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   【 静岡鉄道誕生秘話 】

■■ 静岡鉄道成立の謎 ■■

~五島慶太氏と幻の私鉄東海道線~

   静岡鉄道静岡清水線は、静鉄グループ全社の中核事業として、大いに発展しています。同鉄道線は、静岡県内の民鉄としては唯一、全線複線の電化路線となっています。意外にも静岡県内には、JR東海道線・新幹線以外には複線路線がありません(御殿場線は単線化路線)。このため運転頻度も高く、ラッシュ時4分おき、日中でも5~6分おきという高フリークエント運転は、地元JR東海や他の地方鉄道にも追随を許しません。また駅設備の近代化・機械化も進み、全線全駅に自動改札機が導入されています。さらに全車ステンレスカーを採用し、車両工場から塗装作業を廃止しています。これは有機溶剤や塗料を省略し、経費節減の面だけでなく、労働安全衛生上でも有効な施策と申せましょう。このように地道ながら先進的な地方鉄道は、まさに全国的に見ても希少な存在です。
   しかしこの先進性に優れた静岡清水線は、路線距離が全線11.0kmしかありません。しかもかつて戦時中には、連日連夜米軍による空襲爆撃を受け、満身創痍たる戦禍を受けていました。そして終戦直後には線路もズタズタ、車両も被災してロクに動けるものが無い状態で、明日をも知れない有様でした。その静岡清水線の復興と発展を支えたのが、軌間762mmのちっぽけな軽便鉄道の存在でした。静岡鉄道ではいわば軽便路線が、静岡清水線を戦禍による荒廃から甦らせたばかりではなく、当時存在していた静岡市内線や、清水市内線をも復興・発展させたのです。当時の藤相線と中遠線、後の駿遠線という軽便路線は、静岡鉄道のまさに「礎(いしずえ)」とも言える存在だったのです。
   その駿遠線は、藤相鉄道と中遠鉄道という2社が合併して生まれました。駿遠線の駿遠とは、駿河の駿と遠州の遠を結ぶ路線として、新たに命名されたものです。そして静岡鉄道自身も、皆様ご存知のようにこれら2社を含む、全部で5社が合併して誕生しています。その母体は静岡電気鉄道ですが、ここに中遠鉄道という、延長17.4kmの軽便鉄道の存在が光ります。当時最大の存在は、藤相鉄道の延長36.6km(うち4.8kmは廃止)でしたが、この5社合併の影には中遠鉄道の影響が大きかったのです。ちなみに秋葉線(秋葉鉄道)は、この当時すでに静岡電気鉄道に合併されていました。なぜ中遠鉄道という小さな会社が、静岡鉄道という大きな会社の創立に寄与したのか、あるいは5社合併の鍵を握ったのでしょうか?おまけにこの中遠鉄道からは、静岡鉄道合併後に重役(専務取締役)も選出されています。そうしてみると中遠鉄道とは、いったいどのような鉄道で、どのような会社だったのでしょうか。

  中遠鉄道は、初代社長芝田庫太郎氏によって誕生しました。この軌間762mmの軽便鉄道の開業によって、当時は静岡県のチベットと言われていた通称浅羽五郷(当時の上浅羽村・西浅羽村・東浅羽村・幸浦村・豊浜村)に、近代交通が芽生えました。しかしその歩みは苦難に満ちていました。開業当初からの多額の借金、乗合バスとの競合など、中遠鉄道は様々な工夫と努力によって、やっとそれらを乗り越えました。ようやく光が見えた矢先に、芝田庫太郎社長は病没されました。その跡を継いだのが二代目社長塩谷桑平氏で、そのとき芝田社長の長男の芝田佐平治氏が、推薦されて常務取締役に就任しています。この芝田佐平治氏が、後に5社合併後の静岡鉄道で専務取締役に就任しています。
   一方で時代は戦雲急を告げ、いよいよ太平洋戦争が激しくなり、中遠鉄道は陸上交通事業調整法という法律に基づき、5社合併して新生静岡鉄道の一員となりました。その最後の株主総会の、貴重な資料が残されています(→資料1参照)。そしてその名は「静岡鉄道中遠線」に変わり、中遠鉄道の名前は永遠に歴史のかなたに消えて行きました。このときの三代目社長こそが、実は二代目塩谷社長に代った、あの五島慶太氏だったのです。いわばこの五島慶太氏が、中遠鉄道の幕を引くというか、会社に引導を渡す役目を担ったのです。五島慶太氏はなぜ静岡鉄道を創設したのか、どのようにして静岡地区の交通網を掌握して行ったのか、ここにその歴史上の謎を紐解いてみたいと思います。

