悪のペンギン帝国

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2014/10/30

薬で恐怖を解消できる?!

Tweet ThisSend to Facebook | by HiddeN
ここ何年かは日本でもハロウィンが定番イベントになってきましたね。そのうちイースターとかも定着するのでしょうか。
ハロウィンといえば、こんなふうに↓怖いお化けがやってきておどかしてくるものですが、何かに対する恐怖を克服したいという人もいるでしょう。

Fig. 1. 研究者を襲う様々な恐怖(様々って書いたけどおおむね一つだった)


というわけで、今回は
遺伝子の働きに影響を与える薬によって、過去の経験に基づく恐怖を解消しやすくなる、という研究[1]を紹介したいと思います。


今回紹介する内容を要約するとこんな感じになります。

①ゲノムDNAはヒストンというタンパク質に巻き付いた状態で存在している。

②このヒストンにアセチル基というものが付けられる(アセチル化される)と、そのあたりに巻き付いている部分のDNAに含まれる遺伝子が発現しやすくなる

③FTY720という薬には、ヒストンにつけられたアセチル基を外してしまうための酵素(ヒストンデアセチラーゼ)を抑える効果がある

④そのため、マウスにFTY720を飲ませると、どの遺伝子がどのくらい働くかが変わってしまう

⑤FTY720を飲ませたマウスでは認知機能や記憶に関わる遺伝子の発現量が上がる

⑥そして、FTY720を飲んだマウスでは、一度身に付いてしまった恐怖を「やっぱり怖くない」という経験によって解消させやすくなる


①と②は以前から分かっていたことで、③~⑥がこの研究で判明したことです。では、詳しく解説していきましょう。



①ゲノムDNAはヒストンというタンパク質に巻き付いた状態で存在している

ヒトやマウスを含む真核生物のゲノムDNAは、細胞内の核という部分に収納されていますが、DNAだけの状態ではなく、ヒストンと呼ばれる種類のタンパク質に巻き付いた状態で収納されています。

何せDNAは太さこそ2 nm (2 mmの1/1000,000) という極細ですが、長さは1細胞あたりでヒトのゲノムDNAなら全部合わせて約2 mにもなります。目に見えない小さな細胞の内に、バスケ選手の身長レベルの長さのものが存在しているのですから、何かに巻きつけたりしてコンパクトにまとめておく必要があります。

よくゲノムは生物の設計図などと例えられますが、その例えで言うならば、設計図の紙が長過ぎるので心棒に巻きつけて巻物にしておき、収納しやすくするみたいな感じでしょうか。ただし、巻物とは違ってゲノムDNAは一つのヒストンにぐるぐると何重にも巻かれているわけではなく、ヒストン1つあたりではほぼ2周しているだけで、その分、多くのヒストンに巻き付いています[2-4]。


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              クレームがつきましたので、しばらくお待ちください
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②このヒストンにアセチル基というものが付けられる(アセチル化される)と、そのあたりに巻き付いている部分のDNAに含まれる遺伝子が発現しやすくなる

さて、このヒストンというタンパク質には、リシンというアミノ酸が含まれています。このリシンというアミノ酸はプラスの電気を帯びているので、マイナスの電気を帯びているDNAと引き付け合います。この(ヒストンに含まれる)リシンとDNAが電気的に引き付け合う力が、ヒストンにDNAがしっかりくっついているために重要なのですが、ヒストンアセチルトランスフェラーゼと呼ばれる細胞内の酵素によってリシンにアセチル基というものが付けられる(アセチル化される)と、プラスの電気を帯びなくなってしまい、DNAとヒストンの間の結合が弱くなり、場合によってはヒストンが外れてしまったりします[3-6]。

では、DNAとヒストンの間の結合が弱まるとどういう影響が出るのでしょうか。結論から言うと、その部分のDNAに書き込まれている遺伝子が働きやすくなります。

その仕組みは以下のように考えられています。

まず、遺伝子がその機能を発揮するためには、DNAに搭載されている遺伝子の情報がメッセンジャーRNAというものにコピーされ、そのメッセンジャーRNAの情報を元にして、今度は様々な機能を持ったタンパク質を作る、という過程を経る必要があります。

以前の記事で紹介したマイクロRNAは、メッセンジャーRNAの情報が読み取られるのをブロックするというものでしたが、それ以前の段階としてDNAに搭載されている遺伝子の情報がメッセンジャーRNAにコピーされないことには、その遺伝子は機能を発揮しようがありません。

そして、DNA上の情報をメッセンジャーRNAへとコピーするためには、転写因子やRNAポリメラーゼといった特別な機能を持つタンパク質がDNAに接触する必要があるのですが、ヒストンとDNAの間の結合が弱まると、こうした転写因子などがヒストンに邪魔されずにDNAと接触しやすくなります。その結果、その部分の遺伝子は機能を発揮しやすくなるのです。

