どうやったらこの駄女神に知性を与えられるかについて   作:コヘヘ
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彼は知らない。愛を知る前に彼の両親は無くなったから。
彼は愛されていた。だが、それを知る前に亡くなった。
彼は、『愛』を確かめたくて、両親の最後の言葉を守ろうとした。

彼は、愛を理解しようとしたが、生前決してそれを得ることはできなかった。


第十話 欠けた愛

内々の秘密の隠れ家。彼がクリスに案内された場所はそのような部屋だった。

 

…彼自身、知らない場所だった。驚くほどの幸運にこの部屋は満ちていると彼は推察した。

 

少なくとも、彼の目から逃れるくらいの幸運があった。

 

 

彼は、そっと『手土産』をクリスに渡した。

 

ご機嫌取り兼、これでしばらく我慢してくださいというものだった。

 

彼は今、本気で忙しかった。

 

 

キャベツ収穫からのクリスと仕事の打ち合わせの前に、彼の手土産を渡した。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

『悪徳貴族のエリス教狂信者計画』。

 

 

彼が女神エリスのためだけに、選んだベストセレクション。

 

 

今の、彼の伝手だけで破滅させられる悪徳貴族一覧表だ。

 

 

タイトルをつけるならば、『絶望と破滅からの救いの手』。

 

 

クリスが義賊などせずとも、彼が数か所弄るだけで、

 

勝手に破滅する悪徳貴族達を厳選していた。

 

この世界の悪人は彼からしてみれば実にわかりやすかった。

 

 

常識的な悪人だらけだった。

 

…前世で悪意という悪意を経験した彼からすればだ。

 

彼の目線での世界は完全に悪魔ですらドン引き待ったなしの世界だった。

 

 

そんな彼が夜なべして書いた『作品』達は、後世への影響も考えられたシリーズものだった。

 

 

悪事が露呈し、庶民へ身を落とす悪徳貴族達。

 

そんな中、女神エリスの使徒クリスが救いの手を差し伸べる。

 

元悪徳貴族たちが悪を自覚し、更生していくその姿勢は、

 

エリス教こそ救いの道だと世界中に伝播する。

 

 

…そんな感動のお話を、彼は何パターンか用意していた。

 

企画していくつもりだった。女神エリスが喜ぶと思って。

 

 

一覧表にそれぞれの話の『テーマ』まで添えていた。

 

 

悪徳貴族の欲望を分析し、どうすれば心が折れるのか、

 

その後の救済までのプランまで設計済みだった。

 

 

彼は会心の出来だという自負があった。

 

 

女神エリスが、悪徳貴族の破滅を特等席で見られるように手配していた。

 

女神エリスの義賊稼業の神意を、彼なりに汲み取って頑張ったのだ。

 

 

だが、彼は女神エリスに怒られた。

 

 

全否定された。彼は、かなりショックだった。

 

ある意味、女性に初めて送ったプレゼントを全否定されたのだから仕方がないかもしれない。

 

 

それが『悪意』を前提に作られた物でなければ、

 

誰もが慰めたであろう手間暇を彼はかけていた。

 

 

「クリスさんが赴かなくても、勝手に破滅して神器を手放し、

 

 救いを求めてエリス教に改宗するプランを用意したというのに…」

 

彼のそれは、完全に悪徳貴族に対するマッチポンプだった。

 

 

女神エリスが怒るのも当然だ。

 

自分からこのような悪意に塗れたマッチポンプなど彼女に取って『論外』だった。

 

 

だが、アクアなら確実に喜ぶ。彼は確信していた。

 

実際、これをアクアに聞かせたら、ノリノリでやり出す。

 

彼の分析は正しい。アクアなら喜んだ。

 

 

さらに言えば、彼のアクアから聞いた『女神エリス』ならば、確かに喜んでいた。

 

 

だが、彼は女神エリスを致命的に誤解していた。

 

 

これ以上を求めるならば、女神エリスと言えども、

 