   五島慶太氏といえば大東急グループの総帥として、あるいは乗っ取り王「強盗慶太」として有名です。五島氏は戦時中東条英機内閣において、運輸通信大臣にまで登りつめました。これは昭和18(1943)年11月1日、鉄道省廃止にともなって新設された運輸通信省に、昭和19(1944)年2月19日から就任したものです。このため戦後はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)により公職追放され、大東急電鉄も解体(合併前の各社に分離)されましたが、それでも事業欲は衰えませんでした。ときに強引なまでの手段を発揮することから、強盗慶太あるいは事業の鬼とまで言われましたが、その人柄は至極人情に厚かったそうです。そして意外に涙もろい一面もあり、人々に敬愛されていたそうです。その凄まじいまでの事業欲も、決して私利私欲の為だけではなく、日本という国家の将来を見据えてのものだったという事です。
   この五島氏には、実は生涯の夢がありました。それは東京~下関間を国鉄とは別に私鉄で結び、高速電車を走らせる構想だったそうです。それこそは東海道・山陽ベルトゾーンの開発が、日本の将来を決めるという、まさに先駆的な考えからでした。すでに首都圏・中京圏・関西圏では大手私鉄が発達しており、これらの地区では経営面でも技術面でも、私鉄が国鉄を完全に上回る実力を持っていました。また大東急電鉄は東京都・神奈川県に路線網があり、愛知県以西にも既存私鉄網がありました。神奈川県と愛知県の間には、静岡県があるだけです。すなわち私鉄東海道線は、あと静岡県を何とかするだけで、実現する可能性がありました。これは当時近鉄の社長だった佐伯勇氏も、私鉄東海道線構想を熱っぼく語った事があり、業界内では暗黙の了解事項であったのかもしれません。
   ところがこの私鉄東海道線構想も、やがて国鉄東海道新幹線(当時)の開通によって、断念せざるを得ませんでした。オリンピック東京大会を控え、新幹線が国家プロジェクトとされたからです。いくら実現可能な構想であっても、私鉄(民間)が国家相手では、とうてい太刀打ちできません。しかし今考えてみれば、東海道新幹線は大都市間を短時間で結ぶ目的のため、既存の東海道線(在来線)とほぼ平行して二重に走っています。これに対し私鉄は、国鉄ではカバーできない地域をきめ細かく結んでおり、多くの支線と合わせれば国鉄以上の大鉄道網となります。もしこの構想が実現していれば、地方の時代と言われる今日、地域振興に果たした役割には大きなものがあったと推測されます。

   そのような五島氏の業績については、枚挙に暇がありません。そこで五島氏と静岡鉄道、そして陸上交通事業調整法との関係に絞って述べてみます。昭和13(1938)年公布の陸上交通事業調整法は、会社の合併・事業譲渡または共同経営などにより運営を合理化し、物資節約と能率増進をもたらせ、それによって戦力の増強をはかろうとする国家的な要請に基くものでした。この陸上交通事業調整法は、実は今でも生きている法律なのです。

   ところで昭和16(1941)年3月10日、静岡電気鉄道では当時の織田社長が退任し、五島慶太氏を社長に迎えました。五島社長は着任早々、この国家的要請から静岡県中部の交通機関を統合して、その整備拡充と経営の合理化を図るという大きな仕事に取り組みました。まず同年8月1日、清水港内巡航船を買収し、その7つの航路および船舶11隻による全事業を掌握しました。そして同年11月1日から、清水港内巡航船による清水~三保間の営業を開始しました。鉄道会社が巡航船を買収して営業するとは奇異に思えますが、これは軍需工場への工員輸送、すなわち大量輸送を目的としていました。太平洋戦争が熾烈の度を加えつつあった昭和18(1943)年頃、日本平の東方にあった清水市の未開発の田園地帯に、日立製作所はじめ多くの軍需工場が進出しました。また三保半島にも日本軽金属・日本鋼管造船所・日本発送電火力発電所などの重要施設が、相次いで設けられました。これらの軍需工場施設の従業員輸送を確保するため、静岡電気鉄道は清水港内巡航船を買収し、工員の大量輸送を実現したという次第です。