逆に、一度アセチル化されたヒストンからアセチル基が取り外されてしまう(脱アセチル化される)と、再びDNAとヒストンがしっかりくっつくようになり、転写因子等がDNAと接触し難くなり、結果、その部分のDNAに搭載されている遺伝子は働き難くなります


どうでも良い話ですが、この前、京都水族館に行ったら一匹だけで水槽に入れられているコバンザメが頑張って壁に貼り付こうとしてました。やっぱり何かにくっついておかないと落ち着かないんでしょうか。


③薬でヒストンの脱アセチル化をブロックすると、どの遺伝子がどれくらい使われるかが変動する

前述のように、ヒストンが脱アセチル化されると、DNAとヒストンの結合が強くなり、その部分のDNAに搭載されている遺伝子は働き難くなるわけですが、このヒストンの脱アセチル化は、ヒストン脱アセチル化酵素という名前の酵素(役割そのままの名前ですが)によって行われます。

したがって、このヒストン脱アセチル化酵素の働きをブロックする薬(ヒストン脱アセチル化酵素阻害剤)を使うと、ヒストンにアセチル基がついたままになり、DNAとヒストンの間の結合はゆるゆるの状態のまま、そしてその結果、本来であればあまり働かなかったはずの遺伝子がよく働く、という事態が生じます。

今回とりあげた研究[1]では、"FTY720"というヒストン脱アセチル化酵素阻害剤をマウスに飲ませると、認知機能や記憶に関する遺伝子が使われる量が上昇し、その結果、一度「これは怖い」と認識するようになったものに対して、「やっぱりこれは怖くない」と認識を改めやすくなる、ということを示しています。

ただし、認識を改めることで恐怖を解消するためには「やっぱりこれは怖くない」と学ぶステップが必要なので、残念ながら(?)
「何もしなくてもこの薬さえ飲めば恐怖が解消される」などというものではありません


恐怖を覚えさせて、その後で解消させるための手順はだいたいこんな感じです。

1日目:マウス達をある所へ連れて行って電気ショックを与える
2日目:マウス達を昨日と同じ所へ連れて行くと、マウス達の大半は、「また電気ショックされるんじゃ…」と怯える。しかし今度は何もしない。
3日目:マウス達を1日目、2日目と同じ所へまたも連れて行く。2日目に「この場所怖いと思ってたけどやっぱ大丈夫じゃん」と学習できたマウスは怯えない。


ヒストン脱アセチル化酵素阻害剤を飲ませると、「前は怖いと思ってたけど大丈夫じゃん」と学習できたマウスの割合が増えるのです。この記事のタイトルには「薬で恐怖を解消できる?!」とつけましたが、どちらかというと促進しているのは「恐怖の解消」というよりは「新たな経験に基づく学習」で、その学習内容が「やっぱりこれは怖くなかった」というものだった、という感じですね。

ちなみに、ヒストン脱アセチル化酵素阻害剤は、恐怖の解消以外の学習も促進することが他の研究によって示されており[7]、その中には、今回紹介した研究とは逆に、ヒストン脱アセチル化酵素阻害剤によって恐怖を覚えるのを促進するという研究もあります[8]。(もっとも、どんな学習にも効果があるというわけではなく、少なくともFTY720は空間的な位置を覚えるのには影響しないようです[1]。)



さて、こういう研究が世に出ると、そのうちヒストン脱アセチル化酵素阻害剤が「頭の良くなる薬」みたいな煽り文句で売る人が出てきそうな気がします。しかしヒストン脱アセチル化によって遺伝子を働かないようにしておくのはたいていの場合そうしておくべき理由があるからです。

なにしろ、ヒトの細胞は原則として各細胞がヒトの全遺伝子を持っています。脳細胞だからといって脳の働きに必要な遺伝子だけを持っているというわけではなく、筋肉で必要な遺伝子とか胃で必要な遺伝子とかも全部持っているのです。全ての遺伝子をONにしておくわけにはいきません。というわけで、闇雲にヒストン脱アセチル化をブロックすると、OFFにしておくべき遺伝子がONになってしまうことによる副作用の危険性があると思われます。

しかし記憶や学習に関わる遺伝子のアセチル化状態だけをピンポイントで制御することができれば、副作用を抑えつつ学習スピードを挙げることも可能になる…かもしれません。


参考文献


[2] David S. Latchman著, 五十嵐和彦・深水昭吉・山本雅之監訳, 遺伝情報の発現制御 -転写機構からエピジェネティクスまで-, メディカル・サイエンス・インターナショナル









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