〔第一節 階級意識とはなにか〕
エンゲルスは、かれの史的唯物論の有名な叙述のなかで、次のことから出発している。すなわち、歴史の本質は「意識された企図、意欲された目標なしには、なにごとも発生しない」ということにあるのだが、歴史を理解するにはその企図や目標を越えねばならない。なぜなら、一方ではまず「歴史のなかで働らいている多くの個々の意志は、たいてい、意欲された結果とはまったくちがった結果を――しばしばそれとは正反対の結果を――もたらすものである。したがって個々の意志の動機は、いずれも同じく、そこにおこった結果の全体にたいしては副次的な意義しかもたない」からである。「さらに、他方では問題は次のように立てられる。すなわち、この動機のうしろには、さらにどのような原動力があるのか。行為するひとびとの頭脳のなかで、このような動機にかわるのは、どのような歴史的原因であるのか」。もうひとつ、つっこんで問題を考えれば、この原動力そのものが規定されねばならないし、しかも「諸民族全体、そしておのおのの民族のなかではさらにその諸階級全体をうごかし、そしてこれを……大きな歴史的な変動をつらぬいておこなわれる持続的な行動にまで導くような」原動力そのものか規定されねばならない〔1〕。したがって、科学的マルクス主戦の本質は、歴史の現実的な原動力がその原動力についての人間の(心理学的な)意識から独立しているのだ、ということを認識することにある。
歴史の原動力が意識から独立しているというこのことは、まず第一に、認識の初歩の段階では、人間が歴史の原動力を一種の自然だとかんかえ、この力ならびに力の法則的な諸連関のなかで「永遠の」自然法則を見いだす、ということのなかにあらわれている。マルクスはブルジョワ思想について次のようにいっている。「人間の生活の諸形態にかんする追思惟は、そうしてそれらの科学的な分析も、一般に、現実の発展とは反対の道をすすむものである。それはあとから《スト・フェストゥム》、したがって発展過程のできあかった諸結果をもって、はじまる。その諸形態は、……ひとびとが、これらの形態の歴史的な性格についてではなく――これらの形態はかれらのみるところでは、むしろすでに変化できないものである――それらの内実について解明しようとするまえに、すでに、社会的生活の自然諸形態という固定性をおびている〔2〕」。独断論〔p8〕のもっとも著しい代表者は、一方ではドイツ古典哲学の国家論であり、他方ではスミスやリカードの経済学なのであるが、この独断論にたいして、マルクスは批判主義を、つまり理論の理論を、意識の意識を対立させる。この批判主義は――多くの点で――歴史的批判を意味する。歴史的批判は、ことに社会構成体の酸直した状態、自然のままのもの、生《なま》の状態を解消してしまうものである。すなわち、それは、社会構成体が歴史的に成立するもの、それゆえにすべての点で歴史的に生成し、そのためにまた歴史的に没落する運命をもつものである。ということをあきらかにする。したがって歴史は、社会的生活の自然的諸形態が妥当する範囲のなかだけで生起するものではない。(このように考える立場にたてば、歴史とは社会の諸原理は永久に変化することなくあてはまるにもかかわらず、その内容、すなわち、人間だとか状況だけがうつりかわるというだけのものになるだろう)。また、これらの諸形態は、すべての歴史が追求する目的でもない。そうだとすると、歴史はその目的をとげてしまえば、その任務を果したわけだから、なくなることにもなるだろう。そうではなくて、歴史はむしろ、こういう形態の歴史、すなわち、人間があい集って社会をかたちづくるときの形態の変化の歴史にほかならない。この形態は、経済的な物的関係からはじまって、人間相互の関係の全体(したがってまた、人間の自分自身にたいする関係や、自然にたいする関係などをもふくむ)を支配しているものなのである。
