明治時代初期、東京の街頭で自転車を撮った珍しい写真が現存していることが17日、分かった。自転車は幕末・明治初期に西欧から流入した舶来品の一つで、日本での黎明期である当時は三輪や四輪も含め自転車と総称されていた。専門家は、国内に現存する自転車写真では最も古いものではないかと評価している。
所蔵者は東京都千代田区の日本カメラ博物館。近年購入した明治初期の写真アルバムを井桜直美研究員が調べていて、その1枚に三輪自転車が写っているのに気付いた。東京・芝にある増上寺の山門前の路上で男性が乗っており、タイトルとして「大教院山門」「Dai―Kio―in」と書き添えてあった。
大教院は1872(明治5)年、明治政府の神道国教化政策の流れの中で創設され、翌年に増上寺の本堂に移転。75年に廃止された。井桜さんは「写真には、山門の背後にあるはずの本堂が見えない。74年初めに本堂が放火で焼失した後、再建工事が始まる前までの数年の間に撮られた写真だろう」と推定する。アルバムは明治初期の駐日イタリア公使の遺品で、その親族が近年まで保管していた。
東京・目黒の自転車文化センターの谷田貝一男学芸員は「明治初期の錦絵などには自転車も含め西欧から来たさまざまな乗り物が描かれているが、三輪自転車の写真が残っていたとは」と驚く。
井桜さんによると、アルバムの写真は紙焼きだが、原板は湿板だったとみられる。感光材をガラス板に塗る湿板写真は、被写体が数秒静止しないと、きれいに撮れないため、自転車の男性がぶれずに写っているのは偶然ではなく、自転車を入れた撮影が目的だったと考えられるという。
明治初期の自転車に詳しい福島県須賀川市の自転車史研究家、真船高年さんは「この三輪車のフレームは金属製で車輪は木製のようだ。おそらく日本で人力車やかじの職人が見よう見まねで作ったのだろう」と言う。
舶来した自転車の模倣の実態を知る上でも重要といえそうな今回の写真。画像を拡大すると、男性の表情はカメラ目線で誇らしげだ。「最先端の乗り物に乗った俺を撮れ、とポーズをとっているようだ。誰でも乗りやすい三輪車は79年に貸自転車でブームになる。その関係者では」と真船さんは写真を読み解いた。