LORD Meets LORD(更新凍結) 作:まつもり
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「ふぅ、やっと通れましたか……。 まさかあれほど並ばされるとは……」
ラナー達一行は、エ・ランテル入口の検問を計画通りに殆ど検査されずに抜けることは出来た。
王国内での立ち位置が悪くなったとはいえ、流石にアダマンタイト級冒険者、蒼の薔薇と言ったところか。
プレートを見せつけるだけで、仏頂面で検問に当たっていた兵士たちの態度が明らかに変わり、急に丁寧に応対されるようになり、軽く馬車の中を見られただけで、門を通過できたのだ。
だがラナーにとっての唯一の誤算は、門の前には材木やレンガなどを乗せた馬車が多数並んでおり、検問の順番待ちの間に二十分程経過してしまったこと。
聞いたところによると、一昨日のアンデッド襲撃により傷ついた墓地の外壁や建物の修復の為、付近の村から建築資材を集めているところらしい。
ラナーにとってはまさに自業自得であるが、一分一秒を争うこの局面において、無為に時間を消費するのは非常に焦る思いだった。
「まあ仕方ないわ。 割り込みする訳にも行かないし……。早いところバレアレさんの所に行ってエ・ランテルから連れ出しましょう。 ………それと、あの約束は大丈夫よね?」
ラキュースがラナーに顔を近づけて小声で囁いた。
「ええ、この件が無事に終わればあなたの家族を新王国に転送させる準備は出来てるわ。 それに帰りは楽だから安心して。 エ・ランテル内に直接転移すると、もしも見つかったときに不法侵入者として捕まる恐れがあるから、行きは門から入ったけど、新王国に帰るときは魔神の力で一瞬だから。 ……問題は、リィジー・バレアレが素直に交渉に応じてくれるかどうかね。 私の身分を保証する為に、アダマンタイト級冒険者である貴方達を連れてきた上に、王国の麻薬に纏わる陰謀の証として、この書状も調達してきたから何とかなるとは思うけど……」
ラナーの言う書状と言うのは、王国の政局に深く関わる有力貴族の名において書かれた、リィジー・バレアレの徴用を命令する文書だ。
ラキュース達には、王宮内に潜ませている諜報員に調達させたものだと説明し、ラキュースも文書に書かれている貴族の署名と、王国政府の正式な書類である事を示す印が本物である事を確認し、ラナーの言う事を信用して、この依頼を受けた。
………実際には、このような文書が王国から発行されたという事実はないのだが。
これはラキュースの鑑定眼が節穴であったという訳ではない。
文書に記されている署名と印は紛れもない本物なのだから。
なぜラナーが、敵対しているはずの王国貴族の署名を手に入れることが出来たのか?
その理由はラナーの裏工作が、王国上層部まで浸透していることに他ならない。
とはいえラナーは、表立って王国貴族達を取り込んでいる訳では無い。
パルブロ王の即位から、以前にもまして支配層の腐敗が進み、王国の上層部にもはやまともな貴族は殆どいない。金品さえやれば簡単に新王国に寝返るであろう、目先の利益しか見えない、底なしの愚か者が上に立っているのが今の王国の現状。
ラナーが知略を駆使すれば王国を内部から崩すことは容易な事なのだが、あまりの愚かさに、その手間をかける気にさえならない……、それがラナーの本音だった。
しかも貴族達を新王国に寝返らせたところで、なまじ財力を持っているだけの害悪にしかならない。
有能な敵ならば裏切らせる価値もあるだろうが、無能な敵を寝返らせると逆に身の危険を招きかねない。
ラナーが求めるのは彼女の理想の完全な実現……。
それは彼女が新王国の事実上の支配者として君臨し続け、いずれは国民に祝福されクライムと結ばれて、溢れんばかりの名声と富の中で幸せな生活を送る。 将来的には、クライムとの間に出来た子供をザナック王と将来の妃の間に出来る子供と結婚させ、名目上も新王国の統治者となるのもいい。
その理想の実現の為には、王国貴族は誰もが支持する方法で、完全に始末する必要があると判断したラナーは、更に効果的で旨味のある………、恐ろしい計画を打ち立てた。
