LORD Meets LORD(更新凍結) 作:まつもり
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研究室の床に、粉々に砕かれたガラスが降り注ぎ、甲高い音を立てた。
自身を閉じ込めていたガラスの檻を破ったルベドは、じゃり、とガラス片を踏む音を立てて床へと降り立つ。
「セキュリティクリアランス一般………、暫定的なマスターと認定いたしました。 なんなりとご命令を」
「ふむ……指輪の所有者に従うというのは事前情報通りですね。 ところでルベドよ、今せきりゅてぃくりあらんす一般と言いましたが、それは?」
「お答えします。 ……セキュリティクリアランスとはナザリックの関係者以外が私を悪用することの無いよう、タブラ様が組み込んだプログラムです。 ギルドメンバーの証であるリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンの所有者は一般クラスのマスターとして、私への暫定的な命令権……複数の命令が下された場合は後に命令されたものを優先…‥が与えられると共に、他のマスターの命令であっても私が危害を加えることは出来なくなります。 ただ指輪が奪われた時の対応策として、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを所有する者はセキュリティクラス最高、つまり一般クラスマスターへの攻撃の禁止、命令の先着順を無視する絶対的命令権を得る仕組みになっております」
あらかじめ吹き込まれていた文句を、一切の淀みなくルベドは言い切る。
その説明を聞いて、デミウルゴスは心の中で胸をなでおろした。
自分がルベドについて持っていた情報はあくまでも、聞きかじったもの。
現在はモモンガがルベドへの最優先命令権を持っていることは確実と考えていたが、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンの所有がそのキーとなっていることについては、かなり以前の情報なので確実と言えるほどの自信は無かった。
もしも、ルベドがモモンガに無条件で従うように変更がなされていれば、計画に多少の変更は要したかも知れない。
そう、多少のだ。
ルベドは計画の成功率を高める手駒ではあるが、確実に必要な要素では無い。
重要なのは全てここから。 一つのズレが即、己の破滅を意味する正真正銘の修羅の時間。
だが、これは仕方の無いことだ。 自分の使命を成し遂げるには、モモンガは排除しなければならない存在なのだから。
「ルベド、私についてきなさい。 ……宝物殿に転移します」
デミウルゴスがルベドの腕に触れた直後、指輪が一瞬眩い光を放ち……それが収まった時には二人の姿は研究室から消え去っていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「かくて汝、全世界の栄光を我がものとし、暗きものは全て汝より離れ去るだろう」
登録されていた合言葉を認証し、宝物殿への漆黒の扉が音もなく開く。
一歩、宝物殿の中へと足を踏み入れたデミウルゴスは視界一杯に黄金の輝きが満ちるのを感じた。
罠か…‥と一瞬警戒するが、それは直ぐに違う種類の驚きへと変わる。
そこにあったのはまさに、黄金の山だった。
何十万枚……いや、数えるのさえ億劫になるほどの金貨や、夜空に輝く星を地上へと盗んだ様な美しい宝石が五メートル以上はある部屋の天井付近まで堆く積まれている。
この財宝の山を、ルベドは只の障害物としてしか認識していないような無機質な目で見ているが、デミウルゴスは素直に感動していた。
流石はナザリックを作り上げた至高の四十一人の財産だと。
二人が、まるで黄金の山に挟まれた谷の様になっている道を歩くと、その振動の為に、さらさらと音を立てて金貨の川が谷に流れ落ちた。
扉のすぐ先でも、この規模の財産。 ならば最奥に眠るという一つ一つが世界にも匹敵するというアイテム群は、どのような言葉で価値を言い表せば良いのであろうか。
デミウルゴスは体の奥底から湧き上がる、歓喜と怯えの両方を含む震えを感じた。
「おっと、そろそろ指輪は外しておかなくては……」
二人は、先程の部屋から通路を歩くこと暫く。
宝物殿の最奥であり、最も価値のある財宝の眠る場所、霊廟へと到達しようとしていた。
その霊廟の守護者は、指輪を持つものを襲うという至高の存在の内、四十人の装備を身につけたゴーレム、
シモベについては詳しい情報は知らないが果たして……。
「あれは……」
デミウルゴスが、通路の奥にある一際大きな扉の間に佇む人影を見つける。
「成程、貴方がモモンガ様の仰っていた宝物殿の守護者殿です……か……!?」
相手は、どのような能力を持つとも知れぬレベル百のシモベ。 上手く騙し戦闘を回避するか、せめて不意打ち位は成功させたいと考え、自然体で話しかけたデミウルゴスは、自分の瞳に映った者に思わず絶句する。
そこにいたのは、表面に赤く脈立つ筋が刻まれている漆黒の外骨格に包まれた二足歩行の昆虫。