悲劇は何も生み出さないと説得しようかなどと考えるほどに。

 

 

彼には悪徳貴族の劇場型犯罪誘発プランもあったが、

 

余計な被害を彼は好まなかったから破棄していた。

 

 

 

彼は、女神エリスを誤解していた。

 

女神エリスは、どちらも望んでいない。

 

だが、その誤解は一部正しく、それを補強したのは女神エリスその人だった。

 

本当に碌でもない『幸運』だった。

 

 

 

だが、彼の努力は一部だけ認められた。

 

 

「作戦計画の資料の情報を流用すれば、今日にでも行けるくらいの内部情報があるね。

 

 というか、今日襲撃する予定のところもあるんだけど…」

 

クリスは彼の用意した『資料』だけは認めた。

 

 

マッチポンプはともかく、彼の女神エリスのために用意した情報の正確さは凄まじかった。

 

 

彼からすれば鍵のない金庫を開ける程度の感覚だった。

 

何せこの時代、この世界の情報に対する警戒はザル過ぎた。

 

…彼からすればだ、普通に悪事を働いている以上、悪徳貴族達は警戒していた。

 

ただし、魔法や占い対策だった。

 

彼からすればチートな捜査能力も情報捜査がない警察組織など隙だらけだった。

 

その隙を悪徳貴族達は確かに対策していた。

 

貴族という立ち位置で警察そのものを立ち入らせないことが大きかった。

 

現にこの国の税金関係の法律は、貴族が逃げるために有るような抜け道が存在した。

 

 

…そうしたこの世界の警察組織の実情を知る彼は、クリスが資料を褒めたのを見て悟った。

 

女神エリスは『神器』を本当に、虱潰しに探している。

 

 

彼はそれを、今までの義賊の行動から推測はしていたが、確信に変わった。

 

女神エリスはたった一人で盗賊スキル『宝感知』を用いて正攻法で神器を回収していた。

 

 

それは、とても『孤独』だっただろう。

 

…彼は不敬にも女神エリスに同情していた。

 

 

彼に取っては、個人であの義賊をやったのは凄いと思う反面、

 

他人を頼る彼の情報網があれば、無敵の義賊の誕生だと確信できた。

 

二人でやれば、隙がなかった。彼はそう確信した。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

彼の、アクセルの街中で戯言をほざく演説は、

 

クリスの活動範囲と活動時間を調べる意味も含めていた。

 

 

彼は計算づくの行動だった。

 

 

彼の中では、一つの行動に複数の意味を持たせるのは基本だった。

 

 

故に、もう一つの推測が確信に変わる。変わってしまった。

 

 

「…もう、冒険者たちの活動が本格化しますよね?

 

 そのうち、女神の仕事が急増する。

 

あまりキャベツ収穫で、稼げなかった冒険者達が冬を越すために急いで稼ぎ始める。

 

モンスター討伐での死亡率が、所謂稼げるイベントの後に急増している。

 

キャベツ収穫後は、今日を除いて暇があまりない。

 

 …私を警戒するのは当然です。

 

 しかし、今後は、なるべく女神としての本業を優先させるべきかと存じます」

 

彼は、完全に確信した。

 

 

女神エリスは自分を警戒し過ぎている。

 

…恐らくこれ以上の警戒は、女神エリスの業務に支障が出るレベルで。

 

 

彼がしばらくアクセルに滞在する以上、

 

女神エリスは今回を除けば恐らく、あまりアクセルには来られない。

 

 

王都や他の神器候補もあるからだ。

 

優先すべきは寧ろそちらだと彼は考えていた。

 

 

現段階で、彼の調べられたアクセル近郊にありそうな神器は小粒の物ばかりだった。

 

…『宝感知』で彼はそれらを確認したわけではないし、資料だけの類推でしかないが。

 

 

流石に、彼にとってザルな警備でも、警戒が激しい貴族はまだ探れない。

 

