細胞の種類によってマイクロRNA活性が異なることを利用することで細胞の分化を継続的に可視化する技術についての論文を発表しましたので [1] 、これについて解説したいと思います。
いや論文を出したのは昨年なので本来であればこの解説記事は昨年のうちに書いておくべきだったんですが、今年の春頃まではいろいろとストレスがあってそれどころではなくなんでもありません。
忙しい人のための要約
- マイクロRNAには多くの種類があり、それらのうちどのマイクロRNAが働いているかは細胞の種類によって違う。
- ある種類の細胞で強く働いているマイクロRNAの標的となる配列を蛍光タンパク質の遺伝子につけると、その細胞ではマイクロRNAの働きにより蛍光が下がる。
- ある種類の細胞にこの「マイクロRNAの標的配列つき蛍光タンパク質遺伝子」を入れておくと、その細胞が別の種類の細胞へと分化した時に蛍光が変化するため、細胞の分化を可視化できる。
詳しく知りたい人のための解説
①そもそも「細胞の分化」って何?
人間のような多細胞生物の細胞は多くの種類に分かれており、それぞれ機能や役割が異なっています。たとえば、赤血球であれば酸素を運ぶ、心筋細胞であれば収縮により心臓を動かす、胃の壁細胞であれば胃酸を出して食べ物を消化する、といったようにです。
しかしながら、これらの細胞は最初からこのようになんらかの役割に特化しているというわけではありません。最初は「他のどんな細胞にもなれるけれど、どれかの役割に特化はしていない細胞」であったものが、いくつかの段階を経て「ある役割に特化した細胞」へと変わっていくのです。
この過程を「細胞の分化」と呼びます。
たとえば、赤血球になるまでの分化を簡略化して表すと以下のようになります。
多能性幹細胞(体を構成するどのような細胞にもなれる)
↓
造血幹細胞(血小板やマクロファージ、好中球など赤血球以外の血球系細胞にもなれる。神経細胞や皮膚の細胞など血球以外の細胞にはなれない)
↓
赤血球
※実際にはもっと細かい段階に分かれています。
※今ちょうどアニメでやっている「はたらく細胞」を見ている人であれば、赤芽球から赤血球になるのが分化だと考えると分かりやすいかもしれません。赤芽球は造血幹細胞から赤血球になる途中の段階ですね。
②「マイクロRNA」って何?
マイクロRNAは細胞内において遺伝子発現(遺伝子の情報をもとにしてタンパク質が作られる過程)を調節している分子です。
遺伝子発現は「1. DNA上にある遺伝子の情報がメッセンジャーRNAと呼ばれる分子にコピーされる(この段階を転写と呼ぶ)」→「2. メッセンジャーRNAにコピーされた情報をもとにタンパク質が作られる(この段階を翻訳と呼ぶ)」という二段階に大きく分けることができますが、マイクロRNAはメッセンジャーRNA上にある標的配列を認識し、そこに結合することで翻訳の段階を抑制します。
しかしながら、一つのヒト細胞内で2564種類全てのマイクロRNAが作られているわけではなく、細胞の種類によりこのマイクロRNAは多く作られているが別のマイクロRNAはほとんど作られていない、といったような差があります。
③マイクロRNAを利用して細胞の分化を可視化というのはどうやってやってる?
②で述べたように、どのマイクロRNAが作られているかは細胞の種類によって差があります。つまり、分化によってある種類の細胞が別の種類の細胞に変わる時、作られているマイクロRNAの種類にも変化があるということです。そしてマイクロRNAには、これも②で述べたように標的配列をもつ遺伝子のメッセンジャーRNAからタンパク質が作られるのを抑える働きがあります。
そこで、緑色の蛍光を出すタンパク質を作る遺伝子に、分化する前の幹細胞でだけ多く作られているマイクロRNAの標的配列をつけ加えたものを作り、この遺伝子を細胞内に入れます。するとどうなるか。分化後の細胞ではこの遺伝子から蛍光タンパク質が作られるのに対し、分化前の幹細胞ではマイクロRNAが蛍光タンパク質を作るのを抑えてしまいます。
これにより、緑色の蛍光が強ければ既に分化した細胞、弱ければまだ幹細胞のままで分化していないと分かる…………かというと、なかなかそううまくはいってくれません。
何故なのか。細胞に外から遺伝子を入れる時、全部の細胞に同じ量が入ってくれるわけではなく、入る量にはばらつきがあります。つまり、蛍光タンパク質の遺伝子が少ししか入らなかった細胞では、マイクロRNAが無くても緑色の蛍光はあまり出ないことになります。
