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【大相撲】

<ちょっといい話>たたき上げに誇り持ち真っすぐな目で歩んだ稀勢

2019年1月17日 紙面から

2004年1月1日付の東京中日スポーツの紙面

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 引退会見で流した涙を見て、あらためて稀勢の里ほどいちずで純粋な人はいないと感じた。同時に、外国出身や学生出身力士が隆盛の時代に、同じように15歳から夢を追いかける力士が、これからどれくらい現れるのか、ふと考えさせられた。

 2015年10月。田子ノ浦親方、稀勢の里、高安がスカウトのため鹿児島県の徳之島へ向かった。私も取材で同行。乗り継ぎの鹿児島空港で、稀勢の里からおもむろにこう切り出された。

 「ぼくら何しに徳之島へ行くんですかね? 知ってますか?」。すでに大関だった稀勢の里の、あまりにもピュアな質問にずっこけた覚えがある。

 徳之島では、小中学生の稽古を見ながらこんな話をしてくれた。

 「たたき上げの日本人ですごいのが入ってくれば盛り上がる。自分が中卒だから言うわけじゃないけど、足の指先から脳みそのてっぺんまでお相撲さんという、たたき上げのお相撲さんがいいよね」

 考えの根っこにあるのは「日本人」という誇りと、「たたき上げ(中学卒業後すぐに入門)」というプライド。そして、「目が澄んでいていいね。真っすぐな目がいい。大卒、高卒はサラリーマンみたいな雰囲気がある。自分は安定を求めてない」と言って、また子どもたちを見つめた。

 04年の元日紙面で、当時は本名の萩原で相撲を取っていた17歳の幕下・萩原を掲載した。正月特集で、世間的には無名の力士に1ページを使う異例の抜てき。何よりも思い出に残っているのは、そのときにお願いして、顔を並べて自撮りした写真だ。

 稀勢の里はそのときから変わらず、真っすぐな目で歩み続けてきた。指導者としても、いつまでも真っすぐで澄み切った瞳を失わない、たたき上げ力士を育ててくれるはずだ。 (岸本隆)

 

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