しかしながら、ブルジョワ思想は、たとえそれがかならずしも意識していなくとも、その出発点と目標とがつねに事物の現存秩序を擁護することであるか、ないしはすくなくとも、それがかわらないことを証明することなのであるから〔3〕、ここではひとつの越えられない限界につきあたらざるをえない。マルクスはブルジョワ経済学について「こうしてまえには歴史は存在した、しかしもはや歴史は存在しない〔4〕」といっている。ところでこの命題は、歴史の過程を思想のうえでつかもうとする、ブルジョワ思想のあらゆる試みにたいしてあてはまる。(ヘーゲルの歴史哲学についてしばしば強調された限界もまたここにある)。このようにして課題として、だが解決できない課題としての歴史は、ブルジョワ思想にとって断念されることになる。なぜなら、ブルジョワ思想は歴史の過程をまったく捨てさって、現在の社会の諸形態を永久の自然法則だと考えるにちがいないからである。この考えによると、この自然法則というものは、過去においては――「不可解な」理由から、合理的なしかも法則を求める科学の諸原則とは、まさに一致しないやり方だが――(ブルジョワ社会学のように)たんに不完全にしか実現されなかったか、またはまったく実現されなかったか、ということになる。それともまた、ブルジョワ思想はつぎのように考えざるをえなくなる。すなわち、すべて意図されたもの、すべて目的のために力をつくすものが、歴史の過程からとりのぞかれねばならない。歴史上の諸時代の「個性」そのものや、それらの時代の社会的、人間的な担い手だけに、ひとは注目しなければならないことになる。たとすれば、歴史科学はランケ〔p11〕のように、あらゆる歴史上の時代は「神に直面している」すなわち、それはどれも同じぐらい完成している、したがってこのばあいにも歴史の発展は――ブルジョワ経済学とは相対立する根拠からではあるが――ない、と主張しなければならない。こんなふうに考えられるようになりもするのである。第一のばあいつまリブルジョワ経済学についていえば、社会構成体の成立をとらえる可能性はまったくなくなってしまう〔5〕。そこでは、歴史の対象は変らない永久の自然法則の答休としてあらわれる。歴史は固定してひとつの形式主義におちいってしまう、いいかえれば、社会的・歴史的な構成体をその真の本質である人間相互の関係のなかでつかむことができない形式主義になってしまうであろう。そうなればむしろ、人間柏互の関係は、歴史を理解するうえでの真の源泉ではなくなり、越えられない遠くにまでおしやられてしまうことになる。マルクスがいうように、ブルジョワ思想は、「これらの一定の社会的諸関係もまた、麻布やリンネルなどとおなじく人間によって生産されるものである、ということを理解しない〔6〕」のである。第二のばあいつまりランケの歴史科学のばあいにも、歴史をなすものは――つまるところ――せいぜい「国民精神」だとか「偉人」のなかにあらわれ、したがって実用主義的に記述できるだけで、理性的なものとしてつかまれない盲目的な力の、理性をうしなった支配なのである。その支配は、ただ一種の芸術品として美的に構成できるにすぎない。あるいは、カント主義者〔p12〕の歴史哲学のように、歴史は、時間のない超歴史的な倫理的な諸原理を実現するための、それみずからは意味のない素材だ、と考えねばならないことになるのである。
マルクスは、これら二つのブルジョワ思想には真のディレンマかないことを証明して、このディレンマを解決する。そのディレンマが意味するところは、資本主義的な生産秩序の矛盾が、同じ対象についての、対立して相互に排斥しあう、これらの考えのなかにうつしだされているということにほかならない。なぜなら、歴史を「社会学的に」合法則的に観察したり形式主義的に合理的に観察するときに、ブルジョワ社会の人間がその本来の性質を失って生産諸力とたいしているというあり方が、まさにあらわれているからである。マルクスによれば「かれら自身の社会的運動が、かれらの目には、諸物象――かれらによっては制御されないで、かれらを制御する諸物象――の運動という形態をとる〔7〕」。このとらえ方は、古典経済学でいう純粋な自然の合法則性と理性の合法則性のなかで、もっともあきらかにまたもっとも正しくあらわれているのだが、マルクスはこの見方に対して経済学の歴史的批判を対立させた。