ワールドチャンピオンのみに与えられるという純白の鎧を外してはいるが、間違いない。
ナザリック最強の戦士である、たっち・みーがそこにはいた。
思わず動揺しそうになるデミウルゴスだったが、本物のたっち・みーがここにいるはずなど無い、と彼の優秀な頭脳は直ぐに合理的な判断を下す。
ならばこれは、
至高の存在に似せて作られたとは聞いていたが、まさかこれほどまでとは考えていなかった。
「気配からしてナザリックのシモベではあるようですが、何者ですか? 私は何も聞いてはいませんが」
ゴーレムが話した!? ……いや、違う。
よく相手を見てみると、自分と同じナザリックのシモベの気配を放っていることが感じ取れる。
(成程……ドッペルゲンガーですか。 いや、私の装備でも無効化出来ない高位の幻術使いという可能性も……、ありますが、それは考えにくいですね。 幻術使いはどちらかというと、戦闘支援を得意としているはず。 単独で宝物殿を守るには些か不向きに思えますし……、それより問題は、うっかり驚いた様子を見せてしまったことか)
事前に宝物殿の守護者にはモモンガの使いとして、霊廟にアイテムを取りに来たと説明しようと考えていただけに、少しまずい行動だったかも知れない。
しかし、相手が未だ攻撃してこないということは、完全に敵として認定されてはいないということだ。
「なっ、そ、そうか。 貴方はドッペルゲンガーなのですね……。 ははは、モモンガ様もお人が悪い。 私を驚かせようと思い、貴方の正体をお隠しになられるとは。 ……私はデミウルゴス。
モモンガ様に命じられ、霊廟の中にあるアイテムを取りに来た者です。
横の彼女は……もし宝物殿の罠が誤作動したときの為に、モモンガ様が伴として同行させて下さったのです」
「そうですか……。 彼女は自動人形のようですが、ナザリックのシモベの気配は感じませんね。 ここに来たということは、指輪は所持しているということですし……」
多少苦しいデミウルゴスの言い訳ではあるが、パンドラズ・アクターは戸惑ったような気配を漂わせる。
自分への事前連絡無しにシモベを霊廟へと遣わせる、何故か自分の正体を教えていない、など怪しい要素はあるが、デミウルゴスがここにいるという事実自体が、彼の証言を裏付ける根拠のようなものだ。
彼からは自分と同じシモベの気配が感じとれるし、そうでなくともリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンが部外者に盗まれたなどという非常事態があれば、宝物殿にいる自分に伝えられない筈がないのだから。
奇妙な緊張感の漂う中、十秒程考えたパンドラズ・アクターは徐に口を開いた。
「分かりました、貴方の言葉を信じましょう。 では、事前に聞いているとは思いますが、宝物殿に入る前にリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンは私に預けてもらえますか? お手間をかけるようですが、警備上の規則なのです」
その言葉にデミウルゴスは流石に躊躇する。
今は装備こそしていないが、霊廟での用事が済めば直ぐに指輪を使い脱出しようと計画していた為、例え一時的にでも指輪を手放すことはしたくはない。
「モモンガ様が仰ることには、出来るだけ急ぎで取ってきて欲しいアイテムがあるので、わざわざ一度リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを預ける必要は無いと」
「……そうでしたか、了解いたしました。 では、こちらの扉の向こうが霊廟となっております」
「はい、では……!?」
デミウルゴスの視界の隅に白い煌きが走った瞬間に、デミウルゴスは防御姿勢を取っていた。
いつの間にかパンドラズ・アクターの手には、紫電を纏った宝剣が握られており、首を庇ったデミウルゴスの右腕に深々と入り込んでいる。
「ぐぅぅっ!」
刃から流れ込む雷の痛みから逃げるように飛び退いたデミウルゴスは、憎悪を込めた目でパンドラズ・アクターを睨んだ。
……デミウルゴスが辛うじて斬撃を防ぐことが出来たのは、パンドラズ・アクターの能力が、あくまで変身対象のレベルの八割しか再現出来ない為だ。
ワールドチャンピオンのクラスは、レベル九十五から習得可能なクラスである為、現在のパンドラズ・アクターは実際のたっち・みーよりはスキル面でも能力面でも大きく劣っている。
それでも、たっち・みーが極限まで効率を追求した無駄のないビルドをしていたことと、デミウルゴスの戦闘能力の低さから、まともに戦えば敗北するのは確実にデミウルゴスだ。
「私は…‥モモンガ様の使いですよ。 至高の御方のご命令に背くような行為……ナザリックのシモベとして、自分が何をしているのか分かっているのですか!」
