2014年03月02日

天皇の神聖不可侵とは何か 伊藤博文憲法義解第三条解説の伊東巳代治英訳文

 里見岸雄は「天皇とは何か-憲法・歴史・国体」第一章の中で帝国憲法第三条神聖不可侵の無答責の原則を次のように解説している。

 欧州各国の憲法で「神聖」(註、1809スウェーデン憲法、1814ノルウェー憲法、1818バイエルン憲法、1826ポルトガル憲法、1848イタリア憲法、1848ハンガリー憲法、1849デンマーク憲法、1867オーストリア憲法、1876スペイン憲法、1906年ロシア憲法)というのは、英語でホーリー、ドイツ語でいえばハインリッヒというような文字であるが、ホーリー(holly)というのは、完全とか全体とか十分とかいいう意味のホール(whole)と同じ字で、「国王はホーリー」であるというのは、「国王は害せられないもの」「国王は汚されないもの」という意味である。「人力以上の」「神様の」(divine)などということではない。「国王は神様である」などという馬鹿馬鹿しいことを近代国家が書くはずがないではないか。日本の帝国憲法が「天皇は神聖にして」というのでも同じわけである。

 里見の指摘は半分正しく半分間違いである

帝国憲法草案第三条 天皇は神聖にして侵すべからず

枢密院帝國憲法制定会議に提出された草案第三条説明

 恭て按ずるに、天皇は至尊至厳神聖不侵にして、臣民群類の表に在り。故に法律の責問することを得る所に非ず。而して大臣は至尊に代て其の責に任ず。是を憲法の大義とす。蓋し王者は固より法律を敬重せざるべからず。而して法律は又は王者を干犯するの力を有せず。

(附記)白耳義に於て憲法を議するの際、一議員は其の原案を修正して君主の身体は犯すべからずとなしたり。その説に曰、君主の暗愚又は不徳の為に其の失権を宣告すること能ざるに注意せざるべからずと。
 欧州各国の憲法は此の議員の論旨を以て成文となしたりしも、我が憲法は此の不祥の意義を以て本条を組成するを欲せず。而して天皇神聖の徳は独り其の身体を干涜すべからざるのみならず、併せて指斥言議の外に在る者とするの義を取りたり。

枢密院帝國憲法制定会議に提出された草案第三条参照

日本書紀神代紀 天先成、而後地定、然後神聖生其中焉

同孝徳紀二年 詔曰、惟此天地、生乎万物、万物之内、人是霊之間、聖為人主、

同孝徳紀三年 惟神我子、応治、故寄、是以與天地之初、君臨之国也、自始治国、皇祖之時、天下大同、都無彼此也

万葉集巻三柿本人麿 皇者神二四座天雲之雷之上爾廬為流鴨

瑞典(スウェーデン)三条 王の尊厳は神聖にして欽仰す

仏(フランス)千八百十四年十三条 王の身体は侵すべからず而して神聖なり王の執政は責に任ず

白耳義(ベルギー)六十三条 王の身体は侵すべからず王の執政は責に任ず

普(プロイセン)四十三条 王の身体は侵すべからず

墺(オーストリア)四篇第一条 皇帝は神聖にして侵すべからず又責に任ぜず

西班牙(スペイン)四十二条、葡(ポルトガル)七十二条同じ

伊(イタリア)四条 国王の身体は神聖にして侵すべからず

荷(オランダ)五十三条 国王は侵すべからず執政責に任ず

丁(デンマーク)十二条 国王は責に任ぜず 国王の身体は神聖にして侵すべからず執政は政務の責に任ず

<伊藤博文憲法義解第三条解説>

第三条 天皇は神聖にして侵すべからず

 恭て按するに天地剖判して神聖位を正す(神代紀)。蓋天皇は天縦惟神至聖にして臣民群類の表に在り欽仰すべくして干犯すべからず故に君主は固より法律を敬重せざるべからず而して法律は君主を責問するの力を有せず独不敬を以て其の身体を干涜すべからざるのみならず併せて指斥言議の外に在る者とす

<伊東巳代治の憲法義解第三条解説英訳文>

ARTICLEⅢ
The Emperor is sacred and inviolable.

The Sacred Throne was established at the time when the heavens and the earth became separated(Kojiki).

The Emperor is Heaven-descended,divine and sacred;He is pre-eminent above all His subjects.

