階級意識論 訳註
〔p8〕 独断論(独断主義) Dogmatismus
ルカーチは基本的には、マルクス主義を批判主義 Kritizismus と呼び、これにたいしてブルジョワ思想を独断主義として批判しているが、この意味は自己の立つ地盤を認識せず、これを自明のものとして固定化させるということである。また、かれはブルジョワ思想内部でもカント以前と以後とにわけて、前者を後者にたいする独断諭とよんでいるが、このばあいの独断論と前のそれとは、段階がちかっていることはいうまでもないであろう。
〔p11〕 ランケ Ranke, Leopold von (1795―1886)
ドイツの歴史家、一八二五年ベルリン大学の教授となる。史料の方法的批判と古文書の組織的研究に基く歴史の客観的記述によって、近代歴史学の基礎をすえた。
〔p12〕 カント主義者 Kantianer
このばあい、新カント学派 Neukantianer が考えられている。そのうちの主なものは、西南ドイツ学派の Windelband, Wilhelm(1848―1915)・Rickert, Heinrich(1863―1936)とマールブルグ学派があるが、ルカーチはリッカートの論理主義的な歴史哲学を問題としている。『物象化とプロレタリアートの忠誠』第二章、ブルジョワ思想の二律背反を参照。なお、リッカートの歴史哲学は、『自然科学的概念構成の限界』一八九六―一九〇二年、『文化科学と自然科学』一八九九年『歴史哲学の問題』一九二四年、に展開されている。
〔P14〕 メーリング Mehring, Franz(1846―1919)
ドイツの革命的マルクス主義者であり、修正主義が発生してから、社会民主党左派としてこれと戦った。左派の機関誌『ライプツィヒ・フォルクス・ツァイトゥング』の編集者となり、党の理論機関誌『ノイエ・ツァイト』の共同編集者であった。帝国主義戦争当時はツィンメルヴァルド派に属し K.Liebknect, R. Luxemburg とともにスパルタクス団の指増者の一人だった。一九一九年のドイツ革命のとき、リープクネヒトやルクセムブルグ虐殺の悲報を聞いて、衝撃のために死んだ。著書に『ドイツ社会民主党史』『カール・マルクス伝』『レッシング伝説』がある。
〔p14-2〕 虚偽の意識 ein falsches Bewusstsein
意識が歴史的過程をはなれ、それ自身が独立しているかのような仮象をとると、それは「虚偽の意識」となる。この意識は歴史的な総体性のなかで位置づけられてはじめて、「虚偽性」 Falschkeit をとりのぞきうるのであり、したがって、「真実の意識」 ein richtiges Bewusstsein となる。ルカーチは、この着想をへーゲル、『精神現象学』の序文、(金子武蔵訳 改訳版)三、哲学的真理の頃からとっている。この点について詳しい説明は、「あとがき」をみていただきたい。
〔p15〕 心理学的意識 die psychologishe Bewusstsein
社会学とおなじく、「心理学的」というのは生産過程にもとづかない、つまり階級利害に還元できない、という意味をもつ。この意識は、主観的な個人の意識であって、歴史の原動力となるものではない。
〔p17〕 客視的可能性のカテゴリー die Kategorie der objektiven Mo¨glichkeit
このカテゴリーはマックス・ウェーバーの社会科学方法論の基本的なものとして知られている。『社会科学および社会政策の認識の「客観性」』一九〇四年(出口勇蔵訳、世界大思想全集第二一巻、河出書房刊、六二頁)。だが、ルカーチはこの概念をウェーバーのものとは、おなじ意味で用いてはいない。すなわち、ルカーチによれば社会的発展がすすみ生産諸関係が、意識のうえでとらえうるようになる、つまり、社会構造全体のなかで、各階級のしめる地位を認識し、この利害を全体社会にかかわらしめるカテゴリーをいう。
〔p34〕 カルナー Karner(本名レンナー、カール Renner Karl)(一八七〇― )
オーストリアの法律学者、社会民主主義者で『私法の法律制度とその社会機能』は私的所有権を論じたものである。その他『国家と国民』『マルクス主義、戦争、およびインターナショナル』がある。
〔p35〕 クノ・ハインリッヒ Cunow, Heinrich(一八六二― )
