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【サッカー】

元日本代表FW・巻が引退会見「サッカーは人生の全て」

2019年1月17日 紙面から

2006年W杯ドイツ大会 グループF 日本-ブラジル 前半、ルシオ(右・ブラジル=バイエルン)と競り合う巻=ドルトムントで(横田信哉撮影)

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 サッカーは人生の全て-。元日本代表で2006年W杯ドイツ大会に出場し、引退を表明した元日本代表FWの巻誠一郎(38)が16日、熊本市内で引退会見を開いた。14年からJ2ロアッソ熊本に5シーズン在籍し、昨シーズンはクラブ初のJ3に降格。チームが低迷する中で自身が力を発揮できず、勝利に貢献できなくなったことが引退決断の理由だ。16年4月の熊本地震後は地元熊本の支援に奔走。新たなステージに向かい、愛する故郷で現役生活に別れを告げた。

 悩み抜いて出した答えに涙はない。「(チームが負けて)バラバラになる時に僕のパーソナリティーが発揮できると思っていたが、なかなか一つになって勝利に近づけなかった」。熊本は昨季21位でJ3に自動降格。巻は自身の出場機会が少なくなる中、苦しむ仲間を見ながらもどかしい思いを募らせた。

 「やり残したことはたくさんある。ただ、自分の価値を(チームに)還元できなくなったら辞めようという強い覚悟と信念を持ってプレーしてきた」。自ら身を引くタイミングを悟り、引退を決断したことを明かした。

 03年入団の市原(現千葉)ではオシム監督の下でプレー。日本を代表するストライカーに成長し、06年には日本代表のジーコ監督にサプライズ選出されてW杯ドイツ大会に出場した。その後、ロシアや中国でもプレーし、34歳となるシーズンに地元の熊本へ移籍した。

 「最後のクラブにしようという覚悟で帰ってきた。生まれ育った自分の街のクラブで引退できるのは幸せなこと」。16年4月の熊本地震発生後は、被災した故郷や仲間の支援に走り回った。「本当に熊本が大好きなので、力強く前に進まないといけない」と強い思いを口にしていた。

 練習場も被災し、公式戦が中止に。そんな状況でも被災地の小学校でサッカー教室を開いたり、継続的な支援を目指してNPO法人「ユアアクション」を立ち上げたりと、復興に向かう故郷とともに歩み続けた。「子どもたちは素晴らしい瞳をしていたし素晴らしい笑顔だった。僕らにしかできないと再確認した」。引退後も熊本を拠点に活動。支援を続けながら、指導者の道も志す。

 「サッカーは僕の人生の全て」。最後にそう振り返ったストライカーは、現役時代同様に全身全霊をサッカーと熊本の復興にささげながら、新たなステージを全力で走り続ける。 (広田亜貴子)

<巻誠一郎(まき・せいいちろう)> 1980(昭和55)年8月7日生まれ、熊本県宇城(うき)市出身の38歳。184センチ、80キロ。FW。同県立大津高から駒大を経て2003年、当時J1の市原(現J2千葉)に入団。ロシアや中国でもプレーし、14年に東京Vから熊本に加入。J1で通算207試合出場53得点、J2で通算231試合出場16得点。日本代表では出場38試合で8得点を記録し、06年のW杯ドイツ大会にも出場した。

試合後、横断幕を持ってピッチを一周する巻(右端)ら熊本イレブン=2016年5月15日、フクアリで

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