すなわちその歴史的批判とは、経済的・社会的な生活の物象化した対象的なもの全体を、人間のあいだの関係のなかへ解消させるということである。マルクスによれば、資本(とそれとともに国民経済学のあらゆる対象性の形態)は、「ひとつの物象ではなくて、諸物象によって媒介された人格と人格とのあいだのひとつの社会的関係である〔8〕」。しかし、社会的構成体がとる人間には縁のない物象性を、人間と人間との関係へとこのように還元することによって、同時に、あの非合理的な個性的な原理にわりあてられた誤った意義づけが、したがってディレンマの他の側面がすてられる。なぜなら、社会的構成体とその歴史的運動がもつ、人間とは無縁な物象性をこのように止揚すると、その物象性はその根拠につまり人間と人間の関係に、還元されるからである。がそうすることによっては、人間の意志とくに個人の意志と思惟から独立した、社会構成体とその運動の合法則性と客観性とはけっしてなくなりはしないからである。こういう客観性が、人間社会の発展のみちすがらある一定の段階で、人間杜会がみずからを客観化することにほかならないのであり、こういう法則性なればこそ、法則性を生むとともにまたその法則性によって規定されるという、かの歴史的環境のわくのなかでのみ、法則という価値をもっているのだ。
こんなふうにディレンマを止揚すると、意識には、歴史過程における決定的な働らきがまるでないものになってしまうかのように、おもわれるかもしれない。たしかに、経済発展のさまざまな段階が意識に反映することは、やはり大きい意義のある歴史的な事実ではある。たしかに、歴史的批判として成立した弁証法的唯物論も、人間がその歴史的な行為そのものをおこない、しかも意識しておこなうということに、けっして反対をとなえはしない。だが、その意識は――エンゲルスがメーリング〔p14〕へあてた手紙で強調しているように〔9〕、ひとつの虚偽の意識である。ところが、弁証法的方法は、ここでもまたわれわれがこの意識の「虚偽性」を単に確かめたり、真理と虚偽とを頑固に対立させたりすることにとどまることをゆるさない。むしろそれは、この「虚偽の意識」をば、その意識が属している歴史的な総体性の契機として、つまり意識がはたらいている歴史的な過程の段階として具休的に研究することを要求しているのである。
もちろん、ブルジョワ歴史科学もまた具体的な研究に努めてはいる。それどころかブルジョワ歴史科学は、史的唯物論をほ、歴史的な出来事が具体的には一度かぎりのものだということをおしまげているといって非難するのである。だが、その科学の誤りは、経験的な歴史的な個体のうちに(一個人が問題になっていようと、一階級または一民族が問題になっていようと、おなじことなのであるが)、そして個体の経験的に与えられた(したがって心理学的なまたは群衆心理学的な)意識〔p15〕のなかに、歴史的な出来事のもつあの具体的なものを見つけようとかんかえているという点にある。ところが、それがもっとも具体的なものを発見したと信じているばあいにも、実は、まさにそういうものをこそ見うしなっているのである。その具体的なものというのは、具体的な総体性としての社会であって、社会の発展の一定の高さにおける生産秩序と、それによって影響される社会の階級組織なのである。ブルジョワ科学が具体的なものにふれようとすると、それはまったく抽象的なあるものを具体的なものとしてとらえているのだ。マルクスはつぎのようにいう。「これらの関係は、個人と個人との関係ではなくて、労働者と資本家、小作農と地主などの関係である。これらの関係をなくせば、諸君は全社会を絶滅させてしまうことになるであろう。そして諸君のプロメテウス〔ギリシャ神話の火の神、人類文化の創始者〕は、もはや腕もなく脚もない……ひとつの幻影にすぎなくなってしまうであろう〔10〕」。