   次いで昭和17(1942)年から静岡電気鉄道と、藤相鉄道・中遠鉄道・静岡乗合自動車・静岡交通自動車の5つの株式会社の合併(いわゆる5社合併)と、県中部地区所在の別の5自動車事業の買収の交渉を開始しました。そしてまず中遠鉄道を手中に収め、その取締役社長に就任しました。さらに中遠鉄道の監査役には、腹心の部下だった大川博氏(後の東映社長)を送り込みました。事業の統合は戦時下の国策でもあり、5社合併の交渉は概ね順調に進行しました。昭和18(1943)年2月20日には合併契約書を締結し、同年3月12日には合併5社それぞれで株主総会を開催し、その決議を経て順調に成立しました。その際の合併は条件は、契約書では全部で14条ありましたが、主なものは次の3項目でした。その他条件としては、合併される会社の従業員については、全員現在の給与額のままで新規採用する等としています(→資料2参照)。

  参考1): 静岡鉄道への主な合併条件

①静岡電気鉄道は、存続して社名を静岡鉄道株式会社と改称し、他の4社は解散する。
②資本金は150万円増加して、750万円とする。その増資には、新株を発行する。
③増資分に対して発行する株式は、普通株・優先株の2種類とし、藤相鉄道だけは収益力が大きいので、その株主に対して優先株式を交付する。

 

 

 

  参考2): 静岡鉄道合併当時の各社状況

(1)静岡電気鉄道株式会社
本社:静岡市鷹匠町一丁目七十一番地
代表:取締役社長 五島慶太
(2)藤相鉄道株式会社
本社:静岡県志太郡青島町前島六百六十番地
代表:取締役社長 中村圓一郎
   (初代社長 笹野甚四郎、二代目社長 中村圓一郎)
(3)中遠鉄道株式会社
本社:静岡県磐田郡袋井町高尾千二百一番地
代表:取締役社長 五島慶太
   (初代社長 芝田庫太郎、二代目社長 塩谷桑平、三代目社長 五島慶太)
(4)静岡乗合自動車株式会社
本社:静岡市栄町一丁目八番地
代表:取締役社長 多久安信
(5)静岡交通自動車株式会社
本社:静岡市安西三丁目三十二番地
代表:取締役社長 山田順策

 

  その他の合併に要する諸手続きも、主務官庁に対する許認可申請なども迅速に進められ、昭和18(1943)年5月15日に新会社が正式に発足しました。思えば大正・昭和を通じて、静岡県中西部地方をめぐる交通事業は、複雑な買収・合併の上に成り立って発展してきました。たとえば秋葉馬車鉄道をルーツとする秋葉鉄道も、複雑な経緯を経て、当時すでに静岡電気鉄道に合併されていました。乗合自動車(バス)事業に関しては、さらに複雑になります。そしてこの新会社発足に当り、新たに選出された主な役員は次の通りでした。ここで専務取締役になった芝田佐平治氏は、前にも述べましたが、中遠鉄道の社長だった芝田庫太郎氏(当時故人)のご長男です。ここには複雑な奇縁を感じざるを得ません。

  参考3): 静岡鉄道発足当時の主な役員

取締役社長 五島慶太
専務取締役 三上宣綱
  同   山田平四郎
  同   芝田佐平治

 

   しかし五島氏は、静岡鉄道という地方鉄道のためだけに静岡市に張り付くわけには行かず、ここに有力な人物を送り込みます。それが川井健太郎氏であり、静岡鉄道駿遠線の生みの父となるのです。いわば五島氏は静岡鉄道の父であり、駿遠線にとっては影の父とも呼べる存在だったと思います。そして静岡鉄道社長となった川井氏が五島氏の意を汲み、当時は離れて存在していた藤相線と中遠線を、連絡線を新設して1本に結び、駿遠線という長大な軽便鉄道の生みの親となったのです。その五島イズムは藤相線・中遠線から駿遠線になっても生き続け、たとえば大手工場と袋井工場に技術力を競わせ、その優秀な方を東京渋谷の東急本社から人を出してまで表彰していたそうです。ここには影の父としての、五島氏の深い愛情が感じられます。この五島氏は現在、東京の世田谷区にある九品仏浄心寺境内の墓地で、早世した愛する家族たちと共に安らかに眠っています。


