1990年、F1世界選手権には2人の日本人ドライバーが参戦していました。ひとりはこの年よりロータスからティレルに移籍した中嶋悟。そして、もうひとりはザクスピードからエスポ・ラルースF1に移籍した鈴木亜久里です。

中嶋悟はこの年、後のF1の常識となるアイデアを盛り込んだエポックメイキングなマシン、ティレル 019に搭乗することになりました。ハーベイ・ポスルスウェイトとジャン=クロード・ミジョーによって製作された019は、基本構造こそ前年の018とほぼ変わらないものの、マシン下部に流す空気の流量増大を狙ったハイノーズが採用され、その斬新さから注目を浴びるマシンとなりました。

フォーミュラカーのフロントウィングは、地面から高く持ち上げてしまうとダウンフォースが得にくくなってしまいます。このため019では、高く持ち上げられたノーズ先端から斜めした方向に"ハの字"にステーを伸ばし、規定の高さで水平に折れ曲がるレイアウトを採用しました。このようなウィングは過去に例がなく、逆ガルウィング、アンへドラルウィング、コルセアウィングなど様々な呼び名で呼ばれました。

このハイノーズのおかげで革新的なマシンのように思われがちなティレル019ですが、実はノーズ以外の部分は前年の018からほとんど変わっていません。たとえば左右のフロントサスペンションが1つのダンパーとスプリングを共有するモノショックサスペンションなど、操縦しやすいマシンだった018の良いところは極力受け継ごうという姿勢が見て取れます。

一方、鈴木亜久里が駆ったマシン、ラルース・ローラLC90は、ティレルに比べると非常にオーソドックスなデザインを採用。マシン開発の指揮をとったのはロータスから移ってきたジェラール・ドゥカルージュです。しかし実際にデザインの大半を受け持ったのは前年のLC89をデザインしたローラのクリス・マーフィーでした。そのためLC90は実質LC89の正常進化型と言えるマシンに仕上がっています。

2年目のランボルギーニ3512 V12エンジンは、出力こそ最大630馬力を誇ったものの、そのぶん発熱も大きく、リアカウルの仕上げも当時流行していたコークボトル形状を採用せず、サイドポンツーン後端に開口部を大きくとった冷却性重視のデザインとなっています。

LC90も、細く絞り込んだノーズコーンに搭載するサスペンションダンパーに工夫を凝らしています。こちらはティレル019のようなモノショックではないものの。左右のダンパーを前後にオフセット配置して直列に並べて搭載していました。

ティレルとエスポ・ラルースF1はともに1990年シーズン序盤の2戦を1989年に使用した旧マシンで戦いました。ここで光ったのはティレルで、開幕戦のアメリカGPでは前年コンストラクターズランキング5位を獲得したマシン018を操るジャン・アレジが、マクラーレン・ホンダMP4/5Bのアイルトン・セナを相手に激しい首位争いを見せる好走を披露、2位を獲得して表彰台に立ちます。中嶋悟も6位に入賞しました。続く第2戦ブラジルGPも、入賞にこそ届かなかったもののアレジ7位、中島8位と好調をキープして幸先良いシーズンのスタートを切っています。

一方のラルース・ローラは前年の成績が振るわなかったため予備予選への参加を義務付けられ、これを勝ち抜かなければ即店じまいという厳しい条件を突きつけられます。幸いにもローラのシャシーは予備予選で敗退するような車ではなく、どのレースでも順調に予選、決勝へと駒を進めることができました。ただ、アメリカGPでエリック・ベルナールが8位と健闘したものの、ブラジルGPではリタイアに終わり、鈴木亜久里も2戦ともリタイアと少々厳しいシーズン序盤でした。

両チームともに1990年のニューマシンを投入したのが、欧州ラウンド開幕となる第3戦サンマリノGPでした。
ここでティレルのアレジは新車019に素早く適応し、非力とされるフォード・コスワースDFRエンジンにもかかわらず高速コースのイモラ・サーキットで6位、さらに第4戦モナコGPでは2位表彰台を獲得し、開幕戦から4戦連続入賞を成し遂げます。しかしチームメイトの中嶋悟は、サンマリノGPではスタート直後にレイトンハウス・マーチCG901をドライブするイワン・カペリと接触してコースサイドのウォールに激しくクラッシュ、モナコでは36周目にスピンアウトといま一つ波に乗れずじまいでした。