だが、いずれ必ず探らないといけなかった。貴族が魔王軍のスパイであることを彼は警戒していた。

 

必ずいる。というか、怪しいペンギンの貴族がいた。あからさま過ぎるので彼は現在放置している。

 

 

彼に取って、そんな確実に相手をしないといけない悪徳貴族は、アルダープ領主が筆頭だった。

 

…アルダープ領主は『悪魔』を確実に飼っていた。

 

彼はもう完全に確信していた。

 

彼と相性最悪な思考を捻じ曲げる悪魔だと彼は考えていた。

 

 

心を読む公爵より彼に取っては脅威だった。

 

 

もし仮に、自分が自分でなくなるくらい思考を捻じ曲げられたら、

 

彼は負けると推察している。

 

 

悪魔への飽和攻撃か、アルダープ領主本人を捕らえるしかない。

 

それをやったら、『王国』が崩壊する。

 

アルダープ領主の悪魔支配の報は国の存続を脅かし兼ねない。

 

平時ならともかく、今は戦争中だ。魔王軍との。

 

 

彼が正攻法で悪魔退治しようものなら必ず明るみになってしまった。

 

彼に取ってその悪魔は、致命的に弱点過ぎた。

 

 

…貴族の時代から庶民主体のパラダイムシフトが発生する。彼はそう結論付けた。

 

 

彼はそれが起きてしまったら、魔王討伐どころでないと確信した。

 

 

ノイズの『研究者』のようなチート能力者等がいればまだ富国強兵の範囲内だが、

 

そんな都合の良い存在の情報は、彼は知らなかったし、恐らくいないと思っている。

 

 

幸いなことは、

 

アルダープ領主は悪魔をどう考えても使いこなせていなかったことだけだった。

 

 

…彼に、情報が『捻じ曲がっている』ことを悟らせていたから。

 

 

悪魔を活かしきれていれば彼に勘付かれることはなかった。

 

さらに言えば、見張りにダスティネス家をつけられたりはしない。

 

 

彼が調べなくても『王家の懐刀』といえば、ダスティネス家と言われるほどの名家が、

 

アルダープ領主を常に監視していた。

 

 

彼はアルダープ領主をいずれ、

 

仲間のダクネスのためにも秘密裏に、安全に排除するつもりだった。

 

 

そのためには、何としてでも『地獄の公爵』との取引が必要不可欠だった。

 

公爵が居なければ、彼は、人類滅亡の可能性すら考えていた。

 

神では無理だと彼は確信している。

 

まともな神では、パラダイムシフトの波から魔王軍に耐えきれなかった。

 

 

 

…皮肉なことに、彼の想定する『最悪』にも適応できる唯一の宗教があった。

 

アクシズ教だった。アクアを祀り上げ、彼が洗脳すれば解決できた。彼の計算上は。

 

 

この刹那主義と快楽主義を詰め込んだ宗教ならば、

 

彼の想定するパラダイムシフトすら乗り越えられた。

 

 

彼は、変態が世界を支配するなど断じて認めなかった。

 

…だが、変態なら対応可能なのだ。理不尽な改革すら平然と耐えのけられた。

 

彼の計算上、アクシズ教徒なら本当に地獄だろうが耐えられた。恐ろしい。

 

 

だが、彼に信仰などできないし、しない。

 

その不誠実は彼には決して許せないから。

 

悪魔を唾棄する『神』は彼の行動を阻害した。

 

…故に、信仰などできない。不可能だった。

 

 

 

最も、彼は神意を自己解釈して、焚きつけたり、利用したりするのは一切躊躇しない。

 

彼は、悪魔も神も利用できるものは利用する気満々だった。

 

 

彼のこの姿勢が、地獄の公爵が彼に目をつける最大の原因なのに彼はまだ気が付かない。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

魔王城の一部屋に『地獄の公爵』は籠っていた。

 

珍しいことに魔王城の誰もガッカリさせたり、

 