  後日譚: 中遠碑について

  かつての中遠鉄道という軽便鉄道が遺したものに、中遠碑という立派な石碑があります。この中遠碑は、五島慶太氏の筆(揮毫)によるもので、駿遠線(旧中遠鉄道)の新袋井(社袋井)駅構内に建立されました。ちなみに石碑の文面は、井浪茂三郎氏(撰)によるものです。この石碑は同線廃止後も長らく元の駅構内に残されていましたが、その後W商事本社前に移設されました。この碑を揮毫した五島慶太氏は、乗っ取り王とか事業の鬼として有名です。この静岡地区でも静岡電気鉄道を中心に5社を戦時合併させ、静岡鉄道1社にまとめ上げています。しかしいくら戦時中の国策とはいえ、この行為は元の会社を解散させることに他なりません。中遠鉄道は苦労して路線廃止を逃れ、会社三十周年記念行事も挙行した矢先でした。また広く慕われた先代芝田社長物故の件もあり、このような記念碑の建立を必要としたのかもしれません。あるいはこれは五島氏の人柄というか、彼特有の人情の厚さからだったのかもしれません。いずれにせよ、今日なお中遠鉄道の偉業を称える石碑(記念碑)が見られることは、まさに奇跡でもあり幸いとも言えましょう。

  参考写真): 移設された中遠碑

(1) かつての中遠碑(静岡鉄道社袋井駅の構内に建立)→袋井駅南口の区画整理により撤去

 

(2) 現在の中遠碑(W商事本社前に永久保存)→中遠碑の由来を示す丸い石碑も併設

 

 

  「資料1」: 【中遠鉄道株主総会資料】 →静岡鉄道への合併承認手続

ご参考): この文書の原文は、縦書き・旧字体漢字・カタカナ書きで、句読点のない文書です。ここではその原文を、横書き・新字体漢字・ひらがな書きに改め、任意で句読点を追加しています。

拝啓 時下料峭之候、益々御多祥之段奉賀候。

   陳者来る三月十二日(金曜日)午後二時より本社楼上に於て臨時株主総会相開き、左記事項御決議相願度候間、御出席相成度此段御通知申上候。

敬具

   追而右総会は、定款第二十条に依る株主の決議を要する次第に付、御出席相成難き場合は別紙委任状御送付被下度、当日御出席之節は株主の証として封皮の儘受付に御差出被下度候。

       臨時株主総会決議事項

一、当会社と、静岡電気鉄道株式会社 藤相鉄道株式会社 静岡乗合自動車株式会社及静岡交通自動車株式会社と、別紙合併契約書承認の件。

                       昭和十八年二月二十四日
中遠鉄道株式会社  
取締役社長  五 島 慶 太

株主殿

 

三銭
印紙

         委 任 状

拙者儀                    を代理人と定め、左の権限を委任す。
 一、昭和十八年三月十二日開会の中遠鉄道株式会社臨時株主総会及其の延会に出席し、株主たる権利を行使すること。
右委任状仍而如件

                   株主氏名               (印)

 

   「資料2」: 【静岡鉄道合併資料】 →静岡鉄道への合併契約書

ご参考): この契約書の原文は、縦書き・旧字体漢字・カタカナ書きで、句読点のない文書です。ここではその原文を、横書き・新字体漢字・ひらがな書きに改め、任意で句読点を追加しています。

合併契約書(写)

静岡電気鉄道株式会社(以下甲と称す)、藤相鉄道株式会社(以下乙と称す)、中遠鉄道株式会社(以下丙と称す)、静岡乗合自動車株式会社(以下丁と称す)、静岡交通自動車株式会社(以下戊と称す)の各会社(以下五会社と称す)は、静岡県中部地方の交通機関の整備拡充及経営の合理化を図る為、会社合併に関し左の条項を契約す。

第一条 甲乙丙丁及戊は合併し、甲は存続し、乙丙丁及戊は解散するものとす。
  本合併成立と同時に、甲は其の商標を静岡鉄道株式会社と変更するものとす。

第二条 甲は合併に因り資本金一百五十万円を増加し、其の増加資本に対し額面金五十円全額払込済株式二万六千八百四十株、額面金五十円内金二十五円払込済株式一千株、額面金五十円内金十円払込済株式二千一百六十株を発行し、之を左の割合に依り合併実行の日に於ける乙丙丁及戊の最終株主に割当交付するものとす。但し合併に適せざる部分に付ては、商法の規定に依り処理するものとす。
  一、乙の額面金五十円全額払込済株式一株に付、甲の同一額面同一払込済株式一株。
  二、丙の額面金五十円全額払込済株式及額面金五十円内金十円払込済株式一株に付、夫々甲の同一額面同一払込済株式一株。
  三、戊の額面金五十円全額払込済株式一株に付、甲の同一額面同一払込済株式一株。及戊の額面金五十円内金十二円五十銭払込済株式一株に付、甲の額面金五十円内金二十五円払込済株式一株。
  丁の株式は甲及乙に於て全株所有するを以て、甲の株式の割当を為さざるものとす。