最初の段階として、ラナーは新王国の樹立後半年ほど経った時、魔神の力とクレマンティーヌの武力を背景に王国の犯罪組織、八本指の幹部と接触し取引を持ち掛けたのだ。
貴方達八本指は国家にとって害悪、新王国が王国を支配した暁には必ず壊滅させることになる。 そして、もしその前に帝国辺りに逃れることが出来たとしても、帝国の上層部は王国のように馬鹿ではない。 組織を存続させることに成功しても、大幅な弱体化は避けられない筈。
ならば、いっそのこと新王国に組織を売り渡してしまえばいい、と。
それからラナーの口から幹部に話された内容はこうだった。
今、王国では第一王子パルブロが王へと即位した。 パルブロはラナーの父であるランポッサ三世よりも無能な上に、単純な欲望で動く俗物。 これからの王国は腐敗が更に急速に進んでいくことだろう。
八本指のトップ達には、この機に乗じて貴族を煽り、一気に民衆の不満が高まるような政策を打ち出させて貰いたい。 八本指自身も末端構成員に命じて奴隷取引や薬物取引も以前よりも大胆に行い、八本指を貴族と癒着している悪の組織と民に印象づける。
その後、国内の不満が限界まで高まったところで新王国が王国内に、国民を救うという名目で侵攻し、王国貴族と八本指構成員を大々的に処刑する。 しかし、あなた達幹部に関しては、生贄となる末端構成員とは異なり資産をそのまま持ち逃げさせてあげる上に、大人しくしているなら新王国内に安全な居場所を与えてもいい……。
ラナーにとっては王国貴族に深く癒着している八本指を支配下に置くことが出来れば、諜報員としても申し分ないし、新王国の統治を正当化する大義も作ることが出来る。 秘密の保持と言う点からも、有能で知られる八本指の幹部ならば王国貴族のように周りに情報を垂れ流して自分を窮地に追い込むことはしないだろう。
八本指の幹部達にとっても、王国が滅びた後、大きなリスクを冒して帝国や新王国内で組織の再建を試みるよりはラナーにすり寄って自分達の利益を確定させた方が得。
双方の思惑が一致し、協定は成立。 この時を境に、王国の腐敗は更に進むことになった。
その後ラナーが組織から得た情報により、八本指の中には幹部以外にも捨て駒として切り捨てるには惜しい人材が存在することを知り、かなりの人間が秘密の保持を条件に新王国に取り込まれた。 その中には、新王国のアンデッド研究を担当しているデイバーノックや特殊討伐隊の隊員達など、元六腕のメンバーも存在する。
この状況の中では、八本指を経由して貴族から署名と印だけ書かれた白紙の紙を入手し、架空の命令書を作ることも容易だった。
「じゃあ、そろそろ行きましょうか。 バレアレ薬品店はここから馬車で十五分くらいね」
ラナーの声に応え、一行を乗せた馬車は街中をゆっくりと進み始める。
しかし、五分ほど進んだ時だった。
不意にラナーの元に《メッセージ/伝言》の魔法が届いた。
これは……エ・ランテル警備隊に兵士として潜り込ませている、諜報員からのようだ。
『ラ、ラナー様、大変です。 草原の向こうからいきなり黒い群れが現れて……三分も経たずに城壁の外を取り囲んでしまいました。 モンスターのようです! で、ですが、あんな悍ましいモンスター見たことが……』
頭の中に響く諜報員の声から何か途轍もない非常事態が起こっていることを察したラナーは、鋭い声で問いかけた。
『落ち着きなさい。 正確に状況を伝えて。 そのモンスターの特徴もね』
『い、いえ……、私は今城壁の様子を窺っていますが、モンスターは城壁から百メートル程の距離を置いて都市を取り囲んでいるようです。 数百体なんて数じゃありません。 ここから見えるだけでも軽く千は超えています!モンスターに関しては……様々な種類がいますが、どれも奇妙で恐ろしい姿をしており……、そうだ、思い出しました! マジックキャスターが存在する悪魔という種族に雰囲気が似ています。 正体は悪……、う、うわぁぁぁぁ』
『どうしたの⁉ 応答しなさい』
そこまで言ったところで、ラナーの視界の隅に真っ赤な閃光が走った。
咄嗟にそちらの方角へ目を向けると、城壁の上に燃え盛る炎の柱が立ち登っており、やがて唐突に立ち消える。