血涙流させたりしない平和がそこにはあった。

 

 

だが、魔王からいい加減働いてくれと言われた『地獄の公爵』は、

 

 

「今、興味のある『者』がいるから後にしろ!」

 

と魔王の依頼を一蹴していた。

 

 

流石に魔王と言えども、引き下がらざる負えなかった。

 

 

『地獄の公爵』が、本気を出せば魔王軍を本当に壊滅できたから。

 

 

…長い付き合いから、魔王城の結界維持にだけ勤めて貰っていたようなものだった。

 

本来、地獄の『公爵』が魔王軍幹部等、本来は有り得ない。

 

他の平行宇宙でもそんな事例はない。

 

 

この世界だけ、異常なのだ。

 

…神と世界の命運を争う頂点の一人が魔王軍幹部などしていることが。

 

 

そんな、公爵は本気で自分の残機を確実に消せた可能性を見つけて、驚いていた。

 

 

占い師の『予言』がなければ、どうあがいても公爵は詰んでいた。

 

思考が読めても、全ての可能性を破壊する気なら、公爵でも回避不可能だった。

 

 

彼は、全ての可能性で公爵の残機を減らしていた。

 

観測できた可能性全てで確実に減らしていた。

 

…これは神であっても有り得ない偉業だった。

 

少なくとも公爵に取っては偉業だった。

 

 

公爵に人間が勝てる可能性等、今まで、たった一人しかいなかったから。

 

 

「神も悪魔も恐れない。…それどころか利用する気しかない。

 

 いやはや、我輩ここまで悪魔より悪魔が相応しい人間など早々見たことがないわ!!」

 

地獄の公爵は歓喜していた。

 

 

人間は公爵にとって、ご飯製造機である。

 

 

だが、公爵すら想像を絶する程美味であろう極上のご飯を用意して、

 

公爵を利用する気満々の人間など初めてだった。

 

 

『地獄の公爵』バニルは、彼を占ったりするのは苦労した。

 

何故か、いつもピカピカ光るウザったい何かがあったからだ。

 

 

だが、その甲斐があるほど面白い人間を見つけたことを喜んでいた。

 

 

「素晴らしい!!我輩との偶発的遭遇という僅かな勝ち筋。

 

 …そんな普通なら有り得ない可能性をこの者は、『意図的』に起こしている。

 

 その最初に全てを懸けてその偶然で葬ることしか考えていない!!

 

 しかし…ピカピカしたウザったいのがなければ全ての可能性を覗けるのに…

 

 本当に邪魔だこのピカピカ。完全に空気を読んでいない。

 

 我輩の楽しみを邪魔しおってからに…」

 

地獄の公爵であるバニルはそこだけが不満だった。

 

 

何故か、ピカピカしたのが、可能性に大体いて大変邪魔なのだ。

 

 

だが、ピカピカが、いないときもありその時の可能性は見えた。

 

 

ある可能性で彼は、公爵にとっての極悪非道の行為。

 

作成中のダンジョン毎爆破する非道過ぎる行いをしていた。

 

 

ある可能性では、敢えて公爵に心を読ませて、彼にだけ意図的な情報の空白を作り、

 

その隙を、虚を完全についていた。

 

 

ある可能性では、別の勇者候補を囮に使い、公爵がそれをおちょくっている間に、

 

行動不能の状況に追い詰めたりもしていた。

 

 

ある可能性では

 

…何と、彼単独で、公爵に真正面から挑み勝つ可能性もあった。

 

 

観測した公爵自身も信じられないが、確かに存在していた。

 

 

『地獄の公爵』バニルに取って、この長い生の中で初めての偉業が一つ存在していた。

 

 

公爵は過去も未来も覗けた。彼自身を見つけることなど容易だった。

 

…だが、彼の未来は中々読めない。

 

 

大体、ピカピカ光るウザったい何かが邪魔をする。

 

 