ドイツのマルクス主義的社会学者・経済史家。社会民主党員として党の機関誌ノイエ・ツァイトの編集にたずさわる(一九一七―二三)。革命後、一時ベルリン大学員外教授となったが、のちには社会ファシストとして排撃される。著書に『マルクスの歴史・社会および国家理論』や『一経済史』がある。マルクス主義の啓蒙に活動したが、社会発展の条件を理解するうえで、自然的環境から出発するという誤りをおかした。
〔p43〕 一八四八―五一年の山岳党のジャコバン主義 Jakobinismus der Montagne 48―51
山岳党はフランス議会における小ブルジョワ層の民主主義的代弁者である。かれらはプロレタリアートに協力して王制をたおした。だが、次のような経過をたどった。
第一期(四八年二月二四―五月四日)
二月の時期。序曲。全般的な友愛詐欺。
第二期(共和国設立と憲法制定国民議会との時期)(四八年五月四日―四九年五月二九日)
プロレタリアートにたいする他の階級全部の闘争。六月事件で小ブルジョワ層は有産階級に味方。ブルジョワ共和主義者の独裁。四八年一二月一〇日ボナパルトの大統領当選。
第三期(立憲共和国と立法国民議会との時期)(四九年五月二九日―五一年一二月二日)
(五月二九日―六月一三日)にブルジョワジーおよびボナパルトにたいする小市民の斗争。小市民的民主主義の敗北。〔マルクス『ブリュメール』三八七頁〕
〔p44〕 ナポレオンのクーデタ Napoleons Staatsstreich
ナポレオン一世および三世はともに、前者はフランス大革命で、後者は二月革命後にクーデタをこころみ、いずれもブルジョワ共和政権をうちやぶり独裁政権をうちたてた。これの歴史的意味はボナパルチズムといわれるが、それはブルジョワジーとプロレタリアートとの階級闘争が激しくなり、ブルジョワジーが自分の階級だけの力でプロレタリアートを抑えることができないために小生産者をだきこみ、所有者階層と非所有者階級との対立に階級対立を転化した形態である。ポナパルチズムは普通、社会的基礎を小農民においているといわれるが、ブルジョワジーの利益を代表していることはいうまでもない。
〔p45〕 一九一七年から一八年までのエス・エル die S. R. in 1917 bis 1918
エス・エルはメンシェヴィキとともに、ロシアにおける強力な小ブルジョワ勢力であった。かれらは、一七年の二月革命でソヴェトを支配し、ブルジョワ政権をつくって、ボルシェヴィキに対立した。だが、臨時政府における二重政権は永く続くものではない。階級意識をもつプロレタリアートはボルシェヴィキを支持し、社会主義革命へと前進した。ソヴェトから追いだされたエス・エルは、ボルシェヴィキを弾圧したが、一〇月革命で敗北した。かれらは、革命後も、反革命の陣営でボルシェヴィキ政権をたおそうとしたが、成功しなかった。〔ソヴェト同盟共産党史、第七章〕
〔p45-2〕 中農・富農の反革命的な蜂起や農民運動 konterrevolutiona¨re Aufsta¨nde und Bauernka¨mpfe von mittleren und reichen Bauern Russlands
ロシアの十月革命ののち、打倒された階級は帝国主義諸国のボルシェヴィキ政権への干渉と結びついて、反革命運動をはじめた。このようにして、反ソヴェトをスローガンに国内で反乱がおこったが、そのなかには地主やクラークが参加していた。だが、これらはすべて不成功におわった。
〔p55〕 マラー Marat, Jean Paul(1744―93)
フランス革命当時、ジャコバン党の指導者として有名である。はじめ医学を修めたが、社会思想の研究にも従事した。一七八九年三月、三部会の召集をまえに「人権宣言草案」を発表し、九月に「人民の友」を刊行して革命の民主勢力の先駆となる。九二年六月事件以後パリ・コミューンをにぎるや、アンラージェやエベール派と共同してジロンド党を圧迫した。だが、九三年五月王党派のコルデーに暗殺された。
〔p55-2〕 ミニエ Mignet, Franc_ois Auguste Marie(1796-1884)