エスポ・ラルース勢はサンマリノGPではいまひとつ振るわなかったものの、モナコでベルナールがシーズン初入賞となる6位で1ポイントを持ち帰り、チームの予備予選免除に貢献します。しかし鈴木亜久里はここでも連続リタイアに終わりました。

シーズンが中盤にさしかかると、チームの資金力がマシン開発に響いてきます。大きなスポンサーを持たないティレルはこのあたりから息切れが始まり、あれほど好調だったアレジも、入賞に一歩届かないレースが続きます。一方、ラルース・ローラはマシン、エンジンの熟成が進み、予選でも上位に顔を見せるようになってゆきます。第8戦イギリスGPではベルナール4位、鈴木亜久里も6位に入賞し初の2台同時入賞。第10戦ハンガリーGPでもベルナールが6位に滑り込みポイントを加算します。


第12戦イタリアGPでは、高速コースのモンツァ・サーキットで1、2位のマクラーレンを追いかけまわしたアレジがスピン、リタイアしてしまったものの、久々の好走を見せた中嶋悟が開幕戦以来の6位、鈴木亜久里も第14戦スペインGPで6位に入賞し再び上昇機運を感じさせます。マクラーレンのアイルトン・セナとフェラーリのアラン・プロストによるチャンピオン争いも大詰めを迎え、第15戦の日本GPに向けてファンの期待も高まって行きました。


1990年の日本GPは、レースウィーク直前にベネトン・フォードチームのアレッサンドロ・ナニーニが、自ら操縦していたヘリコプターの着陸に失敗、右腕前腕部切断という重苦しいニュースから始まりました。

ナニーニの代役には急遽ロベルト・モレノが呼ばれ、ベネトンはネルソン・ピケとのブラジル人コンビに。また前戦スペインGPで大クラッシュし重傷を負ったロータス・ランボルギーニのマーティン・ドネリーの代役には、当時全日本F3000に参戦していたジョニー・ハーバートが起用されました。

予選1回目、ジャン・アレジが第1コーナーでクラッシュを喫します。これで首を痛めてしまったアレジは欠場を余儀なくされ、ティレルチームは決勝レースに中嶋悟ひとりで臨むことになりました。中嶋悟のティレル019は予選14位、鈴木亜久里のローラLC90は10位を獲得し、アレジの欠場による繰り上がりでそれぞれ13位、9位にを得て、翌日の決勝日を迎えました。



10月21日の鈴鹿サーキットは満員の観客で埋め尽くされ、佳境を迎えたアイルトン・セナとアラン・プロストのチャンピオン争いに誰もが注目していました。

ところが、いざスタート切るとポールポジションのセナは出遅れ、2位から完璧な加速でリードを奪ったプロストが真っ先に1コーナーに進入します。セナはここで無謀にもプロストのインサイドに突っ込み、両者はそのまま絡み合うようにグラベルへと飛び出していきました。観客の歓声が悲鳴に変わり、これでこの年のワールドチャンピオンはセナに決定し、日本GPは一気に見どころを失ってしまったかに思えました。

2周目。4番グリッドからスタートし、1コーナーのゴタゴタをすり抜けて首位に躍り出たマクラーレン・ホンダのゲルハルト・ベルガーが、そのゴタゴタでコース上に出たグラベルに乗りスピン、リタイアしてしまいます。つづいて首位に立ったナイジェル・マンセルが駆るフェラーリ641も、26周目にタイヤ交換を終えて加速しようとした際にギヤボックスを壊し、ピット出口にマシンを止めてしまいました。

つぎつぎと首位のマシン/ドライバーが倒れた結果、レース中盤には1位がベネトンB191・フォードのネルソン・ピケ、2位もベネトンのロベルト・モレノ、3位にウィリアムズ・ルノーのリカルド・パトレーゼ、そして4位にエスポ・ラルースの鈴木亜久里が上がってきました。中嶋悟もまた大歓声を浴びながらロータスのジョニー・ハーバートを抜き去り、7位に浮上します。