第三条 前条に依り、甲が乙丙丁及戊の株主に交付する株式の種類は左の通りとす。
  一、丙及戊の株主に交付する甲の株式は普通株とす。
二、乙の株主に交付する甲の株式は優先株とす。
  本合併実行前に於ける甲の株式は普通株とす。

第四条 甲は優先株主に対し年八分の割合に依り配当を為したる後、普通株主に対し年六分の割合に依り配当を為すものとす。
  前項の配当を為したる後、利益の剰余あるときは優先株主に対し年九分、普通株主に対し年七分の割合に達する迄、優先株主及普通株主に対し均等の割合に依り配当を為し、尚利益の剰余あるときは普通株主に対し年九分の割合に達する迄配当を為すものとす。
  優先株主及普通株主に対し引続き三事業年度年九分の利益配当を為したるときは、爾後優先株式を普通株式に引直すものとす。

第五条 甲は第二条の交付株式に対し、左の割合に依り配当金に代わる交付金を支払うものとす。
一、乙の株主に交付する株式に付ては、昭和十八年一月一日より合併実行期日の前日迄の期間に付年八分の割合。
  二、丙及戊の株主に交付する株式に付ては、昭和十七年十二月一日より合併実行期日の前日迄の期間に付年六分の割合。
  前項の交付金は昭和十八年五月三十一日現在の最終株主に対し、甲の利益配当金の支払と同時に之を為すものとす。

第六条 合併実行の期日は、昭和十八年五月十五日とす。但し右期日迄に主務官庁の認可許可を得ること能わざる等、已むことを得ざる事由の生じたるときは、五会社協議の上之を変更することを得。

第七条 丙丁及戊は昭和十七年十一月三十日迄は、昭和十七年十二月三十一日現在の貸借対照表を基礎とし、合併実行期日に於ける資産並に権利義務の全部を甲に引継ぎ、甲は之を承継するものとす。

第八条 乙丙丁及戊は本契約締結後合併実行に至る迄、善良なる管理者の注意を以て財産の管理及日常の営業を為すものとし、財産の処分義務の負担其の他財産状態に影響を及ぼすべき重要事項に付ては、特に定めたるものを除き予め甲に協議し、其の承認を受くるものとす。

第九条 合併実行の際在職の乙丙丁及戊の使用人は、甲に於て全部現給の儘新規採用の形式に依り継承するものとす。

第十条 甲は乙丙丁及戊に於て、法令又は法令に基き主務大臣の認容する範囲内に於て、各其の役員及従業員に対し退職金並に解散手当てを支出することを承認するものとす。

第十一条 五会社は昭和十八年三月十二日各株主総会を招集し、本契約の承認並に其の実行に必要なる決議を為すものとす。
  五会社は前項の株主総会の承認並に決議を了したるときは、遅滞なく本合併に関し主務官庁に対する認可許可申請を為し、其の他必要なる事項を処理するものとす。

第十二条 本契約に規定せる事項以外に於て本合併に関し必要なる事項あるときは、五会社の代表者に於て之を協定実行するものとす。

第十三条 本契約締結の日より合併実行期日に至る迄の期間に於て、天災其の他不可抗力に因り契約者の一方又は双方の財産に著しき変動を生じたるときは、五会社の代表者協議の上合併条件を変更し又は本契約を解除することを得るものとす。

第十四条 本契約は五会社の何れかの株主総会に於て承認を得ざるか、又は本合併に付主務官庁の認可許可を得ることを能わざるときは其の効力を失うものとす。

右契約の証として本書五通を作成し、各自其の一通を所有するものとす。
  昭和十八年二月二十日

               静岡市鷹匠町一丁目七十一番地
            甲   静岡電気鉄道株式会社
                 取締役社長  五 島 慶 太

               静岡県志太郡青島町前島六百六十番地
            乙   藤相鉄道株式会社
                 取締役社長  中 村 圓 一 郎

               静岡県磐田郡袋井町高尾千二百一番地
            丙   中遠鉄道株式会社
                 取締役社長  五 島 慶 太

               静岡市栄町一丁目八番地
            丁   静岡乗合自動車株式会社
                 取締役社長  多 久 安 信

               静岡市安西三丁目三十二番地
            戊   静岡交通自動車株式会社
                 取締役社長  山 田 順 策

右 同 意 候 也
                静岡電気鉄道株式会社
                 監 査 役  三 宮 四 郎

                中遠鉄道株式会社
                 監 査 役  大  川  博


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