そして、《メッセージ/伝言》の魔法は直後に打ち切られてしまった。
「あれは……魔法の炎だ!」
ラナー達の後ろについている馬車から、イビルアイの声が響いた。
「げ……マジで? も、もしかして姫様、これって……」
あくまで王国の手からリィジーを救うため、と言う建前を忘れてクレマンティーヌがラナーに問いかけようとした。 ラナーは急いでそれを手で制したが、クレマンティーヌが聞こうとしていたことは理解できる。
彼女はこう聞きたかったのだろう。
ぷれいやーが私達の動きを嗅ぎ付けたんですか、と。
クレマンティーヌの懸念は恐らく正解だ。
もしぷれいやーが、ンフィーレアを攫うだけが目的ならば、ここまで大規模な騒動を起こす理由がない。
秘密裏に少数の配下を向かわせて、身柄を確保してしまえばそれで済む話。
なのに、これだけの規模の軍を動かしたという事は、それ以外の目的もあると考えるべきだろう。
それが何なのかまでは、まだ分からないが………、一番あり得そうなのは敵の目的が実はンフィーレア以外にある。
もしくはラナーの存在を嗅ぎ付けて、ンフィーレアと一緒に確保することにしたと言うところか……。
(くっ……、どうも我ながら情報に踊らされている感がありますね……。 敵がンフィーレアのタレントを求めているということは、結局単なる推論の域を出ない。 目的がジンの金属器を使わせることだという考察も……改めて考えれば、無理矢理相手を従わせた上で、大きな力を渡してしまうというのはリスクが大きすぎる気もしますし……。しかし例え不確かな予想だとしても、ンフィーレアの力を敵に渡すのはまずい……。なぜなら、敵に渡した場合のリスクの予想が不可能なほど、大きな可能性を秘めたタレントだから。 ……このまま作戦を続行するしかないわ)
ラナーはゆっくりとクレマンティーヌに頷いた後、馬車から降りて声を掛け、同行する全員を自分の周囲に近寄らせた。
周囲の部外者がパニックを起こして通行の妨げにならないよう、一行にのみ聞こえる音量で告げる。
「今、現地の諜報員から連絡がありました。 都市を……少なくとも千体以上の悪魔と思われるモンスターが包囲しているわ。 ……そのモンスター達の目的は不明だけど、さっきの炎を見るに少なくとも友好的ではない」
「なっ……、それは本当なのラナー⁉」
「ええ、その諜報員は多分さっきの攻撃にやられたのでしょうね……、急に《メッセージ/伝言》が途絶えてしまったわ。 私達もここに居れば同じ運命を辿ることになる。 リィジーさんとその息子を確保して直ぐに逃げましょう」
「に、逃げるって……。 あなた、この街の人を見捨てる気⁉ 噂に聞く魔神の力で何とか出来ないの?」
「見捨てる、というのは違うわ。 そもそもここは王国の領土で、王国の兵士が防衛しているでしょう。 その中で私が下手に戦えば、敵国内での武力行使、つまり戦争行為と取られてしまう危険があるの……判るでしょう?」
「で、でも……」
食い下がろうとするラキュースにイビルアイが横から声を掛けた。
「確かにラナー殿の言う通りだ。 現在、ラナー殿はあくまでも他国の将軍。 下手に王国内で力を使う訳にも行くまい。 それは新王国の民を危険に晒すことにもなりかねないからな。 それに……千体以上の悪魔という報告が事実なら、とてつもない強者がこの件に関わっている可能性もある。 今考えるべきは、当初の目的を達成することだ」
「言いにくいが、それしかねえな。 ………今回の依頼には、リーダーの家族の未来も懸かってるんだろ? それを最優先で考えることは間違いじゃねえさ。 それに悪魔の方も、いきなり襲ってこないってことは単純に人を襲おうとしているだけじゃなく、他に目的があるのかも知れねえ。 もしかしたら、市民には犠牲が出ないで事態が解決する可能性もあるしよ」
「…………分かっ……たわ。 バレアレ薬品店に急ぎましょう……」
市民たちは、城壁の上に吹きあがった炎にどよめいているが、まだ何が起こっているのかは把握していない。
ラナー達は邪魔な馬車を乗り捨て、徒歩でバレアレ薬品店へと歩き出した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
