日本人のための憲法原論
「国家政府を縛る憲法を裏返しに捻じ曲げて国民を縛る」そんな乱暴稚拙な政府が存在するんですか。
憲法とは国民に向けて書かれたものではない。誰のために書かれたものかといえば、国家権力すべてを縛るために書かれたものです。司法、行政、立法…これらの権力に対する命令が、憲法に書かれている。
憲法は「表現の自由は、これを保障する」と記していますが、では、いったい誰から保障してくれるのか。
その答えは「国家」なのです。つまり国家権力によって国民の言論の自由が侵されるようなことがあってはならないというのが憲法の言っていることなのです。たとえ憲法が廃止されなくても、憲法の精神が無視されているのであれば、その憲法は実質的な効力を失った、つまり「死んでいる」と見るのが憲法学の考え方なのです。
選挙の公約という大切な契約でさえ、政治家みずからが破って平然としているのが日本です。これでは社会契約なんて誰も本気で信じなくても不思議はありません。
刑法は裁判官を縛るためのものです。刑法を破ることができるのは、裁判官だけ。つまり、裁判官がもし殺人を犯した人に対して有罪判決を下して「懲役2年に処す」としたら、その裁判官はまさに刑法違反をしたことになる。
殺人罪に対しては、死刑か無期あるいは3年以上の懲役を与えよというのが刑法の規定なのですから、それより軽い刑を与えてはいけない。検察側に手続き上のミスが1つでもあれば、自動的に被告は無罪になるというのが近代裁判の鉄則です。日本の裁判官は、本当に検察官を裁いているのだろうか、被告の味方になってくれているのだろうかと不安になってくるでしょう。
「神の前の平等」ならぬ日本人にとっての唯一神「天皇の前の平等」。現人神である天皇から見れば、すべての日本人は平等である。この観念の普及によって、日本人に近代精神を植え付けようと計画された。
史上、どこの国が近代化のために宗教を作ろうと考えたでしょう。こんな国はどこにもありません。その意味では、明治の日本がやったことは空前絶後です。