フランスの歴史家。ティエールとともにパリにでて、共同で「ナシォナル」紙の編集にしたがい復古王朝の反動政治を批判した。七月革命後は外務省の資料課に入り、アカデミー・フランセ ーズの会員となった。必然史家として一九世紀のフランス史学を代表する歴史家の一人である。主著に Histoire de la re´volution Franc_aise, 1824. がある。
〔p58〕 シスモンディ、シモンド・ド Sismondi, Simonde de(1773―1842)
スイスの経済学者。歴史学。経済学的ロマン主義の立場から古典経済学を批判した。反動的小ブルジョワ社会主義の主要な代表者で、資本主義体制のもっとも初期の批判者の一人。
〔p58-2〕 自然法のドイツ的な批判 die deutsche Kritik des Naturrechtes
イギリスやフランスで支配した自然主義にもとづく自然法は、ドイツでは受けいれられず、批判された。この批判はドイツ市民社会の構造の特色と、その発達のおくれにもとづいている。ドイツ的批判をもっともはっきりしめしているのは、ドイツ・ロマン主義であろう。有機体的な国家観をとり、現在社会の矛盾の解決方法を「良き古い時代」にもとめた。(出口勇蔵編『経済学史』第五章参照)。
〔p58-3〕 カーライル Carlyle, Thomas(1795―1881)
イギリスのローマン主義的な哲学者。資本主義経済を批判したが、その立場は復古的・反動的で、かれの著作 Past and Present はエンゲルス『イギリスにおける労働者階級の状態』でくわしく批判されている。ルカーチのカーライル評価については、Geschichte und Klassenbewusstsein. S. 208. を参照。
〔p59〕 集中 Konzentrierung
普通 Konzentration は「集積」と訳がつけられてぶり、「集中」は Zentralisation であるが、ここでの Konzentrierung は本来の Zentralisation のことを意味している。参考までにその意味の区別を示せば、資本の「集積」とは、一つの企業でえた剰余価値を集積した結果として、資本の規模が大きくなることであり、「集中」とは、いくつかの資本が合同て、もっと大きな一つの資本になる結果として、資本の規模が大きくなることである。
〔p62〕 ローザ・ルクセムブルグ Luxemburg, Rosa(1871―1919)
ポーランドの女性社会革命家。理論的にはマルクス主義経済学者として、第二インターの修正主議と戦い、実践的には「スパルタクス団」を結成して武装蜂起をこころみた。ローザの特色はその著作『資本蓄積論』にある。そこではマルクスの再生産表式の欠陥をおぎなおうとして、かえって誤りをおかした。つまり、非資本主義的な環境の存在するかぎり、資本主義は発展するとの説をたてた。なお、ルカーチは、その把握の方法が、再生産的――社会的総体的把握であるとして、ローザを ein echter Dialektiker として評価している。
〔p73〕 理性の狡智 List der Vernunft
ヘーゲルによれば、世界史は理性の弁証法的発展の過程である。つまり、理性の本来の姿である普遍 Allgemeinheit の展開史である。この普遍が特殊と対立して歴史は運動するが、究極には特殊は否定されて普通のなかにかえる。特殊に否定的に媒介された普遍の段階に達した理性が、絶対精神である。ところで、このように理性はたえず他者によって否定されながら、実はそれを利用して自己の究極目的に達するのである。このことを「理性の狡智」という。『世界史の哲学』参照。
〔p75〕 シレジアの織匠一揆 Schlesischer Weberaufstand
一八四三年ドイツ東部のシレジアでおこった手織工の蜂起である。手織工の憤激は買占業者や機械の破壊となってあらわれたが、これはドイツにおいてはじめての組織的な、近代的な蜂起として高く評価されている。この事件を主題とした有名な戯曲に、ハウプトマンの『織匠』がある。
〔p76〕 空想主義者の社会批判 die Gesellschaftskritik der Utopisten
空想的社会主義はトーマス・モアから一九世紀のフランス空想的社会主義あたりまでをふくめてとらえることができ、その間の思想は多様であるけれども、「科学的社会主義」に対して共通の考え方がある。それは大きくみて、分配における平等や階級闘争の欠如にある。このような限界があるにもかかわらずここでは現在社会を不正とし、私有財産制度を否定する積極面が正しいものへの志向として、ルカーチは評価している。