したがって、具体的な研究とは、全体としての社会にかかわらせるということである。なぜなら、全体としての社会にかかわらせて初めて、人間が自分の存在についてもつときどきの意識が、その意識のあらゆる本質的な規定をうけてあらわれるからである。その意識とは、一方では、主観的には社会的な歴史的な状態からして、なにか正しいもの、理解されるもの、理解すべきものとして、したがって「真実の意識」としてあらわれる。だが同時にこの意識は、客観的にはなにか社会的発展の本質にふれないもの、その発展にぴったりあてはまらないし、その発展をあらわしもしないものとして、したがって「虚偽の意識」としてあらわれる。他方でこの同じ意識は、社会との関係のなかでは、主観的にはみずからきめた目的をはたしそこなうとともに、その意識が知らないし、また知ろうともしない社会的発展の客観的な目的をば、うながしそれを達成するものとして、あらわれる。「虚偽の意識」をこのように二重に弁証法的な規定をしておけば、この意識をとりあつかうさいに、一定の歴史的な諸条件のもとにある人間が、一定の階級の状態などにあって事実どのように考えたり、感じたり、欲したりしてきたかということを単に記述するだけにとどまることからまぬかれられるのだ。このことは――なるほどきわめて重要ではあるが――ただ本来の歴史的な研究の素材にすぎない。この意識を、具体的な総体性にかかわらせ、その関係から弁証法的に規定すれば、上のような単なる記述をのりこえて客観的可能性のカテゴリー〔p17〕が生れてくるのである。意識というものは社会の全体にかかわらせられてくると、人間はこの状態つまり生活状態からでてくる利害を、直接的な行動にかかわらせて完全に理解できる、とともに、また――この利害に応ずる――全社会の構造にかかわらせて完全に理解できれば、人間が一定の生活状態にあってもつであろう思想や感情などが認識できよう。したがって、人間の客観的な状態に適合する思想なども認識できることになるだろう。このような生活状態の数はどんな社会でも限りのないものではない。生活状態の型の科学は、個別研究がすすむにつれてますます精密になってゆくけれども、人間が生産過程のなかでしめる地位の型によってその本質的性格が規定されるところの、はっきりとたがいに対照的ないくつかの基本的な類型もあきらかになる。ところで、このように生産過程のなかの一定の類型的状態に帰せられ、そしてこんどはその状態に反作用して、それに合理的に適応しようとするものが、階級意識なのである〔11〕。したがって、階級意識は、階級を構成する個々のひとが考えたり感じたりなどするものの合計でもなければ、その平均でもない。しかも、結局、階級全体の歴史的に意味ある行為は階級意識から規定されるのであって、個々人の思惟によって規定されたりするものではない。それはただ階級意識だけから認識できるものなのである。
このように階級意識を規定すれば、人間がその生活状態についてもつ経験的な事実上の思惟や、心理学的に記述でき説明できる思想と、階級意識とのあいだには本来、距離があることがあきらかになる。だか、いまやこの距離を単にはっきりさせるだけにおわったり、あるいはここにあらわれてくる連関を一般的に形式的に固定することだけにおわることは、ゆるされない。むしろ、われわれは次のことをこそ研究しなければならないのである。まず第一に、この距離にはいろいろな階級のばあいに、階級からなっている経済的・社会的な全体と階級との関係がことなるにおうじて、差異があるものかどうかということ。そして、こうした差異はそこから質的な区別がでてくるほど大きいものであるかということ。第二に、客観的・経済的な総体に帰せられる階級意識と、人間が自分の生活状態についてもつ現実の心理学的な思想とのあいだの関係が、このようにいろいろちがっているということは、社会の発展にたいして実践的には、なにを意味するものであるかということ。したがって、階級意識の実践的な歴史的な機能とはなんであるかということ。これらのことをわれわれは研究しなければならない。