また、②で述べたように、遺伝子の発現には転写と翻訳という二つの段階がありますが、マイクロRNAが制御している翻訳の段階だけではなく、転写の段階でも制御を受けます。たとえば、DNAにメチル基というものが付け加えられる(これをDNAのメチル化と言います)と転写が落ち、これによりタンパク質ができる量も減少します。つまり、マイクロRNAが無い細胞に遺伝子を入れた場合でも、その遺伝子のDNAに多くのメチル基が付けられてしまえばやはり緑色の蛍光はあまり出ないということになります。
つまり、単に蛍光タンパク質の遺伝子にマイクロRNAの標的配列をつけたものを細胞に入れただけでは、その細胞の蛍光が低かったとしても、それがマイクロRNAが働いていないからなのか、それとも他の原因なのかが分からないということです。
そこでこの研究では、マイクロRNAの標的配列をつけた緑色の蛍光タンパク質の遺伝子の他に、もう一種類、赤色の蛍光タンパク質の遺伝子を入れています。この赤色の蛍光タンパク質の遺伝子は緑色の蛍光タンパク質の遺伝子と同じDNAに載っていて、メッセンジャーRNAへの転写もいっしょにされますが、転写された後で緑色の方の遺伝子とは切り離されるようになっています。
そのため、細胞にDNAが入る量自体が少なかったり、DNAのメチル化で転写量が落ちたりした場合は、赤色と緑色の両方の蛍光が同時に低くなります。一方、マイクロRNAは赤色と緑色の遺伝子が切り離された後で緑色の方にだけくっつきます。そのため、マイクロRNAがある場合は、赤に対する緑の比が低くなるのです。
細胞の赤と緑の蛍光をそれぞれ測定し、緑の蛍光の数値を縦軸で、赤の蛍光の数値を横軸で表すと、このように対象のマイクロRNAが有る細胞と無い細胞を表すドットはそれぞれ斜めに延びた二つのグループに分かれます(ドットの一つ一つが各細胞の蛍光の測定値を表しています)。
緑の蛍光タンパク質の遺伝子につけたものが、分化前の細胞で多く作られているマイクロRNAの標的配列であった場合は、縦軸方向に下のグループに入れば分化前の細胞、上のグループに入れば分化後の細胞というわけです。
逆に、つけた標的配列が特定の種類の細胞に分化したものだけで多く作られているマイクロRNAに対するものであった場合、その種類の細胞に分化したものが下のグループに、まだ分化していないものや他の種類の細胞に分化したものは上のグループになります。
このようにして、細胞の分化状態を確認することができるというわけです。
このシステムの良いところは、簡単に使えて、しかも蛍光タンパク質の遺伝子を細胞に一度入れるだけで、その細胞の分化状態を継続的に可視化できるところです。
「トランスポゾン」というものが含まれるプラスミドDNA(細菌内で複製される小さな環状DNA)を使うことで、細胞が元々持っているゲノムに効率的に蛍光タンパク質の遺伝子を入れ、安定して保持させることができるようになっているのです。また、トランスポゾン入りのプラスミドDNAは通常のプラスミドDNAと同様に大腸菌内で増やして取ってくることができるため、レトロウイルスなどのウイルスを使って遺伝子を導入する場合よりも簡単に調達できます。
※トランスポゾンがどういうもので、それを使ってどのようにゲノムに遺伝子を入れるかを説明すると長くなりますので、興味のある方は以下の過去記事を参照してください。
さて、最後に、この技術にどのような使い道があるのかという話をして終わりたいと思います。
まず、細胞を分化させる際の条件比較し、どの条件が一番良いかを調べる時に便利です。
薬の効果を調べる際などには、特定の種類の細胞を使わなくてはいけないことがあります(たとえば、神経細胞だけを集めてきて脳の病気用の薬のテストに使う、といった感じですね)。しかし神経細胞や心筋細胞といった分化後の細胞は限られた増殖能しか持たないため、増やして好きなだけ使うというわけにはいきません。
一方、iPS細胞やES細胞といった多能性幹細胞はいくらでも増殖するので、これらの細胞を目的の種類の細胞へと分化させることができれば、目的の細胞がいくらでも使えることになります。
しかしながら多くの場合、100%の効率で多能性幹細胞から目的の細胞へと分化させることは困難です。そのため、いろんな分化条件を試してどれが一番効率が良いかを比較することになります。そうした時に、このマイクロRNAに応答する遺伝子を最初の多能性幹細胞の段階で入れておけば、その後は追加で抗体などを使う必要もなく、どの条件でどのくらいの細胞が目的のものに分化しているかを継続的にチェックすることができます。
また、単に蛍光を測定するだけでなく、蛍光の違いにより細胞を分離して集める機能がある装置を用いれば、必要な種類の細胞だけを分離してくることもできます。
このようにして集めてきた特定の種類の細胞を薬効評価のような他の研究に使うこともできるというわけですね。