〔p76-2〕 リカード理論の――プロレタリア的・革命的な――発展 die―proletarisch―revolutoina¨re―Weiterbildung der Ricardoschen Theorie
リカードの労働価値説を批判的に展開し、資本の不正産性を証明して社会主義理論の基底にすえたものに、リカード派社会主義がある。タムソン、ホジスキン、グレイなどがそれらで、かれらは労働価価説の「社会主義的適用」をこころみたが、その思想は小ブルジョワ的である。
〔p89〕 『神聖家族』 Heilige Familie
この点についてのマルクスのへ-ゲル批判は次のようになっている。「へーゲルは二軍の中途はんぱな罪をぷかしている。すなわち、一方では、哲学を絶対精神の定在であると説明していながら、しかもそれと同時に、 #現実の哲学的# な #個人を絶対# 精神であると説明することをこばみ、しかし他方では、かれは絶対梢神としての絶対精神をして、ただ #みせかけ# に歴史をつくらせている。つまり、絶対精神は、 #あとのまつりになってから# 哲学者においてみずからを創金的世界精神として #意識# してくるのであるから、かれの歴史製造は、ただ哲学者のお説のうちに、すなわちかれの意見や表象のうちに、ただその思弁的な想像のうちに、存するだけである。」(選集補巻五、二八二頁。また、G. Luka´cs, Der Junge Hegel. S. 692. 参照)。へーゲル学派およびマルクスのへーゲル学派批判について、『神聖家族』を参照せよ。
〔p90〕 フォイエルバッハの――警句体の――批判 die aphoristische-Kritik Feuerbachs.
フォイエルバッハは、ヘーゲル思弁哲学を改革する道として、「述語を主語に、そして主語として客観および原理にしさえすればよい」 (『哲学改革への提言』岩波文庫版、七頁)という。そして「新らしい哲学の基礎」を「有限なるもの、規定されたるもの、現実的なるもの」としての、感性的人間とした。だが、この現実存在としての人間は、事物を直観する人間としてみられ、社会を変革する主体としてとらえられてはいない。その人間は市民社会で孤立化した個人と個人との関係でしかない。「哲学の最高の原理」は「我と汝との統一」である(『将来の哲学の根本問題』岩波文庫版、一四三頁)。だから、マルクスは「従来のいっさいの唯物論の主要な欠陥は、対象・現実・感性が、ただ客体または直観の形式のもとでだけとらえられ、感性的な人間的な活動としてとらえられず、主体的にとらえられないことである」(マルクス『フォイエルバッハについて』選集第一巻五頁)と批判している。
〔p92〕 サンジカリズム Syndikalismus
フランスに発生した特殊な労働組合中心の革命運動をいう。資本主義社会の私有財産と国家の矛盾と、労働組合は、ストライキやサボタージュで戦い、これを打倒する。革命ののちには自由・平等の連合社会をつくり、生産手段の共有のもとに生産を管理する。この理論の特色は革命の主体をもっぱら労働組合にもとめ、政治闘争をしりそげ、その組織原理も地域主義と連合主義をとる。
〔p92-2〕 ギルド社会主義 Gildensozialismus
イギリスで第一次大戦前に成立した社会主義である。D・G・Hコールやホブソンがこれにあずかった。人々のあいだで思想のニュアンスはちがうが、経済的不平等に立脚する社会では真の民主主義は期せられないとし、自由な人格の実現のために、質銀制度の廃止と、それにかわるべき労働者の産業自治の確立を目的として産業別ギルド組織を拡大しようとした。
##補注## (二二頁) エンゲルスの大農民戦争観 die Engelsche Auffassung des grossen Bauernkrieges
「エンゲルスが大農民戦争をひとりの本質的に反動的な運動だ、ととらえた」とみたのは、ルカーチかザボであるかは、具体的な資料がないので不明である。が訳者の推察ではルカーチでなくザボがあやまって、大農民戦争が封建反動の勝利におわったというエンゲルスの評価だけで、こういっているのではあるまいか。