このように問題を確かめて、はじめて、客観的可能性のカテゴリーを方法論的に利用できる。そこで、ことに問われねばならないのは、一定の社会の経済の総体は一般に、その社会のなかでは生産過程での一定の地位という視点から、どのていどに認識できるものか、という問題である。なぜなら、個々のひとはかれの生活状態の狭さと偏見に事実上とらわれているのだが、それを越えねばならない、と同時に、ひとはその時代の社会の経済的構造と各人のそのなかでの地位とが規定する限界をこえるわけにはゆかないからである〔12〕。したがって階級意識とは、――抽象的に形式的に観察すれば――同時に、自分の社会的、歴史的な経済状態についての階級的に規定される無意識なのである〔13〕。この経済状態は、一定の構造関係すなわち生活の対象をすべて支配しているようにみえる一定の形態関係として存在している。こうみてくると、こうした事情に含まれている「虚偽なるもの」すなわち「仮象」は、任意なものではなくて、まさに客観的な経済的な構造の思想的な表現である。たとえば、「労働力の価値または価格は、労働そのものの価格または価値という外観をとる」そして、「……あたかも総労働が支払いをうけた労働であるかのようにみえる。……これに反して、奴隷にあっては、かれの労働のうち支払いをうけた部分でさえ、不払いであるようにみえる〔14〕」のである。ところで、もっとも注意深く歴史的分析の課題を果そうとすれば、つぎの問題を客観的可能性のカテゴリーによってあきらかにしなければならない。すなわち、その問題とは、仮象を現実に洞察すること、つまり総体一般との現実的なつながりにまで立ちいって考察することが、ある領域でできるとすれば、その洞察はどのような事情のもとにおこなわれるのであろうか、という問題なのだ。なぜなら、現実の社会全体が、一定の階級状態という視点からみてまるきりわからないばあいには、また、たとえ階級の利害を徹底的に根底にまで掘りさげて考えたとしても、この社会の全体にふれないばあいには、このような事情にある階級は、歴史の歩みのなかでただ被支配的な役割を演ずるだけであって、歴史の歩みを維持することも、すすめることも、けっしてできないからである。この階級は一般に消極的で、支配階級と革命を担う階級とのあいだいをたえず動揺しているという宿命をもつ。この階級がたまたま革命をひきおこしたとしても、それがもつ性質は、衝動的なものではない、つまり目的のないものとならざるをえない。そして、その階級がたまたま勝利をえたばあいでさえ、究極的には敗北するという運命をもつものなのである。
このようにいえるのは、つぎのような理由があるからだ。すなわち、ある階級が支配する使命をもっているということには、社会の全体をその階級の利益におうじて組織できるのだが、それはまさしく、かれらの階級利益、かれらの階級意識にもとづいてのことだ、という意味があるのだ。そして、どの階級闘争をも最終的に決定する問題は、どの階級がある一定の瞬間にこの能力とこの階級意識を意のままにするか、ということにある。ところで、このことは歴史における強力の役割を排するものではない。また、このことは、支配する運命をもつ階級の利害が、このばあい社会的発展の利害を担うものであるけれども、この階級の利害を自動的に貫ぬくことを保証するものではない。これとは反対である。 まず第一に、ひとつの階級の利害を一般につらぬかしめるための諸条件というのは、(たとえば、資本の本源的蓄積のように)、きわめてたびたび、もっとも残虐な強力によってつくりあげられるのである。だが、第二に、まさに強力の問題においてこそ、つまり階級と階級とがあらわな生存闘争をたたかう状況においてこそ、階級意識という問題が終局を決定づける契機であることがわかる。たとえば、すぐれたハンガリアのマルクス主義者であるエルヴィン・ザボは、エンゲルスが大農民戦争をひとつの本質的に反動的な運動〔補注p22〕だ、ととらえたのに対して議論をいどみ、農民一揆というものはまさに血なまぐさい強力によってのみ打ちたおされたのであって、農民一揆の敗北はその経済的・社会的な本質や農民の階級意識にその原因があるのではないといっている。ところがこのばあい、ザボは領主の優勢と農民の劣勢との究局の根拠を、したがって強力の可能性が領主側にあったということを、まさにこの階級意識という問題に求めるべきだということを見のがしているのである。農民戦争のもっとも表面的な戦争論の研究でさえも、そのことをどのひとにもなっとくさせることができるのである。
