【大相撲】稀勢、引退「土俵人生に一片の悔いなし」 大好きなラオウの言葉を…2019年1月17日 紙面から
◇初場所<4日目>(16日・両国国技館) 大相撲初場所で初日から3連敗していた第72代横綱稀勢の里(32)=田子ノ浦=が16日、東京・両国国技館で記者会見し、引退を表明した。幕内通算714勝は歴代6位。「一片の悔いもございません。一生懸命やってきた」と17年間の土俵人生を締めくくった。今後は年寄「荒磯」を襲名し、親方として日本相撲協会に残る。2017年春場所中に負った故障から歯車が狂い始め、横綱として数々のワースト記録を更新。周囲の期待を受けて最高位に登り詰めた19年ぶりの和製横綱は、不本意な形で土俵に別れを告げた。 ◇ 涙、涙の幕引きだった。ちょうど800勝を積み上げた17年間の激闘は、とても語り尽くせない。稀勢の里の男泣きが止まらなかった。 「横綱として皆さまの期待に沿えられないということは非常に悔いが残りますが、私の土俵人生にとって、一片の悔いもございません」。引退会見の冒頭から震え声。ぬぐってもぬぐっても、着物の襟元をぬらすほどの涙がこぼれ落ちた。 土俵を去るにあたって心に残るのは砂にまみれて地力を養った稽古場だった。15歳から叱咤(しった)激励して育ててくれた先代師匠の鳴戸親方(元横綱隆の里)と、濃密な時間を過ごした原点の場所だ。 感謝したい存在として真っ先に挙げ、大関昇進を決めた2011年九州場所直前に59歳で急逝した恩師からは「横綱になれば、見える景色が違う」と背中を押されてきた。結びの一番で相手を迎え撃つ土俵や、最高位だけに許される支度部屋の一番奥からの眺めは-。「全く違うものでした」と切り出したが、直後に「ですが、先代が言っていた景色は、見られなかったです」と続けた。まだ32歳。無念の思いがにじんだ。 “先代超え”の夢を奪ったのは、新横綱だった17年春場所で負った左大胸筋と左上腕筋の重傷。優勝決定戦の末に2場所連続でつかんだ賜杯の代償は、宝刀だった左からのおっつけの威力を奪うなど、あまりにも大きかった。 「けがをする前の自分に戻ることはできなかった」と、潔く土俵を去ることも考えた。それでも、相撲人生で貫いた「絶対逃げない。その気持ち」を曲げることはなかった。横綱在位12場所で36勝36敗97休。限界を超えても、土俵に上がり続けた信念の結果だった。 年寄「荒磯」を襲名し、田子ノ浦部屋の部屋付き親方として後進育成の第一歩を踏み出す。まずは、弟弟子の大関高安の綱とり後押しを宣言。そして「一生懸命相撲を取る力士、けがに強い力士を育てていきたいと思います」と誓った。 記者会見後、第72代横綱稀勢の里の新たなスタートを、1分近い拍手が祝福した。「先代は稽古場を非常に大事にしていました。稽古場というものの大事さを、次世代の力士に教えていきたい」。受け継いだ相撲道を、ひたすら実直に歩んでいく。 (志村拓)
◆「土俵人生に一片の悔いなし」稀勢の里が引退記者会見で2度も口にした「土俵人生に一片の悔いなし」という言葉は、漫画「北斗の拳」に登場するラオウの名せりふだった「わが生涯に一片の悔いなし」から引用したとみられる。かつて、ラオウが描かれた化粧まわしを使うなど、稀勢の里はラオウのファンとして知られている。
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