「私はモモンガ様への連絡手段を持ちませんからね。宝物殿の安全の為に、明らかに怪しい存在は独断で排除させていただきます。私が言った、霊廟内に入る前にリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを私に預けるという規則、あれは完全な嘘です。 しかし、貴方はモモンガ様からその規則について言及されたと言う……、切りかかるには十分な材料でしょう?」
「鎌をかけた訳ですか……、ふふふ、流石は宝物殿の守護者。 流石に一筋縄では行きませんね………、しかしモモンガへの連絡手段が無いと私に教えたのは迂闊でした。 あなたを殺す場合は連絡する隙も与えないように、不意打ちするしか無いと考えていましたが……、その必要は無いようです」
「私とて、モモンガ様ご自身に作られた宝物殿の守護者……。
その血と命を以て大罪を償いなさい、逆賊!」
パンドラズアクターが空気を切り裂くような気合と共にデミウルゴスに斬りかかるが、デミウルゴスは余裕を崩さない。
――悪魔の諸相:八肢の迅速――
変身能力を足に発動し、デミウルゴスは素早く後ろへと下がる。
そしてデミウルゴスの前に立つことになったルベドが、パンドラズ・アクターに攻撃を……。
「なっっ!」
何と、ルベドはパンドラズ・アクターに一切反応せずに、そのまま後ろへと素通りさせてしまった。
――悪魔の諸相:鋭利な断爪――
鋭く伸びた爪を使い、間一髪で剣を防いだデミウルゴスは、後ずさりしつつルベドに向かい叫ぶ。
「ルベド! 何故戦わないのです」
その切羽詰まった叫びにルベドは相変わらずの感情の篭らない声で冷静に答えた。
「現在の命令は、『ついてきなさい』となっております。 現在戦闘状態に移行すると、命令の妨げになる恐れがありますので」
「な、なんですって?」
デミウルゴスは、この状況でも先程の命令を優先しようとするルベドに思わず驚愕の声を漏らす。
……これは情報不足がもたらしたアクシデント、と言えるだろう。
デミウルゴスが断片的な情報からルベドの行動原理を、指輪を持つ者に忠誠を近い、その命令に従うようになるものだと思い込んでいた。 ならば、指輪の所有者が襲われた場合には当然助けようとするだろうと。
だがルベドという存在は創造するにあたり、タブラが最強の自動人形というコンセプトにこだわって戦闘面に力を裂きすぎた為に、気がついた時には高度なAIを組み込めるようなデータ量の余裕が無くなっていたのだ。
その結果、ルベドに与えられたのは極めて単純な『一度に一つ、与えられた命令を何があっても確実にこなすこと』という設定のみだった。
そうしている間にも、パンドラズ・アクターの剣はデミウルゴスを、詰将棋のように壁際に追い込んでいく。
いかに優秀な頭脳を持っていたとしても、この圧倒的に不利な接近戦の途中に、ゆっくりと考え事は出来ない。
遂に、デミウルゴスの胸が浅く切り裂かれ、血飛沫が飛び散る……だが傷口を焼かれる激痛の中、デミウルゴスが咄嗟に叫んだ。
「がぁぁぁ! な、何でもいい。 コイツを殺せ、ルベド!」
「了解しました、命令を変更します」
「今度は二人がか…‥ごふぉっ!?」
先程はルベドから全く戦意を感じずに素通りしたパンドラズ・アクターが、ルベドの声を聞き振り向いた……その瞬間にはルベドの右手の手刀が彼の胸に突き刺さっていた。
「なっ……」
未だ自分の身に起こったことを飲み込めていないパンドラズ・アクターの腕を、ルベドの左手が掴み、思い切り捻る。
それだけで、昆虫の硬い甲殻をもつ腕は肩関節の部分から容易くもぎ取られた。
胸に穴が空き、足が踏み潰され、腹が指で抉られる。
技量など意味を成さない程に隔絶した基礎能力の差が、そこにはあった。
ルベドが攻撃を初めて僅か十秒程度……、それも指輪を所持するデミウルゴスに危害を加えないように、実力を抑えている状態。
デミウルゴスはパンドラズ・アクターの身体から、最後の力が抜けていくことを感じた。
ルベドも、その瞬間に攻撃の手を止め、一切の感情の篭らぬ声で告げる。
「目標、死亡確認。 命令達成……待機状態へと移行します」
「……っくくくくく、あはははははははは」
初めは剣と爪がぶつかる音、次に宝物殿の守護者が一方的に蹂躙される、甲殻が砕け、肉の潰れる音。
それらが終わり、ルベドの待機と共に静寂を取り戻した通路に、悪魔の嗤い声が響く。
己が解き放った存在が持つ予想以上の力を目の当たりにしたデミウルゴスは、モモンガの支配から抜け出し初めて自由を感じた時以来の、心の奥底からの愉悦に身を任せた。
「素晴らしいですよ、貴方は。
そしてもうすぐ更なる力が手に入る、……真の悪へと至る為の力がね。
さあ、行きましょうかルベド、ついてきなさい」
「了解しました」
デミウルゴスは遂に霊廟への大きな扉を開き、その中へ足を踏み入れる。
引き続きルベドが扉をくぐり抜けると、つい先程までパンドラズ・アクターが守っていた扉が、ゆっくりと閉じた。
固く閉じられた扉の向こう側、デミウルゴス達と彼が闘いを繰り広げた通路ではパンドラズ・アクターからもぎ取られた腕が転がり、夥しい量の血が床を濡らしている。
ただ、そこにはパンドラズ・アクター自身の姿は無かった。
―――デミウルゴスは、霊廟の最奥へと歩を進めていく。