前回に引き続き、遺伝子導入におけるレトロウイルス(MLV)とレンチウイルス(HIV)の違いについて解説していきます。本日のお題は、前回に挙げた重要な2つの違いーーー①増殖していない細胞のゲノムにも遺伝子を挿入できるか ②ゲノムのどのような箇所に遺伝子を挿入するかーーーのうち、②の方について述べたいと思います。
結論から言ってしまうと、ヒトなどのゲノムにウイルスDNAを入れる際、レトロウイルスは転写開始点の近くに入れる傾向があるのに対し、レンチウイルスは転写される領域ならだいたいどこでも入れやすいという傾向があります[1, 2]。
突如として「転写」とか「転写開始点」などという言葉が出てくると分からない人もいるかもしれないので触れておきます。
以前に解説したように、ヒトの遺伝子はDNAに記されていますが、その遺伝子を実際に使う際には、RNAにコピーしてから、そのコピーの方を使用します。このDNAからRNAへのコピーを「転写」と呼びます。つまり「転写開始点」というのは遺伝子をDNAからRNAへコピーする時に、そのコピーを開始するポイントです。この「転写」では、きっちり遺伝子の部分だけをRNAにコピーするわけではなく、前後に余白のような部分(「非翻訳領域(Un-Translated Region略してUTR)」をと呼びます)も入れた状態でコピーするので、転写開始点は遺伝子が始まるところより少し前の方にあります。
前々回で解説したように、元々ある遺伝子内ならびに遺伝子の近くにウイルスDNAが入ると、遺伝子の機能や制御に異常が出て細胞のがん化などを引き起こす危険性があります。なので、できればそういったところは避けて欲しいのですが、レトロウイルスもレンチウイルスもむしろそういったところを好むというわけです。残念!
さて、そういった意味ではどちらも残念なお二方ですが、ではどちらの方がマシなのか?
まずレトロウイルスの方から見ていきましょう。遺伝子が始まるあたりに入りやすいということは、「ウイルスで作ったiPS細胞は何故がん化するのか?」で解説した、「ウイルス由来の制御配列によって、元々あるヒト遺伝子の制御がおかしくなる」現象を起こしやすいということです。
↓これが起きやすい
ではレンチウイルスの方はどうか。レンチウイルスは遺伝子全体が入れやすいゾーンになっていて、遺伝子が始まるあたりだけを特に狙うというわけではないので、上図のように「ヒト遺伝子の制御がおかしくなる」危険性はレトロウイルスより低くなります。しかしその一方で、遺伝子のど真ん中に入れてしまう危険性はレトロウイルスより高いので、ヒト遺伝子を壊してしまう危険性は高そうに思われます。
だがちょっと待って欲しいのです。
実はヒトの遺伝子は、遺伝子全体が使われているわけではないのです。ヒトの(ヒトに限りませんが)遺伝子には「エキソン」と呼ばれる部分と「イントロン」と呼ばれる部分があり、使われるのはエキソンの部分だけです。イワトビペンギンは卵を2個産んでも育てるのは片方だけで、もう片方は産んだ後に捨ててしまうそうですが、それと同じように、遺伝子は2種類の領域があっても使われるのはエキソンの方だけで、イントロンの方はRNAへ転写した後に切り捨ててしまうのです(ちなみに、イントロンを切り捨てる前のRNAをプレメッセンジャーRNA (pre-messenger RNA)、切り捨てた後のRNAをメッセンジャーRNA (messenger RNA)と呼びます)。
このいらないこであるイントロンを切り捨てる作業を「スプライシング(Splicing)」と呼び、それをやるやつを「スプライソソーム(Spliceosome)」と呼びます(ちなみに、このスプライソソームはタンパク質やらRNAやらが組み合わさってできています)。
