好評です!
ほぼ日のアプリあります。

logo_1101

2019-01-17

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・昨夜は、「ほぼ日の学校」の万葉集講座に、
 歌人の岡野弘彦先生が来てくださって、
 まことに「かけがえのない時間」を体験させてもらった。
 この場で語られたこと、そして伝わってきたことは、
 近いうちに、河野通和学校長が、
 「ほぼ日の学校」のメールマガジン
 書いてくれると思うので、その役割はおまかせするが、
 ぼくは、講義を終えた後の質疑応答のときに
 岡野さんが語ってくれたことについて書いておきたい。

 それは、上達するということについてだったと思う。
 岡野さんは、あの折口信夫の、
 つまり、歌人・釋迢空の最後の内弟子だった人だ。
 最高の先生に指導を受けたと、だれでもが想像する。
 しかし、岡野さんは、こういうふうに話してくれた。
 「先生から教えてもらうよりも、
 結社の先輩方から教えてもらったことのほうが、
 切実で、身についたと思えます。
 実際的で細やかな助言がいただけましたから」。
 釋迢空先生は、時折、まとめのような場面で、
 だれにも言えるはずがないような
 鋭く深いことを語ってくれるのだけれど、
 教えてもらえたというのは先輩のほうからだった、と。

 ああ、そういうものか、と、おおいに頷いて、
 ぼくは、そこのところを忘れないように手帳にメモした。
 ここでは、短歌の結社のことを言ってるが、
 スポーツのチームでも、趣味のグループでも、
 事業をやる会社でも、みんなの力を向上させるのは、
 先輩の仕事なのだという気がしている。
 憧れられるような先輩が、周囲にたくさんいる。
 先輩同士が、思いやら技術やらを語りあっている。
 それを後輩は見ているし、先輩は気前よく教える。
 先生は、その「大元」のところにどんと構えている。
 こういうの、憧れだなぁとつくづく思う。
 先輩たちも、「元々は後輩」が力をつけた人たちなのだ。

 できることなら、贔屓の野球チームもそうでありたいし、
 じぶんのいる「ほぼ日」も、そんなだったらうれしい。
 ぼくの知ってる先輩の諸君に、よくお願いしましょう。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
今年95歳の岡野先生。生きていたら吉本隆明さんも95歳だ。


ここ1週間のほぼ日を見る コンテンツ一覧を見る