He must be reverenced and inviolable.He has indeed to pay due resupect to the law,but the law has no power to hold Him accountable to it.

Not only shall there be no irreverence for the Emperor’s person,but also shall He neither be made a topic of derogatory comment nor one of discussion.

(英訳文の筆者意訳)

第三条 天皇は神聖にして侵すべからず

 天と地が分かれた時 尊い神の位が生み出された(古事記)。

 天皇は神(註、たぶん天照大神のこと)の子孫にして、神を祭祀する聖なる存在である。天皇は全ての臣民(註、君主国の国民のこと。共和国の国民はcitizen)の上で一際目立つ存在である。

 天皇は尊崇されなければならず、また尊厳を犯されてはならない。だから天皇は法に対して然るべき敬意を払わなければならないが、法には天皇に責任を負わせる(天皇を責任の有る状態に置く)力はない。

 だから天皇の身体に対する不敬非礼は、あってはならないだけでなく、天皇は、尊厳を傷つける批評や議論の題材にされてはならないのである。


(読者の皆様、筆者の英訳に間違いがあったら、ぜひそれを指摘してください)

 要するに帝国憲法第三条の意味は、「天皇は法的政治的責任を問われない尊い地位にあるので、処罰や侮辱の対象にしてはならない」である。そして第55条に従い天皇を輔弼し法律勅令詔勅に副署(同意のサイン)を記す国務各大臣が天皇および国民に対して責任を負うのである。

 惟神(いしん、かんながら、かむながら)とは神道の信仰のことである。英語のdivineは形容詞として「神から授かった」という意味(divine grace 神から授かった恩恵)と「神に捧げた」という意味(divine song 聖歌-神に捧げた歌)を併せ持ち、且つ稀に名詞として神学者、聖職者、牧師を意味する。

 筆者が推測するに、だから伊東巳代治は、神々に祈願を捧げ神々の御意志を授かり神々と共に生きる「惟神」をdivineと英訳したのだろうが、この翻訳は適切であっただろうか。

 このdivineは「神の」「神としての」「神性の」をも意味するからである。当時の欧米の碩学たちは、金子堅太郎から手渡された憲法義解の英訳文を読み、憲法義解第三条解説のdivineを何と解釈したのであろうか、興味深い。

 因みに昭和天皇の人間宣言とマスゴミに宣伝されている昭和21年1月1日公布「新日本建設に関する詔書」は、「朕と汝等国民との間の紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とに依りて結ばれ、単なる神話と伝説とに依りて生ぜるものに非ず。天皇を以て現御神とし、且つ日本国民を以て他の民族に優越せる民族にして、延て世界を支配すべき運命を有すとの架空なる観念に基づくものにも非ず」と至極当然のことを述べているだけである。

 これは要するに、カミをゴッドと混同した連合国内部に広がっていた、それこそ文字通り架空の観念―アメリカ人の半分近くが思っていた「日本人にとって唯一のゴッドは天皇である」とするGOD-Emperor論を払拭するためのものであり(平和の海と戦いの海-2.26事件から「人間宣言」までから「人間宣言」まで参照)、天皇が天照大神の子孫であることを否定していない。

 それどころか新日本建設にあたり一般国民に対して明治日本の国是である明治天皇の五箇条の御誓文を想起してこれを順守すべきことを求めたのだから、昭和21年1月1日の「新日本建設に関する詔書」をもって昭和天皇が帝国憲法体制を否定したという某兵学者の史論は荒唐無稽である。

 しかし新日本建設に関する詔書中の「天皇を以て現御神とし、且つ日本国民を以て他の民族に優越せる民族にして、延て世界を支配すべき運命を有すとの架空なる観念に基づくものにも非ず」の英訳文は「on the false conception that the Emperor is divine,and that the Japanese people are superior to other races and fated to rule the world.」なのである。

 つまり天皇は、日本の公式文書では、国体の本義が公刊された昭和12年3月から「新日本建設に関する詔書」が公布された昭和21年1月まで、惟神(divine)にして現人神(divine)であり、昭和12年3月以前と昭和21年1月から今日に至るまでは、惟神(divine)にして現人神(divine)ではないのだから、まことにややこしい。

