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ジュリーの横でベース、俳優として樹木希林さんのもとで…岸部一徳の“人生の転機”

中村千晶週刊朝日

岸部一徳(きしべ・いっとく)/俳優。1947年、京都府出身。67年にグループサウンズ「ザ・タイガース」のベーシストとしてデビュー。71年に解散後、俳優の道へ。「死の棘」(90年)で第14回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。「いつか読書する日」(2005年)、「北の桜守」(18年)など、さまざまな映画に出演。テレビ出演作も「相棒」「医龍」「ドクターX~外科医・大門未知子~」シリーズなど多数。最新映画「鈴木家の嘘」は11月16日から公開。(撮影/加藤夏子)

岸部一徳(きしべ・いっとく)/俳優。1947年、京都府出身。67年にグループサウンズ「ザ・タイガース」のベーシストとしてデビュー。71年に解散後、俳優の道へ。「死の棘」(90年)で第14回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。「いつか読書する日」(2005年)、「北の桜守」(18年)など、さまざまな映画に出演。テレビ出演作も「相棒」「医龍」「ドクターX~外科医・大門未知子~」シリーズなど多数。最新映画「鈴木家の嘘」は11月16日から公開。(撮影/加藤夏子)

 最初の数年は年に1、2回仕事があるかないか。でも、そういうものだと思っていました。僕は素人ですから、演技することがどういうことかもわからない、たまに合う役があったら、それを一生懸命やる。その繰り返しです。

 生活はけっこう厳しかったですね。ザ・タイガース時代は入っただけ使っちゃうような暮らしだった。ですから、生活レベルを下げるという方法を取りました。ぜいたくをしない、外に出ない、友達と会わない。そうやってなんとか切り抜けよう、と。

 子どもの世話もけっこうしていました。あの時代、海の向こうではダスティン・ホフマンや、ジョン・レノンが、彼らは子どもの世話をすごく楽しんで、普通にやっている。「もちろん、彼らと僕とはまったく違うけど、あの人たちがやっているなら僕も……」と思ってやっていました。そうしているうちに、ちょっとずつ仕事が来るようになったんです。

――岸部の演技スタイルといえば、淡々と役に自然に入り込み、それでいて見るものに忘れられない印象を残す。それを確立するきっかけは、ある映画との出会いだったという。

 本気でちゃんとやらないといけないな、と思ったのは、小栗康平さんの映画「死の棘」(90年)ですね。あの作品には“むつかしい”という範囲を超えたむつかしさがありました。

 小栗さんは「言葉だけでは本当の気持ちは伝わらない。むしろ黙っているほうが映画では観る人に伝わる場合もある。だからセリフは棒読みのほうがいい。感情を言葉に乗せると小さくなってしまう」と。

 最初は全く意味がわかりませんでした。言われた通り棒読みでやってみると「それでいいんだよ」と言われる。でも撮影をしているときは、それでいいのかわからないんです。完成した作品を観たときに「ああ、映画はこういうことなのか」と。

 小栗さんにはたくさん教えてもらいました。

 僕は途中からポッとこの世界に入ったので、海外の俳優の本を読んでみたりもしたんです。海外の俳優は、本当によく芝居の勉強をするんですよね。彼らはものすごく勉強して、やっと市井の人に見えるようになる。でもそんな方法では僕には間に合わない。それより、例えば1日バスに乗って、街を歩いている人をじっと見ていたほうが勉強になる、と思ったりもしました。


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