37周目、それまで3位をキープしてきたパトレーゼがピットイン。これで鈴木亜久里は3位に。中嶋はロータスのデレック・ワーウィックを抜いて、当時は6位までだった入賞圏内に上り詰めます。そして、そのままの順位でレースは終了となり、鈴木亜久里とエスポ・ラルースチームはともにキャリア初の(そして唯一の)表彰台を獲得しました。また中嶋も貴重なポイントをティレルに持ち帰りました。
ラルース・ローラの表彰台とティレルの入賞は、マクラーレンやフェラーリが全滅しウィリアムズが戦略ミスを犯したおかげ、といえばそのとおりです。ただ、上位に何かあったときに最大限の利益を得られる位置にいることこそが、中堅チームに求められるレースであることは間違いありません。

ティレルとラルース・ローラは、最終第16戦オーストラリアGPをともにノーポイントで終えたものの、日本GPでの活躍もあり、コンストラクターズランキングはティレルが5位をキープ。ラルース・ローラは前年の16位から躍進の6位を獲得し、ティレルとともにセカンドベストグループとして存在感を示すようになりました。

ところが、そのランキングはまだ固まってはいませんでした。シーズンオフに入ってから、当時F1の運営を仕切っていたFISA(国際自動車スポーツ連盟)が突如、エスポ・ラルースのコントラクターズポイントを剥奪することを発表し、その理由を正式エントリーされたチーム名「エスポ・ラルース」にマシン製作を受け持ったローラの名前が入っていなかったためとしました。

F1コンストラクターはマシンを独自に製作し、それをエントリー名に記さなければなりません。したがって、ラルースチームは本来コンストラクター名にマシン製作を受け持ったローラを入れ「エスポ・ラルース・ローラ」とすべき、という理屈です。ラルースチームは1987年の参戦当時からローラ製シャシーを使用していたにもかかわらず、それまで一度もお咎めはありませんでした。フランス国内では、どうやらランキング11位に終わったリジェチームが、10位のチームまでが世界を転戦する際に使えるFOCA(F1製造者協会)のチャーター便使用権を得るために、ラルースのコンストラクター名にクレームを付けたのではないかと囁かれました。

なお、ラルースチームはこの処置に対して控訴し、後にコンストラクターズポイントはゼロになるもののドライバーズポイントは有効に、そして予備予選も免除扱いとする和解案を得ています。またバーニー・エクレストンはラルースチームにアメリカ大陸への遠征となる開幕2戦分のFOCAチャーター便(各チームの機材を空輸するジャンボ機)の使用権を提供したとされます。



ちなみに、ティレル019とラルース・ローラLC90は、2018年10月5~7日に鈴鹿サーキットで開催されるF1日本GPにて「Legend F1 SUZUKA 30th Anniversary Lap」と銘打ったデモ走行を行う予定です。もちろんホンダの歴代マシン、フェラーリ、ベネトンからAGSに至るまで、ベテランF1ファンなら感涙もののマシンたちが勢揃いする予定なので、当日観戦予定の方々は、あの日見たマシン、エンジンサウンドを、どうぞふたたびご堪能ください。


■Tyrrell 019 主要諸元

デザイン ハーベイ・ポスルスウェイト / ジャン=クロード・ミジョー
シャシー カーボンファイバー モノコック
ホイールベース 2980mm
トレッド前 1800mm
トレッド後 1600mm
サスペンション前 ダブルウィシュボーン、プッシュロッド、コイルスプリングダンパー(シングル)
サスペンション後 ダブルウィシュボーン、プッシュロッド、コイルスプリングダンパー
トランスミッション ティレル/ヒューランド製縦置き6速、マニュアルトランスミッション
車体重量 500kg
エンジン フォードDFR 3493cc 90度V8、自然吸気
エンジン出力 620馬力以上 / 11250rpm
エンジンチューニング ハート
タイヤ ピレリ


■Lola LC90 主要諸元

デザイン ジェラール・ドゥカルージュ / クリス・マーフィー
シャシー カーボンファイバー モノコック
ホイールベース 2850mm
トレッド前 1810mm
トレッド後 1620mm
サスペンション前 ダブルウィシュボーン、プッシュロッド
サスペンション後 ダブルウィシュボーン、プッシュロッド
トランスミッション ラルース製6速、マニュアルトランスミッション
車体重量 500kg
エンジン ランボルギーニ3512 3493cc 80度V12、自然吸気
タイヤ グッドイヤー