<国体の本義>

 かくて天皇は、皇祖皇宗の御心のまにまに我が国を統治し給ふ現御神であらせられる。この現御神(明神)或は現人神と申し奉るのは、所謂絶対神とか、全知全能の神とかいふが如き意味の神とは異なり、皇祖皇宗がその神裔であらせられる天皇に現れまし、天皇は皇祖皇宗と御一体であらせられ、永久に臣民・国土の生成発展の本源にましまし、限りなく尊く畏き御方であることを示すのである。

 帝国憲法第一条に「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とあり、又第三条に「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とあるのは、天皇のこの御本質を明らかにし奉つたものである。従つて天皇は、外国の君主と異なり、国家統治の必要上立てられた主権者でもなく、智力・徳望をもととして臣民より選び定められた君主でもあらせられぬ。


 国体の本義の天皇観は、帝国憲法からの逸脱のようで、逸脱ではない。国体の本義は、天皇を、帝国憲法にない表現である現人神と規定しながら、伊藤博文の憲法義解第三条解説を踏襲して、現人神を説明している。国体の本義の編集には井上孚麿が加わっていたからである。

 しかし国体の本義はあまり一般国民には馴染まず、また日本人は神道のカミとキリスト教のゴッドの違いを何となく自然に理解しているので、 新日本建設の詔書の公布直後、昭和21年1月5日、日本の英字新聞ニッポン・タイムズが、連合国に対する皮肉とも取れる次の社説を掲載した。

 「天皇の新年の詔書は、国内でよりも海外において様々な論評と注目を惹いたかに見受けられる。どうやら驚愕したのは日本人よりも外国人であったらしい」

 この社説に意表をつかれたタイム誌の記者は、すぐさま東京の街頭に出て道行く人々に質問したところ、その誰しもが、

 「天皇陛下が神様でないことなど前から知っていた」

と答え、記者が「これこそ謎の日本人である」と驚愕したという(平和の海と戦いの海―二・二六事件から「人間宣言」まで285ページ)。

 戦前から今日に至るまで、日本人の変わらぬ常識は、天皇は惟神(かんながら)であり、神道の神(カミ)になり得る存在(明治天皇や応神天皇は今でもカミとして祭祀されているではないか)であっても、キリスト教の語の意味でdivineではない。

 もしかすると伊東巳代治の憲法義解英訳文は、日本政府が公認した教育勅語の英訳文と同じatrocious style極悪な文体(西欧世界と日本)であり、これが諸外国に対日誤解を広げたのかもしれない。

 伊藤博文と井上毅が憲法義解に記載した格調高い難解な漢語調の文語文は、とても英訳に向いているとは思えないから。

<関連記事>

はだしのゲンにすがる反日左翼勢力こそ大東亜戦争完遂派-ひと目でわかる憲法上の「神聖不可侵」の意味

<日本国民を戦後民主主義洗脳狂育から覚醒させる名著>

こうして日本人は国を愛せなくなった・・・日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと

戦前日本は暗黒だったという反日左翼の歴史観を粉砕する!戦前の日本では、これほど素晴らしい教育が行われていたのかと感動させる不朽の名著「修身教授録-現代に甦る人間学の要諦

・GHQの公職追放は、敗戦後の日本の古代史学会に史書たる「記紀」の軽視と荒唐無稽な珍説の横行ももたらした・・・学界に葬られた古代天皇が蘇り、私たちの前に確かな証言をつきつける古代天皇はなぜ殺されたのか

正統憲法復元改正への道標が記録する憲法学界の真相は、法曹関係者の間では有名な東大憲法学教授の芦部信喜と小林直樹は、昭和三十八年に、帝国憲法擁護派の小森義峯教授によって彼等の憲法論の誤謬を厳しく指摘され公開論争を挑まれたが、一言半句の反論もできず、沈黙を余儀なくされたことである

 宮沢俊義によって捏造され、樋口陽一に継承されている東大法学部マルクス憲法学は、すでに論破され大敗北を喫した真赤なウソ学問なのである

「現人神」「国家神道」という幻想―近代日本を歪めた俗説を糺す。大東亜戦争を引きき起こした思想は国家神道ではない。目覚めよ日本人!!
ブックマークボタン
【関連する記事】
posted by 森羅万象の歴史家 at 01:00| 大日本帝国憲法の真髄 | 更新情報をチェックする
検索する
投稿する