皆様、こんにちは、ひでです。
「源義経は大陸に渡って、チンジスハーンになった」
日本人なら誰しも一度は聞いたことがあるのではないでしょうか?逆にモンゴル人の方々にしてみれば「何だそれは?そもそも『ヨシツネ』って誰だ!」と思うかも知れません。今回は荒唐無稽ながら、長く日本人(だけ)の間に浸透してきたこの「チンジスハーン=義経」伝説について書いてみたいと思います。
源義経銅像
源義経は平安時代(794~1193)末期の壇ノ浦(山口県、福岡県)の合戦にて、当時日本の政権を掌握していた平家を滅亡させた天才的武将であり、かつ鎌倉幕府創設の最大の功労者であります。しかし、政治的センスの無さから兄である鎌倉幕府の征夷大将軍、源頼朝に追われる身となり、ついに奥州平泉(岩手県平泉町)衣川館にて自害し、31才の短い生涯を閉じます。
こうして悲運の死を遂げた義経ですが、しかし民衆は決して義経を「死なせま」せんでした。
北海道アイヌ最大の首長、シャクシャイン。
民衆の義経に対する同情(これを義経の官職名をとり、’判官びいき’と言います)から、彼は平泉で死なず、逃亡してさらに北上したのだと主張されます。しかし実は、彼の死後すぐに「義経=チンジスハーン」伝説になったわけではないのです。以下、順を追って記載します。
①.義経が奥州衣川で死なず、死んだと見せかけて蝦夷(北海道)に渡った。
②.義経が奥州衣川で死なず、蝦夷から大陸に渡り女真人王朝の金の将軍になった。そしてその子孫が清和源氏の「清」の字をとった清朝を建国した。
③.義経が奥州衣川で死なず、蝦夷にわたり、更に韃靼(タタール)にわたり元を建国しチンギスハーンとなった。
①は一般的に「義経北行伝説」と呼ばれ、室町時代(14世紀頃)に発生したと言われています。これは現在でも東北地方や北海道に数多くの「義経伝説」の地があることでも有名です。そして江戸時代になると、アイヌの最高神オキクルミは源義経であるという伝説が北海道において流行しました(新井白石『読史余論』)
おそらく、本土人がアイヌ政策を有利に行うために作られた伝説ではないかと言われています。
アイヌの最高神「オキクルミ」
②は①をさらに発展させた説であり、蝦夷地(北海道)から大陸に渡ってしまいます。これも江戸時代に発達した伝説であり、さしずめ「義経=清王朝(ヌルハチ)伝説」といいましょうか?実は清朝編纂の『古今図書集成』の序文に、清の乾隆帝(在位1735~1795)自ら「朕は義経の子孫だ」と記載されていると、江戸時代の日本で噂された時期があるのですが、当然そのような記述は無い(あったら大変だよ(笑))
江戸時代の日本人に義経の子孫と勝手に勘違いされた清朝第6代皇帝、乾隆帝
その後「義経=ヌルハチ祖先説」がさらに’進化’を遂げ、ついに③の「義経=チンジスハーン」説へと発展してゆきます。そして、この説を提唱した人はとても意外な人なのです。
詳細はまた後日。
参考文献:
森村宗冬『義経伝説と日本人』(平凡社, 2005年2月)
(寄稿者:ひで)
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