エ・ランテル包囲から約10分後、バレアレ薬品店にて。
現在、ここではリィジー・バレアレが慌ただしく手短な荷物を纏めていた。
つい先ほどまでは、ンフィーレアもここにいたのだが、現在はエンリ達を探しに市場の方へと向かっている。
「あー、くそっ。 なんなんじゃ、最近の事件の多さは! 一昨日はアンデッドに襲われて、こんどはモンスター達の大群じゃと!」
リィジーは一人毒づきながら、三分ほど前の事を思い返した。
朝食を済ませた後、休業日の店の中で、リィジーとンフィーレアは各々の雑多な作業台の上で薬品の調合に勤しんでいた。
今日は休業日なだけあり、本来ならば二人もゆっくりと休息をとっているのだが、一昨日のアンデッド襲撃事件に際して予想外のポーションの消耗があった為、常備しておく分のポーションは改めて作成しておかなければならない。
エンリとネムは薬草の調合に関しては素人の為、何もする事が無く、朝食を取ってから直ぐに市場で古着を買いに行っている。
二人とも一言も話さずに作業に集中しており、店の中には静寂が満ちていた。
その時だった。
不意に店の扉が開け放たれ、一人の男が駆け込んでくる。
近くに住んでいる修行中の薬師、ピートだった。
「た、大変です。 リィジーさん。 ま、街の外に……、モ、モ……」
ピートは冷や汗を流し、明らかに冷静では無い。
リィジーはそこにただならぬものを感じた。
「落ち着けピート、何があったというんじゃ? まさか、またアンデッド共が溢れだしたのか?」
「も、もっと悪いかもしれません。 今、エ・ランテルの城壁の外に……何千匹ものモンスター達が現れ、都市を包囲しているらしいです!」
「な、何?」
にわかには信じられないような発言だが、ピートの顔は真剣そのもの、それにこんな嘘をついたところで意味はない?
「ど、どういうことじゃ? 都市の襲撃か? いや…だが、この辺に数千体規模の群れを作るモンスターがいるなど聞いたことがないぞ⁉」
「俺にも分かりませんよ。 ただ、今城壁に登っている警備兵達に、魔法によると思われる攻撃がされています。 少なくとも、ただの雑魚ではないと……」
「魔法……」
リィジーはそれを聞き絶句してしまう。
魔法を使えるモンスターは、それなりに高い…場合によっては人間を凌ぐ知性を有していることが多い。
自らの縄張りで餌が取れなくなったため、人間の都市から略奪を行おうとしている亜人種辺りか…。
情報が少なすぎる為、種族までは把握できないが、単に偶然大量発生した弱いモンスターの群れが手近な都市を襲っただけではないだろう。
少なくとも、敵は勝算があると思って都市を襲撃した。 これは、本能のままに動くアンデッドの襲撃とは比べ物にならないほど、厄介な事になるかもしれないとリィジーは感じた。
話を聞いていたンフィーレアが、横から焦った様子でピートに話しかけた。
「ピートさん! モンスター達はまだ都市の中には入っていないんですか?」
「あ、ああ。 少なくとも俺は聞いてないけど……」
「よ、よかった……、おばあちゃん! 今、エンリとネムちゃんが市場の方に!」
「あ、ああ、そうじゃな」
エンリとネムは、何の戦闘力も持っていない一般人。
もしもモンスター達との戦闘に巻き込まれれば、なすすべも無く、命を落としてしまうだろう。
ただ都市を襲撃している存在の正体がゴブリンなどの亜人種なら、そう簡単に城壁を突破できるとも思えないし、だからこそ相手は都市を包囲している。 恐らく直ぐに市街戦になることは無いだろうが、一刻も早くエンリ達を連れ戻した方がいいのは確かだ。
「僕行ってくる! エンリ達を見つけたら直ぐ戻るから」
そう言うや否や、ンフィーレアは何も持たずに外へと飛び出して行ってしまった。
そして現在リィジーは、一人で荷造りをしている。
バレアレ薬品店があるのは街の最外周部。 考えたくはない事だが、もしも外側の城壁が破られれば一番先に戦場になるのはここだ。
その時に、内側の城壁内へと逃げるときの為、最低限の準備はしておかなければならない。
店の裏で慌ただしく動くリィジーの耳に、ドアが開く音が聞こえた。
表には休業中の看板を出しているし、もしかしてピートが続報を持ってきてくれたのだろうか?