「ある意味、我輩に勝てる可能性を奪ってしまったわけだが…」

 

公爵はある意味、彼に対して、反則を意図せず行ってしまったと思った。

 

 

彼の策は完璧だった。予言さえなければ、彼は確実に公爵に勝てた。

 

そう認めるほど。認めざる負えない程に、完璧な策だった。

 

 

本当にどういう状況でも公爵を完全に嵌めていた。

 

 

街でも、草原でも、山でも、ダンジョンでも、湖でも。

 

本当に、全てを揃えていた。

 

 

「しかし、困った。恐らく、我輩の『利益』になることを多数用意している。

 

 …直接倒したわけでもない。飽くまでも我輩が観た可能性」

 

公爵としても、彼の用意しているであろう『取引』は非常に魅力的だった。

 

 

彼を悪魔として転生させて、引き抜きたい程の魅力ある取引をピカピカ光るのが、

 

いないときに何度もしていた。会ったことすらない存在の本質を完全に把握していた。

 

 

策に支障がない範囲で完全に。

 

 

「しかし、どう考えても、我輩の『契約者』としては足りない。

 

 …ただの『冒険者』では、七大悪魔の第一席とは釣り合わない。

 

 本当に、実に惜しい。あの占い師め、余計なことを…」

 

公爵は本気で占い師に八つ当たりをするほど、

 

彼の可能性に心踊らされるものを感じていた。

 

 

彼の想定していた魔王軍幹部『地獄の公爵』バニルの偶発的遭遇が完全に消えた。

 

彼の想定していた唯一の勝ち筋が、完全に失われた。

 

 

そして、それは、彼も公爵も望んでいなかった『戦い』を引き起こすことになる。

 

 

…だが、公爵も興奮し過ぎて、気が付かなかった。

 

未来予知を多用した際にほぼ確実に発生する不幸の存在を忘れていた。

 

 

観測できる全ての可能性で地獄の公爵バニルを倒して見せた。

 

 

彼が、それを、その隙を、見逃すはずがないことに気が付かなかった。

 

 

彼は、その可能性も、公爵が、現在過去未来全てが覗ける能力であったとしても最初から、

 

想定済みだったことを、まだ地獄の公爵は知らない。

 

 

それを公爵が言う、あの忌々しいピカピカが覆い隠していたから。…本当に、偶然にも。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

女神エリスと彼の話は一旦区切りがついた。

 

 

どの道、女神エリスは、冒険者の死者が急増するこの時期は忙しいはずだった。

 

彼はそう結論付けし、女神エリスもそうであった。

 

 

 

「…そうですね。本当はあなたに色々言いたいことがあります。

 

 私をどう思っているかとか。

 

 …私のことを心の底から『邪神』と思っていることくらい察しました」

 

女神エリスが彼にそう言った。

 

 

彼としては、女神エリスに『えっ、違うの?』と聞きそうになるのをぐっとこらえた。

 

 

幸い、頭がパーにならなかった。

 

彼としてはそれが、少し怖かった。

 

 

「…でも、それよりも聞きたいことがあります」

 

彼は、『女神』エリスをそこに見た。

 

 

彼は、クリスからいつの間にか『女神』エリスになっていることに気が付かなかった。

 

彼は、本当にこのときだけは、女神エリスに負けていた。

 

女神エリスはこの時、この空間で、完全に本気だったから。

 

 

エリス教の経典にある『女神』を、彼は確かに見た。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

神聖なオーラが部屋を充満していた。

 

人間の彼にすら視認できるほどの、言わば幸運のオーラで満ちていた。

 

彼は、確実に天界規定ギリギリの行為を女神エリスが行っているのを察した。

 

 

彼には、何故、そこまでする必要があるのかわからなかった。

 

…彼としては、大変不本意だが、彼自身を抹殺した方が早いと確信していた。

 

 

そんな中、女神エリスが彼に問いかけた。

 

 

「あなたはこの世界を愛していますか?」

 

