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やはり俺の青春ラブコメはまちがっているの主人公である、比企谷八幡のセリフ・名言をまとめてみました。

karupinnさん

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている

幼少時からずっと友達ができず、周囲からは存在を軽んじられたり、上っ面だけの優しさに裏切られたりしたなどの経験から幾多のトラウマを抱えており、他人からの好意を信じることができなくなったために優しくされても罰ゲームなどで必ず何か裏があると見ており、特に女子に対して強い警戒心と猜疑心を抱いている。

誕生日。
それは自分自身が生まれた日であると同時に、新たなトラウマが生まれる日でもある。

例えば、俺だけが呼ばれなかった誕生日会、俺のためかと感動してたら俺と同じ日に生まれたクラスメイトのために歌われていたバースデーソング、俺の名前が間違っている誕生日ケーキ・・・・・・。ていうか、最後、俺の母ちゃん何やってんだよ。息子の名前間違えんなよ。

ぼっちは人の名前を覚えるのが意外に得意なのである。いつ話しかけられるのかなードキドキと思ってしまうからだろう。

涼しい部屋で一人読書するのも、風呂上りに一人で「うひょー!」とか叫びながら裸でアイス食うのも、夜中にふと一人で夏の第三角見るのも、蚊取線香に火をつけて一人うっとりするのも、風鈴の音を聞きながら一人うとうとするのもどれも素敵な夏の思い出だろうが。
 
夏は一人でいい。一人がいい。暑いし。

おいおい、あんま気安くすんなよ友達なのかと思っちゃうだろ。

人に知られてなくてごめんなさい、とかこんな悲しい謝罪をするのは初めてである。

MU☆SHI!
いっそ清々しいほどの無視だった。おいおい、これもう無視の領域じゃねぇぞ、黙殺だ黙殺。ポツダム宣言並みに黙殺されたよ、今。歴史の教科書に載るレベル。

けど、こういう光景はなんだか懐かしいな。修学旅行や林間学校の帰りのバスみたいだ。はしゃぎ疲れたクラスメイトたちは元気を使い果たして静かになっているのだが、俺は特に元気を使うシーンもなかったせいで、一人冴え切った眼でずっと外を見ていたものだ。

俺と会話するなんて、こいつも実はいい奴なのだろうか。
だが、いい奴なのだとしたら話を広げてやれなかったのが申し訳ない。あまりにも申し訳ないので今後は迷惑をかけないように二度と話をしないことにした。

一人なら無色透明でノーダメージだが、先生と組まされると、無職童貞くらいのダメージを受ける。

けれど、俺は今の自分を過去の自分を否定しない。一人で過ごした時間を罪だと、一人でいることを悪だと、決して言わない。

みんなでやることが素晴らしくて、みんなでやることがいいことで、じゃあ、一人でやることは悪いことなのか?

どうして、今まで一人でも頑張ってきていた人間が否定されなきゃいけないんだ。
そのことが俺は許せない。

お金持ちはプライベートジェットやプライベートビーチなどを持ちたがる。常にプライベートタイムであるぼっちは人生の勝者、つまりぼっちはステイタスというべきだ。

ぼっちが誇るべきはその深き思索。

本来、対人関係に割かれるべきリソースをただ自分一人に向け、内省と反省と後悔と妄想と想像と空想とを繰り返し、やがて思想と哲学とに行きつくほどに、無駄な思考力。

本当に何故かわからないのだが、俺たちスクールカーストが低い連中は上位カーストに出会うと萎縮しちまうんだよな。廊下とかで絶対道を譲っちゃうし、話しかけられるとまず八割がた噛む。それでさらに嫉妬や憎悪が高まるかというとそうでもなく、名前なんて覚えてもらっていた日にゃ逆にちょっと嬉しかったりするのだ。

おそらく、非モテぼっちほどのリアリストはいないだろう。

非モテ三原則 (希望を)持たず、(心の隙を)作らず、(甘い話を)持ち込ませず】を心に刻んで生きているのだ。

なぜ自分の感じている楽しさを、自分の正しさを、己一人で証明できないのか

「お前さ、友達いんの?」
 俺がそう言うと、雪ノ下はふいっと視線を逸らした。

 「・・・そうね、まずどこからどこまでが友達なのか定義してもらっていいかしら」
 「あ、もういいわ。そのセリフは友達いない奴のセリフだわ」

俺も授業中居眠りしてて起きたらクラスに誰もいなくて閉鎖空間にきたのかと思ったこともある。移動教室で誰も起こしてくれなかっただけなんだが。

人に好かれるくせにぼっちを名乗るとかぼっちの風上にも置けねぇな

真の強者は群れたりしない。ひとりぼっちってやつはいつだってこの世界全てと対立しているようなものだ。俺VS.世界とかまるでセガールである。セガール的に考えて俺マジセガール。

地元の公立小学校から公立中学校にあがる場合、それまでの人間関係も継続する形になる。小学校卒業時のマイナスを抱えたままスタートしなければならない。新しく友達ができそうになっても、過去の負債がどこからか入り込む。

ただ一人黒板の前に立たされて、その周囲を同級生がぐるりと囲み「しゃーざーい、しゃーざーい」と手拍子とともにシュプレヒコールを上げたあの地獄にも似た光景。

・・・あれは本当にきつかった。後にも先にも学校で泣いたのはあれだけだ。

内輪ノリとか内輪ウケとか嫌いに決まってんだろ。あ、内輪もめは好きだ。なぜなら俺は内輪にいないからなっ!

あと、誘われたとき、すぐ「適当に連絡くれ」って言う奴はだいたい次から誘われなくなる。これ豆知識な。ソースは俺。

ぼっちには「バカをやる」という行為がなかなか理解しがたい。ノリが悪いと言われる所以だ。別に恥ずかしいわけでないのだ。ただいろんなことを考えてしまうから簡単には動けない。人の迷惑ではないだろうかとか危なくはないだろうかとか自分が入ることで今の楽しい空気が乱れはしないだろうかとか。

特殊で何が悪い。英語でいえばスペシャルだ。なんか優れてるっぽく聞こえるだろ

みんながぼっちになれば争いも揉め事も起きないだろ

今日から始める、一人なんて怖くない対策その一、「他人を見たら他人と思え」である。ちなみにその二はない。