また、エキソンとイントロンの境目は「スプライシングサイト (Splicing Site)」と呼ばれます。エキソン→イントロンの境目である5'スプライシングサイトが「ここからいらないこ」の標識、イントロン→エキソンの境目である3'スプライシングサイトが「ここまでいらないこ」の標識です。ちなみに、5'スプライシングサイトはスプライスドナーサイト (Splice Donor Site)、3'スプライシングサイトはスプライスアセプターサイト (Splice Acceptor Site)と表記されることもあります。

で、それがこれまでの話に何の関係があるのか、と言いますと、要はどうせ捨てられるようないらないこ(イントロン)であれば、ウイルスDNAが入ろうがどうなろうが別にいいんじゃね、ということです。
実は、ヒトの遺伝子においてエキソン部分はごくわずかしかありません。ヒトゲノムの構成を具体的な数値で表すと、
遺伝子のエキソン部分:1.1 ~ 1.4 %
遺伝子のイントロン部分:24.4 ~ 36.4 %
(遺伝子でない部分:63.6 ~ 74.5 %)
・・・となります[3]。
圧倒的にいらないこが多いのです。もしヒト遺伝子が100個のイワトビペンギンの卵だったら、育てられるのはわずか4個ほどで残りの96個かは捨てられてしまうので、そんなことではイワトビペンギンはすぐに絶滅してしまいます。何を言っているのか分からないと思いますが、私も何を言っているのか分からなくなってきました。
・・・ええとつまりレンチウイルスは遺伝子部分にウイルスDNAを入れやすくはあるのですが、ヒトでは遺伝子のうち実際に使用する領域は数%くらいなので、遺伝子内にウイルスDNAが入ったからと言って使われる部分が壊される可能性は低い。そして、レンチウイルスはレトロウイルスと違って、転写開始点付近を特に好むわけではないので、遺伝子の制御異常も起こしにくい。つまり、レトロウイルスよりはレンチウイルスの方がまだ安全なのではなかろうか、ということです。
だが待て、しばし。
実はイントロン部分ならばウイルスDNAが入ったところで何の問題も無いか、というと、そうとは限らないのです。
例を挙げましょう。
先ほど、イントロンの始まる部分と終わる部分にはそれぞれ、5'スプライシングサイト(「ここからいらないこ」の標識)、3'スプライシングサイト(「ここまでいらないこ」の標識)があると述べましたが、イントロン内に入り込んだウイルスDNA内に似たような部分があったらどうなるでしょうか?
スプライソソームがどこからどこまでを切り捨てたら良いのかを間違えてしまい、ウイルス由来の部分がスプライシング後のメッセンジャーRNAに入ってしまうかもしれません(実際にそういうことが起こったという報告もあります[4, 5])。そんなことになってしまったら、その遺伝子に機能に異常が生じる危険性があります。
また、RNAに転写された後、切り捨てられたイントロンの一部は「マイクロRNA」という他の遺伝子を調節する役割をもつRNAとして再利用されるケースがあります(全てのマイクロRNAがイントロンの一部というわけではありません)[6]。捨てればゴミ、活かせば資源。何の役にも立たない社会のゴミであるお前達がここで人身御供となることで帝国の礎となれるのだ、ありがたく思うが良い!みたいな感じです。こういったマイクロRNAは細胞の機能において重要な役割を果たしている場合が多く、マイクロRNAを出す所の近くに外来DNAを入れることは、がん化を引き起こすような遺伝子の近くに外来DNAを入れることなみに避けるべし、と言われています[7]。
そういうわけで、結論としては・・・あれ、どうまとめたら良いんだろう。
・・・もういいや。
参考文献
追記
これを書いている間に、レトロウイルス(MLV)によるゲノムへの外来DNA挿入について、新しい論文が出ましたね。
(OPEN ACCESSなのでお金を払わなくても読めます)
レトロウイルスはゲノム上の壊れやすいところへDNAを入れる傾向があり、しかもレトロウイルスのDNAが入ると複製異常とゲノムDNAの切断が起こりやすくなるそうな。ちなみに、レンチウイルスでは複製異常は見られなかったとのこと。