ところで、また支配する能力のある諸階級について、かれらの階級意識の内的構造をみると、それらは決してたがいにひとしくはない。そのばあいに問題となるのは、その階級が支配をえ支配を組織するためにおこなう必要があり、また事実おこなっている行為をば、どれほどまでその階級か意識できるかということである。したがって問題は、その言の階級か、どれほど「意識して」あるいはどれほど「無意識に」、どれほど「真実の」意識をもってまたはどれほど「虚僞の」意識をもって、歴史がその階級に課した行為をおこなうか、という問題となる。そして、これらの区別はたんにアカデミックなものではないのである。なぜなら、文化の問題ではこの区別からおこる不調和が決定的な重要さをもつのではあるが、この問題をすっかり別にしても、歴史の発展がその階級に課す問題をその階級が説明し解決できるのかどうかということが、ひとつの階級のあらゆる実践的な決断にとって、運命を左右するほどの意義をもっているからである。だが、このばあいにもまたはっきりしていることは、階級意識というときに問題となるのはどんなに進歩的な個人の思想でも、またどんなに科学的な認識でもない、ということである。たとえば、今日ではまったくあきらかなことだが、古代社会は奴隷経済の限界につきあたって経済的にほろんだにちがいない。だが、同じくあきらかなことは、古代では支配階級も、またその階級にたいして革命的にまたは改良的に反抗した階級も、どうしてもこのことを洞察できなかったということである。したがって、この問題か実際にでてくると、古代社会の没落は必然的なもの救いがたいものとなった。ところで、このことは本来、経済的な諸連関を認識するとともに、封建的・絶対主義的な社会と闘争した今日のブルジョワジーについてみれば、なおいっそうあきらかとなる。だが、かれらはその本来の科学すなわちきわめて独自の階級科学を、まったく未完成におわらせざるをえなかったのである。かれらは恐慌論において理論的にも失敗せざるをえなかった。このばあい、理論的な解決が科学的に存在するということはブルジョワジ、にはなんら役にたたない。なぜなら、この解決を――理論的にも――受入れる事は、社会現象をブルジョワジーの立場から考察することをもうやらないということと同じことだからである。また、どの階級も社会現象を説明できない――説明できればその階級はみずからすすんで自分の支配を断念せざるをえないことになるのだ。したがって、ブルジョワジーの階級意識を「虚僞の」意識にするところのかれらの限界は、客観的なものである。それは階級状態そのものである。その限界は、社会の経済的構造の客観的な結果であって、なんら任意なものでも主観的なものでも、または心理学的なものでもない。なぜなら、ブルジョワジーの階級意識は、たとえそれがこの支配の組織とか全生産の資本主義的な変革とか貫徹とかという問題を、すべてどれほどはっきりと反映できるとしても、すでにブルジョワジーの支配する範囲のなかですら、その解決が資本主義を越えるような問題があらわれるとただちに、かれらの階級意識は曇るにちがいないからである。ブルジョワジーが発見した経済の「自然法則性」は、封建的な中世とくらべて、または過渡期である重商主義にくらべてみても、ひとつのあきらかな意識ではあるけれども、そのブルジョワ的目的法則でさえ資本主義を越えるような問題があらわれてくると、内在的・弁証法的に「関与者〔資本主義の支配者としてのブルジョワジー〕の無意識にもとづく」ひとつの「自然法則」となるのである〔15〕。