そう考えたリィジーは、表へと歩きながら声を掛けてみる。
「ピートか? 一体今度はどうし………」
だがリィジーの声は途中で途切れてしまう。
そこにいたのは人間離れした気配を放つ人型の異形だった。
黒い鎧を着た額から角が生えた青年と、カラスの頭と女性の体を持つ異形。
「あ、悪魔……」
その二体が放つ禍々しい威圧感に覚えがあったリィジーは思わず呟いた。
昔見たマジックキャスターが召喚していたそれと、彼女が現在対峙している二体。
纏う空気の質は似ているが、その大きさ、感じる圧力はまさに桁違いだった。
「ご名答。 ……さっきピートって言ってたっけ? もしかして、そいつ……この中に入ってる?」
女型の悪魔が、ドアの横の壁を右手で軽く叩く。
たったそれだけで、強風にもびくともしないように丈夫に作らせた土壁が、あっさりと弾け飛んだ。
リィジーは壁から飛び散った土の粉に目を細めるが、すぐに開けられた大穴からリィジーの目に、外の景色が飛び込んできた。
その瞬間、リィジーは息を飲んだ。
道路の至る所に、まるで花が咲いたように、赤い何かが飛び散っている。
その花の上に横たわっているのは……人間だ。
確実に生きてはいないと一目で分かる今は、人間だったもの、と言うべきだろうか。
ある若者は、腹部を千切られ上半身と下半身が分断されている。
元は女性であったらしい遺体は、頭部を完全に粉砕され、地面にその内容物を飛び散らせている。
そして、その光景の中で動くもの。
それは無残な遺体を愉し気に弄んでいる、数十体の悪魔達だった。
黒い鎧の悪魔、強欲の魔将が口を開いた。
「邪魔をされたら鬱陶しいから、蠅は全て排除させて貰った。
そしてお前も返答次第では、こいつらと同じ運命を辿ることになる。
慎重に答えるんだな……ンフィーレア・バレアレは今、店にいるのか?」
ンフィーレア、その言葉が、あまりの恐怖に思考が停止していたリィジーを我に返らせた。
「ンフィーレア? あの子に……何の用じゃ?」
問いかけてきた強欲の魔将は何も反応を示さない。
だが、カラス頭の悪魔、嫉妬の魔将が一瞬でリィジーの元へと接近し……リィジーの右手から爪を一枚毟り取った。
「あ……ぎやぁぁぁぁ!」
腕全体が焼け、心臓が潰されるような痛みに、思わずリィジーは蹲る。
その上から先程と同じ調子で、強欲の魔将の声が響いた。
「尋ねているのは我々だ。 今は最初だから手加減しただけ、質問に答えなければ更なる苦痛を与える……もう一度聞くぞ、ンフィーレアはどこだ?」
悪魔がンフィーレアに何の用事があるのだろうか?