女神エリスは彼にそう尋ねた。

 

彼は、思考が空虚になるのを実感した。それは、愛とは彼にとって禁句だったから。

 

 

「…愛とは何ですか?私には愛がありません」

 

だが、彼は『女神』に正直に答える。

 

絶望の禁句も、まだ、彼は耐えられた。何故かは彼にはわからなかった。

 

 

女神エリスの問については、そんなこと言われても彼が知りたい。

 

 

「私は愛や友情など知りません。知りたくとも人間性が欠落しています。

 

 …だけど、今、『仲間』といるのは、何故か、とても楽しい」

 

彼は黙って聞いてくれる女神に今の本音を話す。

 

 

最もその先に裁きがあれば、

 

彼はまだアクアのことがあるから、消滅のその瞬間まで抗うが。

 

 

「この世界の人々も何だかんだ言いつつ、私を受け入れてくれている。

 

 …大いなる誤解はあれど」

 

彼は何だかんだでダストやらギルド長やら色んな人々の弱みを握りこそすれ、

 

人間自体は、嫌ってはいなかった。

 

 

彼は嬉々として、弱みに付け込む外道だと自覚している。

 

自分自身を嫌いこそすれ、心から『他人』を嫌うことはできなかった。

 

 

前世でも、この世界でも。

 

 

「この楽しさが、愛なのならば、私は世界を愛していると言えるかも知れません」

 

彼はこの言葉自体は本音であるが、戯言をほざいた。

 

彼自身、この意味のない空虚な発言だと思った。

 

 

「ですが、それは、愛ではない。違いますよね?…女神エリス様」

 

彼は、これが『愛』ではないと確信していた。

 

 

彼は、致命的に何かが欠落していた。自覚があった。

 

 

彼は、この一連の発言だけ、真摯に告白した。

 

例え、彼には禁句だろうが関係なかった。

 

 

目の前の存在に、神を感じたからだ。

 

 

彼は決して神には祈らない。だが、敬意は持っていた。

 

彼には、神罰不可避の狼藉に躊躇等ないが、それでも一定の敬意はあった。

 

 

女神エリスが沈黙する。彼にはそれを不思議と恐怖しなかった。

 

彼には、それが何故かわからなかった。

 

 

「…いいえ。それは愛です」

 

沈黙の末、『女神』エリスは彼にそう告げた。

 

 

女神エリスが本気で言っている。だが、沈黙が否定している。

 

 

「嘘ではない。…ですが、違いますね?」

 

彼は『女神』エリスの言いたいことが、壊滅的にわからない。

 

 

思考回路が違う。

 

神と人との差なのか…欠落した自分だけの差なのか。

 

 

彼には、女神エリスの言う事が、全くわからなかった。

 

 

「…ええ、あなたはとても賢い。

 

 もうここ数日で私の仕事に支障がでている程度には、私疲れていたんですよ?」

 

目の前の『聖女』が悪戯っぽく笑う。

 

 

女神エリスが、光臨していた。

 

彼は今更ながら現実だとはっきり確信していた。

 

 

「…ご冗談を。アクアであるまいし、あなたの智謀には私はついていけません。

 

 私はあなたが、弱点のようです。純粋悪かと思えば、今は善しか感じない」

 

彼は、思わず頭がパーになる。

 

だが、全部本音だ。彼には女神エリスがわからない。

 

 

「…その辺り、物凄く、ええ物凄く神罰を与えたいのですが。

 

 どうして、そんなに勘違いしているんですか!!」

 

女神エリスがキレた。

 

だから、彼も開き直った。

 

 

「…神罰覚悟で言いますが、私は心がとても捻じ曲がっています」

 

彼は、そこまで感情を露わにした女神エリスに思わず『本音』をぶつけてみたくなった。

 

 

「だから、目の前に美しい女神がいたとしても、それを信じることができません」

 

彼は、転生前、初対面のアクアの本性を一瞬で察した。

 

