あったあったー!テレホーダイ!11時前にはPC前待機だったねぇ。とか思いながら観る。


もちろん今やネットジャンキーの僕だが、始めた頃の記憶があまりない。
どうやって触ったのだろう?

Windows95が世に出たのは21歳の時。
PCを本格的に触り出したのは『怨念戦隊ルサンチマン』の頃だから、23歳。
その時は先輩のPCを借りて編集していた。ネットはまだ見てなかったように思う。

その後、就職するに当たってその先輩の自作のPCを購入。
その辺りかな?

あまりネットでなんやかんやした記憶がない。
唯一覚えているのはエロサイトの散策。
エロサイトを延々覗いて朝になるなんてのもザラだった。しかも平日。
あの時のリビドーはどこに行ったのだろう・・・?
画像もJPEG一枚開くのに、じわじわーっと上から順番に開いてきて、キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!とかね。


実は京アニのHPを実質最初に立ち上げ、運営したのは僕だ。
入社一年目に命を受け、HTTPタグを一生懸命覚えた。
しかし手打ちではどうにも見栄えが良くないので、会社にお願いしてDreamweaverを買ってもらった。

そういう経験もあって、個人のHPも立ち上げた。
悪名高い「妄想ノオト」の連載も始まったが、当時はまさに日記感覚だった。
誰かが読んでるという意識は薄かったように思う。

チャットとかもやっていたが、もう携帯メールを使ってたし、あまりコミュニケーションに使った記憶がない。
むしろ仕事の調べ物、これにはもう年ごと日ごとに重要度が増していった。

『AIR』#8の時には、寝殿造を徹底的に再現しよう!となって、過去の映画で平安期を描いた『竹取物語』や『新・平家物語』などのビデオを観つつ、それでも信用ならんので、ネット上からあらゆる情報を仕入れた。
すると関西大の教授だったかの論文が出てきて、「寝殿造などそもそもなかった!」とか仰天する内容で、さすがにないのはないわ、とその辺で時代考証を諦めた。
しかしそんな情報にまで遭遇できるネットには大きな信頼を寄せるようになった。

2ちゃんねるを知ったのは『ハレグゥ』の時。
脚本に2ちゃん語が書かれてて、「これ何ですか?」「2ちゃんねるですよ、知りませんか?」

戻って友人に訊いて、細かく説明を受けた。
ようし、こうなったらとことんやってやる。

OAしたら2ちゃんで大炎上になった。
これが人生初の炎上だったような。

後日水島監督からは「いやぁ、凄かったですねぇ。脚本の横手さんも喜んでました」とお褒め?の言葉をいただいた。
思えばここから2ちゃんとの戦いは始まってたんだな・・・。

YouTubeだけは画期的だったね。
パッケージ化されていないTV番組とか懐かしいCMとか、貪るように探して、懐かしんだ。


とまぁ、ほっこりできるのは、この程度。


「オタクがカミングアウトできる世の中になった!」とかパネラー達は無邪気に喜んでいたが、それはキチガイに刃物を持たせて世に放ったようなものだ。
その結果が、文化も政治も破壊しつくされた今だ。
さすがに宇野さんだけは要所要所でピシッと批判していたが、この「ネットっていいよねー」という生ぬるい空気は、ただ不快だった。
お前らにどれだけの存在価値があるというのか?

そして更に戦慄が走ったのが、この空気を読んだ真鍋かおりが「SNS離れ」を告白したのに、それに向かってホリエモンがドヤ顔で言ってた、中国のSNS事情。
いやいやいや、「WeChat Pay」なんて、完全に監視体制の強化じゃん・・・。

今やネットは不特定多数の自由な活動の場ではなく、政治的に人心操作をする格好のプラットフォーム(『のけものフレンズ』とかね!!)であることを、誰もが警戒しなくてはならない。
僕は自分の信念を貫いて戦い抜くことを決めたが、しんどい人は是非離れた方がいい。


ネットはユートピアではなくディストピアだった。
それを僕らは『フラクタル』で既に予言していた。
まだ時代は『フラクタル』に追いついていないようだ。