それはリィジーには知る由もない。
だが気が遠くなりそうな痛みの中で、ただ一つリィジーが確信していることがあった。
この者達にンフィーレアの居場所など教えてはならない。
自分にただ一人残された肉親であり、自分の技術を継ぐ後継者……、例えどれほど痛めつけられても絶対にこいつらに渡すわけにはいかない。
だが、リィジーが質問に答えようとしない事を察すると、再び嫉妬の魔将がリィジーの手を握り、先程爪をはがれた剥がされた人差し指の先を摘まむ。
悪魔の力は凄まじく、どれほど力を籠めようと一切の抵抗は叶わない。
そして、悪魔がリィジーの指先を摘まみ、一気につぶした。
「――――ひぃ―――」
余りの痛みに呼吸すら出来ない。
心臓の鼓動が頭の中に大音量で響く。
「痛いでしょう。 指先は人体でも特に敏感な部分だからねぇ。 たかが
嫉妬の魔将は更に親指、それが終わると中指の指先を潰していった。
肺の中の空気を、完全に吐き出してしまったリィジーは叫ぶことすらできず、気が遠くなりそうな痛みの中でのたうち回った。
やがて、リィジーの上から強欲の魔将の声が降ってきた。
「おい、あまり痛みを与えすぎると殺してしまうぞ。 遊ぶのもいいが仕事が終わってからだ。 そいつは生け捕りにする予定だし、蘇生アイテムも持ってきていないのだからな」
「……分かったわよ。 確かに目的はンフィーレアだけだけど、この店には居そうにもないわね。 これだけ自分の祖母の悲鳴が聞こえても、物音一つ立てないなんてあり得ないし……、仕方ない。 魅了の魔法を使いましょう」
「あれは連続しては使いにくいから、あまり多用するのは考え物だが……。 まあ、今回聞きたいのはンフィーレアの居場所だけだし、別にいいか……やれ」
「はいはい」
嫉妬の魔将が、リィジーの元へしゃがみ込む。
その時……、リィジーは無事な左手で、懐から小さなナイフを取り出した。
「へえ、まだそんな元気があったの」
嫉妬の魔将はリィジーの無駄な抵抗に、嘲りの笑いを浮かべた。
これから最後の力を振り絞り、目の前の
その必死の一撃を、小指で弾いてナイフの刃を折ってみよう。 この人間は一体どのような絶望の表情をするだろうか。
だが、嫉妬の魔将の思惑が実現されることは無かった。
(ンフィーレアにだけは……、絶対に手を出させん。 私の命など………捨ててやる!)
リィジーはそのナイフを他ならぬ自分の首に向け……、自身の頸動脈をかき切ったのだ。
一瞬首筋に赤い筋が走り、そこから噴水のように血が溢れだす。
「なっ……」
嫉妬の魔将が驚愕に顔を歪める。
(ま、まさか孫を守るために自分の命を犠牲にしたとでも言うの⁉)
人間を恐怖や欲望から身内すらも軽く裏切る生物として甘く見ていた嫉妬の魔将にとって、これは完全に予想外の行動であり、大人しくリィジーの自害を見ていることしか出来ない。
リィジーは急速に黒く染められていく視界の中で、恐ろしい悪魔の慌てた様子を見て微かに嗤い……、そして意識を手放した。
「く、くそ……なんてこと! まさか人間如きが……」
「……流石に人間を舐めすぎたということか。 我らとは比べ物にならない、脆弱で愚かな生物だが、それでも自分の命よりも大事な物はあるらしい……。 これでは治癒魔法を掛けても手遅れだな。 ……だが問題ない。 ンフィーレアの居場所を暴かれそうになった瞬間、これ程の拒絶反応を示した。 ……これはンフィーレアの居場所を正確に把握していることを意味する。 恐らくこの街のどこかへ、用事を足しに行っているという事だろう。 嫉妬の魔将、そのンフィーレアの姿は把握しているな?」
「ええ、昨日遠目から見ただけだけど……ちゃんと覚えているわ」
「なら問題ない、街中の若い男を生け捕りにさせてナザリックへ運び、後からゆっくりとンフィーレアを見つければいい。 ……こちらには五千体の悪魔がおり、エ・ランテルの人口は約二万人……数の上では我々が少ないが、人間達は殆どが、連れてきた中で最も弱い悪魔にも対抗できないであろう雑魚、十分すぎる戦力比だ」
それに時間が経てば、ナザリックから更に増援を連れてくることも出来る。
とにかく、今モモンガを追っているはずのデミウルゴス様の命令をしくじる事だけは避けなくてはならない。
強欲の魔将は勝利への確信と……任務が失敗した場合に課せられる罰を想像して、わずかな恐怖を感じた。
直ぐに店の前の通りにいる悪魔達を伝令として、都市の外を包囲している悪魔の元へ命令を下す。
曰く、エ・ランテルを攻撃し若い男を生け捕りにせよ、と。