ここでしめした視点から、階級意識のとりうる段階を歴史的に体系的に類型化することは、この小論の課題とするわけにはゆかない。この課題を果そうとすれば、次のような諸問題を精密に研究しなければならないことになるだろう。すなわらまず第一に、全生産過程のどのような契機が、個々の階級の利害にもっとも直接に、そして死活にふれるものか、という問題である。第二には、この直接性をこえ、当面の階級にとって直接に重大な要因を全体の単なる要因としてとらえ、そしてこの要因を止揚することか、どのていどまで本質的にその階級の利害となるのか、という問題である。そして最後に、こうして浮びあがってくる全体がどのような性質をもつものであるか、すなわち、その総体は現実の生産の総体をどれほど現実的にとらえたものとなっているのかということが、問われねばならないことになるのである。なぜなら、まったく明らかなことだが、たとえば階級意識が(ローマのルンペン・プロレタリアートのように)生産からはなれた消費関係者だけにかかわっているばあいや、(商人資本のように)流通部面における利害をカテゴリー的に形式化することをあらわしているばあいなどには、階級意識は生産過程にかかわっているばあいとは質的・構造的にちがったかたちをとるにちがいないからである。したがって、ここでこれらのとりうるいろいろな態度を組織的に類型化することはできないにしても、いままでのべたところから確かめられることは、「虚偽の」意識のいろいろなばあいが、質的にも構造的にも、そして階級の社会的行為に決定的な影響をあたえるような仕方ででもおたがいに区別されるということである。
〔1〕 エンゲルス『ルードヴィヒ・フォイエルバッハとドイツ古典哲学の終結』四三頁以下(第一五巻下、四八九―九二頁)(傍点は著者)。
〔2〕 マルクス『資本論』E版第一巻四二頁、A版八一頁(第一分冊、一七七頁)。
〔3〕 「悲観論」についても、またおなじことがいえる。すなわち、それは「楽観論」とおなじように、現在の状態をまったく永遠化して、これを人類の発展がこえられない限界だというのである。この点で(もちろん、この点だけで)ヘーゲルとショウベンハウァとは、おなじ立場にたっている。
〔4〕 マルクス『哲学の貧困』一〇四頁(第一巻下、三八五頁)。
〔5〕 『哲学の貧困』八六頁(第一巻下、三六五頁〉。
〔6〕 『哲学の貧困』九一頁(第一巻下、三七〇頁)。
〔7〕 『資本論』E版第一巻四一頁、A版八〇頁。(傍点は著者)(第一分冊一七六頁)。また、エンゲルス『家族、国家と私有財産の起源』一八三頁以下(第十三巻下、四七九頁以下)を参照。
〔8〕 『資本論』E版第一巻七三一頁、A版八〇六頁(第四分冊、一一六三頁)、またマルクス『賃労働と資本』二四―五頁(第二巻上、二四五頁)を参照。機械については『哲学の貧困』一一七頁(第一巻下、三九七頁以下)を参照。貨幣については『哲学の貧困』五八頁など(第一巻下、三三三頁以下)を参照。
〔9〕 『社会主義の文献』第二巻、七六頁(『エンゲルスからメーリングへの手紙』一八九三年七月一四日、第十五巻下、五三二頁)。
〔10〕 『哲学の貧困』八一頁(第一巻下、三六〇頁)。
〔11〕 この点について、マルクス主義のなかでのこの思想のいくつかの発展に、たとえは、「経済的な性格の仮面」というきわめて重要なカテゴリーに、もっとくわしく立ちいることができないのは残念である。なお、さらに残念なことには、史的唯物論とブルジョワ科学のこれに似た努力(たとえば、マックス、ウェーバーの理念型のようなもの)との関係を、たんに暗示することすらできない。
〔12〕 まさにこの点からこそ、たとえばプラトンとかトーマス・モアといった、偉大なユートピア主義者たちを歴史的に正しく理解できるのである。また、マルクスのアリストテレスにたいする考え方を参照せよ。『資本論』E版第一巻二六―七頁、A版六四―五頁(第一分冊一五一―三頁)。
〔13〕 マルクスは、フランクリンについて「とはいえかれは、かれの知らないことを語っている」といっている。『資本論』E版第一巻一七頁、A版五六頁(第一分冊一三八頁)。また、マルクスは他のところで、「かれらはそれを意識してはいないが、しかしかれらはかくおこなうのである」ともいっている。『資本論』E版第一巻四〇頁、A版七九頁(第一分冊一七五頁)など。
〔14〕 マルクス『労賃、価格および利潤』三二頁(第十一巻上、七七―八頁)。
〔15〕 エンゲルス『遺稿集』第一巻、四四九頁(『国民経済学批判大綱』補巻五、二一七―八頁)。