した文献が見当たりませんでしたので一筆。
~デスマッチ(DM・TDM)とは何か?~
対戦ゲームのモーストポピュラーなルールですが、
あらためて文章に起こしてみると
「自分(もしくは味方チーム)の合計キル数が、相手より先に既定値に達すること」
という勝利条件のルールですね。
DM・TDM(以下DMで統一)では、相手より0.1秒でも先に合計キルで勝っていればよく、
味方のだれかが負けていたら、その分だチームメンバーが取り返せばよく、
特にどこへ行けという司令も無いので、プレイヤーは自ら索敵を行いながら遭遇戦を楽しむ。
という趣旨ですね。
~デスマッチ(DM・TDM)に関する考察~
一見すると、頭空っぽなルールのように見えますが、
このDMというルールは、実は致命的な欠点を持つルールです。
いわゆる”オブジェクティブ”という目的が伴うルール(たとえば旗取りや陣取り)と、
このDMは根本的に異なります。
オブジェクティブの有名なルールの一つに「ドミネーション(陣取り合戦)」がありますが、
こちらはどんなにデスしようが、地点を制圧すれば勝ち。
どんなにキルしようが、制圧できなければ負け。 です。
オブジェクティブの場合は、勝利条件=目的があり、目的を妨害する敵を倒す為、その過程で戦闘が発生します。 この場合、「目的の為に殺す」ことになります。
キル/デスは戦闘の副産物でしかありません。
ですがDMは、相手を殺害すること自体が目的で、目的と手段がイコールになっています。
「殺すために殺す」のです。言葉に現すと、このモードがいかに狂っているか、おわかりかと思います。
全てのTPS/FPSゲームに共通することですが ”防衛有利” これは覆しようのない真理です。
攻撃側より防衛側、突撃より待ち伏せが有利なのです。
防衛側は守るべきポイントに意識を集中できますが、攻撃側はそうはいきません。その意識の差=(反射神経の時間だったり…)が有利となります。
現実世界のあらゆる戦史も、これを証明しています。
相手を殺害することが目的のDMでは、”勝利のための” 最善の手段は自然と
防衛体制/待ち伏せ という選択肢が好ましくなります。
でも、敵対するチームが互いに"最善の手"をとってしまうと、お互いに守る一方になってしまい、戦闘が成立しません。 第一次大戦のように塹壕で睨み合うばかりとなります。
こうなると試合が終わりません。
つまりDMとは、お互いに最良の手(守ること)を諦めて、お互いに攻めなければ(リスクを負わなければ)本来は成立しないルールなのです。
死を覚悟し、塹壕から飛び出すしか無いのです。
そうしないとお互い塹壕でにらめっこするばかり。
とはいえ、
DMの勝利条件は 「自分のチームの合計キル数が、相手より先に既定値に達すること」 これだけです。
「隠れてはいけない」「立ち止まってはいけない」そんなルールはどこにも明文化されていませんし、誰にも咎められません。 (CoDでは、立ち止まったら死亡というルールもありましたね)
ですので、最善手を取るとすれば、やっぱり防衛・待ち伏せとなります。
とにかく相手より有利な条件で、相手をキルすればいい…この思考が最も合理的です。
ですが、全員が全員、最も合理的な思考に至ると、やっぱり試合が終わらない。
本来のルールを読み解くと、全員が全員走り回って、互いにリスクを追った状態での遭遇戦で勝敗を決める事が望ましいのです。
私はこの”本来のルール”に沿って行動することが、DMにおけるマナーだと考えます。
この”本来のルール”を理解すると、DMにおける「待ち伏せ」「キャンパー」がいかに卑怯であるか理解できると思います。
もし片方だけが塹壕から飛び出し、もう一方は塹壕で待ち構えていたらどうでしょう?
キャンパーは「リスクを負って攻める」 ことしていないので、”本来のルール”に反している行為なのです。
ですが悲しいかな、勝利の為に最も合理的な選択を取ると、その”本来のルール=マナー”に反することになります。
マナーとは「やれることと、やっていいことは別」ということですね。
「やれるからやる」=法律で駄目って書いてないからやっていい。という思考ですが、これは非文的です。こどもの考え方です。
「やれるけどやらない」=法律には書いてないけど、良心に反するからやらない。やったら誰かが悲しむからやらない。これが文明的な思考です。
つまり、DMに求められるのは良心なのです。
つきつめると、良心に沿って遭遇戦に徹するか、良心に逆らって待ち伏せするか、こういうことになります。
プレイヤーに良心を求める…これは現実のサバゲと同じですね。
良くも悪くも、「紳士のゲーム」と言われる所以は、この良心にあります。
(チーム)デスマッチというもののまとめ
・「殺すために殺す」ためには、本来はリスクを負って攻めるしかない。
・ただしルール上はリスクを負う必要が無いので、待ち伏せしていればいい。
・お互いに待ち伏せしてしまったときは、さあたいへん。
以上のようなジレンマ・矛盾を抱えているのが(チーム)デスマッチですね。
だから私は嫌悪しますし、プレイを推奨しません。