だが、それは『女神』として、彼が一瞬でもアクアを見ていなかったからだ。

 

 

今、女神エリスは敢えて、彼に光臨までした。

 

故に、女神を相手に初めて内心を漏らす。

 

彼に最初の計算などない。

 

全て、そのままを話す。打ち明ける。

 

 

「女神エリス様。あなたは大変お美しい。

 

 …ですが、私にはそうと表現しかできないのです。

 

 申し訳ありません。私は致命的に愚かなのです。

 

 

 例え目の前に、神々しい光があろうとも、私は正面から見ることができません。

 

 

 私は影しか見られないでしょう。この愚か者を何卒、どうかお許しください」

 

彼は、真摯に謝罪する。

 

 

左手を腹に、右手を背中へ回し、深々と頭を下げる。

 

彼の知る限り、最上級の礼を示す。

 

 

彼は女神エリスのことがわからないからだ。

 

せめて、彼の謝罪を全身で表現した。

 

 

自分より遥かに智謀や計略を練れる存在だと思っているし、『狂信者』に見える。

 

…この間のアンデッド論を聞いて恐ろしいまでの狂信者なのは確定だ。

 

その一面は確実に女神エリスにはあった。

 

 

 

だが、彼は女神エリスが、全能ではないと知っていた。

 

だから、彼は策を張り巡らせた。女神エリスに気取られずに。

 

今はそのような無粋は一切ない。彼の『素』を女神エリスに見せた。

 

 

彼は、女神エリスが本当に、何を言いたいのかさっぱりわからない。

 

…恐らく女神エリスに、愛を説かれたところで、きっと彼にはわからないと確信していた。

 

 

何故か、わからない。彼には、愛せる者がいないからだと推測はした。

 

それは、国語のテストの応用だった。

 

飽くまでも国語のテストならそう書くのが正解だから彼はそう推測しただけだ。

 

 

彼は気が付いた。女神エリスが何も喋らない。

 

 

何かあったのかと、我に返った。謝罪の姿勢を元に戻した。

 

 

「な、な、な…」

 

何故か女神エリスは顔を真っ赤にしている。

 

 

何か言おうとしているが彼には聞き取れない。

 

 

彼は女神でも風邪を引くのかもしれないと思った。

 

女神エリスからは、怒りは感じないから。

 

ベルディア討伐計画説明の時のアクアに近いような気がするが、彼にはわからない。

 

…アクアは風邪を引かないような気がする。

 

何だろう。馬鹿は風邪を引かないという典型がアレなんだろうか。

 

何れにせよ、アクアが風邪を引かないように今のうちに防寒対策を整えよう。

 

彼は場違いなことを考えていた。

 

 

「中止!そう中止です!!また、今度会いましょう!

 

 そうしましょう!…さようなら!!」

 

女神エリスが彼に捲し立てて、そのまま外へ飛び出した。

 

 

…彼は女神エリスが、クリスに戻らないとアクセルで騒ぎになると確信した。

 

 

彼には本気の『神』など決して、止められはしなかったが。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

彼は愛が欠けているから気が付けない。

 

第三者目線で、彼は女神エリスを完全に口説いていた。

 

彼はわからない。彼は非常に不味いことをした。

 

彼の言う有り得ない感情というものを神は持っていた。

 

彼はそれを『神話』などと片づけていた。

 

 

彼は知らない。

 

あの空間で、女神エリスが本気を出した時だけ誰であろうが、

 

本音しか話せなくなることに気がつけない。

 

女神エリスはこの空間を使うに当たって彼女なりに必死の覚悟していた。

 

だから、彼の言葉は彼女の心に響いてしまう。

 

彼の本音は確実に、女神エリスを動揺させた。

 

 

もう一度言う、彼は第三者から見て女神エリスを完全に口説いていた。

 

 

…純粋過ぎる女神に、彼は非常に不味いことをした。

 

 






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